問い「死を考えてしまう」
http://hasunoha.jp/questions/318

【ご質問内容】

以前友人を自死で亡くした事があります。
だいぶ乗り越えてはいますが、ふとした時に急にものすごい悲しみにおそわれる時があります。
でも、それは仕方のない事と受け入れていましたが最近また違う感情に悩んでいます。
今とくに悩みや死にたいと思う事があるわけではないのに、自分が死ぬ事ばかり考えてしまいます。自分が首をつっている所や胸に包丁をつきさしたり、そのような事が頭にうかんできます。
死にたいわけではないのに、そうしたくなるんです。
とくに疲れている時や、自死した友人の事を思い出すときに。。
鬱なのかなぁ、と思いますが自分が突発的に死んでしまうのではと不安になります。だけど、深い悲しみからか心が壊れてしまい、死ぬ事に対して怖いとか感情もなく無の感情になる時もあります。
自死した遺体も見ていますので、その光景が頭から離れない時があります。自分が認識しているより心のショックが大きいかもしれません。
どのように心をもっていっていいかわからず、早急になにか心を変える言葉をいただきたく書かせていただきました

【拙回答】

御仏の慈悲にいだかれて安らかでありますように

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

自死なされてしまわれたご友人のことで、PTSD(心的外傷後ストレス障害)でお悩みのご様子、皆様のご回答にありますように、一つは、心理カウンセリングを受けられるか、または、心療内科へ受診なさられるか、あるいは、浦上様もおっしゃられている「自死・自殺に向き合う僧侶の会」の「いのちの集い」に一度参加なさられるのも良いのではないかと存じます。

やはり、それだけご友人の自死がショックで、心に大きな動揺が生じたのであろうかと推察申し上げます・・

どのようにしてご友人の死を受け入れて、そしてご供養していくべきであるのか・・

仏教では、業論・輪廻論という難しい思想がございまして、この肉体の死後も、心(相続)が続いていくものであるとして、「死=終わり」とは捉えません。

問題は、死後も続いていく、その心(相続)のありようとなります。心(相続)のありようで、死後の次の様態が決まっていくこととなります(厳密には、業・カルマが大いに関係して参ります)。代表的には、六道としての天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄とありますが、これはあくまでも心(相続)の様態における象徴的・代表的な一つの分類となります。いずれにしましても、輪廻の中にある限りは、迷い苦しみの中にあることに変わりがありません。この迷い苦しみの輪廻から離れるためには、悪い行いをなさずに、善い行いに勤め励み、心を清らかに保ち、確かなる仏道を歩むことが望まれることとなります。

私たちにできることは、何とかそのご友人の心(相続)のありようにおける迷い苦しみが、少しでも和らぎ、癒されて、更に、確かなるご仏縁を戴くことで、迷い苦しみから離れるための悟りを目指すことができますようにとして、ご供養申し上げることが大切になるのではないかと存じております。

どうか、ご友人のために、お墓参り、お仏壇参り、お寺参りなどを成さられる際には、ご友人のお心がどうか安らかにありますように、大慈大悲の御仏様の御心にいだかれて、仏道を歩まれておられますようにとして、手を合わせてお念じ頂けますことからでも構いませんので、ご供養して頂けましたらと存じております。拙生もtae様のご友人へ日々のご供養を向けさせて頂きたくに存じます。

川口英俊 合掌

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