hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

2015年04月

問い「 仏教のエッセンスを広めたい」

問い「 仏教のエッセンスを広めたい」
http://hasunoha.jp/questions/1150

【ご質問内容】

こんにちは。
迷った時にいつでもこのサイトに訪れています。
私は少し前に般若心経の現代語訳に触れ、そこから仏教が大好きになりました。
今までも嫌いだった訳ではなかったのですが、宗教自体が自分とはあまり関係の無いものだと思っていました。
さて、そんな私もいろいろ調べていくうちに、他の今苦しんでいる誰かにも、仏教の事を話してみたくなったのです。
ですが実際話してみると、そんな事が出来てたら苦労しないよ、とか、そんな事で納得出来るほど私は素直になれないわ!とか、受け入れてもらえない意見もちらほらありました。
(もちろん、仏教の素晴らしさを理解してもらえた方も多かったのですが。)
全ての人を納得させたかった訳ではありませんが、やはり私が話すからには私的見解が入る為か、思っていたより上手く伝わらないのだと知りました。
そこで質問です!
お坊さん方は、普段説法や法話をされる時に、より沢山の方に理解してもらう為に、どんな事を心掛けておられますか?
厳しいアドバイス、面白い実体験など、回答いただけると嬉しいです。
お忙しい事とは思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

【拙回答】

確かなる「法施」、「無畏施」の実践へと向けて

醜(しゅう)様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「仏 教のエッセンスを広めたい」、「他の今苦しんでいる誰かにも、仏教の事を話してみたくなった」という思い、誠に有り難く尊いことでございます。慈悲の御心 に深く感謝致します。そんなお優しい心を持たれた貴女様には、「醜」というお名前は似合いません。「美(よし)」というお名前にどうかお変え頂けましたら と存じます。

仏教をお伝えするのは、誠に難しいものですよね・・そして、当然に私見や邪見も入りってしまうのももちろん仕方のないことで ございます・・どうしてなのかと申しますと、それはもちろん私たち凡夫においては、まだまだ修行が足りず、煩悩や無明によって真義の理解が邪魔されてし まっているからであります。

また、仏教の教えというものは、対機説法、方便によるものであるため、例え正しく理解できていることであっても、相手に理解してもらえるようにするためには難しいところもございます。このことは、下記の拙回答をご参照下さい。

問い「仏の教えって伝わりづらいものですか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1022839055.html

さて・・浅学非才の未熟者ではございますが、何とか拙生なりにお伝えさせて頂けることにつきましては、お伝えさせて頂きたいということで、仏教の修習の精進努力は続けさせて頂いております。

そ の中で、自身が納得検証した上において、できる限りに喩えも用いて、わかりやすくお伝え致して参りたいという思いは常々ございます。但し、やはり誤解を生 じさせてしまったり、間違った方向にならないよう、慎重な配慮はできる限りしていかないといけないかと存じております。

私たちが取り組む べき六波羅蜜の修行の実践として、布施がございますが、その布施にも三つあり、「財施」、「法施」、「無畏施」があり、この度、美(よし)様が取り組み頂 こうとされているのは、まさに「法施」、「無畏施」のことについてとなりますが、誰も最初から完璧にできるわけではありませんものの、できる限り独善的・ 自己満足的にならず、また傲慢・高慢・増上慢にも陥らずに、己もまだまだ学ばせて頂いている者として謙虚な自覚も持って取り組んで頂けましたら有り難くに存 じます。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/users/16

問い「無とはなんですか?」

問い「無とはなんですか?」
http://hasunoha.jp/questions/1199

【ご質問内容】

少し哲学じみた質問なのですが、
仏教の教えで考えが変わるのであれば
どうかお話を聞かせて下さい。
学生時代、地球がいつかなくなると
授業で習いました。
だいぶ後の事だし今が楽しかったので、
そこまで気にもしてなかった事なのですが
ふと、そんな事を考えていたら、
地球がなくなる=いま生きている事がなくなる と繋がってしまい、いつか何もない
無の世界になってしまうのか?と
毎日不安で押しつぶされそうになりました
死ぬことが怖いとは思いませんが、何もなくなる世界が恐ろしくてたまりません。
この恐怖をなくして、前のように今ある命、人生を楽しく、人間らしく生きて
いきたいです。
変な質問ですみません。
どうかアドバイスをお願いします。

【拙回答】

「無始無終」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「無」についてお悩みのご様子をお伺い致しました。

実体としての「無」というものは無いかと存じますが、実体としての「無」は無いとしても、「縁起」としてはあり得ることにはなります。このあたりのことは非常に理解が難しいことですが、ひとまずは下記拙論をご参照下さいませ。

拙論「 死後について 」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1008841241.html

そして、いつかこの世が「無」の世界となってしまうのかどうかということですが、それは正直あり得ないことかと存じております。

もちろん、いつか膨張を続けているこの宇宙はやがて臨界期を迎えると今度は収縮に向かうことになるでしょうが、限りなく収縮したとしても、決して「無」になることは無いかと存じます。拙見解ではございますが、その凝縮されたエネルギーが、また何かのきっかけによるアンバランスによって、爆発(ビッグバン)、膨張を生じることになるであろうかと思っております。

この宇宙が誕生したのは、そのアンバランスさによるもので、本来は相反する超素粒子同士の衝突により、超素粒子同士が消滅して、ビッグバンは起こらなかったはずですが、僅かなバランスの崩れがあって、ビッグバンに繋がりました。そして、現在の宇宙が生成されているわけですが、これが収縮していったところで、アンバランスさは変わっていない可能性が高く、きっとまたそのアンバランスさにより、ビッグバンが起こるのではないかと考えております。

もちろん、何度かこの宇宙も膨張と収縮を繰り返す中で、やがてバランスが取られて、消滅してしまうこともあり得るでしょうが、それは相当先(千万無量大数年以上)として、それでも他の宇宙もたくさんございますので、この点ご安心下さい。

とにかく、この世は(実体としては)「始まりも終わりもない」・「無始無終」というのが仏教の基本的な考え方でもあり、あまりご心配に及ぶことでもないかと存じております。

それよりも、幾劫にも及ぶ輪廻の迷い苦しみのありようを何とかしていけるように心の連続体(心相続)のありようをより良くに変容させていくことが大切であるかと存じております。共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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問い「縁起について教えて下さい」

問い「縁起について教えて下さい」
http://hasunoha.jp/questions/1193

【ご質問内容】

仏教の縁起について教えて下さい。

【拙回答】

「縁起」をお説きになられましたお釈迦様に最敬礼申し上げます。

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「縁起」という言葉を聞くだけで、誠に身の引き締まる思い、ある種の緊張感が走ります。

「縁起を見るものは法を見る。法をみるものは縁起を見る」「縁起を見るものは法を見る。法を見るものは仏を見る」と申しますように「縁起」の教えは「空」の教えと共に、まさに仏法の真髄の一つであり、しっかりと理解することが大切となります。

浅学の拙い未熟なる理解ではございますが、これまでにも「縁起」に関しまして、下記の各問いにて扱わせて頂いて参りました。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/縁起

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/空と縁起

最近では下記問いにても扱わせて頂いております。

問い「「空」とはどういう意味でしょうか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1020870815.html

「縁起」とは、この世における全てのモノ・コトの成り立っているありようを説明する上において、誠に欠かせない考え方となります。

また、「縁起」は「空」と表裏一体・不可分の理解が求められるものであり、「縁起」=「空」、「空」=「縁起」、つまり、「色即是空 空即是色」の理解が必要となります。

「縁起」には、主に三段階の理解として、第一に、「原因・条件・結果における依存関係」、第二に「部分と全体とにおける依存関係」、第三に、「意識作用・概念作用・思惟分別作用により、仮名・仮説・仮設されることによるという依存関係」がございます。

そして、最終的には、あらゆるモノ・コトというものは、それ自体の側において、他に依存せずに独立自存として存在していない「無実体・無自性・無自相」という「空」の理解と共に、では、どのようなありようとして実際、現実に存在しているのかということにおける「縁起」を理解することが大切となります。

何とかしっかりと誤謬なく理解していけるように調えて参りたいものでございます。

改めまして深遠なる縁起の真実義をお説きになられましたお釈迦様に最敬礼申し上げます。

平成27年4月8日・釈尊降誕会によせて

川口英俊 合掌

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問い「人生は夢ですか?」

問い「人生は夢ですか?」
http://hasunoha.jp/questions/1196

【ご質問内容】

人生は夢でしょうか?
私はそうだと思います。

物欲もなくなり、どう生きて行くべきか分からなくなりました。

目覚めたらどんな景色でしょうか?

【拙回答】

「夢」と「如夢」の相違について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

少し虚無的、絶望的なお気持ちをお抱えになられておられるようなご様子・・ご心配申し上げます。

「人生は夢でしょうか?」・・

確かにこの世の無常の儚さを表現する意味において、「夢」がよく例えられます。

例えば、「敦盛」や「平家物語」などが有名でございます。このことは下記の問いにて扱わせて頂いております。

問い「実母の死」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002972230.html

また、上記の問いでお答えさせて頂いておりますが、仏教における「夢」の表現の例えというものは、「空」、「無実体・無自性・無自相」を示すための意味で用いられますが、厳密には、「如夢」として「夢の如し」で、「夢」そのものではなく、あくまでも「夢に似ているもの」ということになります。

夢というものには実体が無いということは理解できると思います。実は、それと同じように現実の私たちのありようも実体としては成立していないということを「夢」という表現で示そうとするのですが、但し、現実のありようは確かに実体としては成立していなくても、「縁起」として成立しているのは紛れもない事実となります。

※「縁起」に関しましては、下記の各問いをご参照下さいませ。
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/縁起

この「実体として成立していなくても、縁起として成立している」ということの理解が仏教においてあらゆるモノ・コトを理解していく上で誠に大切なことになります。

もちろん、夢も「縁起」として成立しているものでありますが、現実と異なるのは効果的な作用力は持ちえていないということでございます。このあたりのことは非常に理解が難しいのですが、例えば、夢の中で起こった巨大地震は何も被害はもたらしませんが、現実の中で起こった巨大地震は大きな被害をもたらします。この現実的な作用力の差異が「如し」であくまでも「イコール」ではないというものとなります。

「どう生きて行くべきか」・・

その指針となる教えが仏教にはたくさんございます。是非これを機会として学びを少しずつでも進めて頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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問い「人が怖いです」

問い「人が怖いです」
http://hasunoha.jp/questions/1178

【ご質問内容】

前回はとても心に響く丁寧な回答をいただき、とても感謝しております。
今回のご質問なのですが、私は人が怖いです。数年前までは全くこのような事はなく、人と話し、人と触れ合い、人と接することがとても好きでした。しかし、歳を重ねると共に世の中の裏を見てしまい、人を恐れ、人を避けて生きるようになりました。外に出る事ですら怖いと感じ始めるようになりました。この世の中の、通り魔殺人や、たちの悪い一部の人間の存在が自分をこのようにしてしまったのだと思います。友達にしても、この人は信用できるという人が1人もいません。女性に関しても、結婚詐欺や金目的の接触には合いたくないですし、良い人と悪い人のはっきりとした判断基準がないため信用したこともなく、恋愛経験も皆無です。常に人を恐れ、疑い、時には耳を貸さずに1人で生きています。でも、これから生きて行く上で必ず人と関わりながら、生きて行く必要があります。そして、自分の目指す仕事場は必ず人と関わりがあります。ですが、突然その職場にコワイ人達が入ってきて、金をゆすられたらどうしよう、などと、常に恐怖心と持っています。どうすれば、人を信じ、以前のように人と関われるようになるでしょうか。また、世の中の全ての人が悪い人でない事は分かってます。しかし、一部の人間がとても怖いんです。普通の人を装って近づいてくる一部の人がとても怖いんです。そんな人がたくさんいるこの世の中で、どう生きて行けばいいのでしょう。人間不信を治したいです。
よろしくお願いします。

【拙回答】

人を見る目を養うのは実際の経験から

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この世では様々な営みの中、社会生活の中で生かされている以上、人とも否応がなく関わっていかなければなりません。もちろん様々な人がおられるだけに、自分にとって良い人、好きな人、嫌いな人、そのどちらでもない人と、時々の状況や捉え方次第でも色々と変わってしまうのではないかと存じます。

仏教におきましては、代表的な苦しみの一つとして「怨憎会苦」がございますが、これは、私たちは、憎しみ怨むほどに嫌な者、嫌な事にも出会っていかなければならないという苦しみのこととなります。

「怨憎会苦」 に関しましては、これまでにも下記の各問いにてお答えさせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/怨憎会苦

この世では、無明(根本的な無知・愚かさ)・煩悩により悪い行いをしてしまう人が多くございます。そのため、自分が純真で、素直で、無垢な心をもっておりますと、より鮮明にそのような悪い行いをしてしまう人々のことを嫌悪してしまうのも当然のこととなります。

梨男様は、誠に純真で、素直で、無垢な心をお持ちであるのではないかと存じます。どうしても、大抵の場合、やがて社会で色々と良くも悪くも経験し、揉まれる中で、そのような善き心を失ってしまうことになってしまいますが、どうかそのまま大切に育んで頂けましたら有り難くに存じております。

とにかく、社会生活を営んで、人と関係していく上において、恐怖心や不信をもってしまうのもある程度は仕方のないことでありますが、あくまでも人は人、自分は自分として、もしも、怖いことがあったとしても、跳ね返していけるだけの強さと自信を兼ね備えられるように調えられていかれると良いのではないかと存じます。

そして、失敗をあまり恐れ過ぎないことです。拙生もこれまで色々と人間関係での失敗がございましたが、何とか都度に反省して活かせてこられたのではないかと存じます。その実際の経験が、人を見る目として徐々に養われ、少しずつ良いもの、悪いものを見抜いていける力にもなるのではないかと思います。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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問い「仏教では幸せとは」

問い「仏教では幸せとは」
http://hasunoha.jp/questions/1131

【ご質問内容】

仏教の考え方では、"幸せとは苦が無いこと"が幸せであってますか?

【拙回答】

抜苦与楽

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教における「幸せ」というものは、もちろん、苦しみや迷いの無いこととなりますが、世間におけるような「幸せ」とは意を異にするものとなります。

以前にも下記の各問いにてもお答えさせて頂いておりますが、仏教における「幸せ」とは、私たちの普通世間一般的、世俗的な欲望を満たすような「幸せ」ではなく、「涅槃・悟りの境地」という「究極的な幸せ」となります。

問い「幸せとは」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1019840794.html

問い「幸せとは」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1019837645.html

また、仏教の基本的な考え方においては、「苦しみを抜いて幸せを与える」という意味の「抜苦与楽」(ばっくよらく)という言葉がございます。

この場合の「楽」というのも、安楽や安心、幸せのこととなりますが、つまりは、これも「涅槃・悟りの境地」というものとなります。

如来様・菩薩様たちは、輪廻の迷い苦しみにある衆生たちへの哀れみ、つまり、大悲の思いから、苦しみを取り除かれようとなさられて、衆生たちへの慈しみ、大慈の思いから、衆生に楽をお与えになられようとなさられておられます。

その如来様・菩薩様たちの智慧と慈悲による善巧方便における数々のお教えを、経典や論師たちによる注釈書や論書、先師たちからの教えなどを通じて、私たちはしっかりと学び修して、涅槃・悟りへと向けて一歩一歩精進して参りたいものでございます。

もちろん、般若心経においても述べられていることとなりますが、苦しみにも、幸せにも、楽にも、慈悲にも、智慧にも、あるいは涅槃や悟りなども実体として成り立っていない「空」なるものではございますが、「縁起」としてそれぞれ成り立つものとしてございます。

それぞれにおける因縁のありようをしっかりと理解することにより、確かなる仏道を歩んでいくことが臨まれることとなります。是非共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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問い「初めての質問です。よろしくお願いします。」

問い「初めての質問です。よろしくお願いします。」
http://hasunoha.jp/questions/1185

【ご質問内容】

漠然とですが20代の頃から、いつかはどこかの宗教の信者になって、それを心のよりどころ、自分の手本にして生きていきたいと思ってました。

そして去年、座禅を知りとその流れで曹洞宗を知りました。座禅を知ったと言っても座禅会などに参加したわけではなく、ただ、座禅に出会った程度のものなのですが、ちょうど悩んでた時期と重なり、座禅、道元禅師の言葉がその時の自分の心にすっと入って心が楽になった気がします。

私の家は分家で、宗派は浄土真宗らしいのですが、母親にそのことを伝え相談したところ、自分の好きな、信じることのできる宗派に入ればいいと言ってもらえました。

そこで神様も仏様も何もかも知らない私が曹洞宗の信者になるにはどうしたらいいのでしょう?
どうすれば信者になれるのでしょうか?

また、こんな気持ちで宗教を決めてしまって、いいものなのでしょうか?

この質問で浄土真宗から、曹洞宗に変えたいと言ってますが、決して浄土真宗をバカにしているわけではなく、ただ、その時の私に曹洞宗がすっと入ってきたような気がするだけです。

よろしくお願いします。

【拙回答】

まずは幅広く仏教を学び修していくという姿勢

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

誠にご仏縁、ご法縁もご縁なるものと存じますが、大切になるのは、しっかりと納得して関わっていくという自覚と責任であると考えております。

このことに関しましては、以前にも下記の問いにてお答えさせて頂いております。

問い「お葬式と宗派について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1017173096.html

「・・基本的には、「信教の自由」がございますので、宗教、宗旨宗派の選択も各個人の自由が尊重されるべきことでございますが、何でもかんでも自由気ままにということではなくて、宗教、宗旨宗派に対して、しっかりと納得して関わっていくという自覚と責任が大切になるのではないかと存じております。特に仏教の場合は、実践思想哲学的な側面が強くございます。決して盲目的・盲信的な信仰であってはいけないかと存じております。数々の釈尊の善巧方便の教えをしっかりと学び修していくためにも、まずは仏教全体の概要の教え、基本的な法理、各宗旨宗派の基本的教義などを概観することから始められて、その中から、少しずつお決めになられていかれると良いのではないと存じております。また、その中でやはり別の教義も学んでみたいとなりましたら、それはそれで全く構わないのではないかと存じます。・・」

あともう一つは、どうしても「方便」の問題もあるということでございます。方便に関しましては、最近では下記の問いにて扱わせて頂いておりますのでご参照下さいませ。

問い「仏の教えって伝わりづらいものですか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1022839055.html

教えにおいて、受け入れられるものとそうでないものが出てくるのは当然のことで、それは己の理解、機根、能力の状態、境地、資糧等においても変わってしまうものになるかと存じます。

実は実際に拙生も以前では受け入れられなかったものが、最近ではスッと受け入れられているというようなこともございます。

ですので、是非、まずは特定の宗旨宗派にこだわらずに幅広く仏教を学び修していって頂けましたらと存じております。共に頑張って参りましよう。

川口英俊 合掌

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問い「虐待される動物は、それが宿命なのでしょうか?」

問い「虐待される動物は、それが宿命なのでしょうか?」
http://hasunoha.jp/questions/1158

【ご質問内容】

最近も高校教論が子猫を生き埋めにした事件がありました。

世の中にはまだまだ遊び半分に酷い虐待に遭って殺される動物たちが沢山います。
犯人は悪びれもせず同じことを繰り返しています。
物言わぬ小さな命を弄びながら、肉や魚や植物の命を無駄に消費するのです。
そんな話を聞いてしまうたびに、可哀想で悲しくて心が狂おしく乱れます。
虐待される動物たちは、酷い目に遭うために生まれてきたのでしょうか?
仏教的には、彼らはそんな目に遭わされねばならない相応の業を持って生まれてきたということになるのでしょうか?
酷いことをする人間に出会ってしまうことは、動物たちの宿命だったのでしょうか?
だとしたら本当に悲しすぎます。
怖い苦しい想いをしたであろう動物たちの魂は、死後ちゃんと救われるのでしょうか?

せめて彼らの魂が仏様の元へ行って幸福になれるように祈っているのですが、どうしてもやりきれない想いがじくじくと心に膿みます。

【拙回答】

菩提心

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お優しい慈悲の御心をお持ちの樹理亜様、どうかその慈悲の御心をいつまでも保って頂けましたら有り難くに存じます。

三宝への帰依の思いと慈悲の心、そして、迷い苦しみにある一切の衆生が涅槃、悟りへと至ってほしいという思い・・まさに仏教において大切となる「菩提心」のことであり、誠に尊いことでございます。

「帰依と菩提心生起」について参照・・

仏陀・仏法・僧伽に
悟りに至るまで私は帰依いたします
私が積んだ布施行などの資糧によって
有情を利益するために仏陀となることができますように

すべての有情を救済しようという願いによって
仏陀・仏法・僧伽に
悟りの心髄に至るまで
常に私は帰依いたします

智慧と慈悲をもって精進し
すべての有情を利益するために
私は仏陀の御前に
完全なる悟りのために菩提心を生起いたします

この虚空が存在する限り
有情が存在する限り
私も存在し続けて
有情の苦しみを滅することができますように

※僧伽について・・(僧侶集団のこととなりますが、最近では、全ての出家者・僧侶を意味するのではなく、八地(不動地)以上に到達なされた聖者たちに対する帰依とされる場合もございます。)

合掌・・ここまで

「宿命」論につきましては、以前に下記の問いにても回答させて頂いておりますが、まず結論から申しますと、運命・宿命・決定論は、常見・断見のいずれにも陥る危険性が高くあり、「中道」を説く仏教からは、当然に退けるべき考え方となります。

問い「運命には逆らえないのでしょうか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002956277.html

「・・この輪廻の苦海の中にいる限り、色々な苦しみは、早晩、大小関係なく、様々に幾度と無く経験することとなります。・・」

とにかく、虐待されてしまう動物たちに限らず、この輪廻にある限り、大小様々に私たち衆生は迷い苦しんでしまうこととなります。

どうか全ての衆生たちがいずれ涅槃、悟りへと至れますようにとの菩提心を保ちて、仏道に精進して参りたいものでございます。樹理亜様の慈悲の御心、誠に有り難しでございます。

川口英俊 合掌

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問い「毎日死にたいと思ってしまいます。」

問い「毎日死にたいと思ってしまいます。」
http://hasunoha.jp/questions/1171

【ご質問内容】

病気をたくさんしてきて、ようやく治りそうになって、未来が明るいなと思っていたら、統合失調症になって入院してしまいました。
飲まなくなった精神薬を再度飲むことになり、副作用で体重も90キロになってしまい、毎日ろくに食べずダイエットしているのですが、体重がどんどん増えていき、痩せてお金もある友達を見たり、街中の人を見ると、自分がデブで病気で金もなく、惨めな気持ちになり、早く死にたいなと毎日思って生きています。
自分より辛い人はたくさんいるのはわかっているのですが、布団に入ると早く死にたいな。と毎日思って辛いです。どうしたら明るく前向きに生きられるでしょうか。

【拙回答】

根本的な原因について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

これまでにたくさんご病気になられてこられまして、ようやくに何とか治りそうになって、未来が明るいと思われた矢先に、この度は統合失調症になってしまわれてのご入院・・本当におつらいことでございます・・

向精神薬での投薬治療・・誠に副作用等にて大変なことであるかとお察し申し上げます・・

ここからは医師、専門家でないため、あくまでも素人の拙一見解となりますが・・

とにかく、この世では何も原因がないのに、何かが生じ起こる、あるいは滅し消えるということはあり得ません。必ずモノ・コトには、その因縁(直接的原因と間接的原因・条件)があると仏教では考えることとなります。

下記の問いにてもお答えさせて頂いておりますように、一つの推測でございますが、もしか致しますと幾つかの病気の原因として、何らかの生体的な問題、それも根本的な問題が控えてしまっていることも考えられます。その根本的な原因により、これまでにも病気を次々と発症なされてしまわれているのではないかと思われます。

どうしても各病気ごとにおける対処療法にて何とかこれまで治療をされてこられたように存じますが、根本的なところの治療にまでは、もしか致しますと行き着いていない可能性もございます。

もし可能でしたら、今の治療がまず何とか一段落つきましたら、一度、根本的な原因の解明へと向けたことにも取り組んで頂けましたらと存じております。

問い「精神病の彼について。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1023338264.html

また、どうしても他と比べて、自己嫌悪や劣等感にさいなまれてしまわれることも仕方のないことではございますが、もし宜しければ下記の各問いの拙回答もご参照下さいませ。

「自己嫌悪」について
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/自己嫌悪

「前を向くこと」について
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_323826.html

どうか善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「精神病の彼について。」

問い「精神病の彼について。」
http://hasunoha.jp/questions/1141

【ご質問内容】

2年前から精神病を患う彼について、ご相談いたします。
会社で上司と折が合わず、2年前に会社を退職し、
その後、突然倒れ意識不明でICUに入院していましたが、回復し今は病院に通いながら療養しています。本人からは、検査をしても倒れた原因ははっきりわからず、体調が良い時は外に出かけられますが、悪い時には一切の連絡がなくなります。
そのような繰り返しで、私も見守り続けて3年目になります。 毎日顔を合わせるのであれば、彼の様子がわかるので私も安心できるのですが、ずっと遠距離恋愛のため、見えないなかで、待ち続ける日々です。 現在も、11月の季節の変わり目で体調が良くないと連絡がありそれから、一切の返事がありません。 私も、会社までの通勤が片道2時間かかるため、日々の生活にクタクタで精神的にもキツイなと感じてきました。 願望成就の本に書かれてるような、未来の生活を楽しくイメージなんてする余裕もなく毎日いっぱいいっぱい1日を過ごし、休日は体を休めるだけで終わるような日々です。
どうか、私のこの心をお救いいただけませんでしょうか?よろしくお願いいたします。

【拙回答】

必ずモノ・コトには、その因縁がある

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

彼氏が精神病にて苦しまれておられて、何とかしてあげたいけれども、なかなか思うようにどうにもできずにつらいお気持ちをお抱えの程、お察し申し上げます・・

何とか彼氏が頑張られて立ち直ってもらえると、将来のことも色々と見えてくるかと思いますが・・現状では厳しいですよね・・

酷なようですが丹下様のご回答も確かに一つの良いご提案であるかとは存じます。でも、本当に心底から好き、愛しているならば、どうにかしてあげたい、見捨てられないのも当然のこととなります。

彼氏の状態がどのような程度の具合であるのかは医師やその専門家ではないので分かりませんが、そのようになられているのには必ずや原因があるはずです。

この世では何も原因がないのに、何かが生じる、滅するということはあり得ません。必ずモノ・コトには、その因縁(直接的原因と間接的原因・条件)があると仏教では考えます。

倒れたのにも、体調が悪いのにも必ずその因縁があるはずです。その因縁さえ分かれば、解決させるための因縁へと向けた手掛かりにもなるはずです。

原因不明と諦めずに、もう少しネットででも情報収集して、これまでの経過や細かい症状なども併せて、治癒へと向けての前向きな取り組み、例えば、病院や検査方法を変える、可能性のある治療法(あまり根拠の無い、エビデンスの無いものは度外視して)を試していくことも必要ではないかと存じております。

拙生も過去に精神病、精神障害者の皆様を支援させて頂く活動に関わったことがございますが、とにかく原因不明で諦める、何をしても無理というような、どうしようもない現実に苦しんだことがございます。

しかし、本当に原因不明なのだろうか、何をしてもダメなのだろうか・・と今でも疑問に強く思います。

鬱病や統合失調症など精神病には、生体的な問題が控えている場合もあります。最近、良く聞かれるようになった副腎疲労症候群、慢性疲労症候群がその典型例です。体内での何かのバランス関係が崩れていることが複合的な要因と共に精神病を引き起こしてしまっている可能性があります。

精神病だ、障害だと一辺倒に決めつけて諦めてしまう前に、必ずあるであろう解決の糸口へと向けた因縁をもっと詳しく調べてみることをお勧めさせて頂きます。

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
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