問い「霊感ってあるのでしょうか?」
http://hasunoha.jp/questions/68

【ご質問内容】

私の妻は自分は霊感があり、憑依体質で、他人のしんどい思いや魂に取り憑かれる事が多く、病気や悩んでいる人に会ったり、電話で話すと、自分ももらってしんどくなることがあると訴えています。

また、神社を参拝して、神さまや仏様からのお告げが時々聞こえるようになったので、私の言うことを聞いてほしいと言うようになりました。

妻の言動にどう対応してよいか悩むことがあります。

仏の世界において霊、および霊感はどう位置づけられているのでしょうか?また、人間は神仏の声を聞くことは修行すればできるようなことがあるのでしょうか?

【拙回答】

基本的に「霊」の存在は「無記」として扱います。

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

まず、「霊」に関しましてですが、仏教におきましては、霊・霊魂の存在は基本的に「無記」として扱います。

仏道の実践において、形而上学的な問題は、実際に何の役にも立たない議論であるとして、釈尊は沈黙されて回答を退けられたというのが「十無記」あるいは「十四無記」として伝えられています。この中において、「霊魂」についての議論も含まれています。

また、この「無記」につきましては、釈尊とマールンキャープッタ師との議論における「毒矢の例え」によって示されているように、「現実の苦しみ、苦しみの原因、苦しみを無くす方法」について、しっかりと学び、実践して、苦しみを確実に無くすことが何よりも重要であるという、現実的・実践的な仏教の考え方に基づくものであるとも言えます。

このことは、拙論下記にも簡単ながら記させて頂いております。

「佛の道」・第十八章
http://oujyouin.com/hotokenomichi18.html
「仏教・縁起の理解から学ぶ」・第三章
http://oujyouin.com/enginorikai3.html

この立場から「霊感」や「憑依」についても基本的に拙生は「無記」として扱うべきであると解しております。

もちろん、では何が輪廻・因果応報を受ける主体となるのかは、『空(無自性)なる「心相続」において』と世俗(諦)として一応は述べさせて頂くことはできますが・・※霊・霊魂を空なる心相続上の世俗(諦)・言説有としての存在と認めるのかどうかは正直微妙にはなります。

「神通力」につきましては、確かに仏典(沙門果経・相応部経典など)に依っては、悟りを開けば善巧方便のための六神通(天眼通・天耳通・他心通・宿命通・神足通・漏尽通)を得ることができるとは記されてはいます。拙生の簡単に知る限りで、観音経における観音菩薩様の善巧方便の働きについてのことや阿弥陀如来様の菩薩時代における誓願成就の内容などがございます。実際にできるかどうかは別にあくまでも「内証境地として」の解釈の一つとの説もあります。とにかくそう簡単には私たち凡夫では得れない力であると考えております。

あまり参考にはならないかも知れませんが、今の拙生の限界でありまして申し訳ないことでございます。

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16