hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

不安・恐怖について

問い「怖いです。」

問い「怖いです。」

【ご質問内容】

私は父親がとても甘く、環境もとても悪い中で育ち、因果応報なんてあることを知らずに、仏教とはほど遠い生き方をしてきてしまいました。

高校生の頃からジワジワと羽目を外して行き、人生ってこんなんでいいのだろうか?といいの思いながら派手な格好をして周りもしているしいいのかな…と、因果応報なんて全くしらず、生き方がわからなくなりそこからドンドンと生き方が羽出になり、自分の欲望のままに生きることに、何の躊躇いもなく、何だったらそれ以外の生き方がわからずにいました。当時は本を読んで調べたりしましまが、仏教まではたどりつかず、人の生き方のようなものばかりを読んでいました。しかし私は正解を求めてしまったので、何が正解かさ迷ってしまっただけで、結局どう生きたら良いのかわかりませんでした。そのように生き方を求める一方で、整形をしたり派手な生活や彼氏への依存に流されていきました。

中絶もし、中絶に対して病院の先生からは「一日も早く忘れなさい」と、親からは「まぁ、長い人生色々あるよ」と。結果ここでしっかりと悔い改めて生き直すことをせず、「え?そんなんでいいの?」となかったことにしてしまいました。周りにも何人か中絶していたので、私だけがそんな重く考えていたのかな?もうよくわからない。もうそれならいいや!と、開き直ってしまいました。子供を殺したまま反省せず放棄すると、しっかりと生きるという気力がなくなり、人生どうでもよくなり、狂ったように毎日遊びまくり、人生を捨てて生きていました。すると、生きているのか死んでいるのかわからず、生きているという実感がなくなり、感情さえもなくなり、何が自分に起こっているのかもわからないまま、何かおかしい、と病院に行ってもどこも悪くなく、感情がないと訴えてもこれといった病名は与えられず…そこから、二度ほど懺悔をしても、もはやどの仏様に二度もしません!と反省をしても、今さら何を言っているの?もうしらないよ。そのような声しか聞こえず罪に溺れ死んだように動くことができません!あまりの長年のため自分の人生を引き受ける事がもはやできません。本当に生き直すのは手遅れだと思っています。子供を殺したことで生きる気力がありません。今さら因果応報なんて言われたら本当に死ぬしかありません。こんなにも長い間格闘し無理なら今まで通り好き勝手生き延びるしか本当に道はない思っています。


【拙回答】

ご供養

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

中絶なさられたお子様のことは、どうかご供養により、地蔵菩薩様にお任せになられて下さいませ。

「供養」は、「供(とも)に養う」とございます。お子様と一緒になって仏様の教えを養っていって頂けましたら有り難くに存じます。

例えば、簡単にできる布施の実践としての「無財の七施」(詳しくは、下記に記載)などからでも。

いつも、そのお子様と仏様、お地蔵様と供に、さつき様も拙生も、仏法がしっかりと闇夜を照らしてくれるはずです。
 
夜に大海原のどこへ向かっていっても、いつも付いて見守るお月様のように。

どうか、より仏法をお頼りになられまして、少しずつの実践をなさられていってみて下さいませ。

「無財の七施」について・・

眼施(慈眼施)・・慈しみをもって優しいまなざしで接すること。

和顔悦色施(和顔施)・・和やかな笑顔・にこやかな笑顔で接すること。

言辞施(愛語施)・・優しい言葉で接すること。叱咤激励の厳しい愛の言葉も。

身施(捨身施)・・身体を使ってできるお手伝い・奉仕を自ら進んですること。

心施(心慮施)・・相手の心を思い遣ってTPOに合わせて接すること。

床座施(壮座施)・・高齢者や妊婦さん、病人などに席や場所を譲ること。分かち合う・譲り合うこと。

房舎施・・自分の住居を提供して、おもてなしをすること。

川口英俊 合掌

問い「将来が不安で毎日、「死にたい」と思っています。」

問い「将来が不安で毎日、「死にたい」と思っています。」

【ご質問内容】

こんにちわ。はじめて、ご質問させてもらいます。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。

僕は、今年、大学を卒業しました。しかし、就活に失敗して職にも就いていなく、おまけに奨学金返還300万円と年金納付していない事にうしろめたさを感じています。

就職の為に、「就労移行支援施設」に通所しています。「就労移行支援施設」とは、障がい者の方の就職支援施設です。

ですが、自分が障害者といことに嫌気がさして、「どうして、自分は生まれてんだろう」と思わずにはいられないです。

就職も、できるかどうか不安で仕方ありません。特に、最近は「中高年ニート」「中高年ブラックバイト・派遣」「アルバイトと正規雇用の生涯年収2億円の差」という聞きたくない情報を耳にします。

「奨学金返還300万円」「年金納付」「就職できるかの不安」「自分が障がい者(精神)」「医療費を親に負担してもらっている事」「働くことに不安」

「就労移行支援施設に通いたくないというわがままな心」など、自分が今後どう生きていけばよいのかわからなくなっています。

毎日、仏壇に手を合わせ「助けてください」と線香をあげています。本当は、そんなことしても解決しないと思うのですが、藁にもすがる気持ちでついついやってしまいます。

西洋哲学(キルケゴール、ニーチェ)やアドラー心理学、更には、仏教に関する本、精神学の本、も少しですが読んだり、スクールカウセリングも受けました。しかし、どうも、心に響きません。

僕には夢があります。「公務員」として働きたいという思いもあり、その夢を実現できるかも不安です。

6つに分けると、「夢を叶えられるか?」「就労移行支援施設に行きたくない」「奨学金返還・年金納付」「定職に就けるかどうか不安」

「障がい者と認めたくない自分」「働いている人(TVや雑誌、本を脱している人)を羨ましく思う卑しい自分」

以上から、毎日が辛く、生きているのが嫌になって仕方ないです。毎日、「どうやったら、自殺できるか」と毎日考えています。

どうしたらよいかわかりません。長々と書いてしまいすみません。また欲張ってしまいすみません。どうか、お助けください。


【拙回答】

将来への不安を色々と抱えておられてお悩みのご様子・・少しなりにもご参考となりましたら幸いでございます。

「夢を叶えられるか?」・・

夢を叶えるためには、その結果へと向けた因縁(原因と条件)を調えていくことが必要となります。少しずつでもできることから一日一日心掛けて努めて参りたいものとなります。公務員になるためには、まず前提として公務員試験に合格しないといけません。少しずつでも勉強を積み重ねていくことが大切になるかと存じます。

「就労移行支援施設に行きたくない」・・

自分なりに働く上でのスキルを身に着けられるような何かがあるようならば、文字通り移行のために制度を利用するだけで良いのではないだろうかと思います。スキルは別として、例えば、対人関係の構築等の訓練でもあると思うとどうでしょうか。もし、全く意味がないと思われるようでしたら、もう少し実地に、バイトやインターン等をする方が良いのかもしれません。

「奨学金返還・年金納付」・・

これはやはり収入が無ければどうにもなりません。世帯主に負担してもらうか、免除や猶予制度を利用して、一定の収入ができるまではしのぐしかありません。

「定職に就けるかどうか不安」・・

公務員の正規職員、一般企業の正社員としての採用となれば、ある程度の安定は望めることになるでしょう。でも、実際の職種・職場への適応、遣り甲斐、モチベーション・人間関係の維持等、色々なリスクはあります。夢、目標、志なども考え含めて、求職していきたいところとなります。

「障がい者と認めたくない自分」・・

皆、何らかのハンデ、悩み苦しみを大小少なからず抱えながら過ごしています。ある意味では、皆、弱い存在に過ぎません。世間で言うところの障がい区分にとらわれることも本来あまり意味がありません。皆、お互いで支え合い、助け合い、分かち合うことをしていかなければ成り立たない存在です。できないことは補ってもらって、できることで補ってあげれるように、そう思うことで良いかと存じます。

「働いている人(TVや雑誌、本を出している人)を羨ましく思う卑しい自分」・・

皆、それなりに努力して因縁を調えているからこそ、結果の出ている場合がほとんどです。結果だけを見ずに、因縁の部分を見て、それを自分なりのプラスにしていきたいところでございます。

川口英俊 合掌

問い「不安感をよく感じます」

問い「不安感をよく感じます」

【ご質問内容】

はじめて質問させていただきます。よろしくお願いします。

私は10代の頃に、うつ病になって高校を中退した過去があるのですが、その時に引きこもりの様な状態になってしまい、悪い噂が流れてなのか、そのまでの交友関係が全て切れてしまいました。

今は何とか社会復帰しているのですが、友達がいないということを意識すると、どうしようもない不安感を感じてしまい、憂鬱な気分になってしまいます。

また、人と接することが怖いと感じるようにもなってしまい、人との接し方、友達の作り方もうまくできなくなってしまいました。

どうにかして今の現状をよい方向に持って行きたいです。 
何かよいアドバイスがありましたら、助言していただきたいです。よろしくお願いします。


【拙回答】

そういえば・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

交友関係、友達関係でお悩みのご様子・・

そういえば、拙生も中学、高校、大学の友達とはすっかりと疎遠になってしまっています・・

まあ、たまにFacebookで繋がったりぐらいですかね・・そんな昔みたいな友達、ツレという存在は本当にいなくなりましたね・・みんなそれぞれ色々な事情があり忙しくしていますしね・・

でもそれは、自分の中で友達の定義が変わっただけで、志同じくする、意見交換し、時に議論する、そんな友達はおります。このhasunohaの回答僧侶の皆さまとも、志同じくする法友と思っておりますし。Facebookでも、まだお会いしたこともない方でも、親しくアドバイスを頂いたり、意見交換・議論して頂けている方は友達と思っております。

もちろん、勝手に自分が友達と思っているだけかもしれませんが・・

もしかすると、てるさんも昔のような友達の定義のままで友達と思ってしまっているところもあるのではないかと存じます。

もう少し範囲を広げてみて、ご縁を大切になさられていかれれば、きっと良い関係を築ける友達もできていくのではないだろうかと存じます。

川口英俊 合掌

問い「死ぬのが怖くて何も手につきません、克服することは可能ですか?」

問い「死ぬのが怖くて何も手につきません、克服することは可能ですか?」

【ご質問内容】

タイトルの通り、自分がいつか死ぬことを考えると恐ろしくて、パニック状態になってしまいます。朝起きた瞬間から寝るときまで、常に「死」の恐ろしさ、得体の知れなさが頭から離れず、最近は趣味も楽しいと思えません。

いつか死ぬからこそ今を一生懸命生きることが大切だとか、いまのわたしにはきれいごとにしか思えないのです。

べつに、近しい人の死がトラウマになってるとか、そういう事実もありません。ただ、死が途方もなく恐ろしいことに思えて仕方ないのです。

これほどまでに重度の死の恐怖を克服すること、あるいは克服せずとも上手く折り合いをつけて生きていくことは可能なのですか? 
また、仏教に帰依することは、死の恐怖を克服する手助けになりますか? 
お忙しいところ恐縮ですが、ほんとうに、どなたか助けてください。このままでは発狂しそうです。


【拙回答】

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

恐怖や不安というものは、おおよそ「無知」から来てしまうものでございます。

幽霊も、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と知れば、恐怖・不安が無くなるように、「死」とは何かについても、しっかりと知ることができれば、きっと恐怖・不安を退けることができるようになっていくのではないかと存じます。

では、「死」についての真理を仏教ではどう知っていくべきであるのか。

例えば、「不死の境地」というものや、般若心経にも出て参ります「不生不滅」など、それはいったい何を意味しているのかを考えていくこともヒントの一つとなります。

是非、これから少しずつでも仏教を学ばれて修習をなされて頂ければと存じております。良き気付きのございますことを。

川口英俊 合掌

問い「ふとよぎる怖さ」

問い「ふとよぎる怖さ」

【ご質問内容】

今の私は、家族と過ごし、仕事にも恵まれ、大変なこともやはりありますが、充分な生活を送っています。

 ハスノハをはじめたくさんの方々のお陰さまです。

 それなのに。

 ふとした時に、「消えてしまいたい。」と頭をよぎります。

 死にたいではなく、現実には誰もが困ると分かっていますが、言葉にしづらい気持ちが静かに起こります。 
  
 また、自分が人をひどく傷つけるのでは、という恐れも起こります。 
  
 思えば10代前半から、リラックスできた時などにふと頭をよぎります。

 これらが、生来の物なのか、環境からか、業や縁起による物か。

 この気持ちとゆっくり向き合っていくにあたり、ご指導、教え、お叱りなど頂けましたら有り難く存じます。


【拙回答】

「出離」の心

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

過去の問答も少し読ませて頂きました。仏教を学ばれておられますこと、誠に尊く有り難いことでございます。

仏教を学んでおりますと、やはり、出家なさられる直前のお釈迦様における苦悩・憂いと同じようなことを思うことで、この俗世世間からの「出離」の心が生じるところもあるのではないだろうかとは存じます。

たまに、拙生も、全てを捨てて、智慧の開発と瞑想修行が専一にできるところへと参りたいと思うことがございます・・

しかし、現実世界におけるなすべき責任、やるべき義務は果たすことが必要となります。それらを放棄して、迷惑を掛けては、ただの無責任な放蕩者であるだけではなく、場合によっては罪や悪業となることもございます。(簡単には保護責任がある子どもの世話を放棄するようなことなど)

しっかりと、三宝帰依、菩提心を堅固に持ち、律して守るべきことを守り、智慧の開発と福徳(善徳行・方便行)に励んでいけば、また機縁が熟せば、というところでございます。

とにかく、今は、家族、生活を大切になさられつつに仏道を歩まれて頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

問い「恐怖心と不安感を無くすにはどうしたらいいですか?」

問い「恐怖心と不安感を無くすにはどうしたらいいですか?」

【ご質問内容】

夫が3月末から不安神経症を発症し、最初は体の不調を訴えるだけだったのですが、だんだん狂った感じになってきてしまいました。私も子供二人の面倒を見つつ、主人の対応をしていました。凄く狂った感じになりそうな時は義母に連絡を取り、一時間かけて来て貰っていました。しかし、私もストレスが溜まり主人の狂った感じに恐怖を感じてしまいました。『このまま私もおかしくなってしまったら、子供たちはどうなってしまうのか…逃げたい。』と思い、義母に必死に訴え何とか私の実家に子供を連れて行ける事になりました。自宅を出て3週間位になります。まだ、主人と向き合えるか不安ですが、そろそろ自宅に戻ろうかと思っています。娘には『パパは病気なんだよ』と言ってはいるものの、まだ5才です。主人の狂った感じを見ていたり、倒れて救急車騒ぎになった事が2回ほどあり、自分から口にはしませんがかなりショックを受けたように思います。少し聞くと「パパ怖い。」と言っています。無理に帰って子供の心に傷を残してしまっても…っと思います。義母には『まずはママが自信を見せないとダメでしょう』と言われましたが、私もまだ不安です。しかし、主人は家族でやり直したいと頑張っているみたいです。なので思いきって帰宅を…っと思いますが、どうしたら私と娘から不安、恐怖心を取り除くにはどうしたらいいのでしょうか?

追記:義母の話によると、本人は病気のせいか私達が出ていった事が何故出て行ったのか理解できてないようです。そのような人の面倒を見ながら子育て…ますます不安です。


【拙回答】

体調不良→心の不安の場合

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

少し気になりましたのは、ご主人様のことになりますが、精神不安→体調不良ではなく、徐々にでも体調不良→精神不安であるのかもしれないかな、というところでございます。

心と身体は密接に関連しあいます。もちろん、心の不安→体調不良の場合も十分あり得ますが、もしも、体調不良→心の不安である場合、いくら心療内科等で心の問題(あるいは脳神経系バランスの問題)の治療に取り組んでも、対処療法にしかならず、根本的な改善には向かわない可能性がございます。

もしも、体調不良→精神不安であった場合、副腎疲労・慢性疲労症候群、膠原病等によるホルモンバランスの乱れ、免疫機能疾患、またはウイルス感染など、何か根本的な問題があることも考えられます。

過去の既往歴も鑑みられながら、少しくにでも医療機関における今後の治療方針へと向けた参考にして頂けましたらと存じます。

お子さまもまだ小さいですし・・本当にご心配申し上げます。

どうか善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「将来に対する謎の不安」

問い「将来に対する謎の不安」

【ご質問内容】

高校3年生の男子です。 
私は最近、将来、特に5年や10年後などの先についてかなり不安を感じています。特に私は、小さい頃から死に対してかなりの不安を抱いていて、思春期の不安と元々の死への不安が化学反応を起こして、本当に苦しいです。

一度、この苦しさを取り除くために、先を考えるよりも今を精一杯生きようと思おうとしたのですが逆効果です。

一番には、どうすれば死に対してある程度柔らかい考えができるのかを教えて欲しいです。


【拙回答】

将来はありません

衝撃的なタイトルになりましたがご心配なくに。。

まずは、果たして将来、つまり、未来は「有る」のでしょうか。

まず、既に過ぎ去った「過去」は、もう過ぎ去ったものですから、既に「現在」にはありません。もちろん、「過去」を思い浮かべて、あたかも「有る」ように錯覚してしまいますが、思い浮かべているのは、あくまでも「現在」の自分です。

また、まだ来たらぬ「未来」は、まだ来ていませんから、「現在」には当然に有り得ません。「未来」を思い浮かべて想像して、「有る」ように錯覚してしまいますが、想像している自分も、実は「現在」の自分です。

更に、「現在」と言っても、言ったそばから実は「現在」で無くなってしまいます。「現在」自体も、時間が止めれない限り、基本的には「有り得ない」ことになります。

もちろん、「過去」、「未来」、「現在」は無いわけではありません。一応は、「現在」があると仮定して、その相対として世間一般において「有る」とは言えますが、厳密に分析すれば、「実体」としてはそれぞれ有り得ないものになる次第でございます。

実は、同様に死後というものも実体として「有る」わけではありません。あくまでも今の自分における想像上の産物に過ぎないのであります。

でも一応は、世俗的において何が言えるのかとなると、現在における瞬間、瞬間の連続体としての自分があり、またその瞬間瞬間において相続していく自分もあり得ていくと考えることができます。

むろん、過去がなければ、今の自分はあり得ません。更に今の自分が無ければ、未来の自分も死後の自分も可能性としては有り得ないことになります。

過去と現在の自分は明らかに繋がっている、また、現在の自分は未来、死後の自分とも繋がっていくものと言えるので、異なってはいないのだけれども、もちろん同じとも言えません。このことを仏教的には「不一不異」と申します。

さて、結論的には、とにかく、「現在の一瞬一瞬の連続体でしか生きれていない」自分のありようをしっかりと理解することにより、これから先へのより良い結果へと向けた良い因縁(原因と条件)を確かに紡いでいくのも、この瞬間、瞬間の自分であって、しっかりと、この一瞬一瞬に集中して、大事に大切に過ごしていくことが必要であるということになります。

難しいことですが、是非、考えられてみて下さいませ。

川口英俊 合掌

問い「励みになるお言葉が欲しいです。」

問い「励みになるお言葉が欲しいです。」

【ご質問内容】

こちらで何度か、ご相談させていただいております。

以前、住んでいた場所から知らない土地に引っ越ししました。そこから、私は過去にいじめを受けた経験から、仕事を始めることに少し恐怖を感じていました。

しかし、勇気を出して仕事を始めようと職安で仕事を探していた帰り、職安の建物内にある階段から落ちて、足を強く捻挫してしまったことから一ヶ月が経過しました。

足の痛みは少しずつ治まったので、また仕事を探そうか思っているのですが、また、人が対する恐怖が強くなってしまい、なかなか外に出て仕事を探すことができず、情けなくて泣けてしまいます。

ぜひ、こんな弱い人間に喝を入れていただけると嬉しく思います。どうぞ宜しくお願い致します。


【拙回答】

「端楽」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「働く」の語源は、「端楽」で、「端(周囲)を楽(らく)にすること」が元々の意味合いだそうです。

少しまだ対人関係でのご不安があるかもしれませんが、仕事は必ず周囲の人々の役に立てれることになるのだとして、少しでも誰かの苦しみを癒して安楽にしてあげられる、楽しくにさせてあげられる、そして、誰かの幸せにも役立つものになると思いながら、自分も楽しく仕事ができるように、少しずつ調えていかれると良いのではないだろうかと存じます。

もちろん、いきなり無理は禁物ですので、あまりプレッシャーやストレスの掛からない職種やパートなどから、更に慣れてくればステップアップされていかれるような感じで構わないかと思います。

とにかく、「仕事をしないといけない、働かないといけない」、ではなくて、「端を楽にしてあげることに少しでもお役に立てれたら」というお気持ちにて。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「死について考えすぎて何も手につきません」

問い「死について考えすぎて何も手につきません」

【ご質問内容】

初めまして。悩みすぎておかしくなりそうな私に母が教えてくれました。 
今、私はすごく死が怖いです。 
家族、親戚、友達がいなくなると考えるといてもたってもいられません。 
自分もいつか無になると、死んでいなくなってしまうと思うと言いようのない不安にかられます。 
今を生きなくてはいけないことも分かっていますが、考えだすと生きている意味までわからなくなり、仕事も何も手につかないのです。

【拙回答】

「死=絶無・虚無」ではありません

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度は、「死」についてお考え過ぎになられて、少し悲観的、虚無的なところに陥られてしまわれているのではないかとお察し申し上げます・・

実は、「死」というものが、何か実体としてあるわけではありません。また、「死」する何かも実体としてあるわけではありません。

ですので、恐れることも、悲観することもありません。・・と述べさせて頂いたところで、何のことか、全くわからないかとは思います。

仏教では、悟りの境地を表す際に、「不死」の境地とか、「不生」の境地、「不生不滅」の境地などという表現が出て参ります。

これらの境地は、まさに死への恐怖や不安、あるいは生への恐怖や不安を超えたところを目指すものとなります。

これから仏教の学びを少しずつでも進めていって頂けましたら、やがて理解して頂けることもあるかとは思いますので、少しだけご参考にされて下さい。

さて、死後のことについてですが、「死=絶無・虚無」ではありません。

私たちの存在は、身体や心、色々な機能や作用などの要素(五蘊/色・受・想・行・識)の因縁(原因や条件)の和合により成り立っているものですが、もしも、この肉体が滅び、身体的な機能・作用が停止したとしても、微細な意識としての心相続(心の連続体)が、更に色々な因縁によって死後も存続していくものであると考えられています。

その死後における心相続の赴きにおいて、最も影響する因縁の一番は、やはりその者自身の行い(業・カルマ)、また、それまでの様々なご縁(善き人縁、仏縁、法縁など)というものになります。

ですので、できるだけ善き行いに努め励んで、善き因縁を調えておくということが何よりも賢明なことになります。

できれば、死後のことをあれこれと思い悩むのではなく、生きている今をどうより良くに行いを調えて、より良い幸せな人生としていくべきであるのか、また、そのためには何をしなければならないのかを考えて、実行していくことが大切となります。

より良い人生とすべくに、共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「いろんなことを心配しすぎてしまいます」

問い「いろんなことを心配しすぎてしまいます」

【ご質問内容】

私は寝る前などに、大切な人が急に亡くなったらどうしよう、などの不安で胸がいっぱいになることがよくあります。

父親(両親が離婚して父に引き取られてます)や、恋人が、交通事故にあったり急病になったらどうしよう、という感じです。 
そしたら私も生きていける自信がない…などとそこまで考えたりもします。自分自身のことも、病気になったらどうしよう、とか色々なことを心配してしまいます。 
そんなことを考えていても仕方ないとは分かってるのですが、どうしても不安になってしまうときがあるのです。こんなこと考える人はなかなかいないのかな、とかも思います。(結構な頻度では、という意味で)

今を楽しく生きているのだから、そういうのを気にしないようにしたいですし、寝る前に考えるときは眠りが浅くなったり寝不足になったりするのが本当に嫌です。 
心配性なので、将来のこと(例えば結婚など)も、考え始めると楽しい未来を描くことより こうなってしまったらどうしよう と悪い方向に考え、心配事でいっぱいになってしまいます。

どうすれば心配性を治せるのでしょう。 
いろいろ不安に思う自分がつらいです。

ぜひアドバイスいただければと思います。 
宜しくお願い致します。

【拙回答】

「杞憂」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「杞憂」(きゆう)という諺がありますが、まさにそのような状態に陥っておられるご様子・・

まだ来たらぬ未来のことについて、あれこれと不安・心配して、思い悩んでしまうのも仕方のないことなのですが、実は、未来というのは、どこまでもただの想像、妄想の産物なるものであって、どんなに思い悩んでもキリがないものとなってしまいます。

現にその未来を想像していても、その自分は、「今」の自分であり、それはどこまでも「今」の自分でしかありえないのでございます。

問題は、「未来」、あるいは「過去」でもなくて、「今」をどうするべきかということになります。

この世における全ての現象・事象は、様々な依存関係、「縁起」(えんぎ)にて成り立っていると仏教では考えます。

縁起とは、例えば、簡単には、因縁果(原因・条件・結果)の依存関係のことで、この因縁果の流れをしっかりと理解することで、色々なモノ・コトにもある程度、対処し、対応し、対策を講じることも可能ではないかと存じておりますし、必要なことではないかと思います。

そのため、未然に防げることであれば、それはしっかりと努力していくことも必要ですが、その努力をするのも、あくまでも「今」においてであって、「今」、できること、やれることをするだけで、それ以上のことはどうにもならないことは、どうにもならないということを理解するのも大切なことになります。

ただ、どうにもならないことでも、他の助けや支えがあれば、何とかなることだっていっぱいあります。一人であれやこれやと悩むよりか、不安や心配をできるだけ無くすために、周りの方々とできることを話し合ってみるのも。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌
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