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「楚囚之詩・第十四」⑥ 誠の愛の友

「楚囚之詩・第十四」のつづき、きょうから最後の4行です。

自由、高尚、美妙なる彼れの精霊(たま)が
この美くしき鳥に化せるはことわりなり、
斯くして、再び余が憂鬱を訪ひ来(きた)る――
誠(まこと)の愛の友! 余の眼に涙は充(み)ちてけり。

愛

透谷の「夢中の詩人」に「第一、優美を愛する心、第二、理想を好みまふ事、第三、消極的を以て社会に尽さんと思ひ玉ふ事、右は、他の俗論者に反して、独り君に、見出したる、尊敬すべき性質なりかし」とあります。

妻(花嫁)「の精霊」は「自由、高尚、美妙」なものであり、また、それらは「余」の理想的女性像でもあるのでしょう。また「第四」では、「花の美くしさは美くしけれど、/吾が花嫁の美は、其(その)蕊(しべ)にあり、」としています。

このような女性であればこそ、「この美くしき鳥」鶯に同化できる道理がある、ということになります。

「第九」の末尾にあった「噫(ああ)偽りの夢! 皆な往(ゆ)けり!/往けり、我愛も!/また同盟の真友も!」と叫びたくなるような、気持ちがふさいで下界の刺激に鈍感な状態にあった「余」のもとに、忘れず再び訪(とぶら)ひ(たずねて)来てくれた者への感謝の思いが表現されています。

「誠の愛の友! 余の眼に涙は充ちてけり」にあるのは、愛する人への思いであり、もはや神の愛への感謝の気持ちはうかがえません。神の恵みへの自覚というのは身体的なものではなく、知的な理解に留まっていたというこおでしょうか。補注には次のように記されています。

〈「我牢獄」に「春や来しと覚ゆるなるに、我牢獄を距ること数歩の地に、黄鳥の来鳴くことありて、我耳を奪ひ、我魂を奪ひ、我をしてしばらく故郷に帰り、恋人の家に到る思ひあらしむ、その声を我恋人の声と思ふて聴く時に、恋人の姿は我前にあり」とある。「我牢獄」では「神」が完全に欠落しているが、第十四後半に組み入れようとした信仰体験も観念的なものでしかなく、「大赦の大慈を感謝」するという結果は、恵みの自覚の不徹底さからも生まれたのである。〉

「楚囚之詩・第十四」⑤ 霊の化身

 「楚囚之詩・第十四」のつづき、きょうから最後の8行目です。

思ひ出す……我妻は此世に存(あ)るや否?
彼れ若(も)し逝(ゆ)きたらんには其化身なり、
我(わが)愛はなほ同じく獄裡に呻吟(さまよ)ふや?
若し然らば此鳥こそが彼れの霊(たま)の化身なり。

ウグイス

「花嫁」とは、「第九」で、獄中の「余」は「晩く」目ざめると「花嫁の方に先づ眼を送れば、/こは如何に! 影もなき吾が花嫁!/思ふに彼は他の獄舎に送られけん、/余が睡眠の中に移されたりけん」と別れたままです。

その後、獄舎に訪れた「蝙蝠」に花嫁の化身を見て、ここで、「余」の讃美と感謝のうちに鳴き続ける鶯の声が、再び妻への思いを引き出し、死んだと決まったわけではないと安否を気遣うようになります。「否」は「否や」の意味です。

「我妻」の行方について、まず考えられるのは、死。とすれば、この「鶯」は「其化身なり」。

次に、いまもどこかで獄中生活を送っている可能性です。だとすれば、この鳥こそが「彼れの霊の化身」だと「余」は感じています。

しかし、妻がすでに出獄して自由の身になっている可能性については「余」の眼中にないようです。そんな楽観は許されない状況に置かれているあらわれなのでしょう。

万葉集(199)に「春鳥のさまよひぬれば嘆きもいまだ過ぎぬに」とあります。「呻吟ふ」は、嘆きうめくこと。「余」は、鶯に嘆きうめく妻の魂をも見ています。

「楚囚之詩・第十四」④ 神の恵み

 「楚囚之詩・第十四」のつづき、きょうは24行目からです。

卿(おんみ)の美くしき衣は神の恵みなる、
卿の美くしき調子も神の恵みなる、
卿がこの獄舎(ひとや)に足を留(と)めるのも
また神の……是(こ)は余に与ふる恵(めぐみ)なる、
 然り! 神は鶯を送りて、
余が不幸を慰むる厚き心なる!
 嗚呼夢に似てなほ夢ならぬ、
余が身にも……神の心は及ぶなる。

招く

「此鳥こそは/真に、愛する妻の化身ならん」とした「鶯」への賛美は、ここで「卿の美くしき衣」も「卿の美くしき調子」についても「神」への賛美・感謝へと転じます。

「然り! 神は鶯を送りて、/余が不幸を慰むる厚き心なる!/嗚呼夢に似てなほ夢ならぬ、/余が身にも……神の心は及ぶなる」。鶯を送ったのは神であり、神の「厚き心」すなわち愛は、世のすべてのものから見放された「余が身」にも及ぶのであるか、という夢のような喜びと、それが確かな事実であるという確信がうかがえます。

神の恵みは、招いた春が来たときではなく、妻の化身かと思う鶯の「飛び去らんとはなさずして/再び歌ひ出でたる声」をつくづくと聞き、それを眺めたときにはじめて自覚しています。自然神ではなく、人格神が念頭に置かれているようです。

『日本近代文学大系』の「補注」には、つぎのように記されています。

〈透谷は早くから「世運遂ニ傾頽シ」、「なお時来ねばせん方なく」(「富士山遊びの記憶」)のように人力以上のある力を認めていたが、それが「夢中の詩人」では「今君を得たるは、天の余を恵みたるにはあらずや」と「天」となり、ミナとの恋愛を通過して「神」となる。ミナあて書簡(明21.1.21)に見えるような神の愛と恋人の愛とを共に感じ得たこの時の記憶が、この節および次節の前半に息づいている。〉

「楚囚之詩・第十四」③ 幽霊を振り向き

 「楚囚之詩・第十四」のつづき、きょうは9行目からです。

遂に余は春の来るを告(つげ)られたり、
鶯(うぐいす)に! 鉄窓の外に鳴く鶯に!
知らず、そこに如何なる樹があるや?
梅か? 梅ならば、香(かおり)の風に送らる可(べ)きに。
 美くしい声! やよ鶯よ!
余は飛び起きて、
 僅に鉄窓に攀(よ)ぢ上るに――
鶯は此響(ひびき)には驚ろかで、
 獄舎の軒にとまれり、いと静に!
余は再び疑ひそめたり……此鳥こそは
 真(まこと)に、愛する妻の化身ならんに。
鶯は余が幽霊の姿を振り向きて
 飛び去らんとはなさずして
再び歌ひ出でたる声のすゞしさ!
 余が幾年月の鬱(うさ)を払ひて。

幽霊

きのうの最後に「獄舎の中より春を招きたり」とありましたが、すぐさま時間の経過を示す「遂に」とやや不自然な感はありますが、「鉄窓の外に鳴く鶯」から春の到来を告げられた、といいます。

透谷の『星夜』に「これより君の家に永久の春は宿らむ、うぐひすの鳴音を家内にて聞くは楽しからずや」とあります。

「鳴く鶯」とすれば、梅の木でもあるのかな、とは問うては見ても「梅ならば、香の風に送らる可きに」と流し、古めかしい思いにも至りません。

驚いて飛び去るのがふつうなのに、逃げないのは自分を愛するものの化身であるゆえかと思う。

以前、「余」は蝙蝠に花嫁の化身を見ましたが、ここでは鶯に「愛する妻の化身」を見ることになります。「再び」「真に」にそれがうかがえます。

「春の来るを告られたり、/鶯に!」「獄舎の軒にとまれり、いと静に」など倒置法をしばしば用いて、妻の化身たる鶯の登場の場面を盛り上げようとしているようです。

「第二」の冒頭に「余が髪は何時の間にか伸びていと長し、/前額を盖ひ眼を遮りていと重し、/肉は落ち骨出で胸は常に枯れ、/沈み、萎れ、縮み、あゝ物憂し、」とありましたが、「余が幽霊の姿」とはこんな感じだったのでしょう。

「鬱(うさ)」というのは、気持ちが晴れないこと、思うに任せない、つらい気持ちを言うわけでしょうが、紆余曲折があった心の変遷を「幾年月の鬱」とひとまとめにして鶯「歌ひ出でたる声のすゞしさ」を払う、というのは少し単純に過ぎてしっくりしない感じがします。

「楚囚之詩・第十四」② 春を招く

 「楚囚之詩・第十四」のつづき、冒頭から詳しく見ていきます。

冬は厳しく余を悩殺す、
壁を穿(うが)つ日光も暖を送らず、
日は短し! して夜はいと長し!
寒さ瞼(まぶた)を凍らせて眠りも成らず。
然れども、いつかは春の帰り来らんに、
好し、顧みる物はなしとも、破運の余に、
たゞ何心なく春は待ちわぶる思ひする、
余は獄舎(ひとや)の中より春を招きたり、高き天(そら)に。

春

「悩殺」というと、いまでは特に女性がその美しさや性的魅力で男性の心をかき乱し、夢中にさせることをいいます。が、ここではそれとは正反対の「冬の厳しさ」が「余」を激しく悩ますといいます。

「第三」では、「余が迷入れる獄舎は、/二重の壁にて世界と隔たれり」、でありながらも「其壁の隙(すき)又た穴をもぐりて/逃場を失ひ、馳込む日光もあり」とされていました。ここでは、そうした「壁を穿つ日光も暖を送らず」と述べます。

ここで「眠りも成ら」ぬのは、「瞼を凍らせて」いる寒さのせいで、もはや精神的な虚脱感によるものではなくなっています。

これまでの春に対する体験をもとに、「然れども、いつかは春の帰り来らんに」と期待を抱き、春の到来を信じで冬の厳しさに耐えようという意思がうかがえます。

「なしとも」は「なくとも」のことでしょう。もはや運命が破壊され、雲から見放された「余」には、心にかかるものは無い。とはいえども、春を待ちわぶる積極的な「思ひ」を持ちうるようになったのです。

透谷は「招く手は細くたゆめど空遠くなびかぬ月のうらめしきかな」と歌っています。単に春の到来を信じるだけでなく、「招く手は細くたゆめど」かもしれませんが、「獄舎の中より春を招きたり」と到来を早めるための行動をさえ取ろうとしています。

「楚囚之詩・第十四」① 鶯

 きょうから「楚囚之詩・第十四」に入ります。39行。「第十一」と「弟十二」には、蝙蝠(こうもり)がやって来ましたが、ここでは春を招く鶯(うぐいす)が登場します。

  第十四

冬は厳(きび)しく余を悩殺す、
壁を穿(うが)つ日光も暖を送らず、
日は短し! して夜はいと長し!
寒さ瞼(まぶた)を凍らせて眠りも成らず。
然れども、いつかは春の帰り来らんに、
好し、顧みる物はなしとも、破運の余に、
たゞ何心なく春は待ちわぶる思ひする、
余は獄舎(ひとや)の中より春を招きたり、高き天(そら)に。
遂に余は春の来るを告(つげ)られたり、
鶯(うぐいす)に! 鉄窓の外に鳴く鶯に!
知らず、そこに如何なる樹があるや?
梅か? 梅ならば、香(かおり)の風に送らる可(べ)きに。
 美くしい声! やよ鶯よ!
余は飛び起きて、
 僅に鉄窓に攀(よ)ぢ上るに――
鶯は此響(ひびき)には驚ろかで、
 獄舎の軒にとまれり、いと静に!
余は再び疑ひそめたり……此鳥こそは
 真(まこと)に、愛する妻の化身ならんに。
鶯は余が幽霊の姿を振り向きて
 飛び去らんとはなさずして
再び歌ひ出でたる声のすゞしさ!
 余が幾年月の鬱(うさ)を払ひて。
卿(おんみ)の美くしき衣は神の恵みなる、
卿の美くしき調子も神の恵みなる、
卿がこの獄舎(ひとや)に足を留(と)めるのも
また神の……是(こ)は余に与ふる恵(めぐみ)なる、
 然り! 神は鶯を送りて、
余が不幸を慰むる厚き心なる!
 嗚呼夢に似てなほ夢ならぬ、
余が身にも……神の心は及ぶなる。
思ひ出す……我妻は此世に存(あ)るや否?
彼れ若(も)し逝(ゆ)きたらんには其化身なり、
我(わが)愛はなほ同じく獄裡に呻吟(さまよ)ふや?
若し然らば此鳥こそが彼れの霊(たま)の化身なり。
自由、高尚、美妙なる彼れの精霊(たま)が
この美くしき鳥に化せるはことわりなり、
斯くして、再び余が憂鬱を訪ひ来(きた)る――
誠(まこと)の愛の友! 余の眼に涙は充(み)ちてけり。

ウグイス

「第十四」と次の「第十五」は、「鶯」がやって来て逃げてゆくまでに「余」に与えた神の恵みに対する幻想、さらには幻想から覚めて感じる死への予感を述べていきます。

「鶯」は、秋から春にかけては平地や低い山で過ごし、チャッチャッという声(笹鳴き)を出しながらやぶを伝っていき、ウメの花が咲くころ人里近くでホーホケキョ(法、法華経)と鳴き始めるため、ハルツゲドリ(春告鳥)とも呼ばれます。また、夏に山の中でさえずっているとき何かに驚き、ケッキョー、ケッキョーと鳴きたてるのを「鶯の谷渡り」といいます。

雌雄同色で上面はオリーブ褐色(鶯色)、下面は汚白色。雄が一回り大きく、全長約16センチ、雌は約13センチ。繁殖期のウグイスは、山地の大きな樹木の生えていない明るいササやぶを中心に生活し、巣はササの枝、または低木の地上1メートルぐらいのところにつくります。巣の外形は、ササの葉を絡ませた球形で、横に丸い入口があいています。

卵の数は4~6個で、光沢のある赤褐色。営巣場所の決定、巣づくり、抱卵、育雛はすべて雌だけが行い、雄はもっぱら縄張りの防衛にあたります。

食物は昆虫類、クモ類が主で、低木やササを飛び移りながら、体の上にある枝や葉の裏側を見上げて獲物を探し、伸び上がるか飛び上がるかして捕まえます。冬には熟したカキなど、植物質のものもとります。

「梅に鶯」の組合せがみられるのは、漢詩集『懐風藻』(751年)以降のことで、それまでは「竹に鶯」が普通でした。江戸時代から鳴き声を楽しむために飼われ、夜間も照明を与えることにより、さえずりの始まる時期を早めて正月に鳴かせる「夜飼い」などの技術も発達させてきました。

「楚囚之詩・第十三」④ 渓

 「楚囚之詩・第十三」のつづき。きょうは、最後の8行です。

曽(か)つて我が愛と共に逍遥せし、
楽しき野山の影は如何にせし?
摘みし野花? 聴きし渓(たに)の楽器?
あゝ是等は余の最も親愛せる友なりし!
  有る――無し――の答は無用なり、
  常に余が想像には現然たり、
   羽あらば帰りたし、も一度
   貧しく平和なる昔のいほり。

渓谷

「我が愛と共に逍遥せし」と、故郷の自然が、愛する人との行動と結び付くことによって、さらに親近感と愛おしさが増します。谷川のせせらぎ、鳥の声、木々を吹き抜ける風、確かに「渓」は「楽器」です。

「有る――無し――の答は無用なり、/常に余が想像には現然たり、」からは、事実がどうあれ、信じることによって自分自身を支えようとする姿勢が見られます。疑問形が続いていても、現実の故郷を問うているわけではなかったようです。

獄の中で虚脱状態にあった「余」からすると、「常に余が想像には現然たり」の「常に」という言葉には矛盾、ハッタリのようなものを感じます。故郷を再び自分の支柱とすることができた今の状態を、強調しているのでしょうか。

空虚を満たす支柱ができたものの「羽あらば帰りたし、も一度/貧しく平和なる昔のいほり。」と、現在の苦痛とは対照的な過去へと回帰することへの願望が頭をもたげて来ます。若い「余」の心は、揺れやすく移ろいがちなのでしょう。

「貧しく平和なる」について、頭注では「クリスチャン・ホーム的イメージがあり、家庭生活の平和を失ったと感じる作者の弱々しいうめきが感じられる」とされています。

透谷の「三日幻境」(1892年)に「醜悪なる社界を罵蹴して一蹶(いつけつ)青山に入り、怪しげなる草廬(さうろ)を結びて、空しく俗骨をして畸人の名に敬して心には遠ざけしめたるなり」とあります。「草廬」というのは、草ぶきの粗末な家。作者は、大矢正夫ら自由民権運動の仲間たちとの生活を思い浮かべながら「いほり」と言ったのでしょう。

「楚囚之詩・第十三」③ 蒼天深淵

 「楚囚之詩・第十三」のつづき。きょうは7行目からです。

 ――我身独りの行末が……如何に
   浮世と共に変り果てんとも!
嗚呼蒼天(そうてん)! なほ其処に鷲は舞ふや?
嗚呼深淵! なほ其処に魚は躍るや?
  春? 秋? 花? 月?
是等の物がまだ存(あ)るや?

陶淵明

「我身独りの行末が……如何に/浮世と共に変り果てんとも!」。社会は変わりゆき、無力なひとの存在もそれに翻弄されて、ともに転変していきます。しかし故郷は社会とは異なる自然そのもの。常に不変で、絶対者のように個人の憧憬の的となり精神の支柱となることを自覚していきます。

頭注には〈「我身独り」には自己への愛着と共に、「故郷」から離れた心細さが感じられるが、「――」と「……」とには、心細さへの下降と、そこから立ち直って絶対者としての故郷にすがりつこうとする心の屈折とが感じられる〉とあります。

「嗚呼蒼天! なほ其処に鷲は舞ふや?/嗚呼深淵! なほ其処に魚は躍るや?」。鷲は高い空を飛び、魚は「淵」に集まる。詩としては平凡な連想ではありますが、「蒼天」と「深淵」の対比が、無限の空間における上昇と下降を思わせ、故郷をその現実から引き離して絶対的な存在と考える「余」らしいイメージになっています。

『文選』にある陶淵明=写真、wiki=の詩「始作鎮軍参軍経曲阿作」の中にも「望雲慚高鳥,臨水愧遊魚。」〈雲を望みては高鳥に慚(は)ぢ、水に臨みては遊魚に愧(は)づ。〉という句があります。

ざっくり言えば、空を流れる雲を眺めては高く自由に飛ぶ鳥の様子に、本心と異なる行いをしている自分を見苦しく思い、水辺に立てば自由に泳ぎまわる魚にはずかしく思う、といった意味でしょうか。

「蒼天」「深淵」の後には「春? 秋? 花? 月?/是等の物がまだ存るや?」。春の桜、秋の月という身近ではありますが、やや陳腐な自然の表現が並んでいます。

「楚囚之詩・第十三」② 三多摩

 「楚囚之詩・第十三」のつづき。いつものように、冒頭から具体的に眺めていきましょう。

恨むらくは昔の記憶の消えざるを、
 若き昔時(むかし)……其の楽しき故郷(ふるさと)!
暗らき中にも、回想の眼はいと明るく、
 画と見えて画にはあらぬ我が故郷!
雪を戴(いただ)きし冬の山、霞をこめし渓(たに)の水、
 よも変らじ其美くしさは、昨日(きのう)と今日(きよう)、

多摩

「若き昔時……其の楽しき故郷」からは、「昔時(むかし)」と「若」さと「故郷」が切り離せないものとして「余」のなかにあることがうかがえます。

「いと明るく」ということは、「昔時」が鮮明に見えていることになります。そうした「回想の眼」に浮かぶイメージが、「余」をしだいに力づけていったようです。

さらに、故郷については、「画と見えて画にはあらぬ」と、描かれた絵という見え方では掌握できない強い現実感があることを述べています。

「第八」の冒頭に、「想ひは奔る、往きし昔は日々に新なり/彼(かの)山、彼水、彼庭、彼花に余が心は残れり、/彼の花! 余と余が母と余が花嫁と/もろともに植ゑにし花にも別れてけり、」とありました。

ここでは同じような光景を「雪を戴きし冬の山、霞をこめし渓の水、/よも変らじ其美くしさは、昨日と今日」と、少し具体的なイメージを加えて述べています。

『日本近代文学大系』の頭注には、「平凡な形容だが、作者の眼には富士や墨田川ではなく、三多摩の山川が浮かんでいたと思われる」とされています。

三多摩は、東京都西部の西多摩、旧北多摩、旧南多摩3郡の総称。1871(明治4)年の関東新県設置のときには、多摩地区の大半は透谷の生まれ故郷である神奈川県に編入されていました。1878年に3郡に分割されたため三多摩の名が生まれ、1893年に東京府へ移管されています。

地形的には西部の関東山地と東部の武蔵野台地、その南の多摩丘陵=写真、wiki=に分けられます。大正期までは、山麓部の谷口集落として発達した八王子、青梅、五日市と街道沿いの宿駅の小集落以外は、江戸時代に新しく開かれた畑作中心の農村地帯でした。

「楚囚之詩・第十三」① 故郷

 きょうから「楚囚之詩・第十三」に入ります。20行。「蝙蝠」との出あいを転機に「故郷」への思いがふくらみます。

恨むらくは昔の記憶の消えざるを、
 若き昔時(むかし)……其の楽しき故郷(ふるさと)!
暗らき中にも、回想の眼はいと明るく、
 画と見えて画にはあらぬ我が故郷!
雪を戴(いただ)きし冬の山、霞をこめし渓(たに)の水、
 よも変らじ其美くしさは、昨日(きのう)と今日(きよう)、
 ――我身独りの行末が……如何に
   浮世と共に変り果てんとも!
嗚呼蒼天(そうてん)! なほ其処に鷲は舞ふや?
嗚呼深淵! なほ其処に魚は躍るや?
  春? 秋? 花? 月?
是等の物がまだ存(あ)るや?
曽(か)つて我が愛と共に逍遥せし、
楽しき野山の影は如何にせし?
摘みし野花? 聴きし渓(たに)の楽器?
あゝ是等は余の最も親愛せる友なりし!
  有る――無し――の答は無用なり、
  常に余が想像には現然たり、
   羽あらば帰りたし、も一度
   貧しく平和なる昔のいほり。

透谷碑

「蝙蝠」の出現によって虚脱状態から立ち直った「余」は、この章で往時の故郷への回想に没入していきます。美、愛、平和などへの憧憬が歌われて行きます。

透谷は、明治元(1868)年、相模国足柄下郡小田原唐人町(現在の神奈川県小田原市)の没落士族の家、北村甲快蔵(26歳)とユキ(19歳)の間に生まれました。

本名は北村門太郎。弟に日本画家の丸山古香がいます。明治14年春、父母や弟とともに上京し、東京・数寄屋橋近くの泰明小学校に通いました。筆名の透谷は「すきや」をもじったものだといいます。

透谷の「三日幻境」(明治25年)には次のようにあります。

〈われは函嶺(かんれい)の東、山水の威霊少なからぬところに産(うま)れたれば、我が故郷はと問はゞそこと答ふるに躊躇(ためら)はねども、往時の産業は破れ、知己親縁の風流雲散せざるはなく、快く疇昔(そのかみ)を語るべき古老の存するなし。山水もはた昔時に異なりて、豪族の擅横(せんわう)をつらにくしとも思(おもは)ずうなじを垂るゝは、流石(さすが)に名山大川の威霊も半(なかば)死せしやと覚(おぼえ)て面白からず。「追懐(レコレクシヨン)」のみは其地を我故郷とうなづけど、「希望(ホープ)」は我に他の故郷を強ゆる如し。〉

小田原は、北条氏の城下町として発展し、箱根関をひかえた東海道有数の宿場町でもありましたが、透谷にとっては、〈「希望(ホープ)」は我に他の故郷を強ゆる如し〉というように、郷愁を感じるようなところでは無くなっていったようです。

箱根駅伝のコースとして知られる国道1号に面した小田原市浜町のマンションの一角に北村透谷生誕地の碑が建っています=写真、wiki。

「楚囚之詩・第十二」④ 放ちやる

 きょうは「第十二」の最後の9行を見ておきます。

左れど余は彼を逃げ去らしめず、
何ぜ……此生物は余が友となり得れば、
好し……暫時(しばし)獄中に留め置かんに、
左れど如何にせん? 彼を留め置くには?
吾に力なきか、此一獣を留置くにさへ?
傷(いた)ましや! なほ自由あり、此獣(けもの)には。
   余は彼を放ちやれり、
   自由の獣……彼は喜んで、
   疾(と)く獄窓を逃げ出たり。

コウモリ

「此生物は余が友となり得れば」ということは、「花嫁の化身」ではなく、ただのこうもりと悟り、「余が友」を獄中に留め置こうとします。

「左れど如何にせん?」。捕らえたのを放せば獄外に逃げるのは当たり前のことです。花嫁の化身などと思わず、ただ飛び回るのをながめていれば、そのまま友でありえたかもしれません。過大な要求をしたために、かえって小さな願いすら遂げられなくなって困惑しています。

「傷ましや! なほ自由あり、此獣には」。押さえられてもがくこうもりを見ているうちに、「自由」を持っている獣を捕えるのは痛ましいことに思い至ります。「放ちやれり」は、放してやったということ。力がないからだけでなく、現在のわが身のように自由を奪われたこうもりを憐れんで行なったことを示しています。

「自由の獣……彼は喜んで、/疾く獄窓を逃げ出たり」。最後に、喜んで逃げるこうもりを「余」は、共感とともに羨望のまなざしで見つめています。

「楚囚之詩・第十二」③ 卿の顔

「楚囚之詩・第十二」のつづき、きょうは7行目からです。

恐るゝな! 捕ふる人は自由を失ひたれ、
卿(おんみ)を捕ふるに……野心は絶えて無ければ。
嗚呼! 是(こ)は一の蝙蝠!
余が花嫁は斯(かか)る悪(に)くき顔にては!

コウモリ

「恐るゝな! 捕ふる人は自由を失ひたれ、/卿を捕ふるに……野心は絶えて無ければ」。こわがることはありはしない。自分は自由を失っているが、あなたの自由まで奪おうとは思っていないのだから。束縛を恐れる相手の気持ちを知り、なだめながら捕えようとする矛盾した心がうかがえます。

「第六」にあった「近かく、其頂上に相見たる美くしの月/美の女王! 曽つて又た隅田に舸を投げ、/花の懐にも汝とは契をこめたりき」のように、透谷は、月への呼びかけでは「汝」を使っていました。

ここでの「花嫁の化身」への呼びかけでは、「汝」ではなく「卿」を用いています。花嫁に対する「余」の心理の微妙なありようがうかがえます。

「おんみ」とは、あなたさま、と相手を敬っていう語ですが、「卿」は基本的に、君主が臣下を呼ぶときや同輩を呼ぶ際に用いられる呼び名で「貴兄」と同じ意味。イギリスの称号のLordやSirの訳語となっているそうです。

「顔にては!」には、蝙蝠の「斯る悪くき顔」を花嫁の化身とすることに耐えられない気持ちが表れています。『日本近代文学大系』の「頭注」では、「花嫁の醜悪な面と美妙な面を分け、後者を真相と思いたいという願望が強く働いたもの」としています。

「楚囚之詩・第十二」② 自由

 「楚囚之詩・第十二」のつづき、いつものように冒頭から少し詳しく見ていきましょう。

余には穢(きた)なき衣類のみなれば、
是を脱ぎ、蝙蝠に投げ与ふれば、
彼は喜びて衣類と共に床(ゆか)に落たり、
余ははひ寄りて是を抑(おさ)ゆれば、
蝙蝠は泣けり、サモ悲しき声にて、
何(な)ぜなれば、彼はなほ自由を持つ身なれば、

英和
*立教大学図書館

「余」は、獄中の「穢なき衣類」を脱いで、蝙蝠のほうに投げつけます。「投げ与ふれば」とここでは、捕らえるための行為を好意からのように表現しています。

愛における無意識のエゴイズムを言おうとした、という見方もできます。とすれば、自分のエゴイズムに気がつかない「余」にとって、「彼は喜びて」いるように思われているのでしょう。

「衣類と共に床に落た」コウモリに「余ははひ寄」って「抑」えます。すると「サモ悲しき声」で「泣けり」といいます。

コウモリは暗闇を飛行中、超音波を発して返ってきた音から、障害物やエサの在りか、自分の位置などを把握しています。

超音波ですからコウモリの鳴き声は、ふつう私たちの耳には聞こえません。しかし、危険を察知したときなどに「キィキィ」といった声を出すこともあるそうです。

もちろん、ここで「泣けり」というのは、生物としてのコウモリではなく、「花嫁の化身」としての「蝙蝠」なのでしょう。

「サモ悲しき声にて」と、カタカナをはさむことで、蝙蝠の泣く声が「余」の心を強く動かしたことが伝わって来ます。

もともと中国の「自由」には、思うままにふるまう専恣横暴の意味(『後漢書』五行志)と、他から制約・拘束をうけないという意義(『魏志』)との二通りの語義があり、日本では「自由狼藉(ろうぜき)」「自由濫吹(らんすい)」などと「我欲を逞しくし、慣例に背き、不法を行い、専恣横暴の振舞いがある」という前者的な用い方をされることが多かったようです。

近代を迎え、堀達之助の『英和対訳袖珍辞書』(1862年)=写真=で、「freedom」の訳として「自由」が用いられます。さらに、1866年(慶応2年)に初編3冊が刊行された福沢諭吉の『西洋事情』にも「自由」の訳字が使われたことなどによって西洋的な概念としての「自由」が広まっていったと考えられます。

「楚囚之詩・第十二」① 失策の画

 きょうから「楚囚之詩・第十二」に入ります。19行。「第十一」につづいて蝙蝠(こうもり)が登場します。

余には穢(きた)なき衣類のみなれば、
是を脱ぎ、蝙蝠に投げ与ふれば、
彼は喜びて衣類と共に床(ゆか)に落たり、
余ははひ寄りて是を抑(おさ)ゆれば、
蝙蝠は泣けり、サモ悲しき声にて、
何(な)ぜなれば、彼はなほ自由を持つ身なれば、
恐るゝな! 捕ふる人は自由を失ひたれ、
卿(おんみ)を捕ふるに……野心は絶えて無ければ。
嗚呼! 是(こ)は一の蝙蝠!
余が花嫁は斯(かか)る悪(に)くき顔にては!
左れど余は彼を逃げ去らしめず、
何ぜ……此生物は余が友となり得れば、
好し……暫時(しばし)獄中に留め置かんに、
左れど如何にせん? 彼を留め置くには?
吾に力なきか、此一獣を留置くにさへ?
傷(いた)ましや! なほ自由あり、此獣(けもの)には。
   余は彼を放ちやれり、
   自由の獣……彼は喜んで、
   疾(と)く獄窓を逃げ出たり。

獄舎

「第十二」の後には、上のような画が挿入され、その前に囲みで次のようなただし書きが付けられています。

〈次ぎの画は甚しき失策でありました、是れでも著名なる画家と熱心なる彫刻師との手に成りたる者です。野辺の夕景色としか見えませぬが、獄舎の中と見て下さらねば困ります。〉

「楚囚之詩・第十一」④ 化身

 「楚囚之詩・第十一」のつづき、きょうは最後の8行です。

彼は獄舎の中を狭しと思はず、
梁(はり)の上梁の下俯仰(ふぎよう)自由に羽(は)を伸ばす、
能(よ)き友なりや、こは太陽に嫌はれし蝙蝠(こうもり)、
我(わが)無聊(ぶりよう)を訪(たずね)来れり、獄舎の中を厭(いと)はず、
想ひ見る! 此は我花嫁の化身ならずや
嗚呼約せし事望みし事は遂に来らず、
忌(いま)はしき形を仮(か)りて、我を慕ひ来るとは!
ても可憐(あわれ)な! 余は蝙蝠を去らしめず。

コウモリ

「太陽に嫌はれし蝙蝠」を、獄で孤独な「幾年月」を送る「余」は「能き友なりや」と思います。

先日見たように、コウモリは夜行性で、日没ごろから活動をはじめ、ほとんど終夜採食します。昼間は、洞窟の壁や天井、岩の割れ目、人家の天井裏、屋根瓦の下などで静かに休息しています。当時は、透谷の住んでいた銀座でも、多くの群れが見られたそうです。

「我無聊を訪来れり」の「無聊」は、「無聊を慰める」「無聊な日々」などと、退屈なこと、心が楽しまない、気が晴れないことをいいます。「第十」にあった、極限状態に置かれた「寂寥」とはかなり異質です。

『日本近代文学大系』の頭注には、〈とても「幾年月」の生活を表現したものとは思えません。虚脱状態からの脱却を思い始めた精神の状態をいったとしても、やはり不自然。「無聊」の状態に陥ることの多い作者の不用意の語か〉とあります。

しばらくコウモリの飛び回る姿を眺め、厭うべき獄舎をなかなか出てゆかない様子から、「余」は、ひょっとしたら「此は我花嫁の化身ならずや」と思い及びます。

そして、なにを約束し、望んだかは定かではありませんが、「約せし事望みし事は遂に来らず」と、痛切な嘆きを言葉にします。誓い合い、期待したことが実現しなかった結婚生活への作者の失望感が背景にあるのでしょうか。
それはともかく「忌はしき形を仮りて、我を慕ひ来る」、つまり醜悪な姿ではあるが自分を慕って来るコウモリが、「余」にはいじらしくてならず「可憐な」と感じます。

頭注では、「愛における執着を醜いものとしつつも、その一途な情をあわれむ作者に、あるいは、そのように執着されたいとの願望が潜んでいるのかもしれない」としています。

「楚囚之詩・第十一」③ 世界の生物

 「楚囚之詩・第十一」のつづき、きょうは中盤の10行目からを読みます。

突如窓を叩(たた)いて余が霊を呼ぶ者あり
あやにくに余は過(すぎ)にし花嫁を思出(おもいいで)たり、
弱き腰を引立て、窓に飛上らんと企てしに、
こは如何に! 何者……余が顔を撃(うち)たり!
計らざりき、幾年月の久しきに、
始めてが見舞ひ来れり。

bat

「突如窓を叩いて余が霊を呼ぶ者あり」というのは、萌し始めた「余」の願いに呼応するごとく、外界からの呼び声(鉄窓を叩く音)が起こり、「余」の願いをさらに自覚的にします。

「あやにくに」すなわち「あやにく(生憎)なり」は、予想・期待に反して好ましくないことが起こったときに用います。「あいにく」のもとになった言葉で、ここでは、都合が悪い、おりが悪い、意地が悪いといった意味でしょう。

花嫁のことを思い出さなければよかったという後悔の気持ちが働いています。期待のゆえにかえって失望せねばならぬという認識が背後にあります。同時に、幾年も忘れ果てていながら、わずかのきっかけですぐに表面に浮かび出てくるほど、他の何よりも強く、意識下に付着していたといえよう。

「過にし花嫁」の「過ぐ」には、消え失せる、人が死ぬの意があります。死んでしまった花嫁ということか、それとも、すでに過去の人となって自分とのかかわりを持たなくなった花嫁ということでしょうか。

「弱き腰を引立て、窓に飛上らんと企てし」ということは、飛び上がることが不可能な高窓ですが、それを企てるに足るほど、期待が高まったのです。

そのとき「何者」かが「余が顔を撃」って、驚きます。一人だけの獄中生活を送って「幾年月」を経たこの時にあっても、「計らざ」らん、思いがけないことが起こったといいます。

それが「如何」なることなのかといえば、「世界の生物が見舞ひ来れり」ということ。すなわちこの章のテーマである「蝙蝠」の登場です。

「楚囚之詩・第十一」② 眠りの神

 「楚囚之詩・第十一」のつづき、きょうは最初の9行です。眠りの神について言及されます。

余には日と夜との区別なし、
左れど余の倦(うみ)たる耳にも聞きし、
暁(あけ)の鶏や、また塒(ねぐら)に急ぐ烏(からす)の声、
兎(と)は言へ其形……想像の外には曽(か)つて見ざりし。
ひと宵(よい)余は早くより木の枕を
窓下(そうか)に推(お)し当て、眠りの神を
祈れども、まだこの疲れたる脳は安(やすま)らず、
 半分(なかば)眠り――且つ死し、なほ半分は
生きてあり、――とは願はぬものを。

Hypnos
*ヒュプノスとタナトスが描かれた壺(wiki)

「第六」の冒頭に「世界の太陽と獄舎の太陽とは物異(かわ)れり/此中には日と夜との差別の薄かりき」とありましたが、ここでは一歩踏み込んで、しかも端的に「余には日と夜との区別なし」と言い切っています。ここは、精神的な虚脱感に拠っているようです。

そんな「余の倦たる耳」でも「暁の鶏」や「塒に急ぐ烏の声」が聞こえては来るものの、それらが何となく聞こえて来るだけで、明け方とか夕暮れとかの認識はさだかでなかったといっています。

「第六」に「ひと夜」、「第九」には「ひとあさ」とありましたが、これらに対応してここでは「ひと宵」、つまり夜のはじめの「ある宵」のことを指しています。

「眠りの神」といえば、ギリシア神話の神ヒュプノスを思い出します。夜の女神ニュクスと闇エレボスの子で、死神タナトスの双子の兄弟。翼の生えた若者の姿に表わされ、手に持った角から眠りをもよおさせる液を地上に注いで回るとされました。

1882(明治15)年に出た『新体詩抄』の「シェーキスピール氏へンリー四世中の一段」の中で、

あゝ羨し羨し 眠の神よ眠り神
天より我に賜はりて 伽するとこそ云ふべけれ
如何なる罪の祟にや 眠の神に見ハなされ
仮令へ暫時の間なり共 胸の苦しさ忘れたさ
瞼を閉ぢて眠らんと 如何にすれども眠られず
そも如何なれバ眠神 見る影もなきあばら家の
くすぽりかへる稿の床 むさ苦しきも厭ハずに
心地もよげに横たハり 枕のほとりぶん/\と
飛びくる虫の羽音さへ 眠りを誘ふ助にて

などと、すでに「眠りの神」が盛んにうたわれています。以前、昼眠るのが習慣になった話が出て来ましたが、昼でもよく眠れない状態に置かれるようになってきたようです。

「願はぬものを」と消極的ではありますが、「半分眠り――且つ死し、なほ半分は/生きてあ」る虚脱状態から抜け出そうとする意欲が「余」に芽生えて来ているようです。

「楚囚之詩・第十一」① 蝙蝠

 きょうから「楚囚之詩・第十一」に入ります。23行。蝙蝠(コウモリ)がやってきます。

余には日と夜との区別なし、
左れど余の倦(うみ)たる耳にも聞きし、
暁(あけ)の鶏や、また塒(ねぐら)に急ぐ烏(からす)の声、
兎(と)は言へ其形……想像の外には曽(か)つて見ざりし。
ひと宵(よい)余は早くより木の枕を
窓下(そうか)に推(お)し当て、眠りの神を
祈れども、まだこの疲れたる脳は安(やすま)らず、
 半分(なかば)眠り――且つ死し、なほ半分は
生きてあり、――とは願はぬものを。
突如窓を叩(たた)いて余が霊を呼ぶ者あり
あやにく余は過(すぎ)にし花嫁を思出(おもいいで)たり、
弱き腰を引立て、窓に飛上らんと企てしに、
こは如何に! 何者……余が顔を撃(うち)たり!
計らざりき、幾年月の久しきに、
始めて世界の生物が見舞ひ来れり。
彼は獄舎の中を狭しと思はず、
梁(はり)の上梁の下俯仰(ふぎよう)自由に羽(は)を伸ばす、
能(よ)き友なりや、こは太陽に嫌はれし蝙蝠(こうもり)、
我(わが)無聊(ぶりよう)を訪(たずね)来れり、獄舎の中を厭(いと)はず、
想ひ見る! 此は我花嫁の化身ならずや
嗚呼約せし事望みし事は遂に来らず、
忌(いま)はしき形を仮(か)りて、我を慕ひ来(く)るとは!
ても可憐(あわれ)な! 余は蝙蝠を去らしめず。

コウモリ

「十一」からは、こうもりが来訪し、捕獲・解放される様子を述べていきます。「余」にとって唯一の他者であるものに対して期待し求めていくことを、他者の現実を認識するとともに感じていきます。

「蝙蝠(コウモリ)」は、飛翔する唯一の哺乳類、翼手目に属する動物の総称です。哺乳類中では齧歯(げっし)目に次いで種数が多く、2亜目19科950種。うち日本産は2亜目5科38種で、陸生の哺乳類中で最多です。

コウモリ類は北極・南極を除く地球上のあらゆる地域に分布し、洞窟、廃坑、樹洞、森林、人家など、さまざまな環境に生息します。食物も、昆虫、脊椎動物、恒温動物の血液、果物および花粉などさまざま。

大きさは、翼開長1.7メートル、頭胴長40センチ、体重900グラムに達するジャワオオコウモリから、1974年にタイ南部で発見された翼開長16センチ、頭胴長3センチ、体重2グラム以下のブタバナコウモリまで。

前肢は体のわりに極端に大きく、第2~第5指の中手骨と指骨は特に長く、それらの間および第5指と後肢の間に皮膚が伸びてできた弾力性に富む薄い飛膜が発達して、翼を形成します。

前肢の第1指は短く、洞窟の壁面などをよじ登るときなどに使われる鋭い鉤(かぎ)づめをもっています。後ろ足は体のわりに小さく、5指と鋭い鉤づめがあって、外後方に180度回転できます。

夜行性で、日没ごろから活動を開始し、ほとんど終夜採食します。昼は洞窟の壁や天井、岩の割れ目、人家の天井裏、屋根瓦の下、木の枝、樹洞、竹の割れ目、バショウの葉の下面、巻いたバショウの葉の筒などで休息。

何千頭もの大群をなして棲息するものもあれば、単独または数頭で生活するものもあります。いずれも巣をつくず、亜寒帯や温帯にすむものの多くは洞窟、人家、樹洞などで冬眠し、温暖な地方に渡る種もあります。

飛翔する際に5万~10万ヘルツの超音波を毎秒数回ないし数十回も断続して発し、その反響を発達した耳で聞いて、障害物や食物などの方向や位置、獲物の動きや大きさなどを探知します。このため、狭い洞窟や茂った林床の中でも自由に飛びまわることができます。

普通、1産1子、たまに2~4子を年1回初夏に出産。齧歯類、食虫類に比べて寿命は長く、飼育下で19年の記録があるそうです。冬眠しない種類は春または冬に交尾しますが、冬眠するものでは冬眠前の秋に交尾し、通常、精子は冬の間は雌の子宮内に保たれ、翌春に受精が行われます。

コウモリを呼び寄せる童歌が、全国的に分布しています。東京では「コウモリ、コウモリ、草履が欲しけりゃ飛んで来い」といって草履を中空に投げ上げますが、「落ちたら卵の水飲まそ」などと誘うのもあります。

もとはコウモリも身近な動物で、東京の町中でも、夏の夕方にコウモリの飛び交う姿がみられました。イギリスにも「コウモリ、コウモリ、帽子の下にやってこい。ベーコン一切れくれてやる」と始まる歌があり、帽子の中にコウモリを捕らえることを幸運としています。

鹿児島県の鵜戸権現を祀る洞窟にすむコウモリは、神のお使いであると伝えられ、不浄の者が参詣すると群がって頭を蹴るといいます。ヨーロッパでも、コウモリに頭を蹴られるのは不吉なこととされ、コウモリが女性の髪に絡みついたら鋏でその髪を切らないと離れないといわれます。

ヨーロッパでは一般に不吉な兆しとされ、家の中にコウモリが入るのを死の前兆としたり、悪魔がコウモリの姿となって現れるという俗信も広く伝えられています。

中国では「蝙蝠」の「蝠」が「福」に通じることから、おめでたいしるしとされ、福の神の使いであるともいわれます。そのためコウモリの絵を縁起物によく用い、鍾馗が剣を振ってコウモリを打ち落としている図柄は、天から福を授かる「降福」の意を表しているそうです。

「楚囚之詩・第十」㊦ 壁

 きょうは「楚囚之詩・第十」の結びの4行です。

甘き愛の花嫁も、身を抛(なげう)ちし国事も
忘れはて、もう夢とも又た現とも!
嗚呼数歩を運べずすなはち壁、
三回(みたび)まはれば疲る、流石(さすが)に余が足も!

壁

「甘き愛の花嫁」と「国事」という最も大きな関心事を二つとも忘れてしまったことで、「余」の陥った虚脱状態の重さを強調しています。

「第四」に「吾等双個の愛は精神にあり」とありましたが、ここに抽象的に記された「甘き愛」も、厳しい愛というよりも、甘美な優しさ求める性格のものであるのでしょう。

透谷の『星夜』でも、「彼女の情を得たる後は物として春の色を帯びぬはなく、自ら怪しみて霞の中に入りたるかと思はるゝ程に、苦く辛らく面白からぬ物に隔たりて、甘く美しく優しき物のみ近づきぬ」

「我はまことの友を得たるうれしさに、後は斯くよ、斯くして斯くよなど、将来の事業を打ち開けて語りしなどしつゝ、彼女の嗜める音楽の道に就きて談話することもありて、その楽しさは、その甘さは、言もて得尽くすべくもあらず」

「緑新らしく添ひたる松の樹影に小憩して、清く甘まき物語の尽くべき時もなし」と、同じような描き方をしています。

「第三」に「壁を伝ひ、余が膝の上まで歩寄れり。/余は心なく頭を擡げて見れば、/この獄舎は広く且空しくて」とありましたが、「数歩を運べずすなはち壁」というのは、物理的にはこれと矛盾することになります。

ここでは、座り込んでいる不安から立ち上がって歩き出したところで、心も体もすぐに「壁」につきあたらざるを得ないというような意味合いでしょうか。

最後に、かつては山野を駆けめぐってもどうということのなかった「余」の足も、虚脱感を伴う心身の疲労によって、いまや「三回まはれば疲る」という状態になってしまったと嘆いています。

「楚囚之詩・第十」㊥ 闇

 「楚囚之詩・第十」のつづき。きょうは前半部分をやや詳しく読みます。

倦(う)み来りて、記憶も歳月も皆な去りぬ、
 寒くなり暖(あつ)くなり、春、秋、と過ぎぬ、
暗さ物憂さにも余は感情を失ひて
 今は唯だ膝を組む事のみ知りぬ、
罪も望も、世界も星辰(せいしん)も皆尽きて、
余にはあらゆる者皆、……無に帰して
たゞ寂寥、……微(かす)かなる呼吸――
 生死の闇の響なる、

oscuridad

「寒くなり暖くなり、春、秋、と過ぎぬ」とは、順番がチグハグな感じもしますが、とにかく四季が過ぎていったということなのでしょう。そんななか牢獄生活にも慣れて、 気がふさぎいで暗く、憂鬱な気分も失せていきます。

「膝を組む」とは、膝を交える、という意味にも用いられますが、花嫁も他の同志も他のところへ移されたとすれば、一人あぐらを組むこと、言ってみれば開き直ることを覚えたということでしょうか。

「星辰」は、星あるいは星座のこと。罪や希望など心の中の思いも、天地や世の中の外の世界の出来事も、すべてが無意味となり、生死の境界にある闇そのものの響きのような、寂寥きわまりない規則的な呼気の音がするだけとなります。

ここで「生死の闇」という「闇」については、透谷の『我牢獄』に〈我が生ける間の「明」よりも、今ま死する際(きは)の「薄闇(うすやみ)」は我に取りてありがたし。暗黒! 暗黒!〉。

また、『星夜』には〈昼もし長からば物を思ふひまなくて好かるらむ、否、夜もし長からば楽しき夢を結ぶ事もありて好かるらむ。昼にはわれ昼の思ひあり、夜にはわれ夜の思ひあり、いづれを安き時と定めん由はなけれど、もし昼と夜との境なる薄暗の惨澹なる時の苦がさを思へば、〉などとあります。

「楚囚之詩・第十」㊤ 倦み

 きょうから「楚囚之詩・第十」に入ります。12行の短い章です。

倦(う)み来りて、記憶も歳月も皆な去りぬ、
 寒くなり暖(あつ)くなり、春、秋、と過ぎぬ、
暗さ物憂さにも余は感情を失ひて
 今は唯だ膝を組む事のみ知りぬ、
罪も望も、世界も星辰(せいしん)も皆尽(つ)きて、
余にはあらゆる者皆(みな)、……無(む)に帰して
たゞ寂寥、……微(かす)かなる呼吸――
 生死の闇の響(ひびき)なる、
甘き愛の花嫁も、身を抛(なげう)ちし国事も
忘れはて、もう夢とも又た現とも!
嗚呼数歩を運べずすなはち壁、
三回(みたび)まはれば疲る、流石(さすが)に余が足も!

教会

「第九」では、「花嫁」らが「他の獄舎」へ移され、「永別」の孤独感に打ちひしがれていた作者ですが、ここでは、孤独の日々における「余」の思いを述懐していきます。

「倦み来りて、記憶も歳月も皆な去りぬ」という一文で始まります。倦(う)む、というのは、「仕事に倦む」 「学問ニ倦ム」というように、同じ状態が長く続いていやになる、あきるという意味です。

「楚囚之詩」を書いたころは、透谷の短い生涯の中で最も日常生活的事象のなかへ押し流されていた時期とみることができます。

彼が結婚に踏み切った背後には、自由民権運動の完全な退潮という空洞的な時代状況が支配していました。

明治21(1888)年7月には、自由民権運動の圧殺を象徴する大阪事件の判決が出て、翌22年2月には大日本帝国憲法が発布られます。

こうした流れに沿うように透谷は、明治21年3月に日本基督教会所属の数寄屋橋教会で受洗。その年の11月に石坂昌孝の長女ミナと結婚しています。

このようにして、日常生活がぐっとせりあがってってきて、それを選ぶべきものとして選んだ。そこには「倦み来りて」の側面もあったのかもしれません。

「楚囚之詩・第九」㊦ 偽りの夢

 きょうは「楚囚之詩・第九」の最後の6行です。獄舎に残された孤独をうたっています。

三個(みたり)の壮士もみな影を留めぬなり、
 ひとり此広間に余を残したり、
朝寝の中に見たる夢の偽(いつわり)なりき、
 噫(ああ)偽りの夢! 皆な往(ゆ)けり!
   往けり、我愛も!
   また同盟の真友も!

刑務所

主題から離れたところにある「三個の壮士」たちも、作品の中で特に必要とされていないのか「みな影を留めぬ」と、移転させられます。補注には次のようにあります。

〈「余」が真の孤独に襲われるためには、花嫁の獄死の必要があろう。「シヨンの囚人」の主人公は、獄中で次々と二人の弟が死んでゆくのを眼前に見る。だが「余」と「花嫁」とを完全に作中の人物として生かすことができず、自己とミナとをつねに意識せざるをえなかった透谷には、ミナを眼前で殺すことがどうしてもできなかったのであろう。「第六」以後すなわち作品の主題たるべき「余」の独白に、花嫁の同室はむしろ邪魔になるといってよい。別のモチーフから花嫁の入獄を必要とした以上、こんどは主題の展開を可能とするために「他の獄舎」になりと、とにかく移さねばならないのである。〉

「朝寝の中に見たる夢の偽なりき」と気づいたということは、「余」が「朝寝の中に見たる夢」を信じていた、あるいは信じかけていたということになります。「ひとり此広間に余を残」して孤独にするものとは逆のものを約束する夢だったのでしょう。

心を通わせていった人たちは「皆な往けり」、つまり自分のもとを去って行ってしまったのです。

自分が愛する人を意味する「我愛」は、ミナとの愛を誓うようになってからの書簡にしばしば見られる「my dear,my dearest,my love」の訳語のようです。

「同盟の真友」というのは、作品の中ではほとんど具体化されていませんが、実際の作者にとっては重い実感を伴ったものだったようです。大矢正夫に対して「盟の友」「盟ひの友」、ミナとその弟妹に対しては「真の友」「真正の同胞」「真丈夫」「My dear truest sister」などの言葉が用いられています。

「楚囚之詩・第九」㊥ 永別

 「楚囚之詩・第九」のつづき、きょうは前半部を少し詳しく読んでいきます。

またひとあさ余は晩(おそ)く醒め、
 高く壁を伝ひてはひ登る日の光(め)
余は吾花嫁の方に先づ眼を送れば、
 こは如何に! 影もなき吾が花嫁!
思ふに彼は他の獄舎(ひとや)に送られけん、
 余が睡眠(ねむり)の中に移されたりけん、
とはあはれな! 一目なりと一せきなりと、
 (何ぜ、言葉を交はす事は許されざれば)
永別(わかれ)の印をかはす事もかなはざりけん!

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きのうも見たように、「こは如何に! 影もなき吾が花嫁!」と、「余」は獄中での日常が突然裁断されて、強い衝撃を受けます。『日本近代文学大系』の補注には次のようにあります。

〈「余」が真の孤独に襲われるためには、花嫁の獄死の必要があろう。「シヨンの囚人」の主人公は、獄中で次々と二人の弟が死んでゆくのを眼前に見る。だが「余」と「花嫁」とを完全に作中の人物として生かすことができず、自己とミナとをつねに意識せざるをえなかった透谷には、ミナを眼前で殺すことがどうしてもできなかったのであろう。

「第六」以後すなわち作品の主題たるべき「余」の独白に、花嫁の同室はむしろ邪魔になるといってよい。別のモチーフから花嫁の入獄を必要とした以上、こんどは主題の展開を可能とするために「他の獄舎」になりと、とにかく移さねばならないのである。〉

「余」は、思わず「とはあはれな!」と花嫁に対して痛恨の気持を抱きます。

「一せき」は、片方の目の視力、または片方の眼球そのものが失われた隻眼の「一隻」、あるいは、すばやく見る、ちらっと見る意の「一睗(いっせき)」によると考えられます。

「永別」に「わかれ」とルビを打つことによって、漢字によって別れの意味を明確に示しています。『日本近代文学大系』の頭注には次のようにあります。

〈認(みる)―第六、寝床(とこ)ー第七、精霊(たま)―第十四、態度(ありさま)ー第十五、想像(おもひ)、大慈(めぐみ)―第十六等、同様の用法がある。漢語にルビをふって和語として読むのは、明治初期の英和辞書にも政治小説にも行なわれたが、特に聖書の邦訳に最大限に活用された(『新約』は明治13年、『旧約』は20年に完成)。〉

「かなはざりけん」は、花嫁を主語にした過去推量。眠っている自分に「永別」を告げることもできなかったのであろう、といっています。

「楚囚之詩・第九」㊤ 日の光

 きょうから「楚囚之詩・第九」に入ります。15行。「め」「けん」「り」「も」など脚韻に気を配っているのがうかがえます。

またひとあさ余は晩(おそ)く醒め、
 高く壁を伝ひてはひ登る日の光(め)
余は吾花嫁の方に先づ眼を送れば、
 こは如何に! 影もなき吾が花嫁!
思ふに彼は他の獄舎(ひとや)に送られけん、
 余が睡眠(ねむり)の中に移されたりけん、
とはあはれな! 一目なりと一せきなりと、
 (何ぜ、言葉を交はす事は許されざれば)
永別(わかれ)の印をかはす事もかなはざりけん!
三個(みたり)の壮士もみな影を留めぬなり、
 ひとり此広間に余を残したり、
朝寝の中に見たる夢の偽(いつわり)なりき、
 噫(ああ)偽りの夢! 皆な往(ゆ)けり!
   往けり、我愛も!
   また同盟の真友も!

光

「第九」は、獄中生活の急変、同志と花嫁の移転によって受けた「余」の衝撃について語られています。

「第六」で、「ひと夜。余は暫時の坐睡を貪りて/起き上り、厭はしき眼を強ひて開き/見廻せば暗さは常の如く暗けれど、/なほさし入るおぼろの光……是れは月!」とありました。

「またひとあさ」はそれに対する言葉で、「余は晩く醒め」からすると、夜中に目覚めて明けがた眠り、日が高くなってから起きたときのことを言っています。

そして「高く壁を伝ひてはひ登る日の光」を目の当たりにします。「光」を「め」と読ませているのは、「晩く醒め」の「め」と韻を踏もうとしていると考えられます。

「楚囚之詩・第八」④ 香

「楚囚之詩・第八」のつづき、きょうは最後の3行です。いずれの行もアタマを3字下げています。

   あゝ我を思ふ友!
   恨むらくはこの香(かおり)
   我手には触れぬなり。

きく

「我を思ふ友!」というのは、庭の菊を指しているのでしょう。「第六」に、次のように登場してから「余」は「月」との語らいをしてきましたが、ここでは、月に象徴される往時の記憶はすでに「友」ではなくなったと認識されています。

見廻せば暗さは常の如く暗けれど、
 なほさし入るおぼろの光……是れは月!
月と認(み)れば余が胸に絶えぬ思ひの種、
 借(かり)に問ふ、今日の月は昨日の月なりや?
  然り! 踏めども消せども消えぬ明光(ひかり)の月、
嗚呼少(わか)かりし時、曽(か)つて富嶽(ふがく)に攀上(よじのぼ)り、
 近かく、其頂上(いただき)に相見たる美くしの月
美の女王! 曽つて又た隅田に舸(ふね)を投げ、
花の懐(ふところ)にも汝とは契(ちぎり)をこめたりき。

「月」からは離れても、「菊」に象徴される家庭の幸福は、まだ友でありえています。つまり月に象徴される「記憶」ではなく、いまや、菊に託された「幻覚」を友とするようになっているわけです。

最後に「恨むらくはこの香/我手には触れぬなり」と、香が幻覚であって実態のないものであることを恨めしく感じています。

家庭生活の幸福は実体としてではなく幻覚としてしか存在しない、制限された「友」でしかないことを痛感しているのでしょうか。

『日本近代文学大系』の注には、〈「この香」は「この香を送る菊の花」の意で押韻のため「かをり」となる〉とあります。

「楚囚之詩・第八」③ 大矢正夫

 「楚囚之詩・第八」のつづき、きょうは6行目からです。

誰れに気兼(きがね)するにもあらねど、ひそひそ
 余は獄窓(ごくそう)の元に身を寄せてぞ
何にもあれ世界の音信(おとずれ)のあれかしと
 待つに甲斐あり! 是は何物ぞ?
送り来れるゆかしき菊の香(かおり)!
 余は思はずも鼻を聳(そび)えたり、
こは我家(わがや)の庭の菊の我を忘れで、
 遠く西の国まで余を見舞ふなり、

大矢正夫

「獄窓」というのは、ここでは外部の世界との境目を意味しています。

「音信(おとずれ)」は、たより、手紙、音信。手紙は書信といい、ことさら私的内容を強調して私信ともいいます。何であれ、外の世界との音信を待つ気持が、獄窓へと「余」の体を引き寄せます。

このようにして何日も「待つに甲斐あ」って、「菊の香」の幻覚を得るにいたります。

補注には「透谷の結婚式は明治21年11月3日、菊の季節に行なわれた。それは透谷夫妻にとって、その親たちに対する勝利を記念すると共に、親たちとの短い調和的関係を象徴する日でもあった」とあります。

「鼻を聳えたり」は、鼻に神経を集中して香りを探りあて、その方向を確かめようとしていることを言っているのでしょう。

「遠く西の国まで余を見舞ふ」ということは、「余」の故郷は、関東にあることになります。

透谷の親友で、明治18年の大阪事件にかかわって逮捕されて禁固6年の刑を受けた三多摩の青年、大矢正夫(1863-1928)は相模(神奈川県)の出身。未決監獄は大阪、刑が確定してからは徳島に移されています。

「楚囚之詩・第八」② 庭

 「楚囚之詩・第八」のつづき、きょうは前半の5行を読みます。

想ひは奔(はし)る、往(ゆ)きし昔は日々に新なり
彼(かの)山、彼水、彼庭、彼花に余が心は残れり、
彼の花! 余と余が母と余が花嫁と
もろともに植ゑにし花にも別れてけり、
思へば、余は暇(いとま)を告ぐる隙(ひま)もなかりしなり。

庭

「往きし昔は日々に新なり」とは、舌足らずでいまいち真意がつかみにくいのですが、充実した過去の生の記憶を日ごとに反芻することによって純化され、「余」の現在の生の支えになっていると感じているということでしょうか。

「彼山、彼水」というのは、「第六」からすると、「少かりし時」の象徴的存在である富士山と隅田川ということになります。

それに対して「彼庭、彼花」は、入獄直前の「余が母と余が花嫁と」の生活の象徴的存在とも考えられます。

庭や花は、丹精して作り上げるものです。野に放たれて「彼山、彼水」とともに送る少年時代の奔放な生活に対し、「彼庭、彼花」を育てるように、母や嫁と努力し、心を通わせあって幸福の花を咲かせていくものといえるでしょう。

「もろともに植ゑにし花」とは、そうした三人の協力で作り上げつつある生活を表しているのでしょう。そうした生活から「別れ」ざるをえなかったのです。

「暇を告ぐる隙もなかりし」ということは、自宅かその近くで捕らえられ、すぐさま引っぱって来られてことがうかがえます。

「楚囚之詩・第八」① 往時

 きょうから「楚囚之詩・第八」に入ります。月ではなく菊が登場してきます。

   第八

想ひは奔(はし)る、往(ゆ)きし昔は日々に新なり
彼(かの)山、彼水、彼庭、彼花に余が心は残れり、
彼の花! 余と余が母と余が花嫁と
もろともに植ゑにし花にも別れてけり、
思へば、余は暇(いとま)を告ぐる隙(ひま)もなかりしなり。
誰れに気兼(きがね)するにもあらねど、ひそひそ
 余は獄窓(ごくそう)の元に身を寄せてぞ
何にもあれ世界の音信(おとずれ)のあれかしと
 待つに甲斐あり! 是は何物ぞ?
送り来れるゆかしき菊の香(かおり)!
 余は思はずも鼻を聳(そび)えたり、
こは我家(わがや)の庭の菊の我を忘れで、
 遠く西の国まで余を見舞ふなり、
   あゝ我を思ふ友!
   恨むらくはこの香(かおり)
   我手には触れぬなり。

菊

月光に触発されて、過ぎ去った時への回想を述べています。

「第六」の「少かりし時」よりは最近のようですが、「第六」のように月と直接関係する回想にもなっていません。

『日本近代文学大系』の補注では、次のように厳しく指摘されています。

〈元来月光に触発された往時への回想であるべきものが、その範囲を逸脱し、作者自身の抒情が著しくあらわになった。菊の香の幻覚も、青く澄んだ秋空の方がふさわしく、眠っている愛人の前でこうした回想に浸るのも不自然。〉

「楚囚之詩・第七」㊦ 鉄窓

「楚囚之詩・第七」のつづき、きょうは最後の6行です。

 眼を鉄窓の方に回(か)へし
 余は来るともなく窓下に来れり
 逃路を得んが為ならず
 唯(た)だ足に任せて来りしなり
  もれ入る月のひかり
  ても其姿の懐かしき!

window

「鉄窓」は、鉄格子のある窓、あるいは牢屋、刑務所のことを指すこともあります。ここではじめて、この牢獄に窓があることがわかります。

「来るともなく窓下に来れり」というのですから、「鉄窓」は「余」の決められた起居の場所にないことがわかります。

「逃路を得ん」と、疲れて眠りこける獄吏の目を盗んで歩いたわけでなく、月の光にさそわれて思わず歩み出て来たのでしょう。

「ても」は「…の状態でも」。「もれ入る月のひかり/ても其姿の懐かしき」について、日本近代文学大系の注には、〈月光を浴びているようにもとれるが、「第三」に描かれた獄舎の構造から見ると、直射ではなく屈折してさし射る「おぼろの光」にすぎまい。それゆえ、いっそうその姿を見たく思うのである〉とあります。

いずれにしても「もれ入る月のひかり」に一入の感慨を抱くところで、しめくくられています。

「楚囚之詩・第七」㊥ 神女

「楚囚之詩・第七」のつづき、きのうに続いて前半部分を詳しく見ていきまます。
 
 牢番は疲れて快(よ)く眠り、
 腰なる秋水のいと重し、
 意中の人は知らず余の醒(さめ)たるを……
 眠の極楽……尚ほ彼はいと快(こころよ)し
 嗚呼二枚の毛氈(もうせん)の寝床(とこ)にも
 此の神女の眠りはいと安し!
 余は幾度も軽るく足を踏み、
 愛人の眠りを攪(さま)さんとせし、
 左れど眠の中に憂(うさ)のなきものを、
 覚(さま)させて、其(そ)を再び招かせじ、

毛

「意中の人」は、「余」が目覚めたことも知らずに、獄中にあってもなお、快さそうに眠っています。
「毛氈」=写真=は、厚地のフェルトで敷物などに用いるもの。古くは氈(かも)と称しました。正倉院には奈良時代に唐から輸入された模様入りの花氈が、伝えられています。後世に中国から輸入されたものは多くが赤色で、多くは山西、浙江、雲南などでつくられたもの。捺染や絞りで花模様をつけたものもあり、俗に花毛氈とか蒙古氈などといわれます。

「神女」は、めがみ、天女。琉球で祭祀をつかさどる神女(のろ)が思い出されます。

「安し」は、心安らかである、穏やかであるの意。「快し」のあとに「毛氈の寝床」の記述を加えたうえで「眠りはいと安し」と強調しています。

「足を踏」んで軽く音を立てるとき行為には、恋人と思いを分ち合いたいという積極的な思いがうかがえます。

異常な境遇においては極めて自然な気持ちを、自己中心の軽率さととらえ直して、恋人の平安を守ろうという気持に変わっていきます。

昼は獄吏が見張っていて、互いに近寄ることも語ることもできない。夜だけのまれな可能性さえも捨てるのは、思いやりにしては独り合点過ぎる感じもします。

「神女」という語からも察せられるように、自身の抱いている花嫁のイメージをこわすまいという思いが強く働いているのかもしれません。

『日本近代文学大系』の補注には、〈「余」の態度は、自分と思いを分かち合うより快い眠りを続けた方が望ましいに違いないと、「余」に感じさせるような現実の花嫁の自己中心的態度、さらには昼眠って夜醒めてことを習慣とした「余」に、たとえば夜起きて近寄り慰め励ますことを一度もしていないというような、愛の薄い無関心な態度にも原因していよう。そして花嫁のこの無関心は、あるいは、この苦痛から自分を免れさせることのできなかった「余」の無能への軽蔑や、ひとりで昼眠ってしまう身勝手さへの不満に発しているとも考えられる。〉とあります。

「楚囚之詩・第七」㊤ 秋水

きょうから「楚囚之詩・第七」に入ります。16行の比較的短い章です。

 牢番は疲れて快(よ)く眠り、
 腰なる秋水のいと重し、
 意中の人は知らず余の醒(さめ)たるを……
 眠の極楽……尚ほ彼はいと快(こころよ)し
 嗚呼二枚の毛氈(もうせん)の寝床(とこ)にも
 此の神女の眠りはいと安し!
 余は幾度も軽るく足を踏み、
 愛人の眠りを攪(さま)さんとせし、
 左れど眠の中に憂(うさ)のなきものを、
 覚(さま)させて、其(そ)を再び招かせじ、
 眼を鉄窓の方に回(か)へし
 余は来るともなく窓下に来れり
 逃路を得んが為ならず
 唯(た)だ足に任せて来りしなり
  もれ入る月のひかり
  ても其姿の懐かしき!

秋水

すべての行が1字下げになっています。

牢屋の見張りをする「牢番」は、疲れて眠りこけ、腰にさした「秋水」が「余」には重たげに見えたのでしょう。

「秋水」は、「三尺の秋水」というように、曇りのない、よく研ぎ澄ました刀のことをいいます。

威厳と権力の象徴ともいえる帯剣が重そうであると言って、その不釣り合いで不格好な姿を想像させて、下級役人の哀れさ、他愛無さを示しています。

末広鉄腸の政治小説「雪中梅」には、「看守の剣を帯び洋服を着して儼然と椅子に倚る有様…」とあります。

そして「意中の人は知らず余の醒たるを」。心の中でひそかに思いさだめている人が「余」の目ざめていること知らないということに意識的になることによって、その孤独な心境を浮かび上がらせようとしているようです。

「楚囚之詩・第六」④ 同じ月ならん!

 「楚囚之詩・第六」のつづき。きょうは最後の4行です。

  同じ月ならん! 左れど余には見えず、
  同じ光ならん! 左れど余には来らず、
   呼べど招けど、もう
   汝は吾が友ならず。

TUKI

前に「今日の月は昨日の月なりや」とも問いかけていましたが、ここで再び「同じ月ならん!」と叫び、「余には見えず」とは、他の者に見えるのに、最も近しいはずの自分には見えないと嘆いています。

さらには、月の「光」にまで思いが及び、「同じ光ならん!」なのに「余には来らず」と切実に訴えかけています。

最後の「呼べど招けど、もう/汝は吾が友ならず。」からは、切実な過去の記憶も、現在の自分を真に力づけることはできない、という絶望的な認識がうかがえます。

透谷はこの詩の「序」で「元(も)とより是は吾国語の所謂(いはゆる)歌でも詩でもありませぬ、寧(むし)ろ小説に似て居るのです。左(さ)れど、是れでも詩です、余は此様にして余の詩を作り始めませう。又た此篇の楚囚は今日の時代に意を寓したものではありませぬから獄舎の模様なども必らず違つて居ます。唯(た)だ獄中にありての感情、境遇などは聊(いささ)か心を用ひた処です」としています。

これまで見てきたような「獄中にありての感情」については心を配り、いろいろを注意した表現になっているというわけです。

「楚囚之詩・第六」③ 隅田

 「楚囚之詩・第六」のつづき。後半の11行目、二字あけの「然り!」から始まります。

  然り! 踏めども消せども消えぬ明光(ひかり)の月、
嗚呼少(わか)かりし時、曽(か)つて富嶽(ふがく)に攀上(よじのぼ)り、
 近かく、其頂上(いただき)に相見たる美くしの月
美の女王! 曽つて又た隅田に舸(ふね)を投げ、
花の懐(ふところ)にも汝とは契(ちぎり)をこめたりき。

隅田

「踏めども消せども消えぬ明光の月」は、清浄の美の不変不滅をいいます。

「少かりし時」つまり、いまは若くないという思いは、束縛されている現在の境遇によっているのでしょうか。

補注には〈少年時代を故郷に送ったとすると、富士・隅田は「第四」の故郷とは矛盾する。むしろ東奥の壮士にこそふさわしい。関西に「余」の故郷を設定した意味は失われ、東奥の壮士が「余」の分身にすぎないことが明瞭になる。「富士山遊びの記憶」の中の長詩に「皇々明光無汚穢」との例がある〉とあります。

「曽つて富嶽に攀上り、/近かく、其頂上に相見たる」は、月への憧憬の原点ともいうべき体験と考えられます。『蓬莱曲』の完成間近く、透谷は日記に「『蓬莱山一夜』これは余が蓬莱山に宿りし時の一夜の状を写すべし」と書いていて、原体験をそのまま作品化しようとしたもののようです。

「隅田」は隅田川=写真、コトバンク。東京・東部を流れる全長25kmの川で、大川、浅草川とも呼ばれます。奥秩父の甲武信ヶ岳に源を発し、関東平野を流れて東京湾に注ぐ荒川の下流部で、北区の岩淵水門から河口までをさします。

昔はシラウオやコイを産し、水澄める大川として親しまれ、文化の中心でもありました。明治以降江東の市街地化と工業地帯の発展で汚濁が著しく、工場排水の規制や利根川の水を荒川を経由して放流するなど川の浄化が行われています。

「舸」(ふね)は、「舸艦」というように、船の中でも比較的大きな船を思い浮かべます。

「楚囚之詩・第六」② おぼろ

  「楚囚之詩・第六」のつづき、いつものように、前のほうから少しずつ見ていきます。

世界の太陽と獄舎(ひとや)の太陽とは物異(かわ)れり
 此中には日と夜との差別の薄かりき、
何(な)ぜ……余は昼眠(ね)る事を慣(なれ)として
 夜の静(しずか)なる時を覚め居たりき、
ひと夜。余は暫時(しばし)の坐睡(ざすい)を貪(むさぼ)りて
 起き上り、厭(いと)はしき眼を強ひて開き
見廻せば暗さは常の如く暗けれど、
 なほさし入るおぼろの光……是れは月!
月と認(み)れば余が胸に絶えぬ思ひの種、
 借(かり)に問ふ、今日の月は昨日の月なりや?

おぼろ月

「ひと夜」は、ある夜のこと、いう意味でしょう。

「坐睡」は、「冬でも着物の儘壁に倚(もた)れて坐睡する丈だ」〈漱石・門〉というように、座ったまま眠ること、いねむりのこと。

「余」は、しばらくいねむりしてから起き上がって、「厭はしき」つまり煩わしくて開くのを嫌がる眼を強引に見開いて、「見廻」して「月」を発見します。

獄舎の窓を「見廻せば」、ぼんやりとしてはっきりしない「おぼろの光」に「是れは月」だと気付くのです。入獄してまだそんなに月日は経っていない。でも、やっと外界に目を向ける余裕は出てきたころ、と推察できます。

「月と認れば余が胸に絶えぬ思ひの種」、つまり、月だと分かってみれば、たちまちのうちに「余」の胸に消えることのなかった痛切な思いが湧き上がってきます。

そして、ためしに、今日のこの月は、昨日の月なのだろうか、と問うてみるというのです。

「楚囚之詩・第六」① 月

 きょうから「楚囚之詩・第六」に入ります。19行。「第六」から「第八」にかけて、ある夜の感慨として述べられていきいます。

世界の太陽と獄舎(ひとや)の太陽とは物異(かわ)れり
 此中には日と夜との差別の薄かりき、
何(な)ぜ……余は昼眠(ね)る事を慣(なれ)として
 夜の静(しずか)なる時を覚め居たりき、
ひと夜。余は暫時(しばし)の坐睡(ざすい)を貪(むさぼ)りて
 起き上り、厭(いと)はしき眼を強ひて開き
見廻せば暗さは常の如く暗けれど、
 なほさし入るおぼろの光……是れは月!
月と認(み)れば余が胸に絶えぬ思ひの種、
 借(かり)に問ふ、今日の月は昨日の月なりや?
  然り! 踏めども消せども消えぬ明光(ひかり)の月、
嗚呼少(わか)かりし時、曽(か)つて富嶽(ふがく)に攀上(よじのぼ)り、
 近かく、其頂上(いただき)に相見たる美くしの月
美の女王! 曽つて又た隅田に舸(ふね)を投げ、
花の懐(ふところ)にも汝とは契(ちぎり)をこめたりき。
  同じ月ならん! 左れど余には見えず、
  同じ光ならん! 左れど余には来らず、
   呼べど招けど、もう
   汝は吾が友ならず。

月

「第六」は、月への執着と往時の追憶を語っていきます。

冒頭、「世界の太陽と獄舎の太陽とは物異れり/此中には日と夜との差別の薄かりき」と、獄中の生活の単調暗鬱を言っています。

「何ぜ」は「for」の訳と考えられます。「……のために」というニュアンスでしょうか。

とすると、ひとり物思いにふける時間を必要として「余は昼眠る事を慣として/夜の静なる時を覚め居た」ために、ということになります。

「されば」ではなく「何ぜ」としたことによって、獄中の暗闇生活は「余」らに、とくに影響を与えていないことになります。補注には次のようにあります。

〈この昼夜の転倒は花嫁や壮士等の安らかに眠る姿を見る方が、心が安まるからであろうか。同志を力づけるのが首領の義務とすれば、これは一つの逃避である。花嫁にも壮士等にも全く語りかけず、ただながめ、自己にのみ沈潜してゆく「余」は、弟たちを力づけようとする「シヨンの囚人」の主人公とは正反対である。疎外された者として「余」を設定したのが、ここでも明瞭となる。〉

「き」は、「今は昔、藤原為時といふ人ありき」(今昔物語集・巻20)というように、過去の意味をもち、特殊な活用をして連用形に接続します。「覚め居たれば」としないのは、「薄かりき」「居たりき」「開き」……と韻を踏もうとしているためと見られます。

「楚囚之詩・第五」⑥ 此世の地獄

 「楚囚之詩・第五」のつづき。きょうは最後の5行です。

ホツ! 是(こ)は夢なる!
見よ! 我花嫁は此方(こなた)を向くよ!
其の痛ましき姿!
   嗚呼爰(ここ)は獄舎
   此世の地獄なる。

地獄

文語調の言い回しのなかで突じょ「ホツ!」と、ここで俗語が登場します。夢想からちょっとだけ現実が顔を出したようです。

「ホツ!」と並行して「見よ!」と命じて「此方を向くよ」と、「花嫁」にはじめて「余」のほうを向かせています。

ここでは「花嫁」の心の内を想像して細かく記述することはありません。「其の痛ましき姿!」と、夢想を突き崩して心を激しく刺された衝撃をそのまま言葉にしています。

「獄舎」に置かれた悲惨な状態を最後の行で「此世の地獄」と表現しています。

補注には〈「不幸の極点とも覚しき地獄の境界に陥りたり、……再び地獄のかまに飛び入るが如き」(石坂ミナあて書簡、明20.9.3)。また獄舎を地獄にたとえるのは普通で、『雪中梅』上編の東京未決監について述べた部分に「真に是れ生きながらに陥る現世(このよ)の地獄とこそ云ふべけれ」とある。〉とされています。

「楚囚之詩・第五」⑤ フォゲットミイナット

 「楚囚之詩・第五」のつづき。きょうは19行目からです。

塵(ちり)なく汚(けがれ)なき地の上にはふバイヲレット
其名もゆかしきフォゲットミイナット
 其他種々(いろいろ)の花を優しく摘みつ
ひとふさは我(わが)胸にさしかざし
 他のひとふさは我が愛に与へつ

ワスレナグサ

きのう最後に見た「昔の花園」について、「塵なく汚なき地」と把握されていることがここで分かります。近代文学大系の補注には次のようにあります。

〈「明治二一年四月の旅行記概略」(明21.4)に「登志子(ミナの妹)は……緩水(チヨロチヨロミズ)の岸に生ひたつ、慾もなく情もなき、バイヲレツトをきりつみて、罪なく、汚れなき少女の、己のが、胸に挿さむもをかし」とある。ちょうど一年前の百草園行きである。同様に、すみれとミナが関連して思い出される経験はあったであろう。ここでは、「余」が「摘み」「与へ」たということだから、愛されるよりも、むしろ愛する行為を夢みている。今は何もしてやれなくてすまないという罪の意識の反映である。〉

「バイヲレット」(Violet)は、日当りのよい山野に普通なスミレ科の多年草。花の形が大工の使う墨つぼに似ているから〈墨入れ〉から名が付いたといわれます。葉と花茎は株元から集まって出て、花期の高さは7~15センチ。ラッパのような形の花を横向きかやや斜め下向きにつけます。

「フォゲットミイナット」はforget me not。「わたしを忘れないで」という意味の英文です。forget-me-notとハイフンでつなぐと、ムラサキ科の多年草、ワスレナグサ(勿忘草)=写真、wiki=のこと。5~6月、枝先に尾状に巻いた花序を伸ばし、淡青色で中央が黄色の可愛らしい五弁の花を開きます。

昔、ルドルフとベルタという恋人同士の男女が春の夕べ、ドナウ川のほとりを逍遙していました。ベルタが河岸に咲く青い小さな花が欲しいというので、ルドルフは岸を降りていき、花を手折った瞬間、足を滑らせ、急流に巻き込まれてしまいました。ルドルフは最後の力を尽くして花を岸辺に投げ、「私を忘れないでください」と叫んで、流れに飲まれてしまったといわれています。

「楚囚之詩・第五」④ 魂の花園

 「楚囚之詩・第五」のつづき。きょうは15行目からです。

斯く云ふ我が魂も獄中にはあらずして
 日々夜々(ひびやや)軽るく獄窓(ごくそう)を逃(にげ)伸びつ
余が愛する処女の魂も跡を追ひ
 諸共に、昔の花園(はなぞの)に舞ひ行きつ

庭園

「第四」で「余の魂は日夜独り迷」っていた焦燥感はここでは失せ、「我が魂も獄中にはあらずして」と、自由で軽快なふるまいをしていきます。

まず「逃伸び」る「余」の魂を、「処女の魂」が追っていきます。若い女性に慕われている幸福感が「軽る」い心地をもたらしているのでしょう。

そして「跡を追」って来た「処女の魂」といっしょになって、二人の魂は、花の咲く草木の茂る楽園たる「昔の花園」へと行動をともにしていきます。たくさんある庭園。

「つ」は、動作や状態が完了している意を表す「完了」の助動詞。「余」と行動を共にしている「花嫁」については、「遠近の山川に舞ひつらん」「雲に駕し月に戯れてありつらん」などと推量形を用いず、別扱いにしていることがわかります。

『近代文学大系』の補注には、次のようにあります。

〈花嫁を外部からとらえようとする意図をさえ「第四」で捨ててしまってから、花嫁の心情は一切描かれず、説明もされない。つねに「余」の心情に明暗を与える存在としてのみ語られ、他者としての独立性がない。壮士等は山・川・雲・月という広大な世界に魂を舞わせ「余」と「少女」とは現実にもどるが、壮士等のそれには触れていない。壮士を借りて「余」の自由への憧れを述べたにすぎないことがわかる。すなわち「余」が現実の悲惨にもどることだけが重要なのである。なお、現在の苦痛のまだ始まらない過去の記憶にもどることを、互いの愛を確認する唯一の方法としているのは、両親と同居せざるをえなかった作者の結婚生活が、現在よりも過去の記憶に慰めを見いだしたことと関係があろう。〉

「楚囚之詩・第五」③ 清浄なる魂

 「楚囚之詩・第五」のつづき。きのうは9行目からです。

兎(と)は言へ、猶(な)ほ彼等の魂(たま)は縛られず、
 磊落(らいらく)に遠近(おちこち)の山川に舞ひつらん、
 彼の富士山の頂(いただき)に汝の魂(たま)は留(とどま)りて、
 雲に駕し月に戯れてありつらん、
嗚呼何ぞ穢(きた)なき此の獄舎(ひとや)の中に、
 汝の清浄なる魂が暫時(しばし)も居(お)らん!

富士

「兎は言へ、猶ほ彼等の魂は縛られず、/磊落に遠近の山川に舞ひつらん……」と、ここでは、獄舎に捕われの身となった壮士の感情を「余」が想像して述べています。

「磊落」は、気性が大きく朗らかで度量が広く、小さいことにこだわらないこと。もともと、たくさんの石が落ちている意だったのが、広大な場所、小さいことにこだわらないことを意味するようになったようです。

「彼の富士山の頂に汝の魂は留りて、/雲に駕し月に戯れてありつらん、」からは、「富士山」に清浄な霊域としてのイメージを抱いていることがうかがえます。

補注によれば、透谷は「富士山遊びの記憶」(明18 夏)に「万里駕雲隊」の語があり、また八合目での印象を「余は独り戸を打出でて見れば、明月皓々中天に横わり、霊山四隣に塵芥なく」と述べています。

「穢」はもともと宗教的な神聖観念の一つで、罪と災いとともに日本古代の不浄観念を成し、これを忌避する忌(いみ)、服忌(ものいみ)の対象をいいます。

「何ぞ穢なき此の獄舎の中に、/汝の清浄なる魂が暫時も居らん」は反語で、居るだろうか、居るはずがありはしない、という意味です。

「楚囚之詩・第五」② 自由の神

 「楚囚之詩・第五」。きのうに続いて、冒頭から詳しく読んでいきます。

あとの三個(みたり)は少年の壮士なり、
 或は東奥(とうおう)、或は中国より出でぬ、
彼等は壮士の中にも余が愛する
 真に勇豪なる少年にてありぬ、
左(さ)れど見よ彼等の腕の縛らるゝを!
 流石(さすが)に怒れる色もあらはれぬ――
 怒れる色! 何を怒りてか?
  自由の神は世に居まさぬ!

女神

「東奥」は、関東・奥羽地方。「余」や「花嫁」の出身である中国地方とともに自由民権運動の盛んな地域として知られています。

「左れど見よ彼等の腕の縛らるゝを!/流石に怒れる色もあらはれぬ――」では、「花嫁」の物思いに少年の怒りを対照させています。

「怒れる色!」は、悲しみの強調というのでなく、若さ、純粋さのなす激怒のようです。ただ、そのターゲットは権力に対してとうのではなく、「自由の神」に対してのものだというのです。

透谷は「……然ルニ世運遂ニ傾頽シ、惜ヒ乎、人心未ダ以テ吾生ノ志業ヲ成スニ當ラザルヲ感ズル矣。鳴呼本邦ノ中央盲目ノ輩ニ向ツテ、 咄々(とつとつ)又タ何ヲカ説カンヤ。兒ノ胸中独 リ自ラ企ツル所、指ヲ屈スルニ暇アラズ。是レヲ 施シ、是レヲ就サントスルニ、世運遂ニ奈何トモスルナキヲ知ル。鳴呼、奈何ナル豪傑丈夫ノ士ト雖、何ゾ能ク世運ノ二字ニ」(「哀願書」)などと、 志の遂げられないのを、人力を超えたものの所為にしています。

『近代文学大系』の補注には、「自由の神」と人格神にしたのは、1886年、フランス国民が仏米両国民友好のしるしに贈ったニューヨークの自由の女神像=写真、wiki=が、年頭にあったのかもしれない、とあります。

自由の女神像は、米・ニューヨークのマンハッタンの沖合い、ニューヨーク湾に浮かぶリバティ島に立つ、高さは約46m、台座を入れると約92mに及ぶ巨大な女神像。アメリカ合衆国の誕生100年とアメリカとフランス両国の変わらぬ友好を記念し、1886年にフランスから寄贈されました。彫刻家フレデリック=オーギュスト・バルトルディの設計になるコンクリート造りの像で、表面は銅板に覆われています。ギリシア風の衣装をまとい、聖火を持つ右手を高く掲げ、左手に独立宣言の日である「1776年7月4日」と記された銘板を抱えています。

「楚囚之詩・第五」① 少年

 きょうから「楚囚之詩・第五」に入ります。次のような28行の作品です。

あとの三個(みたり)は少年の壮士なり、
 或は東奥(とうおう)、或は中国より出でぬ、
彼等は壮士の中にも余が愛する
 真に勇豪なる少年にてありぬ、
左(さ)れど見よ彼等の腕の縛らるゝを!
 流石(さすが)に怒れる色もあらはれぬ――
 怒れる色! 何を怒りてか?
  自由の神は世に居まさぬ!
兎(と)は言へ、猶(な)ほ彼等の魂(たま)は縛られず、
 磊落(らいらく)に遠近(おちこち)の山川に舞ひつらん、
 彼の富士山の頂(いただき)に汝の魂(たま)は留(とどま)りて、
 雲に駕し月に戯れてありつらん、
嗚呼何ぞ穢(きた)なき此の獄舎(ひとや)の中に、
 汝の清浄なる魂が暫時(しばし)も居(お)らん!
斯く云ふ我が魂も獄中にはあらずして
 日々夜々(ひびやや)軽るく獄窓(ごくそう)を逃(にげ)伸びつ
余が愛する処女の魂も跡を追ひ
 諸共に、昔の花園(はなぞの)に舞ひ行きつ
塵(ちり)なく汚(けがれ)なき地の上にはふバイヲレット
其名もゆかしきフォゲットミイナット
 其他種々(いろいろ)の花を優しく摘みつ
ひとふさは我(わが)胸にさしかざし
 他のひとふさは我が愛に与へつ
ホツ! 是(こ)は夢なる!
見よ! 我花嫁は此方(こなた)を向くよ!
其の痛ましき姿!
   嗚呼爰(ここ)は獄舎
   此世の地獄なる。

raskolnikov

「第四」は「花嫁」について描かれていましたが、「第五」では、残る三人の壮士の境遇と感情を、現実と夢想を対比しながら述べたうえで「余」の心情へとつなげていきます。

「花嫁」と違って残りの「壮士」については、それぞれの個性をあげる意図はなく、一括して「あとの三個」と事も無げに叙しています。

「三個(みたり)」というと、人を物のようにみなしている感がありますが、「個」には本来、ひとりの人の意もあります。

日本語の数詞には、原日本語に由来すると考えられている和語の数詞(ひとつ、ふたつ、みっつ、…)に具体的な接尾辞・助数詞を伴って「ひとり、ふたり、みたり (みったり)、よたり (よったり)、…」と言っていました。最近では「みたり」以降はあまり使われなくなりました。

『近代文学大系』の補注には〈壮士は一人でも二人でもよく、三人とする必然性はない。問題はむしろ、他の「数多の壮士等」に全く触れないことにあり、「余」は首領というよりも壮士等から疎外された者のように見える。「シヨンの囚人」の三人投獄にヒントを得、花嫁を加えて四人としたのを、「第三」「第四」で「余」を除いて四人であるかのように解釈しうる表現をとったため、残り三人にしたか〉とあります。

「少年の壮士」とは、少年の心を持った壮士、その純粋性を強調して用いたのでしょう。補注には〈「少年」の語は広く10代20代に用いた。『雪中梅』(明19)では24、25歳の主人公を少年と呼ぶ。透谷もミナあて書簡(明20.8.18)に18歳8カ月の自分を少年と呼び、後年にも『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフを「孤独幽棲の一少年」と呼んでいる。〉とあります。

「楚囚之詩・第四」⑤ 半身

「楚囚之詩・第四」のつづき。きょうは20行目から最後の行までです。

 左(さ)れどつれなくも風に妬(ねた)まれて、
  愛も望みも花も萎(しお)れてけり、
一夜の契(ちぎ)りも結ばずして
花婿と花嫁は獄舎(ひとや)にあり。
 獄舎は狭し
 狭き中にも両世界――
彼方(かなた)の世界に余の半身あり、
此方(こなた)の世界に余の半身あり、
彼方が宿か此方が宿か?
 余の魂(たま)は日夜独り迷ふなり!

別れ

「風に妬まれて」は、花の美を妬んで風が吹くという常套的比喩によって、入獄の事実を指しています。そして、「愛も望みも花も萎れてけり」と、入獄の強烈な衝撃による二人の挫折感にいたります。

「一夜の契りも結ばずして/花婿と花嫁は獄舎にあり」は、「一夜の契り」すなわち男女が情交して愛を確かめないうちに、「獄舎に」引きはなされて置かれたということでしょう。

そして、「余」と「花嫁」との二つの世界のは「狭き中にも両世界」というほどに、遠く隔たったものになってしまったのです。

「半身」とは、魂の住家としての肉体が半分ずつちぎれているという認識に基づいています。「補注」によると、石坂ミナあて書簡(明20.9.4)に「吾等は今尚ワンボデイたらざるも、常にもはや一所にあるが如き思ひあり」とあります。

最後の行の「余の魂は日夜独り迷ふなり」は、魂が身体から抜け出て、あちこち迷っているような言い方ですが、迷う魂は「此方の世界」にあり、「彼方の世界」と交信できない、いたたまれぬ焦燥感にとらえられています。すべての交渉を遮断された焦燥感が表現されているわけです。

「補注」には〈構成からすれば、余に次いで、花嫁・壮士らを紹介してゆくはずだが、壮士はもちろん、花嫁の心情も、立ち入って描かれることも説明されることも全くない。主眼である「獄中の境遇と感情」はもっぱら「余」のそれであって、花嫁らのそれはほとんど想像しようとさえしない。透谷自身の鬱屈した思いを表白することが目的でないとしたら、いかにも拙劣な方法である〉とあります。

「楚囚之詩・第四」④ 蕊

 「楚囚之詩・第四」のつづき。きょうは13行目からです。

愛といひ恋といふには科(しな)あれど、
 吾等雙個(ふたり)の愛は精神(たま)にあり、
花の美くしさは美くしけれど、
 吾が花嫁の美は、其(その)蕊(しべ)にあり、
梅が枝(え)にさへづる鳥は多情なれ、
 吾が情はたゞ赤き心にあり、
彼れの柔(よわ)き手は吾が肩にありて、
 余は幾度(いくたび)か神に祈(いのり)を捧(ささげ)たり。

おしべ

「科(しな)」を作るというと、特に女性が男性に見せるなまめかしく、ちょっとした媚を含んだ身ぶりやしぐさをいいますが、ここでは分類学で目 (もく) の下、属の上位に置かれた分類名を「科」というような「種類」のことを意味しているのでしょう。

「蕊(しべ)」は花の生殖器官で、雄しべ=写真、wiki=や雌しべがあります。花の真ん中にあって、花粉のやり取りをして実を作る生命を維持する根幹的な器官です。「実」と言わずに「蕊」といったところに、より根源的、内的な精神をいっていることをうかがえさせます。

「愛といひ恋といふには科あれど、……吾が情はたゞ赤き心にあり」について、『近代文学大系』では、精神の愛、精神の美、熱誠の情の順に、二人の愛の特殊性を述べているとしています。

「赤き心」について、補注には次のように記されています。

〈「彼等は情慾に由つてラブし、情慾に由つて離るゝ者にしあれば、其手軽るき事御手玉を取るが如し、吾等のラブは情慾以外に立てり、心を愛し望みを愛す」(石坂ミナあて書簡、明20.9.4)、「赤き心」は「赤心」の訓読。「赤心を吐露致す可し」(父あて書簡、明20.9.4)等。「丹心」とも用いた。雲井竜雄の詩句にも多く、民権志士たちの好んだ語で、景山英子にも「愛国丹心万死軽」等の詩句がある。〉

「彼れの柔き手」を「吾が肩に」して「幾度か神に祈を捧た」祈りの中身としては、愛の永遠、望みの実現、花嫁の精神的な美しさがずっと続くことなどがあげられます。「補注」には次のように記されています。

「余は夙志の違ひを知り、飄然として社界を離れし時、神は吾が今日最も愛する所の一人の口と手を以て余を招きて、其柔にして強き聖霊の傍に座せしめたり」「吾を愛するアンゼルは雪の如き手を伸べて余を握し、物を以て比す能はざる撣妍たる花顔を以て、余が粗野なる頬に接し」「アンゼルは来りて、神の余に教へたる言葉を無言の中に伝へたり、余は神の意に従つて生命を決す可し、余は余の心を清めて神の命令を受け入れたり」(石坂ミナあて書簡、明21.1.21)。「望み」は「神の意に従う」の意か。「それ信仰と望と愛と此三の者ハ常に在るなり」(「コリント前書」13・13)〉

「楚囚之詩・第四」③ 花の都

 「楚囚之詩・第四」のつづき。きょうは7行目からです。

彼は余と故郷を同じうし、
 余と手を携へて都へ上りにき――
京都に出でゝ琵琶を後にし
 三州の沃野(よくや)を過(よぎ)りて、浜名に着き、
富士の麓に出でゝ函根(はこね)を越し、
 遂に花の都へは着(つき)たりき、

浜名湖

「彼」は、花嫁のことでしょう。人称代名詞の「彼」はもともと男女共に用いられ、「あの人」の意。英語の「he」の訳語としての「彼」とは異質なものです。

「故郷を同じうし、/余と手を携へて都へ上りにき」からは、二人は郷里を同じくし、「余」と「花嫁」は行動をともにした。もっというと、「余」は「花嫁」をこの境遇に招き入れた張本人であることが察せられます。

「琵琶」は琵琶湖、「三州」は三河国、いまの愛知県東部。「浜名」は、静岡県の浜松市と湖西市にまたがる浜名湖=写真=のことです。

『楚囚之詩』が自費出版されたのは、1889(明治22)年4月。東京と関西を結ぶ鉄道(東海道線)が開通したのは、この年の7月ですから、まだ全線開通には至っていないことになります。

「京都に出でゝ琵琶を後にし/三州の沃野を過りて、浜名に着き、/
富士の麓に出でゝ函根を越し、」というのは、徒歩と各地の鉄道などを乗り継いでの旅ということになるのでしょうか。

「花の都」とは東京のこと。地方から出て来る者にとって、都の花やかなイメージとして回想されていますが、「花の都」という表現は当時すでに手垢のついた月並みな表現だったようです。『近代文学大系』の補注には次のように記されています。

〈たとえば中世歌謡を集めた『閑吟集』所収の「面白の花の都や筆でかくともおよばじ」の句は謡曲「放下僧」「花丸」、狂言「花折」「花盗人」、近世歌謡集『松の葉』、「伊勢音頭」その他多くに見られ、「花の都、梅の浪花(なには)」(『東海道中膝栗毛』)のようにも用いられた。〉

「楚囚之詩・第四」② 物思はし

  「楚囚之詩・第四」のつづき、3字下げた冒頭の6行から順に詳しく見ていきます。

   四人の中にも、美くしき
   我花嫁……いと若かき
   其の頬の色は消失せて
   顔色の別(わ)けて悲しき!
   嗚呼余の胸を撃つ
   其の物思はしき眼付き!

花嫁

3字下げた冒頭6行で、まずは一気に「花嫁」の哀れさに対する「余」の思いをぶつけていきます。

「第一」には「蕾の花なる少女」とありましたが、ここでは抽象的に「美くしき」と表現しています。「余」は、どこが好きとかではなく、「花嫁」の美貌そのものに強く魅かれているのでしょう。

「生死を誓ひし」はずの「数多ある壮士等」について、同囚の三人以外は一言も触れていません。同囚の三人も「我花嫁」に比べると軽く扱われています。とにかく「余」にとって「花嫁」との関係が極めて密接なのでしょう。『近代文学大系』の「注」には、〈「……」は熟視の間か〉とあります。

何ら成すこともないまま、あまりに「若か」くして、「花嫁」も「花婿」も捕われます。その失望感を、女性である「花嫁」はより差し迫って身に沁みているようです。

「物思はしき眼付き」は、もの思いに耽っているいるような目つきのことでしょう。「補注」には次のように記されています。

〈物思いとは後悔と反省か。自己の行動に自信を持たず、疑いに包まれることか。物思いたげな眼つきでなく、「余」に対してせめて同室であることの喜びを訴え、互いに力づけ合おうととする眼つきでないところに、「花嫁」の側にある「余」との断絶感が見られる。

あるいは、その断絶感の存在を信じる「余」がいる。ゆえに「余」はただ胸を撃たれるだけで、「花嫁」を力づけようともしない。同志として共に嘆き怒るのでなく、その楽しかるべき将来を捨てさせ、不幸な境遇に引き入れた者としての罪の意識を持ち、心に負い目を感じつつ、ただながめる。

「我牢獄」(「白表・女学雑誌」320号、明25.6.4)の「恋人の姿は我前にあり、一笑して我を悩殺する昔日の色香は見えず、愁涙の蒼頬に流れて、紅ゐ闌干たるを見るのみ」では、それがさらに明確である。

透谷自身がいだいた妻への罪意識の早い現われと見ることができよう。「三日幻境」では、ミナ夫人をさして「わが頑骨を愛して我が犠牲となりし者」と呼んでいる。

また、実生活における透谷は細かく妻を気づかう夫であった。ミナの回想に「……それにどんな事の間でも私と舅姑との間をよく保護してくれました。私は今でもそれを思いましては、泣いて感謝して居ます。」(「『春』と透谷」、『早稲田文学』明41.7)とある。〉

「楚囚之詩・第四」① 花嫁

 きょうから「楚囚之詩・第四」に入ります。3字下げの6行に始まり、全30行の作品です。

   四人の中にも、美くしき
   我花嫁……いと若かき
   其の頬の色は消失せて
   顔色の別(わ)けて悲しき!
   嗚呼余の胸を撃つ
   其の物思はしき眼付き!
彼は余と故郷を同じうし、
 余と手を携へて都へ上りにき――
京都に出でゝ琵琶を後にし
 三州の沃野(よくや)を過(よぎ)りて、浜名に着き、
富士の麓に出でゝ函根(はこね)を越し、
 遂に花の都へは着(つき)たりき、
愛といひ恋といふには科(しな)あれど、
 吾等雙個(ふたり)の愛は精神(たま)にあり、
花の美くしさは美くしけれど、
 吾が花嫁の美は、其(その)蕊(しべ)にあり、
梅が枝(え)にさへづる鳥は多情なれ、
 吾が情はたゞ赤き心にあり、
彼れの柔(よわ)き手は吾が肩にありて、
 余は幾度(いくたび)か神に祈(いのり)を捧(ささげ)たり。
 左(さ)れどつれなくも風に妬(ねた)まれて、
  愛も望みも花も萎(しお)れてけり、
一夜の契(ちぎ)りも結ばずして
花婿と花嫁は獄舎(ひとや)にあり。
 獄舎は狭し
 狭き中にも両世界――
彼方(かなた)の世界に余の半身あり、
此方(こなた)の世界に余の半身あり、
彼方が宿か此方が宿か?
 余の魂(たま)は日夜独り迷ふなり!

石坂ミナ

きのう見た「四人」の中の一人である「花嫁」の境遇を過去と比較しながら語ろうとしています。

ちなみに透谷は、大井憲太郎らの朝鮮革命計画の資金獲得のための強盗団への勧誘を断り、筆の力で政治目的を達しようと心を固めた1885(明治18)年の夏、一人の女性と知り合います。

当時、共立女子学校の生徒だった、石坂ミナです。

1887年8月には、「≪北村門太郎≫の一生中最も惨憺たる一週間」と自らいうように、ミナとの間に激しい恋愛感情が生まれて、懊悩の末、神に帰依しようという念が突然湧き起ってきます。

翌1888年の3月には日本基督一致教会所属の数寄屋橋教会で受洗。11月には石坂ミナと結婚しています=写真。透谷19歳、ミナ23歳。

『楚囚之詩』は、結婚の5カ月後に出版されていますから、当時は、透谷自身、花嫁花婿の暮らしにあったことになります。

「楚囚之詩・第三」⑤ 四人

 「楚囚之詩・第三」のつづき、きょうは最後の8行を読みます。

四人は一室(ひとま)にありながら
 物語りする事は許されず、
四人は同じ思ひを持(もち)ながら
 そを運ぶ事さへ容(ゆる)されず、
各自(かくじ)限られたる場所の外(ほか)へは
 足を踏み出す事かなはず、
  たゞ相通ふ者とては
  仝(おな)じ心のためいきなり。

四天王

『近代文学大系』の注には〈壮士等四人だが、成心なく読むと、「余」を含めて四人のようで、「余」が壮士等と一体になっているように感じられる。禁制が、個室に入れられたり柱につながれたりする物理的なものでなく、単に心理的な圧迫にすぎない点、すなわち物理的には可能なことを禁じられているというのは現実の牢獄としては不自然であるが、こうした状態は精神にとってはいっそうはなはだしい苦痛となる〉とあります。

「第一」に「中に、余が最愛の/まだ蕾の花なる少女も、/国の為とて諸共に/この花婿も花嫁も。」とありました。

「第三」に以前出てきた「山頂の鷲」のイメージの中にも、ここに記された「四人」の中には「花嫁」も含まれていることを考えると特別の印象を与えます。

「四人」としたことには、作者の何らかの意図があったとも想像できます。多聞天・増長天・持国天・広目天の四天王は、ある分野で特に優れたカルテットを指します。

サッカーの世界では、ジーコ・ソクラテス・ファルカン・トニーニョ=セレーゾを黄金のカルテットとして讃えました。

音楽で四人組(カルテット)は、四重奏を奏でますが、中国史で江青・張春橋・姚文元・王洪文の四人組は悪事を成したことになっています。

四界=死界とされるように、4は、死後の世界に通じる数とも言われています。

「楚囚之詩・第三」④ 剽悍なる熊

 「楚囚之詩・第三」のつづき。きょうは14行目からです。

 自由に喬木(きようぼく)の上を舞ひ、
又た不羈(ふき)に清朗の天を旅(たび)し、
 ひとたびは山野に威を振ひ、
剽悍(ひようかん)なる熊をおそれしめ、
 湖上の毒蛇の巣を襲ひ
世に畏(おそ)れられたる者なるに
 今は此籠中(ろうちゆう)に憂(う)き棲(すま)ひ!

クマ

きのうみた「彼等は山頂の鷲(わし)なりき、」の「鷲」である「彼等」のありようについて、具体的に記述されていいます。

なお『近代文学大系』の注には、ここの「彼等」について、一括して叙したため、「余」との関係が具体性を欠き、荘子等の個性が失われた。むしろ入獄時の気持ちとしては、「我等」とする方が自然。「我等」とせずに「彼等」としたために、余と壮士等とは切り放され、余は同じ悩みを悩むのではなく、彼等を傍観して同情するにすぎなくなった、とされています。

「不羈」は、物事に束縛されないで行動が自由気ままであること。「志存済時望不羈」(「題真影後」)、「傲慢不羈なる性は之を父よりもらひたり」「不羈自由の人たらん」(石坂ミナあて書簡)などと、透谷が、「自由」とともに多用したことばです。

「剽悍」すばやい上に、荒々しく強いこと。 福沢諭吉の『文明論之概略』に「其武人の剽悍にして果断、誠忠にして率直なるは」とあります。

「熊」は、動作はのろまにみえますが、走るのは速い。ツキノワグマ、マレーグマ、メガネグマなどは木登りが上手だし、ホッキョクグマ、ヒグマなどは泳ぎが上手です。

毒腺と毒牙を頭部にもつ毒蛇は、①コブラ、アマガサヘビなどアマガサヘビ亜科に属する約180種②ウミヘビ亜科に属する約50種のウミヘビ類③約40種のクサリヘビ類④マムシ亜科に属するマムシ、ハブ、ガラガラヘビなど約120種、大きく四種類に分けられ、①と②がは特に運動神経麻痺をおこし、致命率が高いそうです。ここでは、①か②のイメージでしょうか。

世の中から心服され、敬まわれていた人たちがいま、つらく、心悩ます「籠中」にあるのです。

「楚囚之詩・第三」③ 鷲

 「楚囚之詩・第三」のつづき。きょうは7行目からです。

余は心なく頭を擡(もた)げて見れば、
 この獄舎は広く且(かつ)空(むな)しくて
中に四つのしきりが境となり、
 四人の罪人(つみびと)が打揃ひて――
曽(か)つて生死を誓ひし壮士等が、
 無残や狭まき籠に繋(つなが)れて!
彼等は山頂の鷲(わし)なりき、

ワシ

「心なく」は、ここでは、無心に、ふと、といった意。今まで思いに沈んでいたのか、独房に入れられた者の心地になって「頭を擡げて見れば」、「この獄舎は広く且空し」く感じています。

「四つのしきり」があるということは、「しきり」が四つで五区画ということになりますが、『近代文学大系』の「注」では、次の句を見ると四区画と考えるほうが自然、として次のように記しています。

〈「打揃ひて――」は、「余以外の四人が揃ってそれぞれのしきりの中にいるのが見える、の意か。余を含めて四人揃って同じ牢獄の中にいるととった方が自然である。「――」は次に同一内容を具体的に言い換えることを示す。〉

「生死を誓ひし壮士等」という文句は、「第一」の3行目にもありました。「注」では〈こうした常套的表現の繰り返しに、透谷の政治運動への心情的かかわり方が看取される。余と「生死を誓ひし」の意で、「余」以外の壮士を指すが、入獄時の気持ちとしては、互いに「生死を誓ひし」の意として、「余」を含めた方が自然である。〉とされています。

「籠に繋れて」は、心身ともに拘束された悲憤の情を、籠にとじこめられた鷲の比喩を用いて述べています。

「鷲」=写真、wiki=は、鳥綱タカ目に属する鳥のうち、大形で強力な種に対する呼称です。ワシ類は、開けた草原や岩石地帯にすむもの、大きな森林にすむもの、海岸や湖沼の近くにすむものなどがあり、獲物も哺乳類、鳥類、爬虫類、魚類に及びます。

翼は広くて長く、ゆっくりした羽ばたきをときどき交えて悠々と輪を描いて飛ぶことが多く、イヌワシ類は獲物をみつけると猛スピードで急降下してとらえます。ハゲワシの中には翼開張2.8メートルに達する大きな種もあるとか。

鷲はその飛翔力と雄姿から鳥の王者とされ、広く信仰や尊崇の対象になってきました。ここでは、大いなる思想や志をもった「王者」が籠の鳥となっているということになります。

「楚囚之詩・第三」② 二重の壁

 「楚囚之詩・第三」のつづき。冒頭から少し詳しく読んでいきます。

獄舎(ひとや)! つたなくも余が迷(まよい)入れる獄舎は、
 二重(ふたえ)の壁にて世界と隔たれり、
左(さ)れど其壁の隙(すき)又た穴をもぐりて
 逃場(にげば)を失ひ、馳(かけ)込む日光もあり、
余の青醒(あおざ)めたる腕を照さんとて
 壁を伝ひ、余が膝の上まで歩(あゆみ)寄れり。

檻

「つたなし」には、①愚かだ。劣っている②未熟だ。へただ③運が悪い④見苦しい。みすぼらしい、といった意味があります。ここの「つたなくも」は、不運にも、という意味でしょう。『近代文学大系』の補注には、次のようにあります。

〈捕らえられずに目的を達したかったが運悪く捕らえられたという気持ちで、「誤つて法を破り」と同じ意識から出たもの〉とされています。

「迷入れる」には、権力によって投げこまれたのではなく、自分自身でいつのまにか踏み込んでしまった、というような意識がうかがえます。

透谷の「三日幻境」に、「この過去の七年、我が為には一種の牢獄にてありしなり。我は友を持つこと多からざりしに、その友は国事の罪をもつて我を離れ、我も亦た孤煢(こけい)為すところを失ひて、浮世の迷巷に蹈み迷ひけり。大俗の大雅に双(くら)ぶべきや否やは知らねど、我は憤慨のあまりに書を売り筆を折りて、大俗をもつて一生を送らんと思ひ定めたりし事あり、一転して再び大雅を修めんとしたる時に、産破れ、家廃(すた)れて、我が痩腕をもて活計の道に奔走するの止むを得ざるに至りし事もあり」とあります。

ここでいう「獄舎」とは、自らのうちにある目には見えない「一種の牢獄」でもあるのでしょう。

「二重の壁」からは隔絶感の強さが、「其壁の隙又た穴をもぐりて/逃場を失ひ、馳込む日光もあり、/余の青醒めたる腕を照さんとて/壁を伝ひ、余が膝の上まで歩寄れり」には、外部の世界から隔絶されて「逃場を失」った空間に、一条の日光が自身をいたわるように射している様子がうかがえます。いずれも下敷きに、「シヨンの囚人」があるようです。