hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

自分とは何かについて

問い「自分は」

問い「自分は」

【ご質問内容】

今まで散々質問してきました.

しかし毎日無駄に過ごしている

自分は生きていいのですか?


【拙回答】

背負うものが無いことも、時に必要です。

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

無駄とは、「駄=馬にのせた荷物」が無いということですが、背負い続けるのも誠に大変でしんどいこと故にて、背負うものが無いことも、時に必要です。

あまり負い目に思われずに。焦らずに。目の前のできることを一つ一つ丁寧になさられていって下さいませ。

川口英俊 合掌

問い「自意識との葛藤」

問い「自意識との葛藤」

【ご質問内容】

私は今、葛藤しています。 
こうありたい理想の自分と言い訳している現実の自分がおり、どうしたらいいかと自分をみつめようと思っても、言い訳していると認めたくない自分が邪魔をしてきます。 
「邪魔をする自分がいるから前に進めない」ともうすでに言い訳していますよね。

こんなことを考え続けているうちに胃痛や睡眠不足と体調がおかしくなってきました。 
自分に厳しくしようと周りに明言したことが、思うようにいかずに更に更に自分を苦しめていて弱い自分が馬鹿みたいです。

自分に自信が持てない→自分に興味が持てない→他人事みたい→いや、違う。こんなんじゃダメだ→どうしたら→自分とは…とぐるぐるしてます。 
答えが出ない毎日で少しでも進んでいると思いたいのですが、ループしているようにも思います。

①言い訳している自分との向き合い方 
②ネガティブに引っ張られてしまう私が心を落ち着けて前を見るために出来ることとはなんでしょうか?

お坊さんの視点から是非ご教授頂けると嬉しいです。


【拙回答】

自意識過剰にお悩みのご様子・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

自意識過剰にお悩みのご様子・・

とにかくあまり自分、自分と、自分で自分を完結させてしまおうとされずに、私たちは、皆、必ず他の何かに依存していかないと存在できない存在であるため、他との依存関係性をどのように良好に構築して、幸せに過ごしていけるようにしていくかが問われていくことになります。

①言い訳している自分との向き合い方・・

とにかく、生きていくためには、他に依存していく中で、人との関係においても、互いに助け合う、支え合う、分かち合う、補い合っていくことが大切となります。

自分で自分を完結させてしまおうとするのではなく、理想の自分へ向けて、他との関係性をもっと重視して、助けや支えを必要とすることは、助け、支えを求めていくべきであり、もちろん、一方通行に頂くだけではなくて、自分も他の助け、支えになることがあれば、できる限り努めていくことも大切なことになります。

とにかく、生きていく中で、自分だけでは埒が明かないことはいくらでもあります。まずは、他のアドバイス、意見に耳を傾けていくことからでも始めてみましょう。

②ネガティブに引っ張られてしまう私が心を落ち着けて前を見るために出来ることとはなんでしょうか?

これも、自分で自分を何とかしようとするものの、結局は自己嫌悪のループに陥ってしまっているからかもしれません。やはり、自分をもっと客観視、俯瞰視していくためにも、他のアドバイス・意見等を聴くことから、冷静に自分を分析することにより、足りないこと、なすべきこと、努力すること、無駄なこと、慎むこと、辞めることなど、理想の自分へと向けて、やるべきことを明確にしていくことが必要になるのではないかと存じます。

とにかく、無理や過度な頑張りは必要ありません。合理的に、効率的に理想の自分へと向けて、しっかりと、まずは今の自分の立場、状況、力量等を分析して、できないことは他も頼りにしつつ、適切に助けや支えも求めながら、もちろん、自分も助けや支えになれることがあれば、お互い様でお返しもしつつに、一つ一つ目標へ向けて取り組んで参りたいものでございます。

善処を祈念致します。

川口英俊 合掌

問い「自分がわからなくなりました」

問い「自分がわからなくなりました」

【ご質問内容】

苦しいです。

自分がわからなくなりました。

孤独感に襲われ、自殺したいと思ってみたり、その事で頭がいっぱいになり、仕事に集中出来なくなったりしています。

自分で解決していかなければならないことはわかってはいるのですが、母親に事あるごとに電話したりして困らせている状態です。

心療内科に通院しているのですが、甘えといわれ、薬も安定剤を処方されているのですが、効いていないような感じです。

自分で判断しなければならないことも人に頼りっぱなしで判断に自身がない状態です。

コンビニなどで買い物をしていても、店員さんのレジの間違いが自分の時にかなり多いので、自分が何か違う世界にいるのかなと思ったりしています。

自分自身が何をやってやれば良いのかわからない状態です。

きっかけは、スマホをいじっていて、とあるサイトを見ていた時に精神的にショックを受け、その事ばかり考えてしまった結果、自分がわからなくなってしまったみたいです。

そこから回りの皆が冷たい感じがあり、さらにショックを受けたというのが事の発端です。

なにかメチャクチャになってしまいましたが、何事も人に頼りっぱなしだったので何かの罰なのかなぁと思ったりしています。


【拙回答】

地震兵器・HAARP、ケムトレイル、ユダヤ陰謀論・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「とあるサイトを見ていた時に精神的にショックを受け、その事ばかり考えてしまった結果、自分がわからなくなってしまった」・・どんな内容のサイトか気になりますが、また宜しければ教えて頂けましたらと存じます。

とにかくネットは情報の大海。玉石混交です。どう冷静に、バイアス・偏見をできる限り除いて、事実を中立的に捉えていけるかどうか、または、合理的・批判的に検証した上で、その情報を受け入れて、どう役立てていくべきであるのか・・色々と難しいところがございます。

そういえば、一時期、拙生も、地震兵器・HAARPや飛行機雲・ケムトレイルや、ユダヤの陰謀論などを気にしていた頃がありましたね・・今では全く気にならなくなりましたが・・その頃は真剣に情報収集していました。

まあ、とにかく、大げさに不安や恐怖を煽って、不安や恐怖を利用するというような感じの類のものは、正直、疑っておくのに越したことはありません。宗教でもカルトがよく行う手法ですしね。

全く内容が違うかもしれませんが、少し参考程度までにて。。

川口英俊 合掌

問い「自分の存在価値がわかりません」

問い「自分の存在価値がわかりません」

【ご質問内容】

自分の存在価値がわかりません

顔も性格も頭の良さも悪く、価値のある人間には程遠いです 
病気なのかと思うくらい不器用で沢山もがいても時間がかかるし、皆についていく事しかできません 
こんな私が人から必要とされたいと思うのは贅沢なことでしょうか?高望みでしょうか?

正直、生きるのも辛いです。 
生きづらいです。こんな私が居ることで迷惑をかけているのが申し訳なくて。

どうしたら価値のある人間になれますか? 
価値のある人間はどういう人のことですか?


【拙回答】

「一水四見」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

本来、価値や評価、意味、理由というものに、「これ」と決められる、決めつれられるような実体的なものは、ありません。

また、各々の立場や都合、偏見等によっても、様々に異なっていってしまうものになります。

一つの物事でも、立場に応じて見方、捉え方が変わってしまう。例えば、仏教でも「一水四見」という言葉がございますが、私たち人間にとっては「水」であっても、天人にとっては宝石のようなもの、魚にとっては住処、餓鬼にとっては火と、それぞれで捉え方が異なってしまうものとなります。

あるいは、「手を打てば 鳥は飛び立つ 鯉は寄る 女中茶を持つ 猿沢の池」というように、池のほとりで、パンと手をたたくと、鳥は驚いて逃げ飛び立ち、鯉は餌がもらえるものだと寄ってきて、茶屋の女中は呼ばれたと思い注文を取りにくる・・一つの行為でもそれぞれの立場で捉え方が異なってしまう例でございます。

とにかく、価値や評価、意味、理由というものは、「これ」であるとして、あまり、とらわれてこだわってしまってもいけないということでございます。

もちろん、価値や評価、意味、理由が全く無いと言っているわけではありません。良い因縁(原因や条件)によれば、良いものとなるでしょうし、悪い因縁(原因や条件)によれば、悪いものにもなるでしょう。

悪いものであっても、自分の考え方、心の持ちよう一つで、実は良くなったりもする、そんな程度のものなのです。

「人間万事塞翁が馬」、「禍福は糾える縄の如し」といったこともそうです。何がどうなるのかは、本当に考え方、捉え方次第。

できれば、短所や劣っていると思えることでも、考え方一つで、それを前向きに捉えて、良い方向へ、長所へと向かえるようにしていくことだってできるかもしれません。短所をチャンスに変えることだって。

あまりご自身を卑下なさられ過ぎずに、そして、焦らずに、できることを一つ一つ増やして、自分に自信をつけていって頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌

問い「なぜ人間は存在する?」

問い「なぜ人間は存在する?」

【ご質問内容】

なぜ人間は存在するんでしょうか。 
過去に忘れたいほど嫌な記憶があったり、嫌な日があったらなんで地球はでき、人間がいるんだろうと考えます。

人間が存在しなければこんな辛い思いしなかったのでは?ってついつい考えてしまいます。

毎日なんだかんだ言って学校に通っていますが、学校でもよく考えています。 
最近そのことばかり考えて授業にあまり集中できてないので、教えて欲しいです。

そして、とても仲の良い友達がコソコソ話してる時があるととても気になります。 
何を話しているんかな~って思い、もし自分の悪口だったらどうしようと思うのです。 
友達関係は良好で信頼をとてもしています。 
そういうのはつきものなのでしょうか?

私には忘れたい過去があります。 
できることならやり直したいと。 
心に残った傷は全く治りません。 
すこしづつでもいいから、傷が治ることはできないのでしょうか?

私はいま生きてることがわけんからず、なぜ存在しているのか全くわかりません。 
どうか教えて欲しいです。


【拙回答】

「全ては縁起し空である」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この世における一切の全てのモノ・コトは、縁起し空である。

「縁起」(えんぎ)とは、他に依存して成り立っているということ。最も簡単なのは、因(原因)や縁(条件)に依存して成り立っているということ。

「空」(くう)とは、他に依存しているということは、それ自体の側において、永久永遠に変わらずに存在し続けているような、「独立自存」なる何かによって実体的・自性的に成り立っているのかどうかと言えば、そういった「独立自存」なるものは、何らとして見当たらないということとなります。

「全ては縁起し空である」

このことを理解するのも、迷い苦しみを超えていくための一つとなって参ります。

もちろん、ひー様が過去の事で心に抱えておられる苦しみもきっと無くすことができるようになるでしょう。

是非、これから少しずつでも仏教に興味を持って頂きまして学びを進めていって頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌

問い「魂は何になりたいのですか?」

問い「魂は何になりたいのですか?」

【ご質問内容】

人は何か自分が理想とするものになるために修行することが多いと思います。 
例えば、美容師になるため、寿司職人になるため、プロレスラーになるため、何年もの間、上の人について厳しい修行をすると思います。 
大したことしてなくても結婚するための花嫁修行というものもあります。

現世、人間の世界が苦しいのは魂の修行の場だと聞いたことがあります。 
しかもそれが輪廻転生で何回も続くなんて、魂は一体何になりたいのですか? 
しかも、何かになれたとしても人間として生きてる時にはそれを全く感じない。 
ダイエットですらきつい思いをした後には自分の理想とする体型を手に入れた喜びがあるだろうに。

ある企業のCMで「目的を知らずにレンガを積むのと、橋を作る目的でレンガを積むのとでは出来栄えが違う」というセリフを言ってます。 
目的がわからないのに現世で修行って無駄じゃないですか?


【拙回答】

目的は、悟り・涅槃

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

世間における人生や魂の目的というものは、幸せや豊かさ、楽というものになるでしょうか。

仏教での目的は、悟り・涅槃となりますでしょうかね。

そのために、智慧の開発と福徳(慈悲行・方便行・善徳行)の集積に励むのが仏道修行となります。

ただ、魂とは言っても、何か実体としてあるものではなく、「空」であって、他に依存して成り立っている「縁起」なるものとなります。

他に依存してとは、簡単には、因縁(原因と条件)に依って成り立っているというものとなります。

良い因縁に依れば、良い結果に、悪い因縁に依れば、悪い結果に、良くも悪くもない因縁に依れば、良くも悪くもない結果に、といった感じであります。もちろん、現実においては、その三要素を持った無数の因縁が複雑に絡んでくることにはなりますが。

とにかく、仏教の場合では、最終的な目標としての結果を悟り・涅槃であると考えて、そこへと向けて良い因縁をしっかりと調えて参りたいということになります。その良き因縁を調えるための教えが仏教となります。

是非、少しずつでも興味を持って仏教の修習に努めていって頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

問い「善悪について」

問い「善悪について」

【ご質問内容】

寝ているときは、不安や心配がありません。 
すなわち、起きているときに存在する私という感覚(自我)は、不安や心配そのものであると言えるでしょう。

また、自我は問題の生じるところにしか存在せず、問題は善悪を裁く部分にのみ存在すると感じます。 
言い換えれば、善悪を裁くことがなくなれば、自我による不安、心配から開放されそうです。

そこで、善悪とは何なのか、何によって生じるのか、仏教においての善悪の解釈を教えて頂けませんでしょうか?

今まで善悪についてあまり考えず、周りに流されてきた気がしています。

よろしくお願い致します。


【拙回答】

「二諦」について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

誠にモノ・コトの本質的なことにつきましてのご質問であるのではないかと存じます。

まず、自我も善悪も、実体としては無い「空」なるものがその本質となります。

もちろん、それらは、何も無いという虚無・絶無ではなく、他に依存すること、つまり、「縁って起こっているもの」として「縁起」にて成り立っているものであると説明することにはなります。

ですので、自我も善悪も一応、「縁起」的には成立しているものと考えることができます。

しかし、問題は、では、「縁起」的には成立しているものであるとしても、正しくそのモノ・コトのありようを措定するにあたっては、「無明」(根本的な無知)の対治において、「ある」ものを「ない」としてしまっている錯誤、「ない」ものを「ある」としてしまっている錯誤について、いったい、何を否定して、何を肯定するべきであるのか、あるいは、何を否定するにしてもどこまでとなるのか、何を肯定するにしてもどこまでになるのか、そのことを論理的、合理的に明確にしていかなければならないのでございます。

では、その正しいモノ・コトのありようを措定するために必要となる仏教の基準が何であるかと申しますと、「二諦」という考え方となります。

それは、最高の究極的な真理を示す教えとしての「勝義諦」(しょうぎたい)と、世間世俗の真理に留めて説かれている教え、方便としてお説きになられている教えとしての「世俗諦」(せぞくたい)という、二つの真理のありようを正しく理解することによって、一切のモノ・コトについても、正しく設定することが可能になるというものでございます。

その「二諦」の基準についての詳細をここで述べるには制限字数の関係や煩雑な説明に陥る恐れがあるため、避けさせて頂きますが、是非、これから仏教を学び修されていかれるに際しては、この「二諦」についても意識して修習なされて頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

問い「自分のことがわからなく悩んでいます」

問い「自分のことがわからなく悩んでいます」

【ご質問内容】

なぜ自分が過ちをおかしてしまったか分からず悩んでいます。夫婦関係に色々ありましたが自分の過ちが直接の離婚原因で、2年前家を追い出され離婚しました。 
離婚を後悔している訳ではないのですがなぜ自分が過ちを起こしてしまったのか考えても思い出せなくどこか人格がおかしいのか悩んでしまいます。 
私は元夫からもその家族からも大事にされていました。 
しかし常に孤独に感じていました。 
結婚生活で楽しかった思い出もあるはずなのですが思い出せなく、子供が赤ちゃんのときの写真も処分されて無いので顔も思い浮かびません。 
もう二度と結婚したいとは思えず、男の人に嫌悪感をいだいてしまいます。 
今は大切な子供のことを第一に考えて生活していくだけです。

【拙回答】

自分のありよう

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

自分のありようというものは、必ず色々な因縁(原因と条件)によって変化していくものです。

ですから、自分というものは、刻々と因縁によって変化しているため、「これが自分です」と実体的に決定できるようなものは無く、因縁等、無数の依存関係の中において、何とかあり得て存在できているものとなります。

どのような過ちを犯されてしまったのかは分かりませんが、それにも、そこに至るための因縁があるはずです。

しかし、やむを得ない不可抗力や、どうしょうもない避けられないことであったのであれば、仕方のないこともございます。

明らかに自分に過失や責任があるのであれば、慚愧(ざんき)、懺悔、反省、謝罪、償い等により、少しなりにも悪い行い(悪業)を滅するのに努めることが必要となりますが・・

あまりのショックにより、記憶が抜け落ちてしまったのかもしれませんし、記憶の抜けが何らかの防衛本能に起因しているのかもしれません・・

とにかく、これからの幸せ、安楽へと向けても、そのための因縁が必ず必要となります。そこへと向けた善い行いにもしっかりと努めて参りたいところでございます。

仏教にはそのためのヒントがたくさんございますので、どうぞこの機会からでもご興味を持って学びを進めて頂けましたら有り難くに存じます。

お幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「自分自身について」

問い「自分自身について」

【ご質問内容】

もう今年で30になりますが…自分自身がわからなくなります。 
本当の自分ってなんだろうとわからなくなります。 
これから先が不安です。 
自分自身と向き合って行きたいと思うのですが、どうすればいいでしょうか?

【拙回答】

「自分自身」とは・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「自分自身と向き合っていきたい」となりましても、その「自分自身」が何かを分からなければ、どう向き合うのかもわからないですよね・・

実は、「これが自分です」と言えるようなものは、身体、心のどこを探しても何も見当たりません。

仏教的には、般若心経でも説かれております「空」や、あるいは「無我」のことになりますが、要は、「無実体・無自性・無自相」という事態を示す概念として、簡単には、モノ・コトが、それ自体の側において、永久永遠に変わらずに存在し続けているような、独立自存なる何かによって成り立っているのかどうかと言えば、そういった独立自存なるものは、何らとして見当たらないということになります。

但し、「空」や「無我」と言っても、「自分が無い」というわけではありません。

確かに貴方も私も現に存在しています。存在していますが、しかし、そのありようは、他に(例えば、原因や条件等に)依存せずに独立自存として成り立っているものが何らとして見当たらないということであり、他に依存して成り立っているということを「縁起」(えんぎ)と申します。

さて、とにかく、貴方も私も、他との関係性の中で、何かに依存して成り立っているものであり、つまり、色々な他に依って、助けられて、支えられて、それで何とか存在できているということになります。

「自分が何か」は他との関係性によって言えているだけのものであり、永久永遠にこれだと絶対的に言えるものはなく、他との因縁(原因や条件)によっても変わっていくものに過ぎず、あまりそのことについて、拘らない方が良いでしょう。

それよりも、他とのバランスの良い関係性を保ててこそ、私たちの存在は成り立っているのだということをよく理解して、お互いがお互いで、助け合い、支え合い、分かち合いを生きていることの自覚と共に、このような世界を、どう過ごしていくべきであるのかについて考えて、実践していく方が良いのではないだろうかと存じております。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「自分がわからない」

問い「自分がわからない」

【ご質問内容】

私は私がよくわかりません。自分が思ってる自分と、周りが思う自分が違い過ぎて理解に苦しむと同時に辛いです。 
貴方は優しいね、とか貴方は愛情深い人だ、とか…言われてもどこを見てそうなるんだろう?と疑問に感じて素直に言葉を受け取れないくせに、ありがとうと笑顔で返してしまいます。 
故に私は自分の意見を上手く言えません、お姉ちゃんなんだから我慢しろと昔から言われ続けたのもありますが、意見を言う前にお前ならこれが良いでしょ?お前ならこうすんでしょ?とか、言われて意見を言う隙すらありません。私の知らないところで私が形成されている気がして気持ち悪いのに、やはりそれを周りに口に出して言えません。 
今まで、周りに流される人生でした。お風呂やトイレなど、確実な一人きりの空間が一番安心して息ができます。それでも、独りになるのは嫌なんです。私は浅ましい人間でしょうか…周りに胸の内を全てさらけ出したら幸せになるんでしょうか?さらけ出すことで不穏な空気になるのが怖い、なら言わずに周りに合わせたら幸せなんでしょうか? 
私は私がわかりません。私は、明るくもなければ優しい人間でもないです…ただ臆病で小さい人間なんです。自分が思う自分と、周りが思う私に何故こんなにも違いが生じるんでしょうか?

【拙回答】

自分とは・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教では、般若心経でも説かれているような「無我」や「空」などを理解していくことで、私たちの顛倒した間違ったモノ・コトの見方、モノ・コトを実体視執着して迷い苦しむあり方の是正を目指すことになります。

実は、「これが自分です」と言えるものなど、どこを探しても何も見当たりません。

但し、「自分が無い」というわけではありません。

確かに貴女も私も現に存在しています。存在していますが、しかし、そのありようは、あたかも「幻のような」、とか、「夢のような」といったあり方となります。

まあ、難しいことですので、もし興味が沸いてこられましたら是非、これから仏教の学びをお進め頂けましたらと存じます。

さて、とにかく、貴女も私も、他との関係性の中で、何かに依存して成り立っているものであり、要は、色々な他に依って、助けられて、支えられて何とか存在できているということになります。

「自分が何か」は他との関係性によって言えているだけであり、永久永遠にこれだと絶対的に言えるものはなく、他との因縁(原因や条件)によっても変わっていくものに過ぎず、あまりそのことについて、拘らない方が良いでしょう。

それよりも、他との良好な関係性を保ててこそ、私たちの存在は成り立っているのだということをよく理解して、お互いがお互いで、助け合い、支え合い、分かち合いを生きていることの自覚と共に、このような世界でどう過ごしていくべき(感謝や報恩、配慮など)であるのかを考えて、行動していく方が得策であるということになるでしょう。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌
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