問い「生きること、死ぬこと、どっちが辛いのか」
http://hasunoha.jp/questions/420

【ご質問内容】

こんばんは。

昨今様々な悩みから、自殺衝動にかられて、
掲示板や知恵袋などに相談・質問する人が後を経ちませんが、
自殺防止サイトや一般の方からの回答に、
『死ぬことは生きることより辛いですよ。』とか、
『死んだら今より辛いですよことが待ってますよ。』という回答があるんですよね。

この世が辛くてお別れしたいのに、
お別れしたあとにも、もれなく辛いことが待ってるわけですよね?

まさに『生きるも地獄、死ぬも地獄』の人が、
この世にいるわけですよ。

そんな八方塞がりの状況の場合、
人はどの道に進めばいいのでしょうか?
救いの道はあるのでしょうか?

回答よろしくお願いします。

【拙回答】

「不生不滅」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

はい、救いの道はございます。それが仏道でございます。

「生きること、死ぬこと・・」・・さて、般若心経の中に、「不生不滅」という言葉がございます。

まあ、「不生不死」も同意でございます。仏教の究極的真理(勝義諦)としては、「生も死もございません」と一応言語表現として措定して言えることができます。

「えー生きるも死ぬも本当は無いの・・凄いー、なるほど、有り難き幸せ」と、まあ大抵の人は納得できないかとは存じます。世俗的真理(世俗諦)、つまり世間一般論として現に今生きているのは事実であり、やがて誰もが死ぬのも確かなる事実なのですから。。

では、なぜ、「不生不滅」だと仏教では述べるのか。ここをしっかりと考えて理解していくことが、この迷い苦しみの世界を超えていくために非常に大切な要諦となります。それは、つまり、自分という存在は、実体としての生もなければ滅(死)もない、ということの理解、いったいではどの自分が生きて死ぬというのか、そのような自分を探そうとしていくら探しても見つからない真理に気づけるかどうか、そこから、あらゆる全てのモノ・コトには実体が無いという「空」(無自性・無実体)を理解できるかどうか、そして、「空」とはいえども、確かにモノ・コトが成り立っている目の前の現実をどのように捉えるべきか、これはつまり「縁起」ということの理解となりますが、この「空と縁起」の理解を進めることが迷い苦しみを超えていく上で非常に重要な鍵となります。

更には、空と併せて、縁起の※三つのありようもしっかりと理解し、この迷い苦しむ存在にある原因(無明・煩悩・悪業)を対治するのに取り組むこと(善徳行・慈悲利他行、福徳の資糧を積む)により、迷い苦しみを超えた悟り・涅槃に到達することが可能になる次第となります。

是非、共に頑張って仏道に精進努力して歩んで参りましょう。

※縁起には、三つの階層があり、第一に、「原因・条件と結果との依存関係」、第二に「部分と全体との依存関係」、第三に、「意識作用・概念作用・思惟分別作用により、仮名(けみょう)・仮説(けせつ)・仮設(けせつ)されることによるという依存関係」がございます。

川口英俊 合掌

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