2008年09月

作る 造る 創る・・・15 「慣れ」の中に

前回、大家達の感性と学習、そして自分の中に質の高い量を蓄えて行くことについて書きました。そして、其れとは無縁か不可能か、の生活をしている私達は「量から質への変化」は望めないのかという観点から所謂「慣れ」の中にも質えの変化を引き起こすものがあると思うことに触れました。
 サ−クルの作陶室に足を運ぶ途中、「今日は昨日の続き」とか「削りだ」とかあるいは「釉掛け」しようとか、あるいはまた「花活けを作ろう」とかまた「誰が来ているかな」ETC色々考えながらおいでになることでしょう。作陶室のことを全然考えないでおいでになる方は先ずいないと思います。作陶室に入り変更することもあるでしょうし、決めたとうりに仕事?に入る方もいるでしょう。これは、誰でもが経験する過程です。何も考えず想像もしないで来る方は無いはずです。キャリアが長ければこの経験を多く繰り返します。来るたびに初心者のように緊張したり、考えに夢中になりすぎたりしないはずですよね。皆さんはこの差を経験の差とも呼んでいたりします。ここに「慣れ」と言うある意味で言う「量」があります。慣れは時として仕事に入るまで殆ど意識せずに行動させますね。仲間と話しながらも必要な用意はしてしまいます。友達と話しに夢中になっていて、必要な道具を揃えそこない「あれ?」と考えて気が着くことがありますね。そんな風景を私は良くます。これは同じ風景を見ながらそれが見えていないか、意識されていない時なのです。こんな時にえてして目の前で作っている人の作品 出来上がった作品 に息を呑むような瞬間があるのです。良く観れば「ベテランの仕事は違うな-」程度にとなってしまうようなのですが、実は自分の中に大きな質の変化を引き起こす材料になっているはずなのです。これは緊張して間違えないように気を配っている初心者の段階にはありえにくいことです。「慣れ」と言うところまで到達する量は瞬間に自分の経験外の質を感じ取り自分の中に感動と言う形で「質えの変化」の萌芽状態を作り出して行くのではないかと思っています。ただ「自分の取り組む分野の範囲で」と言う条件が付きますが。その条件付を一般化するには?・・・次回に

作る 造る 創る・・・14 量の分野

NO13で陶芸の世界の大家達の芸域の広さ、あらゆる分野に自己の感性を発揮して自分の分野の物にしているように思えることを書きました。
 してみると、物理的量ではない量(この文章の全てのシリ−ズの前提ですが)とは、生きている自分がその全ての五感を通して受け取るあらゆる刺激であるとも言えるようです。と言うことは日頃目の前を通り過ぎて行く全てが自分にとっての感性の量であることになります。
 およそあらゆる分野で新しい発見といはれるものの根底には、自分の周囲を通り過ぎて行く全てに、感動を、あるいは新鮮さを感じ、自分の中に取り入れてゆく心を持ち続けている、また、いられる自分であることに気ずいているか、日常的にそのような生活観に満たされている人と、漠然と「こはここ」「あそこはあそこ」という日常性のみで生活する人には、その生き方に違い?隔たり?があることになり 量の蓄積から質えの変化は遠くに、遠くになって行きかねませんね。しかし、所謂大家達の様な生き方をしている人はそんなに多くは無いでしょう。では、そんな、生き方しかしていない人は質への変化は永遠にこないのでしょうか?私は基本的には前述したことが本来であると思いながら、所謂「慣れ」の中にも量の内容が含まれており、やがて質への変化を引き起こすであろうと思います。量の分野の一部ではあると考え、感じているからです。次回に・・・

作る 造る 創る・・・13 量は同じ質か

NO12で 三遊亭円生氏の勉強ぶりを紹介しました。お読みのなった方はお分かりと思いますが、「名人」と歐はれる人の勉強は自分の専門(あるいは職業)領域外からも学んで行くことが分かります。ある職業、または趣味であっても、その上達を望む場合、多くの分野に心を広げて行くことも大切な要素でもあるのが分かると思います。
陶芸界に綺羅星のごとく輝いた先人達の作品を見るにつけ、これらの大家達が、粘土の成型、焼成だけでなく、夫々に、書であり、文様であり、色であり形であり自分の「感動」か「興味か」はともかく、心を打つ物に共鳴して自らの世界に取り込んでいるのを見ることが出来ます。「量」とは反復される訓練のみだけでなくおよそ考えられる自らの感性に共鳴する物には貪欲に取り組んでいるにが分かります。これらの日常性を意識することなく行動にしている時あるいは「慣れ」という言葉で表現されるような自然さで自分の創作活動に取り込まれていくのではないでしょうか。

作る 造る 創る・・・12  三遊亭円生

このブログは、落語に馴染みのないかたはパスして結構です。
 亡くなってから十余年も経つでしょうが、六代目三遊亭円生という落語家がいました。晩年は落語の祖といはれる 三遊亭円朝を継ぐのでは、とか継いだらといはれた名人でした古典落語の完成した姿を演じているとも言われていました。私も大ファンでした。それを前置きにして 落語論を書くのではないので紹介はこの辺にしておきます。兎に角、古典落語の大名人だと承知して以降を読んでください。
 この円生さんを目の前にして、某寺の広間で初めて話を聞いたのは昭和27年だったと思います。その頃、東京には未だ有名な高座がありましたので、このような席で演ずるのは今で言う「ランクが下」であったのでしょう。記憶に残っているのはそれ程上手な噺家ではないと感じた事位です。当時、ラジオ 寄席、有名劇場での大看板といえば、後に紫綬褒章をもらった 桂三木助をはじめ、文楽、柳橋、柳枝ETCぞろぞろと居り、円生氏は人気はいまいちでした。ところが昭和40年代ころから六代目 円生の芸はただお客さんを笑わせるだけでなく、話に引き込み笑いながら人間の心の中にあるあらゆる本能に働きかけ感動させる噺家に変わっていました。同時代に
クスグリ ダジャレ、オ−バ−な所作で一時人気をはくした落語家はいましたが、先輩の落語家の誰もが認める見事な芸人にその完成度を高めて言ったのです。そして七十代で惜しまれてなくなりましたが、未だにその芸域に達している噺家はいないと言えます。円生氏の友人との話を漏れ聞くと、自分の芸(落語)の深さを求め他の日本の芸 例えば歌舞伎、義太夫、端唄、能、ETCを必死に学んで落語という芸能に深さや奥行きを求めて努力したそうです。他を学びつつ自らの芸に生かす。この努力が、あるとき、円生は誰も届くことの無い芸域に達していたのだと思います。晩年の円生の話を聞くに付け、「量から質えの変化」とは漫然と数をこなすのでは無いのだと言うことを教えられます。
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