「量から質えの変化」・・が続来ます。うんざりしないで下
およそ物を作る人にとって、完成品として出来の良し悪しがあるのは当然の事です。作ることによって生活いている人(続にプロ)、生活費を稼がないでよい人(アマ)がいますが、作る行為には差はありませんね。差があるのは先述した、稼ぐか否かだけです。勿論 プロの仕事量はアマの届くところではありません。従って、たんに、量で、いわゆる 上手、下手を比較しては無意味です。作り続けられる限りやっていれば、差が広がるばかりです。そのプロが質えの変化を起こし「作風が変わった」といわれるにはかなりな量をこなし、自らに問いかけ、他人から受け入れられたり受け入れられなかったりしつつ、質への変化の結果を身に沁みさせられ、また続けて行くのです。が、アマにはそんな時間も、他の条件もありません。一つ一つ、教えてもらったことを続け、完成した一つ一つに感激し、喜び、ガッカリし、を繰り返しながら作り続けて行くのが普通です。勿論、その人の条件によってその数も変わってきますから、作陶についての知識に差がでるのも当然の事です。
 このように、量と言う角度から見ると「質」えの変化、作風が変わる、とか、気持ちに凄い変化が来るような経験は少なくなると思ってしまいますよね。しかし、私はアマの仕事の1個は、場合によっては、プロの何千個に匹敵する内容があることを何度も見てきています。なりに真剣に作っているとはいえ、プロにはアマほど思いいれを持ち続けてはいられないですし、アマの作陶(真剣な時の)姿勢はなかなかできません。皆さんの作るたどたどしい姿を観ていて「ドキ!」っとすることが沢山あります。そんな時、私は、量の内容は「数」ではなくどれだけの思い入れが作品に加わっているかがとても重要な位置にあることを実感するのです。アマの皆さんの数年の作陶は、実は完成品の「一つ一つ」に対する思い入れの強さが秘訣のようです。少し粘土いじって、世間話して、お茶飲んで、手伝ってもらうことに慣れていては・・・?でしょうが、でなければ皆さんがプロが届かない「質えの変化」が待ているはずなのです。長くなりました、次回に・・・