hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

日々の充実について

問い「生きて行く上で充足感が得られません」

問い「生きて行く上で充足感が得られません」

【ご質問内容】

先日ある方の講演会で、人生には縦軸に充足感と孤独感不満で横軸に病気貧困と成功名声。 
いくら成功名声を手に入れても、本人には孤独感や不満感が顔の表情に出て、何故か満たされない雰囲気がある人になるくらいなら、たとえ貧しくても病気を抱えていても人生に充足感が出ている人になりたいとおっしゃいました。

おっしゃった意味はよくわかります。 
私には勿論、地位や名誉も有りませんし、今迄生きて来て人に話せる事も何も無く、人生に充足感が全くありません。 
そして今は仕事も辞め、親の介護を担っています。 
人様には介護をしてると言いながらも、私の心の中は心配を掛けた親だから介護をしなくてはいけないと言う気持ちと、もういい加減にして欲しい、今すぐに親から距離を置きたいと言う気持ちがいつも交錯しています。

知り合いからご両親が介護する事無く亡くなられたと聞くと、「羨ましい」「どうして私ばっかり」などと思ってしまいます。

何事にも一生懸命やれば充足感は得られるものでしょうか? 
それはその人間性によって違うものでは無いでしょうか。

すみません文章がまとまっていませんが、よろしくお願いします。

【拙回答】

死後に持っていけるものは・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教では、死後に持っていけるものは、自分の行いの集積(業・カルマ)だけであるとされます。

「世間の八法」(利得、損失、称賛、非難、誉れ、誹謗、楽、苦)と言われているものに惑わされず、真なる心の平安としての悟りへと向けて、より善き行いに努め励んで参りたいところでございます。

孝行もその一つであり、誠に感謝申し上げます。

仏教では幾重も輪廻を経る中において、もしかするとあの人もこの人も、いや、あの虫もこの動物も、過去世における母(父)であったのかもしれないとして、慈悲を滋養することがございます。

もしか致しますと、とらのこ様の親御様も、過去世では私の母・父であったのかもしれません。過去世での母・父であったのであれば、その恩に報いる行いをして頂いているとらのこ様に対して、深く感謝致さなければなりません。

とにかく、皆、支え合い、助け合い、分かち合い、補い合いが必要であるのが、この世のありようでございます。しっかりと慈悲を滋養しての善行に努めて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

問い「自分の存在価値がわかりません」

問い「自分の存在価値がわかりません」

【ご質問内容】

自分の存在価値がわかりません

顔も性格も頭の良さも悪く、価値のある人間には程遠いです 
病気なのかと思うくらい不器用で沢山もがいても時間がかかるし、皆についていく事しかできません 
こんな私が人から必要とされたいと思うのは贅沢なことでしょうか?高望みでしょうか?

正直、生きるのも辛いです。 
生きづらいです。こんな私が居ることで迷惑をかけているのが申し訳なくて。

どうしたら価値のある人間になれますか? 
価値のある人間はどういう人のことですか?


【拙回答】

「一水四見」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

本来、価値や評価、意味、理由というものに、「これ」と決められる、決めつれられるような実体的なものは、ありません。

また、各々の立場や都合、偏見等によっても、様々に異なっていってしまうものになります。

一つの物事でも、立場に応じて見方、捉え方が変わってしまう。例えば、仏教でも「一水四見」という言葉がございますが、私たち人間にとっては「水」であっても、天人にとっては宝石のようなもの、魚にとっては住処、餓鬼にとっては火と、それぞれで捉え方が異なってしまうものとなります。

あるいは、「手を打てば 鳥は飛び立つ 鯉は寄る 女中茶を持つ 猿沢の池」というように、池のほとりで、パンと手をたたくと、鳥は驚いて逃げ飛び立ち、鯉は餌がもらえるものだと寄ってきて、茶屋の女中は呼ばれたと思い注文を取りにくる・・一つの行為でもそれぞれの立場で捉え方が異なってしまう例でございます。

とにかく、価値や評価、意味、理由というものは、「これ」であるとして、あまり、とらわれてこだわってしまってもいけないということでございます。

もちろん、価値や評価、意味、理由が全く無いと言っているわけではありません。良い因縁(原因や条件)によれば、良いものとなるでしょうし、悪い因縁(原因や条件)によれば、悪いものにもなるでしょう。

悪いものであっても、自分の考え方、心の持ちよう一つで、実は良くなったりもする、そんな程度のものなのです。

「人間万事塞翁が馬」、「禍福は糾える縄の如し」といったこともそうです。何がどうなるのかは、本当に考え方、捉え方次第。

できれば、短所や劣っていると思えることでも、考え方一つで、それを前向きに捉えて、良い方向へ、長所へと向かえるようにしていくことだってできるかもしれません。短所をチャンスに変えることだって。

あまりご自身を卑下なさられ過ぎずに、そして、焦らずに、できることを一つ一つ増やして、自分に自信をつけていって頂けましたらと存じます。

川口英俊 合掌

問い「明日死ぬかもしれないのに、努力できるのはなぜですか?」

問い「明日死ぬかもしれないのに、努力できるのはなぜですか?」

【ご質問内容】

「明日死んでも悔いのないように生きる」 
という考え方と

「目標にむかってコツコツ努力する」 
という行動が、どうしても矛盾してしまうように思います。

1日で達成できない目標がある場合、その過程で死んでしまったら悔いが残るように思えて、コツコツ努力できない自分がいます。

もし本当に明日死んでしまうのであれば、1日でやりきれる楽しいことを選んでしまうのが普通ではないでしょうか?

目標に向かって進んでいれば、道半ばで死んでしまっても救われるのですか?

教えて下さい。


【拙回答】

「目標」をどこに設定するのか

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

人生の「目標」をどこに設定するのかによって変わってくるかとは存じますが、今生における世間世俗的な幸せ(お金や地位や名誉や権力など死ねば消えてしまうような幸せ)を目標とするのであれば、死んでしまえばそれで終わりとなってしまいます。

一方、仏教では、今生だけではなく、来世、来来世も引き続いていく心(心の連続体・心相続)の向上に取り組むことで、やがて「悟り」へと至ることが目標となります。

今生だけの世俗的な幸せを目標とするのか、それとも仏教の目指す究極的な悟りという幸せを目標とするのか・・後者を目標とするならば、仏教を修習し、智慧の開発と福徳行(善徳行・方便行)に精進努力していくことが必要となって参ります。

何よりも、これからの心相続、心の連続体の赴きにおいては、己自身の行い(業・カルマ)によって、その赴く先、境涯が決まっていくこととなります。

ですので、できる限り、この今、現在、そしてこれからも、確かなる仏道を歩みて、善き業・カルマをしっかりと調えることで、より善い赴き先、境涯へと向かえるように調えて参りたいものでございます。

できましたらこれを機会に、少しなりにも仏教に興味を持って頂きまして、是非、学びを進めていって頂けましたら有り難くに存じます。

共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「生きたいと思うには?」

問い「生きたいと思うには?」

【ご質問内容】

はじめまして。お忙しいところ申し訳ありませんが、宜しくお願いします。

私は今まで生き急ぐ(死に急ぐ?)生き方をしてきました。

元々「生きたい」と思わず、 
「人生は思い通りにならないのが普通だ」とか、「みんな同じ、みんな大変」という言葉を耳にしてから、尚更生きたくなくなりました。

もしも人生というものが、細々とした幸せと大半の苦労でできているのならば、もうこれ以上、僅かな幸せの為だけに生きていたくありません。

何十年生きて、心からの幸せを感じたことがないことも拍車をかけています。 
「幸せは自分の心の中にある」と心の持ちようを変えても見ますが、幸せを感じる為に毎日あれこれ考えて、少し気力が出てきた頃に就寝時間がやってきて、朝起きると…また気持ちが沈んでいます。 
無理やり作った幸せは、心が納得していないようです。

頑張っても報われない。あと何十年もこれを繰り返さないといけないのかと思うと途方に暮れます。

「その人の為に生きたい」と思えるような人もいません。

やりたいことは、暇つぶし程度ならありますが、その為に生きたいとは思えません。

心理学の言葉をお借りすると、私の状態は「アダルト・チルドレン」の症状が最も近い気がします。

今回お聞きしたいのは、 
このような人間が心から「生きたい」と思えるようになるには、 
無理ではなく、心からの幸せを感じるにはどうしたらよいか 
ということです。

どうかご教授頂けないでしょうか。 
長文になり申し訳ありません。

【拙回答】

真なる幸せへと向けて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

世間的な「幸せ」というものは、所詮のところ、儚いもので、無常で変わりゆくものであり、また、「求不得苦(ぐふとっく)」(求めても求めても満足できない、得ることができない)という苦しみに繋がってしまうものでもあります。

仏教では、そのような「世間的な幸せ」ではなく、「真なる幸せ」となる「悟り」・「涅槃」という境地を目指すこととなります。

『心から「生きたい」と思える』ためには、まず、「生きる」とはどういうことであるのかについて、考えてみることも大切となります。

私たちは、自分が自分で「生きている」という感覚を持ってしまいがちですが、そうではなくて、色々なものに助けられて、支えられて、生かされることで、何とか生きることができています。

「生きたい」と思うためには、他との様々な有り難く、尊い関係性についても考えることが必要になるかと存じます。

また、夢や希望や目標も、「生きたい」ということには必要かもしれませんが、世間的なものでは、満足できないことも、もちろん仏教の観点から十分に理解できるところでございます。

この際、世間の八法(利得、損失、称賛、非難、誉れ、誹謗、楽、苦)には、真なる幸せなどなく、仏教の目指すべき真なる幸せとしての「悟り」・「涅槃」というものへと向けて、仏教に関心をより強く持って頂きまして、仏法を学び修していかれることを、ご一考下さいましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

問い「何一つ人生で充実感がない」

問い「何一つ人生で充実感がない」

【ご質問内容】

私は本当に何もできなくて、親にも周りの人からも嫌われます。 
自分に自信がなく、やりたいこともなんにもなく三大欲求だけあって動物みたいに生きています。 
ニートみたいな生活しています。 
でも人と関わるのは怖いです。頭が悪くて会話が出来ず、私がどんなに優しい態度で接しても誰からも好かれません。顔が怖いとよくいわれるのですが、そのせいかな?と思っています。(普通の顔が目付きが悪くて眉毛がつり上がってて口角が下がっていて隈がひどいので) 
19年生きてきて付き合った人もいなくて友達もいなくて好きな人にも嫌われていたので辛いです。 
自分には何もないし、誉められたこともないのでなんの充実感も得られたことが少ないです。 
趣味もないです。強いていうならハスノハです。 
何に手をつけてもダメで、続けることができません。 
今までの性格とか、やってきたことが間違ってたのかと思うと自分はなんてダメなんだと思います。 
でも人に好かれて楽しいことをするキラキラした人生を送ってみたいです。 
まずはどうしたらいいんでしょうか?

【拙回答】

hasunohaは智慧の宝庫

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「趣味もないです。強いていうならハスノハです。」・・

当「hasunoha」を趣味として挙げて頂けますこと、誠に有り難く、尊いことでございます。

なぜならば、hasunohaは智慧の宝庫、回答僧侶による珠玉の言葉たちが、散りばめられているからでございます。

きっと貴女様にお役に立てることのできる内容もあることでしょう。

是非、hasunohaを機縁として頂きまして、仏教にも関心を高く持って頂きまして、仏教の学びを進めて頂ければと存じます。

とにかく、まずは自分という存在をしっかりと、そのままを認めて、できることならば、いったん、色々と自分で自分のことを全て許してあげて下さい。そして、人に好かれるようになれる自分というものへと、これから向かっていこうとする自分を好きになってみて下さい。

やがて、自分で自分のことが、より好きになってくれば、きっと人からも好かれていくことになるのではないかと存じます。

また、もしか致しますと、自分で自分を卑下してしまう連鎖が、更に自己嫌悪、偏見へと向かってしまっている場合もございます。下記の動画も少し参考にして下さいませ。

「あなたは自分が思うよりもずっと美しい」


川口英俊 合掌

問い「 信じる、自分を、そのために」

問い「 信じる、自分を、そのために」
http://hasunoha.jp/questions/812

【ご質問内容】

自分を大切に信じられるようになりたいです。

考えの幅を超えて、自分軸を大切にしていくために日常的に行えることはありますか?

なんでもアドバイスいただきたいと思います。
おねがいします。

【拙回答】

自信について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

自分を信ずることができれば、それが「自信」ということになります。ですので、これが自分というアイデンティティーを成り立たしめているもの(例えば、目標、夢への取り組み、できること、得意なことや技量、資格等)を確立させていくことが、やがて「自信」へと繋がっていくのではないだろうかと存じております。

あゆみ様にも、目標や夢がありますでしょう。。いずれにしましても、自信というものは、その目標や夢、より良い人生や幸せという結果へと向けての一つの条件や原因としていくべきものであって、それは日々の精進努力を抜きにして成り立つものではありません。仏教でもこの因果の法は何事を考える上でも大前提となってございます。

それと、「考えの幅を超えて」ということが少し気になりましたが、例えば、何か幸運や偶然の突発的な出来事による変化を期待するのではなくて、しっかりとご自身の思考の中で思い描いておられる結果へと向けて、同じくご自身の思考の範囲内にて、現実においてできることをできるだけコツコツと取り組んでいかれるようになさられるのが、やはり良いのではないだろうかと存じております。

また、自信につきましては、これまでにも下記の各問いに回答させて頂いておりますのでご参照下さいませ。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/自信

また、同じような問いと致しましては、下記のようにお答えをさせて頂いております。

問い「どうすれば自信がつきますか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002972293.html

「・・あなたご自身も、元々優劣はありません。優劣は、ただ色々な関係性の中において一応は相対的に判断ができるものの、実体として、固定して捉えることができないものであります。あなたご自身はあくまでもあなたご自身として、現実に即してやれること、できることで頑張っていかなければならないのであります。・・」

上記のことは、既に石橋晃倫様もおっしゃておられることにある程度近いのではないかと存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「興味と情熱が長続きしません。」

問い「興味と情熱が長続きしません。」
http://hasunoha.jp/questions/489

【ご質問内容】

タイトル通りの悩みです。
やりたいことがたくさんあります。語学、美容、遊び、仕事のスキルアップなど挙げればきりがないです。

ですがそれに着手した途端、興味が消えてしまいます。
それではだめだと思うので続けようとはするのですが、だらだらずるずると続けていくので成長はしません。

どうしたら最初から最後まで、物事に集中できるのでしょうか。
元は興味のあったことなので、続けられないことが疑問で仕方ありません。私だけでしょうか。みんなどうしているのでしょうか。

【拙回答】

モチベーション維持のために

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「地に足付いていない」という思いの心境が、「つちふまず」というニックネームにも表れているのでしょうかね。。

他の皆様もおっしゃっておられますが、まだ10代、心配はいりません。まだまだお若いのですから、色々なことにチャレンジして、学ばれて経験していくことも大切ではないかと存じております。

歳を取っていけばいくほど、そうは無理ができなくなって参ります(実感中)。今のうちに色々と試される中で、やがてこれだというものに出逢われたら、きっと継続していくこともできるのではないかと存じております。

ただ、モチベーションの維持へ向けては、幾つかのことを意識して取り組む必要もあるかとは存じます。

一つは、目標を明確化させることです。それも到底実現不可能なものでなく、また、あまりに先となる長期的なものでなく、自分の実力、努力にて可能となる範囲内で、短・中期として、例えば、一ヶ月毎、三ヶ月毎、半年毎ぐらいずつに、それも手帳やスマートフォン・携帯の予定欄やメモ欄に明記しておいて、常に意識できるようにして、その目標を達成していくごとに、何か自分へのご褒美も考えておいて、一つ一つ充実感・達成感がもたらされるようにしていくと良いのではないかと存じております。

二つ目は、あまり無理はせずに、休息や気分転換を適宜に入れることです。頭も身体も情熱という熱を出し続けて進めようとしても大変で、やがて疲れきってしまいます。時には熱冷まし、クールダウン・冷静になることも必要です。

三つ目は、あまり他と比べて劣等感や自己嫌悪に陥らないように注意して下さい。自信を失う原因となり、モチベーションも一気に低下する恐れがあります。下記の各拙回答も参考にして下さい

拙回答一覧・タグ「比べる」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/比べる

四つ目は先生、先輩・後輩、励まし合う友だち、ライバル等、人間関係を良好に保つことです。

この人間関係の悪さにて、学校や職場など色々な場面で悩みを抱えられてしまっているご質問も本当に多くございます。人間関係のつまづきも大きくモチベーションに影響致しますので、誠に注意が必要かと存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「嫌なこと 忘れたい事」

問い「嫌なこと 忘れたい事」
http://hasunoha.jp/questions/456

【ご質問内容】

嫌な事や忘れたい事をスパっと忘れて生きて生きたいです。
ネットで見た誹謗中傷や現実で言われた嫌な事を忘れたいです
ですが自分の性分なのかいつまでも引きずってしまいます・・・
一番最悪なのが楽しい時間一番リラックスできる時間にパッとフラッシュバックしてしまう事です、わかりづらいので例題を挙げさせてもらうと
仕事が終わり食事やお風呂を済ませ寝る前に買った本を少しづつ読むのが僕の日課であり日の安らぎ、そして一番楽しい時間です。
ですがこの時間帯に思い出したくも無い記憶がフラッシュバックしてしまい読書が思うように楽しめないんです。
早く忘れて楽しい時間を取り戻したい
そして何より些細な事に悩まされて悔しいです。
気持ちを切り替えられる方法や忘れられるほう方があるなら教えてください。
初めて利用させてもらいます もし使い方や質問の仕方に間違いや不愉快な思いをさせるようなことがあるなら申し訳ありません ご指摘お願いします

【拙回答】

過去へのとらわれの対処法

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

過去の嫌な事や忘れたい事にとらわれて苦しむこと・・拙生にももちろんございます。しかし、仏教を学び進めていくうちに、少しずつ改善されて参りました。特には、過去、現在ということのありようをしっかりと理解することで、過去を踏まえての今があるのは確かですが、それよりも今の瞬間瞬間の心の状態をより善くに調えていくことが大切であるということに気づくことで、過去へのとらわれを少しずつ離していくことができるようになって参りました。

問い「現在の一瞬だけを強く生きるコツ」
http://hasunoha.jp/questions/308

『・・既に過ぎ去った「過去」は、もう過ぎ去ったものですから、既に「現在」にはありません。もちろん、「過去」を思い浮かべて、あたかも「有る」ように錯覚してしまいますが、思い浮かべているのは、あくまでも「現在」の自分です。・・』

ただ過去は過ぎ去って無いとは言っても、今現在の自分に繋がっていることなので、全く関係ないとも実は言えません。過去の出来事は、良くも悪くも今の自分へと繋がっている原因や条件となっているものと言えます。

『・・むろん、過去がなければ、今の自分はあり得ません。更に今の自分が無ければ、未来の自分も可能性としては有り得ないことになります。過去と現在の自分は明らかに繋がっている、また、現在の自分は未来の自分とも繋がっていくものと言えるので、異なってはいないのだけれども、もちろん同じとも言えません。このことを難しいことですが、「不一不異」と言います。・・』

問い「学生ですが生きる理由が分かりません。」
http://hasunoha.jp/questions/185

『・・私たちは「今」の瞬間瞬間の連続体の中でしか「生きる」ことができないのであります。・・』

問題は、過去へのとらわれを離せるように、過去の出来事は過去のこととし、「今」のこの瞬間瞬間における心の意識に集中して今を生きていくことが大切となります。佐川様にも是非、少しずつでもそのように調えられていかれましたらと存じます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「心の健康のために 」

問い「心の健康のために 」
http://hasunoha.jp/questions/423

【ご質問内容】

いつも大変お世話になっております。

自分は最近「心が健康である」ことが生きるうえで
とても大切だなとつくづく考えております。

ただ、心を健康にするために、何をするべきなのか、なにをしたらいけないのか、いまいちわかりません。

そこでぜひお坊さんの意見を賜りたいと思いました。

心の健康のために
・するとよいこと、
・避けた方がよいこと
をご指導ください。よろしくお願いします。

【拙回答】

「八正道」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

心の健康のために・・そうですね。やはり仏教的には、「中道」を保つということになるでしょうかね。。

「中道」につきましては、最近では下記問いにて扱わせて頂きました。

問い「不登校、学校に行くということ」
http://hasunoha.jp/questions/416

『・・仏教的な難しい言葉で言いますと「中道」となるのですが、とにかく無理できないならば無理しないことです。当たり前のことですが・・例えば、琴の弦は強く絞めすぎると、やがて弦が切れてしまって音が出せなくなってしまいます。かといって、絞めるのが弱すぎると弦はゆるんでしまって音が出なくなってしまいます。強くもなく、弱くもない、中くらいに締めたところで琴の弦は丁度良い音が出ます。このように、加減をしっかりと推し図りつつに、無理せずにご自身のペースで取り組んで頂けたらと存じます。・・』

とにかくストレスを溜めすぎず、無理しすぎず、また懈怠しすぎずなど、極端を避けるということが肝要になります。

あとは、やはり身体も心の状態に大きく影響して参ります。体調が悪いと気分も優れずに憂鬱になったり、不安になったりしますので、身体も健康に調えるというのも大切になるのではないかと存じます。

例えば仏教では、私たち人間の存在は、「五蘊仮和合」なるものとして成り立っていると説明致します。

五蘊とは、般若心経にも出て参ります「色・受・想・行・識」のことで、それぞれ、色(物質・肉体)、受(感覚・感受作用)、想(表象・概念作用)、行(意思・意志作用)、識(意識・認識作用)で、それら五蘊が因縁によって仮に集合していることによって私たちの存在は現にこのように成り立っている次第となります。ですので、健康のためには、それぞれの作用のバランスをできるだけ崩さないようにしていく必要もあります。

特にそのバランスを保つために、健康のために、あるいは「中道」を歩むために、「八正道」(正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)( http://ja.wikipedia.org/wiki/八正道 )を意識的に心掛けて行うということが大いに役立つのではないかと存じます。是非、共に頑張って取り組んで参りましょう。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「どうすれば自信がつきますか?」

問い「どうすれば自信がつきますか?」
http://hasunoha.jp/questions/348

【ご質問内容】

こんにちは。

さっそくですが、本題です。
わたしは自分に自信がありません。
自信がないからこそ常に周りの人間と自分を比べて、
Aさんには〇〇で私のほうが秀でている
Bさんには△△で私のほうが勝っている
と無意識のうちに考えてしまっています。

自分が優っている点が無い相手に対しては
近づきたくない、と思ってしまいます。
(本当に何においても優ってないかどうかではなく、自らが自分の方が優っている点を認められるかどうかが問題です。)

自分に自信が無いことで気持ちが沈んでしまったり、
交友関係が狭まってしまっていると感じたり、ということに悩んでいます。

常に自信があるフリ、堂々としていて怖いものなど何もないフリをするのに疲れてしまう時があります。
自分にも弱さがあると認めること、それを他人にさらけ出すことが恐いのです。

「強いわたし」という仮面が剥がれたらみんなが離れていってしまうような、
離れていった何人かは自分の「敵」にさえなってしまうのではないか、
というような強迫観念、自信の無さから
自分は強い、自分は他人より優っている、と強く思わないとやっていけません。

(この辺は小学生の頃にイジメにあい、4~6年生の間に転入先の小学校でクラス替えがない学級の中、たった独りで耐えなければならなかったことの影響かと思います)

もっと肩の力を抜いて人を信用し、
自分を認め、本当の意味での自信をつけるにはどうしたらよいのでしょうか?

【拙回答】

B4とA4とB5

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「比べる」ということに関しましては、これまでの、問い「周りの友人が羨ましくてたまりません。」( http://hasunoha.jp/questions/290 )や問い「人の成功を喜べません」( http://hasunoha.jp/questions/184 )、問い「友達の幸せを喜べない自分が嫌い」( http://hasunoha.jp/questions/124 )も参考になるのではないかと存じます。

さて、B4さんのお名前にちなんで、B4とA4とB5の紙を用意して下さい。

A4は、B4と比べると「小さい」。でも、B5と比べると「大きい」。

では、A4だけでは元々どうでしょうか?

「大きい、小さいもありませんね」

A4は、A4、B4はB4で、それでそれぞれ必要な役割を担うのであります。

あなたご自身も、元々優劣はありません。優劣は、ただ色々な関係性の中において一応は相対的に判断ができるものの、実体として、固定して捉えることができないものであります。あなたご自身はあくまでもあなたご自身として、現実に即してやれること、できることで頑張っていかなければならないのであります。

それぞれはそれぞれで特別です。ただ、全てが特別ならば、特別なものは何一つもないことになります。仏教で言うところの「無差別(むしゃべつ)」とはこのことです。

もう一つ、A4の白紙、どちらが「表」でどちらが「裏」ですか?

「・・・」

そうです。どららが表で裏か決めれません。

これが私たちのもともとの世界のありよう、仏教的には「無分別」と申します。

ところが、私たちは「分別」という作用力にて、モノ・コトを色々と分けて認識・理解していくこととなります。

もちろん、どちらが表で、どちらが裏かは、B4さんの自由にて決めることができますし、B4さんがそこに何を書き描こうとも自由です。

自分を信じて「決めた」こと、「書き描いたこと」が、認められていけば「自信」に繋がることになるでしょう。

ただ、本来は「無分別」だと言っても、何でもかんでもが許されるというものでもありません。世間の常識や慣習を無視しては成立しないこともありますので注意が必要となります。

字数制限の関係上、ここまでにて・・

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16
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