問い「取り付かれた?と思うことがたまにあります。」
http://hasunoha.jp/questions/428

【ご質問内容】

こんにちは、よろしければご意見を聞かせてください。

たまにですが、自分ではない人格が出てきたように感じることがあります。

例えば、何年か前、彼氏ができたときには、まるで自分ではないかのような言葉遣いで、性的な発言をたくさんしていたようです。
「していたようです」というのは、ほとんど自覚がなく、すぐ忘れてしまって、
「そういう言葉を遣ってほしくなかった」
と、後で言われた時気づいたものです。
私は、そういえばそんなことあったっけ…くらいでしたし、私がそんな言葉を遣ったことに、後々驚愕でした。

また、習い事の先生を好きになったかのように感じたことがありました。
が、それは2週間ほどで消えました。

その時は、もう少しで先生に告白してしまいそうになっていたのですが、
雰囲気によってはやめておこうと思っていて、実行されなかったのです。
その直後、「あれ、全然好きではなかったな…何だったんだろう
?」と思いました。

つまり、「あれは誰の感情だったの?」と思うことがたまにあるんです。
そういう感情に振り回されることが、たまにあるんです。

レッスン室にゴーストでもいたのかしら?と思ってしまったくらいだったのですが、そういうことってあるのでしょうか?

それとも、すべて自分の持っていた性質が何かのきっかけに出てきただけでしょうか?

【拙回答】

心の問題

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「取り憑き」、「憑依」や「霊感」に関連することにつきましては、下記の問いの拙回答にても少し扱わせて頂いております。

問い「取り憑かれている人」
http://hasunoha.jp/questions/126

正直、「憑依」や「霊感」に関することは、宗教的な面から捉えようとして考えますと、その根拠や論証の曖昧さが生じてしまうため、非常に難しい問題を孕むこととなります・・

そのため、「憑依」・「霊感」云々は別として、心の問題が内面において控えている場合もありますので、心療カウンセリングやメンタルケアを受けられてみることも、もしか致しますと解決へと向けた一つの有効なことになる場合もあるかと存じております。

もちろん、例えば、それを一律に何か「○○障がい」、「パーソナリティ障がい」、「人格障がい」と断定的に言ってしまいますと、誠に配慮に欠けるものとなり、当然にご批判もあるかとは存じますので、下記ウィキペディアの説明( http://ja.wikipedia.org/wiki/パーソナリティ障害 )における概要にございますように、治療とコミュニケーションに役立てるための一つの位置付けであるとして、前向きに捉えて、改善へ向けて積極的に取り組むことが望まれるのではないかと存じております。

また、障がいの有無に関係なく、同じく概要に書かれていますように、100人いれば100通りの色々な問題があるというのは、誠にその通りであり、私たちの心は非常に複雑かつ繊細、思うようにはなかなかならないものでございます。

皆一様に、生きていく上で色々な悩み苦しみがあるかと存じます。それをこれは「障がい」、これは「障がいではない」と決めつけてしまうのではなくて、その心のありようを改善させて、成長させていくことにより、悩み苦しみを解決させて、より良く幸せに過ごすことができるようにとして調えていくことが大切なのではないかと存じております。その一つとして、心の問題を扱う仏教は大いに役立つのではないかと手前味噌ながらにもその学びを推奨させて頂く次第でございます。

是非、仏教の学びも進めて頂きまして、たま様の悩み苦しみが少しでも無くなって参りますことを心から祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16