hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

2016年04月

問い「魂の行く場所」

問い「魂の行く場所」

【ご質問内容】

助けてください。

一年半前に、突然、夫が仕事中に事故で死んでしまいました。その時私は妊婦でした。

結婚一周年を間近に迎えていたのですが…一緒に迎えられず、幸せな結婚生活が一年もせずに壊されてしまった。即死だったので死に目にも会えなかった。

本当に愛していたし、愛されていました。真面目に思いやりを持って過ごしてきたのに、こんな事が起こるなんて…神様、仏様さえ呪いました。

夫が死んでから、毎日が灰色で地獄のような日々を過ごし、後追いしようとしたり…泣いてばかりの日々でした。

毎日、あの日仕事に行かせた事を後悔して、死ぬまで後悔するのだと思います。

そんな中、無事に出産し、子供を産んでからは涙も封印しました。子供は愛しいし、責任をもって幸せにするつもりです。

もう、自殺しようなんて思いません。夫の分まで愛情も注ぎます。

その気持ちに偽りはないのに、早く夫のもとに行きたいと思ってしまう気持ちもあるのです。それから、轢いた犯人や夫の会社も憎くてどうしようもなくて。苦しいです。

夫の魂はどこにいるのでしょうか、死んだら又会えるのでしょうか?

【拙回答】

「供養」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

つらすぎます・・呪い恨んであたりまえでしょうし、後悔もされることでしょう・・時が戻せればと・・私だって同じ立場ならば考えることでしょう・・

魂の行く場所・・

以前に、「業・カルマが行き先を決める」と業論・輪廻論を端的に述べたことに関して、説明不足から誤解を受けて、hasunohaでは無いのですが、少し別にご批判を頂いたことがございます・・

「魂」ではなく、「微細な意識の連続体」と拙生は表現しますが、その行き先がより善きものとなるようにと調えて参りますのが、「葬儀」や「供養」となります。

「供養」は、「供(とも)に養う」ということになりますが、亡くなられた方と一緒に、悟りへと向かうための行い(智慧の修習と功徳の集積)を養って共有していくということになります。

もちろん、一番に行き先へと向けて影響があるのは、やはり、「業・カルマ」であると考えます。

ここで少したとえ話をしましょう。葬儀のことを「津送儀」(しんそうぎ)という表現がありますが、それは、まさに「津=港」で航海の無事を見送るという意味合いとなります。

そこで、悟りヘの船旅ということで、「業・カルマ」は、悟りへと向かうための大海を渡る「船」と考えてみて下さい。

「船」はそれぞれにおいて、大きさや機能も異なります。それは、それぞれのそれまでに積みたる「カルマ・業」の現れとなります。

例えば、清らかな善きカルマを積みたる者の船であれば、まさに、それは安全性能、高速性能、アンテナ性能等、非常に優れた機能が調っており、多少の嵐や氷河、流氷があっても、速やかに悟りへと向かうことができることになります。

一方、あまり善いカルマの無い者の船は、もしかするとひどい場合、手漕ぎカヌー程度でしかなく、悟りへと向かう方角も分からず、彷徨い、嵐で敢え無く沈んでしまうかもしれません。

しかし、少しでも悟りへと向かえるための「供養」を及ぼすことにより、その船にエンジンやレーダーを装備させてあげたり、地図を示してあげたり、悟りへの船旅のお手伝いとすることができるというイメージでございます。

一緒に、悟りへと向けて取り組んでいるのだという「供養」を通じて、是非、より善い行いに努め励みて、お幸せにお過ごし頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌

問い「いろんなことを心配しすぎてしまいます」

問い「いろんなことを心配しすぎてしまいます」

【ご質問内容】

私は寝る前などに、大切な人が急に亡くなったらどうしよう、などの不安で胸がいっぱいになることがよくあります。

父親(両親が離婚して父に引き取られてます)や、恋人が、交通事故にあったり急病になったらどうしよう、という感じです。 
そしたら私も生きていける自信がない…などとそこまで考えたりもします。自分自身のことも、病気になったらどうしよう、とか色々なことを心配してしまいます。 
そんなことを考えていても仕方ないとは分かってるのですが、どうしても不安になってしまうときがあるのです。こんなこと考える人はなかなかいないのかな、とかも思います。(結構な頻度では、という意味で)

今を楽しく生きているのだから、そういうのを気にしないようにしたいですし、寝る前に考えるときは眠りが浅くなったり寝不足になったりするのが本当に嫌です。 
心配性なので、将来のこと(例えば結婚など)も、考え始めると楽しい未来を描くことより こうなってしまったらどうしよう と悪い方向に考え、心配事でいっぱいになってしまいます。

どうすれば心配性を治せるのでしょう。 
いろいろ不安に思う自分がつらいです。

ぜひアドバイスいただければと思います。 
宜しくお願い致します。

【拙回答】

「杞憂」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「杞憂」(きゆう)という諺がありますが、まさにそのような状態に陥っておられるご様子・・

まだ来たらぬ未来のことについて、あれこれと不安・心配して、思い悩んでしまうのも仕方のないことなのですが、実は、未来というのは、どこまでもただの想像、妄想の産物なるものであって、どんなに思い悩んでもキリがないものとなってしまいます。

現にその未来を想像していても、その自分は、「今」の自分であり、それはどこまでも「今」の自分でしかありえないのでございます。

問題は、「未来」、あるいは「過去」でもなくて、「今」をどうするべきかということになります。

この世における全ての現象・事象は、様々な依存関係、「縁起」(えんぎ)にて成り立っていると仏教では考えます。

縁起とは、例えば、簡単には、因縁果(原因・条件・結果)の依存関係のことで、この因縁果の流れをしっかりと理解することで、色々なモノ・コトにもある程度、対処し、対応し、対策を講じることも可能ではないかと存じておりますし、必要なことではないかと思います。

そのため、未然に防げることであれば、それはしっかりと努力していくことも必要ですが、その努力をするのも、あくまでも「今」においてであって、「今」、できること、やれることをするだけで、それ以上のことはどうにもならないことは、どうにもならないということを理解するのも大切なことになります。

ただ、どうにもならないことでも、他の助けや支えがあれば、何とかなることだっていっぱいあります。一人であれやこれやと悩むよりか、不安や心配をできるだけ無くすために、周りの方々とできることを話し合ってみるのも。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「発達障害」

問い「発達障害」

【ご質問内容】

同じ職種を長年続けていますが 
注意力が足りず間違えたり 
頭が回らなかったりして人間関係も悪くなり転職の繰り返しです。 
ADHDなどの発達障害 適応障害などがあるのではないかと思います。 
社会に貢献も出来ず、人から軽蔑されいくら頑張っても改善されずヤル気をなくし自分は何の為に生まれてきたのかわかりません。 
発達障害の人が生きていく心構えを 
どうかご教授お願い致します。

【拙回答】

全ての人はある意味での「障害」を持っています

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

まず、「障害」を「障害」と、マイナスイメージにて、あまり強く思い込まないことです。

実は、全ての人はある意味での「障害」を持っています。

どういうことかと申しますと、人間は、必ず何らかの遺伝子多型・SNPスニップ(変異)を抱えているということでございます。

みんな変異を持っているのですから、それで、実は「あたりまえ」、「普通」だとお考え下さい。

もちろん、その変異は、何かの病気や機能的な問題をもたらす原因になったりもしますが、一方で、中村一善様のお話にあるように「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」となる可能性も大いにあるわけです。

これは、厳しい環境に適応していくために、生命が進化の過程において必要になった当たり前の生存能力であると言えるのではないかと存じます。

互いに「変異という問題」、「障害」を持った者同士、それぞれで助け合って、支え合って、分かち合っていくことが、私たちの生存においては何よりも大切となる次第です。

できないことは遠慮なくにできる人に助けてもらい、自分にできることで、何か助けてあげられていけるようにする。それで良いのだと思います。

以下も、是非ご参照下さいませ。

「弱者を抹殺する。 不謹慎な質問ですが...」 

『・・「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ。あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です。遺伝子によって発現されるどういう"形質"が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です。例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、将来は「有効な形質」になってるかもしれません。だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです。・・アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね。ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです。その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです。・・』

川口英俊 合掌

問い「不妊治療して、やっと授かったのに流産して気持ちが苦しいです」

問い「不妊治療して、やっと授かったのに流産して気持ちが苦しいです」

【ご質問内容】

初めて相談させて頂きます。どうか前向きに生きるアドバイスをお願いします。

結婚8年目の専業主婦です。4年間の不妊治療で双子を授かりましたが、週数違いで流産してしまいました。

当初はただただ悲しいばかりでしたが、時間が経つにつれて、自分を責めるようになりました。自分が双子と戸惑ったから、子供たちがお空に帰ったのでは、もしくは私が子供たちを殺してしまったのではとも思いました。

子供たちは頑張ってくれたと、私を守ってくれたのだと周囲の人が言ってくれました。頭では理解できるのですが、まだ心がついていきません。

悲しんでばかりだと子供たちにも心配をかける、そう思って頑張れる時もありますが、夜中に涙が出て、哀しくて寂しくて、亡くした子供たちに会いたくて、どうしようもなくなる時があります。

どうすれば、もっと前向きに日々を過ごせるでしょうか。

【拙回答】

双子のお子様に「ありがとう」と言ってあげて下さいませ。

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

美月さんと香月さん・・流産されてしまわれた双子のお子様のお名前になりますでしょうか・・

拙生にも十週以下にて流産した子の経験がございますが、半年ぐらいは、本当に悲しみ、悩み苦しみました・・

水子供養はなされて頂きましたでしょうか・・

水子供養をお勤め頂きまして、双子のお子様のことを地蔵菩薩様へとお任せになられて頂くことも。お地蔵様の善きお導きも賜りましょう。

この世のモノ・コトは、因縁(原因と条件)によって成り立っていると仏教では説明申し上げます。

どうしても因縁が調わないと難しいこともございます・・

双子のお子様は僅かの命だったかもしれませんが、確かにお二人の子どもとしてこの世に現れてくれたことは紛れもない事実です。それは何か大切なことを気づかせに来てくれたのだとお考え下さいませ。

もちろんまだまだ難しいかもしれませんが、拙生はやがてそのように思えることができ、有り難くに感謝致して、水子供養を致して、乗り越えていくことができました。

その気づきはもちろんそれぞれにおいても異なるでしょうが、真摯に「いのち」と向き合うことによって得られるものは、それぞれに大きなものがあるのではないかと存じます。

旦那様と、お互いに支え、助け合って、そして、仲睦まじくに。

きっと、双子のお子様はこのように言われることでしょう。

「お母さん、いつも私たちのことを忘れずに思っていてくれてありがとう。でもね、どうかこれ以上は泣かないで。悲しまないで。」と。

双子のお子様に「ありがとう」と言ってあげて下さいませ。

川口英俊 合掌

問い「即答希望 親を怒らせてしまいました」

問い「即答希望 親を怒らせてしまいました」

【ご質問内容】

昨晩、親と喧嘩をし、朝も喧嘩しました。

そして家に帰ってきたときに、親は仕事だと思うんですが、家に服がばらまいてあったりと、荒らされていました。こんなに怒ったことはありません。 
電話をかけてみましたがでず、どうすればいいのかわかりません。 
どうすればいいですか・・・?

【拙回答】

感情的にならずに

泥棒が入ったとかではないですかね・・

理由が分かりませんので、詳しくには述べれませんが、とにかく、服は丁寧にたたんで直しておいて、片づけ、掃除もしておき、親御さんが帰ってこられてから、冷静に落ち着いて、詫びるべきところは詫びて、とにかく感情的にならずに、まずは、相手の話を一通り聞いて、そして、一呼吸おいてから、自分の意見も述べて、話し合いをしてみましょう。

善処を祈念致します。

川口英俊 合掌

問い「仏教の教えについて」

問い「仏教の教えについて」

【ご質問内容】

 こんにちは。再びこちらで質問させていただきます。

 以前読んだ呉智英著「つぎはぎ仏教入門」という書物の中では、私の従来のイメージとはかけ離れた仏教観が述べられており衝撃を受けました。お釈迦様の物語では、お釈迦様は家族を捨てて出家しており、出家者に対しても①家族を捨てること・②生涯独身でいること・③労働をしないことを要求しています。また梵天勧請のお話では、お釈迦様が悟った後に「私が悟った法は、その内容はあまりにも高度なものであるから、一般の人に説いてもわかるまい。」とそのまま涅槃に入られようとしていたようです。

 これらの物語を読むと、仏教とは決してヒューマニズムのような耳障りの良い教えではなく、むしろ社会の常識を揺るがす危険な思想なのではないかと思いました。また、仏教の一番の目標は、やはり「悟りを開くこと」ですが、「悟り」とは私が今まで考えていた「あるがままの世界を観じる」というような単純なものではなく、もっと峻烈で幽玄なものではないかと思いました。

 これらを踏まえると、日本の仏教ではお坊さんは妻帯をして、労働されている方もいらっしゃるのが普通の光景です。社会に歩み寄るという点では、ある程度の妥協も必要であるとは思いますが、釈尊の本来の教えから見ると、修行や悟りを軽視している面があるのではないでしょうか? また、その教義が初期仏教とは異なる宗派もいくつかありますが、ある教えが仏教であると言える条件は何なのでしょうか? 日本で悟りを開かれているお坊さんはどれくらいいらっしゃるのでしょうか?

 その辺りを、お坊さんはどのように考えられているのか伺いたく、質問させていただきました。どうぞよろしくお願いします。

【拙回答】

拙お勧めについて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お礼を少し拝見しまして・・

テーラワーダ、マインドフルネス、仏教3.0・・と幾つかのキーワードが思い浮かびました。

前回の拙回答にて述べさせて頂いておりますように、「ある特定の宗派の教義や、ある一面の教義にとらわれてしまっては、それこそがセクト化による独善・排他性に繋がり、カルト化しての弊害があるのではないか」という懸念を述べさせて頂いておりますが、意外にも上記において挙げさせて頂いているものにも、実は、「セクト化による独善・排他性」の懸念が見え隠れしているものもございます。

もう一年以上前の拙考になりますが、関連として少しくご参照下さいませ。

#勝義方便メモ No.10 

もう一つは、禅系統にもご興味がおありとのことでしたが、あまりにも「無分別」や「無念・無思・無想・無観」を重視するような神秘主義的な禅定思想方面には、正直疑念を持っておかれながらに学ばれるのが良いかとは存じます。

宜しければ、「禅思想の批判的研究」松本史朗氏(大蔵出版)をご一読下さい。

これから大乗仏教について体系的に学ばれる基本書としてお勧め申し上げるならば、「ダライ・ラマの仏教哲学講義(苦しみから菩提へ)」(大東出版社)がお勧めであるかと存じます。

また、これから仏教を学ばれていかれる中で、特に意識して頂きたいのは、「二諦」ということの理解になります。

「勝義諦」と「世俗諦」ということになりますが、少しこのことを頭の片隅に入れておいて頂いて、都度に気にして頂けましたらと存じます。

とにかく、何事もそうですが、批判的、合理的に検証しながら、納得するまでしっかりと修習していこうとする志が大切となります。

共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「私が彼にできること」

問い「私が彼にできること」

【ご質問内容】

私には遠距離恋愛2年目の彼氏がいます。 
お互いによく頻繁に連絡しあった時はあったのですが、最近は彼が忙しいからか、彼から連絡してくれるのはほぼなくなってきています。 
冷めてきてしまっているのではないか、浮気されていないか、と悩むばかりで、暫く泣いていた時期もあったのですが、今は大分落ち着いています。 
私が一度素直になるべきだと受け止め、彼にすれ違っていないか、素直になれなくてごめん、と思いの丈を話したところ、「そんな君も好きだから。愛してる」と言われたからです。 
彼は付き合いたての頃から、連絡をする度に「かわいい」「好きだよ」と言ってくれる、私とは正反対に本当に優しい彼なのです。 
多少忙しくても、こちらから誘えば少ない時間でも連絡してくれます。

私は、そんな彼を裏切った時があります。 
1年前、彼との関係に私が冷めてしまい、変わらず愛を注いでくれる彼との縁を、一方的に切ったのです。

しかし、1年経っても彼の存在は私の中で見え隠れしていました。 
彼の優しさや与えてくれていた愛情を、簡単には忘れられなかったのだと思います。 
一人になった私は、人肌が恋しいという自分勝手な思いで彼にまた連絡をしてみました。 
すると、すぐに返事をくれ、1年たっても私を思う気持ちは変わらないと、彼は話してくれました。 
彼と話すにつれ、罪悪感でいっぱいになりました。 
彼自信一番辛かったのに、都合のいいように接していたことが、自分自身許せませんでした。 
それからは彼を本気で愛し、彼もまた私にその思いを返してくれます。

そして前文に至ります。 
彼にはまだこのことを話していません。 
彼から話は聞いたのですが、しばらくは連絡があまりできないとのことでした。 
もし彼にこの話をしてしまったら、彼は私に幻滅して、別れを切り出してくるかもしれません。 
そうでなくても、いつか来る別れもあるでしょう。 
それでも私はいいと思っています。 
素直に受け止め、ただの思い出として残すつもりです。

ただ、一つだけ心残りがあります。 
彼は私にたくさんのものを与えてくれたのに、私はまだなに一つ返していません。 
彼に何かしてあげられることはないでしょうか。 
ほぼ昔話のようになってしまいましたが、この話を見て下さっただけでも感謝しています。 
長文失礼しました。

【拙回答】

「愛」という字は・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

まあ、そんなに気負われることはなくに。揺れる恋心です・・不安、心配、寂しさ・・色々とあるでしょうし、相手に想いは十分に伝わっているのではないだろうかと思います。

「愛」という字は、「心を真ん中で受ける」と書きます。

お互いが、しっかりとお互いの心を受けとめ合える間となってこそとなります。

もう少し彼氏さんには、ゆう様の心を受けとめて、言葉だけではなくて、ゆう様を大事にして気遣ってほしいなと思うところはありますね・・

色々凸凹とあっても、想いを遂げられて一緒になれると良いのですが。。

お幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「片思いが止められない」

問い「片思いが止められない」

【ご質問内容】

私は高校一年生のときに同じクラスの男の子を好きになりました。

その彼を三年間想っていたのですが、

自分に自信がなく奥手な私は自分の気持ちを一切伝えぬまま、

彼にさよならも言わずに高校を卒業しました。

大学に行けば新しく好きな人が出来るだろうと考えていたのですが、

どんな男性に出会っても「かっこいいな」くらいにしか思えず、好きな人ができません。

それどころか、今でも彼の夢を見たり、彼との出来事を思い出しては泣いてしまいます。

きっと何も伝えることが出来なかったのが心残りなんだと思います。

しかし、卒業以来全く会っていないし、連絡先さえも知りません。

独りよがりなのはわかっています。でも、もう一度会いたいと願う気持ちが消えません。

どうすれば私は前を向けるでしょうか。

【拙回答】

過去の忘れ物

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

伝えぬままの片想い・・あれやこれやと想像してしまっては、後悔してしまう・・なんとなく同じような経験がございますのでよくわかります・・

前を向くためには、そうですね・・過去の忘れ物を取りに帰る必要があります。

先生、友達を頼って、一度、手紙やメッセージ・ライン、電話などでも連絡してみられてはどうかな・・とは思います。(もちろん、迷惑にならない程度にて)

あるいは、Facebookをされている可能性はないのでしょうかね。友達繋がりで結構昔の友人と出会えることもあります。

また、近況を色々と知れることで、吹っ切れて諦めることができたり、あるいは、想いを伝えてみようかな、となったり、いずれにしても、動き出せることができるのでないだろうかと思います。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「悪霊はいますか?」

問い「悪霊はいますか?」

【ご質問内容】

現在も過去も不運な事ばかりおきます。

お祓いは効くのでしょうか?

【拙回答】

お祓いは、ある種の「プラシーボ(プラセボ)効果」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お祓いは、ある種の「プラシーボ(プラセボ・偽薬)効果」であるとお考え下さい。

それで少しなりにも心が軽くなり、癒しや和みとなって、平静を取り戻せたら、良しとすべきものだと思います。

しかし、問題は、恐怖心や不安を煽ることで、高額な祈祷料、高額なモノを買わせようとする詐欺などに繋がる霊感商法もあるため、誠に気をつけないといけません。

以下は以前における拙回答の内容の引用です。参照までにて。

『・・「霊感」を宗教的な面から捉えようとして考えますと、その根拠や証明、論証の曖昧さが生じてしまうため、非常に難しい問題を孕むことにもなります。ただ、あくまでも仮定でありますが、もし「霊感」があるとしても、色々な因・縁(原因や条件)により成り立っている「縁起」なるものであり、実体として、独立自存としては成り立っていない「空」なるものであるかとは存じます。その因・縁をより善くに調えることで、当然に結果も改善させることができるのではないかとは存じております。・・とにかく霊や魂は、生前も死後においても、実体、独立自存として存在しているものではないということだけは言えるかと存じております。・・』

「・・到底、論証・証明のできないようなことを扱うのは所詮ナンセンスで、私たちの現実の迷い苦しみを解決させていく上で何ら役に立たないことであり、特に、この霊の存在についても典型的なもので、釈尊は「無記」として扱われた次第となります。もちろん、釈尊は全知者でありましたが、あえて意味のないようなことを議論する必要がないとお捨てになられたのでしょう。それよりも、善き行いを積みて、善き因果の流れに乗りて、善き赴きへと向かうことに、しっかりと取り組みなさいということでございます。・・」

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「赤ちゃんの行き先は誰が決めるのですか?」

問い「赤ちゃんの行き先は誰が決めるのですか?」

【ご質問内容】

赤ちゃんが「あのお家に行こう」と選ぶというのは本当ですか? 
それとも神様・仏様が「あのお家に行きなさい」と決めるのですか?

私は不妊治療もしましたがなかなか授かれず、一度だけ妊娠したものの早いうちに成長が止まり流産となりました。 
子どもが好きで保育士をしていますし、何よりも全く性格の違う夫と私の間にどのような子どもが生まれてくるのか、どうしても会ってみたくて諦められず、待ち続けています。

だから、虐待や殺害のニュースを見るたびに「我が家に来てくれていれば…」「待ち望んでいるお家に行ってくれていれば…」と思わずにはいられません。 
「行き先が違っていたら幸せになれた命が沢山あるはず」と思わずにはいられないのです。

最近も28歳娘と義父の元に生まれた赤ちゃんが殺害されたニュースがありました。(その娘さん自身も被害者なのかもしれない事は知っています)

赤ちゃんがそこに行きたいと選んだのでしょうか? 
神様・仏様が決めたのでしょうか? 
親に傷つけられたり、殺されるために…。 
そんな酷い事があっていいのでしょうか?

私たちが「たった1人でもいいから」と望んでいる間に、よそには2人目、3人目と生まれたりしています。 
何の意地悪なのか…、そもそも神様も仏様もいないのでしょうか? 
「信じる者の中に存在する」と聞き、ずっと信じて生きてきましたが…。

身も蓋もない言い方になってしまいますが、結局のところは身体的に全く問題がなく受精・着床…と進めば、人としてどうかとか、神仏云々関係なく授かることができるんですよね。

頭ではわかっていても心がモヤモヤしてしまい、こんな事ばかり考えてしまいます。 
「今度は間違えないで私たちの家に来るんだよ」と諦められず待ってしまいます。

【拙回答】

どうかお子様が授かれますように

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お子様を強く望まれる中におきまして、大変な不妊治療、そして、流産のご経験・・と、誠におつらいことでございます・・

仏教では、全てのモノ・コトというものは、因縁(原因と条件)により結果が成り立っているとご説明申し上げます。

赤ちゃんが授かれるのも、そのための因縁が調っての結果ということになります。

その因縁をできるだけしっかりと調えて参りたいものとなります。

何よりご夫婦仲睦まじく、そして、お互いの心身共の健康に留意しつつ、医療の活用にも努めて、結果を待ちたいものでございます。

どうかお子様が授かれますようにと心から祈念申し上げます。

川口英俊 合掌
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