問い「運命には逆らえないのでしょうか?」
http://hasunoha.jp/questions/243

【ご質問内容】

いつもQ&A拝見させて頂いています。「なるほど」と思う事が多くとても参考になっています。

ところで、「運命」って存在するものでしょうか? 「運命」だからって言葉を使いますし、自分に言い聞かせる時も「運命」のせいにする事って結構多い気がします。
人生において、原因がありそして結果が付いてきます。結局因果そのものが運命かな?って思う事が度々あります。
悲惨な事故や事件を見ると、悪人だから遭遇したと言える人は少ないと思います。この日この時この場所に居なければ遭遇しなかったはずです。しかし残念ながら遭遇してしまった。「運が悪かった」では済まないと考えます。結局、生きている以上常に物事や行動を選択し原因を作り、何らかの結果が出て、「運命」と諦め落ち込んだり「運命」に感謝し喜んだりして。
支離滅裂になってしまいましたが、ご住職の方々が考える「運命」とはどのようなものでしょうか?逆らえる事は出来るのでしょうか?
私自身は抵抗する元気もないので、万事を受け止め現世に生がある限り前に行くしかないと思っています。辛くきついですが、これが「運命」なら仕方ありませんから。

【拙回答】

運命論・宿命論・決定論は仏教の「中道」に反する考え方

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

運命論は、別名で宿命論、決定論とも同意と考えることができます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/宿命論
http://ja.wikipedia.org/wiki/決定論

既に増田様、釈理薫様もおっしゃられているように、私たちの世界は因縁果の流れにて成り立ってございます。

http://hasunoha.jp/questions/235

但し、上記問いの拙回答内容のように、その因縁果の複雑な無数の流れを完全に知ることなど私たち凡夫には到底不可能なことであります。ただ、この因縁果の理を考えることは、あらゆるモノ・コトには実体が無いという「空」を考える上において非常に大切なことになります。

さて、運命論に関しては、これまで下記問い拙回答内にて少しく扱わせて頂いております。

http://hasunoha.jp/questions/93

結論から申しますと、運命・宿命・決定論は、常見・断見のいずれにも陥る危険性が高くあり、「中道」を説く仏教からは、当然に退けるべき考え方となります。

例えば、これまでの、またこれからの輪廻の中でも味わうであろう苦悩の数々・・それも運命・宿命・決定付けられていることだと言って諦めてしまうのであれば、これからも何をどう生きようが、努力しようが、悪いことをしようが、善いことをしようが関係なく、何もかもがもう既に決まってしまっているとして、あらゆることが否定されて無意味となってしまいかねません。これは一つの虚無・悲観主義に陥り、仏教において退けるべき極端な考え方、断見となります。

この輪廻の苦海の中にいる限り、色々な苦しみは、早晩、大小関係なく、様々に幾度と無く経験することとなります。天災や戦災、不慮の事故などによる死(怨憎会苦・死苦)もただその苦しみのほんの一端のことでしかありません。

とにかく、これからの善い結果、善い趣きを望むのであれば、やはり、悪い行いは慎み、善い行いに励み努めていくことが必要であり、いつまでもこのような境涯に生じて苦しみ続ける輪廻の根本を断つために、悟り・涅槃へ至るための仏道を歩むことが望まれることになります。

是非共に頑張ってこの輪廻からの解脱を目指して参りましょう。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16