hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

2015年01月

hasunoha運営者によるhasunoha(ハスノハ) blog始まる

hasunoha運営者によるhasunoha(ハスノハ) blogが始まりました。

http://taka.hasunoha-blog.info

始めの記事は、hasunoha運営者によるhasunoha誕生秘話です。有り難しです。合掌

ITと僧侶の異色タッグ hasunohaの始まり
http://taka.hasunoha-blog.info/start/


・・


「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「元恋人のお坊さんが荒行に」

問い「元恋人のお坊さんが荒行に」
http://hasunoha.jp/questions/998

【ご質問内容】

私は以前、日蓮宗のお坊さんとお付き合いをしていました。

彼の人柄に惹かれて仲良くなり、
あとで彼がお坊さんであることを知りました。

お坊さんであるということに抵抗や偏見などはなかったのですが
私は日蓮宗ではないので、知識がまったくなく
日蓮宗のお坊さんが日頃どんなことをしているのか、
どんな生活をしているのかさっぱり分かりませんでした。
彼も優しい人だったので自分の辛いことや大変なことは
あまり私には話しませんでした。

お付き合いをすることになってからも
遠距離だったためなかなか会うこともできず
当時私は土日休みの普通の会社員で
休みも合わずで会えない悲しさなどをぶつけてしまい
すれ違いもよくありました。

そんななか、彼が荒行にいくことになり
別れることになりました。
そんななかでも彼は優しく
修行が終わればまた会おうと話してくれました。

いま今も彼を想い続けており
どうしてもっと理解しようとしなかったんだと悔やんでいます。
彼のことは人としても好きで尊敬しているので
たとえ元の恋人関係に戻れなくても
また仲良くなりたいと思っています。

来月彼が修行を終えて帰ってきます。
私はどのように声をかければいいんでしょうか?
疲れているからそっとしておいた方がいいのでしょうか?

またお坊さんから見て、
女性にはどのように支えてほしいと感じますか?
教えていただけると幸いです。

【拙回答】

日蓮宗大荒行

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

日蓮宗のお坊さんとお付き合いされておられたものの、色々とすれ違いがあり、そのお坊さんが荒行へと行かれることを期として別れられたとのこと・・しかし、別れたことへの後悔のお気持ちがあられるご様子をこの度はお伺いさせて頂きました。

大荒行成満の二月十日まであと少しでございますね。

日蓮宗大荒行は、非常に厳しい修行の一つでございます。命を落とすものが出てしまうことがあるぐらいです。

午前二時に起床、午前三時から午後十一時まで、水行・読経・書写行などが行われ、食事も白粥・朝夕二食の生活が百日間続きます・・

「寒水白粥凡骨将死 理懺事悔聖胎自生」

寒水一日七回の水行、読経三昧、白粥の食事・・まさに骨身を削りに削り、死の寸前まで至るような厳しい修行をすることで、罪業の本質を見極めて、罪業を懺悔(無相・有相の懺悔)し尽くして、凡骨なる身が聖胎、つまり、凡俗なる者が聖なる尊い存在へと昇華することを目指すために行われる修行となります。

この大荒行の修行は、その厳しさもあり、並大抵の決意では臨めないものでございます。

正直に申しますと、そのお坊さんは、恐らくは本心では別れたくはない、貴女様のことは好きであり、仲良く付き合いたいと思っているけれど、真剣に真摯に修行へと臨まれるために、それは、つまり、あらゆる煩悩(愛欲など)を断ち切って、修行の障りとなるものをできるだけ除かれるために、あえてこの度は別れを成されたのではないであろうかと邪推ながらにも存じております。

是非、彼が修行を終えて帰られましたら、一言、「お疲れ様でした」とお声掛け頂きまして、「これからも宜しくお願いします」と告げられると良いのではないかと存じます。

また、もしも可能でしたら、千葉県と、遠くになりますが、法華経寺へと参詣なされて、二月十日の祖師堂での「大荒行成満会」にご参加なさられて、一目でも彼のお姿、勇姿を御覧になって頂けても有り難いかと存じております。

法華経寺
http://ja.wikipedia.org/wiki/法華経寺
https://plus.google.com/107071630029326816484/about?gl=jp&hl=ja

お幸せを心から祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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問い「生きる意味」

問い「生きる意味」
http://hasunoha.jp/questions/990

【ご質問内容】

私は今まで苦しいことがあったら必ずいいことが
あると思って生きてきました。でも、最近は嫌なこと
ばっかりだし、友達関係では自分はここにいて意味が
あるのだろうかと思うようにもなりました。
必要とされない人間の生きる意味とはなんなんで
しょうか?

【拙回答】

因果の流れ

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「生きる意味」の「意味」は、その必要性や理由のこととなりますが、生きていくためには、そのための原因や条件が欠かせないものとなります。その原因や条件のことを「因縁」と申しますが、私たちのこの世界は、全て、因縁果、因果の理において成り立っています。

そのため、因果の理を無視して成り立っているものは実は何もない世界とも言えます。

例えば、まな様も突然に何もないところからポンといきなり現れたわけではないでしょう。生まれたのも、今、そのように生きていられるのにも様々な無数の因縁が関わっている次第であります。

そして、この度は、hasunohaに辿り着かれて、「生きる意味」とは何かを問われました。それもいきなり何も無いところから現れた問いではないでしょう。迷い苦しみや悲嘆、虚無感、絶望感から、「生きる意味など無いのではないだろうか」というややネガティブな気持ちとなられて、その気持ちから発せられた疑問ではないかと察します。そして、その疑問の発せれる場としてhasunohaをご選択頂いた次第でございます。

このように少しのことだけを考えても全て因果の法により成り立っています。そして、そのネガティブな気持ちとなられている結果にも当然にその因縁があります。ネガティブな気持ちの前には、苦しいこと、嫌なこと、期待が裏切られたこと、必要とされていないこと・・などやはりそのような気持ちとなる因縁があるのであります。

大雑把に言いますと、この因果の流れをより善くすることにより、より善い結果へと導いていこうとする考え方が仏教・仏道にはございます。

まな様も因縁の流れをより善いものへと変えてやれれば、もっと前向きに、明るく、元気になれることだって可能になるはずです。その変えていくためのヒントが仏教にはたくさんございます。是非、この機会から更に仏教に興味をもって学んで頂ければ幸いに存じます。

また、これまでにも「生きる意味」に関しましては、下記の各問いにて扱わせて頂いておりますので、ご参照下さいませ。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318924.html

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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問い「前向きに生きる方法がわかりません。」

問い「前向きに生きる方法がわかりません。」
http://hasunoha.jp/questions/961

【ご質問内容】

私は自分の肌にコンプレックスがあります。そのせいで人と話すことは大好きなのに最近は学校に行くことも苦痛に感じています。
望んでこんな風に生まれたわけじゃないのに、なぜこれほどまでも悩まなきゃいけないのかという思いで胸が痛いです。
この悩みのせいで生きることがつらくてしょうがないです。
違うことに没頭すれば忘れられるかな、と考えてもすぐに‘‘どうして私だけ”と思ってしまいます。

どうしたらいいのでしょう。
どうしたら前向きに生きていけるのでしょうか。
教えてください。

【拙回答】

もっと自分の長所を認めてあげること

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度はコンプレックスでお悩みのことをお伺いさせて頂きました。

まあ、人間社会は比較・相対で物事を価値判断してしまう世界ですから、大抵、皆、何らかの劣等感や自己嫌悪を持って過ごしてしまっていくものでございます。

かくいう拙生も10代、20代の頃は色々なコンプレックスを持っておりました。

拙生の肌には病的ではないものの慢性脂質湿疹的なものがあり、顔にはそばかすもあります。顔のホクロもやや人よりも多い感じです。特に思春期においては鏡を見るのが嫌な時期がありました。

しかし、自分が思っている、気にしている程に、実は人はそんなに思っていないことがやがて分かりましたし、外面より内面の大切さに気付くことができて参りました。

さて、佑香様は、誰かにそのコンプレックスを直接に指摘されて嫌な思い、差別や偏見を受けたことがあるでしょうか?

もしもありましたら、そんな人間とは付き合わない、相手にしないことが一つ、更に理不尽なことや不条理、反道徳的なことがあれば、しかるべきに毅然と対応していくべきでしょう。

とにかく、まあ一度、下記のCM動画をご覧になって下さい。

「ダヴ リアルビューティー スケッチ」
https://www.youtube.com/watch?x-yt-cl=84411374&v=E8-XKIY5gRo&x-yt-ts=1421828030

きっと貴女様は、貴女様が思っている以上に美しい、可愛らしいのではないかとは思います。もっと自分の長所を認めてあげて下さい。

「前を向くこと」に関しましては、これまでにも下記の各問いにお答えさせて頂いております。
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_323826.html

問い「前向きに生きるには」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002970570.html

前を向くためのヒントになりましたら幸いでございます。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「お布施代について」

問い「お布施代について」
http://hasunoha.jp/questions/955

【ご質問内容】

こんばんは。
日蓮宗のお坊さんとお付き合いをしているあひるといいます。

外国に住んでいる両親の友人が去年亡くなり、もうすぐ一周忌なんですが、
亡くなった日本人で仏教徒である奥様のためにきちんと供養をしたいと
ドイツ人の旦那様がどうすればいいのか?と両親に質問をしてきまして、
彼に色々と聞いていたら、結局戒名、お位牌、そしてお経を彼のお寺にお願いする事になりました。
費用を聞くと、ご住職のお父さまが、戒名、お位牌合わせて家族割で6万でいいよと言ってくださったのですが、ネットでみたところ、通常戒名は30万程度からと書いてあり、それはいくらなんでも安過ぎるのでは?と悩んでいます。

まだ家族になってもおらず、しかも私の両親の友人の戒名なので、そんな破格の割引を頂いていいのか?と。
恐らく金額を聞いてもそれでいいと言ってくださるのだと思いますし、母は別の友達から「それは100万ぐらい払った方がいいんじゃないの?」と言われたそうで、ますます混乱しています。

このような場合、ご住職がおっしゃる金額のお支払いでいいのでしょうか。お布施は「気持ち」というのは分かっています。
ここで、それ以上をお支払いすると逆に失礼にあたるのでしょうか。

皆さんのご意見を聞かせて頂ければ幸いです。こんな下世話な質問で申し訳ありません。
よろしくお願いします。

【拙回答】

「布施」について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お布施は「布を施す」とありますように、本来は、有り難い仏法を説いて頂けたこと、仏法により安心や安楽、幸せを頂けたことに対しての御礼として、貧しい者から衣・袈裟を作るための「布」を施されたことを由来としております。

その布は汚物を拭いた後にて捨てられてしまうような布ではありましたが、当時、高価な財産価値のあるものを修行僧は所有することができませんでしたので、そのような布であれば丁度有り難く受け取れた御礼であった次第でございます。

衣・袈裟のことを「糞掃衣」(ふんぞうえ)と言いますのも、当時、大便など汚物を拭いて捨てられたような布を集めて作られていたからというのが由来となっております。

とにかく、何かできることで感謝を表す御礼が「布施」となります。

さて、この度は、お付き合いされておられるお坊さんのお寺にて御供養をお願いなされることになったようですが、家族・友人割云々よりも、これからしっかりと御供養して頂けることで故人様が安心、安楽を賜われるようにとして、仏法、宗旨への理解を深めて頂いて御供養をなさられて頂けることがまず大切になるのではないかと存じます。

日蓮宗であれば、特に法華経の教えの理解が大切となります。仏法を頂けることにより、故人様への安心、安楽(例えば、日蓮宗では、霊山浄土への往詣、成仏へと向けた御供養など)を賜われることへの御礼として、施主となられるその旦那様に布施のご説明をなさられて、そして、ご住職様からお金で○万円で納めて頂けましたらとお伝えなされるとどうであろうかと存じます。

また・・誠に言いにくいことですが、万が一にもあひるさんが先で破局や離婚でもなさられてしまわれて、後から、「いや、あれは家族・友人割だったので、一般的な正規のお布施(本来は一般的も正規もありませんが・・)をやっぱり頂きます。○○万円を」とならないかどうかが心配となります。今後の供養にも関わっていきますので、施主であるご主人様にとって、大きな失望へとならないかどうか注意、確認が必要ではないかとは存じます。

また、逆にそれがあひる様にとっての足枷になる恐れも・・

もちろん、円満にこのまま良いお付き合いが進みますと問題はありませんが・・余計なお世話にて申し訳ございません。

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「仏教では自殺は悪いことではないというのは本当でしょうか。」

問い「仏教では自殺は悪いことではないというのは本当でしょうか。」
http://hasunoha.jp/questions/985

【ご質問内容】

つい最近 「hasunoha」 をみつけて登録したものです。

早速ですが、
仏教では自殺を悪いことだとは言わないのでしょうか。

自分の肉体の生命を自分の意志で終わらせることを自殺であると定義したとき、仏教では、自殺はとがめられる行為ではないのでしょうか。

私は、キリスト教徒ではありませんが、自殺はしてはいけないとする意見に賛成するものですので、たとえば意識を失うほどの肉体の苦痛が私のところにやってきたとしても、その苦痛に忍耐するつもりで生きています。

そもそも、釈迦がいうところの「空」を素直に学べば、自殺は起こらないのではないでしょうか。

ご教示お願いいたします。

【拙回答】

「空と縁起」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

浦上様も既にご回答のように、仏教において自殺・自死を勧めるということはありません。

確かに釈尊の在世時において弟子たちが自殺されたということはございました。このことにつきましては、下記のページの内容をご参照下さい。

「仏教は自殺を本当に禁じているのか?」
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/3138/suicide_buddhism.html

その上で、下記の問いにて拙見解を述べさせて頂いております。

問い「自殺してはいけない理由」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002970251.html

次に、『釈迦がいうところの「空」を素直に学べば、自殺は起こらないのではないでしょうか。』・・でございますが、「空」(無自性・無実体・無自相)という真理を理解することは、つまり、「縁起」を理解するということも大切となります。

問い「生きること、死ぬこと、どっちが辛いのか」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002992500.html

上記の拙回答にて述べさせて頂いておりますように、「空と縁起」の理解を進めることが迷い苦しみを超えていく上で非常に重要な鍵となります。

このことをここで詳しく扱いますと膨大な説明が必要となりますが、誤解を恐れずに簡単に述べさせて頂きますと、「空と縁起」を理解することは、因果の理をしっかりと理解することでもあり、悪因悪果、善因善果という中で、悪い結果となることが明らかであることを自らで行うことは無くなる、しないということにて、無明・煩悩による自殺・自死(悪業となる自殺・自死)などとてもできないということになります。

とにかく、私たちは、空の理解だけではなくて、縁起の理解も誤りなくに進めることも必要となります。

是非、これからも「空と縁起」の理解を深めて頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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問い「宗教に対するイメージについて」

問い「宗教に対するイメージについて」
http://hasunoha.jp/questions/976

【ご質問内容】

私は宗教に対していいイメージを抱きにくい人間です。

ニュースを見ていると宗教の悪い面が目に入ってくるので悪い印象をどうしても持ちがちになってしまいます。そしてなかなか中にはいい人もいるという印象も持ちにくくなります。例えば最近だったらイスラム過激派のテロであったり昔だったらオウムや霊感商法だったりでしょうか。

そういうこともあってかもし仮に私が大勢の前で「私は宗教をやっています」だとか「宗教のおかげで生活がよくなりました」と言ったら大半の人が「この人はカルト宗教に入っている」だとか「勧誘している」と思われる、そういった流れが容易に想像(たとえ誤解であったとしても)できてしまうのです。

別に宗教全般が憎いわけではないですが前述のような人を傷つけるような宗教は許せないですね。

どうすれば宗教のよい面に触れることができてなおかつカルトみたいな危ないものにはまっていないと周りに誤解されずにすむのでしょうか?

【拙回答】

拙宗教考・2

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「宗教」に関しましては、最近に下記問いにお答えさせて頂きました。

問い「宗教とは」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1017725553.html

宗教は、幸せや安心のための一つの方法論として、どう利用していくべきかを考えていくことが必要になります。

仏教の場合では、実践思想哲学的側面が強くありますので、実践しながら、納得して受け入れていくことが大切となります。納得できるかどうかは色々と学び試さつつ、随時合理的に検証なさられながらに修習されることをお勧めさせて頂きます。

破壊的カルトなど結果的に不幸になる、迷い苦しみになるような、そんな宗教はやめる、いらないと考えるのが妥当であるかと存じます。それはもちろん信教の自由の下における個々人の自由意思、それぞれの良識、良心にも委ねていくことになりますが、反社会性、犯罪性を帯びるような宗教、信教、信仰は当然に論外であり、厳しく排斥、淘汰されてしかるべきことになるでしょう。

さて、ここで、私が貴方様に対して私になって下さい、思想、信条、性格、癖、言動・・など私に全て合わせて下さい、と言われたらどう思うでしょうか?当然に無理でしょうし、嫌でしょう。逆もまた同じです。

それでもお互いにこの世界で過ごすことができているのは、違いは違いとして認め合って、互いに尊重し合い、時には衝突や喧嘩もしながらにも、バランス、折り合いをつけていけているからであります。

この世にて幸せに、円満に過ごすためには、支え合い、分かち合い、助け合いと共に上記のようなことも大切となります。

宗教や宗派、信仰の違いも同じことであり、違いは違いとして、別に無理に信仰や教義を同じくする必要は全くなく、違いがあることについて互いに尊重し合い、認め合うことがまず必要になります。その上で教義上での違いや方法論などについて議論、提言、意見、時に互いに諌言し合ったりもしながら、よりよい世界を目指して、人類、衆生の皆の幸せや安心、安楽のために資していくべきであるのではないかと考えております。

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「分別と無分別について教えて下さい」

問い「分別と無分別について教えて下さい」
http://hasunoha.jp/questions/977

【ご質問内容】

分別と無分別について詳しく教えて下さい

【拙回答】

分別と無分別について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

もう六年以上前のかなり中途半端で恥ずかしい内容ですが、拙論「仏教・空の理解」の第六章「無分別について・再考察」にて、「無分別」に関して扱わせて頂いております。

施本「仏教・空の理解」・第六章「無分別について・再考察」
http://oujyouin.com/sunya6.htm

この内容を記させて頂きましてから、「無分別」に関しましても更に学びを進めさせて頂いている次第ですが、現在における拙生の考え方につきまして以下に少し述べさせて頂きます。

まず、「分別知」と「無分別知」に関して、それぞれ二段階で考える必要があるかと存じております。

無明・煩悩による影響のある分別知(真実執着・真実把握・迷乱知・顛倒知など)
無明・煩悩による影響のない分別知(後得知・正理知・比量了解など)

顕現しているものに対する無分別知(後得知・正理知・比量了解など)
無顕現に対する無分別知(三昧・等引知・現量了解など)

分別知は、特に言説知・言説量によって把捉されたるモノ・コトとなり、無明・煩悩に犯された言説知・言説量と無明・煩悩に犯されていない言説知・言説量による二通り、無分別知は、顕現しているものと、顕現していないものの二通りを対象にしていると考えることができます。

拙理解仏教図式No.7(2014.6.14)
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/f11483ea1a2eb35ce5dcda72284b2bfa

上記拙図において、無分別知は、この図における空性へと向かう知になるのではないかと考えております。

しかし、ここで注意しなければならないのは、「無分別知」=「悟り」という勘違いでございます。これは、よく一般的な仏教理解においても間違われてしまいますが、仏陀・如来となるまでは、善い分別と悪い分別、善い無分別(空性了解)と悪い無分別(悪取空など)があり、仏道においては、善い分別・無分別を慎重に選択して修行を進めていかなければならないのではないかというのが現時点における拙見解でございます。

制限字数の関係上、詳しくはここまでとなりますが、簡単には、分別・無分別を理解していく上において大切となるのが「空と縁起」の理解になるかと存じております。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/users/16

問い「悟りについていくつか質問させてください」

問い「悟りについていくつか質問させてください」
http://hasunoha.jp/questions/953

【ご質問内容】

はじめまして、悟りについていくつか疑問があるので教えて下さい。

お釈迦さんはどうやって悟りを開いたのでしょうか?
お釈迦さんは悟りを開く前は苦行をしたり様々な修行法を試しましたが、
最終的には瞑想によって悟りを得たのでしょうか?

悟りを開くと何か特殊な能力が手に入りますか?

悟りを開いたとはどうしたら分かるものなのでしょう?

悟りを開いたお坊さんは次にどうするのでしょうか?

お坊さん以外に、この質問に正しく答えることができる人がいないと思う(教えてgooでは正確な回答が返って来るとは思えない)のでお願いします。

【拙回答】

「悟り」について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「悟り」に関しましては、以前にも下記の問いにてお答えさせて頂いております。

問い「僧侶の方に聞いてみたいと思っていたこと」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_443680.html

「悟り」という結果を得るには、当然にそのための因縁(原因・条件)が必要となります。その因縁を調えていくのが仏道であり、確かなる仏道を歩むために仏教がある次第でございます。

「・・悟りの妨げとなっている煩悩障と所知障を断滅させていくことへの修行が必要であり、特には、智慧(空性の了解)と福徳(善徳・慈悲・利他行)の二資糧を円満に積んでいくことが大切なこととなります。・・」

しかるべくに智慧と福徳を修めることによって結果としての悟りへと到達できることとなります。瞑想(禅定)はあくまでも悟りへ向けた因縁における修行過程・方法の一つであって、確かに釈尊は菩提樹下にて瞑想なされて最終的に悟りを開かれましたが、瞑想だけで悟りを開けるわけではないことには注意が必要となります。

次に、悟りによって得られる特殊な能力に関しましては、確かに六神通を得られると仏典(沙門果経・相応部経典など)にはございます。六神通につきましては下記の問いにてもお答えさせて頂いておりますのでご参照下さいませ。

問い「霊感ってあるのでしょうか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002837225.html

また、悟りは、「自内証」なされるものであり、その境地を自ずと理解できることになるのではないかとは存じます。「甚深、寂静、戯論を離れ、光明、無為、甘露のごとき法を私は得た。誰に教えても理解できないから、説かずに林下に留まろう。」(ラリタヴィスタラ・釈尊の伝記より)

最後に、悟りを開かれて仏陀・如来となられましたら、仏国土・浄土において、更に悟りによる善巧方便によって衆生の救済に尚一層取り組まれることになるのではないかと存じます。

悟りへと向けて共に仏道に精進努力致して参りましょう。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/users/16

問い「宗教とは」

問い「宗教とは」
http://hasunoha.jp/questions/952

【ご質問内容】

宗教とは何ですか?

宗教とは何を目指しているのでしょうか?宗教の目的がよくわかりません。

祖父母の法事等で、宗教行事に触れる機会はあるのですが、この私の人生にどういう意味があるのかが、わかりません。

宗教の目的はなんでしょうか?

お坊様がたの信仰されている宗教について、その宗教とは何か?その宗教の目的とはなにか?

を教えていただけたら幸いです。

宜しくお願い致します。

【拙回答】

宗教考

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「宗教とは、一般に、人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のこと」とウィキペディアにございますが、仏教でも如来・仏陀という人智を超えたる存在を扱うものの、決して私たち凡夫では成れないもの、遠い存在ではなくて、確かなる仏道を成就することによって、迷い苦しみから離れて、如来・仏陀の悟りの境地へと到ることを目指すことになります。その仏道を歩むための教えが「仏教」ということになります。

宗教の目的は、おおよそ、幸せや安楽、安心を得るため、あるいは、より良い生き方、人生を歩むためにあるかとは存じます。仏教ももちろんそのようであって、究極的な幸せ、安心、安楽としての「悟り」を得るために、(現世、来世両方へ向けて)悪い行いを成さずに、より善い行いを調えることによって、より良い生き方、人生を歩めるようにしていくということにもなります。

特には善い結果へと向けては、善い因縁(原因・条件)が必要であるとして、仏道を歩むため、悟りを得るための善い因縁を仏教を確かに学び修して集積していくことが大切となります。その善い因縁は簡単には「智慧と方便(慈悲行・利他行・善徳行)」となります。

さて、問題は歴史上においても、また現在においてもそうですが、宗教が時に争いや憎悪の原因となり悲劇が起こってしまうことでございます・・

本来の宗教の目的は、上記でも述べさせて頂いておりますように、「幸せや安楽、安心を得るため、あるいは、より良い生き方、人生を歩むため」にあるものかと存じております。それが、不幸や迷い苦しみ、悲しみの原因となってしまっては誠に本末転倒となります。

何故本末転倒なことが起こってしまうのか・・それは、全ての人たち、仏教的には衆生たちが、幸せ、安心、安楽となることを目的とせずに、自分、あるいは自分たちの集団さえ良ければいいというような、自己中心、自己満足、独善的な考え方がどこかにあるために生じる問題であるのではないかと思われます。そうではなく、いかに皆が幸せに、安楽、安心に過ごせていけるかを第一として、どの宗教でも、どの仏教の宗旨宗派においても考えていくことがまず大切になるのではないかと存じております。

川口英俊 合掌

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