問い「仏教とは死後の幸せを求めるものですか?」
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【ご質問内容】

それとも、生きている時の幸せを求めるものですか?

また、宗派によって違うのでしょうか?

先祖供養をしたり、生きている人の煩悩を消すようにしたり、

両面を見ることがあります。占いをしているところもあるし

宗派によっても随分違うのでしょうか?

色々な宗派のお坊様にご意見を賜りたいです。

【拙回答】

「利益」(りやく)にあずかるために

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教とは、確かに「幸せ」を求めるための教えでございますが、その「幸せ」は、私たちの欲望を満たすような世俗的な意味合いでの「幸せ」ではございません。仏教における「幸せ」は、「涅槃・悟り」の境地というもので、世俗的な幸せとは次元の異なるものでございます。生死を超えての「幸せ」が誠に大切となります。

どんなに欲を出して求めても求めても得れないという苦しみを「求不得苦」と申しますが、簡単には、主体である自分にも客体である対象にも実体が無い「空」・「無自性」なるものであるため、捉えようがない、つかめないものでしかないのですが、そのことを理解できずに、モノ・コトを実体視してとらわれて執着を起こして、様々に迷い苦しむこととなり、本来的に得れないものをいくら求めても求めても仕方が無い、意味が無いことを理解できずに求めてしまい苦しむということでございます。

もちろん、「空」・「無自性」とは言っても、何もないわけではありません。私も対象のモノももちろん確かに存在はしています。しかし、そのありようは「縁起」により成り立っているものでしかないのだと説明することとなります。

この「空と縁起」の考え方はひとまずここではこれ以上述べませんが、例えば、現世利益や来世利益とよく言う場合の「利益」(りやく)とは、仏法・仏道を修し実践することでの善利による福徳・恩恵にあずかることであり、善い行いという原因・条件(縁)によっての善い結果におけることを申します。

法要の際における回向文の中でも「現世安穏」・「後生善処」という言葉が出て参りますが、善因善果の理を理解し、善い行いを実践することでの善い報いにより、この生である現世にて安穏無事に安心に過ごすことができ(釋理薫様のおっしゃられている「平気で生きる」とも同じでございます)、この生を終えた後、来世でも、その善き報いにより、善き赴きがありますようにという内容を扱ってございます。

仏教における「利益」(りやく)にあずかるためには、悪い行いをなさずに善い行いを実践することが、とにかく大切になるかと存じております。もちろん、なかなか私たち凡夫にとりましては難しいことではございますが、しっかりと仏道を進む中にて努力して参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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