「楚囚之詩・第十三」③ 蒼天深淵「楚囚之詩・第十四」① 鶯

2018年11月13日

「楚囚之詩・第十三」④ 渓

「楚囚之詩・第十三」のつづき。きょうは、最後の8行です。

曽(か)つて我が愛と共に逍遥せし、
楽しき野山の影は如何にせし?
摘みし野花? 聴きし渓(たに)の楽器?
あゝ是等は余の最も親愛せる友なりし!
  有る――無し――の答は無用なり、
  常に余が想像には現然たり、
   羽あらば帰りたし、も一度
   貧しく平和なる昔のいほり。

渓谷

「我が愛と共に逍遥せし」と、故郷の自然が、愛する人との行動と結び付くことによって、さらに親近感と愛おしさが増します。谷川のせせらぎ、鳥の声、木々を吹き抜ける風、確かに「渓」は「楽器」です。

「有る――無し――の答は無用なり、/常に余が想像には現然たり、」からは、事実がどうあれ、信じることによって自分自身を支えようとする姿勢が見られます。疑問形が続いていても、現実の故郷を問うているわけではなかったようです。

獄の中で虚脱状態にあった「余」からすると、「常に余が想像には現然たり」の「常に」という言葉には矛盾、ハッタリのようなものを感じます。故郷を再び自分の支柱とすることができた今の状態を、強調しているのでしょうか。

空虚を満たす支柱ができたものの「羽あらば帰りたし、も一度/貧しく平和なる昔のいほり。」と、現在の苦痛とは対照的な過去へと回帰することへの願望が頭をもたげて来ます。若い「余」の心は、揺れやすく移ろいがちなのでしょう。

「貧しく平和なる」について、頭注では「クリスチャン・ホーム的イメージがあり、家庭生活の平和を失ったと感じる作者の弱々しいうめきが感じられる」とされています。

透谷の「三日幻境」(1892年)に「醜悪なる社界を罵蹴して一蹶(いつけつ)青山に入り、怪しげなる草廬(さうろ)を結びて、空しく俗骨をして畸人の名に敬して心には遠ざけしめたるなり」とあります。「草廬」というのは、草ぶきの粗末な家。作者は、大矢正夫ら自由民権運動の仲間たちとの生活を思い浮かべながら「いほり」と言ったのでしょう。


harutoshura at 20:19│Comments(0)北村透谷 

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