問い「懺悔」
http://hasunoha.jp/questions/524

【ご質問内容】

現在高二なのですが、私は中学のころ、あだ名を言う、言われるの二つの体験をしました。
私は唇が太く、ぼってりしているのでそのことであだ名をつけられ、また不細工なのでからかわれ、当時は、家に帰ると独りで泣き、鏡を見て絶望し、自分なんかいないほうが良い、と考えていました。そのネガティブな気持ちはつい最近まで続き、もともとの神経質も関係し、苦しかったです。
また、私は、苗字があるレスラーといっしょだということで、プロレスラーというあだ名をつけたり、態度がおっさんぽくて目が丸く大きいということでおやっさんというあだ名をつけたりして、数人とそのあだ名を言い合って笑ったりもしていました。後悔するころには前者は転校、後者は転塾していました。彼女らには、実際会ったりや、メールで謝るなどの行為はもうできませんが、心の中でなんども謝り、またそれがきっかけで自分をかえることができ、今ではネガティブには決してならず、不平不満悪口も一切言わないようになりました。
このことは全て親に話し「実際に謝れないのなら、心でしっかり謝り、罪悪感を持つのではなく反省をしなさい」と言われました。当時共にあだ名を言っていた者にも相談したのですが、彼らは、罪悪感など一切なく、あだ名を言ったのも青春の1ページさ、などと言っていました。
最低な行為をしたことはわかっています。しかし過去は変えれませんし、過去に縛られていては未来でも同じ過ちを犯してしまうかもしれません。そうは思っていても、私は極悪人で、まわりとはけた外れに悪いことをしてしまったのではないかと思い、勉強にも手がつきません。
これから私は、どのように過去の過ちを捉えていけばよいのでしょうか?また、罪悪感を持つことと、反省とは違うのですか?どうか御回答よろしくお願いします。

【拙回答】

「慚愧」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

まだ高校生でお若いですのに、自らの過去の過ち(あだ名の付け合いぐらいは、中高生ぐらいであればよくある悪ふざけの部類で、それほど深刻な過ちではないかとは存じておりますが・・)と真摯に向き合われておられる姿勢、誠に感服させて頂きました。

さて、「どのように過去の過ちを捉えていけばよいのでしょうか?また、罪悪感を持つことと、反省とは違うのですか?」でございますが、仏教では「慚愧」(ざんき)という善い行いがございます。

実は、「慚愧」につきましては、これまでも下記のような問いの各回答にて扱わせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/慚愧

改めて、

「慚」は、自分の心の中にて悪いことを反省したり、恥じたりすることです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/慚

「愧」は、悪いことを恐れたり、または他の者に対して反省や恥じたることを表すことです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/愧

まさに、大和様は、内容を鑑みさせて頂きますと、この度は十分に「慚愧」という善い行いをなさっておられます。

もちろん、この「慚愧」することから、更に、二度と同じような過ちはしないこと、相手に会うような機会があれば、反省や謝罪の思いを伝えること、もしできることがあれば償いを行うことも大切なことにはなります。

ただ、あだ名の付け合いぐらいで、そこまでしなくても・・という意見も恐らくは多いのではないかとは存じます。

今回のことは、これからの善い行いを進めていくことにも活かして頂くとして、一つは、他に迷惑を掛けない、自分のされて嫌なことはしないという善い行い(代表的な十善)と、もう一つ、苦しみ困っている者がいれば積極的に助けていく、施していくという善い行い(慈悲・利他行)と併せて、努め励めるようになさっていかれるとより良いのではないかと存じております。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16