問い「罪悪感」
http://hasunoha.jp/questions/689

【ご質問内容】

はじめまして、よろしくおねがいします。

私は、今まで30年以上生きてきましたが、今立ち止まり振り返ると自分のしてきたこと全てを間違えてしまったと感じてしまいます。

人を傷つけ、やさしさを持たず、色眼鏡をかけて見て人を判断し、仕事上ではヒステリックに怒ればことが進むと勘違いし、男女関係でも道徳に反した行為があったと思います。このようなことはしないような人間でありたいと思って生きてきたはずなのですが、いつしか仕事の忙しさや周囲のやさしさにかまけて、気がつかないうちに傲慢になっていました。
それを、今になって気がつきました。いかに周りに対して愛情がなかったのか、、恥ずかしいです。傷つけてしまった方々には本当に申し訳ないとおもっています。しかしながら疎遠になってしまって謝ることもできません。

そしてこのような罪悪感を感じるのと同時に、周りの人々にはどうみられていたのかと人の目が気になり、陰では悪い噂がたっているのではないかという不安があります。罪悪感があり悪いのは全て自分だと感じているのに、まだ保身の考えを持ってしまう自分にも嫌気がさします。

私はこの先どのようにこの罪悪感と付き合い、罪滅ぼしをしてゆけばよいでしょうか。どうか、ご助言ください。よろしくお願い申しあげます。

【拙回答】

罪悪感への対処について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

罪や過ちを犯してしまったとしても、仏教では「慚愧」、「懺悔」することがまずは大切なこととなります。

「慚愧」につきましては、これまでも下記の各問いにて扱わせて頂きました。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_321867.html

問い「懺悔」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1004016464.html

『・・「慚愧」することから、更に、二度と同じような過ちはしないこと、相手に会うような機会があれば、反省や謝罪の思いを伝えること、もしできることがあれば償いを行うことも大切なことにはなります。・・』

もしも、もはや謝罪や償いが難しいとするのであれば、二度と同じような過ちをしないことと共に、善徳行や報恩功徳に努めることをお勧めさせて頂きます。また、下記問いにおける拙回答では「懺悔文」というお経について扱わせて頂いております。

問い「幸せでも良いのでしょうか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1008050052.html

「我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡 従身語(口)意之所生 一切我今皆懺悔」

「・・私がその昔より諸々の悪業(悪い行いの集まり)を積み上げてきてしまったのは、全て、無始(始まりのない過去)以来の貪・瞋・癡(貪りの心・激しい怒りの心・真理を知らない愚かな心)を原因として、身・語(口)・意(身体、言葉、心のそれぞれによる行い)によって生じるところのものです。私は今まさにそれらの悪業の全てを懺悔致します。・・」

ご質問にありますように、これからも罪悪感と付き合い、確かなる罪滅ぼしをしていくには、誠に上記の「懺悔文」をことある毎にお唱え致して、そして、積み上げてきてしまった、あるいは積み上げてしまう罪業や悪業を対治、排撃していくためにも、尚一層に善徳行・慈悲行・利他行に努め励むことが大切になるのではないかと存じております。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16