「メディア・リテラシー」について解説をしたい。
僕が大学生の時に専攻していたのがそもそもこの「メディアリテラシー」という学問だった。1990年代前半に日本でも注目され始めてきたこの学問は歴史は比較的新しい。が、これからの時代に最も大切な考え方と学問だと、僕は迷わずに専攻した。僕にその考え方や歴史をご教授くださったのは立命館大学で教鞭をとられていた、故・鈴木みどり先生という方だった。僕を屈託のない笑顔で
「あなたは私の一番弟子」
と呼んでくださった僕の恩師だ。
「メディアリテラシー」。一言でいうと、「メディアを一度、疑ってかかること」。
真実を語っているのかどうか、本当かどうかをしっかりと見極める。見極めきれないなら、とにかく、全部を一度に信じ切らないこと。
簡単なように見えて、実は多くの日本人が最も欠けている能力と言える。日本人、みんな性格良いしね。素直だし。だが、疑ってかからないことはそもそも「「無知」に等しい。「無知とは罪なり」とは誰かの言葉だが、全くその通りになった事例がある。
全くその通りになった事例??
そう。そもそも、先ほど「日本に入ってきた学問だ」と書いたが、この考え方はイギリスやアメリカで生まれた学問だ。何故か?何故、メディアを最初から信じ切ってはいけないのか?実際にアメリカの国民は苦々しい思い出と屈辱の情報操作の歴史を持っているからだ。そうだ。無知は、情報は国民を動かし、人を殺すことさえ、容易にしてしまうからに他ならない。どういうことなのか?いや、これは多くの日本人だって、ちゃんと知ってる知識とニュースのはずなのだ。
「アメリカの屈辱」
1991年1月。イラク・クエート。第1次湾岸戦争、勃発。
イラクのフセイン大統領がクエートに対して侵攻を行ったことに対して、アメリカを中心とする多国籍軍がイラクに対して戦争を仕掛けたのだ。きっかけは油田の利権問題にまつわる戦争だった。その中東の戦争に口だけでなく手を出し始めたのが自称「世界の警察」アメリカだ。
当時ブッシュ政権(お父さんの方のブッシュ大統領ですね)だったアメリカは、イラクに対して「世界の安全と秩序」を守るために戦争を仕掛けた。さすが共和党政権、と毒づくのは後回しにして、とにかく、戦争が起こった。そのきっかけとして、今も語り継がれているのが、メディアリテラシーの世界では最も有名な出来事。「ナイラ証言」だ。
イラク軍がクウエートに進行してまもなくの1990年10月10日「ナイラ」という名前のクウエート人少女(当時15歳)がアメリカ議会の公聴会で、ある証言を行った。
『私は病院でボランティアとして働いていましたが、銃を持ったイラクの兵隊たちが病室に入ってきました。そこには保育器の中に入った赤ん坊たちがいましたが、兵士たちは赤ん坊を保育器の中から取り出し、保育器を奪って行きました。保育器の中にいた赤ん坊たちは、冷たいフロアに置き去りにされ、死んで行きました』
その行為は「何百人」もの赤ん坊にたいして行われたと、ナイラは涙ながらに説明。その現場はむごく、イラク兵たちは平気で人間の爪を剥ぎ、残虐な行為に多くの仲間が命を落とした、と語ったのだ。
この証言はアメリカが湾岸戦争の開始に踏み切る間際にTVで放映された。放送のあとアメリカ議会は5票差の投票で湾岸戦争開始が採択されることになる。ちなみに、戦争に賛成した議員のうち、6人以上が後に、そのTVに影響されて、開戦に投票したと証言していることから、このナイラという一人の少女の言葉によって、湾岸戦争という戦争が起きたことは後々、有名な歴史的事実となった。
この証言は当初は「裏付けの取れたもの」であったとされていた。当時のマスコミはイラク占領下にあるクウェートへ入れなかったため、この証言が信憑性のあるものとされ、当時のアメリカではかなりの時間をかけて繰り返し報道された。
この少女の証言はアメリカのブッシュ大統領や上院議員が何度も引用し、議会のみならずアメリカ世論もイラク制裁へと傾いていった。さらにこのニュースは国連安保理事会での議論にも影響し、安保理はイラクに対する武力制裁を容認。イラク制裁のために多国籍軍が形成されていくこととなる。
戦争開始当初、アメリカは世界の平和を守るんだ、とアメリカ国内は湧く。開戦当初のアメリカ大手メディアの世論調査の結果は、「戦争に賛成」が70%を超えていた。アメリカらしいと言えるかもしれない。
が、次第に、戦局が停滞する。フセイン大統領の居場所はつかめないし、意外と攻めにくい地形も相まって、開戦当初の勢いは失われつつあった。メディアにも批判が渦巻き始める。
「はたして意味のある戦争なのか?」
そんな風潮がアメリカを覆い始めそうになった1991年1月26日。衝撃的な映像がテレビ画面に映し出される。
重油まみれになった水鳥の映像だった。
力なく、羽をばたつかせるも、もはや飛ぶことが出来ないことは誰の目から見ても明らかだった。その重油はフセイン政権が流したペルシャ湾の重油だったと報じられた。どれだけ頑張っても、水鳥とは、羽で水をはじきながら飛ぶものだそうだ。その水をはじく機能が重油によって、完全に失われ、その水鳥はもはや、少しづつ力尽きていくしかないのであった。
私利私欲で戦争をはじめ、戦況が悪くなると見るや、ペルシャ湾に重油をまき散らしたフセイン政権!なんてふざけた人間がこの世にいるんだ!アメリカ世論はまた一気に「やはり戦わなければいけない」という当初の気概を取り戻していった。
ちなみにその「油まみれの水鳥報道」が流されたのはまさに日本政府がアメリカとその同盟軍に90億ドルを拠出するべきか否かの議論が始まった時。この報道は日本でも大きく取り扱われた。
当時、メディアはサダム・フセインがわざと油田の油を海に「放出」していると報道していた。サダム・フセインは原油を流失させ環境を破壊し、海洋生物が犠牲になっている。これは「環境テロ」だという報道だった。
油にまみれた水鳥の映像は、世界中をかけめぐり、繰り返し放映され、世界中の人間がサダム・フセインを「極悪人」と決めつけた。
世論調査の結果は、ほどなく、決定的に変わることとなる。これが戦争の実態だ!アメリカ国内にいたら知ることの出来ない戦争の真実なのだ!
調査の結果、湾岸戦争の支持率は開戦当初を上回り、再び70%に達する。ブッシュ政権はそのまま戦争を続け、1991年2月27日、戦争終了宣言。世界の平和をアメリカが救ったのだった。さすが世界の警察、アメリカ。ゴッドブレース、アメーリカー。
帰国する兵士たちは英雄として凱旋し、讃えられ、多くの減税措置をはじめとする優遇を受けられた。なんてったって世界を救ったのだし。
これらのニュースは30代以上の日本人の多くは知っているはずだ。水鳥の映像は特に印象的だったので覚えてらっしゃる方も多いだろう。そう。あの衝撃的な映像とともに、イラクでは戦争が続けられた。別にそのことを攻める気はない。人様の国だし。
が、その後のアメリカではブッシュ大統領率いる共和党政権からクリントン氏率いる民主党政権に代わり、様々な検証が行われることとなる。ここからは実は日本のテレビではそこまで大きくニュースとしては報じられなかった事実がある。
報じられた順番に解説する。まず、水鳥の映像だ。あの映像だが…フセインがわざと油を嫌がらせのために流出させた…などは真っ赤な嘘であり、単純に
アメリカ側が重油を乗せたタンカーを誤爆し、その油が流出した
だけだったのだ!この事実は湾岸戦争が終了して1年もしないうちに世界のメディアに明るみとなり始める。言い換えれば、罪のない何人ものイラクの民間人が死んだ後のことだ。
。
そして、もう一つの驚きの事実が発覚する。アメリカ議会で証言をしたあの女の子。涙ながらに証言をした女の子だが…
「在アメリカクエート大使館の職員の娘」であったことが
判明している。しかもご丁寧に…
役者志望
の女の子だった。「在アメリカ大使館」?そう。そもそも、この女の子は家族なんて殺されていない。そもそも、湾岸戦争開始時、アメリカにいた女の子だ。当時、湾岸戦争の支持率が50%を割り込んだことに危機感を感じた当時のブッシュ政権は、広告代理店と協力して、イメージ戦略を打ち立てたのだ。世論はそれにまんまと乗っかっただけに過ぎなかったのだ。
よく、これが大問題にならなかったのか?という話を聞かれるのだが、かなりの問題にはなったし、アメリカ国民は怒っていたようだが…日本と違って、アメリカにおいて、ネガティブキャンペーンやメディアの流す情報を…
「まんま信じたのであればそれは自分が悪い」
と言う価値観は常識だ。アメリカでは特に選挙前、信じられないほどのネガティブキャンペーンが流れるのだが、そんなものに流されてる段階で、アメリカでは人として負け。そんなお国柄だ。なので、日本で思っているほどの問題にはなっていないって言うのが実情だ(もちろんかなり報道されたし責められてるが)。
「日本では考えられないこと?」
今、朝日新聞の誤報問題を機に、この文章を読んだ人全員に、これらのことを日本に置き換えていってほしい。日本のメディアは果たしてどうなのか?やらせなんてなかったのか?メディアは公正な報道だけをしているのか?日本だけ特別?そうとでも思っているのか。そもそも、メディアという組織は誰が作っているのか?人間だ。聖人君子が作っているとでも思っているのだろうか?そんな訳ない。
メディアリテラシー
その価値観と考え方は、今の日本にこそ必要な知識と考え方だと思っている。まさに今こそ、メディアリテラシーの視点から、メディアに接するチャンスだ。これからが日本人みんなが成長するべき時だ。そう思ったから、僕はその話を講演会でも話し、このブログでも書いている。
もちろん、メディアにだまされたままの方が幸せな人もいる。
「素直ないい人たち」だ。
僕は自分がひねくれ者だからか分からないが、そう言う人たちが好きだ。素直なままでいて欲しいと、そう考えている。
でも、すでに日本の多くの皆さんは多分、少しは気付き始めている。今のテレビの正体に。マスコミの流すウソに。
そういった人たちは思春期に差し掛かった子供たちが大人の真実を知りたがっているように、「本当の」情報を欲しがっているはずだ。自分が騙されていたことを、そう、例えば、サンタクロースはいない、という事実を知りたがっていると思うのだ。
だから僕はこれからもその人たちに伝えたいと思っている。遠慮せずに。
メディアの紐解き方を。どのようにして、特にテレビメディアに向き合えばいいのかを。
僕が大学生の時に専攻していたのがそもそもこの「メディアリテラシー」という学問だった。1990年代前半に日本でも注目され始めてきたこの学問は歴史は比較的新しい。が、これからの時代に最も大切な考え方と学問だと、僕は迷わずに専攻した。僕にその考え方や歴史をご教授くださったのは立命館大学で教鞭をとられていた、故・鈴木みどり先生という方だった。僕を屈託のない笑顔で
「あなたは私の一番弟子」
と呼んでくださった僕の恩師だ。
「メディアリテラシー」。一言でいうと、「メディアを一度、疑ってかかること」。
真実を語っているのかどうか、本当かどうかをしっかりと見極める。見極めきれないなら、とにかく、全部を一度に信じ切らないこと。
簡単なように見えて、実は多くの日本人が最も欠けている能力と言える。日本人、みんな性格良いしね。素直だし。だが、疑ってかからないことはそもそも「「無知」に等しい。「無知とは罪なり」とは誰かの言葉だが、全くその通りになった事例がある。
全くその通りになった事例??
そう。そもそも、先ほど「日本に入ってきた学問だ」と書いたが、この考え方はイギリスやアメリカで生まれた学問だ。何故か?何故、メディアを最初から信じ切ってはいけないのか?実際にアメリカの国民は苦々しい思い出と屈辱の情報操作の歴史を持っているからだ。そうだ。無知は、情報は国民を動かし、人を殺すことさえ、容易にしてしまうからに他ならない。どういうことなのか?いや、これは多くの日本人だって、ちゃんと知ってる知識とニュースのはずなのだ。
「アメリカの屈辱」
1991年1月。イラク・クエート。第1次湾岸戦争、勃発。
イラクのフセイン大統領がクエートに対して侵攻を行ったことに対して、アメリカを中心とする多国籍軍がイラクに対して戦争を仕掛けたのだ。きっかけは油田の利権問題にまつわる戦争だった。その中東の戦争に口だけでなく手を出し始めたのが自称「世界の警察」アメリカだ。
当時ブッシュ政権(お父さんの方のブッシュ大統領ですね)だったアメリカは、イラクに対して「世界の安全と秩序」を守るために戦争を仕掛けた。さすが共和党政権、と毒づくのは後回しにして、とにかく、戦争が起こった。そのきっかけとして、今も語り継がれているのが、メディアリテラシーの世界では最も有名な出来事。「ナイラ証言」だ。
イラク軍がクウエートに進行してまもなくの1990年10月10日「ナイラ」という名前のクウエート人少女(当時15歳)がアメリカ議会の公聴会で、ある証言を行った。
『私は病院でボランティアとして働いていましたが、銃を持ったイラクの兵隊たちが病室に入ってきました。そこには保育器の中に入った赤ん坊たちがいましたが、兵士たちは赤ん坊を保育器の中から取り出し、保育器を奪って行きました。保育器の中にいた赤ん坊たちは、冷たいフロアに置き去りにされ、死んで行きました』
その行為は「何百人」もの赤ん坊にたいして行われたと、ナイラは涙ながらに説明。その現場はむごく、イラク兵たちは平気で人間の爪を剥ぎ、残虐な行為に多くの仲間が命を落とした、と語ったのだ。
この証言はアメリカが湾岸戦争の開始に踏み切る間際にTVで放映された。放送のあとアメリカ議会は5票差の投票で湾岸戦争開始が採択されることになる。ちなみに、戦争に賛成した議員のうち、6人以上が後に、そのTVに影響されて、開戦に投票したと証言していることから、このナイラという一人の少女の言葉によって、湾岸戦争という戦争が起きたことは後々、有名な歴史的事実となった。
この証言は当初は「裏付けの取れたもの」であったとされていた。当時のマスコミはイラク占領下にあるクウェートへ入れなかったため、この証言が信憑性のあるものとされ、当時のアメリカではかなりの時間をかけて繰り返し報道された。
この少女の証言はアメリカのブッシュ大統領や上院議員が何度も引用し、議会のみならずアメリカ世論もイラク制裁へと傾いていった。さらにこのニュースは国連安保理事会での議論にも影響し、安保理はイラクに対する武力制裁を容認。イラク制裁のために多国籍軍が形成されていくこととなる。
戦争開始当初、アメリカは世界の平和を守るんだ、とアメリカ国内は湧く。開戦当初のアメリカ大手メディアの世論調査の結果は、「戦争に賛成」が70%を超えていた。アメリカらしいと言えるかもしれない。
が、次第に、戦局が停滞する。フセイン大統領の居場所はつかめないし、意外と攻めにくい地形も相まって、開戦当初の勢いは失われつつあった。メディアにも批判が渦巻き始める。
「はたして意味のある戦争なのか?」
そんな風潮がアメリカを覆い始めそうになった1991年1月26日。衝撃的な映像がテレビ画面に映し出される。
重油まみれになった水鳥の映像だった。
力なく、羽をばたつかせるも、もはや飛ぶことが出来ないことは誰の目から見ても明らかだった。その重油はフセイン政権が流したペルシャ湾の重油だったと報じられた。どれだけ頑張っても、水鳥とは、羽で水をはじきながら飛ぶものだそうだ。その水をはじく機能が重油によって、完全に失われ、その水鳥はもはや、少しづつ力尽きていくしかないのであった。
私利私欲で戦争をはじめ、戦況が悪くなると見るや、ペルシャ湾に重油をまき散らしたフセイン政権!なんてふざけた人間がこの世にいるんだ!アメリカ世論はまた一気に「やはり戦わなければいけない」という当初の気概を取り戻していった。
ちなみにその「油まみれの水鳥報道」が流されたのはまさに日本政府がアメリカとその同盟軍に90億ドルを拠出するべきか否かの議論が始まった時。この報道は日本でも大きく取り扱われた。
当時、メディアはサダム・フセインがわざと油田の油を海に「放出」していると報道していた。サダム・フセインは原油を流失させ環境を破壊し、海洋生物が犠牲になっている。これは「環境テロ」だという報道だった。
油にまみれた水鳥の映像は、世界中をかけめぐり、繰り返し放映され、世界中の人間がサダム・フセインを「極悪人」と決めつけた。
世論調査の結果は、ほどなく、決定的に変わることとなる。これが戦争の実態だ!アメリカ国内にいたら知ることの出来ない戦争の真実なのだ!
調査の結果、湾岸戦争の支持率は開戦当初を上回り、再び70%に達する。ブッシュ政権はそのまま戦争を続け、1991年2月27日、戦争終了宣言。世界の平和をアメリカが救ったのだった。さすが世界の警察、アメリカ。ゴッドブレース、アメーリカー。
帰国する兵士たちは英雄として凱旋し、讃えられ、多くの減税措置をはじめとする優遇を受けられた。なんてったって世界を救ったのだし。
これらのニュースは30代以上の日本人の多くは知っているはずだ。水鳥の映像は特に印象的だったので覚えてらっしゃる方も多いだろう。そう。あの衝撃的な映像とともに、イラクでは戦争が続けられた。別にそのことを攻める気はない。人様の国だし。
が、その後のアメリカではブッシュ大統領率いる共和党政権からクリントン氏率いる民主党政権に代わり、様々な検証が行われることとなる。ここからは実は日本のテレビではそこまで大きくニュースとしては報じられなかった事実がある。
報じられた順番に解説する。まず、水鳥の映像だ。あの映像だが…フセインがわざと油を嫌がらせのために流出させた…などは真っ赤な嘘であり、単純に
アメリカ側が重油を乗せたタンカーを誤爆し、その油が流出した
だけだったのだ!この事実は湾岸戦争が終了して1年もしないうちに世界のメディアに明るみとなり始める。言い換えれば、罪のない何人ものイラクの民間人が死んだ後のことだ。
。
そして、もう一つの驚きの事実が発覚する。アメリカ議会で証言をしたあの女の子。涙ながらに証言をした女の子だが…
「在アメリカクエート大使館の職員の娘」であったことが
判明している。しかもご丁寧に…
役者志望
の女の子だった。「在アメリカ大使館」?そう。そもそも、この女の子は家族なんて殺されていない。そもそも、湾岸戦争開始時、アメリカにいた女の子だ。当時、湾岸戦争の支持率が50%を割り込んだことに危機感を感じた当時のブッシュ政権は、広告代理店と協力して、イメージ戦略を打ち立てたのだ。世論はそれにまんまと乗っかっただけに過ぎなかったのだ。
よく、これが大問題にならなかったのか?という話を聞かれるのだが、かなりの問題にはなったし、アメリカ国民は怒っていたようだが…日本と違って、アメリカにおいて、ネガティブキャンペーンやメディアの流す情報を…
「まんま信じたのであればそれは自分が悪い」
と言う価値観は常識だ。アメリカでは特に選挙前、信じられないほどのネガティブキャンペーンが流れるのだが、そんなものに流されてる段階で、アメリカでは人として負け。そんなお国柄だ。なので、日本で思っているほどの問題にはなっていないって言うのが実情だ(もちろんかなり報道されたし責められてるが)。
「日本では考えられないこと?」
今、朝日新聞の誤報問題を機に、この文章を読んだ人全員に、これらのことを日本に置き換えていってほしい。日本のメディアは果たしてどうなのか?やらせなんてなかったのか?メディアは公正な報道だけをしているのか?日本だけ特別?そうとでも思っているのか。そもそも、メディアという組織は誰が作っているのか?人間だ。聖人君子が作っているとでも思っているのだろうか?そんな訳ない。
メディアリテラシー
その価値観と考え方は、今の日本にこそ必要な知識と考え方だと思っている。まさに今こそ、メディアリテラシーの視点から、メディアに接するチャンスだ。これからが日本人みんなが成長するべき時だ。そう思ったから、僕はその話を講演会でも話し、このブログでも書いている。
もちろん、メディアにだまされたままの方が幸せな人もいる。
「素直ないい人たち」だ。
僕は自分がひねくれ者だからか分からないが、そう言う人たちが好きだ。素直なままでいて欲しいと、そう考えている。
でも、すでに日本の多くの皆さんは多分、少しは気付き始めている。今のテレビの正体に。マスコミの流すウソに。
そういった人たちは思春期に差し掛かった子供たちが大人の真実を知りたがっているように、「本当の」情報を欲しがっているはずだ。自分が騙されていたことを、そう、例えば、サンタクロースはいない、という事実を知りたがっていると思うのだ。
だから僕はこれからもその人たちに伝えたいと思っている。遠慮せずに。
メディアの紐解き方を。どのようにして、特にテレビメディアに向き合えばいいのかを。
コメント
コメント一覧 (19)
その時の内容、全く覚えていないとの事
メディアリテラシーと言う言葉だけは記憶に残ってたみたいです
今回の問いかけに対しては興味無い!でした
信じる?信じない?って問いには、わからない!でした
難しいとかではなく、心底、興味がなさそうです。
息子にとっての、メディアの影響力って?
噂話と比較するのもどうなのかな?とも、思うのですが、ニュースの中にも、私には、ただの井戸端会議のレベルだよねって感じる内容も多々あります。
発信側、受けて側、どちらにも自分流の信じる自由があって良いのではないのでしょうか?
信じる、信じない、嘘か真か?
他人の手のひらの上で、転がされないよう、踊らされないよう
自分の目、自分の心を信じる息子であって欲しいと思います。
こんなにメディアに無関心な息子を見て感じた事は、今のメディアの現状を教えてくれてるような気がしました。
根付かないと思いますよ。
疑うし、騒ぐ、でも喉元過ぎれば熱さを忘れる様な感じの米国人と
指切り拳万の日本人では、どうしようも無いでしょうね。
日本人は餅は餅屋とプロの仕事を尊重し、信じます。
ただし嘘をついたり、裏切った場合には村八分を行うでしょうね。
雪印、民主党、朝日新聞と現在存在価値そのものから否定されていますよね。
もう高く売れなくなった組織に落ちぶれるだけです。
もし日本人が米国並にリテラシーを身に付けた場合は、
既存のマスメディアに、お金を払う人は居なくなると思います。
マスメディアは通信社から送られて来た情報に、
意見や色を付ける事で付加価値を生んでいるのでしょ。
リテラシーを持たれるとメディアの付加価値は下がるでしょうね。
イメージとしては、「ゲストの大切さ2」で書かれている様な、
バイキング(媒体)とゲストコメンテーター(現場)だと思います。
貴方の意見(朝日の記事)は求めていない。
だから朝日新聞(媒体)も要らない。
正直、鵜呑みの方が楽なのですよね。
リテラシーに使っている時間を自分の仕事の勉強に向けられますから。
勿論、自分に関係する情報には、リテラシーを用います。
プロが騙そうと思えば、いくらでも騙せると思います。
可能な限り、信じ合う社会で居て欲しいですね。
基本的にどんな事件でも鵜呑みにはしません。自分である程度考えて違和感なければ信じるといった所ですか。
だからそんなん別にええやん!とか皆ほんまに考えてんの?とかたまにはとことん調べたりなどはしております。
これがメディアリテラシーなのかは良くわかりませんが、妙にスッキリするお話でした。
私の周りの皆は流されすぎ。
おそらく「真実」は人の数だけあるものだから。
「真実」がひとつならば、「客観的真実」って言葉が成立するはず。
でも、あるのは「客観的事実」だけなわけで。
日本人、特に男性の多くは仕事が好きなのか?それとも暇なのか?労働時間が長く、しかも社内での地位向上ばかり気にしている。そういう人達はメディアは正しいと見なした方が楽なのかも。
先週末の朝まで生テレビもちょうどこれに近いテーマでしたが、個別論が議論の大半を占め、なかなか本筋にたどり着かず、イライラしてました。
他の業界だって聖人君子じゃなく普通の人が営利目的で仕事してます。
これがマスコミ業界ですと言われても。。。
又、プチ討論会して改めてコメントさせて頂きたいと思います
自衛隊の方々、本当に お仕事とは言え、よくやって下さっていますよね。
まだ終息さえしていない あの現場に よくヘリコプターで近づいて 救助活動して戴いているものです。
今 噴火しない保証、無いでしょう。
つい 先日も まだ土石流が起こる可能性の高い 広島の現場救出作業、、、
命がけで活動されてる 自衛隊の方々の姿、
もっと 称賛されるような報道があっても良いんじゃないでしょうか⁉︎
だって、事実ですから、、、
まだ 長谷川さんのメディアリテラシーの本を読んではいませんが、メディアや、ネット上で発せられる 聞きなれない 新語にも、違和感を覚えていました。
「ネトウヨ」「ブラック企業」「ゆとり世代」…
どうも 隠された意図を持って作り出された言葉のような気がしてなりません。
私には 今年24歳、22歳になる息子がおりますが、ー例えば「ブラック企業」って言葉には、元々 日本人は 忍耐・勤勉な国民性があるのに、その言葉を鵜呑みにして
「この会社はブラック企業だから!」っと逃げ出したり、決めつけたりするなよ!
って、教育しています。そんな事、絶対 マスコミは煽るだけで、教えてくれませんからね。
大学受験前に、自分の学びたいことを見つけられた 長谷川さんの志望の動機の方が、
メディアで放送されるべきなんじゃないかな⁉︎っと思います。
マスコミに煽られて、世の中 変な風潮になっていませんか?
だから 長谷川さん、飛び出して 言いたい事 言えるようになって 良かったって思います。
このブログでのコメントで、STMさんのコメント、厳しいお言葉ながら、感服いたしております。
ネタ枯れしていたメディアに、御嶽山の天災は 暫くネタに事欠かなくなったでしょうが、発生直後に、もっと特別番組を組まないメディアに対し、信じられません。
紅葉の季節、しかも週末の土曜日、昼間に起きた火山噴火、、、
素人が考えても、被災者が多数出ているのは 用意に想像つくでしょう。
同じ時間帯には もっと多くの登山者が富士山にはいるでしょう。
九州だって、阿蘇や、霧島山、久住など、登山客いっぱいいますよ。
日曜日に登山予定者だって、いっぱいいたはず。
不慮の天災とは言え、注意喚起して 国民を守る以上の報道って、他にあったんでしょうか?
朝日新聞の歪曲記事問題に関して、長谷川さんは一見否定的な立場をとられる時もあれば、擁護されるような発言もありました。端から見ていると、どっちやねん!とツッコミを入れたくなりましたが、読み返してみると軸にこのメディアリテラシーがあったのだと納得致しました。
日本人はアメリカのように「騙される自分が悪い」という認識になるまでに時間がかかるでしょう。嘘を嫌い、騙す人間を悪とする風潮があります。島国だからか、騙される事に慣れていないのかもしれません。嘘をつかず、真心を以て人と接する事を美徳とする、素敵な日本人ですが、国際社会で生き抜く事が難しいのかもしれませんね。
日本人の素敵さを忘れずに、かつ真実を見極める力を持って行こうとおもいます。
しかしながら、最も大切なのは「疑うに足る材料」なんだと思う。
他を全て遮断されて聞かされれば信じてしまうかもしれない。
逆の報道が同数上がれば迷うだけかもしれない。
もちろん受け手側も勉強すべきだと思う。
でも、それを全ての人に要求するのは難しいだろう。
しかし報道側がより正しい報道を流すのはそれに比べればたやすいだろう。
たとえば今、ナイラと同じ様な報道があったとする。
もし、池上さんが「それはおかしい」と叫んだとしたら、かなりの人がその報道に疑問を持つかもしれない。
それは、大多数の人が池上さんは「信用に足る」と考えているであろうから。
果たして長谷川さん、今あなたが同じことを叫んだとしてどのくらいの人が疑問を持つだろうか?
考えさせる文章と試す文章、鼓舞する文章と貶す文章
紙一重だと思います。
しかしながら、わずかな差でもそれぞれ後者であれば人は付いてきません。
難しい問題ですね。
都合のいいものとは何かというと、イデオロギーのように見えて、じつはイデオロギーではない。
それはビジネス。
より大衆にウケるものを市場に流す。
大衆にウケて、自分に利益をもたらすものだけを報道する…、ニュースにする。
『部下を上手に育てる』『上司に可愛がられるコツ』等といったhow to本ですら、その構造は一緒。
部下を育てる本には
『部下は社会に出たばかりの馬鹿ばかりだから、利口な貴方が社会を教えてあげなさい』
と書いてある。
上司に可愛がられる本には
『頭の固い偏屈ジジイには、利口で柔軟な思想を持ったあなたが少々へりくだって付き合ってあげなさい』
と書いてある。
そうやって読み手が優越感を得られる書籍が増版を重ね、ベストセラーになっていく。
現実と真実を書いたような箴言集は見向きもされない。
見向きもされず、売れ行きも見込めないような本は出版されない。
出版されたとしても、内容を受け入れらない読者から『現実を分かっていない馬鹿が書いた本だ』と酷評される。
全てのメディアは、これと同じ。
受け手が優越感を感じたり、他人の不幸を見て自分の幸福を感じる(自分を幸せにしてくれる)ようなニュースや記事がビジネスに良いことを知っている。
もう、そろそろ皆、自分達がおだてられて木に登るような豚じゃないと気が付かないといけないし、口に出して言わないといけない。
メディアは馬鹿をおだててお金を儲けている存在である…と知らないといけない。
ニュースを消費している視聴者(読者)を、お金を儲けるための馬鹿に教育しようとしていることを感じなければならない。
でも、それだとしたら、NEWS23や報道ステーションやサンデーモーニングはどうなるんですか。「我々は社会の木鐸だ」とか「我々は報道をやってるんだから・・・・」とか、自信をもって主張してますけど。
メディアって「聖人君子」「社会の木鐸」でしょうか。それとも「普通の人間」なんでしょうか。都合のいい時に「社会の木鐸」になって政権批判して、今回の朝日の件みたいなことがあれば「普通の人間ですから」って開き直る。これは見ている側からしたら許せることではありません。
今は専門家がメディアのウソを一瞬で見抜き、ネットで知れ渡る時代です。メディアが「聖人君子」「社会の木鐸」と信じる人がどんどん少なっていくでしょう。つまり古館キャスターよりも長谷川さんの考えのほうが正しいとする人が増えていくと考えられます。
案外、長谷川さんはメディアで働く人に「この現実を知ってくれ」いう考え方があるのかもしれませんね(このブログはおそらくメディア関係者も見ているでしょう)
がんばってください。
メディアの言うことを鵜呑みにしないというのはその通りですが、誤った報道を信じた奴が悪いというのは違う気がするし、メディアリテラシーの話とは分けて考えるべきと思いますがいかがでしょう?
やっぱり、誤った報道をしたメディアには然るべき責任をとらせるべき。
報道発表資料さえも、まともに報道してくれないし、それは、報道姿勢として当たり前と言えば当たり前なのですが。
伝聞情報や思い込みで記事にしちゃっているものも、結構多いです。
経済関係の記事や番組なんて、半分以上、占いみたいなものだし、実際、占い師みたいな人たちがちやほやされているのを見ると、トサカにきますけどね。
しかし、複数のスジの情報を簡単に比べられるのはいい時代になりました。
雑多な情報も多すぎて、自分で選択するから、偏ったものしか見なくなるような、変な状態ではあります。
ネット上の情報を再編集するような業者も現れてしまい、それで、カネになる。
これからどうなっていくのかなというところですね。
これからも真実を伝えて頂きたいです。