hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

怒る事について

問い「回答お願いします」

問い「回答お願いします」

【ご質問内容】

子供が出来て結婚しましたが旦那は家にもろくに帰って来ず女の家に入り浸り子供にも関心がなく生活費すら渡さず結局離婚しました。

離婚後は話し合いで養育費を毎月3万払うと言ってたのですが1年間で最終的に音信普通になりどこに居るかもわかりません。

子供に対して関心がないことに凄く怒りを感じます。 
子供が気にならないのか、会いたくないのか、責任を放棄した事に腹が立ちます。 
今は元旦那に対して憎しみしかありません。

こんな人のせいで私の人生が狂ったと思ってしまいます。 
私は子育てに仕事をしてと余裕もないなか、元旦那は自由に何に縛られる事もなく呑気にしてると思うと憎くて仕方ありません。

正直養育費なんかどうせいつか払わなくなると当てにはしてませんでしたのでそんな事より兎に角子供のことで怒りを感じます。

もうあんな奴どうでもいい、勝手にしろと何度も何度も思いましたが元旦那に対しての憎しみが消えません。 
早くこんな思いから解放されたいです。 
どうすれば許すという事ができるのでしょうか。

あんな人を選んだ自分にも怒りを感じます。 
子供には申し訳なさでいっぱいです。 
苦しいです。

【拙回答】

元旦那さんは「アスペルガー症候群」であるかもしれませんね・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お怒り、憎しみ、怨みは、ごもっともなことでございます。

責任放棄、愛情の欠如・・誠にお子様もお可哀想でございます・・

怒り、憎しみ・恨み・・これらは誠に悪い煩悩であるがゆえに、それらに支配されない心を作っていくことが大切となります。そのためにも仏教が誠に最適な薬にはなります。

「感興の言葉・ウダーナヴァルガ」(中村元氏訳)・岩波文庫・第14章・「憎しみ」から・・

「実にこの世においては、およそ怨みに報いるに怨みを以てせば、ついに怨みの息むことがない。堪え忍ぶことによって、怨みは息(や)む。これは永遠の真理である。」

「怨みは怨みによっては決して静まらないであろう。怨みの状態は、怨みの無いことによって静まるであろう。怨みにつれて次々と現れることは、ためにならぬということが認められる。それ故にことわりを知る人は怨みをつくらない。」

仏教では、恨みを持っている、その者に対して、忍耐してその怨みを無くすことのみならず、慈悲の思いを向けることによって、怒りや恨みなどの煩悩を対治した上で、更なる善い行いへとつなげることもお勧め申し上げる次第となります。

煩悩、無知によりそんなことをしてしまう者を憐れみ、慈悲をかけてあげて、何とか慚愧、懺悔、反省、謝罪、そして償いを促し、その者の悪業を無くしてあげられるようになさられることも大切な善い行いとなります。

しかし、この度は、慚愧、懺悔、反省、謝罪、そして償いを促すのも難しそうな・・もしかすると、その元旦那さんは「アスペルガー症候群」であるかもしれませんね・・そうだとすると、厳しいことですが、理解して諦めることも必要かもしれません・・

何よりお子様のこと、どうか宜しくお願い申し上げます。きっと子どもさんから、一生懸命に頑張られておられるお姿から、理解、感謝してもらえる日も来ることでしょう。

お幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「命ってなんでしょうか…」

問い「命ってなんでしょうか…」

【ご質問内容】

最近私はまだ乳呑み子の子猫を5匹保護しました。何度か保護した経験はあるので里親さんが見つかるまでしばらく家で今面倒を見ていようと思ってます。

ですが最近知人から、"父親の会社の倉庫で、まだ乳呑み子の母親のいない子猫が見つかったのだが、父親は頑として家で飼うとは言わないので受けとってはくれないか"とった連絡がきました。 
よくよく話を聞いてみると、病院に連れて行き、数日間保護できるが、貰い手がはっきりしない限り保護するつもりはないと彼女の父親は言っているということでした。引き取って、長く里親が見つからなければ困るからとのことです。

でもそれは話が逆ではないでしょうか?

保護することができるのならば、まず保護することが先決なのではないでしょうか?どんどん衰弱していっているということなのに、なぜ頑として動かないのでしょうか。彼女には里親は(今まで保護した経験から言うと)すぐに見つかるからまず保護してみてはと説明したものの、父親が許さない…と言うのみです。

そして、もう一つ怒りを感じるのは、私が子猫を保護していることを知って、それならそこに預けてしまえば安心だ自分に責任はないと考えているように思えることです。とても無責任だと思いました。かわいそうと思いつつも(しかも手を差し伸べることができるのに)自分はそれを背負いたくなくて他人に預けてしまおうという考えが許せませんでした。命ってそういうものなの?と思います。

でもそう思っている自分も結局無責任なのではないか、責任を負いたくないだけなのではないかと悩んでしまいます。 
世の中にはたくさんの命があってそれを助けたくて仕方ないけれど1人では決して叶うことではなくて、だからなるべく預けてしまえばいいみたいな無責任な考え方を正して、1人でも多く手を差し伸べてくれる人になってほしいと思うのに、なんだかそれもやっぱり偽善なような気がしてきてしまい、苦しくて仕方がなくなってしまいました。命ってなんでしょうか。どうかかわっていけばいいのでしょうか。人も動物も同じ命を持っているはずなのに、どうして手を差し伸べないんでしょうか。

【拙回答】

尊く有り難いことでございます。

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

他の命を大切になさられたいというお優しい慈悲の御心、有り難く尊いことでございます。

仏道修行を進めている菩薩たちの中には、あえて、涅槃(悟りの境地)に入らずに、迷い苦しんでいる衆生たち全てを救済し終わるまでは、この迷い苦しみの世界に留まろうとされている方々もおられます。

そんな菩薩たちには及ばなくても、例え、一匹でも二匹でも、救える命があるのであれば、諦めずに、それぞれにおいてできるだけのことをできる限りと思って取り組むことが大切であるかとは思います。

もちろん、ボランティアと同じで、あまり他人に強制したり、善意を押しつけることもできませんが、何もしないよりかは、実際に助かる命が、一匹でもあるのであれば、偽善であろうがなかろうが関係なく、できることをしてあげていけると良いのではないだろうかと思います。

独りでは限界もありますので、志同じくする仲間を集い、みんなの力を合わせて進めていければ、もっともっと助けることのできる命も増えていくことにはなるでしょう。

また、私自身にも経験のあることですが…

ボランティア・慈善活動というものは、あくまでも自分のできることで、できる限りにできたことだけを見るようにしておかれると良いでしょう。

他を比べ出すと、正直、悪い感情が生じてしまうようになります。嫉妬や恨みや怒りなどです。

功徳を積むはずであったのに、嫉妬や恨みや怒りにより悪業を積んでしまうことになっては、まさに本末転倒になりますので、誠に気をつけて下さいませ。

とにかく、救われた命、誠に尊く有り難いことでございます。心から感謝申し上げます。ありがとうございます。

川口英俊 合掌

問い「夫への不信感、怒りと迷い」

問い「夫への不信感、怒りと迷い」

【ご質問内容】

結婚30年目のパート勤めの主婦です。昨年夫の風俗通い、出会い系で出会った若い子との浮気を彼のPC、携帯から見つけました。 
問い詰めると、2年ほど遊んでいたそうで、資金は自分の生命保険の貸付金を出して使っていました。 
クレジットカードも出会い系で騙されたのか、大金の請求がきたこともあり、昨年でおよそ100万使っていました。

生命保険は末娘が大学入学したので学費にあてにしていたお金でした。 
愕然となり、離婚届を突き付けたら、もう2度と裏切らない、愛しているのは私だけで、ただの遊びだから、離婚はしないと言い全ての登録も消し、きっぱりとやめたようです。

家事も手伝ってくれ、いいパパになりましたが、かと言って私は夫を許すことも信じることもできず、女の子たちとのメールを思い出したりするたびに涙がでます。 
簡単に忘れられるはずもなく、制裁を与えてやりたいと思うばかりですが、 
この歳で、1人でやっていけるかどうかも不安でいっぱいです。

少しの貯蓄があるのですが、娘が無事卒業したら、別れようかと考えたり 
私さえ諦めたら、いい旦那に戻ってくれた彼と一緒に生きていけるのか、 
と考えたり、迷いでいっぱいです。 
やはり女は夫の「遊び」には、目を瞑るべきなのでしょうか?

娘の学費にも、家計も苦しくなり私は仕事時間を増やさねばならず・・・ 
何度もウソをつき、裏切っておきながら何事もなかったように、笑いかけてくる夫ですが私は一生裏切られた思いは消えません。

【拙回答】

恨みについて・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お気持ち誠にお察し申し上げます・・

裏切られたことへの恨み、憎しみ・・当然でございます。当然ではございますが・・仏教ではやはり良くない煩悩となってしまいます・・

「感興の言葉・ウダーナヴァルガ」(中村元氏訳)・岩波文庫・第14章・「憎しみ」から・・

「実にこの世においては、およそ怨みに報いるに怨みを以てせば、ついに怨みの息むことがない。堪え忍ぶことによって、怨みは息(や)む。これは永遠の真理である。」

「怨みは怨みによっては決して静まらないであろう。怨みの状態は、怨みの無いことによって静まるであろう。怨みにつれて次々と現れることは、ためにならぬということが認められる。それ故にことわりを知る人は怨みをつくらない。」

仏教では、恨みを持っている、その者に対して、忍耐してその怨みを無くすことのみならず、慈悲の思いを向けることによって、怒りや恨みなどの煩悩を対治した上で、更なる善い行いへとつなげることもお勧め申し上げる次第となります。

煩悩、無知によりそんなことをしてしまう者を憐れみ、慈悲をかけてあげて、何とか慚愧、懺悔、反省、謝罪、そして償いを促し、その者の悪業を無くしてあげられるようになさられることも大切な善い行いとなります。

今はまだ恨みを無くすことも、慈悲を向けてあげることもできないかもしれませんが、少しずつでも仏教を学ばれながらにでも、上記のことについてお考えを賜れましたら有り難くに存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「削除します」

問い「削除します」

【ご質問内容】

すみません質問を削除します。 
怒りで支配されてしまい感情的になっていました。

【拙回答】

また何かございましたら。。

川口英俊でございます。

激しい怒りは、「瞋恚」(しんに)と申しまして、煩悩の中でも三毒(貪瞋痴)の一つであり、誠に気をつけないといけません。

怒りに支配されてしまって悪い行い(悪業)を積まないようにすることが大切となります。

この度は、お気づきになられまして、誠に有り難いことでございます。

また何かございましたら、どうぞお気軽にhasunohaへとご質問、ご相談下さいませ。

川口英俊 合掌

問い「許せない人を許すということ」

問い「許せない人を許すということ」

【ご質問内容】

私には最近許せない人がいます。

その人のことをふと思い出してしまい 
怒りと悲しみで眠れなくなったり 
食欲がなくなったり 
普段の生活でも無理して笑っている現状です。

もうこの人のことで悩んでも勿体無い 
とは思うのですが 
暇な時間が出来ると考えてしまいます。

そこで、この人のことを許せばいいのでは? 
と思い、必死に許そうと努力しているのですが 
やはり許せない部分が強くブレてしまいます。

許せない人を許す 
とは 
どのような心構えでいればいいのでしょうか。 
一刻も早くその人のことに無関心になりたく 
その人のことにエネルギーを使いたくないのです。

【拙回答】

怒りを慈悲の怒りへ

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

許せない人は許さなくてもいい。但し、怒り、悲しみで苦しんでいる自分自身を許してあげてほしい。まず、自分自身を許して、それから、許せない人を許せていけるように調えてほしい。

許せない人は、本当に許せないですよね・・

しかし、その方がそのようになられてしまわれたのには、きっと何らかの悪い因縁(原因と条件)がございます。

その方だけが悪いわけではありません。仕方なくそのようになってしまっているのだと、お考えを頂きまして、少しなりとも怒りのお気持ちを和らげて頂けましたら有り難くに存じます。

もう一つの方法としましては、もしかしたら、その方は、前世、過去世にて大恩ある母、または父だったかもしれないとして、憐れみの思いを少しなりにもお掛け頂くことで、怒りを鎮めるという方法もございます。

あるいは、更に、まさに怒りを起こさせる者がいてくれてこそ、「忍耐」という修行、「慈悲」を滋養できる修行をさせて頂けるということで、有り難い、尊い存在として扱えるように調えるということにて、怒りを抑えるという方法もございます。

りく様は、不動明王様をご覧になられたことがあるでしょうか。

激しく怒っておられるようにみえる不動明王様の怒りというものは、慈悲の心にて、何とかして迷い苦しんでいる全てのものたちを救おうとされている怒りでございます。

もし宜しければ、その「怒り」を、そのようなことをしてしまう者に対する憐れみとしての「慈悲」の怒りへと変容させて頂けましたら、誠に有り難く、尊いものとなります。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「怒りを静めるにはどうしたら良いですか?」

問い「怒りを静めるにはどうしたら良いですか?」
http://hasunoha.jp/questions/659

【ご質問内容】

他人が細かいルール違反をすると鬼のように怒りを持ってしまいます

例えば、赤信号なんてちょっとくらいなら渡っても構わない
と分かっていますが、そういう光景を見るととても強い怒りを覚えてしまい

車に轢かれてしまえばいいのに と呪いのような気持ちを持ってしまいます。これでは本末転倒です。

他人の些事に一々怒りを持たないようにするにはどうしたらよろしいでしょうか?

【拙回答】

「他人にはあまく、そして、自分にはもっとあまく」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「怒り」に関しましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いております。特に最近では「慈悲の瞑想」をお薦めさせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318707.html

今回は少し拙経験からお答えさせて頂こうかと存じております。

拙修行時代の先輩で、結構理不尽なことの多い小さな世界の中において、あまり怒らない、怒りの表情を表立って見せたことのない方がいらっしゃいました。素晴らしく人格的にできた方であったと今でも尊敬致しておりますが、ある時に「どうしてそんなにいつも怒らずに過ごせるのでしょうか?」と聞いたことがありました。

そうすると、その方はこのようにおっしゃっていました。

「他人にはあまく、そして、自分にはもっとあまく」と。

普通であれば、「他人にはあまく、自分には厳しく」となるところですが、その先輩の「怒り」を抱えること無くに、何事も淡々とこなされている様子を拝見するに、妙になるほどと納得したことがあります。もちろん、自分にあまいことはなく、他人の不始末なことでも嫌な顔をされずにフォローされていたりしておられました。

今から振り返りますと、怒りを抱えずに過ごす上で、これもある意味では、寛大な心、寛容な心を養う「慈悲の瞑想」に通じるところがあるのかなとも思います。

他人と自分の幸せ、つまり、「自利利他」と言えば、仏教用語としてピッタリとなりますが、他人も自分も「許す」ことによって、双方が「怒り」を抱えずに過ごせるということになるということではないかと存じます。

ただ、間違ってはいけないのは、本当に自分にもっとあまくになってしまうと、ただの堕落、懈怠になってしまいますので、他人を許すための方便としてご理解を頂けましたらと存じております。

また、興味がありましたら「慈悲の瞑想」も是非ご一考下さいませ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/慈悲の瞑想

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「彼が私を許せないのなら…」

問い「彼が私を許せないのなら…」
http://hasunoha.jp/questions/593

【ご質問内容】

短期間で再度のご相談になり申し訳ありません。
彼との関係についてご相談です。

これで3度目になりますが、また別れを宣言されています。
毎回、何かが彼の中で切れ、話し合う余地なく「無理だ」「生き方が違う、合わない」「これで終わり」と告げられます。
ふと気に入らない場面に出くわした時の小さな別れる宣言はもっと頻繁で、月に2、3回は言われます。
毎回自分がすがって、なだめ、何度も説得して、元の鞘に収まります。収めてきました。

自分に理解出来ないのは、その別れの決意がいつも唐突で、私には些細にしか思えないような事が原因で訪れ、強い怒りを伴っていることです。ちょっとした言葉遣いや、取った態度が逆鱗に触れるようです。
今回も、つい一週間前には一緒に旅行に行ったり、一緒に住む家を探しに行ったり、共に生きていく決意が固まっていると、私は思っていた矢先での宣言でした。

前のご相談に書かせていただきましたが、彼は気難しい人です。感情表現も素直ではなく、よく癇癪も起こします。
今までは、きっとこれは本心ではないのではないか、結局は私に戻ってくれるのだから私にも彼を幸せに出来るのではないか、心の奥では私を求めているのではないか、と思ってきました。

でも、本当はそうではなかったのでしょうか…?

彼は怒りのエネルギーが強い人です。
私のその些細な事の一つ一つを、許せないようです。
私も彼に対して怒りを感じることは多々あります。それを態度に出してしまうこともあります。でも“許す”ことを前提にしているため、それで別れようと思うことはありません。怒ることは、嫌な事は嫌だと分かってもらうための意思表現です。

今回も、私が謝ってすがればきっとまた暫くは元に戻るのでしょう。
でもそれは、私の執着でしかなくて、彼のためになることは何もないのではないかと、虚しいです。

惹かれ合って一緒になったのだから、嫌な所も含めて認め合って、許したり許されたりしながら寄り添うのが男女だと思っていました。

何だか、無力感と、悲しさと、途方に暮れています。
何かお言葉をいただけると幸いです。

【拙回答】

慈悲の瞑想

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

前回の問いでは、 密富様と同様に「ドメスティック・バイオレンス(DV)へと発展しないかどうかが懸念されるところ」と少し申しましたが、彼の悩み苦しみと真摯に、真剣に向き合われるならのこ様の姿勢、彼氏への想い、誠に有り難く尊いものがございます。

御礼も読ませて頂きました。

「・・しかしそうして誰もが離れていったら、一体彼はどうやって救われるのでしょうね。心の弱い人です。心配でなりません。・・」

誠に慈悲の御心をお持ちにて、彼氏も幸せ者でございます。どうかお二人が幸せになってほしいと切に願う次第でございます。

しかし・・「・・何だか、無力感と、悲しさと、途方に暮れています。・・」ともおっしゃっておられますので、無理は禁物です。ならのこ様お一人でできることにも限界があります。双方のご家族はもとより、友人、知人等、周りの皆さんの協力、支援も必要なこともあるのではないかと存じます。

また、彼氏の癇癪や強い怒りのエネルギーを無くしていくためには、忍耐の心、許容・寛容の心、慈悲・利他の心を養っていく必要性があるかとも存じます。

そうですね。もし、機会があれば、慈悲の瞑想を扱われている瞑想会へとお二人で出掛けられて、少しお試しになられてもどうであろうかと存じております。

問い「苦しい嫉妬や妬み、友人の結婚や妊娠、出産」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1004623411.html

慈悲の瞑想としましては、日本テーラワーダ仏教協会さんによる開催のものや、最近では、ワンダルマ仏教・仏教3.0アップデートを提唱されておられる一法庵の山下良道師の瞑想会もお薦めであるかとも存じます。

一法庵
http://www.onedhamma.com/

是非、一度まずはならのこ様だけでもお試しになられて、それからうまく彼氏を誘われてみられてもどうであろうかと存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「絶対に許せん」

問い「絶対に許せん」
http://hasunoha.jp/questions/544

【ご質問内容】

今、絶対に許せない人がいます。
もう人生どうでもいいので直接、そいつか家族に復讐してやろうかとさえ考えています。

仏教では怒り、絶対に許せないことや人に対して、どう考えますでしょうか?

【拙回答】

「復讐」よりも「福修」を

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

怒りでも、特に激しい怒りというものは、仏教用語で「瞋恚」(しんに)と申しまして、特に煩悩の三毒の一つで、貪欲(むさぼること)と愚痴(愚かさ、無知・無明)と同様にしっかりと対治していくことが望まれることとなります。

問い「どうしても身内や騙して金を取った奴らが許せない」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002972089.html

「感興の言葉・ウダーナヴァルガ」(中村元氏訳)・岩波文庫・第14章・「憎しみ」から・・

「実にこの世においては、およそ怨みに報いるに怨みを以てせば、ついに怨みの息むことがない。堪え忍ぶことによって、怨みは息(や)む。これは永遠の真理である。」

「怨みは怨みによっては決して静まらないであろう。怨みの状態は、怨みの無いことによって静まるであろう。怨みにつれて次々と現れることは、ためにならぬということが認められる。それ故にことわりを知る人は怨みをつくらない。」

「・・仏教では、憎しみや恨みは煩悩であり、そのような悪い感情に支配されての行為は、結局、悪い結果しかもたらさないため、当然に諌めなければならないこととなります。憎しみ、恨みを無くすには、耐え忍ぶこと(忍辱波羅蜜)と共に、慈悲の思いを向けることによって対治することが大切となります。

実は、仏教では自らを苦しめるモノ・コトがあってこそ、修行を進めることができると考えるところもあり、逆にそのようなモノ・コトに有り難さを思い、例えば、自らを害する敵にでさえも慈悲を向けることで、憎しみや恨みの感情を超えていくことが求められることになります。・・」

どうか怒りによる「復讐」よりも、慈悲によっての善い行いに勤め励めることでの福徳の修習としての「福修」をお薦め申し上げる次第でございます。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「主人の浪費 私の怒り」

問い「主人の浪費 私の怒り」
http://hasunoha.jp/questions/509

【ご質問内容】

初めて相談をさせて頂くうりょと申します。 
主人の浪費に対して湧いてくる自分の怒りにどう対処すればよいか悩んでおります。

昨年主人が転職をし、収入が2/3に減りました。
月に五万円前後の赤字となりますが、収入減は覚悟しておりましたし、希望の職種への転職だったので
主人を応援し、私も仕事を増やせるよう勉強をしております。  

そんな中で主人は毎月お小遣いとは別に二万円~三万円程
浪費をします。(お小遣いは月三万円です)

元々主人はお金の管理は苦手で、前職で稼いでいた時にはもっと浪費してしまう事もありました。

その度私は怒ったり不安になったりしたのですが、家計が赤字の今浪費を繰り返されると絶望感で一杯になります。

怖いのは怒りが頂点に達すると、主人に手をあげてしまい殺してしまいそうになる事です。

私は子どもの頃から「死にたい」気持ちがあり、不妊治療中の不安定な時に二度自殺未遂を起こしました。

その頃、怒りで主人の首を絞め危なかったこともあります。 
刃が自分に向かうか主人に向かうかの違いだと思います。

カウンセリングに通い続け、自分の悪癖に気づいて来ております。

●極端な二極化の考え方をしてしまう。(例・自分が死ぬか主人が死ぬか。私が居なければ主人は好き勝手に生きられる。)
●心配事や怒りが常に頭から離れず、疲労してしまう。
(自律神経過緊張になり倒れて起きられなくなった。)

主人に対する怒りも「溜め込まず・期待し過ぎず・まあいいか」
の精神でやり過ごせる時も増えてきました。

でも、毎月同じことを繰り返されると怒りの衝動が抑えられなくなる瞬間があります。

お小遣いの渡し方を日割りや一週間単位、主人に一任する、など工夫しましたが効果はありませんでした。
このまま行くと貯金がなくなることも伝えてあります。

主人も「ごめんね」と悪いと思っているようですがコントロール出来ないようです。
私が主人を変えることが出来ないのも分かっています。

この様な状況で私が早まったことをしない為に、怒りや不安を手放すにはどうしたら良いのでしょうか。
新しい仕事を頑張っている主人を応援する気持ちも萎んできます。

自分の仕事に集中する、カウンセリング、ヨガ、呼吸法、気分転換などしておりますが怒りのコントロールが効かない瞬間が怖いです。

【拙回答】

「中道」の実践について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

うりょ様・・誠に極端なお考え(笑)・・いやいや笑い事では済まされない深刻なお悩み・・

激しい怒りというのは、仏教用語で「瞋恚」(しんに)と申しますが、特に煩悩の三毒の一つで、貪欲(むさぼること)と愚痴(愚かさ、無知・無明)と同様にしっかりと対治していくことが望まれます。

そして、仏教では煩悩や無明(根本的無知)を対治していくために「中道」を歩むことが必要となります。

「中道」に関しましては、下記の各問いにて扱わせて頂いております。
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/中道

『・・例えば、琴の弦は強く絞めすぎると、やがて弦が切れてしまって音が出せなくなってしまいます。かといって、絞めるのが弱すぎると弦はゆるんでしまって音が出なくなってしまいます。強くもなく、弱くもない、中くらいに締めたところで琴の弦は丁度良い音が出ます・・』

誠に極端なことでは、益の無いことになってしまいます。程良い塩梅でのバランスのとれた生き方を調えることでより良くに過ごして参りたいものでございます。ご主人様の浪費癖を治すのも、やはり収支のバランスをしっかり調えてが大切となりますよね。もしも、うりょ様の激しい怒りの主原因であるご主人様の浪費癖がどうしても改善しないようでしたら、成年後見制度、あるいは地域福祉権利擁護事業・日常生活自立支援事業を利用なさられて、金銭管理を委ねられてみることもご一考下さい。

更に「中道」とは、具体的に「八正道」( http://ja.wikipedia.org/wiki/八正道 )の実践となりますが、このことにつきましては少し下記問いにても扱わせて頂いております。

問い「慢の煩悩でしょうか」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1003347178.html

但し、この「中道」・「八正道」の実践のためには、仏教の学びとしての聞思修の三慧、戒定慧の三学によって、その実践を確立させていくことが大切になると存じております。

是非、この機会からでも、仏教の学びを本格的に始めて頂けましたら、誠に有り難くに存じております。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「感情の起伏をコントロールしたい。」

問い「感情の起伏をコントロールしたい。」
http://hasunoha.jp/questions/310

【ご質問内容】

こんにちは。
ずっと気にしながらも改善できていないことがあります。

それは感情の起伏です。感情の起伏が激しく、怒りや悲しみの感情をコントロールできません。それで、余計な事を言ってしまったり、必要以上に落ち込むのです。

数日経ってから、良くはないけど、そこまで腹を立てる程でもなかったと後悔することも多く、自分でもそんな自分に嫌気がさし、結果疲れてしまいます。

私は自分を好きになりたいのです。自分に嫌気がさすようでは、それもかないません。短気は損気と申します。
どうやればマイナスの感情の起伏を我慢できるのでしょうか。

アドバイス、頂ければ幸いです。

【拙回答】

「中道」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「感情の起伏をコントロールしたい」とのことですが、大鐵様もおっしゃられているように、まず自分の感情の起伏に気づくことができていることが重要となります。大抵の場合、自分が感情的かどうかなど分からない場合が多く、結果的に大きな失敗や挫折があって、ようやくにやっと気づいて反省、後悔することになるからであります。

恐らくもも様は、自分のことをある程度客観視できるのだと存じます。また、受け入れるかどうかは別にして、他人の意見に対して素直に耳を傾けることもできるのだと思います。これも非常に大切なことであります。

また、お暇な時にでも下記のように感情コントロール力診断も試してみても面白いかと存じます。

“感情”が表に出やすい? 出にくい?「気持ちのコントロール力」診断
http://woman.mynavi.jp/shindan/control/
八つ当たりしてちゃ半人前 感情コントロール力診断
http://lifestyle.jp.msn.com/life/shindan/start.aspx?documentid=252563978

さて、感情をコントロールできない原因の一つとしては、「とらわれ」が強いということが言えるのではないかと存じます。

「とらわれ」とは、例えば、こうでなければならない、こうであって当然だ、など、こだわり、かたよりが強くあるために、周りとうまく同調できないという場合であります。もう少し加えますと、感情的な人は、極端な考え方を持ってしまいがちであると言えるかもしれません。そのため、許せないことや見逃せないこと、妥協できないことがあると、すぐに感情を出して全てを極端に否定してしまったりすることがありえます。

とらわれ、こだわり、かたよりに対処する方法として、仏教では、「中道」を歩むことを説きます。これは簡単に申しますと「バランス」のことであります。難しくには、「非有非無の中道」、「八不の中道」(不生不滅・不常不断・不一不異・不来不去)とございますが、この理解はまた先に置いておいて下さい。

とにかく、極端を排して、「ほどほどに」と何事も心掛けてみることで、少しは感情もコントロールできるのではないかと存じております。かくいう拙生もまだまだでございますが・・

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
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