ブログのあまりの評判の悪さに、少々嫌気がさしてきまして、しばらくペ−ジも開きませんでした。評判いわく「難しい」「長すぎる」「面白くない」Etc
 それでも、わずかの方からの声もありまたPCにむかってみます。
 テ−マは表題の通りです。前回「慣れ」の中にも「質」への変化の要素は含まれていることに触れました。してみると、私が焼き物を始めたころのように、ひたすら「技」を磨く「腕を上げる」ことに取り組んでいれば、「質」への変化はかなりおきて良いはずですが、所謂 職人になってしまいやすく、同じものを作り続ける技の名人に行き着くのではないでしょうか。これはこれとして立派なことですし、「伝統工芸士」の指定を受けた方は沢山おります。私のような中途半端な人間とは違い「凄い」技の持ち主になってゆきます。ではこの方々がすべて後世に名を残すような個性的な仕事を全てしたかというと、そうはなりません。明治 大正 昭和と百余年近くの間に、キラ星のごとく名を残した陶芸家達がいましたが、そのすべてが技において名工ではありません。職人的に見れば決して腕が良いだけではないのです。此の方々の経歴を見ればすぐ気がつくこと。すなわち、かなり広い分野にわたって教養の高さが目立ちます。もちろん天性の才能に恵まれた方もいるでしょうが、焼き物以外の他の分野の知的産物にもその本質を見つけ、見抜いて自らの作品というより、人間性を高めるために取り入れているように思います。この行為は自らの創作に影響を与え質への変化に大きな要素として無意識かもしれませんが取り込まれているように思います。「絵は嫌い」「音楽は好まない」「書道は分からない」などと言って拒否してしまうのは、自らの発展を閉ざすようなものではないでしょうか。こう考えてくるとプロがプロとして自分の個性を保ちながら進歩することはとても難しいのです。「いったい誰の作品」と言われてはだめですし、蓄積した自分らしさを失うほどの変化は、もろに生活に影響しますし・・に対して自分であることを証明する必要のない皆さんの経験は、経験を多く積めば積むほど質への変化に近くなりますし、生活しなければならないという負担のないだけ取り入れてゆく間口が広がることになりますね、このサ−クルで焼き物を始めたら、ぼんやり過ごすのではなく、ぼんやりが経験になり、次の質への糧になるのだと考えてみてください、そこに無限の他の分野があり「質」があることに気がつきます。あとは、サ−クルで楽しく、だけど一片の土の動きにも目を配る気持ちを持ち続けることが、上達の道であり喜びのみちにつながって行くことに気つくはずですし気ついてください・・・次回はアマの作る!の先に見えるもの・・を考えてみましょう、ここにも「量から質」が浮かび上がってくるのです。