外出自粛なところにテレビモニタが壊れたので、ネットで情報漁ったあとは読書してネット将棋するくらいしか、やることが無い。しかし暇かといえば、やたら眠くてガッツリ8時間は睡眠時間を確保できたりしていて、わりと忙しい日々を送っております。
で、テレビモニタが壊れる数日前、見たのがブラタモリの天草特集。私が興味を覚えたのは番組が紹介する地誌的側面より、隠れキリシタンという歴史ワードでありまして、そりゃ、wikipedia見りゃあらかたの情報を習得することはできるものの、なんとなく実感として響いてこない。ということで手に取ったのが本書。小説の感想は、きっとありきたりな物になると思うので割愛します(割愛するのかよw)。
遠藤周作というと、かつての豚児が放送局の社長になったことくらいしか今は話題になっていないのですが(?)、私が子供のころは、雑誌や書店でよく見かけるお名前でした。でも、ブンガク最後の残党、というよりは、中学生でも笑って読めるエッセイを量産していたハゲに悩んでいたオジさん、というイメージがあります。佐藤愛子とか阿川弘之とか北杜夫なんかとの珍道中とかね、「明るい文壇」。そういうイメージがあったのですが、「はなきんデータランド」の文芸書のランキングでは、日本的宗教観に満ちた小説が常時ランキングしていたという、硬軟両面併せ持った不思議な小説家だったイメージが残ります。
親の本棚にはそんな狐狸庵先生のエッセイ本がたくさんあったので、遠藤周作の日なた部分は経験済みなのですが、実は文学者としての闇の遠藤周作については、現代文の模擬テストに出てきたのを目にした程度、ちゃんと読んだのはもしかすると初めてかもしれない。
とまぁ、ちょっと構えて読み始めたのですが、これが実に読みやすい。まるでシバリョーの通俗小説のような読みやすさ。歴史を題材に、かなりの取材を経て書かれた本作は、異国人の目で見た特異な日本社会を浮き彫りにしていて、しかもその「日本的沼」は今も、コロナ禍で打ちのめされている我々にずっと繋がっていると思うと、ゾッとするものがあります。そしてこの小説が50年も前に書かれていたという事実。ある種の予言書のように捉えることもでき、驚きます。
もっとブンガク臭のする難解な小説を予想していたのですが、本当に読みやすい。歴史小説でもあり、社会批評でもありますし、「いびき」のシーンなどは恐怖すら覚えます。なるほど、上手く翻訳されれば外国人にも受けそうな小説で、スコセッシが映像化したがったのもよく分かりますね。まだ見てないけどw
とまぁ、テレビが無いと読書がはかどる昨今なのでした。
とまぁ、テレビが無いと読書がはかどる昨今なのでした。