hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

2013年10月

問い「古いお守りを全て紛失してしまいました…」

問い「古いお守りを全て紛失してしまいました…」
http://hasunoha.jp/questions/254

【ご質問内容】

幼い頃に日本を離れ、ずっと海外に住んでおります。子供の頃から古いお守りを3つ持っていました。
今年になって、日本に帰国する機会ができたので、その際にお守りを神社やお寺に返そうと思っていたのですが、3つとも全て無くしてしまいました…。
飛行機に乗る前日に旅行バッグに入れた筈なのですが、日本に着いてバッグの中を確認したら入っていませんでした。うっかり家に置いてきてしまったのではないかと思い、日本から帰った後、部屋の中を探してみたのですが何処にも見当たりません…。
子供の頃からずっと持っていたお守りなので、ショックです。「もしかしたら、どこかで間違えて捨ててしまったのではないか?」「どこか粗末な場所に置きっぱなしなのではないか?」と色々考えてしまいます。
お守りを無くしてから何やら気持ちが落ち着かず、常にイライラしている気がします。職場では上司に口答えして立場を危うくしてしまったり、部下を感情的に怒ってしまったり。プライベートでは、友人の幸せを素直に喜べなくなったり…自己嫌悪に陥る毎日です。
今回、日本に帰国した際に新しくお守りを購入したのですが、あまり効果を得られていない気がします。やっぱり、古いお守りを無くしてしまったから罰が当たったのでしょうか?何か対処法はありましたら教えて頂けませんでしょうか。

よろしくお願いします。

【拙回答】

「身代わり」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

大切な古くからの御守りを失われてしまわれたとのこと、思い入れ、頼りにするところが大きくおありの中で大変に心細くなっておられることをお察し申し上げます。

拙寺においても役割を終えたお札や御守り、御塔婆や御位牌を読経によるお焚きあげでの浄梵(じょうぼん)の依頼を受けることは多々ございます。浄梵は、一つのケジメ(感謝・報恩・供養)としても大切なことであるかと存じております。

もふねね様もこの度はそのお心積もりで帰国なされたものの、はて、御守りはいったいどこへといってしまったのでしょうかね・・

一つは、自ら役割を終えたことを自覚して、自らで「サヨナラ」をしたのか・・まさかそんなことはないでしょうが・・ただ、この場合、考えられるのは、「身代わり」です。もふねね様への災難・災厄を逃れさすために御守りが、まさに守ってくれたのかもしれません。

もし、そうであれば、御守りを無くされたことでの動揺にて、様々に自己嫌悪に陥られるようなこととなってしまわれていては、守って頂いた御守りたちに逆に申し訳が立たないということにもなりかねません・・

ここは、一つ、守ってくれたことへの感謝を今一度念じて、それらの古い御守りのことは一つのケジメをつけられるべきではないかとは存じております。

そして、新たな御守りに対して、どうかこれからお守りの程を宜しくお願いしますという気持ちを念じられてはどうかと思っております。

気持ちを切り替えて、心の持ちようを心機一転図られることをお勧め申し上げます。

・・

さて、ここからは少し仏教としての補足ですが、本来、仏教では現世利益的なための祈祷という点でのお札や御守りの類は扱いません。ただ、厳密には、仏道修行の妨げとなる災難や災厄を退けるためという面では認めうる余地はあるかと存じております。その仏道修行も、あらゆる一切衆生を救済するための悟りを得んがためにということが重要になるものと考えております。

そのため、拙生も、もちろん神社に参拝して、お札や御守りを頂きますが、どうか仏道が成就できますように災難や災厄を退けて下さいとお願い致して有り難くに頂いております。

川口英俊 合掌

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問い「御葬式について」

問い「御葬式について」
http://hasunoha.jp/questions/253

【ご質問の内容】

姉の旦那様のお母様が亡くなりました。
急の訃報だったと母から連絡があり、兄弟の私と兄夫婦は、
御葬式のみ参列して貰えれば良いとの事でした。

直ぐに姉と御主人に連絡を入れ、
お悔やみをお伝えし、早々に失礼しました後、
御葬式に行くにあたり、
再度母に今度はメールで連絡を入れたのですが、
故人の宗派と、喪主、故人の名前を聞いた所、
「何するの?
宗派は分からない、、、
名前も漢字が難しい、、、」
と不審がられてしまいました。

以前にもこちらのサイトにご相談をさせて頂く機会がありましたが、
私は少しお寺に行く機会が多いので、
宗派によって葬儀のマナーや、持ち物などが違うと言う、
少しだけの知識ですが、そういった事もありますので、
母が、故人の宗派を聞いている物と思い伺ったのですけれども、
予想外に引かれてしまったので、私は驚いてしまいました。

母には、
故人の宗派が特にない場合はそれでいいけど、
あるようだったら、聞いておいた方がいいよ。
豆知識程度に読んで貰えれば幸いです。
と、返信をしておきました。
返事が来ない所を考えますと、さらに不審がられてしまったかもしれませんが、
仕方ありませんね(⌒-⌒; )
普通はそのような反応をする物でしょうね。

御葬式に行くにあたりお教え頂きたい事があります。
子供の頃に出て依頼ですので、
御香典の書き方や、数珠、葬儀時のマナーについて、
お教え頂けますでしょうか。

故人の宗派はこれ以上は聞かない方が良いかもしれませんし、
教えて貰えなかもしれません。
現状、催事場での家族、近い親族葬のようです。
行った時に、どの状況でも大丈夫のようなマナーや、
持ち物などがありましたら、宜しくお願い致します。

又、会社に親族関係で不幸があった際は、
伝える事になっておりますが、
ご確認でお伺いしたいのですが、
姉の旦那様のお母様は3親等でしょうか。
(私の会社からの弔電はいらないよと、
断られたら報告は控えようと思います。)

ご質問は以上です。
長いご質問で申し訳ございません。

サイトを検索すればわかる事だとは思いますが、
皆様からのお伺いが、より安心致しますので、
どうぞ宜しく御願い申し上げます。

【拙回答】

※追記・補足 御礼拝見致しました。

御礼拝見致しました。

色々な事情が考えられますが、自由葬、直葬、無宗教葬・・と現在では、葬送の方法も色々と選択する余地があり、仏教への帰依・信仰心の希薄化も相まって、今後もそのような形式が増えていくことが予想されております。

ただ、この度は、ご葬儀式だけは仏式にてお勤めになられたということにて、宗派は分かりませんが、「ご仏縁」・「ご法縁」はひとまず途切れずに少しくでも保つことができたのではないかとは存じております。

よく拙生がお通夜式の法話の際にお話しするのは、仏道を歩む故人を、受験生に、先生を如来・菩薩に、合格を悟りを得ることとして、例えてお話を致します。

ご葬儀式、つまり、授戒・得度・引導式は、あくまでも合格(悟り)へ向けた準備の一つの段階であり、実際に合格する(悟る)ためには、先生(如来・菩薩)から色々と教えを頂いて、それを基に予習・復習・応用などを繰り返して、実践(入試)に役立てるように(仏道における聞・思・修、戒・定・慧に)精進努力する必要があります。もちろん、合格(悟り)は本人の精進努力次第が大ですが、合格のためには応援してくれる様々な支えも当然に無視はできません。その応援、支えというものが、仏道の場合、追善供養・功徳回向というものであり、受験生を応援し、励まし、支えてくれる先生、両親や友人たち周囲の色々な力と同じようなもので、故人が無事に悟りを得れますようにと、私たちがご仏縁・ご法縁を大切にする中において、故人へと向けた応援、励まし、支えとして勤めていくことが望まれるものであるかと存じております。

是非、aluseus様にも故人様が無事に仏道を成就できますようにとして、これからもどうぞご供養を続けて頂けましたらと存じております。

川口英俊 合掌

・・

会葬者の知識
http://manner.sougi-support.net/chishiki-kaisousha/index.html

親等表
http://jp.happy.nu/gengou/kakei.html
http://www.world-kenpo.com/procedure/todoke_shinsei/3shintozu.html

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問い「仏像は撮影禁止?」

問い「仏像は撮影禁止?」
http://hasunoha.jp/questions/252

【ご質問内容】

お寺に行くと、撮影禁止とよく書いてありますが、どうしてだめなのでしょうか?
こんなすばらしい仏像に出会ったとブログに書きたいのですが。
仏像の写真を撮られるとお坊さんとしては嫌ですか?
他の人がお参りしているときとかにはもちろん写したりはしないのですが

【拙回答】

尊いものへの配慮

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

確かに「撮影禁止」と拙寺においても仏殿のご開帳時には注意書きを掲げさせて頂いております。また、山門入り口付近にも「境内撮影禁止」との看板を一応は掲げさせて頂いております。

仏像撮影の許可・不許可については、仏像を所有・管理する寺社仏閣の所有権・財産権における権利の範囲内において判断されるものであり、参拝者もそれに従うのが望ましいことになります。

とはいえ、実際に順守して頂けるかどうかは参拝者のモラルに委ねるところが大きくございます。

拙寺でもあまりに目に余る行為があれば別ですが、それ以外では強く諌めたり、怒ったりすることはほとんどありません。

ただ、河野秀海様もおっしゃられるように「聖なるもの」と対峙する以上、やはりそれなりの「真摯さ」が求められるべき「尊いもの」、「尊厳を守るべきもの」としての配慮ある扱いが必要になるのではないかとは存じております。

もちろん、別に偶像崇拝については考える必要が出てくるかとは存じます。

釈尊は直接に言及なされてはおられないものの、偶像崇拝については、おそらく積極的にはお認めになられないことであったことは推測できます。(大般涅槃経における「自灯明・法灯明」がよくその典拠としては挙げられます)

「自灯明・法灯明」・・下記ページ参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/釈迦#.E5.85.A5.E6.BB.85

が、仏像を礼拝・尊崇・観想対象としての修行を通じて、その向こう側にある御仏の智慧・慈悲との一体化を目指すという点において、そのための一助としての偶像も認めうるべき余地はあるのではないかと僭越ながらにも存じてはおります。

やはり、問題は何のために「聖なるもの」・「尊いもの」として大切にしなければならないものなのか、ということであります。

その慈悲の御心により、迷い苦しみある衆生を救い、涅槃へと導かんとする御仏、その法に対しての帰依を表すことと、そして己もやがて仏道を進みて、迷い苦しみある衆生を救えるように悟りを得んがためでございます。

拙生は以上のように存じております。もちろん、撮影をさせて頂く際にも仏像への敬意を持たせて頂いて撮影をさせて頂いております。

川口英俊合掌

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問い「50歳になったら」

問い「50歳になったら」
http://hasunoha.jp/questions/250

【ご質問内容】

初めて質問します。
いくつか質問を読んでみたら50歳になった人の悩み相談がけっこう目に留まりました。
これからどうやって生きていけばいいですか。
これまで築いてきた地位がなくなってしまった。

私も40代ですが、だんだん生きてきた時間のほうが長くなって、これから残された人生をどうしていけばいいのかなと思うときもあります。
50歳で何かを失ってしまうと20代のころと違ってかなりつらいのでしょうね。

50歳になったときに悩まないように、心構えととか、強く生きられる応援歌をください

【拙回答】

今をとにかく精一杯に生きること

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

hasunohaへのご関心、並びにご質問を賜りまして、誠にありがとうございます。

拙生はまだ30代後半にて、50代まではまだ十数年ございますが、確かに若い頃と比べて、健康・体力・気力、記憶力など、色々と取り戻すのが少しずつ難しくなってきているかと存じます。特に体力の衰えは実感しだしております・・50代ともなると・・更に厳しさは増すであろうかと想像ができます。

50歳になったときに悩まないように、心構えや強く生きていくための応援歌・・

「今をとにかく精一杯に生きることで、できる限りに後悔の無い人生を。」

あまり先々のことをあれこれと考えて心配してみても、やはり杞憂にしかならず、益が無いことの方が多いようには存じております。

それよりも今やれること、できること、やらなければならないことに精一杯取り組むことが大切であり、その先のことも、その先における「今」において同じように精一杯に取り組むことが望まれるのではないかと考えております。

「五十にして天命を知る」と論語にて孔子は述べておりますが、おそらく五十年生きることができれば、おおよそ自分の一生とはどのようなものであるのかがある程度分かるということになるのかとは存じます。

光陰矢の如し、時人を待たず、生死事大、無常迅速、できる限り無為に日々を過ごすことなく、日々の「今」を大切に生きる中で、生きてやがて必ず死ぬ、この一度きりの人生において、生死一大事の因縁をしっかりと見極めることが望まれることにはなります。

仏教的には、もちろん、この一生において、いったいどれだけの善徳の行いを積むことができたかどうかが問われてくるものになるのではないかとは存じます。寿命の長短にあまりとらわれずに、とにかく今、できる限りに悪い行為をなさずに善い行為に励み努めて参りたいものでございます。是非共に頑張って参りましょう。

川口英俊合掌

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http://hasunoha.jp/users/16

問い「一休さん」

問い「一休さん」
http://hasunoha.jp/questions/248

【ご質問内容】

一休さんはとんちが得意なのですが、お坊さんはみんなとんちが得意なのですか?
どうやって磨くのですか?とんちが得意になりたいです。

【拙回答】

一休宗純禅師

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

私たちになじみ深い「一休さん」は、やはり国民的漫画・アニメの世界の「一休さん」でしょう。

実は、そのモデルとなった実在の人物が、一休宗純禅師でございます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/一休宗純

禅僧としての優れた資質を発揮された面と自由奔放さによる奇行的な面との二つの評価がありますが、極めて方便に巧みな僧侶であったのはおそらく間違いがないかと存じます。

方便とは、様々に工夫を用いて、相手に対して物事の善し悪し、道理を上手に納得させるための方法・手法のことですが、一休禅師は相当に優れておられたことが様々な逸話から伺い知ることができます。

この方便に優れたところが、悟りの智慧からの機知・機転に優れるという意味である「頓知・頓智」として、漫画・アニメの「一休さん」像における「とんち」咄として後世において色々と創作されていったのではないかとは存じます。

一休禅師の禅風には、「とらわれ」・「執着」を徹底して離すということと併せて、現実実際における物事のありようについての「あるがまま」を真摯に受け入れて、ではいかようにして生きるべきであるのかを指針なされたようなところがあるのではないかと、浅学非才の未熟者の拙生ではございますが僭越ながらにもそのように存じております。

「とらわれ」を離れて、「あるがまま」を受け入れること・・実は非常に難しいことでございます・・

さて、「とんち」を磨かれたい、得意になりたいということですが、とっさの機転・機知というものも、常日頃からのトレーニング、シュミレーション、繰り返しの訓練、意識・潜在意識への植え付けなどの努力は欠かせないものになるのではないかとは存じております。

また、是非、この機会に実在した一休宗純禅師のウィキペディア内における逸話だけでも読んで頂きまして、その意図せんとされているところについても少しお考えを頂けましたら幸いに存じます。

「南無釈迦じゃ 娑婆じゃ地獄じゃ 苦じゃ楽じゃ どうじゃこうじゃと いうが愚かじゃ」一休宗純禅師

川口英俊合掌

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問い「縁を結ぶのが苦手」

問い「縁を結ぶのが苦手」
http://hasunoha.jp/questions/246

【ご質問内容】

40代の主婦です。神仏が好きです。ですがこれまで仲の良かった女友達や、念願かなってやり始めた習い事(生け花)で、先生の言った一言で3年で辞めてしまいました。私は、「言葉」で自尊心を傷つけられ、縁を切るのがパターンです。
「私だったら、そんなこと言わない」・・。自分で言うのもなんですが純粋過ぎるのか、そういう人たちと付き合いたくなくなるのです。

仲の良かった女友達というのは、かつての仕事場の「同期」です。職場を辞め、阪神淡路大震災で家も無くなり両親と避難生活をしていたとき私は無職状態になっていたのですが、共通の友人が結婚するからと、同期から「結婚の祝い」をしようと誘われたのです。私は自分の状況もあり断りました。もし私だけ何も告げずにこっそり周りの友人とお祝いをしてしまって、後で知られたら私に悪いと思ったのかもしれません。でもそういうことは同期からは言われていません。地震には遭っていない彼女に温度差を感じました。それでも何とか気持ちを切り替え、その同期とはその後5年ほど連絡等はし合ったりお互いの結婚式にも出席しましたが、やはり同期との心の温度差を感じることが度々あり、私の方から遠ざかって行きました。

生け花では、「○○さんの方が勝っている」と同レベルの生けこみをしている生徒さんと比べられ、趣味が楽しめなくなり、辞めました。

私は、23歳以降新しい友人も作ることなく、年賀状で繋がっているだけの友達がいるだけです。小学生からの幼馴染です。実家やその友人たちからも遠方に住んでいるのもありますが、会っていませんし、会おうとしない自分がいます。

私は人と面白いことを言って話したり笑うのが好きなのに、人間が苦手なのです。特に成人してからは・・。本当は生け花を通して将来はボランテイアをやりたいと思っていました。私は、体が弱いというのに漠然とそんなことを考えていました。人生の半分に差しかかり、子供もいない、しっかり足を地に着けた人生を歩めていない、自分に焦りもあります。縁を結んでこなかった保とうとしなかった自分のこれまでの因果かもわかりません。それでも人間が苦手なのです。山や森、神社仏閣にお参りしたり、小さな姪っ子と遊ぶことに安らぎを得ています。美しいものが好きなのです。人間が苦手なんて、変ですか。私はこのままでもいいのでしょうか。

【拙回答】

人付き合いについて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

人付き合いというのは誠に色々と難しいものであると常々に存じます。

拙生もあまり人付き合いが上手な方ではありません。radio様と同じく、どちらかといいますと苦手な方かもしれません。

拙生は、昨年まで色々と市民活動・地域活動のボランティアに積極的に参画しておりましたので、多少人付き合いが多くございましたが、色々な事情が重なり、この年初にて対外活動を一気に自制したため、今は家族と寺務・法務以外での人付き合いがほとんど無くなり、どこか煩雑さから開放された気持ちと同時に、少し寂しさもあるかなという感じはございます。

色々と活動をしておりますと、やはり意に沿わないことでも無理して頑張らなければならないこともあり、人付き合いと共に時間、労力が結構取られてしまうこともありましたが、それが無くなった分、家庭のことにも集中できたり、少しは仏教専門書の読書時間、仏教についての研究時間も増やすことができたり、このhasunohaの回答にも精力的に取り組めたり、フェイスブックを活用しての情報収集や情報発信を充実させることもできたりと、プラス面も色々とあるように存じております。

特にお会いしたことの無い方でもネット上だけでの交流でも色々と有意義になることがあります。特に拙生の場合、僧侶の皆様と今までには無かった交流がフェイスブックにてかなり進めることができております。

色々なご縁は確かに大切なことですが、やはり自分のしたいこと、やりたいこと、必要なことに応じて、人付き合いもうまく考えていくことが肝要となるのではないかとは存じます。

また、逆に人付き合いが過度にストレスとなったり、トラブルの原因になることもありますから注意することも必要となります。

とにかく、縁には、良縁があれば、もちろん悪縁もございます。それもうまく見極めながら、悪縁は素早く断ち切り、できる限りに良縁を呼び込めるように調えて行くためにも、一つには人付き合いも、あまりとらわれず、かたよらず、こだわらずのバランス関係を保つことと併せて、できるだけ相手への気遣いや思い遣りの心を養うことも必要になるかと存じます。

そこから、更には仏教的な慈悲・利他行へと繋げることができますと尚良いのではないかとは存じております。

川口英俊合掌

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問い「運命には逆らえないのでしょうか?」

問い「運命には逆らえないのでしょうか?」
http://hasunoha.jp/questions/243

【ご質問内容】

いつもQ&A拝見させて頂いています。「なるほど」と思う事が多くとても参考になっています。

ところで、「運命」って存在するものでしょうか? 「運命」だからって言葉を使いますし、自分に言い聞かせる時も「運命」のせいにする事って結構多い気がします。
人生において、原因がありそして結果が付いてきます。結局因果そのものが運命かな?って思う事が度々あります。
悲惨な事故や事件を見ると、悪人だから遭遇したと言える人は少ないと思います。この日この時この場所に居なければ遭遇しなかったはずです。しかし残念ながら遭遇してしまった。「運が悪かった」では済まないと考えます。結局、生きている以上常に物事や行動を選択し原因を作り、何らかの結果が出て、「運命」と諦め落ち込んだり「運命」に感謝し喜んだりして。
支離滅裂になってしまいましたが、ご住職の方々が考える「運命」とはどのようなものでしょうか?逆らえる事は出来るのでしょうか?
私自身は抵抗する元気もないので、万事を受け止め現世に生がある限り前に行くしかないと思っています。辛くきついですが、これが「運命」なら仕方ありませんから。

【拙回答】

運命論・宿命論・決定論は仏教の「中道」に反する考え方

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

運命論は、別名で宿命論、決定論とも同意と考えることができます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/宿命論
http://ja.wikipedia.org/wiki/決定論

既に増田様、釈理薫様もおっしゃられているように、私たちの世界は因縁果の流れにて成り立ってございます。

http://hasunoha.jp/questions/235

但し、上記問いの拙回答内容のように、その因縁果の複雑な無数の流れを完全に知ることなど私たち凡夫には到底不可能なことであります。ただ、この因縁果の理を考えることは、あらゆるモノ・コトには実体が無いという「空」を考える上において非常に大切なことになります。

さて、運命論に関しては、これまで下記問い拙回答内にて少しく扱わせて頂いております。

http://hasunoha.jp/questions/93

結論から申しますと、運命・宿命・決定論は、常見・断見のいずれにも陥る危険性が高くあり、「中道」を説く仏教からは、当然に退けるべき考え方となります。

例えば、これまでの、またこれからの輪廻の中でも味わうであろう苦悩の数々・・それも運命・宿命・決定付けられていることだと言って諦めてしまうのであれば、これからも何をどう生きようが、努力しようが、悪いことをしようが、善いことをしようが関係なく、何もかもがもう既に決まってしまっているとして、あらゆることが否定されて無意味となってしまいかねません。これは一つの虚無・悲観主義に陥り、仏教において退けるべき極端な考え方、断見となります。

この輪廻の苦海の中にいる限り、色々な苦しみは、早晩、大小関係なく、様々に幾度と無く経験することとなります。天災や戦災、不慮の事故などによる死(怨憎会苦・死苦)もただその苦しみのほんの一端のことでしかありません。

とにかく、これからの善い結果、善い趣きを望むのであれば、やはり、悪い行いは慎み、善い行いに励み努めていくことが必要であり、いつまでもこのような境涯に生じて苦しみ続ける輪廻の根本を断つために、悟り・涅槃へ至るための仏道を歩むことが望まれることになります。

是非共に頑張ってこの輪廻からの解脱を目指して参りましょう。

川口英俊 合掌

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問い「きっかけ」

問い「きっかけ」
http://hasunoha.jp/questions/242

【ご質問内容】

私は仏教のおしえにひかれているのと、お坊さんという職業に
漠然とあこがれを抱いています。

皆さんはどのような縁でおぼうさんになられたのでしょうか?
参考までに教えていただけると幸いです。

【拙回答】

世襲です。

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

下記問いの拙回答内でも述べさせて頂いておりますが、拙生が僧職となりましたのは「世襲」によるところが大きくございます。

http://hasunoha.jp/questions/229

もちろん、小さな頃より仏教的なことには色々と触れておりましたので、興味があるにはありましたが、高校・大学と進学する中で、当時は仏教よりも政治・法律の道の方へと進みたいという希望が強くありました。

修行へと行く(正直には行かざるを得なくなった)最大のきっかけとなったのは、父である住職の病気であり、急遽、大学を休学して禅専門道場へと行くこととなりました。

実は、その修行へと参る前年、大学二回生の終わりの時には、当然に薄々いずれ僧侶にならないといけないだろうことは十分にも分かっていたので、大学は休学か、退学も覚悟で、天台宗・比叡山延暦寺で第一期目の僧職過程一般公募(現在はもう既に廃止されているかもしれません)の論文・面接試験を受けたのですが、残念ながらにも落ちてしまっておりました。(拙寺は単立寺院にて、基本的には宗旨宗派の選択がある程度自由にはございます。現在、拙生の仏教の学びはチベット仏教を中心として進めさせて頂いております。)

色々と仏縁、法縁によって、現在は、このhasunohaにてもご回答をさせて頂いております立場となってはございますが、まだまだの浅学菲才の未熟者でございます。日常の寺務・法務・作務と平行して、学ぶべきこと、修するべきことが、山のように控えてございます。とにかく日々猛省しながら一歩一歩できる限りに前へと存じております。

僧侶になるためには、宗派によって色々と手続き・要件・資格過程が必要になるかと存じますので、興味のある宗派の本山・各宗務庁・各宗務所にお問い合わせなさられるのがよいかと存じております。

また、下記各問いの皆様のご回答も色々と参考になるのではないかと存じております。

http://hasunoha.jp/questions?tag=お坊さんになるには

もちろん、僧侶になる機縁に恵まれずに在家のままであろうが仏道を歩めないことは全くございません。

是非、共に頑張って仏道を歩んで参りましょう。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/users/16

問い「“引き寄せの法則”とは」

問い「“引き寄せの法則”とは」
http://hasunoha.jp/questions/241

【ご質問内容】

簡単に言うと、“考え方や本当に思い込めばその通りになる”ということらしいです。

量子物理学的に「思考は現実化する」という学者もいたりします。

言葉に発するなどはできるのですが、心に思い込むというのはなかなか難しいですし、どうしても悪いことや嫌な事、嫌なニュースに怒りを覚えたり、他人を妬んだりうらやんだり。マインドコントロールでもしない限りそんな人にはなれない気がします。

プラス思考は大事だと思いますが、そんな四六時中プラス思考になることなんてできるのでしょうか。嫌なことから目をそむけ、ある意味思考を停止して単純思考にならないと難しいと考えます。

量子物理学、プラス思考、コントロールとなるとなんとなく胡散臭く感じてしまいます。

そもそも“引き寄せの法則”という考え方は仏教にはあったりしますでしょうか? 

教えて! お坊さん!

【拙回答】

「成功哲学」と「仏教」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

「引き寄せの法則」、あまり聞き慣れない言葉でございますが、「成功哲学」の思想に分類されるのではないかとは存じます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/成功哲学

個人的には、その「引き寄せの法則」を仏教の業(カルマ)論と関連して考えてみることも面白いかもしれないかとは存じましたが、そもそも「成功哲学」の目指す「成功」と仏教が真に目指す「成功」、つまり、「悟り・涅槃」とは目指すところが全く違うものとなります。

成功哲学は、あくまでも世間的価値観からの成功、例えば、お金や権威や利権、名誉・称賛を得たいとするところがあり、利得・享楽事を扱うことから、当然に無明(根本的な無知)・煩悩(悩み煩い、代表としての百八つが有名)・悪業(悪い行為、あるいはその積み重ね)へと繋がるのも必定であり、仏教からは気を付けて扱うべきこととなってしまいます。

但し、例えば、しいてにて、「本当に思い込めばその通りになる(できる)」ということを仏教的に当てはめて考えてみるとするならば、仏教では慈悲・利他行を行うための心の状態を保つことについて、いつでもいかなる時でも、悪い煩悩が出ることなく、慈悲に基づいた言動ができますようにとして、慈悲の瞑想を繰り返し、繰り返し修習することにより、やがて己の損得勘定という計らいを捨てて、煩悩に毒されることもなく、慈悲・利他行を円満に進めることが求められることにはなります。

先日のJR横浜線踏切事故で男性を助けて電車にはねられて亡くなられた村田奈津恵氏は、困っている、苦しんでいる人がいれば、到底見過ごすことのできない優しい温かい慈悲の心を常日頃から保っておられた方であるからこそ、あの場面でも自分の損得勘定を抜きにして、救助行為に出られたのではないかと恐れながらにも推察申し上げます。日々自分の損得勘定にばかりとらわれてしまっている拙生では難しいことであり、恥ずかしく思う次第でございます。村田奈津恵氏の救助行為は誠に菩薩の慈悲・利他行と言っても過言ではないかと存じております。心からのご冥福をお祈り申し上げますと共に、いずれはそのように己の損得勘定という計らいを捨てて、慈悲・利他行を行うことができるように調えて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/users/16

問い「家族葬について」

問い「家族葬について」
http://hasunoha.jp/questions/239

【ご質問内容】

幼なじみの父親が亡くなりました。
小さい時からかわいがってくれたおいちゃんです。
葬式の日程を聞くと
家族葬だから遠慮して欲しいと返答。
おいちゃんの仕事、友人関係も断るとのこと。
最後にお別れがしたかったのですが
別の意味で涙が出ました・・・
最近、こういうの多いんですか?

【拙回答】

仏縁・法縁と追善供養・功徳回向について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

家族葬は確かに増えているのではないかとは存じます。かく言う拙生はお葬儀のお勤めは拙寺の方針上ほとんどございませんので実情は分かりかねますが、葬儀社さんからの情報ではかなり多くなってきていると聞き及びます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/家族葬

家族葬については、上記ウィキペディアのページにて概要、メリット、デメリットもある程度詳しくまとめられているのではないかと存じます。

大規模であろうと小規模であろうと、ご葬儀は、故人への授戒・引導を扱う(授戒・引導を扱わない宗派もあります)大切な仏縁の儀式であると共に、縁故者・参列者の皆様には、故人の生前の遺徳を偲び、哀悼の意を表して御供養を致すための儀式でもあり、また、「仏縁」、中田様のおっしゃられている「法縁」にも与(あずか)れる大切な儀式であるかとも存じております。

特に、仏縁・法縁に与ることによって、私たちにおいても今の人生のありようを改めて顧みる機会、後生のことをしっかりと考える機会として、仏教に則った生き方を調えていくための一つの機縁に致したいところとなります。

ご葬儀の形態については、もちろん、費用・時間・煩雑さ等、現実的な葬送に係る問題も色々と控えてはございますが、できるだけ、故人、遺族はもちろん、縁故者・参列者たちにおいても納得・満足の頂けるような形にて調えて参りたいものでございます。

とは言え、何よりも、故人が、輪廻の迷苦を離れて、しっかりと仏道を修していくことができますようにとして、遺族・縁故者におきましては、ほんの少しでもその力となれますようにとして、追善供養・功徳回向に勤めて参りたいところとなります。

拙小論「追善供養・功徳回向の考え方について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52108201.html

えーちゃん様におかれましても、ご弔問、お墓参りにおきまして、亡きおいちゃんが無事に仏道を修して、悟り・涅槃へと至れますようにとしての御供養と併せて、亡きおいちゃんへと恩返しとなるような生き方についても少しくお考えを頂けましたら幸いに存じております。

川口英俊 合掌
「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16
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