P・D・ジェイムズと言えば「女には向かない職業」なのでありますが、というかそれしか読んだことないのですが、SFっぽい作品、いやズバリSFも書いていたという。1995年のある日突然、ヒトが赤ちゃんと産めなくなってしまってから数十年後の社会、という設定からして、面白くないわけがない。しかし残念ながら、先に映画の方を見ちゃったんだよね・・・。その「トゥモロー・ワールド」という映画は、ワンカット長回しで話題になっていたりしたほか、ミリタリアクションはなかなか良かったものの、「子供を産めなくなった人類社会」の描き方が食い足りなくて、私の目にはフツーのアクション映画にしか映らなかったという残念ムービー。今回、原作の小説を初めて読みまして「映画と全然ちゃうやん!!!」 ここまで改変されるといっそ清々しい気もします。
 その設定からして、「素晴らしい新世界」「1984」「トリフィド時代」と、イギリス的なそれっぽい終末観に連なる作品となります。個人的には、この中では「トリフィド時代」が一番好きですね。ディストピアというよりも、侵略SFという感じですが。

 主人公セオは老年に差し掛かったインテリ階級且つ、独裁者の幼馴染というスペシャルな設定です。が、歴史学者でもあるせいか、滅亡が確定している人類社会に徹底的に悲観して、反独裁運動家の勧誘に対しても諦念の態度で接します。で、その諦めっぷりの描写がいちいちツボに入りましてですね、文章が上手いこともあって割りと読ませます。彼の、人間と社会に対する一貫したニヒリズムな姿勢。これに共感してしまう自分が居る。なのに、半強制的な老人自殺イベントに義憤を覚えちゃったりしてね。矛盾を抱える人間なのです。
 で、そんな主人公は、ジュリアンという割りとどうしようもない女性に惹かれてしまうという。その過程が分かるような分からんような、なんだかモヤっとしてしまうのは、私の人生経験が足りないからなのでしょうか。

 なぜ人類は子供を産めなくなったのか、世界は滅亡するしかないのか、そういったSF的大前提はわりとあっさり無視され、というか作者の主眼はそこにはないのは明らかで、物語の目線は、そんな大状況下における「男」の逃避行の果てにたどりつく境地にあるのでしょうな。そうやなぁ、下品な言い方をすれば、フェミっぽい観点から見た男の苦悩、と乱暴にまとめられるか。
 ミステリ作家や純文学作家はわりとSFを書いているものなのですが、やっぱプロパー作家とは目線が違うなぁ、と思いました。
 私が読んだのは1992年の単行本版で、巻末解説は栗本薫でした。末期の「グインあとがき」みたいなしょーもない文章とは違うマジメな栗本薫なので、一読の価値あり。

人類の子供たち (Hayakawa Novels)
P.D. ジェイムズ
早川書房
1993-10