hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

生きる意味について

問い「わかりません」

問い「わかりません」

【ご質問内容】

今更ですが 
自分が生きてきた意味がわかりません

離婚して19年 
ずっとひとりで子供を育ててきました 
周りの人たちも支えてくれたと思います

でも 
辛い時もずっとひとりでした 
強がって生きてこなければ 
この世にいないと思います

今、お付き合いしている彼が 
『女のくせに強がってばっかりや』 
と言います

私は甘え方などわかりません 
どう頼っていいのかもわかりません

彼に 
自分の生き方を否定されているみたいで 
なんともいえない気持ちになります

私の生きてきた道は、生き方は間違いなのでしょうか? 
両親がいて子供がいて 
そういう生活してることが幸せなのでしょうか? 
強がって生きてきたことは間違いなのでしょうか?

私は辛くても 
自分の生き方に後悔したことはありません 
ただ否定されてるみたいで 
間違っていたのかと自信をなくしかけてます

【拙回答】

生きる意味について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「生きる意味」・「生き方」というものは、人それぞれにおいても異なるものであり、「これです」と決めて言えるものではなく、また、色々な因縁(原因と条件)次第によって変わっていくものとなります。良き因縁であれば、良き意味になるでしょうし、悪い因縁であれば、悪い意味になるということでございます。

他の評価を気にされるところもあるかもしれませんが、結局は、自分で満足できているのかどうか、というところによるかもしれません。

とにかく、どのようにすれば、自分が満足して幸せに過ごすことができるのかどうかということを考えて、そこへ向けた良き因縁を調えていくことが大切となります。

自分が満足しているのかどうか、幸せであるのかどうかで判断なされてみて下さいませ。

あとは、私たちという存在は、独りで生きているようでも、実はそうではなく、無数のものたちに依存して生かされて生きることができております。この助け合い、支え合い、分かち合いの必要となる世界においては、互いに頼り、頼られという関係性のバランスも大切となります。

あまり何でもかんでもを独りで頑張ろうとばかりされずに、しんどい時、辛い時、苦しい時には、周りもどうぞ頼られて下さいませ。そして、また自分のできることでお返ししていければ良いのであります。お互い様で有り難うという感じにて。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「生きてる意味」

問い「生きてる意味」

【ご質問内容】

2015年の4月に離婚し、ばつ二回になりました今は一人で派遣社員の仕事してます、二回の結婚で実の子供が三人いまが子供たちにわ 
父親らしいことは何一つ出来てなく養育費も渡してない状況ですこんな自分が情けなく子供たちに申し訳なく日々、死にたい気持ちと格闘してます。 
でも死ぬ勇気がない自分が情けなく思います 
こんな自分がこの世の中、生きてる意味有るのでしょうか、こんなくそみたいな世の中、生きてる意味有るのでしょうか?お金がないと何も出来ない世の中…

【拙回答】

お金がなくてもできることを

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

生きる意味や価値とは、人それぞれでも意味や価値が異なるものであるため、「これです」と決定付けて言えるものではなく、また、色々な因縁(原因と条件)次第においても変わっていくものとなります。

ですので、しかるべき良き因縁が調ったら、良い意味や価値になりますが、調わなかったら難しいということになります。

ですので、良い意味や良い価値にするためには、そのための良き因縁をできるだけ調えて参りたいものでございます。

お金がなくても、子どもさんたちにしてあげられることがあるかとは思います。

仏教では、お金が無くてもできる善い行いとして「無財の七施」がございます。

以下に挙げさせて頂きますので、是非参考にして下さいませ。

眼施(慈眼施)・・慈しみをもって優しいまなざしで接すること。

・子どもたちと会った時に、優しい眼差しで接してあげて下さい。

和顔悦色施(和顔施)・・和やかな笑顔・にこやかな笑顔で接すること。

・子どもたちと笑顔で接してあげて下さい。

言辞施(愛語施)・・優しい言葉で接すること。叱咤激励の厳しい愛の言葉も。

・子どもたちと優しい言葉で接してあげて下さい。時には愛からの厳しい言葉も。

身施(捨身施)・・身体を使ってできるお手伝い・奉仕を自ら進んですること。

・子どもたちと身体を使って遊んであげて下さい。キャッチボールしたり、サッカーしたり、一緒に縄跳びの練習をしたりとか。

心施(心慮施)・・相手の心を思い遣ってTPOに合わせて接すること。

・子どもたちの喜怒哀楽に寄り添ってあげて下さい。子どもたちの味方にいつでもなってあげて下さい。

床座施(壮座施)・・高齢者や妊婦さん、病人などに席や場所を譲ること。分かち合う・譲り合うこと。

・自分の余裕のある分のお金や食べ物、お菓子などを子どもたちに分けてあげて下さい。

房舎施・・自分の住居を提供して、おもてなしすること。

・自分のところに子どもたちが来たら、もてなしてあげて下さい。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「頑張る意味、生きる意味とはなんでしょうか」

問い「頑張る意味、生きる意味とはなんでしょうか」

【ご質問内容】

生において夢も希望も絶望もありません。

ただ生まれたからなんとなく生きているだけなのですが、このような人生なら、あってもなくても変わらないと思います。 
死ぬと家族が悲しむとは思いますが、その家族も遅かれ早かれ死にますし、その後のことは死んだ私には関係ないと思うので、どうでもいいです。

このような考えを持っている人間なので、社会全体に広がる、 
「夢」に向かって「前向き」に「頑張って」、「成功」することが「良いこと」である 
という雰囲気についていけません。 
なぜ頑張らなくてはならないのでしょうか?

私は頑張ることが嫌いです。 
でも頑張れない自分のことも嫌いです。 
本当は自分も頑張りたいと思っているのかもしれません。でもどうしても 頑張る ということが受け入れられません。 
これは「逃げ」「甘え」だと感じられるかもしれませんが、逃げてはダメなのでしょうか?

自分が何をしたいのか、救いを求めているのか、どうなりたいのか、わかりません。

長くなりましたが、なにか助言をいただければ幸いです。

【拙回答】

汝、法門開かれし

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

『「夢」に向かって「前向き」に「頑張って」、「成功」することが「良いこと」である という雰囲気』・・

拙生もこのような雰囲気に嫌悪致している者の一人でございます。

同士です。

要は世間の物差し、お金や名誉や地位、権力などを価値ある者だと信仰してしまっていると、そのようになってしまい、その信仰が多数であればあるほど、それが正しい、当たり前となり、やがて、そのような価値観を信仰しない者は、排除していこうとなってしまうわけであります。

その排除における疎外感のようなものをお感じであるのかもしれませんね。

しかし、仏教では違います。

世間世俗的な世界における「幸せ」など、本当の「幸せ」でないと考えます。

仏教では、悟り・涅槃という究極的な「幸せ」を目的と致します。

その「幸せ」へと向けて、仏教においては、無明(根本的な無知)・煩悩・悪業を対治するために「智慧と福徳(功徳)」の修習を進めていくことになります。

無常観、出離の心も少しくお持ちのようです。

さあ、扉は開かれました。

仏教を本格的に学び入る良い機会を得られました。

是非、興味を持って学んで頂けましたらと存じます。

分からないことがございましたら、どうぞ遠慮なくhasunohaもご活用下さいませ。

川口英俊 合掌

問い「自分の価値を見いだすために」

問い「自分の価値を見いだすために」

【ご質問内容】

退職後、決まっていた仕事で条件違いにて結局は労働契約まで行かずに無職になってしまった事への自分への葛藤がたくさんあります。

応募しても応募しても、面接にいけどいけど、結局は決まらずお祈りメールと郵送費や写真代、交通費などがかさんでしまい「自分は価値がない人間だから受け入れてもらえない」と考えるようになりました。

何度も自殺を考えて、夫に「僕の稼ぎだけで暮らせるからもっとゆっくり考えていいのに」と言ってくれるけど、そんな甘え方も夫にとっても負担になるんじゃないかと考えてしまい、毎日どうやったら死へ向かうことができるか考えてしまいます。

趣味や今まで出来なかった語学の勉強を毎日やりながら、家事をしても果たしてこれは世間から見れば「喜楽な奥さん」みたいな取り方をされてしまい、それで悩むようになってしまいました。それも自殺を考えるの引き金にもなっています。

自分はこの世に果たして存在していいのか、労働力になるのか、そんな価値観を見いだせるようにするにはどのような事をすべきですか?

【拙回答】

「中道」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

生きる価値や意味などは、「これだ」と決まったものがあるわけではなく、色々な因縁(原因と条件)次第において変わっていくものでしかありません。ですので、「絶対にこれだ」というものもなく、人それぞれにおいても異なっていくものとなります。

Another one様は、「生きる価値」において、特に「働くこと」に重きを置かれているようですが・・

それだけではなくて、もっといくらでも見いだしていけますのに・・と思うのが正直なところでございます。

少し極端に物事を考えてしまれて、偏りが激しすぎるところがあるのかもしれません。

仏教でも、極端を避ける「中道」が求められることになります。

よくある例えとなりますが、琴の弦は強く絞めすぎると、音が張り過ぎて、あまり良い音が出なくなりますし、もっと張り、いずれ弦が切れてしまっては、音が出せなくなってしまいます。

しかし、かといって、弦を絞めるのを弱くしていくと、だんだん音に張りがなくなっていき、やがて緩め過ぎてしまっては、音が出なくなってしまいます。

強くもなく、弱くもない、中くらいに締めたところにおいて、琴の弦は丁度良い音が出せることになります。

人生も、その丁度良い塩梅において過ごしていきたいところとなります。

「これだけしかダメ」というわけではなくて、生きる意味や価値を、他にももっと色々と見いだせていけるのではないかと思いますので、もう少し考え方を柔軟にして頂きたいものでございます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「まだ、生きなければならないのでしょうか。」

問い「まだ、生きなければならないのでしょうか。」

【ご質問内容】

唐突なタイトルですみません。 
大学に3年半通い、辞めてからずっと考えていたことです。 
長文になると思います。すみません。

大学を辞めてから、私の中の何かをしたいという気持ちが無くなりました。 
将来のお金のためにと選び、無理やり好きなことだと思い込んだ学部に全て置いてきたようです。

私の中に、今残っているのは、何百万の奨学金とおさまらない後悔、苛立ち、人間不信くらいです。大学を辞めたとき、どうしようもないクズになっていたことに気がつきました。

周りは「まだ若いからなんでもできる」とよく言います。でも、私はどうしてもそうは思えません。若いからなんですか。お金もないし、資格も何も持ってない。さらに人とまともに話せない鬱状態の奴に何ができるのでしょうか。

先日、前からなっていた難病の合併症を患い、死にかけました。 
(炎症値:CRP値が40を超えていたそうです) 
両親は泣いてました。でも、そんなときに私は死ぬなら死ぬでいいと思ってました。助かっても無駄な命だと思ってました。

これからとか考えてもでてこないし、やりたいこともない。 
家族に話したところで、話を全部聞いてもらえず勘違いされる。さらには、家族の愚痴を聞く側になってしまい、話すこと自体少なくなる。 
兄弟からも中傷され、喧嘩になって殴りあう。自分だけ怪我するのに。 
そして、それが引き金になってどんどんひきこもっていく。

社会からどんどんおいていかれている気がします。その社会に溶け込める気もしません。ただ、逃げているだけと言われてもしかたないです。

しかし、私が何か自分のためにやり始めたとき、手の平を返したように否定してきます。肝心なところは誰も見てくれていません。 
電車にもバスにも乗れません。近所のスーパーにさえ10分といることができません。

こんな奴に生きている価値があるのでしょうか。 
社会不適合者だと言い聞かせないと息をすることも辛いです。 
もう、しんどいです。自分には何もないです。迷惑をかけるばかりです。 
まだ、生きなければならないのでしょうか。 
まだ、この現実に耐えなければいけませんか。

【拙回答】

心の不調は、身体の不調からかもしれませんね・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

誠におつらいことでございます・・

難病はどのようなものになるのでしょうかね・・

心の不調は、身体の不調からきてしまっている可能性もございます。

まずは、身体の不調をしっかりと治して参りたいものでございます。

もしかすると、膠原病の一種や、あるいは、起立性調節障害、慢性疲労症候群みたいなものとなるでしょうか・・

ある程度、原因が分かれば、対処方法もまた違ってくることになると思われますが、一度、慢性疲労症候群を疑っての、関連の検査をされてみられても。

例えば、自己免疫性の問題となれば、遺伝子変異の検査やアレルギー(後発性・遅延性の方)の検査、または、メチレーション機能・代謝に関する検査など、何らかの原因が分かれば、治療も日進月歩で、もしかすると既に効果的なものがあるかもしれません。

とにかく、周りの支えや助けも必要であるため、身体の不調についての原因がもう少し明らかとなれば、周りへの説得と理解を求められることもできやすくなるのではないかと存じます。

身体の不調をしっかりと治されて、それからできることを増やされつつに、焦らずに少しずつ少しずつです。

どうか心身共にご快復なされて、お幸せになられますようにと心から祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「自分の価値」

問い「自分の価値」

【ご質問内容】

私は自分の事を好きになれません。 
どうでも良いと思って生きてきました。

左腕は自傷で傷だらけです。 
でも後悔はしていません。

いつ死んでも良いと思っています。 
寧ろ早く死にたいです。

自殺は死後苦しむ事になると言いますが 
生きてる今の方が苦しく辛く地獄です。

無気力で何も出来ない 
そんな自分が情けなくて腹が立つ。 
でも動けない。

そんな矛盾に苦しんでいます。

プラス思考な助言は疲れるだけで 
心に響いた事がありません。

とことん歪んでいます。

自分を好きになれる要素がない

産まれたくなかった

自分を愛する事が出来ていれば 
少しは違った人生になってたのでしょうか?

そんな私の価値は 
誰が決めるのですか?

【拙回答】

「縁起」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

誠におつらいお気持ちをお察し申し上げます・・

「プラス思考な助言は疲れるだけで 心に響いた事がありません。」・・

プラス思考ではなくて、「理」(ことわり)のお話しを致しましょう。

この世のあらゆる全てのモノ・コトというものは、「縁起」で成り立っていると仏教では申します。

「縁起」というのは、字のごとく「縁って起こる」ということですが、いくつかの「縁起」についての難しい説明もありますが、一番わかりやすいのは、「因縁」(原因と条件)によって成り立っているということであります。

つまり、良い結果には、良い因縁が、一方で、悪い結果には、悪い因縁が、それぞれあるということになります。

良い意味や価値を見出すにも、それなりの因縁があってのことで、またその逆もしかりということになります。

「そんな私の価値は誰が決めるのですか?」・・

他でもない、自分自身における因縁のあり方次第ということになります。

それは、また、いくらでも、これからの因縁次第において、より良いものへと変えることだってできるということになります。

貴女様の価値は、他の誰でもなく、貴女様のこれからの因縁次第です。

良い動機と、それに基づいた良い実践。

そのヒントが仏教にはたくさんございます。是非、仏教をこれからしっかりと学ばれて一つ一つ実践されていってみて下さい。

きっと善き因縁が善き結果へと貴女様を導いていくこととなりますでしょう。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「生きる意味が分かりません。」

問い「生きる意味が分かりません。」

【ご質問内容】

宜しくお願い致します。

鬱になり、4年。今年に入って自殺未遂 薬の大量服用を3回しました。 
今は、主人が薬の管理をしているので、大量服用出来ません。 
最近は、嘔吐が酷く 良く吐いてしまいます。 
毎日モヤモヤした中 夜もあまり眠れず 生活して 楽しみはありません。 一刻も早く死にたいのですが、それも出来ず苦しみの中生きているだけです。

こんなにも、生きることが辛いのにどうして生きなければいけないのでしょうか?

生活のために 仕事をし、子育てをし、家事をする 自分の時間なんてありません。 
今の家に引っ越してきて、今年で11年目ですが、友達も殆どいません。 
生きている意味自体が、分かりません。

鬱になってから、人格自体変わってしまいました。

自殺が、嫌いだった自分が 自殺未遂をする。 
心の底から 笑うことなく 苦痛に満ちたこの世の中で 存在価値のないまま 生かされるのであれば、死にたいと思います。

よく分からない質問ですみません。

とにかく、死にたくて仕方ありません。

いきる意味 探し続けて 迷走中

うつ病で 誰にも分からず 孤独死だ

こんなにも 生きる辛さが 伝わらず 
一人孤独に 日々死を待つ 戦いだ

入院を 避けるためには うつ隠す

平気さを 保つ日々も 限界だ

辛いよな 死んでいいよと 言われたい

自分から 命をたつのは 難しい

あの時は 死ぬ気で飲んだ 睡眠薬

生きるのが 毎日辛いと 思ってる

死ねずして 残る思いは なぜ死ねぬ

我慢する 大量摂取と 格闘だ

こんなにも 毎日辛い 生きること

死ぬことに 理由は何も 見当たらず 
ただ生きることから 逃げるだけ

夢で見る 大量服用の 光景を 
毎日眠れず 怯える夜と 格闘中

うなされて 何度もおきる 副作用

副作用 辛くて孤独の 戦いだ

【拙回答】

セカンド・オピニオンの必要性

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

鬱病、自殺企図にお悩みのご様子・・誠におつらいことでございます・・

鬱病によることもありますが、自殺企図には、向精神薬による副作用の可能性もございます。

嘔吐や不眠のこともありますので、薬の副作用が気になりますし、セカンド・オピニオンとしても、一度、別の医療・心療機関にも相談されてはどうであろうかと存じます。

生きている意味・価値、存在意味・価値というものは、何かこれだと決まった実体としてあるものではなく、ただ、因縁(原因や条件)次第において成り立つもの、また変わっていくものとなります。

良い因縁に依れば、良い意味や価値となり、悪い因縁に依れば、悪い意味や価値になるというものであります。

ですので、今はまだ少し難しくても、ママ様にもこれから良き因縁を調えていくことで、良い意味・価値へと変えることはいくらでもできることになります。

どうか、あまり絶望されて悲観されませんように。希望はあります。

とにかく、まずは無理しない、頑張らない、焦らないようにして、しっかりと鬱病の治療をしていきましょう。

川口英俊 合掌

問い「なぜ私は生まれたのでしょうか」

問い「なぜ私は生まれたのでしょうか」

【ご質問内容】

20代の女です。 
なぜ私は生まれてきたのか、生きている意味があるのか、存在する価値があるのか、と悩んでいます。

私が生まれた家庭環境は決して良いと言えず、母親はギャンブルに狂い、家のお金を使い借金を作り、最終的には人のお金に手を付け私が18歳の時に刑務所に入りました。 
私は父親に引き取られ暮らしましたが、20歳の頃に私に借金を作らせて蒸発。 
運が良いことに親戚が助けてくれて借金の肩代わりをしてくれて一人暮らしをする手助けまでしてもらいましたが、最終的に残ったのは学歴も資格もお金もない私だけ。 
最近では病気が見つかり、病気が原因で仕事を解雇されました。 
何もない空っぽの私が人に助けてもらうまで生き続ける意味があるのでしょうか。

家族がいた頃は縛られながら、親の言うことを聞きながら生きてきたので、1人で生きていく術を覚えられずに生きてしまいました。 
今は親戚が後見人のような形でたまに様子を見てくれたりしますが、ありがたくも正直うざったく感じてしまう自分がいるのです。 
学がなくとも人はやっていける、自分の周りにいる人の一例を挙げて私に話してくれるのですが、聞かされるたびに私の無力さを押し付けられるようでとても心苦しいのです。 
そのような人たちはちゃんとした両親に育てられ、私とはスタートが違うのですから。

それでも私は両親とは違う、と親戚の前では虚勢をはり、親戚の前では良い子を演じてしまいます。

仕事を解雇されたのも、病気が見つかったのもまだ親戚に言えていません。 
仕事に就く際も何度も揉めて、やっと納得してもらって就いた職なのにあっさり解雇されたのを非難されそうで辛いんです。

仕事も探して受けていますが受けては落ち、仕事もなかなか無く、このまま再就職できなかったらどうしようと不安で仕方ありません。

こんな状況でも遊び呆けようとする自分にも嫌気がさします。 
でも毎日が寂しくて、友達に会いたくてしょうがないんです。

生まれてきた頃からずっと不幸で、生き方もどうしようもない生き方で、こんな私は何故生まれたのか、何故生きているのかと思うのです。 
まとまりがない文章で申し訳御座いません。 
お答えしにくいかもしれませんがお願いします。

【拙回答】

生きる意味・価値・理由・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

これまで色々とおつらい思いの中でお過ごしになられてしまわれてこられたのですね・・どうかお幸せになって頂きたいと存じます。

生きる意味・価値・理由・・

正直、「これで正解だ」と言い切れるようなものはありません・・

さて、仏教では「空」を説くのですが、それは、あらゆる全てのモノ・コトというものには、実体が無い、独立自存としては成り立っていないと考えるものとなります。その例外は無く、生きる意味・価値・理由などの思考による概念などもそのようになります。

但し、何もないという「無」ではありません。知覚・認識されるようなモノ・コト、あるいは知覚・認識されないけれども有り得ているモノ・コトというものは、確かに存在はしています。拙生も貴女様ももちろん、現に、このようにして存在しています。

しかし、存在はしているのだけれども、それらのありようは、上記で述べさせて頂いたように、「空」であり、ただ、「縁起」として存在していると説明することになります。

「縁起」とは、モノ・コトは、因縁(果)という関係性による成立、全体と部分との関係性による成立、分別作用の関係性による成立と、何かに必ず依存してモノ・コトは成り立っているということを申します。

それは、生きる意味・価値・理由の各それぞれにおいても、実体としては無い「空」なるものではありますが、「縁起」としてはそれぞれ有り得ているというものとなります。

そこで、貴女様が、生きる意味・価値・理由を、否定的な感情・考え方で捉えてしまっているならば、これまでの人生・生い立ち・境遇・環境・人間関係等の因縁(原因と条件)などによって、そのように捉えてしまっているのであり、もし、それらの因縁をより良いものとすることができていければ、今度は、肯定的な(あるいはニュートラルな)感情・考え方で捉えていくことも、十分に可能になっていくということになる次第でございます。

きっと、良き因縁を調えていくこと次第で、良き生きる意味・価値・理由へと変えることができますでしょう。

その良き因縁を調えていくためのヒントが仏教にはたくさんございますので、是非、仏教を少しずつ学ばれながらにでも好転を目指して取り組んで頂けましたらと存じます。

善処、お幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「生きる意味がわかりません」

問い「生きる意味がわかりません」

【ご質問内容】

私は生きる意味がわかりません。 
大学を卒業し就職に失敗し精神科に通っています。 
精神科に通っているだけでバイトも何もしておらずニート状態です。 
何とか変えたいと思うのですが、「死にたい」という気持ちが強く自殺未遂までしてしまいます。 
つい最近も自殺未遂をしました。 
発見が遅かったりQQ車を呼ばなければ、QQ隊員が処置をしなければまず命は助かっていたそうです。 
自殺未遂をした後悔ではなく発見しやすい場所に倒れ死に損なったことを後悔しています。 
こんな自分が大嫌いです。 
どうしたら自分を変えることができるのでしょうか?

【拙回答】

生きる意味・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

生きる意味も、生きる価値も、それらは、様々な因縁(原因と条件)次第において変わるものとなります。

善き因縁によって、善い意味・価値にもなり、悪い因縁によって、悪い意味・価値となります。

ですので、何も「無い」というわけではないのですが、かといって、決まっているものとして「有る」というわけでもありません。

このあたりのことの理解は少し難しいとは存じますが、つまり、その因縁をどうにか善いものに変えてあげることで、善き結果へと向かわしめることができるというものになります。

ですので、くうのり様ももちろん、今の状態を変えていくことはできます。しかし、そのためには、まず善き原因としての動機を持ち、次にその動機からの善き条件としての行動を調えていくことが必要になります。

具体的に、夢や目標を何か動機としてまず持ってみましょう。

働きたい、勉強したい、結婚したい、起業したい、誰かの助けになってあげたい、同じように苦しんでいる人を救いたい・・あるいは、宜しければ悟りへと至りたいでも。

少し前向きな動機を一つでも良いので持ってみて下さい。そして、次に思うだけではなくて、その動機を元として、少しずつでも行動していくことが大切となります。

変わりたいという動機でも十分な動機です。あとは、ほんの少しの勇気が出れば・・

もちろん、無理や頑張りは禁物です。

寒い冬ももうすぐ終わり、いよいよ春へと向かって参りますね。

春になったら、春の暖かな陽射し、心地よいそよ風、草木の息吹、虫たちや小鳥たちの息づかいを感じに、少しでもお出掛けしてみて下さい。

川口英俊 合掌

問い「生きてる意味」

問い「生きてる意味」
【ご質問内容】

毎日生きてるのが辛いです( ; ; ) 
毎日死にたいです( ; ; ) 
人はなぜ生きなければいけないのですか?

【拙回答】

生きる意味や理由というものは・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

生き辛さをお抱えにて、自殺企図もおありでありますこと、誠におつらいことでございます・・

「人はなぜ生きなければいけないのですか」・・

「生きる意味」「生きる理由」につきましては、これまでにもhasunohaにおける少なくない問答にて、拙生もお答えさせて頂いて参りましたが、モノ・コトの意味、理由というものは、実は無いと言えば、無く、有ると言えば、有るというものとなります。

なんと、いい加減な、適当な、と思われるかもしれませんが、上記のことは、「勝義無 言説有」という難しい考え方にて説明することとなります。

もし、ご興味が沸いてこられましたら、仏教の学びにおいて、是非、お考え、ご理解を賜れましたら有り難くに存じます。

とにかく、意味や理由というものも、色々な因縁、つまり、原因や条件によって成り立っているものであり、その原因や条件を変えてあげていければ、いくらでも変えることができるものとなります。

今は、生きづらい、生きるのがしんどい、死にたい、なぜ生きなければいけないのか、と少し悲観的に、虚無的に人生を捉えられてしまわれているのにも、その因縁があって、そのように思われてしまわれている次第でございます。

ですので、その因縁を変える努力をすることで、きっと、その意味、理由も変えることができるようになるでしょう。

人生の幸せや満足のためにも、あるいは、涅槃、悟りという究極的な幸せへ向けても、仏教にはその因縁を調えるためのヒントがたくさんございますので、是非、仏教の学びを進めていかれますことをお勧め申し上げたいと存じます。

ぴっき様のお幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌
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