高校生のころ図書館で借りて読んだきり、(俺の中では)幻の書物となっていた「ヒトラー最後の戦闘」。初版は1966年で、同年、朝日新聞社(!)から日本語に翻訳・出版され、1981年に早川書房から上下分冊の文庫として再発売されました。現在は再販未定となっており、つまり絶版状態。売上部数が少なかったのか古書店でも予想外の値段がついていたりします。
私が読んだのは早川版でしたが、そろそろ記憶が薄れてくるお年頃。このたび近所の区立図書館で他区から取り寄せてもらいまして、大戦末期の戦況を今一度銘記することとしたのであります。なお今回は朝日新聞社版と早川書房版の両方を借りることができました(物好きだなw)。

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左の単行本が朝日新聞社版。右が早川版。
固有名詞や漢字表記に若干の差異はあるものの、内容は全く同一。
 
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朝日新聞社版は冒頭に写真が掲載されています。それと裏表紙にドイツの地図。


1966年といいますと戦後20数年。軍需相シュペーアがニュルンベルグ裁判による禁固20年の刑期を終えて出獄した年。パイパーやガーランドはもちろん、マンシュタインやデーニッツだってご存命。第12SS装甲師団の子供たちだって下手すりゃまだ30代。軍・政要職についていた方々はもとより、戦火のベルリンを生き抜いた市井のドイツ人たちもまだまだ現役だった時代。文書にはされていないが、戦争の悲惨な記憶や奇妙な出来事がまだまだ鮮明に記憶として残っています。
コーネリアス・ライアンはそうした人々の記憶を記録に残そうと、英米独の膨大な方々にインタビューしているのですが、驚くべきことに、ソビエト政府の許可(およびおそらく米政府の黙認)を得て赤軍元帥(コーネフ(本書ではコーニェフ))等にも面会し、面白いエピソードや資料を渉猟することに成功していたりします。また、後述する日食作戦に基づく連合軍内外の情報は本書で初めて詳らかになるなど、画期的情報も盛り込まれ、そのほかにも珍エピソードや戦史オタが喜びそうな情報がてんこもりで、かなり価値のある書物となっております。
本書は安物のミリタリ雑誌などで軍事ライターがたびたびパクって引用するくらい有名なのではありますが、コーネリアス・ライアン自体は歴史家でも軍事評論家でもなく、一介のジャーナリストに過ぎないので、確かに、膨大なインタビューと調査とを経て出版され、読みやすく、よくまとまった末期戦物語である一方、一次資料としてどこまで信頼を置けば良いのかは十分慎重に検討する必要があると思います。
そういった配慮をしつつも、「ヒトラー最後の戦闘」はミリオタ、戦史オタ、特に末期戦愛好者にとっては必読の書なのは間違いありませんので、機会があれば是非。といっても、東京23区の公立図書館には全部合わせても10冊もありませんので、地区住民で無い場合は窓口で別途申し込む必要があると思います。
そうしてこの年齢になって再読してみるとですね、「中枢」にいる方々の現場から乖離した状況判断というものが、たびたび、というか、頻繁にビジネスで見かける場面と、大変よく似ていると思い当たり、いささか戦慄いたしました。
「中枢」の方々の打ち立てる「企画」「対策」「プラン」「計画」等、まぁ各社いろいろな呼び名はあるのでしょうが、そうした政策立案は、現場の我々からしてみると、「現状認識を欠いた目立ちたがりバカ謹製の作文」に過ぎない代物であることがほとんどだったりします。自治体の行政計画などにも見かけますね、そういうの。もうね、そうした企画とか対策とかね、新入社員でも立案できるんですよ。戦線を拡大するなんて、バカでもできるのです。費用対効果・マンパワーを考えろ糞野郎、と思うのですね。
現代日本のビジネスで必要な能力は、「適切な出口戦略」と「撤収」能力なのです。撤退戦が上手くないといたずらに出血を強いられ、最後には会社ごと潰れてしまうのです。会社四季報などで業界の役員人事などを眺めるとすね、どいつもこいつも戦線拡大バカばかり。誰も後始末をしない。お前ら東部戦線で死ねよと。凍死しちまえ(投資だけに)
日本経済を担う一兵隊としては、お先真っ暗な寒い状況を再確認させられた思いです。
とまぁ、そんなグチは(現代日本企業の真実を突いているという自信はありますが)置いておいて、「ヒトラー最後の戦闘」を改めて精読した感想を述べたいと思います。

  • 第一部 ベルリン
1945年4月までのベルリン市内や郊外の日常の様子が語られる。農夫、主婦、サラリーマン、医師、西側スパイ、動物園の管理人、末端のナチ党員、囚人、共産主義者、ユダヤ人(!)・・・。ほぼ毎日爆撃されているものの、ほとんどは通常通り働き、また一部の者は政府の目から隠れて生活している。その様子がいきいきと、時に文学的に、ジャーナリストらしい筆致で綴られている(登場人物の幾人かは第五部「戦闘」でも再登場し、さらに幾人かは悲惨な出来事に遭遇してしまう)。
戦況は絶望的でありそのことは十分承知しているにも関わらず、住人たちは思考停止に陥っている様子がよくわかる。根拠のない「なんとなかるさ」「私は大丈夫さ」などという言葉が各人の口から呟かれますが、歴史というローラーは個人を圧殺するほどの巨大なパワーを秘めているのでした。
現状理解を拒絶しているのは政権中枢でも同様で、兵站の手当てもできないくせに空手形を出し、再編成する予備もないのに次々と師団を編成する。
一方、辛うじて地図上に残る戦線では、ドイツのためにその本分を全うしようとする職業軍人たちが、絶望的な末期戦で日々いたずらに損耗しているのです。
 
  • 第二部 将軍
本書の主人公的立場となるゴッドハルト・ハインリーチ(ハインリキ、ハインリツィ等、書物によって表記に揺れがある。ヴァイクセル・ヴィッスラなども同様)が、グデーリアン(本書ではグーデリアン。今まで読んだ本から察するに30〜40年前までは「グーデリアン」が標準の表記のようである)の指示により、ヒムラーの後任としてヴァイクセル軍集団の司令官に任命される様子や、引き続き政権中枢の混乱振り、情報が錯綜する様子などが描かれる。もっとも、ベルリン市は通常どおり機能しております。水道や下水はきちんと制御され、郵便は配達され、銀行は営業している。その事がかえって市民から「危機感」を奪っているとも言えるのですが。
本章で筆者が説明に項を割いているのが「日食作戦」についてである。連合国によるドイツ・ベルリン分割案のことであり、その決定経緯は後述されるのだが、本章では、ドイツ側は早々に情報を入手していたにも関わらず、これに基づいた対抗プランや戦略をなんら練ることがなかったことが示される。周知されるべき情報が周知されず、極秘にされるべき情報が極秘にされないなど、ドイツ軍・政権の末期症状がよく分かる(なお当時、国防軍参謀本部は戦略立案権をナチ党から剥奪されていたはずであるので、無能だったのはヒトラーおよびその周辺の人物たちということだと個人的には思う)。戦争当初は神がかっていたヒトラーの判断力も、この頃には見る影もありません。
 
  • 第三部 目的
後日「日食作戦」と呼ばれるドイツ分割に至る経緯が、主に米国視点から語られます。D-DAYのための(さほど深い考慮もなく決定された)事前駐屯地の位置が、実はゆくゆくはドイツ進駐の英米戦闘序列に繋がっていたなどの驚くべき、だが説得力のある記載があります。もし、ノルマンディー上陸作戦発動前にルーズベルトが想定していたドイツ進駐プランを官僚たちが棚上げせずに実行していたのだとしたら、その後の作戦はもとより、進撃進度、戦闘結果が大幅に史実と違っていたかもしれず、これは非常に興味深い事実であります。歴史に「たられば」は無意味であり、すべては結果論なのですが、かなり妄想が膨らむ設定。ドイツ分割とその後の冷戦の行く末も今と全く違っていたことすらありえたわけです。連合軍内の軍・政、様々な思惑や競争、いや、狂騒の結果、ほとんど偶然によって今の世界や社会が構成されているのだとも言え、そら恐ろしい気分を味わえます。うーん、どこまでが事実で、どこからが作者の推量なのだろうか。コーネリアス・ライアンは米軍の将帥や為政者達にも取材しておりますので、確度は高いとは思うのですが・・・。これが事実だとすると、ベルリン市民の戦中戦後の生き様は、まさに「運命のいたずら」に翻弄されたのだと言えます。
しかし私が何より驚愕したのは、英米軍がエルベ川を越えようとするその時に至っても、明確な占領プランは無かったという事なのでした。連合軍のエリート参謀・政治家がこぞって遂行する大戦争なのですが、彼らが確実に見通せるのは、せいぜいが数週間というところだったのでした。誰も「戦後」なんてものは薄らボンヤリとしか考慮していなかったのです。ただソビエト赤軍だけは、それを正確に理解していました。
  • 第四部 決定
米軍の「現場」は政治的配慮は考慮だにせず、ひたすらベルリンを目指します。一日50kmを超える進撃。ベルリンまであと数日の距離に迫ったとき、第三部の英米の動きを受けて、ソビエト赤軍は動きます。米軍がドイツ側の「噂」アルプス要塞に疑心暗鬼となり、矛先をベルリンからアルプスへと向ける気配を見せたとき、スターリンはいわゆる「ベルリンへの競争」をスタートさせます。
ドイツ軍はというと、事ここに至るもなおベルリンは丸裸で、なんの手当てもなされていない状態です。当然ですね。「現場」から乖離した「中枢」は現状認識ができず、机上の数字だけで戦争をしているのですから。定数の全く足らない師団、人数だけでまともに装備も訓練も施されぬ国民突撃隊、規格の統一されていない武装、戦闘経験の無い警察官による部隊、空軍野戦師団や海軍の水兵師団。それら師団は練度が高いはずであり、すでに編成を済ませ配置に就いているはずであり、工場は計画通りに砲を生産し続けているはずであり、ソビエト赤軍は帝都に至る前に叩き潰されるはずなのです。そう、彼らの脳内ではね。
 
  • 第五部 戦闘
戦争を「叙事詩」として書きたいという作者の希望があるのだろうか、本書では詳細な戦闘序列や戦線の状況説明、兵卒たちの奮戦(あるいは逃亡)にはほとんど項が割かれていない。
したがって第一部からたびたび顔を出すハインリーチにしても、最前線での督戦と、総司令部への苦情申し入れるくらいの描写しか無い。実際、彼が出来た事はもはやその程度のことだったのかもしれないのだが。末期戦オタにとっては、読んでいて歯がゆい印象を覚える。戦場の重圧ならば「SS戦車隊」の方が現実味があり真に迫っていて優れていると思うので、そちらをお勧めする。4月下旬〜5月初旬での東部戦線における苦闘ぶりは、「ヒトラー最後の戦闘」よりもよほど伝わってくる。そういう意味では本書は「作戦級」「戦略級」の書物であって、「戦術級」のそれではない。
そのせいかどうも個人にまるわるエピソードには違和感を覚える。例えば、ハインリーチ解任のエピソードは物語的に強調され過ぎている印象も持つ。そんな風にドキュメンタリーとしての正確性に不信感は抱いていながら、彼は司令部に抗命していながらハルダーのように収容所に収監されてはいない事実があるから、本当にあった話なのかもしれないとも思ってしまう。そう、こうした虚実ないまぜな描写(いや、実際にあったことなのだろうけど)が、「事実かもしれないが誇張されているのではなかろうか」という私の不安感を揺さぶり、なかなか没入させてくれない。贅沢な不満だけれどw
なお、末期戦本ではお約束の、と言うと嫌な表現だが、女性に対する凄惨な暴力は本章で言及されている。実際、被害者たちから(そして加害者たちからも)エピソードを聞き取っているせいか真実味があり、本土決戦の悲惨さに読んでいて気が重くなってしまう。特に東部戦線ではどうしてもつきまとう話なので、避けては通れないのです。
ところで、末期戦オタにおなじみのシュタイナ作戦集団(=Armeegruppe Stiner←支隊とか戦闘団とか・・・。界隈もそろそろ表現を統一できないもんですかね)については、少しだけ触れられている。史料が少ないせいか、他の本でも詳細な記述はあまり見かけないのだが、本書では彼にちゃんとセリフが与えられていて、少し嬉しくなってしまった。朝日新聞社版には数ページのグラビア写真が掲載されていて、その中に1枚、戦後のシュタイナの写真が収められている。スーツ姿なので、軍装オタにはなんの参考にもならないだろうけど。wikipediaに載ってる写真とは全然違う印象です。
本書は第9軍が第12軍と邂逅することで、第二次世界大戦としての物語を終えている。が、その後ほんのわずかに、ベルリン市民、東部ドイツ人の逃避行が語られ、この瞬間から「戦後」が始まっていることを強く示唆している。そういう意味では、物語としての余韻が味わえたと思う。


結論。
物語風に「戦争の結末」を読むのならば、なかなか深い示唆に富んだ書物といえますので、ミリオタ・戦史オタの入門書としては最適だと思います。
でも、戦闘の流れを追うのが目的なら、そこらの安いムック本で十分かな。


【参考】「ヒトラー最後の戦闘」所蔵公立図書館(東京23区)
朝日新聞社版所蔵
  • 東京都立図書館
  • 中央区立図書館
  • 足立区立図書館
早川書房版所蔵
  • 目黒区立図書館
  • 文京区立図書館
  • 杉並区立図書館
  • 板橋区立図書館
  • 足立区立図書館
なんで足立区は朝日版と早川版の両方を所蔵してんだよwww グッジョブwww