hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

不安・恐怖について

問い「死について考えすぎて何も手につきません」

問い「死について考えすぎて何も手につきません」

【ご質問内容】

初めまして。悩みすぎておかしくなりそうな私に母が教えてくれました。 
今、私はすごく死が怖いです。 
家族、親戚、友達がいなくなると考えるといてもたってもいられません。 
自分もいつか無になると、死んでいなくなってしまうと思うと言いようのない不安にかられます。 
今を生きなくてはいけないことも分かっていますが、考えだすと生きている意味までわからなくなり、仕事も何も手につかないのです。

【拙回答】

「死=絶無・虚無」ではありません

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度は、「死」についてお考え過ぎになられて、少し悲観的、虚無的なところに陥られてしまわれているのではないかとお察し申し上げます・・

実は、「死」というものが、何か実体としてあるわけではありません。また、「死」する何かも実体としてあるわけではありません。

ですので、恐れることも、悲観することもありません。・・と述べさせて頂いたところで、何のことか、全くわからないかとは思います。

仏教では、悟りの境地を表す際に、「不死」の境地とか、「不生」の境地、「不生不滅」の境地などという表現が出て参ります。

これらの境地は、まさに死への恐怖や不安、あるいは生への恐怖や不安を超えたところを目指すものとなります。

これから仏教の学びを少しずつでも進めていって頂けましたら、やがて理解して頂けることもあるかとは思いますので、少しだけご参考にされて下さい。

さて、死後のことについてですが、「死=絶無・虚無」ではありません。

私たちの存在は、身体や心、色々な機能や作用などの要素(五蘊/色・受・想・行・識)の因縁(原因や条件)の和合により成り立っているものですが、もしも、この肉体が滅び、身体的な機能・作用が停止したとしても、微細な意識としての心相続(心の連続体)が、更に色々な因縁によって死後も存続していくものであると考えられています。

その死後における心相続の赴きにおいて、最も影響する因縁の一番は、やはりその者自身の行い(業・カルマ)、また、それまでの様々なご縁(善き人縁、仏縁、法縁など)というものになります。

ですので、できるだけ善き行いに努め励んで、善き因縁を調えておくということが何よりも賢明なことになります。

できれば、死後のことをあれこれと思い悩むのではなく、生きている今をどうより良くに行いを調えて、より良い幸せな人生としていくべきであるのか、また、そのためには何をしなければならないのかを考えて、実行していくことが大切となります。

より良い人生とすべくに、共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「いろんなことを心配しすぎてしまいます」

問い「いろんなことを心配しすぎてしまいます」

【ご質問内容】

私は寝る前などに、大切な人が急に亡くなったらどうしよう、などの不安で胸がいっぱいになることがよくあります。

父親(両親が離婚して父に引き取られてます)や、恋人が、交通事故にあったり急病になったらどうしよう、という感じです。 
そしたら私も生きていける自信がない…などとそこまで考えたりもします。自分自身のことも、病気になったらどうしよう、とか色々なことを心配してしまいます。 
そんなことを考えていても仕方ないとは分かってるのですが、どうしても不安になってしまうときがあるのです。こんなこと考える人はなかなかいないのかな、とかも思います。(結構な頻度では、という意味で)

今を楽しく生きているのだから、そういうのを気にしないようにしたいですし、寝る前に考えるときは眠りが浅くなったり寝不足になったりするのが本当に嫌です。 
心配性なので、将来のこと(例えば結婚など)も、考え始めると楽しい未来を描くことより こうなってしまったらどうしよう と悪い方向に考え、心配事でいっぱいになってしまいます。

どうすれば心配性を治せるのでしょう。 
いろいろ不安に思う自分がつらいです。

ぜひアドバイスいただければと思います。 
宜しくお願い致します。

【拙回答】

「杞憂」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「杞憂」(きゆう)という諺がありますが、まさにそのような状態に陥っておられるご様子・・

まだ来たらぬ未来のことについて、あれこれと不安・心配して、思い悩んでしまうのも仕方のないことなのですが、実は、未来というのは、どこまでもただの想像、妄想の産物なるものであって、どんなに思い悩んでもキリがないものとなってしまいます。

現にその未来を想像していても、その自分は、「今」の自分であり、それはどこまでも「今」の自分でしかありえないのでございます。

問題は、「未来」、あるいは「過去」でもなくて、「今」をどうするべきかということになります。

この世における全ての現象・事象は、様々な依存関係、「縁起」(えんぎ)にて成り立っていると仏教では考えます。

縁起とは、例えば、簡単には、因縁果(原因・条件・結果)の依存関係のことで、この因縁果の流れをしっかりと理解することで、色々なモノ・コトにもある程度、対処し、対応し、対策を講じることも可能ではないかと存じておりますし、必要なことではないかと思います。

そのため、未然に防げることであれば、それはしっかりと努力していくことも必要ですが、その努力をするのも、あくまでも「今」においてであって、「今」、できること、やれることをするだけで、それ以上のことはどうにもならないことは、どうにもならないということを理解するのも大切なことになります。

ただ、どうにもならないことでも、他の助けや支えがあれば、何とかなることだっていっぱいあります。一人であれやこれやと悩むよりか、不安や心配をできるだけ無くすために、周りの方々とできることを話し合ってみるのも。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「災害と死への恐怖と不安」

問い「災害と死への恐怖と不安」

【ご質問内容】

不安で仕方がありません。 
災害、事故、事件、世界情勢、常に全てに怯えていますが住んでいる地域の特性から最近は火山災害が特に恐ろしいです。

今住んでいる場所から逃げ出したい気持ちでいっぱいですが、現実的に難しい状況です。家族もいるし、お金もないためです。

不安を見て見ぬ振りしようにもふとした瞬間に恐ろしい情景が頭をよぎり恐怖でいっぱいになります。無駄に想像力があるので手に負えません。

災害への備えは少しずつ始めているのですが、備えにだって限界はあるし間に合わないかもしれないし、そもそも即死の可能性だってあります。

そして私が怯えたところで減るわけでも増えるわけでもないのが災害。その日は明日かもしれないし、一生来ないかもしれない。遭遇しても案外平気かもしれない。そもそも突然の事故で今死ぬかもしれない。

未来に対して不安になることそのものが無駄なのだと理解をしつつも、浮かぶ全てが恐ろしくとても苦しいです。

常に次の瞬間滅びるかもしれないという気持ちで、怯えながら毎日を過ごしているのでとても充実しているとは言えません。することもしたいことも見つけられず、恐怖と不安で無気力になってしまいます。 
私は一体どうすればいいのでしょうか。

【拙回答】

「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候・・」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

例え、災害など大変なことが起こっても、阪神淡路大震災、東日本大震災やこの度の熊本・大分地震でも、少なからず実感できますように、きっと誰かが助けてくれる、支えになってくれる、思いを寄せてくれる・・たとえ最悪、亡くなってしまったとしても、善き赴きへと向けて誰かが供養してくれる、供養してくれる人がいないと思われても、大丈夫、必ず拙生も含めて、多くの僧侶による普回向(「願わくは此の功徳を以て、普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜんことを」)によって、貴女にもその供養が及んでいくことになるでしょう。

上記のことをお考え頂きまして、少しなりにも安心に繋がりましたら幸いでございます。

この度の熊本・大分の震災によって被災されました皆様に心からお見舞い申し上げます。

お亡くなりになられました皆様方のご冥福を心からご供養申し上げます。

この悲しみ、苦しみの現実に際して、被災地の皆様が一日でも早く安寧を取り戻せますように、一日でも早く復興致しますようにと、拙生自身、できることでのご支援に努めさせて頂きたいと存じております。

さて、江戸時代の禅僧である良寛禅師は、俳人仲間が被災された際のお見舞いの手紙の一節において、「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるる妙法にて候 かしこ」と書かれております。

災難にあっても、それを災難だと思って、いつまでも嘆き悲しむ、もう実際に起こってしまった取り返しのつかないことをあれこれと思い悩むのではなくて、しっかりとまずは目の前の現実を受けとめて、冷静にその時にできることをできる限りに対処していくことが肝要となります。

いまだ起こってもいないことにあれこれと思い悩んでも詮無きこと、杞憂なることでしかありません。

とにかく目の前の現実の一つ一つと真摯に向き合って、なすべきこと、なさなければならないことをしていかないといけないという次第でもございます。このこともご理解を頂けましたら、一つの安心に繋がるのではないだろうかと存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「震災を期に自分がおかしくなりました」

問い「震災を期に自分がおかしくなりました」

【ご質問内容】

今回地震のあった熊本に住んでいる者です。

自宅が倒壊したので避難所で暮らしていますが、同じ避難民の自分こそが被災者であり尽くされて当然という態度。あれが食べたいこれは嫌だこれが足りない次はいつ来るのかという声。物資が足りないと叫んでいるくせに腐らせて捨てる大量の食べ物の匂い。数が少なく配布はできないお菓子やお駄賃目当てで何かすることがないかと声をかける子どもの姿。 
知らない人と同じ空間でずっと一緒にいるストレス。私自身ボランティアなどを何もしない代わりに配給も何も受け取らず日がな一日ぼうと過ごすこと。思い出したようにコンビニで買い物をしては吐くまで食べて仮設トイレへ駆け込み、すべてもどしてはまた食べ続けること。すべてが嫌で仕方がありません。 
どこにも行けずこれから先どうすれば良いか、避難所が閉まる今週の土曜日からどこで暮らすのか、考えなければならないのに全く考えがまとまらず気がつけば一日が終わっています。耳鳴りや眩暈がひどいからと寝れもしないのに横になって、Twitterなどの心無い発言や、楽しそうなツイートを見る度に理由もわからず泣いています。 
なぜ若者が動かないんだという視線を振り切って吐いては、ライフラインが何ひとつ復旧していないため善意の人たちがプールから手で汲み上げたバケツで吐瀉物を流すことも申し訳ない気持ちでいっぱいです。助けてください。どうすればよいのでしょうか。

【拙回答】

できましたらにて・・

どうか、心身ともに、まだ、hasunohaへとご質問ができます余裕がございましたら、何でも構いません。本問の続きでも構いません。どうぞご質問をなされて下さい。

今の貴女様の心情、ご家族様の心情、避難所の皆様の心情、また、苦しみ、悩み、私たちは、その場で、聞いてあげれることはできなくても、150名を超える回答僧侶が、このhasunohaを通じて、その皆様のお心、苦しみ、悩みに寄り添えることができます。

是非、hasunohaをもっと貴女様を主として頂きまして、利用して下さいませ。

今の貴女様が皆様のために何かできることがあれば、このhasunohaをどうか有効に利用して下さい。

日本中にもっと皆様の現実のことをお伝えできるかもしれません。

この度のことでの課題や反省を次へと活かせることになるかもしれません。

もしか致しますと、例えお一人だけでも、貴女様を通じて、どなたかの心の安心や癒し、救いになるかもしれません。

読まれておられる皆様に、それぞれが何かできることでの支援を訴えることができるかもしれません。

hasunohaを通じて、私たちも苦しみのただなかにある皆様に何か寄り添えることができればと思っております。

どうかhasunohaを頼りになされて下さい。

私もできることでのできるだけの支援に努めさせて頂きたいと思っています。このhasunohaでも。

日本中に、何かこのhasunohaを通じても、温かい支援の輪を広げられることになればと存じます。

どうか宜しくお願い申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「考えすぎてしまいます。」

問い「考えすぎてしまいます。」

【ご質問内容】

自分の将来が不安です。 
30歳という年齢が見えてきて自分の将来が不安になります。

明確に○○が不安というのがあるのではないのですが、漠然と自分の将来はどうなってるのか不安で仕方なくなります。

将来に限ってでなく、昔からちょっとした事に対してすぐに考え込んでしまい不安で怖くて仕方なくなったりします。

両親に対しても、愛し育ててくれたのに子供がこんなのでかわいそうだなあと思ってしまったりして申し訳なくなります。

考えすぎのストレスからなのかは分かりませんが、最近は息苦しさを感じ辛いです。

どうしたらもう少し軽く考えられるようになるでしょうか。

支離滅裂な文章で申し訳ありませんが、相談させて下さい。

【拙回答】

心配事・不安の96%は起こらないことが判明

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

不安や恐怖というものは、おおよそ未知から来るものでございます。

しかし、先がどのようなものになるのかは、蓋然性として、おおよそ分かることができることがあるとしても、誰も正確には知り得ないものでございます。

そのため、あまり考えても仕方がないこと、杞憂だとして、心配し過ぎないようにするのが、最も良いのですが・・なかなかそう簡単にはいかないですよね・・

でも、アメリカでの調査において、「心配事・不安の96%は起こらないことが判明」したそうです。


心配事の8割は起こらず、残り2割のうち、「16パーセント」は準備をしていれば避けられるもので、結局のところ起こりうるのは「4パーセント」ぐらいだそうです。

リスク回避としての心構えや準備は怠らずにしておくに越したことはないですが、あまり心配し過ぎて、日常の生活に支障をきたしてしまうようであれば、もしかすると、不安神経症(全般性不安障害)の可能性もあります。

その場合には、適切なメンタルケアが必要になるかもしれません。

仏教的なアプローチと致しましては、冒頭で、「不安や恐怖というものは、おおよそ未知から来るもの」であるとして、この世のモノ・コトのありよう、真理をしっかりと理解することにより、不安や恐怖を無くすようにして参ります。

モノ・コトの真理とは、「空」や「縁起」といったありようのこととなります。

もしご興味がございましたら、是非、これを機会に仏教の学びを進めて頂けましたら有り難くに存じます。

また、仏教を学び進められる中で、分からないことがございましたら、hasunohaででももちろんお気軽にご質問下さいませ。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「病気になるのが怖い」

問い「病気になるのが怖い」

【ご質問内容】

はじめまして。 
タイトルの通り病気になるのがとても怖いです。今まではその様な事は考えた事がありませんでした。ですが子供が生まれてから、とてつもなく死ぬのが怖くなってしまいました。 
少しでも体の不調があると何件も病院を回って調べてもらいます。その時は安心するのですが、数日たつとまた不安に駆られて病気の事ばかり考えてしまいます。 
テレビを見ても、ガン保険のCM、ガンで亡くなった著名人の報道、病を題材にしたドラマ、街を歩けばガン検診や死亡率のポスター。 
恥ずかしい話ですが、少しでも何処かが痛むとすぐに末期のガンでは無いかと不安になり眠れなくなります。子供を前にして、幼くして母親を亡くしてしまったら…と悲観し涙を流すことさえあります。 
とても苦しいです。このような心の状態から抜け出したいです。

【拙回答】

心配事・不安の96%は起こらない

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

既に藤範雅史様もおっしゃられていますが、生老病死は誰もが避けることのできない、代表的な苦しみとしてございます。

しかし、それらの苦しみを滅するための方法を、釈尊は善巧方便にて様々にお説きになられておられますので、是非、これを機縁に仏教へのご関心を高く持って頂きまして、学びも少しずつお進め賜れましたら、有り難くに存じます。

さて、杞憂に悩んでおられる貴女様に先日、朗報がございましたよ。

心配事・不安の96%は起こらないことがアメリカの調査で判明したようです。


記事を参考にしますと、心配の8割は起こらず、残りの2割のうち、16%は、準備をしていれば避けられるものであるとのこと。

私たちは、色々と心配すればするほどに、あれこれとキリがありません。むしろ、その方が精神衛生上悪く、今の貴女様のように余計なことで悩み苦しむことも増えてしまうのではないかと存じます。

とにかく、やるべきこと、やらなければならないことを優先して集中し、今は子育てを思う存分に楽しんで頂けましたらと存じます。

一応、ガンにならないように、タバコを避けたり、食べ物に気を付けたりと、最低限のことは必要でしょうが、それでも、何ら兆候もなく、いきなり末期ガンと判明する可能性は、たった4%ぐらいですよ、取り越し苦労に終わりますよ、という感じとお考え下さい。

え、でも、4%もあるじゃないと・・既に考えてしまっていても、仏教を修習していくと、そんな考えも無くなっていくこととなるでしょう。

お子さまの健やかなご成長を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「人は何故不安になるのでしょう」

問い「人は何故不安になるのでしょう」
http://hasunoha.jp/questions/1509

【ご質問内容】

先が見えないからなのか、人は不安になりますね。
写経をして心を落ち着かせても、寺社巡りをして自分の叶える事の意志を神様や本尊様にお願いしても不安は、消えません。
今がまさにその時なのです。
この不安は、どうしたら良いのでしょうか?

【拙回答】

「不安定」がこの世の本質である

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

さて、実は、「不安」というのが、この世の本質、性質としてございます。

逆に「安定」は、この世において今のところあり得ないというものになります。

これは何故かと言いますと、そもそもこの宇宙の始まりである「ビッグバン」が「不安定」(相反する超素粒子同士の衝突のアンバランス)より始まってしまっているからでございます。

その不安定、アンバランスであるがゆえに、その後も様々なあり様が展開されていくこととなりまして、拙生もRika様も、地球上、宇宙上の全てのものたちも今、このように存在することができています。

つまり、「不安定」・「アンバランス」でないと、私たちは存在しえてはいなかったということになります。

このことを仏教的に申しますと、「無常」や「無我」、「空」、「無自性」、あるいは「縁起」として説明することになりますが、ひとまず難しいことは置いておいて、とにかく、「不安定」であるからこそ、原因、条件、結果という「因果」、「因縁果」の流れというものも成立しているのでございます。

話を少し戻しまして、私たちの心が「不安」になるのも、要は、この世の本質・性質を理解していないことに起因し、どうしても「安定」を求めてしまう、「安定」がほしいと望んでしまうところにあります。

この「安定」というものを仏教用語的に置き換えますと「実体」や「自性」などとして、「永久永遠に変わらないもの」、「独立自存なるもの」と言ったものになってしまうのですが、もし「安定」ということがあるのであれば、それは何も変化することのない無機質な世界、永遠に全てが止まってしまっている動かない世界、または、無なる世界であって、そんな世界をRika様は逆にどのようにお考えになられますでしょうかね・・

もっとも、そんな世界はあり得ない想像上の架空の世界であって、現実世界は、「不安定」が本質であり、まずそれを認めた上で、逆に不安定であるからこそ、色々と変化もしていくし、させてもいけるものだと理解して頂いて、仏教的には、より善い因縁による、より善い流れに乗って、やがては悟り・涅槃という結果へと向かって参りたいということになります。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「死ぬほど苦しい」

問い「死ぬほど苦しい」
http://hasunoha.jp/questions/1307

【ご質問内容】

数ヶ月前、不倫相手と駆け落ちをしました。
私は独身で、彼が妻子ある身でした。
仕事も決まり、衣食住も安定してきた先日、彼が元嫁と連絡をとっていたことが判明しました。

元嫁は心身が弱ったと言っているらしく、彼が連絡をとることで、安定してきているとのことでした。私も元嫁、子どもたちには、申し訳ないことをしたと一生償いながら生きていくつもりで、養育費等も支払うつもりでいました。

しかし、彼は一緒に出てきた私とは関係を切り、一人で暮らしていると元嫁に伝えてありました。元嫁の安定のためだと。

元嫁との連絡は毎日、仕事中も家に帰ってきてからもずっと続いています。

それでも彼と一緒にいたい思いから、全てを受け入れました。

ですが、彼がいつ家族のもとに戻るといい出すだろうとか、元嫁が本気で帰ってきて欲しいとすがってきたらとか、不安で不安で仕方なくなってしまいました。
過呼吸や拒食傾向の身体の不調も出てきました。毎朝不安感に襲われ、不安過ぎて何も手がつかなくなってしまい、家事すらまともに出来ていません。
自傷や自殺の方法さえ検索してしまいます。

因果応報というものなのでしょうか?
この苦しみからは、逃れられないのでしょうか?

【拙回答】

「因果応報」について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

これまでの厳しいご回答の内容は、叱咤激励、目を覚ましなさいという私たちからの「喝」であるとお考え下さいませ。

人生まだまだやり直せます。特にkmttt様は、ご自身で悪いことをしてしまっているという自覚がおありであり、仏教でも大切となる慚愧、懺悔の思い、反省の思いを持っておられるのではないかと推察致しております。

これで逆に完全に開き直られて、入籍や妊娠などを強引に、無理矢理になさられては、更に苦しむ方向へと向かうこととなって、ますます救いようがなくなってしまうことになりかねなくなってしまいます。

さて、少し悪いイメージにて使われています「因果応報」についてなのですが、仏教思想における一つの大切な理法であるため、これを機会に少し正しく知っておいて頂けましたら有り難くに存じております。

「因果応報」と申しますと、ややわかりにくいのですが、「因縁果」として、理解して頂けると良いかと存じます。

「因」とは「原因」(直接的要因)のことで、「縁」とは、「条件」(間接的要因)のことで、「果」は、「結果」のこととなります。

そして、「因果応報」とは、善き因と縁が調うと、善き果がある、逆に悪い因と縁が調うと、悪い結果があるということであります。

この世におけるモノ・コトというものは、突然に何もないところから生じたりするものではありません。必ず、モノ・コトには因縁があり、その結果として生成、生滅していくものとなります。また、その結果も何かの因縁となって更に結果となり、また更にその結果も何かの因縁となって・・と続いていく流れが無常というものとなります。

ここからが本題となりますが、貴女様が現に今苦しいという結果においても必ずその因縁があります。仏教では煩悩や無明(根本的無知)としてまとめて簡単に示しますが、まあ、その類によるものであるのは確かでしょう。しかし、もちろん、煩悩・無明を対治できれば、苦しみの無い結果に至ることができるということで、釈尊はそのための方法を多くお示しになられておられます。

このhasunohaへとご相談なさられたのは、誠に一つの善き機縁として、これからの善き結果へと向けて、更に仏教の学びを進めて頂けましたら有り難くに存じております。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/users/16

問い「不安障害と瞑想」

問い「不安障害と瞑想」
http://hasunoha.jp/questions/1318

【ご質問内容】

毎度お世話になっています。

私は不安障害を患っています。

不安、思考に取りつかれて気が狂いそうになり、気が休まらず、苦しくて仕方ありません。

歩く瞑想や瞑想などやってきたのですが、やり方が間違っているのか余計に苦しくなってきます。

向精神薬は飲みたくないので、なるだけ避けて参りましたが、そろそろ本当にきついです。

どうしたら良いのでしょう。誰か助けてください。お願いします。

【拙回答】

「戒・定・慧の三学」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

不安障害をお持ちであられますこと、誠におつらいことでございます。

もちろん、誰もが人間生きていく中で、何らかの不安を常に持ちながら過ごしているものではありますが、その度合いが強く、色々なことに支障が出てしまうほどとなれば、やはりしんどいものでございます。

向精神薬による副作用に対しての嫌忌もおありのようですが、最近では、副作用のかなり少ない薬、漢方を取り扱っているところや、あるいは、代替医療を利用した統合医療を取り入れている病院もございますので、興味がございましたら是非情報を収集なされてみられて下さいませ。

さて、先日、ネットに下記の記事が出ておりました。

【これは意外】瞑想が躁病やうつ病の引き金になる可能性ありと専門家が警鐘
http://irorio.jp/sousuke/20150526/232000/

とにかく、昨今、心の病を治すために、瞑想やマインドフルネス、ヨガなどが注目され、その良い面ばかりが強調されてしまっておりますが、これも状態、症状、場合によって合う、合わないがあるものでございます。

そのやり方の正誤によることももちろんあるかとは思いますが、まだ取り組める段階に至っていない、あるいは、そもそも合っていないという可能性もございます。

余計に苦しくなってしまっているというのであれば、少し様子を見られて、別の方法を探されることも一つであるかと存じます。

仏教における学びの基本に「戒・定・慧の三学」がございます。このうち瞑想は定、つまり、禅定の分類にあたりますが、仏教では、定も、戒、慧もバランス良く平行して修習を進めていくのが肝要なことになります。

仏教を不安障害の克服に活かされたいとなりましたら、やはり三学をバランス良くに取り組まれることもお勧めさせて頂きます。

特に不安の原因としては、この世におけるモノ・コトの真実なるありようをなかなか理解できていないことから生じてしまっていると考えることもできます。そのため、仏教の智慧の部分もしっかりと学ぶことで、その原因や過程を探ってみられるのも良いのではないだろうかと存じております。原因や過程が何とか分かれば、具体的な対処法も分かってくるのではないだろうかと存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「命の意味」

問い「命の意味」
http://hasunoha.jp/questions/1312

【ご質問内容】

教えてください。

私は二年ほど前から不安障害を患っています。

何かと挑戦はしてきたのですが、中々良くなりません。

そして色々考えます。命に意味はあるのでしょうか。

不安障害が良くなったとしても、老いてまた他の病気、事故などで、苦しみ死んでゆく。

スピリチュアルな考えでは、人は自ら望んで生まれ、望んだ人生を歩んでいるとか。

幼くして、天災、人災、病気などで、悲惨極まりない運命を辿る人間が実在します。

悲惨極まりないと捉え、運命に抗おうとする心がエゴで諦めるというのが仏教なのですか?

僕は馬鹿で我が儘でどうしようもない人間です。

良い年をして皆が最低限幸せに生きられたらなんて幻想を抱いています。

こんな考えを抱くのも恵まれた環境で育ったからだとおもいますが。

宇宙は何故人に心を持たせたのでしょう。

偶然の産物なのですか?

何故と問うことにすらもう意味はないのですか?

気にしすぎだと言われます。不安障害だからかもしれません。しかし、この問題を乗り越えないと私は心から笑えません。目を背けても何れ死は訪れる。

【拙回答】

「命」のありようについて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「命」・・本当に不思議ですよね・・

一つ言えるのは、命がある、生きているということは、色々なモノ・コトに支えられて、助けられているということでもあります。

私たちはとても自分自身だけで命を存続させること、紡いでいくことができません。他者の存在があり、無数の関係性の中において支えられ、助けられて、生かされることによって私たちはそれぞれ何とか成り立っています。

それは、また、あなたも、誰かの支えになり、助けにもなれるということでもあります。

他者の存在無しでは存在、存続し得ないこの世界のありようを仏教では「縁起」によって成り立っていると説明致します。

また、だみや様は、悲惨な事故や天災、戦争、貧困等により苦しみ、つらい立場にある方々のことをご心配なされておられて、憐れみて、「皆が最低限幸せに生きられたら」ということまでお考え頂いておりますこと、仏教における大切とする「慈悲」のお心でございまして、誠に有り難いことでございます。

そして、その慈悲心により、何とか苦しみにある者たちが救われていくように、何らかのできることで支え、助けになって頂けましたら尚更に有り難く尊いこととなります。

「命」の意味は、もちろん、人それぞれの価値観によっても違うものになるでしょうが、ただ言えるのは、支え、助けというご縁が調わないと命を存続させることなど到底できないものであり、それを知ることによる謙虚さや感謝報恩の気持ちを養うことで、全ての「命」のありようについても思いをめぐらしつつ、困っている者や苦しんでいる者がいれば、何かできることで支え、助けとなり、また己も困っている時や苦しい時には支えられ、助けられて生きていけることになる。まずこのことに気づくことから、またその深い意味については、是非仏教について色々と学び修習されていかれる内において改めて少しずつ共に考えて参りましょう。

「不安」につきましては、下記の各問いの拙回答もお時間のある時にまたご参照頂けましたらと存じます。

「不安・恐怖について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_321055.html

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16
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