hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

因果応報について

問い「何かしようとも何もできない」

問い「何かしようとも何もできない」

【ご質問内容】

色々と相談事書きましたが、尽きる話しは、金縛りの状態と言うのが早いのでしょうか? 
体が動きません、気持ちが重くてできません、周囲の目も声も悪意を感じるようになってる状態です。 
因果応報とでも言えるのでしょうか? 
怠惰な生活、人への妬みが今の自分に返って来たのでしょうか? 
将来このままの状態が続くようなら 何もならなかった人生、最悪な終わり方をするようになる様な気がします。 
悪因を断ち これからの人生を意義のあるものにするには、どうすれば良いでしょうか? 
仕事もできない 意欲もない 人からも良くも言われない 毎日の不安 逃れると言うより立ち向かえる勇気と智慧を伴った行動ができるようになりたいです。

【拙回答】

「因果応報」とは・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「因果応報」とは、世間の使い方では悪いイメージが先行してしまっている感が否めませんが、正しくには、善いことも悪いことも含めて、全てのこの世のモノ・コトというものは、因縁(原因と条件)によって結果が成り立っているという、「因縁果の理」のこととなります。

何も原因が無く、また、何も条件も調わないのに、結果が生じることはあり得ません。

例えば、種も撒いていないのに、花は咲きませんし、種を撒いたとしても、土や養分や水や光などの条件の無いところに撒いても、花は咲きません。

あるいは、土や養分や水や光と条件は調っていても、種がなければ花は咲きません。

もちろん、色々な複雑な因縁が無数に依存関係で絡み合って成り立っている世界であり、単純にこれとこれで、こうなったとは言えないところもございます。

しかし、良き結果へと向けては、やはり良い因縁は必要となるため、良い因縁を調えていかないと良い結果は全く望めません。

良い結果へと向けた良い因縁を積むためのヒントが仏教には多くございますので、是非、これを機会に仏教の学びも進めて頂けましたら有り難くに存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「業について」

問い「業について」

【ご質問内容】

私には5歳年上の自己愛性パーソナリティ障害の兄がいます。生まれてからずっと兄に執拗な攻撃(物理的・精神的)を受けて育ちました。元々私は発達障害だったのか、その自己愛からの攻撃と相まって自尊心は歪み非常に低く、騙されやすく、しかしながら自意識過剰の疑心暗鬼、怒れずすがる、依存の激しい人間となりました。 
それに気付いたのは近年で、今では物理的に離れて生活し少しずつではありますが夫にリハビリをしてもらい本当に少しずつ少しずつ自尊心を育むことが出来るようになりました。しかし、それに気付くまで30年間自分がいかに価値がないか、頭が悪く醜いのか刷り込まれていたので立ち直りかけてはすぐに崩れてしまいます。 
両親はというと、そんな兄に手を焼き兄のストレスのはけ口になっていた私を守ってくれる事はありませんでした。やっと自分の幸せを考えられるようになってからは、夫に心の有り様を打ち明け全てを受け入れてもらい絶縁とまではいきませんが地元を一緒に離れてくれて、自分だけの家族となり幸せです。 
幸せなはずなのですが、その幸せを素直に受け取れず幸せなうちに死んでしまいたい、と思ってしまいます。息子はいま5歳で成長の過程において、この刷り込まれた自らの歪みが伝わってしまうのではないか怖いです。私はいなくなった方が息子は真っ直ぐ育つんじゃないか、など。 
この一連は業の巡りであって今は兄を許さない自分を赦そうという考えに至りました。私に対する兄の執拗な攻撃は私が生まれてしまった事だと受け取っています。生まれて理由なく長年苦しむ、これが業なのかな、と。今世では断ち切れないものだろうと認めたくないけど、認めるしかないのかな、とも思えるようになりました。 
自分の来世・家族の来世にこの業が今よりも軽い関わりにする為に今世でできる事はないでしょうか?とりあえず家族には私に何かがあった時、兄には骨を拾わせないで、とお願いしています。私も兄の骨は拾いません。しょうもない事だと思われると思いますが、私の今世と来世、また兄と実家の家族に対する精一杯の抵抗です。何かで業は7回繰り返すと見ました。殺されてないので1番酷い時期ではないのでしょうが、もしまだ前期で今世以降これから酷くなる方かと思うと絶望してしまいます。 
どういう風に思い受け止めると良いのでしょうか。

【拙回答】

業も因縁次第

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

何より今は、理解ある旦那様、そしてお子様とのお幸せを第一とお考え下さい。

お子様のご成長、誠に楽しみですね。

そして、今が幸せであるならば、その幸せな想いに、皆がなってほしいと願ってみて下さい。

恨みや憎しみは、悪業を生むだけで何ら役に立ちません・・

できれば、実家の皆さま、お兄様も含めて、皆が幸せになれますようにと、お兄様にも憐れみと慈悲の想いを掛けてあげてみて下さい。

きっと、お兄様も苦しく、つらく、しんどいのでしょう・・

「兄も私と同じような幸せを味わってもらえたら・・」と思って頂けましたら、それが善き因縁(原因と条件)となって、善き業へと繋がることになっていくことでしょう。

業も因縁次第で変わっていくものになります。しっかりと善き因縁を調えていくことで、善き赴きへと向かって参りたいものでございます。

善き因縁を積むための方法論につきましては、仏教に多くのヒントがございます。

是非、仏教につきましても、これを機会に興味を持って学んで頂けましたら有り難くに存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「因果応報」

問い「因果応報」

【ご質問内容】

いつもありがとうございます。 
独身時代、不倫を繰り返していた友人についてです。私は不倫肯定派ではありません。

1人は歳の離れた上司と不倫をして仕事で重要な役職になり若くして出世しました。勿論彼女は賢く仕事の能力も高いです。「不倫の何がいけないの、そんな男と結婚した嫁が悪い」と言う強気な女性です。

もう1人は寂しさから複数人との不倫をし、そのうちの1人に独身の男性を紹介され、結婚しました。旦那様は紹介者との不倫関係は知りません。結婚してからも会ってる男性はいるようです。

二人共、大手企業の真面目な男性と適齢期に結婚しました。不倫をしてなければ得ることの出来なかった幸せを掴んでいます。友人の幸せは喜ばしい事ですが、旦那様を不憫に思う気持ちと真面目に恋愛しても実らない自分と比較したり、複雑な心境です。 
性格は違いますが、私の目から見て彼女達は家柄も美貌も人柄も優れています。悪い行(不倫)以上に人徳があるからの結果なのでしょうか? 
人は平等ではない事は理解しています。不倫は悪い行いと信じ、彼女達の行く末を心配しておりましたが、それを経て幸せになった女性を身近で見て事業自得や因果応報との言葉にも疑問を感じています。ハスノハでも不倫に悩み苦しんでる質問を多く見受けますが、彼女達と何が違うのでしょうか。もし今後違う形で不運に合っても、それをプラスに変える力があるようにも思います。 
因果応報に対してお坊さんのご意見を伺いたいです。宜しくお願いします。

【拙回答】

真なる幸せは・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

世間世俗的な世界における「幸せ」は、本当の「幸せ」でないと仏教では考えます。

仏教では、悟り・涅槃という究極的な「幸せ」を目的と致します。

その「幸せ」へと向けて、仏教においては、無明(根本的な無知)・煩悩・悪業を対治するために「智慧と福徳(功徳)」の修習を勧めることになります。

無明・煩悩・悪業による結果は、過去世や現世における無数の因縁(原因と条件)も複雑に絡んでくるため、その「不倫」の結果が、即座に「これ」として出る、分かるものではないのですが、確実に業・カルマとしては相続していくことになるため、しっかりと、慚愧・懺悔した上で善業に取り組むか、あるいは、確かなる仏道に精進するかしない限りは、いずれにしても輪廻で迷い苦しむことになってしまうとお考え下さい。

世間の八法(利得、損失、称賛、非難、誉れ、誹謗、楽、苦)の中では、真なる「幸せ」はなく、仏教の目指すべき真なる「幸せ」としての「悟り」・「涅槃」というものへと向けて、これを機縁として頂きまして、仏教に関心をより強く持って頂きまして、誠実に日々をお過ごし頂きながら、仏法も学び修されていかれることを、ご一考下さいましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

問い「この世は因果応報なのでしょうか?」

問い「この世は因果応報なのでしょうか?」

【ご質問内容】

うつ病で会社を退職しました。 
職場では嫌がらせを受けて本当に苦しかったです。 
なんでこんな目にあったのか、私が悪かったからなのかと今でも悩みます。 
自分が悪かったとしても、どこを直せば良いのか分かりません。 
自分はこの世に適合しない存在、生まれてきてはいけない存在なのではないかと絶望的な気持ちになります。 
運が悪かったと思いたい一方、何故、その様な災難が私に降りかかったのかと辛くなります。 
どちらに転んでも自分は辛い人生しか待っていない気がします。

この世は因果応報なのでしょうか? 
幼児虐待でなくなる子供がいますが、彼らが何か悪いことをしたのでしょうか?

それともこの世はただただ無情なのでしょうか? 
幼児の内に虐待で亡くなるのも、戦争に巻き込まれて死ぬのも運命の一言で片付けられることなのでしょうか?

どのような心構えで私はこれから生きていけば良いのでしょうか?

【拙回答】

因縁果の理

会社で嫌がらせを受けられて苦しまれ、うつ病となり、退職せざるをえなくなるまでに追い込まれてしまわれましたこと・・本当におつらいことでございます・・

あまりご自身を責めることはなさられずに、うつ病の克服へと向けて、周りの理解とサポートを得られながら、心の傷を癒して頂けましたらと存じます。

「因果応報」とは、世間の使い方では悪いイメージが先行してしまっている感が否めませんが、正しくには、善いことも悪いことも含めて、全てのこの世のモノ・コトというものは、因縁(原因と条件)によって結果が成り立っているという、「因縁果の理」のこととなります。

何も原因が無く、また、何も条件も調わないのに、結果が生じることはあり得ません。

例えば、種も撒いていないのに、花は咲きませんし、種を撒いたとしても、土や養分や水や光などの条件の無いところに撒いても、花は咲きません。

あるいは、土や養分や水や光と条件は調っていても、種がなければ花は咲きません。

もちろん、色々な複雑な因縁が無数に絡み合って成り立っている世界であり、単純にこれとこれで、こうなったとは言えないこともございます。

過去世、前世から引き継がれている私たちの個々で抱えている業・カルマというものも、それが様々に複雑な因縁の中でどのように作用するのかというものも、なかなか予測ができないところもございます。

業・カルマによる結果としての報いを受けるのにも、大きく分けて「三時業」として、今の生きているうちに出るものもあれば、次の輪廻において出るもの、また次の次の輪廻において出るものといったように、ございますし、更に幾つもの輪廻の後に出るという場合も当然にあり得るものでございます。

いずれにしても、悪業を慎み、善き行いにしっかりと努め励み、善き業をしっかりと積んでおく因縁を調えておければ、必ず悟り・涅槃へと向かうことが、できていけるということになります。

とにかく、迷い苦しみの世界ではございますが、人として生まれることができる善き因縁がありて、今、人として生まれることができております。更には有り難い仏法とも出逢えるご縁にも恵まれております。是非、この恵まれた機縁を活かし、仏教を修習することで、悟りへと向けた善き因縁を更に調えて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

問い「輪廻転生の理解」

問い「輪廻転生の理解」
http://hasunoha.jp/questions/1302

【ご質問内容】

初めまして。私は最近、某仏教のテレビ番組にハマっています。
「輪廻転生」のことを知りましたが、疑問に思っていることがあるので、教えてください。

「輪廻転生」には六道があり、魂は6つの世界を旅しているとのこと。
人は死んだら、天界や極楽に行くと聞きました。
でも、生まれた時に今まで魂が旅してきた六道(地獄も含む)の記憶は一切ありません。また、よく「人は死んだら“無(生まれる前の状態)”になる」と聞きます。

地獄や天国というのは、本当に存在するんですか?誰も見たことがないからわからないんじゃないの?と思うんです。
本当にあるなら生まれる時に何らかの地獄の記憶(熱い・痛いなど)があるはずだし、お浄土に行くにも三途の川を渡る際の感覚や閻魔様に出会った時の恐怖、彼岸に渡った記憶や皮膚の感覚というものがあるのかなって。魂になっても、痛みや恐怖を感じるんでしょうか。

私は、できればそういうのがなくて、「死んだら本当にただ無になるだけだよ」って言ってもらう方が安心するんです。
だって、死んでから「生前悪い事をしたから地獄で苦しむ」って思ったら死ぬのが怖いじゃないですか。
天国と地獄の教えというのは、「悪いことをしたら地獄に行くよ。だから、生きている時に悪いことをするなよ。」という解釈と思うのは、どうなんでしょう?

【拙回答】

死後について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

某仏教のテレビ番組とは、ぶっちゃけ寺のことでしょうか。hasunohaの回答僧侶も幾人かご出演されておられますので、番組で疑問に思われたことがございましたら、是非、hasunohaへとご質問下さい(笑)

さて、「輪廻」というのは、ぐるぐるとまわりつづけている如くに、迷い苦しみ続けてしまうありようのことで、「転生」は、心の連続体が展開して続いていくありようのこととなります。

「六道」は、象徴的な心のありようの状態を代表的に六つに分類して表した世界のことで、実際にあるかどうかとなれば、確かに人道と畜生道はありますので、あると言えますが、あとの世界は、あるとも言えるし、無いとも言えるし・・という曖昧な言い方となってしまいます。まあ、心のありよう、状態の大分類と理解しておいて下さい。

死後の世界のことは、仏教において基本的に「無記」(議論したり、考察したりするのが無駄なもの)として扱うべきなのでしょうが、方便として必要な時には語られるべきであるかと存じております。

仏教の場合、死とは、肉体的な死を意味するだけで、肉体は滅んでも、心は存続し、相続していくものであると考えます。肉体のある時における認識とは全く違った微細な意識を扱うことになるのですが、詳しいことは是非これから仏教を学んでいって頂けることでご理解してもらえたらと存じます。

「死んだら本当にただ無になるだけ」・・これは、間違った見解として仏教では退けることになります。断滅論は、虚無や絶無につながり、そのような考え方は極端論として中道から外れることになるため気をつけないといけないものになりますし、何も益となりません。

確かにめぐみ様がおっしゃられているように、天国と地獄の例えは、生きている間における善い行いを奨励するために方便的に説かれている面もございます。「因果応報」というものになりますが、この世界における法則、道理としての「因縁果の法」は仏教の基本的な考え方でもあるため、よく理解していけばいくほどに納得頂けることもあるのではないかと存じます。

とにかく、何でも鵜呑みにせず、疑って、納得するまで吟味するのは大切なことでございます。これからもどうぞ仏教に興味を持ち続けて頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「私はなぜ、何のために生まれてきたのですか」

問い「私はなぜ、何のために生まれてきたのですか」
http://hasunoha.jp/questions/1187

【ご質問内容】

初めての投稿です、お世話になります。

現在、契約社員として勤務しております。もう10年を超えて働いております。正社員とは、仕事内容は同じ、収入に違いがあります。
正社員への登用試験が不定期にあり、今までに三回受けましたが、すべて最終面談まで行くも落とされています。
先日も、試験不合格の通知を受け取ったところです。

契約社員とは言え、資格も正社員より持っておりますし、契約成績も上位のほうで、何度か表彰もいただきました。
今回、同じ試験を受け、合格した面々を見ると明らかに自分より(会社にとって)価値がないひとばかりなのです。

収益をあげていないひと、周りから使えないと評判のひと、主要部門でないひと。
そして、重役の子供であったり、役員の親戚の人が多いのです。

また、正社員になる必要のない暮らしぶりのひとばかりで(重役の親類ですから)、シングルマザーの私は不合格。

私も、いつか正社員になりたいと願うからこそ努力を重ねて参りました。
とても立派なひとが合格しているならともかく、本当に納得がいきません。
私の周りのひと(=私の仕事ぷりを知っているひと)もこの結果に首を傾げています。

あるひとに言われました。努力の報いは自分でなく、自分の子供に帰ってくると。
でもみんな、自分のも、自分の子供の幸せも追っていますよね?
その人の言葉を前向きに捉えて、自分が不幸になればなるほど娘のためになると考える努力をしてはいますが、どうして私だけ、自身の幸せは願ってはいけないのかと悲しくもなります。
今は、早く死にたいと思ってなるべく不摂生にしています。死という最大の不幸が訪れれば娘に幸福がやってくるし、私も悲しい気持ちで生きていかなくて済むからです。
いつか来るその日まで、こんな思いで生きていくのは辛いですが、それでもそれを夢見て頑張らなくてはいけないんですよね。
私だけ、どうしてこんな人生なんだろうと、涙が出ます。次の試験は、という気持ちにもなりません。だって、コネにはかないませんから。
私の何がわるいのでしょう?
そして、私の不幸の代わりに絶対に娘に、幸福が来るのでしょうか?不幸なだけで何も帰ってこないと損ですよね。もう本当になにもかも嫌になっています。
こんな思いをするためだけに生まれてきたのかと思うと親、先祖まで憎んでしまいそうです。

【拙回答】

「自業自得」・「因果応報」について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

生まれた意味とは何か、どうして生きることは辛いのか・・拙生もまだまだ考えることがございます。

生きる意味や生きる事につきましては、これまでにも下記の各問いにてお答えさせて頂いて参りました。

生きる意味について
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318924.html

生きる事について
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318925.html

誠に仏教の教えには、その答えになるヒントが多くございますので、是非、この機会から少しずつでも学び修して頂けましたら有り難くに存じます。

さて、「努力の報いは自分でなく、自分の子供に返ってくる」・・

もちろん、よう様におけることで多少は子供にも善くも悪くも影響が及ぶこともありますが、仏教の基本的な考え方と致しましては、「自業自得」、「自業自得果」、あるいは「自因自果」という言葉がございますように、己の行い(身口意の三業)の結果は、己自身が受けることとなります。

大雑把に述べますと、例えば、自分が大学に合格したいと勉強して頑張って身につけた実力による試験の直接の結果で、他人が合格するということはあり得ませんよね。

それこそ、現在、不摂生をされておられるよう様の結果が、直接に他の誰かの病気になることもありません。

ただ、他人に影響を与えて、例えば、共に合格を目指している友人やライバルに良い影響を与えられたり、また、タバコを吸っていて、副流煙で他人に害を与え てしまったり、よう様の不摂生も娘様に何か悪い影響を与えてしまうことなどはあり得ます。(どうか自暴自棄になられませずに御身体ご自愛下さいませ)

また、「因果応報」と言われますように、この世における全てのモノ・コトには因果の法、正式には因縁果の法が働いており、必ずモノ・コトの結果には因縁(原因と条件)がございます。

その因縁果の流れをより良いものへ、幸せな結果へと変えるためには、やはりそれなりの因縁を積む努力が必要となります。その流れをより良く変えるためにも仏教の学びが大いに役立つかと存じております。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「精神科に通院中です。この状況をどう解釈したらよいでしょうか?」

問い「精神科に通院中です。この状況をどう解釈したらよいでしょうか?」
http://hasunoha.jp/questions/678

【ご質問内容】

子供の頃から現在に至るまで不運が続いていましたが、現在の職場で評価され始めて、何とか人生が軌道に乗り始めたと感じられるようになって来ました。

そんな矢先、胸を締め付けるような痛み、息苦しさ、頭にゴミが入ったような感覚、思考力低下、無価値感、焦燥感、虚無感、めまい、自殺願望に襲われるようになりました。それはそれは苦しい日々でした。

精神科に行って血液検査等を受けて、全般性不安障害と診断されました。薬を服用してから数ヶ月以上経ち、症状は大分治まってきました。しかし完治するのは難しそうで、多かれ少なかれ一生この症状と付き合っていくことになるかもしれません。

普通の人たちにとっては何てことのない日常が、苦しくて仕方がありません。この状態について、私は、自分の人生を見つめ直す好機に恵まれたと感じられることがある反面、何か前世で犯した罰を受けているような暗い気分になることもあります。

もし後者が正しいとしたら、私は死ぬまでこの苦しみを耐え忍ばなければならないのでしょうか。私は何か悪いことをしたのでしょうか。この苦しみは因果応報、自業自得で、逃れられないのでしょうか。仏教の観点からこの状況をどのように解釈したらよいかご教示いただければ幸いです。

【拙回答】

因縁果の理

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

不運があって、心の病にもなられてしまわれて、色々と苦しんでこられたつらいお気持ち、誠にお察し申し上げます・・

「因果応報」・「自業自得」・・少し世間では悪い意味で捉えられてしまう誤解がありますが、どちらも仏教思想における重要な用語でございます。

「因果応報」につきましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いて参りました。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318931.html

問い「運気の悪い人生」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002998645.html

『・・「因果応報」ではなくて、「因縁果の理」として理解して頂くのが良いのではないかと存じております。この世における事象の結果には、必ずやその原因や条件(縁)がございます。原因や条件なしに、いきなり何かが生起していく、変化していくということはあり得ません。・・』

hac27様が今の現状へと至るためには、そのための原因や条件(縁)が必ずあったことは確かです。しかし、何が直接あるいは間接の原因・条件となったのか、無数の因縁果の流れを追うことなど、とてもできることではありません。ただ、これから、悪い結果を招かないようにするためには、ある程度はその原因や条件を探り、因縁の流れを変えることで、悪い結果を回避することはできるのではないかと存じます。その努力次第では、結果をより善くに変えていくことも可能にはなります。

問い「自分自身の価値が見出せません。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1004501330.html

しかし、どうにもならないことは、どうにもならないのも事実です。避けられない、逃げられない因縁もあり、それらによる苦しみをしっかりと捉えた上で、お釈迦様がお説きになられました「四聖諦」を理解するこのも大切なこととなります

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/四聖諦

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「運気の悪い人生」

問い「運気の悪い人生」
http://hasunoha.jp/questions/443

イジメ、ひいき、裏切り、DV、理解してもらえない神経症の被害…
これでもかというくらいの苦しみ、孤独、神経症との闘いで何度も生きることを断念しようと思ってきました。

前世で何か悪いことでもしたんでしょうか?
因果応報と言われるたびに自責の念で苦しんでます。

【拙回答】

「因縁果の理」について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「因果応報」と言いますと、世間では印象的に何か悪いイメージを想起させてしまうことがあるのは、少し否めないことであるかとは存じます。

そこで、「因果応報」ではなくて、「因縁果の理」として理解して頂くのが良いのではないかと存じております。

この世における事象の結果には、必ずやその原因や条件(縁)がございます。

原因や条件なしに、いきなり何かが生起していく、変化していくということはあり得ません。

このことは、例えば、eutrka様がお生まれになられたのも、突然何もないところから、何ら原因や条件もなしにて生まれてきたわけではないことをお考え頂けましたらと存じております。生まれるためには、当然に無数の原因や条件があったはずでございます。

そして、今現在、eutrka様がお苦しみのことにも、もちろん必ずその原因や条件があるはずです。何も原因や条件もないのに苦しむようなことはあり得ないからでございます。

そこで、それらの原因や条件を今一度しっかりと検証することで、それらの原因や条件を変えることに努力することによって、これから改善、善処の余地は幾らでも大いにあるのではないかと存じております。

特に私たちの生・老・病・死、あるいは、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦などの苦しみへの対処方法として、お釈迦様は、「因縁果の理」から、聖なる4つの真理である「四聖諦」をお説きになられました。このことは下記問いにても扱わせて頂いております。

問い「これからどうすべきか。助言をください。」
http://hasunoha.jp/questions/457

是非、eutrka様には、これからの仏教の学びを機縁として、どのように具体的に因縁果をより良くに調えていくべきかをお考え賜われましたらと存じております。

また、仏教では運命・宿命・決定論は極端論となり、「中道」に反するとして退けることとなります。このことにつきましては、下記問いの拙回答も参考として頂けましたらと存じます。

問い「運命には逆らえないのでしょうか?」
http://hasunoha.jp/questions/243

問い「生きていく意味」
http://hasunoha.jp/questions/93

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「六道とはこの世にあるのでは、と思うようになりました。」

問い「六道とはこの世にあるのでは、と思うようになりました。」
http://hasunoha.jp/questions/386

【ご質問内容】

 はじめまして、こんにちは。

私は最近、六道とは今生きている私たちの心の状態だと思うようになりました。

今までの私は嘘つきで本当にずるい人間でした。
友人や家族にも償えきれないようなことばかりしてきたように思えます。
これは餓鬼や畜生、修羅などに心が落ちていたのではないのかと今では思います。

そして今までの自分の愚かさを悩み、反省しどうしようもない後悔ばかり押し寄せてくるこの状態が地獄なのだと考えています。

しかし輪廻転生を考えるとこのことは因果応報で来世に伝わるというのが説ですよね。

では私はこれからこの罪をもって転生するのでしょうか。

あまり仏教に詳しくないためよくわかりませんが、
私の考え方は間違っているのでしょうか。

よろしくお願いします。

【拙回答】

慙愧、輪廻、因果応報・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「今までの自分の愚かさを悩み、反省しどうしようもない後悔ばかり押し寄せてくる」・・慙愧は大切なことでございます。下記問いにても扱わせて頂きました。

問い「後悔の念から抜け出す方法?」
http://hasunoha.jp/questions/225
問い「気持ちの切り替えができません。」
http://hasunoha.jp/questions/178

後悔、反省、慚愧からの善い行いが大切となります。それは、当然に同じような過ちは二度と繰り返さないこと、誠意の謝罪、償いを行うことと、全般的により善い行いに努め励むこととなります。

輪廻転生、因果応報・・とにかくまずはこの現世における行為の集積(業)の問題を考える時、例えば、迷惑を掛けてしまった友人や家族に対する悪業の数々の集積を消したいのであれば、誠意の謝罪、償いを行うこと、善い行い(簡単には他に迷惑を掛けないという善い行いと他の役立つ、他の為になる善い行い)に努め励むことにて、その悪業の集積は消すことが可能ではないかと存じております。

実際に、その友人や家族に心からの謝罪と誠意の償いをしてみて下さい。きっと心(相続)は今の状態よりも苦しみが減ったことを実感できるのではないかと存じます。

もちろん、このことに限らず、幾つかの悪業の集積が残ってしまったまま今世を終えれば、その(心相続の)状態は輪廻における来世に大きな影響を及ぼすことになるでしょうし、過去世から集積している業の習気(じっけ)というものも、また、影響を与えることとなります。

死後のことは、下記問いも参考になるのではないかと存じております。

問い「死ぬとどうなるのでしょうか」
http://hasunoha.jp/questions/123
問い「ご先祖様について」
http://hasunoha.jp/questions/153
問い「死ぬと地獄行き」
http://hasunoha.jp/questions/203

とにかく、死後は無いとするのは断滅論に繋がるため宜しくはないのですが、死後云々よりも、まずはこの現世での心相続のありようを確かなる仏縁と善業を通じていかに調えていくかということを考えていくのが望ましいのではないかと存じております。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「恋愛に対する不安と因果応報について。」

問い「恋愛に対する不安と因果応報について。」
http://hasunoha.jp/questions/271

【ご質問内容】

初めて、質問をさせて頂きます。空回り小僧と申します。
私は現在30歳で、遠距離恋愛をしております。相手は22歳の大学生。年は離れてはいますが、将来は結婚を約束しており(口約束ですが…)、半年の付き合いです。その彼女は非常に明るくて活発なタイプで、同性異性を問わず友人も多く、活動的な子です。私もそこに惹かれて、お付き合いをさせていただいております。
ところが最近、彼女の友人の一人「A君」と彼女の関係が不安になっています。A君と彼女は非常に仲が良く、いつも一緒に行動しており、二人だけで遊びに行く、旅行に行く、同じ布団に寝る、酔ったらキスをせがんでしまう…。など、「友達以上恋人未満」の関係の二人であることを知らされました。(←彼女自身がこう言いました。けれでも、今まで一度も肉体関係はないそうです。)
私は彼女には色んな経験をしてもらって、視野を広くもった人になって欲しいと思っているので、束縛はしたくありませんが、この関係は正直不安です。ただ、彼女の恋愛観は「彼氏よりもA君が大事」といっており、言えば私たちの関係は終わります。彼女に対して、「A君と付き合う選択肢は今まで無かったの?」と聞いてみたところ、「付き合うという気持ちはない。今の関係が一番良い」と言います。4月には二人が社会人になり環境も変われば、関係も変わるかと期待して、それまで辛抱して様子を見ることも考えています。それでも時々、彼女の倫理観や貞操観念を疑ってしまい、信じることが出来なくなりそうです。毎日がどうしようも無く不安だけれども、彼女にはこの思いをぶつけることは出来ない…。彼女は今まで出遇った女性の中で、初めて自分から結婚したいと思っているほど好きなのです。どんなことがあっても別れたくはありません。
私はどんな心持ちをすれば良いのでしょうか?どんな考えを持てばいいのでしょうか?
また、彼女には私という彼氏がいることはA君も知っています。その私が、聞けば悲しむような行動を軽々しくするA君の考えが理解出来ません。
「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んでしまえ」ではありませんが、彼の行動に対しての因果応報として、罰は下ることはあるのでしょうか?というか、罰を下して欲しいと願うのは間違っているのでしょうか?
仏教の教えは、一切皆苦。これをありのまま受け入れろとは、厳しすぎます…。

【拙回答】

「一切皆苦」から「涅槃寂静」へ向けて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

拝見致しまして、これは確かにつらい状況であり、空回り小僧様が憤慨なさられて、悲観的になられるのもよく分かることであります。

「仏教の教えは、一切皆苦」・・もちろん、仏教の基本的な法印の一つとして「一切皆苦」、あるいは、「一切行苦」とも申しますが、むしろ、「一切皆苦」よりかは、「一切行苦」の方が使い方としては良いのかもしれません。

私たちは、特に「空と縁起」ということについての真理を知らず、無知、無明にありて、苦しむこととなってしまいます。

あらゆる「行」というのは、諸行、諸々のモノ・コトと捉える場合があれば、私たちの行いとする場合もあります。諸行無常の行とも関連しますが、拙生は、一切行苦については、無知・無明の中における私たちの行いのことと捉えております。つまり、これは「悪業」のことと考えることができるのではないかとも存じます。

もちろん、そう考えますと、無知・無明によらない行い、悪くない行いは苦しみにならないということにもなります。

そして、無知・無明を排しての善なる行いを積むことにて、迷い・苦しみから脱した法印の「涅槃寂静」へ至ることが私たちには求められることになる次第でございます。ですので、「一切皆苦」にだけとらわれて仏教を理解なさられることはお避け賜れましたらとは存じております。

とにかく、今、空回り小僧様の苦しみは、彼女の行い、A君の行いにとらわれて、それに依りて起こっているわけですが、道徳観、倫理観、貞操観においてその行いが悪いか、許されるかどうかは、個々の価値観によっても違うため安易に決めつけることは難しいですが、害する意図がなく、悪気がないのであれば問題がないのかもしれません。ただ、空回り小僧様が実際に苦しんでいる以上はその原因を解決する必要はございます。

ここは正直に、今のご自身の苦しみ、つらい気持ちの理由を彼女、A君にしっかりと伝えることで解決を目指されるが良いのではないかとは存じます。

それでもどうしても無理なようでしたら、それまでにて新たな縁を求められて、より自分が安心して、楽しく、幸せに過ごせれるような相手をお探しになられるのが賢明になるのではないかと存じております。

空回り小僧様のお幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16
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