この文を書くに及ばなようなコメントを「すみちよ」さんのコラムに「西っぺ」さんが結論を投稿されています。まさに其のとうりです。西っぺ さんは川喜多半泥子の作品集を御覧になっての感想として、コメントを寄せられていますが、「茶碗は、作った人の魅力を映し出している・・・」と感じられたそうです。端的な表現ですが的確なご指摘ですね。 少し付け加えれば、人格と、その表現に必要な技の習得であろうと思いますが、しかし、骨格になるものは、「西っぺ」さんのコメントで言い表されていると思います。
 さて、仕方ありませんからNO6の続きを少し書いてこの欄を終わりにします。前回 私に大きな結論を下さった茶道の先生の言の要約です。「私達は、伝統を学び、自分の心を込めて伝え残してゆく、其の中で自分の人格を眺めなおしています。お茶碗は、作って下さる方の心を感じさせて戴くことを心に置いて選ばせて頂いています」。「先生も茶道作法に拘ることなしに、ご自分の感じられたとうりの茶碗を自然にお作りになったら良いのでは・・・」と言う言葉でした。目の前に並べた私の「力作」?を何気なく選びながらの言葉でした。お選びいただいたものは、私の内心満足のそれではなく、製作中、ごく楽しく作ったもの2点でした。自分の心に素直に作った2点 それだけに、大袈裟に言えば自分が無心に作り出した物だけが、物まね茶碗を凌いだのだなという実感が伝はってきました。美という抽象を感じ取ることに心を向けず、沢山の智識だけを寄せ集めても、茶碗にはならないという、不思議でもあり豊かな物でもあることを、独り言の様に語ってくださったまさに「宗匠」の思い出が今の私の茶碗つくりの原点なのです。其の先生は残念なことに早世されてしまいました。余談ですが、お亡くなりになる1週間ほどまえにお手前の中に加えていただいた時に「太田さん!男なら男らしく堂々としていらっしゃい!」と不慣れで硬くなっていた私に厳しい叱声をかけてくださった事が懐かしいです。