2008年07月

作る 造る 創る ・・・5

そして、結果は、二人展当日までに数は少なかったのですが、来館者の方に、見ていただける程度のものが出来たのです。それも、自分でも納得できるものでした。初日の展示をしながら、「何故出来たのだろう?」と言う疑問は解けませんでした。でも自分の望んできた作品が並んだのです。
 話は変わりますが、私は子供の頃から、突然現実が分からなくなる感じに見舞われることが良くありました。今でもあります。例えばいつも通っている道などで、何かの弾みでここは何処だろう?とわからなくなることがあります。何時もと同じ景色を見ながら、観たことの無い景色に感じてしまうのです。道も、建物も看板も、気がついて見れば何も変わっていません、しかし、ほんの何秒か、一瞬か分かりませんが、知らない世界に立っていたのです。「何だ、ここか」気がつけば其れで終わりです。しかし、この、いつも見ているという「慣れ」が自分を変えられ無い大きな要因であることにあるとき気が着いたのです。「当然」と言う習慣!これが創作に大きな影響を与えていたのです。
 又次回に。

作る 造る 創る・・・4

原 先生に聞いてみると、先生と二人展を最後に開いてからもう5年たつそうです。 何回かお借りした渋谷のギャラリ−で庭の美しいのと昼過ぎから急に日当たりが悪くなったのを覚えていますが何月だったでしょうか。
 ギャラリ−が決まっても、私には出品する作品が作られていませんでした。原先生は、その前の二人展終了以降も、楽しそうに時間を見つけてはコツコツと私にも納得できる作品を物にしていました。マア 何時ものことですが。 しかしこの時だけは私にとっては精神的にかなり追い込まれていました。作りたい目標、テ−マはあったのですが、ハッキリとした姿が確認できないのです。漠然としたテ−マは、物の崩れ落ちる瞬間のエネルギ−を形にすること。「陶」の長い歴史の中で生き続けている茶碗(とくに織部、志野)の美しさを残したまま、茶道のような作法にとらわれないで使用できる「飯碗」を茶碗にひけを取らせないで作りあげたい・・でした。しかしそのテ−マは不学にして、その割りに自信家だけの自分には、とてつもない発想であったのです。ではなぜこんなテ−マが心に浮かんだのでしょうか?其処に立ち返り、何故、何故 何故を繰り返して居たのです。そして結果としては?・・・また次回に。

作る 造る 創る・・・3の続き

これは「不思議に感じる」人、「割れた物の出品」と思う方が普通であり、かなり平常な生活から離れた人で無い限り当然の事でしょう。問題は、私自身が頭の中にあると思い、これで表現できて、しかも観る側の人に同じ様に感じてもらえると考えていた自分の未完成の表現でしかなかったことの証明なのでしょう。自身の内面を追い続けることに甘い状態で表現した結果は かなり強烈な批判として自分に帰ってくるのだということを40年の経験を持ちながら知らされるのです。其れが「陶芸展」である限り。又陶器を実用として作るなら何の問題もなく出来るのですから今の私は、老いてなお、老いを背負う時にきたからこそ、ますます増える心の中の「美」との葛藤を繰り返さなければならないのかもしれません。次回は自分の内面に渦巻く物をたまたま違和感なく表現できた時に自分に何がおきていたか・・を自分で思い返してみようと思います。

作る 造る 創る・・・3

先ずお礼。幾つかのコメントを頂きました。有難う御座います。
 約1年半位前でしたか、この教室の恒例の「習作展」がありました。私は講評と言う役目を頂いている立場上、自分の気持ちに関係なく出品を要請されます。あれこれ迷いましたが、何種類かの土で小さな板を作りつなぎ合わせた板皿を作りました。結果は心の片隅に滓のように淀んでいて自分を悩ませていた物が、変化を起こして現れた気分になれるものでした。さて いま私は板皿と書きましたが、陶芸というカテゴリ−の作品展ですから、こう呼ぶしかありません、自分の心の中では、大皿ではなく、ある土が引き起こす変化の中にある力の移動の表現の心算でした。しかし、実用を中心とする陶磁器の世界から見れば「皿の中央にヒビの入った作品」であり、これの何が講師らしい物なのだろう?という顔がイッパイ。「先生割れちゃいましたね」といたわって下さる方もいたものです。実用陶器という分野に限って眺めれば当然なのです。しかしこの土の板は私にはハッキリ違ったものであったのですが・・・急用が入りました又次回に。

作る 創る 創る・・・(2)

最近の自分から話し始めましょう。
ここ1年位、私は何も作品を作っていません。毎日の追われる様な雑用、日を追って低下していく気力、体力、精神的にもベストとは程遠い状態です。
 では自分は何もしていないのでしょうか。物理的悪条件に反比例して、頭の中で繰り返されている、「美」の捜索は動き回るあらゆる環境の中でも頭の中に渦巻いています。しかし、それは「焼き物」では無いのです。絵画でも、塑像でも 書でも無いのです。空間の中に突然現れる形を成さないもの、凄いスピ−ドで現れ消えていく、色であり、線であり 固体であり、群れでもあります。そのつど発見したいという激しい欲望に見舞われます。しかし現実の空間に形となって脳のなかに表現できません。 が、その症状は、会員の皆さんの作陶中の作品の姿の先を「こうなるだろう」「こうしようとしているな」「こうすることが自然なのに・・」Etcを強烈に感じさせてくれる栄養であるような気もするのです。では作る事 創ること 造る事を放棄してよいのでしょうか。次回に考えて纏められる?この辺で今日は終わります。

作る 造る 創る ・・・僕の考え続けていること。

物を作るということ。もう数十年続けてきました。そして今も答えの出ない日々を過ごしています。
 何となく、私の歴史を書いてみようと思います。ほんの数行から、長文になることも含めて、皆さんもきっと感じていることにぶつかると思いますので。 
 では次回から・・・・

習作展が決まりました!5

第何回になるか忘れましたが、中原市民ギャラリ−で来年3月に習作展の会場がとれました。たぶん2年ぶりに開催になります。日ごろ同じ教室で作陶していながら、作陶日が違っていて誰がどんな物を作っているか分からないことの多い教室ですので、一同に会して、作品を展示してお互いの励みにしようと言うのが目的です。しかし沢山の方が見学においでになり楽しんでいかれます。皆さんもこれから背イッパイ努力して、実力を上げて楽しい、自分らしい作品作りに今から計画を立ててください。講師もアドバイスします。いつでも声を掛けてくださいね。

左馬 釉薬掛け始まりました。

新窯の初焼 縁起の 左馬の釉薬掛始まりました。文字が入ります十分に事前に考えてきてくださいね。

お疲れ様でした。そして「おめでとう!!!」5

新窯の搬入作業、沢山の方のお手伝いがあったようですが、参加いただいた方に御礼申し上げます。と同時に原先生2日間本当にお疲れ様でした。
 しかし 「デンと置かれた新窯」いいですね。おめでとう御座います。原先生子飼の青年達と、明るくて働きもののオッサン、ヨボッタ?(口は別)の講師に囲まれ、窯やさん 電気屋さん全て男性の1日で、まさに紅一点で、良い1日でした?ね。
 いよいよ 蒸気抜き、空窯焚きと定石が待っています。体に気をつけて何でも一人働きをしないで下さい。ナガ−イ付き合いになる窯ですから・・・

恐妻家さんに・・・

今野さんにお会いして良かったですね。誰に対しても自然で、驕ることもなく、といいって妙にへりくだることも無く、自然に対応されている姿は陶芸界の中でも稀有な方です。あの自然さの裏に「決して揺るがない自信と、あきらめることの無い努力がある」ことに思いを馳せで下さい。今あるものが今の自分の全てと言う作陶観が、あの美しさを生み出している気がします。経歴をヒケラカシ、能力を自慢したり、妙なへりくだりも無く創作に取り組んでいる方の完成された姿の一つでしょうか。今野さんの仕事には観念の先行に迷わされることが無いように感じます。そんな方の作品を手にされ、ご自分なりの感激や感動を持たれたことに良かったな−と思います。作品に対し自然に対処することを忘れないで下さい。「美しさを享受できるのは」人間のみの特権なのですから、生きている限り人間で居たいものですね・・・・
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