少年犯罪の実名報道に対して、川崎の事件を機に議論が巻き起こっている。

そもそも、こんな議論は普段からすべきもので、何かきっかけの事件があったから後追いでするものではないのだが、確かにこの「少年事件」の「実名報道」は意見の分かれるところだ。
少年法の観点から見ると、「少年の更生の妨げになる」という理由での「匿名報道」は十分に理解できるところでもあるし、実際、筆者が情報番組内で事件報道をしている間は、少年事件は匿名報道を続けてきた。しかし、筆者は今の日本のマスメディアの「匿名報道」を…

以下の4点の理由から誤っているのではないか、と考えている。以下にその理由を記したい。

1、「匿名報道」など、2015年3月の現段階では「事実上」崩壊していること

今の日本では国民は一人一人がメディアとしての力を発揮できる時代になっている。ツイッターで発信すれば、いくらでもリツイートされるし、フェイスブックでシェアされれば、その友人たちにどんどん拡散される、そんな時代だ。
そもそも、容疑者の住所、氏名などは我々、大手マスメディアの報道陣は昔からみんな知っているものだ。そう。知ってるから取材に行けているのだ。警察が教えてくれる。だが、今までのように、国民の情報収集の方法がテレビと新聞とラジオだけならそれら『主要メディア』の取材陣の口をふさげば、ほとんどの情報は事実上シャットアウトできる。
が、今は平成27年である。
今回の川崎の事件に関しては、筆者も見たくもないのに容疑者少年の顔写真、家族写真、祖父母の写真から自宅の映像までシャアされて回ってきた。
すでに「事実上崩壊しているシステム」を「建前だけ」言い続けてもしょうがないのではないか?

2、「法律」の前に「憲法の認める権利」があるのではないか?

次に、筆者は、少年法の理念「のみ」に沿って匿名報道をしていることに違和感を感じている。これはあくまで少年「法」ではないのか?そう。「法律」ではないのか?
我々が住んでいるのは法治国家の日本である。法律はもちろん守るべきもので、我々の生活全般の基礎になっている。が、その「法律」は細かい部分を取り決めているのであって、それ以前に…

日本人として、どのような権利があるのかを定めた「憲法」がある

ように思うのは筆者だけだろうか?では日本国憲法に沿ってこの件を見てみたい。日本国憲法には

国民の「知る権利」(21条1項)

を認めていると思う(正確に言うと「知る権利」という文言はないが、21条の1項をもって「国民の知る権利」と認められていいる)。
国民は広く「真実」を知ることが出来、「情報」をもって、自分たちの意見を構築し、自分たちのより「文化的」で「建設的」な人生を歩む権利を保持している。これは日本人はみな「憲法」によって許された権利である。
翻って今回のケースを考えてみたい。
今回のケースはかなり特殊なレベルの、極めて残虐性を帯びた凄惨な事件であり、さすがにこのニュースに関しては…国民は「知る権利」を保持していると考えられる。少年「法」という一法律ももちろん大事なのだが、基本的にはそれ以上に「憲法によって認められた権利」の方がよっぽど大事ではないか?
筆者は合計で2年半、ニューヨークを拠点にアメリカでの事件を取材・報告してきたが、その関係で、アメリカメディアの報じ方にも数多く接してきた。アメリカでもこの話は州によって解釈の分かれるところなのだが、アメリカの大多数の州では

「凶悪事件に限り」

少年事件であっても、実名、顔出しでの報道が行われることがほとんどだ。もちろん、「凶悪事件に限らず」少年事件であっても「全て実名・顔出し」での報道が行われる州もある。
これらの州では裁判所にカメラが設置してあり、「コートTV」という裁判の模様をただ生中継するというチャンネルで「裁判の様子まで」見ることが可能だ。

要は、彼らの最も大切なことが…↓

3、マジメに生きている人々が不安な生活を強いられることはいいのか?

という理念に沿って考えられているのだ。これが3点目の理由なのだが、少年法の理念は分かる。以前のブログにも書いたが、筆者も基本的には「少年法」の理念である「すべての少年少女は更生可能であるはずだ」という部分には概ね賛成の立場だ。
が、本当にどうしようもない人間は残念ながらいる。
これはカマトトぶっててもしょうがないのだ。本当に残念だが、1億2700万人もいれば、更生不可能な人間もいるのだ。

考えてほしい。

筆者にはまだ小さな3人の子供がいるが、今回の18歳の容疑者少年が報道されている通りの残虐な事件を起こしていたと仮定しよう。
少年法に守られて、情報1つ開示されないまま、少年法に守られ、この殺人少年が数年で刑務所から出てきたとしよう。
そして、公園で遊ぶ筆者の子供の隣に、出所してきた今回の容疑者少年が佇んでいたとしよう。

少なくとも、筆者はきつい。

いや、少年の更生を信じたい気持ちはある。信じなければいけないのも分かる。が、筆者も「普通」の子供の親なのだ。やはり、いくら何でも心情的には受け入れがたい気持ちがあることも事実だ。「いや、平気だ」という人もいるだろう。同時に「とても無理だ!」という人もいるだろう。問題は…

現行の少年法では「選択肢がなくなる」という点だ。

「情報」があれば、「選択肢」が生まれる。それらは日本国憲法で認められた「文化的で安心して生きられる生活」の権利のためにとても大切な権利だ。我々、大多数の人間は「マジメに誠実に」生きている。
犯罪を犯した者の権利を守るために、将来の更生を望むがあまり、マジメに生きている人間がおびえながら生きなければいけない世の中はおかしいのではないか?

実はアメリカでは、州によっては性犯罪を犯した者は在住場所の報告を義務付けられ、一般市民がその情報を所定の手続きを経れば、見ることが出来るようになっている。これは単に「極端だ」と言えばいいシステムだろうか?筆者はそうは思わない。思えない。幼女のレイプ犯罪を何度も犯している犯人が「法で認められている刑期を終えた」のであれば、シャバに出てくるところまでは理解できる。
が、娘もいる筆者は…そんな人間がどこで生活しているのか、心底知りたい。そう感じるのは、筆者が悪いのだろうか?逆に聞きたい。筆者の感覚の方が、娘がいる父親としては正常ではないのか?日本では憲法で認められているにもかかわらず、国民の「知る権利」があまりにも蔑ろにされてはいないだろうか?

4、絶望的な再犯率

そして、筆者が問いたい最大の問題がこれである。
そう。
日本の「再犯率」は…あまりにも高すぎるのだ。これは先進諸国の中では、かなり恥ずかしいほどに高い方の数値なのだ。筆者も取材し報道したことがあるのだが、少なくとも筆者が報じたケースは…
「もう絶対に悪いことしません!更生しました!」
と涙ながらに訴え、刑務所を後にした受刑者が、刑務所の中で稼いだ6万円を使って、その日のうちにソープランドに直行し、残ったお金を使ってパチンコをし、お金が無くなった挙句…

6日後に再び犯罪を犯し、刑務所に舞い戻ったケース

だった。「それはひどい!」と言いたいだろうか?「そんなのほとんどないだろ?」と言いたいだろうか?よく考えてほしい。日本の成人再犯率はリポートの出ている平成15年度の段階で…

50%

である。逆に言うと、日本の刑務所では、これだけの割合で…「犯罪者は全く更生なんてしていない」のである!
ここが大事なのだ!
再犯率がもっと低いのであれば、日本の司法システムがもっと信頼できるものであるのであれば、我々も信じて任せればいいと思う。が、日本の現実は…

理念だけは立派だが、所詮は口だけ

の状態が放置されているのだ。驚くべきは今回の様な少年たちの凶悪犯の再犯率である。同じリポートでは、殺人を犯した93人の少年のうち、54人が再犯を犯しているという信じがたい現実がある。
これは日本の刑務所が抱える問題があるのだ。一般の皆さんが知っているよりも、実はずっと早い刑期で、多くの犯罪者がシャバに舞い戻っている現実がある。理由は簡単だ。刑務所が…混みあってしまっているのだ。新しい犯罪者を収容するためには、誰かを出すしかないのだ。

思うのだが、例えば…少年犯罪の再犯率が…25%を切ったら今のように「匿名報道」にしてみてはいかがだろうか?それくらいなら世界的に見ても許容できる範囲だ。少年院や刑務所の「更生プログラム」がもっとうまく機能し、まぁこれくらいなら世界的に見ても恥ずかしくないし…といえるようになったら、その時に

「知る権利も大事だが、少年の更生を期待しよう!」

とご立派なことを言えばいいのではないか?今の日本では「失われていること」の方が多すぎるような気がするのだ。

以上の理由から、筆者は「現段階では」、日本では少年の犯罪であっても「実名報道」「顔写真全面解禁」にすべきだと考えている。