「西原・ハード・デイズ」ではなく「サイバラバード・デイズ」であり、イアン・フレミング(007)でもイアン・ランキン(リーバス警部シリーズ)でもイアン・ワトソン(スロー・バード)でもなく、イアン・マクドナルドである。ややこしい(ややこしくない)。

 イアン・マクドナルドを読むのは初めてで、この作品が彼の中でどういう位置付けなのか、どういう背景があるのか、そういうメタ情報無しで読み始めたところ、なかなか面白かったので記録しておく。
「舞台がインドの連作短編SF」というだけで手にとってみて、結論から言ってしまえば、やはりそれ、つまり「インド」に尽きるという。
 というのも、要は攻殻的電脳化だったり、ブラッド・ミュージック的解脱だったり、遠藤浩輝「EDEN」的エンディングを見させられたり、どこかで見たような話や手垢にまみれたシチュエーションなのだが、それらがインドの風俗や神話、社会やカースト、民族、結婚観で語られれと、その不思議な、理解しがたい世界観に幻惑され、しまいにはトリップしてしまうことになる。そういえば「EDEN」に出てくるAIの名は、インド風の「マーヤ」だった。
 2047年のインド社会というのが、令和の日本に住む私には全く想像できない世界だ。これはおそらく、欧米人から見た21世紀の日本と同じ視点、感覚なのに違いない。欧米人から見たチバシティやネオトーキョーはきっとこんな感じでワクワクしたのだ。そのワクワクが、私から見たインドになる。テクノロジーで武装したニンジャにアメリカ人が興奮する感覚は、こんな感じなのだ、きっと。

 どんなにネットやサイバネティックスが進化しても、ヒンドゥーの神に祈り、輪廻転生を信じ、結婚は家格が重要で、絶望的なまでに貧富の格差がある。男女産み分けが普通になされた結果、男女比4:1という圧倒的男余りの社会。水を巡る内戦の結果、独立した地域政府がAI外交官を駆使する世界でも、多様性のあまりまとまりが無いままののインドは、きっと今と地続きのインドだ。だが、テクノロジーで変容したインドだ。そのギャップが面白い。
 リモート操作のロボット兵はゲーム感覚で運用され、バイオAIを脳に刻み込まれた少女は前向きに人生を捉え始める。AIと結婚するダンサーもいれば、哲学的に第三の性を享受する宦官もいる。男どもは出会いを求めて巨大ビジネスと化した結婚ビジネスに大金をつぎ込む。浮世を達観したデザインチャイルドなのに、別次元への転生は躊躇してしまう。どの短編もバラエティに富んでいますが、直接には繋がってはおらず、単に世界観を共有しているだけ。でもやはりキーワードは「インド」なのでありました。

 インド経済の大発展が言われ続けてそろそろ20年経つ。その急激な変貌ぶりは映画「スラムドッグミリオネア」でも垣間見ることができたが、現実感覚としてはさっぱりその気配がない。それはおそらく、予想外に徹底されている民主主義と、インド人の血肉になってしまったヒンドゥー文化がそれを阻害しているのだと個人的には思う。民主主義はコストがかかる割りに効率が悪く、タブーの多い宗教観は経済活動の阻害要因になるからだ。

 ヘッドホンでゴア・テクノを大ボリュームで聞きながら本書を読んでいたのだが、ほぼ全てが一人称視点で語られる文体のおかげもあり、たいへん素晴らしい没入感を得られました。うーん、グッド・トリップ。きっとサウナのあとの冷水浴もこんな感じの気分になるのだろうな。