問い「自分より稼いでいる友人との付き合い方が分かりません」
http://hasunoha.jp/questions/425

【ご質問内容】

先日同い年の友人と話していた時に収入のお話になりました。

私よりも友人のほうが収入がよかったです。なんだか悲しかったです。自分もこんなに働いているのにどうして?という気持ちになりました。

こんなことを考える自分も嫌です。その友人とこれからどうやって付き合っていけばいいですか?会う度に私よりも収入がいいんだ、と思いがよぎったり、一緒にでかけても友人にとっては、安い買い物なのかな、、と思ってしまいます。

どうすればいいですか。

【拙回答】

お釈迦様の托鉢

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

確かにどうしても気になって比べてしまうことの一つとして、「収入」がありますよね。。

「比べる」ことにつきましては、最近の問い「父が亡くなって3ヶ月」( http://hasunoha.jp/questions/404 )にて扱わせて頂いております。

さて、世間では収入の高低が一つの価値の高低の基準としてありますから、それはそれで仕方のないことでございます。

お金は確かに大切です。しかし、お金が全てではありません。また、お金と幸せが比例しないことは世間の様々な例が示す如しでもございます。それでも無いよりか有る方がというのも否定はしませんし、とにかく、何をするにしても当然に先立つものがなければ、正直、何もできないのも現実です。お金は必要です。しかし、お金というものは、あくまでも人の信用という価値によって成立しているもので、時に非常に危うく脆いものであるということも良く理解しておく必要があります。価値が下がる前に有意義に、有効なことに使って参りたいものでございます。

さて、仏教的には収入についてどのように考えるべきか・・もちろん、お金の問題は、執着や煩悩の対象となりやすい最たるものであるため、特に気をつけることが必要となります。むしろ、有るならば必要最低限以上のものは、喜捨布施致すことでの善い行いに使って、善業を積むことを推奨することとなります。そして、またその善業による結果として善い報いがあれば、より一層に善業を積むことにするようにと致せれば尚善きこととなります。

お釈迦様の托鉢のエピソードの一つとして、托鉢に出られる際には、貧しい家々のところを意図的に廻られたと言われています。普通に考えれば、金持ちの家々を廻ることが当たり前だと考えるはずでしょうが、そこには仏教の考える因果応報論、業論の深い洞察が含まれているところで、それは、貧しい者たちが貧しさから逃れられない因果の流れをどうにか喜捨布施という善業を積むことにより、その貧しさから救い出してあげたいという慈悲の想いがおありであったためと言われております。

とにかく、収入云々よりも、どれだけ善徳の行いに対して、お金も上手に使っていくことができるかどうかについて、この度は少しお考えを賜われましたら幸いに存じております。

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16