問い「お経の種類」
http://hasunoha.jp/questions/186

【ご質問内容】

お盆やお葬式でお坊さんがお経をあげますが、そこで読まれるものは全部同じものだと思っていました。
この前ある仏教の本を読んでいて、宗派によって読むお経が違うことを知りました。
それぞれどういうお経がメジャーなのですか?お盆のときはこのお経とか使い分けとかあるのでしょうか?

【拙回答】

「了義」と「未了義」・「月を指す指」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

前々回のご質問からも更に仏教についての学びを進められておられますこと、誠に有り難いことでございます。

問い「お経を今の言葉でわかりやすく説明してほしい」
http://hasunoha.jp/questions/121

この際にご紹介させて頂きました『「よくわかる お経の本」講談社・由木義文氏著』は、各宗派の仏事で代表的に読まれるお経の内容が良く分かる構成になっておりますので、まだお読み頂けておりませんでしたら、是非にもお薦めでございます。

前々回の拙回答からの続きとなりますが、仏典・経典においては、その仏説の説かれ方や内容に大きな違いもあるため、分類・教相判釈して理解を進めることにもなります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/教相判釈

大まかに二種の分類としては、「了義」と「未了義(不了義)」があり、前者は、仏の真意が説かれている教えとして、後者は、方便として説かれた教えとして分けられ、また、各宗派・宗旨によっても何が「了義」で「未了義」かについても分かれている場合があります。

更には、経典は「月を指す指」であり、「月」(真理・悟り)を指す「指」を経典に喩えて、その指し示す先にある「月」(真理・悟り)が真なる仏の境地であるとして、その境地に実際に辿り着くことが大切であるとして、経典はあくまでも「月を指す指」で便宜的なものにしか過ぎないと解釈することもあります。

龍樹大師
中論・「観法品」(第十八・第六偈)
『もろもろの仏は「我〔が有る〕」とも仮説し、「我が無い(無我である)」とも説き、「いかなる我も無く、無我も無い」とも説いている。』、(第八偈)『一切は真実(そのようにある)である」、「一切は真実ではない」、「一切は真実であって且つ真実ではない」、「一切は真実であるのではなく且つ真実ではないのでもない」。これが、もろもろの仏の教説である。』

この内容は、一見すると不定主義・相対主義と思われてしまうかもしれませんが、人々の迷い苦しみに応じて説かれた方便の教えの一端を示す内容となっており、その根底に控えている仏の真理は、実は私たちの言語表現や思惟分別を超えた言語道断・戯論寂滅なるものであることを示す一例と考えることもできます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16