hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

悩み事について

問い「せっかく、答えてくださったのに。」

問い「せっかく、答えてくださったのに。」

【ご質問内容】

相変わらず、悩んでいます。 
人は人と切り替えない自分の頑固さに 
嫌になります。 
此のところは、塩対応というのでしょうか。 
今でも、職場にいずらくなるくらいに冷たい対応が多いです。 
で、一度辞めますと言いましたら、それはそれで、怒られて。 
本当に生きた心地はしません。 
多分、死ぬまでこうでしょう。 
でも、もう、人生としては、もう、辞めたいです。 
スミマセン。 
楽しいとかはあまり思わないし。 
たまに会える方々が唯一の味方です。 
でも、わたしから誘うしか会えません。 
相手からお誘いはまずありません。 
それしかないのです。 
それしか生きられないのです。 
恋しろとかまだまだあるからとか。 
いやいや、同性からもだめで、同年代も年下からは馬鹿にされ、年上からはお小言ばかり。 
で、言った覚えてないのに、悪い事言ったかなんかで、虐められたり。 
私の人生って何でしょう。 
笑えます。 
ライセは幸せになりたいとか思ったりします。


【拙回答】

塩対応から砂糖対応へ

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「死ぬこと以外はかすり傷」や明石家さんまさんの「生きてるだけで丸儲け」など、辛いときや苦しいとき、しんどいときや自暴自棄になりそうなときに、たまにそんな言葉に励まされることがあります。

「生きていればこそ」、良い結果へと向けた良い因縁(原因と条件)に取り組めるチャンスがまだあるじゃないか、と。

あとは、やれるだけそれなりに頑張ったら、無理せずに「なんとかなるさ」ぐらいで、肩の力を抜いて、誰かに任せる、委ねる、頼るなど、うまく甘えられるようにすることも。

塩対応から、砂糖対応にも少しずつ変えていってみましょう。

川口英俊 合掌

問い「昔のこと」

問い「昔のこと」

【ご質問内容】

もう13~4年前になりますが、大学サークルで幹事をやり飲み会のお金を何人か分立て替えたときのこと。 
その中のひとり(後輩)の彼女(同級生)が私のところに後日きて、「彼、お金がないから払わなくていい?」と。私が「会計が狂う」というと、不機嫌そうに「ひとり払わないくらいでそんなに狂う?」といわれ、私が「私が立て替えてるの」というと一瞬だまり「じゃあもうわからないや」とどこかへ行ってしまいました。 
その後メールがきて、「さっきはいいすぎた。ごめんね」とかかれてあり、私も穏便に済ませたくて強く出れず「ううん。いいお年を」みたいに返信して済ませてしまいました。 
大学なので、その後顔を合わせる機会もありましたが、何事もなかったかのように、何も気にとめてない感じでした。 
なんだか、今になってですが・・・悔しくて情けなくて、バカみたいで。きっとばかにされてたのでしょう。だけど、人にそういうことを平気で押し付ける神経がわかりません。自分のお人好しさも情けないです。 
もう二度と会わないであろう人ですが、なんか急に思い出し、悶々と考えてしまいます。。


【拙回答】

驚愕した飲み会

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

悶々としてしまうこと、ありますよね。

まあ、色々と事情もあります。

若気の至りとして、どうか許してやって下さい。

大学時代の飲み会で思い出しました。

ある先輩がいましてね。

飲みに行こう、おごってあげるからと言われたんですが、その先輩はとにかくお金が無くて有名でして、本当かどうか心配だったんですが、ついていきました。もしかしたら私が支払うことになるのかも・・と・・

そして、いよいよ飲み屋ののれんをくぐるのかと思いきや、隣のコンビニでワンカップの大きな方を二つ買って、「よし、これをまず一気のみだ」と言われて一気のみし、「じゃあ、坂道ダッシュ」と言われるままに、なぜか坂道をついてダッシュして、しんどさと空きっ腹で酔いが回ってふらふらに。

「よし、そろそろいこうか」と言って、行ったのが、飲み屋ではなくて、結局うどん屋。そこで500円もしないが、意外にも多いうどんを食べておなかいっぱいに。しかも、なぜだか既にほろ酔いで話も盛り上がり、うどん一杯で一時間以上談義して、飲み会が終わりました。

なんとリーズナブルな飲み会!と驚嘆しました。一人千円も掛かっていないが、酔って、おなかいっぱい、しかも楽しく話もして・・立派な飲み会でした。

その先輩におごって頂いたのは、それが最初で最後でした。何となくふと思い出しました。先輩、元気かな?

何の話でしたっけ・・とにかく色々と皆事情があります。時にはまあ、許して飲み込んであげることも。。

川口英俊 合掌

問い「 記憶を消したい」

問い「 記憶を消したい」
http://hasunoha.jp/questions/1386

【ご質問内容】

何十年も前に受けた性暴力の記憶が今もよみがえって苦しいです。
私の身体は不浄だという思いにとらわれます。
もう人生も半分以上過ぎているはず。このままこの記憶に苦しめられるのは辛いです。
記憶を消したい。

【拙回答】

「不垢不浄」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

まず、仏教においては、心身ともに、「浄であり、不浄であり、浄であって不浄でもある、浄でもなく不浄でもない」というものであると説くこととなります。また、例えば、般若心経では、「不垢不浄」とも説かれています。

ただ、このことだけでは、仏教はなんといい加減な教えかと、不定主義に捉えられかねない恐れが出て参ります。そのため、仏教をしっかりと学ぶことで、その誤解も払拭させていかなければならないこととなります。

とにかく、少し先どって簡単に結論を述べさせて頂くならば、それらは、「浄」、「不浄」とも、実体としてあるものではないということを示すための方便としての教説となってございます。

真魚月様の身体も心も、もちろん、実体として存在しているものではありません。かと言って、何も無いわけではありません。現に真魚月様のお身体、お心は今まだまさにございます。ございますが、そのありようは「縁」によるものとして成り立っております。もう少し詳しく申しますと、モノ・コトは、全て因縁(原因と条件)により成り立っている「縁起」なるものということになります。

「縁」によるものである以上は、善き縁、あるいは善き因によることにより、善き赴きへと向かわせることもできるものである次第でございます。

残念ながら性暴力という悪い因縁により、今現在も真魚月様はそのトラウマに苦しまれている結果になられてしまわれておりますが、しかし、それも実体として、永久永遠に変わらない何かとして成り立っているものではありません。

つまり、逆に善き因縁をしっかりと調えていければ、その結果はこれからいくらでも変えてやることだってできるということでございます。

その最善の因縁とは何になるのかと申しますと、やはり、仏教的にはもちろん、仏教を学び修していくこととなる次第ですが、とにかく様々な苦しみにも必ずその因縁があるため、その因縁を見極めて、しっかりとより善くこれからの因縁を変えてやることができていければ、しかるべくに苦しみも無くすことができるということになる次第でございます。

どうか、その苦しみを乗り越えていくための智慧を仏教から少しずつでも学び修して頂けましたら幸いに存じております。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/

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http://hasunoha.jp/users/16

問い「黒いものがついてると言われました」

問い「黒いものがついてると言われました」
http://hasunoha.jp/questions/645

【ご質問内容】

最近知人から、「ずっと気になっていたんだけど、あなたの後ろに黒いものがついてるよ」と言われました。私をからかっているのだろうと思い気にするのはやめようと思ったのですが、気になります。黒いものってなんですか?

【拙回答】

イメージチェンジの機会

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

黒いものがついていると言われると、本当に嫌ですよね。気になるのも当然のことです。

これまでにも霊感や憑依に関することにつきましては、下記の各問いにて扱わせて頂いてはおります。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_319683.html

ただ、今回は霊感や憑依やらは別として、少し見方を変えて、「黒いもの」を知人からモカ様を見た雰囲気として、例えば、少し落ち込み気味であったり、悩みを抱えてしんどそうであったり、つらそうであったりすると、そのような雰囲気を知人が感じてしまうことがあったことからそのように心配気味に言われたのかもしれません。

よく「あの人には影がある」という言葉もありますが、それと似たようなイメージの感じかと思います。

であるならば、ここは一つのイメージチェンジの機会とするのも良いのではないかと存じます。

そのためにも、是非、善き縁(順縁)を集めることに取り組まれることが良いのではないかと存じております。

問い「自分自身の価値が見出せません。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1004501330.html

『・・例えば、善き縁を集めること(順縁)に努力して参りましたら、良い意味を見い出していけれるものとなりますでしょうが、悪き縁を集めること(逆縁)になってしまっていけば、やはりあまり良い意味は見い出せなくなってしまうというものになることでしょう。・・』

『・・善い価値を見い出すには、善き順縁を得ていくことが大切となるため、心の状態、行動の動機をより善くに調えていくことも必要になるかと存じております。あまり後ろ向きなことばかりを考えていては、とても善き順縁は望めません・・少しだけでも、前向きに、明るく、元気良くを心掛けていかれることだけでも、少しは変わっていくのではないだろうかと存じております。・・』

どうでしょう。まずは簡単に少し明るい目のファッションの服装や持ち物を調えることからでも試されてみられてはいかがでしょうか。既にそのようでありましたら大変に失礼致しました。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/

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http://hasunoha.jp/users/16

問い「考えすぎて自分だけどころか他人も傷つけてしまう。」

問い「考えすぎて自分だけどころか他人も傷つけてしまう。」
http://hasunoha.jp/questions/418

【ご質問内容】

私は親に色々尽くしてもらったりしてても
自分が自意識過剰で考えすぎで人の事をすぐ疑ったりしてしまいます。

ついさっきもそれで親のせいみたいな言い方をしてしまって
親に「もうどうしたらいいかわからない」と言われてしまい傷つけてしまいました。

ゴメンねって謝って「いいよ。気にしなくていいから。」って
言ってくれたけど本心ではない感じがしてます。

私はこうやって人の事をすぐ疑って人も自分も傷つけて
人からもっと心を閉ざしていってしまうのでしょうか。

しかも母親がテレビ観て私が自意識過剰で自分に自信がない人は
いっぱいいてそういう人はこうしたらいいみたいだよって
いい話してくれたのにまた同じような事を言ってしまって
「なんか言っても意味なかったね」って言わせてしまいました。

あそこで私は素直に受け止めればよかったのにって後悔してます。

でもまた明るく楽しくしていきたい気持ちはあります。
なんか自分勝手ですよね。

どうしたら
人の事を素直に受け止めて信じていけるようになるでしょうか?

どうしたら
変な考え方をしたり
自分を苦しめたり他人を疑ったりしなくなりますか?

自分をうまくコントロールする技ってありますか?

【拙回答】

縁起と空

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

自意識過剰・・当然に誰もが一番に自分の事に関心があって当然であり、自意識することは、当たり前と言えば当たり前です。

しかし、私たちは一人で生きている、また生きていける存在ではありません。必然的に他との関係、繋がりにより成り立っている存在であります。このことを仏教的には「縁起」的な存在と申します。

そのため、人間関係においても、一体、自分は他人からどう思われているのだろうか、嫌われていないだろうか、変なようにみられていないだろうかと気になるのも、良好なバランス関係を保つためにはある種の自己防衛的な反応と言えるのではないだろうかと存じております。

もちろん、あまりにも過剰すぎると弊害もあるかとは思いますが、自意識が自己向上や自己改善、他との関係向上、関係改善に役立つこともあるため、一概に悪いとは言えないものであるとお考え下さい。

問題は、様々な関係性へのマイナス要素となる場合でございます。もちろん、親子関係であれば、それ程に問題にはならないかとは思いますが、やはり他人とのコミュニケーションのバランスを考えると、過剰な反応がマイナスになってしまうこともあるかとは存じます。

そこで、過剰な自意識へのとらわれの悩みを解消するために、仏教的には、少しずつでも「空」の理解を進めることで、強い自我意識へのとらわれを離していくことが求められるものとなります。「空」と言っても難しいですので、例えば、「自分が、自分が」では成り立たないという存在であることを理解していくということであります。

そして、「自分が、自分が」となってしまっている意識を、その「自分が」という存在は、他との関係性の中で成り立っている、自分一人では到底に生きてはいけない、存在できない立場であり、他との関係性をより良く大事にして、意識的に他のことをもっと思い遣れるようになっていこうとして、言動に注意を払うようにしていくということが大切になります。基本的には、自分のされて嫌なことは他にしないということを心掛けることでも随分と変わってくるのではないだろうかと存じております。

もちろん、すぐには難しいことですが、少しずつでも経験していく中で、失敗もしながら、成長していければ良いのではないかと存じます。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「シンプル、単純明快な思考」

問い「シンプル、単純明快な思考」
http://hasunoha.jp/questions/393

【ご質問内容】

自分は悩みや不安があるとき、
物事を複雑にかんがえてしまい、頭が混乱してしまうのが
最近の悩みです。
どのようにしたら単純明快に物事を考えることができるでしょうか。
悩みがあっても単純、シンプルに考えて
シンプルに生きたいと願うのですが、どうしても悩み始めると
いろいろ考えてしまいます。
よろしくお願いいたします。

【拙回答】

「空と縁起」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

大鐵様と同様に、一元論、あるいは二元論的な考え方は極端、偏見に陥りやすく、「中道」を説く仏教ではあまり宜しくないことと考えます。

もちろん、この世界が元々シンプル・単純であるならば、答えは簡単で、何ら問題も生じませんし、悩み苦しみも生じるはずがありません。

いや、もしかすると本来はシンプル・単純な世界であるにも拘らず、無明(根本的無知)と煩悩により私たちが複雑怪奇化させ過ぎて、その中で、とらわれ、こだわり、かたよりを生じさせてしまい、悩み苦しんでいると考える方が正確なのかもしれません。時に仏教では無分別智や離戯論という境地を目指すというのもこの一端が伺えるところでございます。

では、どうこの世界がシンプル・単純なのかと言いますと「空」ただそれでシンプル・単純なのです、と答えれることはできるかとは存じます。もちろん、「空」とはいえども、存在は存在しています、それは「縁起」として一応仮に成立していると捉えることとなります。問題は、この縁起関係にあるものを、それぞれ実体視して、とらわれ、こだわり、かたよりを生じさせてしまうことにあると考えることができます。

そこで、一つには、確かにこの世界は「空」でシンプル・単純であるとして説明されるものの、それは、この多元的縁起の広がりの世界の中では、これだと実体視して、決めつけられるものは有り得ないことを理解するためであります。

そして、この「縁起」により成立している世界では、「空」といえども「無」ではなくて、無数の相互依存的関係性により様々なものが成立していることを理解することも重要となります。存在だけでなく、概念も含めてです。善悪、生死、有無、優劣・・迷悟もです。

それは例えば、迷い苦しみにも実体は無い、悟りや涅槃にも実体は無いが、「縁起」により有り得るものということの理解であります。

・・っと、まあ、迷い苦しみがあるからこそ、確かなる「縁」(仏縁や善根)によりて悟りや涅槃を証得することも有り得るのだということでございます。迷い苦しみがなければ、そもそも悟りを目指そうということさえも起こらずに無明の中をさまよい続けるだけとなってしまいかねないこととなります。迷い苦しむことから仏道も始まることとなります。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「質問では無いのですが…」

問い「質問では無いのですが…」
http://hasunoha.jp/questions/260

【ご質問内容】

はじめまして!
昨日友人のTwitterからhasunohaを知って興味を持ちました☆
お坊さんってお葬式の時にしか見かけないし、実際お寺にお参りしても会った事が無い様な気がします(^^;;

ですが、このサイトに回答を読んでいるとお坊さんが近い存在に感じたし、仏教って心に優しい宗教なのかな?って思いました。

私は悩みが無さそうだよね?って良く言われるので余り悩みを人に打ち明け辛いです…。これから悩みがあったらここに相談すれば!って思いました?

…って質問では無くてすみませんが、気持ちを伝えたく書き込みました。

あ、質問に入るかわかりませんが、スマホ対応にならないでしょうか?
結構早打ちな私でも時間がかかってしまいました(´・_・`)

【拙回答】

ありがとうございます。

この度は、お励ましのメッセージを賜りましてありがとうございます。川口英俊でございます。

hasunohaを通じて、お坊さんを身近に感じて頂きまして、また、仏教についても良い印象をお持ち頂きまして、誠に恐縮に存じております。

まだまだ未熟なるところもあるかとは存じますが、どうぞ温かく見守って頂きながら、是非、色々と参考にもして頂きつつ、仏縁にも触れて頂ける機会を実際にお持ち賜れることとなりましたら幸いでございます。

スマホ対応に関しましては、運営サイドにおけるシステム開発中にて、今後対応して頂けることになるかとは存じますが、まだしばらくの間はお待ち頂くことになるかと存じております。申し訳ございませんが、どうか今しばらくはご容赦の程を宜しくお願い申し上げます。

もちろん、何も無いに越したことはありませんが、何か悩みごとがございましたら、どうぞhasunohaへと何なりと打ち明けて頂いてご相談をして下さいませ。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「人の成功を喜べません」

問い「人の成功を喜べません」
http://hasunoha.jp/questions/184

【ご質問内容】

はじめまして。
私は昔から他人の成功を喜ぶことができない性格なのです。

例えば、友達が仕事で成功したり、難しい資格に合格したりなどの話を聞
と、表面的には一緒に喜びますが、心の中では悔しいような、寂しいような、
不安な気持ちが沸いてきます。
親しい関係であればあるほど、その気持ちは強くなります。親友や恋人に
対しては特に強く感じます。逆に親しくない関係の人の成功は素直に喜ぶ
ことができます。

自分でも嫌な性格だな、と思ってはいるのですが、どうしようもないのです。
誰でも少しは似たような嫉妬の気持ちはあると思いますが、自分は特に強く
嫉妬してしまいます。

この気持ちはどう整理すればよいのでしょうか。

【拙回答】

「随喜功徳」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

「嫉妬」は煩悩の一つであり、誠にやっかいなものでございます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/嫉

嫉妬や煩悩に関しましては、これまでにも下記問いにて少しく扱わせて頂いております。

問い「嫉妬する気持ちを消したい。軽くしたい。」
http://hasunoha.jp/questions/134

問い「人の悩みって」
http://hasunoha.jp/questions/82

問い「世の中で一番醜い事は」
http://hasunoha.jp/questions/66

上記の拙回答の内容とは少し違った観点から今回は述べさせて頂こうかと存じております。

仏教には、「随喜」という言葉がございます。

字の通りに「喜び随う」となりますが、他の者の善徳行や慈悲・利他行について、喜びの心を起こして、その功徳に随うことであります。

「随喜功徳」と申しますと、法華経の「随喜功徳品第十八」が有名でありますが、迷い・苦しみある者たちを救うというために行われる善徳行や慈悲・利他行について、誠に有り難く、尊いことであり、私もいずれはしっかりと行えるように調えて参りたいという心を生じさせることが仏教において肝要となります。

大抵の場合、嫉妬は世俗的な欲望において起こることでありますが、世俗的なことにおいても、自分自身もいずれは同じように成功したいと思うのであれば、嫉妬による言動は結局のところ悪い結果しかもたらされることはないので、できるだけ慎んで、できれば一緒に喜んであげて、自分もいずれは同じように成功したいとして精進努力して調えていくことが望ましいことであるかとは存じております。

その成功も、できれば「自分のため」ではなくて、「人のため、社会・世の中のため」ということでの成功を目指すようにしていくことが、自ずと自分のためにも繋がっていくのではないかとは存じております。「自利利他」ということでありますが、それを仏教においては、「全ての迷い・苦しみある者たちのために」ということでの善徳行や慈悲・利他行とすることを更に目指していくことが大切となって参ります。

なかなか嫉妬などの煩悩を無くしていくことは難しいことではありますが、是非、共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/users/16

問い「気持ちの切り替えができません。」

問い「気持ちの切り替えができません。」
http://hasunoha.jp/questions/178

【ご質問内容】

ちょっとした失敗や、恥ずかしいことがあると何日も何日もそのことを気にしてしまい、辛いです。
友人達に言わせたら「そんなことで」というレベルのことでも、くよくよ悩んでしまいます。
どうやったらもっと楽天的になれるでしょうか?

【拙回答】

「慚愧」(ざんき)

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

「ちょっとした失敗や、恥ずかしいことがあると何日も何日もそのことを気にしてしまい、辛いです。」・・私も若い頃も今も変わらずに、はやと様と同じであります。

ちょっとしたことでも気にせずに流すことができたら良いのでしょうが、なかなかそうもいかず、悩んでしまうことが多々でございます。

はやと様には難しい言葉かもしれませんが、仏教において「慚愧」(ざんき)という言葉があります。これは善い行いとして推奨されていることであります。

「慚」は、自分の心の中にて悪いことを反省したり、恥じたりすることです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/慚

「愧」は、悪いことを恐れたり、または他の者に対して反省や恥じたることを表すことです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/愧

このウィキペディアの説明の中では、涅槃経というお経において、「慚愧」が無ければ、「畜生」(動物たち)と同じであるとまで厳しく述べられてもいます。

ですので、はやと様がこの「慚愧」をなさられていることは、実に尊いことでもあり、あまりそのことを気になさられることもないかとは思っております。

逆にあまりにも楽天的となってしまって、反省することや恥じ入ることをせずに、「慚愧」を無くしてしまえば、短絡的な生き方や刹那主義的な生き方、傲慢・高慢な生き方、無恥無礼な生き方にも繋がってしまう恐れもありますから、十分に気を付けないといけないと考えております。

以上、難しいことを述べさせて頂きましたが、私も色々とこれからも大いに反省し、恥じ入ることをしながら、できる限りに善い生き方を心掛けていくことができましたらと思っております。

是非、共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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問い「人の悩みって」

問い「人の悩みって」
http://hasunoha.jp/questions/82

【ご質問内容】

悩みごとって常にありますよね。今も悩んでいたり、うまくいかないことに苛立ちを感じたり、ストレスで胃が痛くなったりすることもあります。
でもよく考えてみると、5年前に自分が悩んでいたことって今思うと大したことないというか、たとえば当時すごい合わない上司がいて、そんな上司を評価する会社が毎日嫌で仕方なかったけど、今思うとそんなの見返してやるか、会社辞めれば済むだけの話で胃が痛くなるほど何か悩むことだっけ?と思ったりします。
結局人の悩みってなんなのでしょうね?
それがわかれば今悩んでることも、大したことないように思える気がしますが、わからないから悩んでるのでしょうか?

【拙回答】

「煩悩」も「空」であり、「縁起」なるもの

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

悩み煩い、つまり、「煩悩」につきましては、下記の問いにおきまして少し扱わせて頂きました。

問い「世の中で一番醜い事は」
http://hasunoha.jp/questions/66

更にここにて補足をさせて頂きますと、「煩悩」はいつまでも「ある」と言えるものではなく、色々と変化していくもの、つまり、「煩悩」にも実体は無く、「空」であり、様々な条件や原因・因縁、つまり、「縁起」にて一応あると言えるものとなります。当然に無くすこともできるものとなります。

その原因としては、無明(根本的な無知)や悪業、悪業の習気(じっけ)などが考えられます。

もう少しその原因を詳しく述べさせて頂きますと、「真実執着・真実把握、迷乱知・顛倒知、染汚の無明、不染汚の無明、倶生の諦執」などと言ったものとなりますが、まとめて簡単には、モノ・コトの実体視による執着、我執(自我への執着)や法執(自我以外における全ての存在に対しての実体視執着)が原因として、様々な「煩悩」が生じて、その煩悩に縁っての行為(身・口・意による)が、心(相続上)に悪業として集積・熟成、相続されてゆき、後に悪い結果を生じさせてしまうこととなるわけであります。悪因苦果、因果応報というものであります。

「煩悩」は、実体としてあるものではなく、様々な「縁」によって、例えば、善徳の実践として、戒律を守って、道徳的・倫理的に品格を保って過ごすこと、その代表としては十善行(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見)があります。あるいは、慈悲・利他行などの実践、また、瞑想や坐禅などの禅定の実践、更に、智慧の開発(かいほつ)などによって、煩悩を抑え込んで、また出てこなくすることやその原因を完全に断つことで煩悩を無くすことも可能になる次第でございます。

上記のことは、煩悩を対治して悟りを目指していくためには、つまり、仏教における戒・定・慧の三学を進めていく必要があるということと言えますでしょう。

赤澤貞槙様の「草取りは、苦悟り、苦を抜けば悟りが残る」のお言葉は、誠にわかりやすい表現でありますね。日々油断せずに根こそぎに苦の原因を抜き取って参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16
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