2015年06月

前2回のブログにいくつかの質問が来ていたので、久しぶりに回答です。(※ちなみに前2回のブログはこちら)

「経団連にお願いしてマスコミに圧力をかける」だ?
今回の件、百田氏は悪くない!


【質問1】

> 私たちであればマイクを突き付け、記者の皆さんはボイスレコーダーを突き付けて、音を拾っている。これは結構常識なので、どうか知っておいていただきたい。

これが常識、ですか。 正直、目を疑いました。 これ、盗聴と何が違うんです? 「マスコミだから」許される行為なんでしょうか?
他の部分は特にこれと言って異論も無いのですが、この部分だけは唖然としました。 これを「取材」で片付けてしまうとしたら、少なくとも私の常識に照らすと「頭大丈夫か?」と疑いたくなります。


【回答】

あぁ、これはですね、ちょっと「国会議員」という存在の認識が間違ってらっしゃいます。ええとですね、我々マスコミって、結局「情報を伝達する存在」なわけですね。国民の「知る権利」のために毎日働いています。その国民のために「国を動かす政治家たちが何を考えているか?」ってのは間違いなく大切な情報であって、伝えるべき情報です。
で、今回のケースで言いますと、この会合が行われた場所って、自民党本部のはずなんですね。そこには記者クラブという人間たちがいて、許された範囲で取材をすることが、お互いの合意の下で許可されている場所なんです。
で、この会合は「頭撮り」という、最初の撮影を許されているんですけれど、その後、取材陣がどのように取材をするのかは別に規制はないですし、壁に耳を付けて聞き耳を立てることくらい、当然の行為です。こんなの、どこでもやってることです。盗聴でも何でもないです。
巨大権力を持ってる連中が、裏では何を考えているのかは、むしろ皆さんは「知っておいた方がいい情報」です。どうせ、国会の答弁なんて、官僚が作文書いて読んでるだけなんだから。
マスメディアが「真実はどこにあるのか」を追求するのは当然です。音が漏れてくる範囲に関しては、禁止もされていない以上、聞いておくことは当然の行為です。盗聴器を付けているわけでもなし。何の違法行為でもないです。
むしろ、政治家がオープンな場所で発言する言葉なんて、一つも本音はないと思っておいてください。
今回の件で、自民党の若手のバカ議員が普段から何を思っていたか、よく分かったでしょ?それらを「知ること」が大切です。
いい取材です。これは。認識を改めてください。



【質問2】

マスコミに国民の声は届かない。国民を無視している。そう思っている人は多いと思いますよ。今朝のニュースでも、まるでマスコミ批判が悪いことのように報道していて腹が立った!
は?マスコミはそんなに偉いのか?マスコミ批判したらいけないのか?何様なんだ? 国民は、黙ってマスコミの言うこと聞いとけってことですか?
マスコミには、何も期待していない。最近ではニュースを観るのも嫌になった。ジャーナリストも、サラリーマン。会社にとって都合悪いことは報道できないんじゃないですか。真実を報道しようと頑張ってくれているジャーナリスト、ごく一部の新聞社の声は、その他大手新聞社、マスコミによって押しつぶされる。
マスコミ批判した議員の言葉、それは国民の声でもある。

【回答】

一番多かった質問がこちらのご意見に代表されるように「長谷川さんはマスコミが間違っているとは思わないのか?」というものでした。これは結構言いたいことがあるので、丁寧に言いますね。

まず、この質問、「雑(ざつ)です」。雑すぎます。
「マスコミ」という定義をあまりにもゆったり作りすぎてます。同じような質問をしてきた方々、僕が今から書く文章を読んでおいてください。

「マスコミ」は何種類もあります。

新聞なのか?
テレビなのか?
テレビと言っても、NHKなのか?
民法のキー局なのか?
「公共の電波」を使用していないインターネットテレビなのか?

全部違うんです。そこを全部ひっくるめてはいけません。全部基準が違うので。まず、今回のケースをまとめておきますね。

●不用意な発言をした自民党議員
→アウトです。彼らには国家権力が存在します。法律を動かし、経済界に重要な発言力を持ちます。与党ってだけではなく、野党議員も同じです。驚くほどの権力を持っています。そんな連中が
「経済界に圧力をかけてもらおう!」
となってしまうと、マジでそれくらい出来るのです。人によっては。これはただの「言論の弾圧」です。完全に憲法21条違反ですし、何よりも放送法3条違反です。一つもフォローできない発言です。なので僕は糾弾しました。

●百田尚樹氏
→前回のブログに書いた通りです。一つも悪くないです。彼はただの作家です。そして、講師として呼ばれただけの存在です。そして、陰でこそこそ言ってるのではなく、もともと、彼の主張はそういう主張です。それを聞こうと思って呼んだだけでしょ?百田さんを批判してる人、サヨクか、彼を嫌いな人だけです。理論的には一つも悪くないです。なんか文句あるのなら「理論的」に説明してみ?誰も出来ないから。感情論でギャースカ言ってくるのは面倒くさいのでやめてね。「この新聞をつぶさなあかん!」って、去年、「朝日新聞、潰せ!」って言ってた知識人、ものすごく多くなかった?それと同じです。発言は自由です。繰り返しになりますが、「事実誤認」の部分には冷静に「指摘」すればいいだけの話です。「糾弾」する話じゃあない。

●沖縄の2紙
→これも百田さんと同じです。何一つ悪くないです。要は、百田さんも沖縄の新聞も思考が違うので言い合ってるだけ。どっちも一つも悪くないです。左翼系らしいですが、そもそも、新聞が左翼的に走ることは悪いことじゃないです。もちろん、右全開で行っても全く問題ないです。
大切なことはマスコミと一口に言っても「新聞」は何を書いても自由です。ウソはダメです。ウソはね。でも、思想は人によっても新聞によっても違います。それでいいんです。いろんな人がいるんだから。で、新聞を取ってる人が、「これは…ちょっと違うかも…」と思ったらその新聞社がつぶれるだけの話です。それだけです。なので、つぶれるかどうかは沖縄の人が選べばいいだけの話です。

●偏った放送をしているキー局
→アウトです。これは何度も指摘している通りであって、放送法4条違反です。ただの法律違反です。新聞との違いは、国民の税金を使って建てたスカイツリーの電波を使ってるってことです。要は、私的な会社ではなく、国民の財産なんです。国民の税金を使って利益を得ているわけです。しかも、超独占的に。規制があって当然です。なのに、放送法という規制を無視して、朝日とか毎日が超サヨク的な報道を垂れ流しています。それは違うだろ、というのは僕も何度も指摘している通りです。
これに対処するのは、これも僕が以前ブログで書いた通りですけれど、放送法違反という「法律違反」をするのであれば、放送免許を取り上げればいいだけの話です。全く問題ありません。ただの「法律違反」なんだから。運転免許と同じです。放送免許なんて取り上げればいい。それだけの話です。





【まとめ】

そもそも、今回のケースだけにとどまらず、僕が最も警鐘を鳴らし、危機感を感じているのは、そもそも日本人全体のメディアリテラシー力の無さです。これはもう、絶望的な数値です。こちらのコラムにも書かせてもらったのですけれど、
70%が新聞を盲信…日本人の絶望的なメディアリテラシー力|長谷川豊コラム
皆さん、ちゃんと一度読んでおいてください。
日本人は「何かを言われたら」全部信じちゃうんです。本当に大丈夫か?と聞きたくなるレベル。以下、記事引用しますが、




 2010年度の世界価値観調査によると、「Q.あなたは新聞の情報を信じますか?」という質問に対する日本人の回答では70.6%の人が「信頼する」「やや信頼する」という、とても先進国とは思えない数字が日本人の現実だったりするのだ。(ちなみに、同じ質問をした場合、米国20%台、英国10%台をはじめ、先進国はのきなみ10%から40%台である。当たり前だ。これが)

 日本人は口から涎を垂らしながら、テレビを見て新聞を読み、何も自分で考えずにテレビや新聞の情報をそのまんま信じ込むのである。メディアなぞ、普通の「人間」が作っているものである。

 イデオロギーを持ち、偏見を持ち、差別意識を持ち、金が大好きでキャバクラに行っているおっさんが偉そうなことを書いているのが新聞だ。VTRを作ったらテレビになるだけだ。

 神様でも何でもない。普通の人間が作ってるのだ。しかも、どっちかというと、考えられないほどのステキなお給料をもらい、自分が特権階級だ、と勘違いしまくってる人間が作っているのが日本のメディアである。

 世界のどこの国であっても、メディアという存在には一歩引き、あくまで「参考意見」として接するのが当たり前である。当然だ。自分の意見とは、「自分で見つけていくものだから」だ。

 が、70%以上の日本人は、鼻水を垂らし、口を開けっ放しにしながら

「ほえ~~朝日新聞様がああ言ってるんだから、こうなんだなぁ~~」

「ほにゃ~~日テレがこう言ってるし、自民党はエライんだにゃ~~」

 と言ってるのである。はっきり言って……

 信じられない国だ(涙)!  (引用終わり)



百田氏が何を言ってもそれは「百田氏個人の意見」でしかないんです。沖縄の新聞が何を言おうが、同じです。それはその新聞の意見です。でも、「公」の力を持つ国会議員や東京のキー局が同じことしちゃダメです。

でも、それ以上に悪いのは「何でもかんでも信じちゃう日本人の頭の中」です。これはよく覚えておいてください。その基本を押さえておけば、色んな勘違いがなくなります。大切なことは誰がなんと言おうが、ちゃんと勉強して汗を流して、「自分の意見を持つこと」です。少なくとも、僕はそう思っています。



こういう件があると、エキセントリックな連中が暴走するので、見ていて不快になる。
もちろん、私個人が不快になる程度であれば問題ないのだが、行き過ぎているのでさすがに指摘したい。

もともと、自民党の若手の勉強会に百田氏は「講師」として招かれただけだ。要はただの「文化人」であり、「自由に発言してください」という依頼の下、自民党の若手たちに「お話をしただけ」に過ぎない。

当初、私はマスメディアにもオープンにしていた会合かと勘違いしていたのだが、よく聞くと、最初のシーンだけを撮影させて(これを「頭撮りだけ」という)、その後はクローズドにしたそうだ。百田氏もその他の議員たちも、これで油断したのだろう。
当然、私自身も何度もやっていたことだが、「頭撮りだけ」を依頼されて、そのまま「頭だけ撮って本当に帰る」記者はいない。通常、壁の外で耳を傾け…というと聞こえはいいが、要は壁の隙間に、私たちであればマイクを突き付け、記者の皆さんはボイスレコーダーを突き付けて、音を拾っている。これは結構常識なので、どうか知っておいていただきたい。

しかも、あんな狭い部屋なのにわざわざマイクを持って話をしていたそうだ。ああいった会合は、基本は地声でするものだ。今回のケースは色々と抜けていたと言わざるを得ない。

もちろん、前回のブログで指摘したように、国会議員たちは厳しく追及されるべきであり、勉強会の主催者である木原氏は1年間の役職停止処分となった。当然である。誰かは責任を取らなければいけないことは明白だ。私も厳しく言及した。それは…

国会議員という強大な権力を持つ人間が、言論に対してスポンサーを動かすなどという卑怯な手段を使おうとしたからだ。

安保法制に関しても沖縄に関しても、ちゃんと勉強して追求すべきは追求し、批判すべきは批判し、主張すべきは主張すればいいだけだ。正しいこと言えれば、国民も少しづつでも理解してくれる。
しかし、しょぼいことをやってたら、自民党全体がこうして攻撃されるきっかけとなる。俗に言われる「オウンゴール」というやつだ。なので、私も怒った。

しかし、だ。

これも前回のブログで指摘した通りなのだが、百田氏に関しては話が全然違う。百田氏は、素人でもリップサービスと分かる部分を除けば、大枠に関して、「議論の余地のある提言」をいくつもしてくれている。それらを全部無視して、今度は逆に鬼の首を取ったように左翼軍団がギャースカ言っているのを見ると、質が低すぎてバカバカしくなる。特にこのニュースには厳重に抗議したい。

百田氏発言「断じて看過できない」 沖縄選出国会議員らが抗議声明

明白にジョークの範囲内で言った百田氏の「沖縄の(主要新聞)2紙はつぶさなあかん!」といった言葉にかみつき、なんと沖縄選出の国会議員5人が連名で

「看過できない!」
「発言撤回と2紙への速やかな謝罪を求める!」

という書面を送ったそうだ。おい、この5人、はっきり言って申し訳ないが、




そんなバカなら、国会議員なんてやめろ。税金から毎年3000万円以上ももらってんじゃない。




よく聞け。もう一度、前回のブログと同じことを言う。「言論には言論で対処する」のが民主主義国家の最低レベルのルールだ。百田氏の発言にいくつもの誤解や誤りがあったのだろ?だとしたら、

「この発言のこの内容は事実と違うのです」
「その事実を示す根拠はこのデータであり、この図や表で証明できるのです」

と丁寧に「説明すればいいだけ」の話だ。繰り返すが、巨大な権力を保持する国会議員の、その権力を侮っていないか?百田氏はただの一文化人だ。百田氏がジョークで「つぶさなあかん!」といったところで、

つぶれるわけないだろ!

実際、ジョークである証明に、百田氏がその発言をした直後、会場では笑いが起きている。つまり、現場の雰囲気を読んだ百田氏のウィットに過ぎないことは間違いない。その程度もわからずに真に受けて「抗議」とかしてるから、長尾議員に

「左翼に染まってる」

と指摘されるんだ。それほどの権力を持ってるくせに冷静になれないのか?その程度なのなら国会議員なんぞやめちまえ。税金がもったいない。

繰り返す。百田氏の発言に事実誤認があるのであれば、こうやって注目を浴びている今こそ、「説明する」最大のチャンスである。このチャンスを使って、冷静に、史実と、それを言いっぱなしにするのではなく、実際の資料などを提示し、国民に理解を求めるチャンスを百田氏はくれたともいえる。

実際に沖縄タイムスが百田氏にインタビューをしているのだが、百田氏の回答は実に明快で、分かりやすいものだ。納得できる返答が多々ある。百田氏の言ってることは私は理解できる。こちらだ。皆さんも見ていただきたい。

百田尚樹氏に一問一答 「沖縄2紙は嫌い」「つぶれてほしい」(沖縄タイムス)

これらの百田氏の疑問や指摘は、論理的には納得できるものが多い。細かい揚げ足取りも悪くはないのだが、大枠では言いたいことは十分わかる。沖縄選出の議員や沖縄タイムスは、これらに対して「感情論以外」で冷静に反論すべきだ。そうでなければ、議論が深まらない。普天間の問題は「沖縄の問題」ではない。「日本全体の国防にかかわる問題」なのだ。



国会議員が「スポンサーに圧力をかけよう!」と言ってるのと
沖縄の議員が百田氏に「謝罪しろ!撤回しろ!」と言ってるのは全く同じである。



国会議員には「国を動かす力」というとんでもない権力が与えられていることをもっと理解して、冷静で落ち着いた対応をお願いしたい。少なくとも、一人の作家とは次元が違うのだ。今回の一件、「サヨク軍団」も「回れ右!軍団」も、両者ともやれやれである。





完全にアウトだ。支持率はさらに下がるだろう。おそらく、35%前後までいくのではないか?このままでは、本当に「危険水域」と言われる20%台が見えてきてしまう。

25日、自民党本部で「安倍総理に近い」とか言われている、要は安倍さんにオベンチャラを使う軍団が集まって、最低のヨイショ集会を開いたそうだ。党本部で開かれたその集まりは「憲法改正を推進する勉強会『文化芸術懇話会』」と銘打たれ、作家の百田尚樹さんも招いたとのこと。これがその記事だ。

自民党:安保法案で報道批判続出…改憲派の勉強会 (毎日新聞)
「沖縄の地元紙、左翼に乗っ取られている」 自民勉強会 (朝日新聞)

毎日新聞も朝日新聞も大喜びだ。当然だ。
百田さんは文化人でしかない。そもそも、過激な物言いが通常の人だ。
「沖縄の二つの新聞はつぶさないといけない。あってはいけないことだが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば目を覚ますはずだ」
と発言したそうだが、それは百田さんなりのリップサービスを含むことは、常識のある人間であれば分かる話だ。が、出席した議員までもが、完全に調子に乗ったのか、あろうことかマスメディアの前で

「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働き掛けてほしい」
「悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい」
「(沖縄は)左翼勢力に完全に乗っ取られている。沖縄の世論のゆがみ方を正しい方向に持っていく」

などと発言したそうだ。

私は繰り返し述べているように、安倍政権のここまでを基本的に支持している。今回の安保法制に関しては、堂々と憲法改正動議に持ち込んでほしいと思ってはいるが、それでも、世界情勢からみて、「そういうナァナァな部分があっても理解すべき部分はあるのではないか?」と、このブログ上でも再三、提言してきた人間だ。

そんな私であっても、これらの大馬鹿発言は1ミリも同調できないし、本当にこれらの発言をしたのか、にわかに信じられないレベルの内容である。連中は本当に「安倍政権の応援者」なのか?民主党や共産党議員から金でも貰ってるんじゃないか?思わずそう疑ってしまいたくなるほどだ。

最大の問題はこのバカ議員たちが、明確に「憲法を読んでいない」ことだ。安倍政権を支持している人間の多くは、現在の憲法9条に問題意識を持ち、「日本人として誇りを持てる、新しい憲法にしてくれるのではないか?」という期待とともに安倍総理を支持している人間が少なくない。

アメリカに押し付けられた日本国憲法は、戦後70年もたっても日本を「負け犬」として繋ぎ止めるべく、首輪とリードで今もガンガラ占めにしている。私は、第1次安倍政権がスタートしたときに安倍さんが言った

「戦後レジームから脱却しよう!」

という言葉が好きだ。もう70年もたっている。もう「戦後」じゃあない。なのに、「負け戦のままのシステム」が生き残っている。それを乗り越えよう!と言ってくれた戦後初めての総理だった。

このバカ議員たちは安倍総理の著書やインタビューを、ちゃんと全部読んでいるんだろうな?本当に応援する気があるのか?それとも、おべっかだけを使って、覚えめでたく、次の選挙でも当選したいだけじゃないのか?

「マスコミを懲らしめる」?
「スポンサーに圧力」?
「経団連さんにお願いする」だぁ?

朝日新聞、毎日新聞、今回は全面的に支持する。遠慮はいらない。気を使って、この発言をした議員たちの名前を伏せているようだが、名前を出していいんじゃないか?このバカたちの実名、全部記載してくれ。

改めてだが、今更過ぎる文章をコピーペーストしておく。自民党の党本部のトイレにでも張っておいてほしい。


日本国憲法21条
1.集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
2.検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。



民主主義国家の根幹である、表現の自由を高らかにうたった、我々にとって最も大切な1文だ。これを汚すのなら、私のみならず、日本にいる全ジャーナリストが牙をむくぞ。その覚悟はあるんだろうな?

今回の安保法制も、安倍総理を本気で支えたいのであれば、方法はたった一つしかないのだ。
何よりも「丁寧に説明する」ことだ。
言論に対しては言論で対応するのが民主主義国家の、最低レベルのルールである。自分たちの「説明能力不足」を逆切れしてる暇があったら、同じメンバーでちゃんと時間を作れ。私がティーチングに行ってやる。結構な金はとるが、プロとして「説明とは何か?」「伝えるとは何か?」を懇切丁寧に基礎から教えてやる。めちゃ厳しいが。

安倍政権はまさに今、最大の正念場を迎えている。
支えたいのなら、とにかく、謙虚に、とにかく誠実に問題に向かい合うしかない。

聞くところによると、本当かどうかわからないが、小林よしのり氏の勉強会もツブされたと聞く。自民党議員の中で、小林よしのり氏と同じだけの勉強をしている議員がどれだけいるんだ?話を聞いても、同じ思想になる必要なんてない。小林よしのり氏がどうしてあれだけ支持されるのか?どう勉強して、今の考え方に至っているかを聞くだけで、十分な勉強になるはずだ。その姿勢だけでも学んだ方がいい。

そのただ意見を聞くだけの「勉強会」を中止?迷走しすぎだろ。

すでに、読売が41%、朝日が39%と、支持率もかなり下がってきた。両社の数字がここまで近い以上、ほぼ正確なデータなのだろう。こんなくだらない動きが報じられ、どう考えても、これからどんどん支持率が上がるとは思えない。

さて、苦しい展開だ。どうなるか?




久しぶりに日本語について。
本日(6月25日)のライブドアニュースのトップページにこんな記事が出ていました。

意外と知らない! 「下さい」と「ください」の違い

記事内容をまとめると、「クダサイ」には2種類の意味があり、英語で言えば「give」と「please」の意味がある、とのこと。で、「give」の時は「下さい」と漢字で表記し、「please」の場合は「ください」と平仮名で書く、と。で、

「また「下る」は字の如く、高い地位の人から下げ渡される意味もあり、漢字で書く「下さい」は、上から目線の言葉になりかねません。
特にご年配の方と関わる際は、注意しましょう。」


とか書かれてるんですけれど…

いや、ホント…(涙)

僕は先週だけで3本のティーチングをして、「日本語について」や「伝え方」、「プレゼンの方法」などを各地で教え回っているんですけれど、その最初に必ずみなさんに言うことがあるんですよね。それは…

世の中、ウソばっかだから、ホントにそういうの、聞かないでくださいね

ということなんです。
本屋さんに行くと、あるでしょ?「お前、誰なんだよ?」的な人が書いた「伝える本」とか、「正しい日本語本」とか。もうね、僕らから見ると、ほとんど失笑モンなわけです。いや、お前ら誰だよって。どうか、僕のブログを読んでいる人だけでも、そういう「知ったか君」たちの言うことをマトモに取り合わないようにお願いしたいと思います。

まず、答えを先に言っておきますね。

「ください」と「下さい」に関しては、大した決まりはないので自由に使ってください。

はい、これが正解です。日本語というものは、誰だか分からない「自称:マナー講師」とかが勝手にいじっていいものではありません。こういった「知ったか軍団」の言うことは無視しておいてください。

歴史を言いますと、昭和28年に「ください」は、全部平仮名で書くように、という基準をちゃんと文部省(当時)が出しています。その当時は「全部平仮名」が正しかったんです。
でも、昭和48年にこの記事のもとになっているように

「give」=「下さい」(漢字表記)
「please」=「ください」(平仮名表記)

という、一応の基準が示されます。なので、一見すると、元記事さんが合っているように思えたりするんですけれど、この元記事さんはその文部省の基準をちゃんと調べていなくって…

これ、あくまで【公用文章における基準】なんです。

要は、政府の文章(国会議事録など)であったり、区役所や市役所で正式な文章として使われる文章として一応の統一をしただけであって、明確に「一般人が書く文章」に関しては『規定なんてものは存在しない=どっちでもいい』っていうのが正解なんです。皆さんのお手紙とか、公用文じゃないでしょ?

間違っても、目上の人に「下さい」と書けば「見下してる」なんてことはあり得ません。この記事主さんはただの勉強不足です。





何でもかんでも、「これが正し日本語でぇ!」って言う変な人たちは多いんですけれど、そもそも、「正しい日本語なんてものは存在しない」と思っておいてください。昔も書きましたけれど、

東京の言葉は「正しくて」福島県の言葉は「間違った日本語」

なんてことは絶対にありえません。基準が示されているケースはありますが、「言葉」というものは「より正確に伝わる方がいいよね~」程度のものです。なので、年代によっても地域によっても性別によっても全部形は変わります。それらを

「これが正しい日本語で、あとは間違ってんだ!」

というのは傲慢以外でも何でもなくて、「出来るだけ統一の基準を設けるとしたら…」程度の基準を作れるのも、日本では文部科学省くらいです。我々アナウンサーでも、勝手にそれぞれの局で統一のものは作っていますが、それが「正しい」のではなくて、「うちの局はこちらの統一でいきましょうかね~」程度のものです。

よく言うジジーやババーが
「最近の日本語は乱れとる!」
って言うのは、翻訳すると、
「お前ら、若くて元気で羨ましいわい!」
となります。聞く価値のある指摘ではありません。無視してください。そして、しつこくくだらないことを言ってるなら、
「正しい日本語もいいけれど、お前らが作った国の借金1000兆円の『正しい』返し方でも教えてクダサイ」
とでも言っておいてください。




日本語なんて、僕が言うのもなんですが、もっとリラックスして自分勝手に使ってもいいものです。勝手に自分の基準を作って「これが正しい」って言ってくる人、結構いるんですけれど、大半は知ったかです。あんまり相手にしないでおきましょう。

そんな訳で、僕のブログはリラックスして書きまくっているので毎日誤字・脱字だらけです。気にしないでクダサイ。



国会の会期がまさかの9月27日までの延長。
おいおい、通常国会が95日も延長って…。通常国会が終わったら即、臨時国会ですかという感じ。今年は政治部の記者さんたち、大変な夏になりそうで可哀想だなぁ…なんて考えながら、ヤフーに出てたこちらのニュース。




恋愛が面倒… 恋人いない男女の37%「恋人いらない」(朝日新聞デジタル)

恋人がいない若者の4割弱は恋人が欲しくない――。内閣府が22日に公表した「結婚・家族形成に関する意識調査」で、こんな若者たちの「草食」ぶりが示された。欲しくない理由として半数近くが「恋愛が面倒」という回答を選んだそうだなんでも。調査結果の一部は、22日に閣議決定された2015年版の少子化社会対策白書に盛りこまれるそうだ。




なかなか面白い視点だし、突っ込みどころ満載の内容なので昨晩の「報ステ」から今朝の「めざまし」まで、至る所で特集が組まれていた。皆さんも見た方も多いかもしれない。
が、そもそも、こんな若者の「適当すぎる言い訳」を真に受けて特集作ってどうするのだろう。私はこの日本人の「優しく理解してあげ過ぎる」ところに不安を感じる一人だ。
「面倒くさい」?
笑わせる言い訳だ。99%の方々が分かった上で口にしていないことを、あえてはっきり言わせてもらうが…

魅力がないから恋人が出来ないだけだ。

バカバカしいにもほどがある。
「夢を追いたい」
「仕事に集中したいしぃ…」
仕事と恋人との交際は同時に出来る。何の問題もなく出来る。と、言うかその程度が同時に出来ない人間は間違いなく仕事も出来ない。何に優先時間を置くのか、デートの時間までに、何の仕事を終えなければいけなく、その最短の順序はどうなのか?それらを考えることも十分な鍛錬になる。
夢などは、むしろ恋をする相手がいた方が圧倒的にやる気になる。私の番組で共演している苫米地英人先生の本にも明確に書いてあるが、人間は恋をするとフェニルエチルアミンやドーパミンといった興奮分泌物が脳内に出ることが分かっている。これらは人間の基礎能力を高め、集中力を高める効果を持っている。さらに女性にはオキシトシンも分泌されやすくなるため、相手に対する思いやりや洞察力が高まり、人間関係をスムーズにさせる効力がある。

仕事も夢も、恋愛しながらの方が圧倒的に有利になる。

これはもう、生物学的に世界の常識だ。もちろん、これらはあくまで脳科学的な理屈であって、みんな、うすうす気づいているはずだ。恋愛をしているときの方が、よほど仕事もうまくいくケースが多いことが。

要は、若者たちの「恋愛は面倒くさいんです。仕事に集中したくて」という言葉は、ただの「言い訳」なのだ。
では、一体何の言い訳をしているのか?
簡単だ。自分が恋愛をしたくても、その自分自身に魅力が足りなく、自分がダサくて負け犬なことを認めたくないのだ。クラスメイト達は恋愛にいそしんでいるのに、自分は好きだった子に振られ、何度告白してもうまくいかない。

それは自分がクラスメイトに劣っているからであり、より優れた魅力を持つクラスメイトに、女の子は引き寄せられているだけなのだが、「生まれつき優劣がついている」という、残酷ながらも当たり前の状況を認められないのだ。最近の小学校・幼稚園の教育を見ていると、みんなも納得できるだろう。

これはもう日本全国で同じなのだが、例えば、幼稚園で「桃太郎」を演劇発表したとしよう。

普通に「桃太郎さん」が5人登場するのだ。
そして、「キジさん」も「猿さん」も「犬さん」も5人ずつ登場するのだ。これらは桃太郎さんとほぼ同じセリフの量であり、鬼を退治しに行くのだが…なんと、やっつけられる鬼さん役だけは

なんと先生がやってたりするのだ(もしくは鬼さんが悪くない設定になっていることも)。

みんな平等にぃぃぃ~~~
みんなで仲良くぅぅぅぅ~~

この教育をすべて否定するつもりはない。教育委員会にも面倒くさいキチガイペアレンツがジャンジャン電話をかけてくる。恋愛などよりもリアルに面倒くさい。せめて小学生までは差をつけずにってのは、逃げの一手としてはしょうがないとも思う。

が、世の中はもっと残酷だ。
本来、それを教えるのも、学校の大切な役目だったりするのだ。

イケメンの田中君は桃太郎でいいんだってば。
ガキ大将の山田君は鬼さんでいいんだってば。
金持ちの鈴木君は犬でいいし、足の速い渡辺君はキジさんでいいのだ。

カゲが薄く、これといった特徴もないハセガワ君なんて、バックの「木」でいいのだ。そうやって残酷な社会を、まだ抵抗力の強い子供のうちに学んでいくのだ。僕なんて、ご覧の通りサル顔、ゴリラ顔だったから、小学校時代にブスな同級生女子たちに付けられていたあだ名は「青ゴリラ」だったぞ?青いジャンパーばっか来て行ってたから。

「報ステ」や「めざまし」の特集で、真顔で
「いや~今は恋愛はいいっすね。仕事に集中したいんでぇ」
とのたまっている若者がドヤ顔で夢とかを語っていたが、なんという哀れで可哀想な姿だろう。私には同情の念しかわかなかった。彼らはだませていると思っているのだろうか?自分で自分をだましているように、テレビを見ている人もだませているとでも考えているのだろうか?

そう言って傷つきたくないだけだと、
恋愛を上手く出来ない自分をカッコつけたいだけだと、

テレビ見てるみんなが分かっているのに。

「内閣府の調査で4割の若者が『恋愛は面倒くさい』と言っていることが分かりました」

いい調査だ。要は、そんなに多くの若者が「現状を受け入れることも出来ずに言い訳ばかりしている」ってことが分かったってことだろう。税金を使って行った調査だ。少子化白書にちゃんと生かしてもらえるように切に願う。










元少年Aの書いた『絶歌』という本について、オタキングの岡田斗司夫さんから
「ぜひニコ生でお話を聞かせてください」
というお誘いを頂いたので、今晩、急遽、ニコ生に出演させていただけることになった。良かったし助かった。色々と言いたいことも話したいこともあるものの、ブログでまとめるにはあまりにも字数もいってしまうし、どうしようか迷ってたところだった。

岡田斗司夫さんとは2年近くぶりの再会。楽しみだ。




さて、今週、懇意にしている記者さんと久々に飲み。その場で「dマガジン」について教えてもらい、衝撃を受けたので、早速このサービスについてシェアしたい。

「dサービス(でぃーさーびす)」

DoCoMoが仕掛けた雑誌読み放題サービスだそうだ。もちろん、DoCoMoユーザーでなくても利用可能で、新たにDoCoMoIDを設定しなければいけないものの、利用は誰でも出来るようになっている。

月額が400円。

このたった400円で…「FRIDAY」「FLASH」と言った写真週刊誌から、「女性セブン」や「週刊女性」と言った女性誌、「週刊アスキー」や我らが「週刊Gallop」といった趣味の雑誌、果ては「LEON」や「JYOKER」といったファッション誌まで、

なんと130誌以上が読み放題となる!

ウソみたいなサービスだ。私は仕事がら、毎週のように週刊誌に雑誌を本屋やコンビニで買い漁らなければいけない。以前も書いたが、私はそもそも「イマドキ?」と言われそうだが、紙媒体が好きなので別に不満もなかったし、その時に置いてある他の書籍などを見るのも好きなので気にしたこともなかった。

だが、すでに紙媒体の時代でないことくらい、私でも分かっている。

この「dマガジン」というサービスに、2週前程からあの「週刊文春」が配信を始めたらしい。おいおい、本気で?文春さんはさすがに毎週購入している。毎週400円だ。この出版不況の中、毎週50万部ほどを売り上げる、まさにモンスター週刊誌だ。

その文春さんを読めて、しかも、合計130誌も読み放題で月にわずか400円??儲けは大丈夫なのか?不安になったが、よく聞くと、全く逆の反応が雑誌業界に走っているのだそうだ。

もともと、昨今の雑誌業過は瀕死の状態が続いていた。ある誰もが知っているような人気雑誌であっても、少し前までは「もう廃刊にするしかないかも知れない…」という声がそこかしこで上がっていたのだ。売り上げはどんどん落ち込み、大手出版社の中で赤字を垂れ流す状態が続いていたそうだ。

しかし、この「dマガジン」はアクセス…要はページビュー数に応じて、適切な金額が出版社に対して支払われる仕組みとなっている。例えば、この「dマガジン」でも圧倒的な人気を誇る「FRIDAY」は、かなりの数のページビュー数があるのだが、その数字に応じて「FRIDAY」の講談社に対してかなりの額の金額が支払われている。

その金額は想像しているよりも大きい金額であり、講談社はこの「dマガジン」で相当の利益を上げているのだという。


私は本当に嬉しかった。


私は前職にあった時に、後輩の女性アナたちに
「週刊誌の記者さんを見下すな!彼らの方がよっぽど俺たちよりも上だ!」
と何度も言ってきたことがある。

マスメディアは「コンテンツを作る集団」だと私は信じている。テレビ局は面白いテレビを作り、新聞記者は魅力的な記事を書き、週刊誌の記者はスクープを取り、我々を驚かせてくれる。

しかし、最近のテレビはどうだ?

朝からどの情報番組を見ても、芸能事務所に「あの情報を言うな、あの質問をするな」のオンパレード。結局、何を出来るのかって、自分たちがやったら角が立つということで、1秒の取材もしていない原稿しか読めないアホアナウンサー達が

「○○新聞によりますと…」
「今日発売の雑誌○○によりますと…」

としたり顔で話を続けている。スポーツ紙の1面を紹介して終わるアナウンサーも少なくない。事なかれ主義は結構だが、何を手抜きして…

人のフンドシて相撲を取ってるんだ?

コンテンツを作り、スクープを持ってきているのはまぎれもなく週刊誌であり、スポーツ紙である。それを、汗もかかずにテレビがパクって「情報です」と言っているのだ。それで視聴率を取っているのだ。
本来は、汗をかき、テレビの力を使って情報源に食い込み、
「雑誌でこんなことを書いていたが、事実はもっと深くて、こうなんだ!」
とやらなければいけないところを、恥も外聞もなく、人様の記事と人様のスクープを利用してテレビがいまだに偉そうな顔をしている。

女性アナなんて、全員、週刊誌の記者さんが取材に来てくださったら、まずは頭を下げて「お世話になっております」と挨拶をして名刺交換をするのが人間としての筋だろうが。どれだけお世話になっていると思っているのか。それをなんだよ?いつもの
「広報を通してください」
って対応は。たかだか取材1つできない、生まれつき顔が良かっただけの20代そこそこのバカ女性アナが。傲慢な対応にもほどがある。




話しが個人的感情に流されすぎたが、とにかく私は昔からバカみたいに現場ばかりを走り回ってきたので、同じ現場で汗を流す、週刊誌やスポーツの記者さんたちの方が、よほど取材力があり、構成力があり、何よりもマスメディアの根幹である「コンテンツを作成する能力がある」という事実を知っていた。

と、同時に、その週刊誌業界やスポーツ紙業界が、駅売りの売り上げが落ち始め、非常に苦しい立場に追い込まれていることも知らされていた。彼らを失うことは、日本人全体にとっての損失であると考えていた。

なので、この「dマガジン」の成功には心からの拍手を送りたい。

このお得感は実際に素晴らしすぎる。どんどん契約数が伸びているらしいが当然だろう。これからも飛躍的に伸びることが十分に予想できる。私はこれからも、紙の方も買うには買うだろうが、聞いて即日、契約を終えた。数日使っているが、

マジで尋常じゃなく良い。

これで400円損したわーと考える日本人はかなり少ないと思う。私の場合はガチで仕事で使うので、相当に重宝している。



もう一つ言うと、なんとか低迷が続く新聞社の皆さんにも同じ対応をしてもらいたいと考えている。

新聞社の記者さんも同じだ。現場の取材をしていて、あの対応力、構成力は頭の下がる思いだった。最近、新聞の購読がどんどん下がってきているという。

「d新聞」というサービスを始められないものか。

今、ガンガン流しまくっているヤフーやネットサイトには、最初の3行以上の記事なんて流す必要はない。記者の皆さんが取材した記事(コンテンツ)は確かな価値がある、と私は考えている。もっと高い値段で売るべきだ。記事を読みたい人は、主要5紙を月額500円ほどで読めるサービスを始められないだろうか?新聞各紙がそれぞれでやっているサービスを、横のつながりを持たせるだけだ。そこで、ページビュー数に応じた金の分配を行えばいい。この「dマガジン」のサービスと全く同じだ。出来れば、主要5紙だけではなく、全国紙も加わってほしいところだが…。

紙媒体が弱くなってきていることはしょうがない。もう時代の流れだ。

しかし「コンテンツを作る能力」があれば生き残れる、ということをぜひ見せてほしい。新聞業界も雑誌業界も、横一線で手をつなぎ、ますます成長していってほしいと切に願う。


元少年Aが出版した『絶歌』という本に対して、大変なバッシングが起きている。

もちろんだと思うし、何よりそうあるべきだ。私自身、もともと少年犯罪に対して厳しい態度をとってきた人間なので、発売翌日には本屋に走り、このブログ上で徹底的に叩きのめしてやろうと思ってこの本を購入してきた。
要は資料として、だ。

しかし、前回のブログにも示したように、実際に読んでみると、考えていた内容と違った。読めば読むほど、これは、ひょっとしたら意義のあるものなのではないか?という考えが頭をよぎり、(この本は2部構成になっているのだが)第2部を読み終えた段階で、なぜ批判を覚悟で…と言うよりも、批判されることを分かっていたにもかかわらず、大田出版が出版に踏みきったのかも、少し理解できた気がした。

結論から言う。この本の出版も、この本自体も、そもそも元少年Aも、厳しく否定されるべきである。それは前回のブログにも記したとおりだ。

このような出版物を出すにあたって、犯罪被害者に許可をとりもせずに黙って出版はありえない。言うまでもなく、バッシングされるべきだし、今起きている批判は当然のことである。しかし、その点を除けば、批判的意見の中に、私は決定的に欠けている視点が存在すると感じる。そこを提示したことが、この本の意義だと感じているのだが、以下に、この元少年Aの本を批判する方々に
『決定的に欠けている視点』
を僭越ながら指摘させていただきたい。

前回の私のブログには大変多くのお叱りのコメントを頂いた。それらの批判コメントの中に、
「長谷川は、自分の子供たちが被害にあったら同じように言えるのか?」
というものがあったが、では、私から逆に問う。この『絶歌』を批判している、自称『正義の味方君たち』に問う。悪をネット上で叩きのめすコメントを書き込み、悦に入っている、そこの貴方だ。

「あなた方は、加害者になったときに、同じように質問してくるのか?」

答えていただきたい。私のブログに汚い言葉でいろいろ書いてきた人間、全員答えていただきたい。もう一度聞こう。答えていただきたい。

「あなた方は、『加害者の側になる可能性がある』のだが、それは考えたことがないのか?」

きわめてシンプルな質問だ。大半の「ええカッコしいの偽善者」はこの質問に対して「考えていない」のだ。住民票をお花畑に変更することをお勧めする。自分は一切巻き込まれないとでもカン違いしているのだろうか?




この元少年Aの著書は、前半と後半に分かれている。前半部分、この元少年Aがどのように狂ってゆき、どのような変調を来たし、どのような兆候が見られ、「ごくごくありふれた当たり前の家庭」から、「完全に病気と後に診断される殺人者が生まれる」までの過程を克明につづられている。私がこの第1部で感じた感想、それは…

私の子供たちだって、そうなる可能性がある

ということだった。日本中、誰でも子供がいれば感じる気持ちのはずだ。中には、私に「長谷川は独身なのか」とネットをググれば2秒で答えの分かる低レベルな質問をしてきたバカがいたが、私には3人の子供がいる。親として感じたのだ。

元少年Aの家族に、誰でもなる可能性があるのだ。

この視点を、この本は明確に提示しているのだ。同時に、平和ボケした日本人には、この視点がとても足りないのだ。被害者が語り、被害者が涙を流し、被害者の立場を慮る(おもんばかる)ことは、現代の日本ではとても多くのシーンで目にすることがあるのだが、「加害者側」は日本では、くさいものとして扱われ、蓋をされるために

何もしゃべることを許されないのだ。

日陰で暮らすしかなくなるのだ。

関係のない人間が寄ってたかってリンチするからだ。

しかし、何故みんな気づかないのだろう?「被害者になる可能性」と「全く同じ数」の「加害者になる可能性」がある、という事実に。批判している人の気持ちは分かるが、もう少し視野を広げるべきだ。

自分は正常だ?いや、子供がそうなる可能性があるじゃないか。

自分はちゃんと子育てしてる?いや、元少年Aの家族もいたって正常だしちゃんと子育てしてる。この本、読んでくれ。

この元少年Aは、のちに国が決めた超専門家たちによって徹底的な分析が行われ、その結果、明確に「病気である」と診断されている。なので「医療少年院」に送致されているのだが、

病気というものは…誰でもなる可能性はあるものなのだ。

カン違いしないでいただきたい。この元少年Aは「殺人鬼」ではなく「病気」だったと診断されているのだ。この判断に文句があるのであれば、それはその診断をした専門家に言ってくれ。私にドーノコーノと言ってくるな。

さらに
「被害者の家族のことを考えろ!」
というコメントを頂戴したが…もちろん、そんなこと分かった上で、前回のブログは書いている。被害者家族の思いとは、100人に聞いても200人に聞いても同じである。そう。たった一つだ。

もう、二度と同じような悲劇を繰り返させないでほしい。この一点だ。これは全員が同じことを言うのだ。

犯人を恨んでしまう人も多い。生きる気力を失ってしまうことも多い。だが、何を言っても、もう亡くなった人は帰ってこない。被害者家族を救うべく、我々がするべきことは一つだ。

「同じような悲劇を繰り返させないこと」だ。

その為に必要なことは「知識」だ。それも出来るだけ「正確」な「知識」だ。日本では、加害者側からの告白…特に、このように人を2人も殺しておいて病気だと診断され、治療を受け、その後社会復帰している、という人間は、実はほぼ存在しない。そもそも、人を2人殺した段階で、ほぼ死刑だからだ。

しかし、元少年Aは、生きている。確かに存在している。しかも、専門の医師たちが「病気は治った」と判断できた状態で。

この証言は、まぎれもなく、今の無菌状態大好き日本において「極めて珍しい情報源」だ。

この本の第1部には、元少年の人格が次第に壊れていき、どんどん狂っていき、その過程で、どんな兆候が表れたのか、どんな言動になっていったのかを克明に記してある。性的な興奮を求めて、猫を殺し、エスカレートしていく過程などを、とにかく逃げずに描写してある。

皆さんのそばに、似た兆候の人間はいないだろうか?

情報があれば、人間は対処できる。全部とは言わないが、対処できる可能性が広がることは確かだ。元少年Aはまぎれもなく異常状態だった。完全な病気だった。普通の家庭に、異常な少年が生まれただけだ。何度も私のブログで書いていることだが、1億2700万人も人間がいたら『不良品』は存在する。これは事実だ。

私は、メディアにいる人間なので、被害者の味方をすることで、ええかっこしいをするつもりはない。既にそこに悲劇はあった。で、あるならば、その事実から何かを学ばなくて、どうする?被害者家族に同じことが出来るのか?そんな悲劇があったのに、冷静に分析なんてできる訳ないだろう。我々、まだ一歩引いた目線に立てる人間が、冷静に分析しなくてどうする。

私たちこそが、被害者側にも、加害者側にも立たずに、未来の犯罪を減らすために冷静さをもって分析すべきなのだ。少なくとも、私はそう思っているので、正直な感想を書いたまでだ。



この本には、周囲に潜む可能性のある「異常人間」たちを見抜くヒントが多数記されている。読めば、犯罪の予見につながる可能性が高い。それほどリアルに描いてある。

この本の後半には、犯罪予備軍が読めば、「絶対に犯罪なんてしないでおこう…」と感じてしまう、「犯罪者のリアルな出所後」が記されている。これを読んだ直後に「よし!犯罪するぞ!」となる人間はかなり少ないと思う。こちらも、あまりに苦しい状況がちゃんと書いてある。

印税で儲けようとしている、という想像力豊かな人間が多数いるようだが、それもこの本を読めば、ちゃんと書いてある。この元少年Aは金のためにこの本を書いたんじゃない。いや、むしろ、金に執着がとにかく無い方の人間だ。ご遺族への送金か、迷惑をかけた家族への送金にするのだろう。とにかく儲けたくて書いたわけじゃない。それは明確に書いてある。

以上から、私は、出版社のミスは間違いなく糾弾されるべきだと思いながらも、この本は「最低限の意義」は感じられるものとなっている、と判断した。

以上だ。



「絶歌」読了。個人的な感想を記したい。

余りにも、世間の常識的な反応とはかけ離れた感想になってしまうが…正直に言うと、「読んで良かった」が感想となる。
私に関しては、完全に読む前の考え方は覆された。
批判を覚悟の上で書いた元少年Aにも、大変な批判を受けることを分かった上で出版に踏み切った太田出版に対しても、私は理解をしたい。そう言える内容だった。

まず、文章力・表現力だが、本当はゴーストライターが書いたのではないかと疑いたくなるほどのかなりしっかりした文章である。比喩表現が多少行き過ぎているところが多い気はするが、読み辛いというところまではいっていない。自身の置かれた状況やシチュエーションが目の前に浮かんでくる文章であり、読み応えは十分すぎるほどある。

そして、体験や心情をかなりしっかりと思い出せている。少年院にいる間に、ずいぶん時間をかけて自分と向かったのだろうか…。犯した過ちから背を向け逃げているわけではなく、ちゃんと向かい合っている、と私は判断した。そうなると、彼の「体験」は極めて特異なものであり、そこから紡ぎだされる心情や考え方は「貴重なサンプル」ともいうことは出来る。

本書は2部構成となっており、最初に「あの当時に何があったのか」を中心に話が進み、後半部分に医療少年院を出た後にどのような11年を過ごしてきたのかを記されているのだが、この元少年Aの目から見た凶悪事件への見解や感想なども綴られており、それはやはり大変に興味深い文章だった。私以外にもそこから何かを感じ取れる方々もいるにはいるだろう。

本書を読んでいないテレビのコメンテーターなどが、
「犯罪を誘発するのではないか!」
「印税で犯罪者がもうかるのは許せない!」
と憤っていたが、それに対しては反論したい。少なくとも、犯罪を誘発するような内容のものでは全くない。それは読めばわかる。そして、元少年Aは許しがたい犯罪を犯し、法治国家日本のルールに従って裁かれ、処分を受けた。色々な意見が外野席から飛ぶことは理解はするが、文句があるのであれば、それはご自身が選挙に出馬し、法改正を行えば済む話である。

元少年Aはすでに、日本国の定めるところのルールに従い「罰」を受けている。

それに対して文句が言いたいのであれば、まずは司法に対して文句を言い、彼の更生のために様々尽力した人間たちに言えばいい。それ以上に文句があるのであれば、先ほども言ったように、まずは法を改正すべきだ。少なくとも、罪を犯し、それに対する「罰」を受けた元少年Aが、本も読んでいない外野席のヤジに批判される必要はない。せめて文句があるのであれば、この本を全文しっかりと読んでから言え、と言いたい。本当に、読む前に思っていた通りの感想であるのであれば、だ。

もちろん元少年A、並びに出版元である太田出版は、せめて被害者家族である両ご家族に仁義を通すべきだったとは私でも思う。特に…元少年Aが会いに行けないのであれば、太田出版だけでも、この原稿を持って行った上で、被害者となった当時小学3年生の女子児童のご家族と小学5年生の男子児童のご家族、この両者には絶対に許可を求めに行った方がよかったものと思う。でなければ、いらぬ傷を再び刻んでしまうことになったろう。そこは間違っていた、と断罪されるべきことである。

しかし、それらを考慮しても、この本には読む価値はあると私は思いたい。

元少年Aは、犯した罪と影響の大きさを理解し、慎重に気配りをしながら、それでも「伝えたいこと」がありペンをとった経緯が本書には丁寧に記されている。

私は以前、大手テレビ局に勤めていた時期に、最初についた仕事が「風化しそうな事件を、もう一度検証し直そう!」という企画だった。6年間、延べ300回近く続いたその企画では、100人近い事件や事故の被害者家族と向き合い、苦しい、つらい心境を何度も吐露していただいた経験がある。私もインタビューをしながら何度、共に涙を流したか分からない。

ある日突然訪れる、その理不尽極まりない状況に、ある人は心を閉ざし、ある人は心を病み、犯罪被害者はみな、本当に苦しんでいる。
日本の司法は、現段階では、あまりにもこの「犯罪被害者」に対して軽く扱いすぎいている、というのが私の基本的な日本の司法に対するスタンスだ。そこに罪がある以上、もっと厳しく裁かれるべきことは多々あると思う。
特に現在の日本は、無菌状態が大好きだ。キズモノはどれだけ回復させようと真剣に頑張っていたところで、誰も相手にしない人間が多い。昔のキズモノも同じだ。表面上だけでもピカピカの人間しか相手にしたがらない日本人は少なくない。その考え方や価値観自体が、すでに病んでいるものとも知らずに。

この本を書いた元少年Aは、そんな日本社会の中で、もがきながらもそれでも懸命に生きようとしている。そしてそのカッコ悪い姿をさらそうとしている。そんな人間まで叩きのめして、自分をかりそめの安心に浸らせる趣味は私にはない。

本書には「反省」も多数出てくるのだが、それ以上に、とにかく随所随所に出てくるのは「感謝」だ。人に触れ、家族の温かさを知り、その度に、自分の罪の重さをかみしめる様子が伝わってくる。特に元少年Aのご家族が、とても素晴らしい家族であることがしっかりと綴られている。

繰り返すが、多くの方々が想像している内容とは少し違うと思う。

私は、この本は世に出して良かったと思える内容になっている、と感じた。被害者ご家族も、どうかいつの日かで構わないので、お読みいただきたいと思う。この本を読むことによって、むしろ救われる何かがあるような気がする。それだけの内容になっている。

力を込めた、魂の宿った1冊である、と私は思った。







ふと思いついたこと。
皆さんはどう考えるんだろうか、と。このブログを読んでいる方に伺ってもいいですか?もし本当に安倍さんが…

「憲法改正に踏み切ったらどうなると思います?」

あ!ちょっと待ってください!いや、このままだと、国会の3分の2もいかないだろうし、いったところで国民投票の過半数なんて絶対取れないことは分かってます。それくらい、僕もわかっています。なので、次の状態ってことで考えてほしいんです。

今、国会でとことん言われているのが「この安保法案は違憲なのである!」ということ。要は、憲法9条に違反している法案はダメだろって理屈です。

それをそのまま受け止めてみる。ここはむしろ、真正面から受け止めてみる。

9条の1項は「戦争しませんよ」。そして2項に「なので戦力は一切持ちませんよ」。

今、国会で喧々諤々言われているのが砂川判例なので、砂川裁判をもう一度思い出してみるんです。あれも、実は同じように…

「憲法に照らし合わせれば、日本にアメリカ軍という『戦力』があるのは違憲だろう!」

という裁判だったはずです。で、地裁で当然のように「違憲だ!」って判決が出たので、アメリカ様に怒られて、注意されて、呼び出されて、当時の日本人がビビりまくって、大慌てで高裁をすっ飛ばして、地裁から最高裁に持って行って(←実話)「やっぱし合憲にしますぅ!」って言ったやつです。

考えてみたらすごいですよね。こんなもん、最高裁判決として認めていいもんじゃないレベル。高裁をすっ飛ばしてる段階で、日本の一般的な司法の流れを踏んでないし。

まぁ、それは置いといて、そこで、大真面目に、次のような状況を仮定してみます。


1、安倍さん、逆切れ「じゃあ憲法通りにすればいいんでしょう!」
   ↓
2、国会で維新を取り込んで、3分の2をゲット!国会は通過させる。
   ↓
3、国民投票に持ち込まれた!


お題「日本のこれからを、次の2つのうちから選べ

●憲法9条の2項を削除。自衛隊は軍隊として「国防軍」としてもつ。
●憲法9条の2項にちゃんと従って、自衛隊は解散。そして、日本の国土から全アメリカ軍にも撤退してもらう。



さて、皆さん、どう思います?今の話し合いって、結局、この2択しか結論はないと思うんですよね。僕は前回のブログにも書いた通りで、「なぁなぁの状態」が結局は正解の気がするけれど、面倒くさい国会審議を見ていると、こんなもんに時間を割いている暇があったら、さっさと決着をつけて、少子化対策の審議や財政健全化の道筋を検討する時間にあててほしいと思うのです。

前者は、ものすごく分かりやすくなる。軍隊を持つのは国の権利。中国や韓国と、左向け、左の皆さんがスパークスすることは目に見えてますが、無視します。日本は日本人がみんなで守るのです!国防費、めっちゃ上がるでしょうが、借金で賄います。どうせ1000兆円あるんだし。

後者も分かりやすいです。ウルグイ自治区のニュースは無視します。とにかく、日本は世界に誇る「戦争もしないし軍隊一つ持たないんだ!」という国に生まれ変わるのです。侵略され放題ということは目をつぶります。9条を完ぺきに守ればこうなるはずです。もう2度とオスプレイを大人買いとかしない!



大阪都構想でわかるように、住民投票はある程度分かりやすいことが条件です。この2択は、正直言って納得のできる選択肢でもあります。要は、今の…「自衛隊もあるし9条の2項もあるし」って状態だから、ややこしいんです。他のことも審議しなきゃいけない国会が空転しちゃうんです。

僕…安倍さんが本気でこれをやれば、例の大阪の住民投票ばりの、ほぼ真っ二つに分かれる気がするんですが、皆さんは今の日本だと、どうなると思います?

安倍さん、勝負かけてみてもいいような気もするのですが…。




報道ステーションが一気に活気づいてきた。こうなった時の報ステは強い。しかも、作る力もある。見せる。昨夜の特集も見事だった。これは毎日見なければ…と誘導するテクニックはテレビマンとして参考にしなければいけないレベルのものだ。

「私たちは日本の憲法学者の皆さんにアンケートを実施しました」

古館キャスターの前口上もさすがである。
報道ステーションはみなさんご存知の通りで、現在国会で審議が続いている…と言うよりも、形だけの審議をして、強引に進めようとしていた安保法案について「違憲である」という追及をし続けてきていたわけだ。メディアの役割の、まさに真骨頂である。政権に対して無駄な批判は避けるべきだ、というのが私の個人的な意見ではあるが、こうやって

アメリカ様に約束してきたから日本での審議なんてどうでもいいんです

的な形で重要法案を強引に通そうとするのであれば、それはマスメディアが徹底的に叩くべきである。
話を戻すが、とにかく、報道ステーションの行っているアンケート調査は、実はまだ50通しか帰ってきていないらしい。なんだか切りのいい数字すぎるので、実際はもう少し帰ってきてるんじゃないの?と疑いたくなるが、そんな野暮なことはどうでもいい。とにかく報ステの質問はシンプルだった。

「現在国会で行われている安保法案は『違憲』だと思いますか?」

そもそも、自民党を含む与野党で3人の憲法学者を呼んでおいて、3人ともが
「いや、違憲でしょ」
と意見をそろえた訳だ。あの時の船田さんの顔…(笑)。久しぶりに「テレビ的に面白い顔」を見た。猪瀬さんが追及を受けて、必死で5000万円をバッグに詰めてた時以来の傑作の表情だった。そういや、あの時の5000万円って、本当にバッグに入ったんだっけか?いや、まぁいいや、それは。

と、言うか、長谷部教授でしょ?あの人、そもそもああいう意見の人なんだが…なんで自民党も呼んだんだ?自民党の皆さんは、長谷部教授が書かれた文章を読んでいなかったのか?私は特に長谷部教授と意見がかなり近い人間なので、長谷部教授がああ言ったところで特になんとも思わなかったが、長谷部さんの意見を聞いているときの船田さんにひとこと言いたい。

テレビカメラが回ってる場で、あの表情はやめなさい、あの表情は(涙)。そこらへんのリアクション芸人より面白かったわ。

で、だ。その報道ステーションのアンケート調査。50人からアンケート結果が返ってきて、「まだ途中経過だ」という…なんで途中経過をあえて報じる必要があるのかさっぱりわからないVTRが流れたが、突っ込みも忘れるほど、面白かった。なんと、50人の憲法学者の中で「合憲である」と言ってる人は

たった1人だった。

残りの49人は『違憲である』もしくは『違憲の疑いがある』だった。わずか数分の短いVTRで、報道ステーションは見事に
「現在の国会(安倍政権)は、憲法違反の法案を強引に通そうとしているぞ!」
と報じたわけである。いい追求だ。見ていて痛快だった。

私は報道ステーションや朝日新聞とは政治理念が違う。むしろ反対方向の人間だ。しかし、メディアにいる人間として、こういう力のある追及を見ると、意見や理念は違うが、やはり率直に尊敬の念を持つし、このまま頑張ってほしいと思う。
と、同時に、私は憲法学者ではないので、はっきり言ってしまって申し訳ないが…

「何をいまさら感」がぬぐえない

という指摘もさせて頂きたい。そう。VTRや報道姿勢としては素晴らしいとも思うのだは、やはりもうちょっと前に進んだ議論をしてほしいとも思うのだ。

みんな分かってることだが、憲法9条の2項に照らし合わせれば、とっくの昔に「自衛隊」自体が違憲である。

当時の日本政府はまだ敗戦の色も濃く、アメリカに強硬に逆らえる状況でもなかった。しかし「戦力を持ってはいけない」という無理やりな押し付けは、人間で例えるのであれば「筋トレと運動は一切するな」という指示である。そんなもの自体、人であれば「人権侵害」以外何ものでもない。

歌舞伎町を歩いていて、カツアゲされたら、一切抵抗せずに金を払いなさい
強盗が家に入ってきたら、一切の抵抗をせずに嫁さんがレイプされて殺されてるところを眺めていなさい

ってのが憲法9条の2項の正体である。私は日本国憲法でも、9条の2項は最低の文章だと思っている。

「国」という単位で、「戦力を持たない」というのは、「人間」という単位で「筋肉をつけてはいけない」と言われているだけなのだ。それは周囲がお花畑に囲まれている、スイスのアルプスのふもとに住むハイジちゃん一家にだけ許された憲法である。

9条の1項は理念は素晴らしいと思う。戦争を放棄するの大切なことだ。
だが、すぐ隣にはジョンウンがいるんだぞ?去年1年で86人の幹部をふっとばして処刑した頭のおかしなデブだぞ?歌舞伎町のヤクザのお兄さんたちよりはるかにクレイジーで危険な人物だ。

憲法9条はステキなものなんだ~~~~!と叫び続ける脳ミソのない人たちがたくさんいるのだが、そもそも1項と2項は違いすぎる。2項も含めて素晴らしいと本気で言ってるのか?
「陸・海・空軍、その他の…戦力はこれを保持しない」
アナウンサーだから言うのだが、「戦力」とは「戦う力」である。イージス艦を持ち、ミサイルを常備し、戦車をもって富士山のふもとでガンガン軍事演習を行うあの力は「守るために」「戦う力」であり、明確に

「戦力」

だ。これは憲法学者の皆さんに教えておく。日本語に関しては、アナウンサーである私の方が完全に専門家だ。自衛隊はとっくの昔に「戦力」である。しかし、戦後の日本では無理やりな言い訳を続けてきたのだ。「守る分には軍隊には当たらない」という、「クラブのママとエッチしたけど、それは風俗と同じだから浮気じゃないんだよ的言い訳」を。

9条に照らし合わせて「違憲かどうか」なんて言い始めれば、日本なんてとっくの昔に『違憲しまくり』状態だ。そんなのはみんな分かっている上で、上手いこと『なぁなぁの状態』を保ってきたのだ。所詮アメリカに押し付けられただけの現実的ではない憲法だって分かってるから。北朝鮮も中国もそばにいるのだから。

アメリカも同じだ。本気で竹やりで飛行機を突っついてくる日本人を見て、あの頃はビビったのだろう。イエローモンキーも厄介であることを理解したのだろう。なので、敗戦の直後には占領統治下で9条を押し付けて、戦後教育を押し付けて、徹底的に日本を弱体化させる方向に持って行ったのだが、そもそもアメリカ共和党をはじめあっちの有力政治家のバックには超大手の軍需産業が付いている。全米ライフル協会も同じだ。

日本がアメリカ産の人殺し兵器をたくさん買って下さるのであれば、まぁ、自衛隊でよければ…その程度でよければいいんじゃないか?とアメリカも『なぁなぁの状態』でオッケーしたわけだ。先日もオスプレイを大人買いしたわけだし。
今もまた、アメリカが手のかかる中東情勢に、日本の自衛隊に参加して欲しいからなし崩し的になってきているわけだ。アメリカの経済も、結構厳しい状況になってきているから。
繰り返す。『違憲かどうか』?憲法違反かどうか?で言えば、

『自衛隊』だって違憲だし、
今回の『安保法制』なんて、ハナから違憲に決まってるだろ。

そんなの、最低レベルの勉強をしている人間であれば誰だって分かった上でやってるのだ。前向きに「なぁなぁ」状態を保とうとしているのだ。報道ステーションには

「そもそも国際的に、憲法9条の2項ってアリなのか?ナシなのか?」

っていうアンケートも、合わせて「世界の憲法学者たち」に取って頂きたい。戦後70年もたって、いまだに「戦力を持つことも許されない憲法」って、先進諸国として本当にアリなのか、と。





さて、しかしそうはいっても、この状況は安倍政権にとって結構きつい。おそらく、第2次安倍政権以降で、最大のピンチであることは間違いない。すでに先日、アメリカに「この法案、通してきます」って約束までしてきてしまっている。
無理に通すことは可能だろうが、タイミングも悪く、年金もあんな状況になってしまっている。今のままで強引に押し通す事は、恐らく日本人は好まない展開であることは間違いない。今年中に、維新と民主で何らかの調整が進むことも容易に想像がつく。と、なると来年の参院選がかなり気がかりになってくる。相当に頭を使って戦略的に進めないと、安倍政権下で最大のダメージを受けかねない。

さて、官邸はどう進むのか。

実は現在の国会はかなりシビアで…悪い言い方をすれば面白い展開を見せていることは確かだ。

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フジテレビを経て、現在はフリーのアナウンサーとして活躍中の長谷川 豊氏。フジテレビ時代にはニューヨーク支局に赴任し、「めざましテレビ」や「情報プレゼンター とくダネ!」といった番組でニューヨーク中継を担当されていました。

フリーとなった現在は、TOKYO MXでの「バラいろダンディ」でメインキャスターを務めるほか、テレビ大阪の夕方のニュース番組「ニュースリアル」でもキャスターとして忙しい日々を送っています。

今回は、ニューヨークと日本の両方を経験した長谷川さんに、英語を学ぶ大切さ、そして日本の語学教育についての持論を伺いました。

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「文部科学省は全員クビでいい。10年勉強して英語を喋れない教育をしているんだから」

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現代において、語学留学はそれほど珍しいことではなくなりました。しかし、そうはいっても若い世代の誰もが留学をしているわけではありません。そんな現状について、長谷川氏は「それではダメ」と断言します。

長谷川:中国や韓国の人は英語がちゃんと喋れるのに、日本人はなんで10年も勉強してきて喋れないのか。

僕はもう、文部科学省を一旦、全員クビにしたほうがいいと思っているんです。能力がないんだから。だって、10年勉強して英語を喋れない教育をしている国なんて、世界中探してもないですよ。

25歳までの日本人は、全員1年以上海外生活をしなければならないっていう法律を制定したほうがいいと思いますね。それで、だいぶ変わると思います。もう、これは国家予算を使ってでもやったほうがいいと思う。年寄りに年金渡している金があるなら、全額教育に投入した方がいいですよ。

海外に行くなら、若いほうがいいです。僕がニューヨークに赴任したときは家族も一緒だったのですが、一番下(2歳半)の娘なんて、1年経ったら “r” の発音が完璧になりましたからね。僕はもう、娘の言っている英語がわからないんですよ。舌がかたまる前に学ぶべきですね。

日本語だけだと1億2千万人としか話せないのが、英語ができると25億人と話せるようになる。それだけで日本の可能性は一気にワールドワイドになると思いますよ。


アメリカ人にとっては原爆は「世界を救った光の矢」日本と世界では常識が違う

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長谷川氏が長期留学の必要性を強調するのには、長谷川氏自身がフジテレビ時代に、ニューヨーク赴任で英語に苦労したという実体験があります。

もともと長谷川氏は、競馬の実況中継をやりたいという思いからアナウンサーを志望。学生時代からアナウンスコンテストで優勝するなどの実績を積み、フジテレビに入社します。転機が訪れたのは2010年9月。ニューヨーク支局への赴任が決まったときでした。


長谷川:もともと後輩が行く予定だったのですが、事情によりそれが難しくなりまして、僕が行きますと手を挙げたんです。ニューヨークは何から何まで最高でした。最高です、ホント。思っていた以上に自分の世界が広がりましたし、価値観がすべて変わりました。今の自分を形づくっているすべてが、ニューヨークで育まれたといっても過言ではありません。

一方で、海外との価値観のギャップに驚いたことも幾度となくあったといいます。


長谷川:日本人は俗にいう「ガラパゴス」なんだと痛感しました。あまりにも独自の文化すぎて、日本で当たり前のことが世界では一切通用しないんです。

たとえば、第二次世界大戦の原爆について。1950年代にアメリカで大ヒットしたシリアルがあって。バカ売れした原因が、おまけで付いているプラスチックでできたアトミックボム(原爆)のオモチャ。それをアメリカ中の子どもたちが欲しがったんです。

日本ではいろいろ言われていますけど、アメリカ人にとって原爆は「世界を救った光の矢」なんですよ。飛行機を竹槍でつっつくような旧日本軍もハッと目が覚めるほど衝撃を与えて、(戦争を終わらせ)無駄な戦死者が減ったんだと。原爆によって、世界を平和に導いたんだと。それが世界の常識なんです。日本人の感覚とぜんぜん違うでしょう。

国連加盟国の中でも、日本は独特な立ち位置なんです。アメリカを中心とした西欧列強諸国の価値観、世界の3分の1を占めるイスラム圏の価値観、日本はそのどこにも属さない。本当にイグアナみたいなものなんです。
日本人はこういうね、「外から見た日本」をできるだけ若いうちに世界に飛び出して知ってもらいたいと思いますね。

そして、「日本人は日本のこと悪く言い続けてる」ことが恥ずかしい文化と語る長谷川氏。

長谷川:日本はGDPで世界第3位であり、安全性とか教育面とか総合的に加えるとね、世界ダントツの1位の国なんですよ。でも、日本人は日本のこと悪く言い続けてるんですよね。これすごく恥ずかしい文化で、日本という素晴らしい国に生まれて本当に幸せなのに、日本の文句ばっかり言ってるんすよ。
山手線に乗ろうとしたら、13分到着なのに13分30秒になって。それで「少々遅れてます」っていうアナウンスが流れる。30秒の遅延で流れるんですよ? そうしたら横にいるカップルが「チッ」って舌打ちして「遅れんなよ」とか言ってるんですよ。本当にねえ、一度東南アジア行ってみろと。一度アメリカ行ってみろと。

日本に帰ってきて2年半。びっくりするくらい英語力が衰えた(笑)

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ニューヨークに赴任し多様な価値観に触れて刺激を受ける一方で、長谷川氏を困惑させたのは、これまで学生時代に勉強してきたはずの英語が通じないことでした。

長谷川:最初は耳も慣れていないし、相手が何を言っているかも全然わからなかったんです。大変でしたね。旅行はもう20カ国以上は行ったことがあったのですが、旅行と生活は違うんです。

例えばニューヨークに着いて2日目に、電話がかかってきたんですね。携帯からいきなりブワァーっと英語が飛び出してくる。それがまったくわからない! 最初の “Hi!” 以外呪文みたいでしたよ。
幸い、そのときは隣にスタッフがいたので、携帯を渡して通訳してもらいました。結局、それは「自宅を管理している大家さんから委託された電気会社の者だけど、君の家は特殊だから1階だけでなく、2階の奥にある配電のスイッチも入れてね」って(笑) そんな日常生活の単語なんて分からなかったので衝撃的でしたよ。でも生活ってそういうこと。

マクドナルドに行って「ホットコーヒープリーズ」って言ったんですけど、店員が黙って出してきたのはダイエット・コーク。でも、これ違うよって言えないの。しょうがないから、ダイエット・コークを飲みましたよ、冬に(笑)
あれは「カフィー」だったんですよね。「コーヒー」じゃなくて。

そういうところから、結局2年ほどかけて、いろんな苦労をして、ちょっとずつ身に付けていきました。後半は通訳なしで街頭インタビューができるくらいになったんですが、日本に帰ってきてから2年半も経つと、英語力は衰えました(笑) 自分でもびっくりするくらい言葉が出てこないし、耳も衰えてしまいました。

あれだけ喋れるようになったはずの英語が、帰国すると使えなくなったと苦笑する長谷川氏。「知っているはずの単語が出てこない」ということがあり、悔しい思いをしたと語ります。

長谷川:ゴルフをしているときに「ぎっくり腰になった」って言おうとして、あれ? って。「ぎっくり腰」っていう単語が出てこなかったんですよ。それくらいの英語、余裕で知っていたんですよ。でも出てこなかった。これは悔しかった!

他にも、超美人の外国人女性と話すときにも、たくさん喋りたいのにぜんぜん言葉が出てこなくて、アウアウ言っちゃう(笑)
しょうがないから “You Know?” とか連発して何とか伝えようとするんだけど、はぁ、カッコ悪かったなぁ。

旅行と生活はぜんぜん違う。“How are you?” “Fine, thank you. And you?” なんて使わない

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大学まで含めると約10年間も英語を学習しているにも関わらず、日本人の多くは英語が話せません。それはどうしてなのか。長谷川氏によると、日本人が学んでいる英語は「生活で使う英語」ではないからなのだとか。

長谷川:アメリカではね、朝8時からポケモンのアニメをやってるんですよ。「ポッケモーン!」って言ってる。で、僕が「ジャパニーズポピュラーアニメのポケットモンスターがね」って言うと、「ホワッツ!?」って目を丸くされて。

なぜかというと、ポケットモンスター(Pocket Monster)っていうのは、英語では男性器を意味する隠語なんです(笑) いわゆる日本語で “ムスコ” って言うのと一緒。
だから任天堂は、アメリカでポケットモンスターを売り出すときに名前を「Pockemon」(ポケモン)にしたわけです。

他にも、日本風居酒屋に置いてある「七味」が “Nanami” って書いてある。 “Shichimi” (しちみ)だと、 “Shit me!” (クソが!)という音に聞こえるからなんですね。そういうことを一つひとつ知っていくことが、「生活する」ということだと思うんです。

未だに中学の教科書って、

Hi How are you?
Fine, thank you. And you?

から教えているでしょ。僕がアメリカにいた2年半で、”Fine, thank you. And you?” なんて言われたこと、一度もないですよ。
“How are you?” もあまり言わない。男性は “How’s going?” だし、学生なら “What’s up?”。 “How are you?” なんてホント、フォーマルな場所だけです。そして、そう聞かれたら “Good.” でおしまい。”Fine, thank you. And you?” なんて言っているやつは見たことありません。

でも、こういった使える英語って、日本にいるとあまり学べないんですよね。恥をかいてもいい若い時に海外に行くというのが大切なんです。

世界に出て日本を見た自分だからこそ、一歩引いた目線で情報を伝えたい

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アナウンサーを志し、海外へ出て日本を見つめなおす機会を得たという長谷川氏。現在はフリーのアナウンサーとして、TOKYO MXの「バラいろダンディ」やテレビ大阪の夕方のニュース番組「ニュースリアル」でキャスターを務めています。現在、特に注目しているのは、都構想を巡る議論なのだとか。(4/21インタビュー時)

長谷川:今のテレビは自主規制ばかりでつまらないんですが、TOKYO MXの「バラいろダンディ」は言論の自由をちゃんと担保しながら楽しく明るくやろうという番組なんです。TOKYO MX自体も4年連続最高益を記録して絶好調ですし、そんな局の番組で夜の顔としてやれているのはすごく幸せですね。それから、テレビ大阪の夕方のニュース番組「ニュースリアル」でもキャスターをやっています。

今の大阪はとてもおもしろいですよ。大阪の「都構想」って、指示と不支持がギリギリのラインで分かれているんですよ。でも、大阪の未来を真剣に考えたら意見が分かれて当然なんです。都構想を進めるリーダーがいて、その人についていく人と、「違う」と言っている人がいる。それぞれすごく真剣だし、ものすごくケンカをしているわけですけど、大阪の未来を考えているという意味では価値観が統一されているんです。ああいう人たちがいるのは、たいしたもんだと思いますよ。

幕末も皆、日本のことを思っていたけど、意見が違って殺し合いまでしていたじゃないですか。でもそれは日本を思うが故だったわけです。大阪で今起きているのは、まさにあの幕末みたいな感じ。無関心が国力を一番落としてしまう原因なんです。日本はずっと皆、無関心でした。それを考えると、今の大阪はかっこいいですよ。

東京と大阪。日本とニューヨーク。異なる場所や価値観に触れてきたことで、自分の役割を見出したのだといいます。

長谷川:根底にあるのは、視聴者と情報やニュースを共有して、日本の進む道を考えたり、日本と世界の架け橋になったりしたいという想い。それは世界に出て日本を見た僕じゃないとできないと思うし、大阪でニュースをやっているのも、東京に出てきて客観的に大阪を見た僕じゃないと伝えられないものがあると思うから。

そういう、ちょっと一歩引いた目線で、これからも伝えていきたいですね。

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※このインタビューはDMM英会話さんの許諾を得て、転載させていただいております。
元記事のURLはhttp://eikaiwa.dmm.com/blog/people/yutakahasegawa/となっております。ぜひチェックを!

前回の私のブログが結構な反響をいただきました。

ある一部の小学校では、運動会の「障害物競走」という言葉をもって、「障害」は差別を連想させるのだーということで「興味走(きょうみそう)」というネーミングにしたのだ、と。いくらなんでも…と思ったので、「言葉狩りが暴走していて、窮屈でおかしな社会になってきていないか?」と疑問を呈させてもらったのですが、大変多くのお方から賛同の声をいただきました。
そんな舌の根も乾かぬうちに、こんなニュースがニュースで取り上げられていました。

ドッジボールはいじめ?

あまりにもバカバカしいのですが、一応、ニュースの内容を紹介させていただきます。ある方がネット上に「ドッジボールはすぐに義務教育からやめるべきである」と書かれたそうです。その後、その方は「選択制にすべきである」と主張を変えられたようですが、それに対してネット上では賛否両論だ、と。
「ドッジボール大っ嫌いだった」
「子供の時からずっとそう思ってました!!! 」
という意見や、逆に
「じゃあ他のスポーツならいいのかね」
「ドッジボールをいじめてるだけ」
という意見など、様々な意見が出されたそうです。
もうね…頭が痛くなるというかなんというか…。これです。これが私が前回のブログの中で一部紹介した「被害妄想バカ」の典型です。
こういうことを言う人の何が間違っているのかを指摘します。

まず、間違った勝手な思い込みを正しいと信じ切ってしまっている、という点です。
ドッジボールはいじめにつながる、という論拠として「他人にボールをぶつける野蛮なスポーツであり、イジメにも繋がりやすい」と主張されているようですが、どんな幼少時代をお過ごしになっているのか知りませんが、完全に間違っています。

ドッジボールはただのスポーツです。

ルールの決められた、そのルールの中で戦略的に戦っていくただの「スポーツ」です。ルールのあるスポーツをいじめだのなんだの、といい始めたら、全てのスポーツができなくなります。広義の意味で言いますと、スポーツはある意味、全ていじめ的行為と言うことすらできます。相手の弱点を突き、相手を打ち負かすのが基本なのですから。

野球で内角の苦手な人間に、執拗な内角攻めをすることはいじめなのでしょうか?
サッカーで身長が高い人間をゴールキーパーに持っていくことが多いのですが、それは身長による差別なのでしょうか?
バスケでは、体の小さな人間を体で押しだして、自分のベストポジションをキープすることがとても大切になってきます。スクリーンアウトというのですが、これは完全ないじめなのでしょうか?体が小さいとどんどんはじき出されます。
ボールを当てるだけのドッジボールがイジメなのに、竹刀で相手を叩きのめす剣道や、相手の首を絞め落として泡をはかせる柔道はイジメではないそうです。もはや意味が分かりません。

おそらく、そのツイッターをした方は昔、ドッジボールで当てられてかっこ悪い経験をしたのでしょう。なので、ドッジボールが嫌いなのでしょう。それは…

あなたの運動神経なかっただけです。

その方は最終的に「ドッジボールは選択制にしよう」と言ってるようですが、そんなことを言い始めたら、音楽の授業も選択制にしときますか。歌のヘタな人間はいます。先天的な音痴は存在します。しょうがない。選択制にしましょう。そこだけ大丈夫ってことはないでしょうから。勉強の得意な人間も不得意な人間も存在します。じゃあ、テストもやめましょう。と、言うか、もう学校に行くのも選択制にしますか。強制するのもおかしいのですしね。勉強が苦手な人も学校に行くのが嫌な人もいますしね。

もうね…薬飲んで寝てろ、と。聞いてるだけで頭痛くなるわ。

ドッジボールも同じ。音楽も同じ。得意・不得意はあります。受験勉強も同じ。勉強でもテストでも優劣は付くのです。その優劣をつけられることに変なコンプレックスを持つのではなく…

それをどう捉えるのか、それを学ぶ場こそが学校なのです。

あぁ、自分は運動が苦手なのだ。では、どうするのか?運動を鍛えるのか、無視して、文化的な方面に行くのか。音楽が苦手なのだ。誰にもかなわないのだ。では練習するのか、勉強に取り組むのか
甘えたナメた考え方だけで大人になって、何ができますか?いやなことを「禁止すべきだ」と叫ぶことによって、何が一体成長するのか、そこに答えなどあるのでしょうか?

ドッジボールも学校のテストも音楽も習字なども…全部、優劣は付きます。そして、私たちの生きているこの社会は残酷な社会であることを人間は知っていくのです。どれだけ野球の練習をしても、生まれつきイチロー選手にはかなわない。どれだけ歯を食いしばって柔道の練習をしても、野村 忠宏選手にはかなわないのです。絶対です。生まれつき、何もかもが違うからです。

そんな、当たり前のことを学んでいくのです。人は特別ではないのです。特別なのはごく一部の人間であって、それ以外はただの「ザコ集団」なのです。私だって、声という武器はありましたが、他は何もありませんでした。悔しくて、それでも負けないように、努力をした結果、今の仕事を得ているだけです。「世界で一つだけの花」なんて、ただの甘やかしソングです。みんな特別ではありません。ザコなんです。だからこそ、それを知ったうえで頑張るものなのです。逃げて、避けて、どうするよ?

何より、ドッジボールはいじめでもなんでもありませんが、もしいじめ的行為が確認できた場合、それらを正すのはホームルームなどの管轄です。その勘違いをしたまま、もし「ドッジボール、辞めちゃおうか」となった場合、ドッジボールから学べる、戦略的な駆け引き、運動神経の発達、クラスメイトとの協力、たくさんのものを小学生から奪ってしまうことになるのです。そのデメリットを議論していないのは偏った意見です。

自分は嫌だった。

だから、辞めろ。これもやめろ。選択制はどうだ?選択しなくていいようにしようぜ。

そういう馬鹿どものことを、私は「被害妄想バカ」と、そう呼びます。そして、その被害妄想バカのいうことを、面倒くさいのでいちいち聞き始めるから、日本社会はこじれるのです。学べるものが学べなくなるのです。それは、「優しさ」などでは決してなく、「議論することから逃げているだけ」なのです。思いやったふりをして楽をしているだけなのです。バカ相手なので面倒なのは理解できますが…。

ネット上で「ドッジボール、だめだよね~辞めちゃえ」と言ってる大バカの皆さん、よく考えろ。そして、ちゃんと自覚したうえで、少し黙っててほしい。面倒なので。


もはや恥ずかしいレベルだ。「言葉狩り」、ここに極まれりである。

先週放送した私がMCを務める「バラいろダンディ」内で、一番紛糾したのがこちらのニュースを紹介した時だった。

運動会の「障害物競走」が「興味走」に変更! 「障害」の言葉狩りが影響?(ゴゴ通信)

伝えているのもバカバカしくなるが、一応、ニュース内容だけ紹介したい。
最近の学校では、運動会でも色々な方面に気を遣う。もちろん、それ自体を否定する気はないのだが、最近では長年「障害物競走」として親しまれてきた障害レースのことを…

「興味走(きょうみそう)」

と呼ぶ学校が増えてきている、と言うのだ。何でも「障害」というワードが「差別的意味に捉えられる可能性がある」ということで変更した模様、とのこと。冗談のような話だったのでまさか、と調べたところ、本当にそういう学校が増えてきているのだった。

おいおいおいおいおい。

いい加減にしろよ、とはこのことである。「言葉狩り」も行き過ぎるとギャグである。子供たちが走る道の途中に「障害」があるのである。その障害を乗り越え、ゴールを目指すから「障害物競走」なのだ。

1点目。そこに差別意識など、誰も考えたことすらない。
2点目。なんだよ?「興味走」ってネーミングは(涙)。

先日のシャープのブログと中身は同じである。「誰か止めてやれよ」この一点に尽きる。
日本には1億3千万人近くの人間がいるのだ。アホはいる。これはもうしょうがない。そいつが言ったんだろう。

「障害物競走の『障害』って差別意識を連想させちまうよ!別の名前にしようぜ!」

恐らく、周囲の人たちはみな、唖然としたことだろう。どこから突っ込んでいいか分からないが、「あ…あ、うん…(汗)」みたいな感じだったんだろう。出来ればその段階で止めてほしかった。
「『差別』とは、差別されている側がどう感じるかだぁ!」
と叫ぶ頭スッカラカンのアホが少数、日本に入るのだが、はっきり言う。

それは完全に間違っている。

そんなことを言い始めたら『被害妄想バカ』に全員で付き合い始めなければいけない社会になるのだ。絶対にそれは違う。今の日本では、この『被害妄想バカ』に付き合いすぎているからおかしなことになっている。

先日急逝した今井雅之さんは、私の番組でずっと
「『スチュワーデス』は『スチュワーデス』なんです!そこに差別意識なんて、ないわ!アホ!」
とおっしゃっていたが、完全に同意である。現在、大手テレビ局は、お決まりの「自主規制」によって「スチュワーデス」という言葉を使っていない。皆さんもご存じのように「客室乗務員」と表現しているはずだ。

この判断をしているテレビ局は、皆、一からテレビを学び直せ、と言いたい。

私も昔のブログに書いたことがあるが「スチュワーデス」という言葉には、その裏に隠された色んなニュアンスがある。それは「憧れの職業」であり「キレイな女性」であり「毅然とした接客」であり、「凛としてリスペクトされている女性像」なのだ。
「客室乗務員」
という言葉には、ただの事実関係を伝えているだけで「ニュアンス」が存在しない。なので、「客室乗務員」と表現してもいい場所はあるが、同時に「スチュワーデスさん」と言わないと伝わらない場面が存在するのだ。

それを、一部の女性運動家を名乗る、アマゾネスババァたちが言ってきたのだ。
「『スチュワーデス』って何なのよ!セクハラ同然の言葉です!」
バカばかりのテレビ局上層部は大まじめにその言葉と運動を受け入れたのだった。と、言うか、自分たちの出世の邪魔になりそうだったので揉め事は避けたかったのだった。で、我々アナウンス室に、突然通達が来た。

「今後『スチュワーデス』という言葉は『客室乗務員』と表現すること」

現場の我々の意見すら聞かずに、アナウンスの何たるかも1ミリも分かっていないバカばかりの上層部が「決定事項」として通達してきたのだ。「年功序列」と言う世界的に見ても1ミクロンも合理性のないこのシステム、本当にどうにかならないのか?年だけ食ってる低能バカばかりがこうやって上司になるからややこしい。

こうやって日本のテレビはどんどんつまらなくなっていった。

繰り返すが、「客室乗務員」というべき場面と「スチュワーデスさん」と表現すべき場面は、違うものなのだ。我々のような日本語オタクばかりがそう感じているのではない。「自由な表現」という翼は、我々テレビマンたちの最大の武器だ。自分たちが面倒が嫌なだけで、そこから戦うことを避けた結果、日本のキー局のテレビ局からは…

本当に「スチュワーデス」という言葉が消えた。もう10年近く前の話だ。

現状、日本のテレビで堂々と「スチュワーデス」と言うのは私と今井さんしかいなかった。その今井雅之さんが逝った。なので、これからは私一人しか言わなくなるだろう。同じように「床屋さん」も「八百屋さん」も差別表現を連想させるんだそうだ。「青果店(せいかてん)」・「理髪店(りはつてん)」なんだそうだ。頭が悪いにもほどがある。まぁ、私は無視し続けるが、テレビやラジオでは、これからもそれらの表現は消えているのだ。

話がそれたが、これが日本で横行している「言葉狩り」の惨状である。

お願いだから「誰か止めろよ」。日本人はみんな、あまりにも性格がよすぎる。なんでそこまで人のいうことを聞いてあげるのか?いや、だからこそ、この日本の住みやすさ、日本の奥ゆかしさがあることは、私も疑わない。そこが日本人のいいところなのだろう。分かる。分かるが…

「興味走(きょうみそう)」は普通におかしいだろ(涙)!

百歩譲って差別表現だったと仮定しても…単純に「センスがない」だろ!
何に興味を持つんだって話。当てはまってないじゃないか。ハードルの下をくぐるのに興味があるのか?ネットくぐりに興味津々ってか?頼むわ。誰か、バカには「バカですよ、あなた」と言ってやって欲しい。「黙っててもらってもいいすか」って。




もちろん、言うまでもないことだが「いたずらに人を傷つける言葉」は言うべきではない。差別表現に指定されていないが、私は「ハゲ!」「チビ!」といった表現は絶対にプライベートでも発しない。能動的に人を傷つけようとする言葉は当然論外である。特に、人は「他人の肉体的特徴について揶揄すべきではない」と考えている。
が、「障害物競走」の「障害」には、何の差別意識などないことは明白だ。それを規制するのは、日本人に憲法で許されている「表現の自由」への侵害行為である。

日本では最近、行き過ぎた「言葉狩り」が横行している。「思いやり」は否定しない。むしろとても良いことだと思う。が、表現はそもそも自由なのだ、という前提は守られなければいけないと思う。でなければ、イビツな世界になってしまう。

「興味走」とか言ってる学校は、来年までに全部、名称を改めろ。「障害」という言葉を使いたくないなら、せめてセンスのあるネーミングを付けてやってくれ。でないと、生徒たちがバカにされるだけだと思うぞ?お前らの学校、バカじゃんって。

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