hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

2014年03月

問い「嫌なこと 忘れたい事」

問い「嫌なこと 忘れたい事」
http://hasunoha.jp/questions/456

【ご質問内容】

嫌な事や忘れたい事をスパっと忘れて生きて生きたいです。
ネットで見た誹謗中傷や現実で言われた嫌な事を忘れたいです
ですが自分の性分なのかいつまでも引きずってしまいます・・・
一番最悪なのが楽しい時間一番リラックスできる時間にパッとフラッシュバックしてしまう事です、わかりづらいので例題を挙げさせてもらうと
仕事が終わり食事やお風呂を済ませ寝る前に買った本を少しづつ読むのが僕の日課であり日の安らぎ、そして一番楽しい時間です。
ですがこの時間帯に思い出したくも無い記憶がフラッシュバックしてしまい読書が思うように楽しめないんです。
早く忘れて楽しい時間を取り戻したい
そして何より些細な事に悩まされて悔しいです。
気持ちを切り替えられる方法や忘れられるほう方があるなら教えてください。
初めて利用させてもらいます もし使い方や質問の仕方に間違いや不愉快な思いをさせるようなことがあるなら申し訳ありません ご指摘お願いします

【拙回答】

過去へのとらわれの対処法

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

過去の嫌な事や忘れたい事にとらわれて苦しむこと・・拙生にももちろんございます。しかし、仏教を学び進めていくうちに、少しずつ改善されて参りました。特には、過去、現在ということのありようをしっかりと理解することで、過去を踏まえての今があるのは確かですが、それよりも今の瞬間瞬間の心の状態をより善くに調えていくことが大切であるということに気づくことで、過去へのとらわれを少しずつ離していくことができるようになって参りました。

問い「現在の一瞬だけを強く生きるコツ」
http://hasunoha.jp/questions/308

『・・既に過ぎ去った「過去」は、もう過ぎ去ったものですから、既に「現在」にはありません。もちろん、「過去」を思い浮かべて、あたかも「有る」ように錯覚してしまいますが、思い浮かべているのは、あくまでも「現在」の自分です。・・』

ただ過去は過ぎ去って無いとは言っても、今現在の自分に繋がっていることなので、全く関係ないとも実は言えません。過去の出来事は、良くも悪くも今の自分へと繋がっている原因や条件となっているものと言えます。

『・・むろん、過去がなければ、今の自分はあり得ません。更に今の自分が無ければ、未来の自分も可能性としては有り得ないことになります。過去と現在の自分は明らかに繋がっている、また、現在の自分は未来の自分とも繋がっていくものと言えるので、異なってはいないのだけれども、もちろん同じとも言えません。このことを難しいことですが、「不一不異」と言います。・・』

問い「学生ですが生きる理由が分かりません。」
http://hasunoha.jp/questions/185

『・・私たちは「今」の瞬間瞬間の連続体の中でしか「生きる」ことができないのであります。・・』

問題は、過去へのとらわれを離せるように、過去の出来事は過去のこととし、「今」のこの瞬間瞬間における心の意識に集中して今を生きていくことが大切となります。佐川様にも是非、少しずつでもそのように調えられていかれましたらと存じます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「職場の人間関係で悩んでいます。」

問い「職場の人間関係で悩んでいます。」
http://hasunoha.jp/questions/453

【ご質問内容】

初めましてテンテンと申します。職場の人間関係で悩んでいます。

コールセンターに勤めトータルで10年以上になりますが
女性の多い職場です。私の年齢から見ると当然私より若い方が上司になります。私は年齢を気にせず、若くても上司だと接していますが、相手から見るとやりにくい相手のようなのです。今後どのように接していくと良いのか分かりません。アドバイスを頂けたら嬉しいです。よろしくお願い申し上げます。

【拙回答】

お互いにより知り合うこと

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

年下の上司の方との接し方・・

拙生も二十代後半の頃に社会福祉法人の理事長として、あと皆、拙生より一回り、二回り、三回りも年上の方たちが理事、監事、評議員、施設長などで、色々と接し方に苦労した経験がございます。

色々とプライドもお持ちで、やや柔軟性にも欠けておられる年上の方へは、なかなか面と向かって強く指示や指導、教育するのが難しくあり、とにかくできるだけこまめに話し合いの場を設けたり、事前に文書などで間違いや誤解の起きないように調えていたことが思い出されます。

もちろん、気さくに話しやすい方、色々と気を回してフォローして頂ける方もおりまして、有り難かったと振り返ります。

そうですね・・逆の立場に立ったことのある者としては、やはり、世間話などからでも気楽に話しかけて頂いたり、少しプライベートの場でお話しをして頂けたりすると、お互いにより知り合って打ち解けあっていく内に、安心感や連帯感も生まれてきて、スムーズに物事が進めやすくなることもあったかと思います。

テンテン様も休憩室・談話室や例えば懇親会の席などでの話しかけによって、お互いにより知り合って打ち解けあっていけるようなきっかけを少しでも持たれていかれましたら良いのではないかと存じます。

また、良きにせよ悪きにせよ、お互いにより知り合うことで、相手との距離感の保ち方や上手い接し方も色々と分かっていくこともあるのではないかと思います。仲良くはできないにしても、相手のことがある程度分かって、相手を理解していくことで、職場での雰囲気を悪くさせることもなく、当たり障りもなくに過ごせていけれるようになるのではないかと存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「拒絶された相手への謝罪の仕方を教えて下さい」

問い「拒絶された相手への謝罪の仕方を教えて下さい」
http://hasunoha.jp/questions/452

【ご質問内容】

大切な人がいました。

幸運にもお付き合いできることになり、しばらくは幸せに過ごしていました。

ただ、私はお酒を飲むと人格が変わってしまい、暴れてしまいます。普段からそうではないのですが、ストレスがたまっている時などに…。

私は独占欲が強く、「私だけを見て欲しい」と思ってしまいます。元恋人は交遊関係も広く社交的で、いつも不安でした。
それが積み重なり、お酒の席で暴言を吐いたり、手を挙げた事もあります。

それでも、私の過ちを根気強く正してくれる人でした。

私はそれに甘んじて、自らを反省する事もなく、同じことを繰り返し…。

とうとう「もう、終わりにしよう」と言われて。

それからも私は恋人気取りで彼女を束縛し、嫉妬し、やりたい邦放題でしたが、ある飲み会の席がきっかけで、もう話もしたくないと。

正直、飲みすぎて内容はあまり覚えていません。
ただ、彼女の態度を見ていると、相当な事をしてしまったようです。

当初は「彼女にも非がある!と、相手を責めたりもしました。

でも、今は、自分が招いた過ちだと反省する毎日ですし、減酒から始めています。

できれば、以前のように普通に話せる関係だけにでもと思いますが、彼女にはもう、それさえも無理なようです。

許してもらえなくても、ただ、彼女に謝りたいです。

一生をかけてでも謝罪したいです。
日々、心から祈るだけでも伝わりますでしょうか?

拒絶された相手への、心からの謝罪の仕方、私の心がける事を教えていただけたらと思います。。

【拙回答】

謝罪の意思を伝えること

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

まずこの度は、心から後悔なされて反省しておられますこと、この「慚愧」の念が誠に大切なこととなります。

http://hasunoha.jp/questions?tag=慚愧

問い「後悔の念から抜け出す方法?」
http://hasunoha.jp/questions/225

「・・後悔、反省、慚愧から、では次にいったい何ができるのか、何をなすべきなのかが問われてくるところとなります。・・」

「・・過ぎてしまった過去は決して取り戻せません、しかし、そこにとらわれ続けていては全くこれまでと変わることもありません。問題は今、これから何をなしていくべきかであるかと存じます。・・」

もちろん、ただ「許してくれ」と「祈る」だけではいけません。「祈る」だけで、例えば、東大に合格したいと祈るだけで実際に合格できるならば、皆合格できているはずです。祈るだけでは当然に東大には合格できません。祈ることと併せて、実践の入試問題へ向けてしっかりと勉学にも精進努力しなければ、合格はあり得ないことでございます。

同じように、謝罪の気持ちも、ただ祈るだけでは相手に伝わりません。その謝罪の意思をやはり何らかの行動にて相手に示す必要があるかと存じます。

「・・直接会ってでも、また会わずとも手紙なりででも、心からのお詫び、謝罪を表してみることも一つでありますでしょう。それによっては相手の反応次第で、既に許してくれていることもあれば、気にしていないということもありえるでしょうし、そうであれば、苦しみも相当に和らぐようにも存じます。もちろん、逆の反応もあり得ますが、それはそれで、相手に合わせて、その求めに応じた今後の対処のやりようが、より具体的なものとして明らかになるということとなります。もちろん、何ももうできないということもよりそこで明らかになるかもしれません。・・」

この度のこと、既に心の底から反省して懺悔なされておられるのでしたら、相手へと何らかの伝えられる方法にて、その謝罪の誠意なる意思を相手にしっかりと伝えていかれますことをお勧めさせて頂く次第でございます。善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「自分の過ちで後悔したことからどう立ち直ればいいですか」

問い「自分の過ちで後悔したことからどう立ち直ればいいですか」
http://hasunoha.jp/questions/450

【ご質問内容】

こんにちは。
私は、現在会社を辞めて、就職活動をしております。
先日、前職の取引先から、「当社へきて欲しい」とご連絡を頂きました。
その時、私は、第一志望の会社の選考中でありました。

第一志望の会社は、クリエイティブ職で、お給料も待遇も高め。
お話があった会社は、事務職で、お給料・待遇は普通くらい。
ともに同じ業界で、新卒の時に憧れていた、夢の業界でした。

悩みましたが、お話を断り、第一志望の結果を待つことにしました。
昔からの夢の仕事を目指すことをあきらめきれなかったのです。
また、今まで多忙な仕事をしていたこともあり、
「事務だとやりがいがなさそう」と判断してしまいました。
しかし、結果は、不採用で、どちらの会社にも入ることができなくなりました。

今となっては、
お断りした会社への後悔でいっぱいです。
事務ということで、私のやりたい職ではなかったのですが、
会社の雰囲気や人など、とても良いところでした。
また、どんな形でも、憧れの業界に入ってさえいれば幸せだったなあとも
思います。
憧れの業界への道が開けていたのに、高望みをした自分が心底馬鹿だったと思います。
今となっては、憧れていたクリエイティブ職もなぜそんなにやりたいと思い込んだのかわかりません。
狭き門の業界で、せっかくお話を頂いたのに、貴重なチャンスだと
気づけなかった自分を責めます。

自分が馬鹿な判断をした結果なので、「仕方ない」と思おうとしていますが、
どうしても、頭から離れません。
何をしていても頭から離れず、つらいです。
次の就職活動をする気力も出てきません。

こんなとき、どんなことから始めていけば、この状態から抜け出せるのでしょうか?
お教えいただければ幸いです。

【拙回答】

「覆水盆に返らず」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「覆水盆に返らず」という故事がございます。

確かに一度地面にこぼしてしまった水は、再び盆(鉢・お椀)に返すことはできません。しかし、その盆(鉢・お椀)には、また新しい水を入れることができます。

人間、一度ならずに色々と失敗や後悔すること、反省することもございます。でも、そこにいつまでもとらわれてしまっていてはいけません。たった一度使って失敗しただけで、鉢・お椀もそのままであれば本来の水を溜める、運ぶという役割を果たすことができませんし、もったいないものとなります。ちな様もまだまだチャレンジできる器でございます。少し休まれて気分転換やリフレッシュされてから、是非、次の新鮮な水を入れる準備を調えて下さいませ。

また、下記問いの拙回答も参照にして下さいませ。

問い「後悔の念から抜け出す方法?」
http://hasunoha.jp/questions/225

「・・過ぎてしまった過去は決して取り戻せません、しかし、そこにとらわれ続けていては全くこれまでと変わることもありません。問題は今、これから何をなしていくべきかであるかと存じます。・・」

問い「仕事を焦って探して後悔したりしてます。」
http://hasunoha.jp/questions/109

「・・やがてこれだという確かなる志が固まった時には、いよいよ自分を信じることができるようになり、その自信を持って、様々な事に取り組まれて参りますことを心から祈念申し上げます。・・」

最後に、少し仏教的なお話として・・

この縁起なる世界、仏教では善因善果の因(縁)果の理を重視いたします。善き結果を望むのであれば、清らかな穢れ無き心による善なる行いが大切となります。いつまでも後悔や恨む心など煩悩にとらわれてしまっていては、良くありません。これ以上、煩悩に惑わされずに、しっかりと善き行いを積まれて参られます中で、これからの良きご縁を紡いでいけますように、良きご縁に恵まれていけますようにと祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「執着を手放すには」

問い「執着を手放すには」
http://hasunoha.jp/questions/449

【ご質問内容】

以前、流産と不妊について相談させていただいた者です。その節は心のこもった回答をありがとうございました。

ご回答やそれ以前の問答を拝見したりして、少しずつ落ち着きを取り戻していますが、なかなかすぐに元気にというわけにはいかず、まだやっぱりもがいています。

ところで、以前TVでストーカーのニュースを見ていたとき、「ストーカーの人が幸せになれるとしたら、それは執着を手放して、他の道を進んだときだよね」と、家族に話しかけて自分でもはっとしたことがありました。私もそうだ、と思ったからです。

たぶん私は子供がほしいと思うあまりそのことに執着しているのではないだろうかと気がつきました。繰り返し流産して、いったん手にしたと思ったものを何度も失ったことで、余計にそれが強くなってしまったのかもしれません。
なんとかこの執着を手放したいと思ってきましたが、なかなか難しいようです。もともとこんな気持ちが背景にあったので、こちらの仏教に関連したサイトにご相談させていただいたのかもしれません。

説明が長くなってしまいましたが、このような執着を手放すための心の持ちようはあるのでしょうか?ご助言をいただければ幸いです。

【拙回答】

「執着」の原因とは・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「執着を手放すための心の持ちよう」・・

まず、めんたいこ様が、お子様を授かりたいという想いは、何も特に否定されるべきことではありません。人間生きていくためには、様々な欲求・動機が必要であり、それが悪い行いへと向けたものでなく、あまりにも度が過ぎる極端なものでない限り、必然なることでございます。特に人間の生殖の欲求を否定してしまうことは、人間という種の存在意義の否定、自己の存在意義の否定にも繋がることとなるため、宜しくないことでございます。

また、様々な欲求・動機も善い行いへと向けたものであるならば、当然により推奨されることとなります。例えば、仏教においては、悟りを求めるという意志である菩提心を起こすこと、更にその菩提心を何度も何度も繰り返して心に起こして馴染ませて、より強い意志へと調えていくことを執着だとは考えませんし、むしろ必要な欲求・動機であると考えます。

そこで、執着ということに対して、仏教が本来問題とするのは、「実体」へのとらわれというものであり、めんたいこ様がここで少し考えておられることとは、やや異なるものとお考え頂けましたらと存じております。

もちろん、ストーカーの人における執着というものを考えた時、その対象者への執着を無くすことができれば、それはそれで良いのでしょうが、その執着を起こす原因には、煩悩、あるいは無明(根本的無知)というものがあるため、その煩悩、無明を対治しなければ何ら根本的な解決にはならないのであります。

その無明・煩悩の根源的原因としては、「実体」へのとらわれがあるため、それを私たちは執着として問題とするのであります。

特にその「実体」へのとらわれを無くしていくために、仏教では「空と縁起」の理解を進めていくことが必要となります。ですので、「執着を手放すための心の持ちよう」とは、空と縁起の理法を理解して、執着の原因となっている煩悩と無明を対治していくということが大切となる次第でございます。

と・・仏教的な難しいことは少し置いておきまして・・とにかくお子様を授かるための良き「縁」が調いますことを祈念申し上げたくに存じます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「自然災害が怖いです」

問い「自然災害が怖いです」
http://hasunoha.jp/questions/451

【ご質問内容】

自然の脅威には逆らえないとわかっていますが、地震や自然災害が怖くてたまりません。
心配するあまり、日々の生活がおろそかになりそうです。

今、ここ、に集中するために、どうしたらよいでしょうか?

【拙回答】

「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候・・」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

地震や自然災害・・確かに怖いですね・・拙生もそうでございました。

これでも過去に五年間ほど地震予知について考察を継続していたことがございます。

その時は、毎日、空を見ては地震雲が出ていないかと気になって仕方がありませんでした。

衛星画像や低気圧・台風の状況、あるいは電磁波・イオン濃度や宏観情報などをネットで収集したりと、とにかく予知してみせるのだとかなり意気込んでおりました・・実はナマズも飼ったりしまして・・

しかし、ある時から、大地震には必ず何らかの異常な前兆が複数現れるはずなので、それを確実に捉えれば、おおよその予知は可能だと思って、以後しばらく研究をやめてしまっていた矢先に・・東日本大震災が発生致しました・・

あの未曾有の大津波を引き起こした巨大地震・・

正直、全く予知できませんでした・・確かその直前にはマグニチュード6ぐらいの地震が三陸沖であったようには記憶しています。その時は、まあ、あの辺りはいつものことだから程度でスルーしてしまっていたように存じます・・

以来、もう地震予知について考察するのを諦めてしまいました・・というよりも、どこか虚しくなりました・・自然の脅威には逆らえない・・それを受け入れるのも必要なこと、無常の理趣を認めるべきだと。

もちろん、後々に後悔しないためにも防げることであるならば、防ぐことに努力するのは大切なことです。防災・減災にできる限り取り組むべきであります。しかし、どうにもならないことは、本当にどうにもならないのだと受け入れて諦めることも大切なことでございます。

良寛禅師は、「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるる妙法にて候 かしこ」と述べられておられます。災難にあっても、しっかりとそれはそれとして現実を受けとめて、冷静にその時にできることをできる限りに対処していくことが肝要となります。いまだ起こってもいないことにあれこれと思い悩んでも詮無きこと、杞憂なることでしかありません。とにかく目の前の現実の一つ一つと真摯に向き合って、なすべきことをなしていかないといけないという次第でございます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「無為で日々同じ生活に耐えられない」

問い「無為で日々同じ生活に耐えられない」
http://hasunoha.jp/questions/447

【ご質問内容】

生きにくさとは昨今よく言われる言葉ですが、今時分はその病にかかっているようです。
朝起きて、仕事に行って、帰宅して食事して、入浴して、眠る。
間にはインターネットがあり隙間はそれに費やされる。

実は私精神的な病をもう5年以上も患っておりまして、投薬はだいぶ減りましたがこの虚無感が急に襲ってきて規定量以上の薬を摂取してどうにか仮初めの安寧を得る生活を続けています。

父が亡くなってそれが加速したようにも感じています。
とにかく日々に感情が湧かない。
機械になったような無為な日々が時々心底恐ろしくなるのです。
暮らし方を変えようと地方の1次産業に従事を志しましたが、大きなハードルを越える力はスポイルされてしまっていてそれすらままなりません。
このままクラゲのような生活が続くのかと思うとますます精神にダメージが蓄積し虚脱状態が続いています。

大きなブレイクスルー(父の死さえも凌駕する)がないと打ち壊せない自分の殻なのでしょうか?
それとも指で押しただけで壊れるシャボン玉のような簡単なことなのでしょうか?

今もこのことが頭を支配して仕事に対する情熱すら奪われつつあります。
ご助言頂けたら幸いです。

【拙回答】

同じ瞬間は二度と無い

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

無為で日々同じ生活・・同じことの繰り返し・・無機的な毎日・・確かに私たちは時に無気力となり無為を感じることがあるかもしれませんが、実は、この世界では同じ瞬間、同じことが繰り返されるというのはあり得ないことでございます。

問い「何も好きなことがない」
http://hasunoha.jp/questions/301

『・・実は、同じことを繰り返しているようで、同じことを繰り返せていることなどあり得ない現実にも気付くことが大切となります。日々、取り返しの付かない毎日を私たちは過ごしています。できる限り、日々、瞬間、瞬間を大切に過ごしていきたいものでございます。・・』

問い「現在の一瞬だけを強く生きるコツ」
http://hasunoha.jp/questions/308

『・・結論的には、つまり、「現在の一瞬(一瞬の連続体)でしか生きていない」自分のありようを理解すると、自ずと、この一瞬一瞬に集中して、大事に大切に過ごしていけるようになるのではないだろうかということでございます。・・』

そうですね・・気分転換に少し自然へと目を向けてみて下さい。例えば、山登りしたり、河原・海辺を散歩したり、時に家族や友だちと共に歩くのも良いでしょう。その自然の変化、躍動に次々と面白い発見、気付きがあるのではないでしょうか。

かく言う拙生も、毎日、季節毎、同じように境内や墓苑の清掃、落ち葉掃除、草刈りを繰り返していると、時にこのループ作業、死ぬまで続くのかと思うと、嫌になることもありましたが、実は都度都度同じようなことをしているようで、少しずつでも違うことに気づいていく時、この縁起なる世界のありよう、空なる世界のありようを理解させて頂けて、誠に有り難いと思うようになれました。

お仏飯はタン塩様も是非、日々の違いの発見、同じ瞬間は二度と無いということにお気づきを賜りまして、この一瞬一瞬を大事に大切に過ごしていけるように調えていって頂けましたらと存じております。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「お坊さんのエイプリルフール」

問い「お坊さんのエイプリルフール」
http://hasunoha.jp/questions/448

【ご質問内容】

もうすぐエイプリルフールですが、お坊さんならではのエイプリルフール体験談ってありますか?
笑える話、シュールな話、びっくりな話

なんでもOKです

【拙回答】

「揶揄節」のエイプリルフール起源説

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

もうすぐエイプリルフールですね。

そうですね・・基本的に嘘を付くこと(妄語)自体が仏教では悪い行いとなりますので、冗談でも避けないといけないこととなりますが・・まあ、ほどほどのユーモア程度で済むものでしたら、それもこの日ばかりはありかとも存じます。

エイプリルフールと仏教との関係・・実はあながちないとも言えません。なぜならば、エイプリルフールの仏教起源説があるからでございます。

いつの時代かにおいて、インドにおける仏教修行の集中期間の一つとして、3月の春分の日から月末までの期間が設けられており、4月1日に厳しい過酷な修行が明けた修行僧たちが、俗世へと戻った開放感からか、羽目をはずして、悪ふざけをしたり、人をからかったり、いたずらしたりした風習としての「揶揄節」ということが、やがて欧米にも広まって、エイプリルフールになったという説でございます。※補足・・確かに日本でも春分とその前後三日間が「彼岸」として、特に六波羅蜜行の実践、功徳を積む修行期間であると言えますが、彼岸がインド仏教の由来かどうかはっきりしていません。

例えば、このような風習として、少し異なるものの、現在日本の禅宗においてもっとも過酷な修行期間となる臘八(ろうはつ)大接心が明けた冬至灯夜の日に、年一回の無礼講、徹底放行の馬鹿騒ぎが許されています。※もちろん、各僧堂や宗派(臨済宗・曹洞宗)によっても差異があるかとは存じます。

とにかく、この時ばかりは、上下関係も関係なくなり、飲めや歌えや踊れの放行三昧、昔は、日頃の鬱憤をこの機会に晴らさんと、上の先輩に対して仕返しをしてもこの日ばかりは許されていたため、日頃厳しい覚えのある先輩は、一目散に逃げ隠れたとも聞き及びました(笑)

また、「揶揄節」については、別に、過酷な厳しい修行の間、高い境地にあった僧侶たちが、修行が明けて修行が終わって俗世に戻った途端に迷い始めるということを世間の人がからかって、揶揄したということから「揶揄節」になったという説もあります。

いずれにしましても、旧年度がいよいよ終わって、新年度の始まる最初のこの日ばかりは少し開放感を持って、楽しく過ごし、新年度へ向けて心機一転して臨んで参りたいものでございますね。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「バイクが好きで仕方がない」

問い「バイクが好きで仕方がない」
http://hasunoha.jp/questions/446

【ご質問内容】

16歳からバイクに乗っています。一日たりともバイクのない日を送ったことがありません。死ぬまでバイクに乗り続けていたいと思います。
しかし、すでに年金生活みたいなものなのに、次々とバイクがほしくなってしまいます。カードローンを利用して買ってしまったこともあります。足るを知れと思いますが、気が付けばそんな感じです。
物欲と切れるにはどうしたらいいでしょうか。
僕の乗っている外国のバイクはお坊さんがコレクションしていたバイクです。
お坊さんもバイクのコレクションするのかと思いましたね。

【拙回答】

依存症への対処法について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

バイクがご趣味とのことにて、もちろん適宜なる趣味は、ストレスの発散や気分転換にも役立つかと存じますので、誠に良いのではないかと存じます。

ただ、なかなかバイクへの物欲が抑えられずにお困りのご様子でございますね。。

これは、求めても求めても満足できないという「求不得苦」(ぐふとっく)の苦しみと考えることができるのではないかと存じております。

「求不得苦」につきましては、下記問いの回答においても扱わせて頂いております。

問い「喜びすぎると痛い目にあいますか?」
http://hasunoha.jp/questions/87

「求不得苦」へのアプローチとしては、もちろん、その原因としての煩悩、並びに煩悩の奥底に控えている無明(根本的無知)を対治していくことが大切となります。

なぜ、私たちは求めても求めても満足できないのかと言いますと、モノ・コトの本質を知り得ておらず、そのために、何かそのモノ・コトに対して自分を満足させてくれるかのような実体があるかのような囚われ(執着)を原因として起こってしまっていると考えることができます。

そのため、そのような実体への囚われ、執着を起こしてしまう心を対治していくことが必要となり、上記の問いの回答でも述べさせて頂いておりますように、仏教では「空と縁起」という理解を進めていくことになる次第でございます。

この理解は非常に難しいことですので、仏教へのご興味があり、学びを進められていかれますようでしたら、いずれ理解へと向けて取り組んで頂けましたらと存じております。

とにかく、様々な依存症への対処法としては、仏教においても悪事を成さないために「戒律」というものがありますように、やはり「自制」していくためのルールを設定して、それをしっかりと守っていく、守っていけるようにするというのが良いのではないかと存じます。あとは、依存性の原因として、ストレスや心の問題が控えているようでしたら、その対応も必要になるのではないかと存じております。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「生前の写真にお供え物をする事 再問」

問い「生前の写真にお供え物をする事 再問」
http://hasunoha.jp/questions/445

【ご質問内容】

生前の写真にお供え物をする事

お二人の住職様にご回答頂き
本当にありがとうございます。
わかりにくい文章で大変申し訳なく
再度ご質問させて頂いております。

ご質問の宗派ですが
浄土宗です。

亡父 亡兄のお墓も仏壇も実家にあり 義姉が守ってくてれおります。
遠く離れております私は 自分の気持ちを落ち着かせる為に
二人の生前の写真をおいてお参りをしております。

ご住職様の言われるように
生前の写真の横にお位牌を置くという事ですが実家に位牌が
ある場合は私は写真だけおいてお参りする事は許されますか?

ご住職様が言われる
ご本尊様も実家におられます

生前の写真だけをおいてのお守りは
許されるのでしょうか・・・・

よろしくお願いします。

なお以前の質問も載せております。

**********************************************************

よろしくお願い致します。

三年前に父が他界。一年前に兄が他界しました。
離れて暮らしている事もあり 二人の写真を棚に置き毎日
お花を飾り お茶とお水を供えます。
時々お菓子などもお供えします。

質問です。
母の知り合いの方が 亡くなった方の写真を置いて
お供え物をする事はよくないと言います。
そんな事はあるのでしょうか?

私は 写真の前にお供えをして手を合わせる事が
楽しみでした。。。。
だめだといわれるととても寂しく思っています。

本当に
いけない事なのでしょうか?

【拙回答】

「荘厳」について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

御供養の形式は、個々人にてその御供養の思いを現して致すことも大切であるかとは存じますし、尊重されるべきことではないかとは考えております。

ただ、何でもありでの無造作、無秩序では、それはそれで問題もあるかとは存じております。

やはり、一定の尊いものへの配慮、失礼に当たらないような扱いというものが必要になるのではないかと考えております。

このことを仏教では「荘厳(しょうごん)」と申しまして、中身は当然として、ある程度形式を重視するのも、形式をその尊いものへの配慮の現れとして扱うからでございます。

もちろん、形骸化した中身の無い荘厳であってはいけませんし、何でもかんでも豪華絢爛でなければならないというのではなくて、身の丈に応じて、できるだけ尊いものを尊いものとして扱えるように調えて参りたいというところでございます。

さて、本題でございますが、「・・二人の写真を棚に置き毎日お花を飾り、お茶とお水を供えます。時々お菓子などもお供えします。・・」とのことで、お写真からお二人を思い浮かべられて、毎日お花を飾り、お茶とお水を供えされて、懇ろにお二人の菩提を念じておられるご様子にて、さくら桜様の思いの現れの御供養の形として、誠に良いのではないかと存じております。

尚、更に荘厳を調えていくとするならば、もちろん、お仏壇、お位牌をとなるのでしょうが、お仏壇、お位牌を調えるとなりましたら、やはり、開眼式・入魂式と正式に法要も必要となるかとは存じますので、そのあたりのこともお考え頂けましたらと存じます。その際にはやはり菩提寺様へご相談なさられて下さいませ。

あとは、既に他の先生方のご回答にもございますように、宗旨の教え、作法に準じて御供養をなさられるようにすることもお勧めさせて頂きます。浄土宗でありましたら、詳しくは下記のサイトが役に立つのではないかと存じます。

浄土宗・公式サイト
http://jodo.or.jp/

浄土宗とは
http://jodo.or.jp/naruhodo/jodo_index.html

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16
カテゴリ別アーカイブ
カテゴリー
QRコード
QRコード
記事検索
  • ライブドアブログ