Categoryお喋りについて

昨日は都内で結婚式の司会。

ケーキ入刀の時に集まりにばらつきがあったので、アドリブで「ケーキ入刀の儀式の由来」について話をしたら
「へ~そうなんだ~」
との声が。

そうか、考えてみたら僕たちのように司会をする人間以外はそこまで意識しないかもしれないですね。

結婚式での定番となっているケーキ入刀は起源については諸説あります。
いつ始めたのか、その理由が何なのかは物的証拠とともに正確なデータが残っているわけではありません。しかし、私たち司会者が一般的に聞いている内容としては以下の通りです。

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昔、ヨーロッパである「食物には困らない家庭」があって、花嫁が腕を振るって何段にも連なった大きなケーキを作った。
そのケーキにナイフを入れるときに花婿が「一緒にやろう」と言い始めた。
「僕たちはお互いに忙しく、今まで結婚しても『二人で何かをした』ということがなかった。これは二人での初めての『共同作業』だ」と。

ケーキにナイフを入れ、二つになったケーキを見て、花婿が言った。
「ごらん、ケーキは二つになった。
これからは二人で、こうやって幸せを2倍にしていこう。
そして、ケーキはそれぞれ半分の大きさになった。
これからは二人で悲しみを半分にしていこう」

それらは列席していた観客の同意を得て、この儀式は結婚式にとても大切な意味合いを教えてくれるのではないか?と世界中に広まていった

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とても分かりやすいいい話なんですけれど、じゃあ日本ではなんで「入刀」と言ってナイフを数センチ入れるだけでやめてしまうのかって話。
真っ二つに切ってこそ意味があるんですけれど、これは結婚式をはじめ催事の決まり事である『忌み語』を避けるためだと言われています。

「切る」「分かれる」「出る」といった言葉はそれぞれに「不吉だ」「縁起が悪い」というクレームが日本では常に入り、最終的に「切るのではなくナイフを数センチ入れる」という儀式になったのだとか。

これって、とても私はよく分かる気がするのですね。と、言うか日本人の気質をとてもよく表している。

所詮同じケーキなわけです。
所詮ナイフを入れる行為です。

一緒なんです。どっちでも。

でも「4」を『死ぬ』と言いたがる日本人なんです。
「4」は『幸せ』とは言わない日本人。

なので、せっかくのこのケーキ入刀の儀式の大切な意味合いが失われているんです。




この儀式のミソは
「全く同じ状況なのに、考え方によってはいい方向にも悪い方向にも見えるよね、だからいい方向に考えていこう」
が答えなわけです。

だって、ケーキ切っただけなんだから。
それを新郎は
「見方によっては二つに増えた=幸せ二倍」
「見方によっては半分の大きさになった=不幸半分」
って言ったわけです。
ポジティブなものの捉え方がいいよって教えですね。

でも日本人は、まず「縁起」とか「伝統」を大切にして「ケーキを二つに分ける」という行為をやめてしまった。なので、日本ではこの儀式は「ただのシャッターチャンス」になっちゃったよ、という話。

伝統を大切にすることを私も否定はしません。
しかし、前向きに受け取る、同じ事象をとにかくネガティブに受け取る性質は、結局は非難と批判しか生まない気がします。

ちょっとお説教臭いコラムでした。
アナウンサー豆知識ですね。
ま、アナウンサーの仕事してないけどね。



久しぶりに日本語について。
本日(6月25日)のライブドアニュースのトップページにこんな記事が出ていました。

意外と知らない! 「下さい」と「ください」の違い

記事内容をまとめると、「クダサイ」には2種類の意味があり、英語で言えば「give」と「please」の意味がある、とのこと。で、「give」の時は「下さい」と漢字で表記し、「please」の場合は「ください」と平仮名で書く、と。で、

「また「下る」は字の如く、高い地位の人から下げ渡される意味もあり、漢字で書く「下さい」は、上から目線の言葉になりかねません。
特にご年配の方と関わる際は、注意しましょう。」


とか書かれてるんですけれど…

いや、ホント…(涙)

僕は先週だけで3本のティーチングをして、「日本語について」や「伝え方」、「プレゼンの方法」などを各地で教え回っているんですけれど、その最初に必ずみなさんに言うことがあるんですよね。それは…

世の中、ウソばっかだから、ホントにそういうの、聞かないでくださいね

ということなんです。
本屋さんに行くと、あるでしょ?「お前、誰なんだよ?」的な人が書いた「伝える本」とか、「正しい日本語本」とか。もうね、僕らから見ると、ほとんど失笑モンなわけです。いや、お前ら誰だよって。どうか、僕のブログを読んでいる人だけでも、そういう「知ったか君」たちの言うことをマトモに取り合わないようにお願いしたいと思います。

まず、答えを先に言っておきますね。

「ください」と「下さい」に関しては、大した決まりはないので自由に使ってください。

はい、これが正解です。日本語というものは、誰だか分からない「自称:マナー講師」とかが勝手にいじっていいものではありません。こういった「知ったか軍団」の言うことは無視しておいてください。

歴史を言いますと、昭和28年に「ください」は、全部平仮名で書くように、という基準をちゃんと文部省(当時)が出しています。その当時は「全部平仮名」が正しかったんです。
でも、昭和48年にこの記事のもとになっているように

「give」=「下さい」(漢字表記)
「please」=「ください」(平仮名表記)

という、一応の基準が示されます。なので、一見すると、元記事さんが合っているように思えたりするんですけれど、この元記事さんはその文部省の基準をちゃんと調べていなくって…

これ、あくまで【公用文章における基準】なんです。

要は、政府の文章(国会議事録など)であったり、区役所や市役所で正式な文章として使われる文章として一応の統一をしただけであって、明確に「一般人が書く文章」に関しては『規定なんてものは存在しない=どっちでもいい』っていうのが正解なんです。皆さんのお手紙とか、公用文じゃないでしょ?

間違っても、目上の人に「下さい」と書けば「見下してる」なんてことはあり得ません。この記事主さんはただの勉強不足です。





何でもかんでも、「これが正し日本語でぇ!」って言う変な人たちは多いんですけれど、そもそも、「正しい日本語なんてものは存在しない」と思っておいてください。昔も書きましたけれど、

東京の言葉は「正しくて」福島県の言葉は「間違った日本語」

なんてことは絶対にありえません。基準が示されているケースはありますが、「言葉」というものは「より正確に伝わる方がいいよね~」程度のものです。なので、年代によっても地域によっても性別によっても全部形は変わります。それらを

「これが正しい日本語で、あとは間違ってんだ!」

というのは傲慢以外でも何でもなくて、「出来るだけ統一の基準を設けるとしたら…」程度の基準を作れるのも、日本では文部科学省くらいです。我々アナウンサーでも、勝手にそれぞれの局で統一のものは作っていますが、それが「正しい」のではなくて、「うちの局はこちらの統一でいきましょうかね~」程度のものです。

よく言うジジーやババーが
「最近の日本語は乱れとる!」
って言うのは、翻訳すると、
「お前ら、若くて元気で羨ましいわい!」
となります。聞く価値のある指摘ではありません。無視してください。そして、しつこくくだらないことを言ってるなら、
「正しい日本語もいいけれど、お前らが作った国の借金1000兆円の『正しい』返し方でも教えてクダサイ」
とでも言っておいてください。




日本語なんて、僕が言うのもなんですが、もっとリラックスして自分勝手に使ってもいいものです。勝手に自分の基準を作って「これが正しい」って言ってくる人、結構いるんですけれど、大半は知ったかです。あんまり相手にしないでおきましょう。

そんな訳で、僕のブログはリラックスして書きまくっているので毎日誤字・脱字だらけです。気にしないでクダサイ。



久しぶりにおしゃべりについて書きます。と、言うか日本語についてです。

今さら僕が「正しい日本語」についてどーのこーの言うとか、かなりブラックジョークですが、一応は勉強してきたものとして。たまに書き込みで来るんですけど…

「『違和感を感じる』は正確な日本語じゃないんじゃないか!アナウンサーのクセに!」

これはですね、承認してません。この書き込みしてる人が恥ずかしい思いをするだけだからです。



勘違いをされてる方、少なくないんですが、上記した勘違いには2通りの誤解があるようです。

1、「違和感」は「覚える」ものではないのか?

違います。「違和感」とは「感覚」のことを指します。「なんか変だな~」と「感じる」のです。少し細かく分析してしまうと、「和」という漢字は「平和」にも見て取れるように、「穏やかであること」、「トラブルなどがない状態」を表す漢字です。聖徳太子が「和をもって尊しとなせ(わをもってたっとしとなせ)」と言ったのは有名ですね。はい。この「和の状態」と「違う」「感覚」だから「違和感」です。要は

なんだかしっくりこないよね~

って感覚ですね。そう「感じている」ので「違和感」は「感じる」が正確な表現です。覚えてどうするのってね。何を暗記してんだかって話です。もちろん、間違ったまま市民権を得た表現と言うのは日本語には沢山あります。これに通じるのは

「的を得る(まとをえる)」

という表現ですね。的は「射る」ものです。的を「もらって」も重たいだけです。でも、少なくない日本人が「的を得た表現ですね~」とか言っちゃってるんですけど、誤解です。「的を射た表現」が正しい日本語です。

2、「2重表現」ではないか?

はい、このご指摘も完全な間違いです。
「2重表現」ってのはですね、「消防車の車」とか「夕日の太陽が…」って表現です。要は「かぶっちゃってる表現ですね。「消防車」ってのはその段階で
「火事などを消火に行く『車』」
って言う意味があります。なので、「消防車の車」って言っちゃうと、「火事などを消火に行く車の車」って言ってるのと同じになっちゃうんです。

これを「2重表現」と言います。

で、「違和感を感じる」が2重表現ではないか、というご指摘ですが、一応これは違います。
「違和感」とは「感覚」のことを指します。2重表現とは「意味の重複」の時に使われる指摘なんです。「違和感」は名詞。「感じる」は動詞。先ほど、「違和感とは「なんだかしっくりこないよね~」と言う意味です、と書きましたが、それで言うと、「違和感を感じる」とは

「なんだかしっくりこないよね~と感じる」

と言ってる訳です。普通でしょ?これは2重表現ではないんです。




中には「アナウンサーのクセに正しい日本語を知らないのか」とか書き込みをしてくる人、いたんですけど、どうか安心してください。僕、一応はそこそこ日本語の勉強してきてますから。一応、高校生からやってきてますので、「日本語アクセント辞典」とかあったりするんですけど、そのほぼ全ページを暗記した人間なんて、そんなに多くないと思います。

確かに、僕はいわゆる「間違った日本語」を使う時があります。「『普通に』使ってます」みたいにね。でも、実はそれって、けっこう考えたうえであえて使ってたりします。勉強した上で、あえて、そこの部分にワンポイントだけ「正確ではない」日本語を入れ込むことで文章のメリハリをつけてみたりしてたりします。

改行とかも、意外とこだわってたりするので、分かる人はそんな視点でもブログを楽しんでみてください。





ちなみに、先々週の僕のメルマガで清原さんの「パチンコ営業」を「チンコ営業」と記したのは、ただの誤字です。ホント、失礼しました。誤字は一向に減りません。何故でしょうか(涙)。

皆さんから寄せられた質問の中で、ずっと気になっているものを一つお話しようと思います。

「人前でお話する時、緊張して上手くしゃべれないんです。どうしたらいいですか?」

この質問は、とても多くの方にされたことがあります。どうやら、少なくない方が同じような悩みを持ってらっしゃるようです。

人前でうまくしゃべれない。
目上の人とうまくしゃべれない。

どうしてだと思います?

確かに僕たちアナウンサーは人前でしゃべる事ではほとんど緊張しません。もし、たった今、1万人の大観衆を前にしたとして、何か話してくれって言われたら、多分、僕その瞬間に何分でも喋れます。はい。変態です。僕たち、変態です。相当。

でも、皆さんはアナウンサーではありません。変態でもありません。では、どうすればいいんでしょうか?

そこで一つ考えてみてみましょう。皆さんは…

1、絶世の美男子(美女)の前に出て、上手くしゃべれますか?
2、家族の前でおしゃべりする時緊張しますか?

そうです。
この質問に対する答えって実は結構簡単でして、「緊張のメカニズム」を知っておかないと、実はいろんなシーンで損をしてしまったりします。
「なぜ緊張するのか」
そのメカニズムと正体を突き止めることが大事です。

上記した1と2をよく比べてみましょう。何が違うでしょう?1とは?2の時の精神状態は?周囲の環境は?
まず、「慣れ」が存在しますよね。家族としゃべるのは慣れてますよね。という視点から言いますと、「慣れてると緊張しなくなる」という事は少し言えるかもしれないですよね。あまり、普段から絶世の美女と付き合うことってないですし、美男子と二人きりでお話すること、ないですもんね。

さて、ここでもっと突っ込んで追及してみましょう。慣れだけですか?いえいえ、きっとそうではないんです。

昔、先輩の笠井アナが言ってました。
「俺は結婚するまでは沢山のバレンタインチョコをもらっていた。でも、結婚したら、なんと、チョコが3個になってしまった!」
ここまでだと、ただの自慢話なので聞いてても聞き流す程度なんですが、その後の言葉がなかなか興味深かった。
「思うんだけれど、テレビを見ているファンって、実は心の中で少しだけ『いつかテレビに出てる笠井さんと付き合えるかも』『結婚できるかも』って思っているんじゃなかろうか?でなければチョコが減るはずはない」
自分でそこまで言える笠井さん、ラブです。
でも、これは本当に少し合っている気がするわけです。

もし、僕が大好きなグラビアアイドルさんがいたとして、その人と何と感動の対面!お話をしたとしましょう。そら緊張しますわな。
なんで?そう、答えはシンプルで…

「失敗したくない」

からなのです。ここが大事です。「緊張」のメカニズムです。

「失敗を恐れる心」。これが緊張という金縛り状態を生み出す魔物です。ではなぜ、失敗を恐れるのか?簡単です。
「失敗の度に怒られてきたり嫌われてきたりダメージを受けたから」です。

日本人は徹底的に「減点主義」です。要は「文句言い」です。文句ばっか言ってます。98点を取ったら、普通の顔で両親から
「なんで2点が取れなかったか考えろ」
とどやさたりします。その時、両親に
「お父さんのお腹周りは65点だけどね」
とか言ったら余計面倒くさいことに怒られるのです。本当に面倒です。お前、アインシュタイン並みの頭脳の持ち主で、100点しかとったことないのかよ、と。そんなこと言ったら余計面倒なのです。

でも、皆さんは本当はもっともっと自由なんです。緊張なんてしなくていいんです。お話なんて、だれがどんな風にしてもいいんです。人と話す時に緊張するなんて、ナンセンス。するべきではない緊張をしているのだ、という真実を知るべきです。

日本はアメリカから押し付けられた「自由憲法」があるので、本当はもっと自由で多様性を認める国なんです。憲法上はね。でも国民がずっと村社会で生きてきたから今までのノリで
「周りの空気読めよ」
とか恥ずかしいこと言っているんですけど、そんな訳ないです。憲法でしっかりと自由な意見、自由な宗教、自由な考え方が認められているのです。
自由に話したらいいんです。
で、それに反論するのも自由なんです。そうやって、いろんな意見を出し合ってそれぞれを尊重して、より、素晴らしい意見を求めていけばいいんだと思うんですよね。

でも、実際の皆さんの周囲は
「失敗したらダメ」
「人と違うことを言ったらおしまい」
「取り返しがつかない」
そんな脅し文句の連発となっています。恐ろしい世界です。そら、そんな環境で育ったら緊張して当然です。自分を受け入れてもらえないかもしれない、と思いながら話をするのって恐怖です。

僕は人前でお話をすることに緊張はしません。テレビの前でも同じです。緊張しません。でもその下地って、僕の素晴らしい両親や友人や先生方に育てられてきたものだったりします。生まれ育った環境が、僕を自信を持っておしゃべりできる人間に育ててくれたのだと思っています。

そんな訳で上司に対しても怯むことなくガンガン文句を言った結果、こんな感じになってるって話は置いといて。


皆さんがもし、「人前でお話することがうまく出来ません」とおっしゃるのであれば、それは原因は二つです。

1、慣れてない
2、失敗を恐れている

この二つを乗り越えることによって、いつも通りのおしゃべりができるようになります。皆さんのおしゃべりはもっともっと自由であり、周囲の人々は皆さんをそこまで厳しい目で見てはいません。まずは大人数の飲みの場などで、何か話をしてみましょう。最初は一つの話題だけでいいから。そして、どんな話でもしてみましょう。で、反応を調べてみましょう。大丈夫。きっと。皆さんが思っているよりもずっと周囲は暖かい。いろんな意見はあって当然なのです。

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