Kenji

「宮沢賢治」を少しずつ読みつづけています

きょうは「塚と風」の第6連と第7連、最後の部分です。

  私の考と阿部孝の考とを
  ちゃうど神楽の剣舞のやうに
  対称的に双方から合せて
そのかっぽれ 学校へ来んかなと云ったのだ

  こどもが二人母にだかれてねむってゐる
いぢめてやりたい
いぢめてやりたい
いぢめてやりたい
   誰かが泣いて云ひながら行きすぎる

鬼剣舞

「阿部孝」(あべ たかし、1895-1984)は、東京帝大英文科を卒業後、高知大学の教授、学長などを務めた英文学者です。英国演劇が専門で、1966年に『ばら色のばら』で日本エッセイストクラブ賞を受賞しています。

現在の花巻市鼬弊(いたちべい)にある稲荷神社神主の家に生まれ、花城尋常小学校(花巻市立花巻小学校)、旧制盛岡中学で学びました。小学校では賢治より1学年上、盛岡中学では同期で親交を結んだそうです。

賢治の短歌に「這ひ松のなだらを行きて息吐ける 阿部のたかしは がま仙に肖る」という一首があります。

『語彙辞典』には、次のように記されています。

〈1919(大正8)年1月ごろ、東京帝大在学中の阿部(谷中墓地近くに下宿)を訪れた賢治は、阿部の蔵書であった萩原朔太郎の『月に吠える』(1917)を手にし「ふしぎな詩だなあ」と感想をもらしたといわれる。

それが朔太郎の賢治詩への投影が云々される機縁となっていると思われる。阿部は賢治にとって文学の話ができる数少ない相手の一人であったようで、帰省中の阿部を訪れては自作の詩を読み聞かせ批評を求めている。〉

「神楽」は、神に奉納するため奏される歌舞。かぐらの語源は「神座」(かむくら)が転じたとされます。神座は、神々を降ろし、巫女が人々の穢れを祓ったり、神懸かりして人々と交流する場で、そこでの歌舞が神楽と呼ばれるようになったとされます。

アメノウズメが神懸かりして舞った舞いが神楽の起源とされ、宮中の御神楽(みかぐら)と、民間の里神楽(さとかぐら)があります。

「剣舞」(けんばい)は、ふつう剣を持って踊る伝統芸能。日本では、仙台より北の東北地方太平洋側に広く分布し、鹿踊と一対で伝えられていることが多いようです。

たとえば鬼剣舞=写真、wik=は、岩手県北上市周辺に伝わる伝統芸能で、威嚇的な鬼のような面(仏の化身)をつけて勇壮に踊ります。この踊りの独特の歩行に、反閇(へんばい)とよばれる、修験道の鎮魂の呪術のひとつがあります。

『語彙辞典』では「神楽の剣舞のやうに」とあるのは「神楽(しんがく)」と称する剣を持って踊る山伏神楽の踊りのことで、剣舞自身この「神楽」の影響も強いとされてはいるが、ここで言う剣舞とは、別のものであろう、と推測しています。

いずれにしても、ここでは「私の考と阿部孝の考」とを「双方から合せ」る状態を、「神楽の剣舞」に喩えているわけです。

「かっぽれ」は、「かっぽれかっぽれ甘茶でかっぽれ塩茶でかっぽれ」という囃子詞から、幕末から明治にかけて流行した俗謡と踊りのこと。歌舞伎舞踊の通称としても用いられます。

「母にだかれてねむってゐる」「二人」の「こども」に、「いぢめてやりたい」と繰り返しながら「泣いて云ひながら行きすぎる」というのは、なんともタダならない気配が迫っている感じをあたえたまんま、奇妙なエンディングとなっています。

きょうは、「塚と風」の第5連です。
 
  袴をはいた烏天狗だ
  や、西行、
上……見……る……に……は……及……ば……な……い……
や……っ……ぱ……り……下……見……る……の……だ
  呟くやうな水のこぼこぼ鳴るやうな

烏天狗
 
「烏天狗」=写真、wiki=は、山伏装束で烏のような嘴をもち、自由自在に飛翔することができたとされる伝説上の生物。剣術に秀で、鞍馬山の烏天狗は幼少の牛若丸に剣を教えたともいわれています。

天狗は、仏法を守護する八部衆に属する迦楼羅(カルラ)天が変化したという説もあります。カルラはインド神話に出てくる巨鳥で、頭に如意宝珠、金色の翼を持ち、火焔を吐きつづけて、龍を食うといわれます。

天狗は神通力にも秀で、むかしは都まで降りてきて猛威を振るったとも。鎌倉時代には山伏の姿がイメージされましたが、南北朝時代に入ると怨霊が転じて天狗になる、と考えられるようになりました。

最強の怨霊として知られる崇徳上皇も、怨霊を経て天狗になったとされます。また、「西行」は、仁安3(1168)年にに四国を旅した際、讃岐国(香川県)の善通寺でしばらく庵を結んだことがあって、崇徳院の白峰陵を訪ねてその霊を慰めたと伝えられています。

それが、後に上田秋成の『雨月物語』の一篇「白峰」に仕立てられました。崇徳上皇は死後、大魔王となって天狗の眷属三百の首領となります。そして眷属たちに、人の幸福を見てはこれを災厄に転じ、世の太平を見ては戦乱を起こさせるように命じたというのです。

『雨月物語』には、天狗の眷属三百を率いた崇徳上皇の霊魂が、御陵墓に参拝に来た西行法師に向かって、血相を変えて荒々しくののしる場面が描かれています。

岩手県の野田村にも、西行ゆかりの地があります。文治2(1186)年に、西行が歌枕の地として名高かった「陸奥の野田の玉川」を訪ね、玉川海岸の景色の美しさに魅せられ、しばし草庵を結んだといわれています。

私は行ったことはありませんが、小高い丘の上に位置し、そばに玉川神社があるこの場所は、玉川が流れ込む玉川海岸が一望できるたいそう眺めの良い場所だそうです。

「上……見……る……に……は……及……ば……な……い……/や……っ……ぱ……り……下……見……る……の……だ」。この上ではなく「下見るのだ」と「……」でつづって何を言っているのか、私にはよくわかりません。

ただ、単純に解釈すれば、「わたくしに」対して、「一つの塚とこゝを通過する風とが」こんなふうに訴えかけていて、それが「呟くやうな水のこぼこぼ鳴るやう」に聞こえるということになるのでしょうか。
 

あけましておめでとうございます。賢治の全詩を読もうと2013年12月に始めたこのブログ。丸3年が過ぎましたが、いまだ『春と修羅 第二集』の中ほどあたりをウロツイテいます。

でも、焦らず、休み休みマイペースで、今年も続けていきたいと思っていますので、よろしくお願いします。きょうは、きのうから読み始めた「塚と風」の第2連~第4連です。

  後光もあれば鏡もあり
  青いそらには瓔珞もきらめく

  子どもに乳をやる女
  その右乳ぶさあまり大きく角だって
  いちめん赤い痘瘡がある

  掌のなかばから切られた指
  これはやっぱりこの塚のだらうか
  わたくしのではない
柳沢さんのでなくてまづ好がった

光背

あるとき「一つの塚とこゝを通過する風とが」示した「存在」とはどういうものなのでしょう。そこには「後光もあれば鏡もあり/青いそらには瓔珞もきらめく」といいます。

「後光」は、仏菩薩の放つ光明のことで、仏教彫刻や仏教絵画では必ずといっていいほどこれが描かれます。

仏の光明は色光と心光とに分けられます。色光は仏身から外に向かって発せられる光、身光で、心光は仏にそなわる智徳円満の光、すなわち智恵光をいいます。

仏は内に智徳が充満することによって、おのずから外に光輝があらわれると考えられたそうです。

「瓔珞」(ようらく)は、古代インドの貴族の装身具として使われた、首や胸に、真珠、玉、金属などをひもに通したり、つないだりした飾り。

菩薩像などの仏像を荘厳する飾り具として用いられるほか、日本の寺院では、宝華形をつないで垂れ下げた寺堂内陣の装飾のことも瓔珞といいます。

「後光」も「瓔珞」も、塚と風によって、このとき示された「存在」の姿を比喩的にあらわしているのでしょう。理屈で云々いうのではなく、ここではそれをなんとなく感じ取っておくことにします。

「痘瘡」は、痘瘡ウイルスの感染によって起こる悪性の伝染病。高熱と全身に小水ほうがあらわれて死亡することが多く、治ってもあばたが残ります。

WHO(世界保健機関)の種痘の励行によって1980年に地球上から消滅しましたが、賢治の時代には伝染病として怖れられていたのでしょう。

「柳沢さん」というのはだれなのか?。私には、妹トシの死の翌月、トシによく似た女性を見かけた「柳沢洋服店」のことが連想されました。「青森挽歌」には、

  はげしいはげしい吹雪の中を
  私は学校から坂を走って降りて来た。
  まっ白になった柳沢洋服店のガラスの前
  その藍いろの夕方の雪のけむりの中で
  黒いマントの女の人に遭った。

とあります。
 

いつの間にか大晦日になってしまいましたが、きょうから「一九五 塚と風」を読みます。「1924、9、10」の日付があります。全部で6連から成り、次に見るような2行の前書きがあります。きょうはその前書きと第1連に目を通します。

  一九五 塚と風

          ……わたくしに関して一つの塚とこゝを通過する風とが
            あるときこんなやうな存在であることを示した……

この人ぁくすぐらへでぁのだもなす
  たれかが右の方で云ふ
  髪を逆立てた印度の力士ふうのものが
  口をゆがめ眼をいからせて
  一生けんめいとられた腕をもぎはなし
  東に走って行かうとする
  その肩や胸には赤い斑点がある

角塚

「塚」は、人工的に盛土をした場所のことで、名称は「築く」に由来すると考えられています。墓、祭場、供養のほか、一里塚のように標識として築かれている塚もあります。

塚にはさまざまな伝説がつきもの。多くの戦死者、遭難者らを埋葬したり、供養したところと伝えられる百人塚や千人塚、落武者や山伏などを埋めた七人塚、首塚、山伏塚、行者や修験者が庶民救済のため生きながら入定した場所とする入定塚、行人塚などもあります。

岩手県の「塚」というと、私は奥州市にある角(つの)塚古墳=写真、wiki=を思い出します。日本の最北端に位置する前方後円墳で、「塚の山」「一本杉」とも呼ばれています。標高76メートルの段丘上にあり、出土した埴輪などから5世紀末から6世紀初に造られたと推定されています。

この付近には、高山掃部という長者がいて、その妻は強欲であったため大蛇に変身した。大蛇は農民を苦しめたため、里人は小夜姫という娘を生け贄として差し出すことにしたが、大蛇が現れたとき小夜姫がお経を読んで経文を投げつけると、大蛇は元の長者の妻に戻った。大蛇の角を埋めたところが角塚古墳だ、という伝説があるそうです。

それはともかく、この作品は「一つの塚とこゝを通過する風」とが「あるとき」にあらわにした「存在」の姿を表現しているようです。

『語彙辞典』によると、「この人ぁくすぐらへでぁのだもなす」は、〈この人はくすぐられているのだものね。「この人ぁ」は「この人は」の訛り。「なす」は丁寧な語尾。「ね」「ですよね」に当たる。〉とあります。

また、「髪を逆立てた印度の力士ふうのもの」は、〈杉等の樹木(樹齢を経た巨木であれば、あるいは注連縄等も施されていたとも考えられる)を、褐色の肌をし、上半身は裸で下には腰巻き様の民族衣装を着けた一部のインド人男性に見立てたものと考えられる。〉としています。

「その肩や胸」にある「赤い斑点」というのは、何なのか。樹木が赤い実でも付けているのか、紅葉あるいは、幹をおかした病気か何かなのでしょうか。

 きょうは「一九八 雲」の後半の4行です。

  ……ぬれた夜なかの焼きぼっ杭によっかかり……
おい きゃうだい
へんじしてくれ
そのまっくろな雲のなかから

朝の様子 017

「焼きぼっ杭」とは、焼け木杭のことでしょう。燃えさしの切り株や焼けた杭のことで、棒杭(ぼうくい)が音変化して木杭(ぼっくい)になったようです。 

一度焼けて炭化した杭は再び火がつきやすいことから、過去に関係があって一度縁が切れたもの同士が、もとの関係にもどりやすいことを、「焼け木杭に火がつく」といいます。

とくに男女の恋愛関係についてよく用いますが、ここでは「ぬれた夜なかの焼きぼっ杭」ですから、そう簡単に再燃しそうにはありません。

「ぬれた夜」は、うえのほうにたちこめる「まっくろな雲」が生み出しているのでしょう。

「いっしゃうけんめいやってきた」ことが、「ねごとみたいな/にごりさけみたいなことだ」ったと感じる失望感、やるせない雰囲気を表現する、見事な舞台設定になっていると思います。

「きゃうだい」というのは、実際の兄弟というより兄弟分の意味でしょう。

兄弟分というと現在ではヤクザや芸能界、スポーツ界など限られた社会で使われている感じがしますが、かつては社会の中に「きょうだい」という関係が見られました。

中でも、東北は、家や親類・同族(マキ)とともに、きょうだい・仲間(ケヤク)が単なる友人以上の色濃い役割を果たしていたのでしょう。

しばらく休みましたが、ときどき休みながらもまた、しぶとく、マイペースでつづけていきます。

きょうから「一九八 雲」。7行だけの短い詩で、「1924、9、9」の日付があります。先駆形のタイトルは「雲(幻聴)」となっています。

前半の3行は━━

いっしゃうけんめいやってきたといっても
ねごとみたいな
にごりさけみたいなことだ

どぶろく

「いっしゃうけんめいやってきた」というのは、何のことでしょうか?

この年の夏、酒造りが盛んな「南部杜氏の里」として知られる石鳥谷町(現在は花巻市)を流れる大瀬川の川底から温泉が湧き出ているというので、土地の有志でボーリングをしています。

賢治もそれにかかわって彼らに地質の説明などしていますが、けっきょく温泉発掘はうまくいかなかったそうです。そんなことも、絡んでいるのでしょうか。

「にごりさけ」=写真=は、濁り酒、いわゆるどぶろく(濁酒、濁醪)のこと。炊いた米に、米こうじや酒粕に残る酵母などを加え、発酵させることによって造られます。

どぶろくは、米を使った酒類で最も素朴な形態と考えられます。沈殿濾過させていけば清酒を作ることもできますが、清酒になるほどには漉さずに飲むのです。

清酒に比べて濾過が不十分なため、未発酵の米に含まれる澱粉や、澱粉が分解した糖によって、ほんのり甘い風味と、特有の酸味があるのが特徴です。

口当たりが良いのに、アルコール度は清酒と変わらないため、つい飲み過ぎて悪酔いしてしまいがちです。

明治期に酒造税が制定されると、それまで農家などで自家生産・自家消費されていたどぶろく作りが禁止されました。

しかし、家の中だけで作ることができる“密造酒”的な要素が強いので、なかなか取り締まれず、特に酒を扱う商店などが少ない農村では、かなりの量が日常的に作られ消費されていたと考えられます。
 

 きょうは、「風と杉」の最後の5行です。

南に向いた銅いろの上半身
髪はちゞれて風にみだれる
印度の力士といふ風だ
それはその巨きな杉の樹神だらうか
あるいは風のひとりだらうか

クシュチ

ふつう自然銅の「銅いろ」といえば、金属光沢をもち赤味を帯びた銅赤色。賢治は、しばしば「あかがね」と送り仮名して、どろどろに熱に溶ける銅を、ぎらつくお日さまの比喩にも用いています。

江戸時代には精錬技術が発展して、純度の高い銅を素銅(すあか)、不純物を多く含む銅を山銅(やまがね)と呼んで区別したそうです。

インド、パキスタン、バングラデシュなどで行われているクシュティ(Kushti)=写真、wiki=と呼ばれる伝統武術・格闘技があります。寝技がなく「インドの相撲」ともいわれます。

寺院などに設けられたアカーラー (Akhara) と呼ばれる道場に、砂を盛り、耕してふかふかにした土俵で戦うそうです。

紀元前5世紀ごろアーリア人の南下とともにペルシアの格闘技が伝わり、インド在来の格闘技と融合したものと考えられています。

クシュティの熟達者はペヘルワーンと呼ばれて尊敬され、レスリングの金メダリストもたくさん輩出しているとか。

賢治は、こういった「印度の力士」について、本か何かで知っていたのでしょうか。

大昔から日本では、神籬(ひもろぎ)、御柱など、樹木とくに巨木への信仰がありました。巨木は天と地を結ぶもので、これを伝って神が降臨すると信じられてきたのです。

巨木は生命の根源であるとして呪力を持つと信じられ、神木として信仰する精霊信仰(アニミズム)の風習もありました。

木の神といえば、『古事記』に登場する、イザナギとイザナミの間に産まれた木の神、久久能智(ククノチ)を思い出します。

「クク」は、クキ(茎)で真っすぐにのびる様子を表わすとも、キギ(木々)が転じたともいわれ、「チ」は火の神カグツチのように神霊を意味する接尾詞と考えられています。

「百姓」なのかなんなのか、「ひとをばかにして立ってゐる」ように思えるものは、「銅いろの上半身」を「南に向」け、「印度の力士といふ風」でもあり、「巨きな杉の樹神」や「風」の化身でもあるというのです。

きょうは19行目の「もいちどまばゆい白日輪」につづいて、白日輪のまばゆさをかたどっているのか、十字の点線が施された部分です。

       :
       :
      (ブレンカア)
      (こいづ葡萄だな)
  ……うす赤や黄金……
      (おい仕事わたせ
       おれの仕事わたせ)
       :
       :
       :
  朱塗のらんかん
      (百姓ならべつの仕事もあるだらう
       君はもうほんとにこゝに
       ひとをばかにして立ってゐるだけだ)

葡萄

「ブレンカア」というのが何なのか、私には分かりません。ただ「まばゆい白日輪」に続いて出てきたので、関係ないかもしれませんが何となくブリンカー (blinker)を連想しました。

blinkerはもともと、まばたきする人の意味。競馬、乗馬、馬車などで、馬の両目の外側部分に着けて視野を制限する、遮眼革、遮眼帯の呼び名としてもよく用いられます。

馬の視野はおよそ350度あるそうですが、ブリンカーを着用することで真横や後方の視野を遮り、前方への進行に集中できるのだそうです。

日本は、南西諸島を除くほぼ全域が「葡萄」(ブドウ)の適地。山葡萄については、岩手県は全国一の産地として知られています。賢治はしばしば雲の比喩としても「葡萄」を用いますが、ここでも「雲」と取れなくもないように思います。

「朱塗のらんかん」とは、人が落ちるのを防ぐため柵状に作り付けられた、朱色に塗られた橋や階段のふちのことでしょう。が、「らんかん」には、星や月の光が輝いてキラキラするさまや、縦横に散り乱れるさまを言うこともあります。

この作品の日付のとき賢治は、農学校の教師であり、詩集『春と修羅』を出版して詩人としてのお披露目をしたばかりでもありました。

「おれの仕事わたせ」「百姓ならべつの仕事もあるだらう」というのは、教師として、あるいは芸術家としての自分を「ばかにして立ってゐるだけ」のように映る存在と、心の中で対峙しているということでしょうか。

 きょうは「風と杉」の14行目からです。

杉の葉のまばゆい残像
ぽつんと白い銀の日輪
  ……まぶたは熱くオレンヂいろの火は燃える……
      (せめて地獄の鬼になれ)
  ……わたくしの唇は花のやうに咲く……
もいちどまばゆい白日輪

日輪

「日輪」は、賢治作品にしばしば登場するお日さま、太陽のことですが、前にあった「白金の」などとともに、ここでも「白い銀の日輪」「白日輪」と白いイメージが続いています。

太陽は、内側から、中心核、放射層、対流層、光球、彩層、コロナからなります。このうち光球がふつう太陽の表面とされ、それより内側を光学的に観測することはできません。

光球より上層の、光の透過性の高いところは太陽大気と呼ばれますが、そこはプラズマ化して重力による束縛が弱いため、惑星間空間に漏れ出しているそうです。

照り輝く太陽のことを白日といいますが、「白日輪」にはそれに輪郭的なものが加わった感じがします。

非現実的な幻想にふけることを「白日の夢」、潔白であることを「青天白日の身」といいます。さらに賢治の宗教意識も加わり、「日輪」のイメージは重層的、象徴的で、仏身と同一化しているようにも思われます。

「まぶた」を閉じてお日さまに目を向けると、太陽光がまぶたを透き通るように入ってきます。血の色が透けて赤っぽく見えるようにも思われます。

「まぶたは熱くオレンヂいろの火は燃える」という表現は、まさにそのときの感じがします。

「地獄」は、一般に大きな罪悪を犯した者が死後に生まれる世界。日本の仏教ではふつう、死後、人間は三途の川を渡り、7日ごとに閻魔をはじめとする十王の7回の裁きを受け、最後に最も罪の重いものは地獄に落とされる、といわれます。

地獄にはその罪の重さによって服役すべき場所が決まっていて、焦熱地獄、極寒地獄、賽の河原、阿鼻地獄、叫喚地獄などがあるとか。

 きょうは「風と杉」の6行目からです。

銀や痛みやさびしく口をつぐむひと
  ……それはわたしのやうでもある
    白金の毛あるこのけだもののまばゆい焦点……
半分溶けては雀が通り
思ひ出しては風が吹く
  ……どうもねむられない……
      (そらおかあさんを
       ねむりのなかに入れておあげ……)

カタヤ

「銀」「痛み」「さびしく口をつぐむひと」は、いずれも鋭いものを発しながらも、痛々しく、ひとつ間違えれば崩れてしまいそうな、切れてしまいそうな危うさを内包しています。

「口をつぐ(つぐ)む」には、口を閉じて開かない、話すのをやめることをいうほかに、「口をつぐめぬ者はなかりけり」(太平記・25)のように、口をとがらせてものを言う、という意味もあります。

「杉」と「銀」というと、私は、カタヤ属の常緑高木、銀杉(ギンサン)=写真、wiki=を連想します。

現在では、中国の南部の限られた地域にしか自生していない絶滅が危惧種。長枝型と短枝型があるようですが、分類学的にも分かっていないことが多いそうです。

「白金の毛あるこのけだもの」というのが何なのかよく分かりませんが、詩人は「わたしのやう」でもある、痛々しく存在するものを漠然と見つめているのでしょうか?

「白金」は白い光沢(銀色)を持つ金属で、しばしばプラチナと呼ばれます。化学的に極めて安定していて、酸化されにくいのが特徴。賢治は、煙や雨の比喩としてよく用いています。

すると、ふっと現実へと戻っていくように、どこにでもいて農作物を荒したりもする「雀」が登場します。「半分溶けては雀が通り/思ひ出しては風が吹く」と、調子のいいフレーズが続いていきます。

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