hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

慚愧について

問い「お叱りください」

問い「お叱りください」
http://hasunoha.jp/questions/1304

【ご質問内容】

こんなことを質問させていただいて良いのかわからないのですが…

すべてもう遅いとりかえしがつかない、人生立て直すにももう無理だと思い、前まで一生懸命に頑張っていたことも頑張る気力がなくなってしまっています。

自分の今までの行いがただ悪かったから自業自得なのですが、悪に悪を塗り重ねもう自分が嫌になってしまいます。

そうすることでしか自分を守ることができず悪の環境から結局抜け出せれず、変わることが出来なかった、自分が弱く誘惑に打ち勝つことができなかった。
自分が情けないしもう何もかも嫌になってしまいます。

中絶の経験もあり、うつ病になり、気がつけば人生に相当の遅れをとってしまい、悪を重ねてしか生きれない、うそをついて進もうとする自分に本当に悲しいです。もう戻れません。
「人の道」をしっかりと歩みたかった。本当に悲しい人生です。上辺で偽りではなく心から人生を大切に生きたかったです。
中絶のこともあり明るく過ごすものの、すぐに心に重くのしかかりため息ばかりでます。

生きていても、何があるのか、悪に悪を塗り重ねることしかできない未来に希望がない、こんな人間生きていて良いのでしょうか。

お忙しい中このような投稿をし申し訳わけございません。

【拙回答】

業(カルマ)は、ある種のポイント制度

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

まず最初に、今しばらくはまだ無理かもしれませんが、いくらでもそのお心次第においては挽回可能ではないだろうかと存じます。

仏教では、懺悔文という偈がございますが、とにかくこれまでに積んだ悪い行いについて、心から慚愧して、懺悔し、二度と同じような過ちをしないように誓い、努力することと併せて、できれば悪業を浄化させていくための善き行いに励みて、善業を積むことが望まれることになります。

少しわかりやすい例えとしましては、業(カルマ)は、ある種のポイント制度であると思ってみて下さい。

悪いことをすれば、負のポイントが貯まる。逆に、善いことをすれば、正のポイントが貯まる。そのように考えてみて下さい。

もしかしますと、今のさつき様は、負のポイントがやや貯まりすぎてしまっているのかもしれません。

それはこのままではいずれ返さないといけない借金のようなもので、いずれそのマイナス分、必ずどこかで苦しむことになってしまいます。

もちろん、生きていく中で完全に悪いことをせずに過ごせるという者などほとんどいませんので、何も対策を立てなければ、当然に、知らず知らずの内にでも無明(根本的な無知)や煩悩の働きにより、マイナスポイントが貯まっていってしまうものでございます。

問題は、そのことにまずは気づけているかどうかであります。でも、さつき様はご自身の行いについてよく理解されておられ、慚愧の思いをもっておられますので、十分に気づかれているのではないかと存じます。

ならば、そのマイナスポイントを今度はプラスのポイントで消して(浄化して)いってあげるようにできれば良いのであります。

もちろん、その間にもマイナスポイントもやむを得ずに貯めていってしまうでしょう。それでも、それを上回るようにプラスポイントを稼いであげていけば良いのであります。

そして、何とかプラスマイナスゼロか、できればプラスへともっていって頂ければ、その果報は、決して最終的には悪いものにならないかと存じます。

また、そのプラスポイントを稼ぐための方法が仏教の教えの中には実はたくさんございます。

是非、これを機会に仏教にもっと興味を持って頂いて、学びと修習に取り組んで頂けましたら有り難くに存じます。善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「謝りたいです」

問い「謝りたいです」
http://hasunoha.jp/questions/781

【ご質問内容】

2回目の投稿、失礼いたします。
前回頂いたアドバイスを参考に、虫さんを殺さずに外へ逃がしてあげる、見て見ぬ振りをするなど虫さんに慣れようと努力しているところであります。
そんな中、とても大きな後悔をしてしまう出来事がありました。

今日入浴中、排水口の近くにクモさんがいました。水に流されて死んでしまう、逃がしてあげようと思い、少し大きめのブラシにのせて水のかからない場所に避難させてあげようとしました。
しかしそれが間違いで・・・。誤ってブラシでクモさんのお腹を貫いてしまいまったのです。
ショックでした。逃がしてあげようと変に気を使ったせいで・・・。なにもせず、そっとしておけばよかったと後悔しています。今でもクモさんを殺してしまった光景が頭に残って、どうしていいかわかりません・・・。串刺しにされてどんなに痛かっただろう、怖かっただろう、本当にごめんなさいという気持ちでいっぱいです。

そのクモさんに対して心から謝りたいです。そして罰を受けたいです。どうすれば良いでしょうか?どうかご回答のほうをよろしくお願いします。

【拙回答】

畜生供養について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

虫さんへのお優しいお気持ち、誠に有り難いことでございます。

以前にも動物を殺してしまって後悔されておられることにつきましての下記問いにもお答えをさせて頂いております。

問い「動物を殺してしまいました。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002992558.html

とにかく、まずこの度のあやっち様の抱かれておられる「慚愧」の思いは大切な善い行いでございます。

その思いの中、私たち人間が生きていくために「食」させて頂くのにやむなく奪ってしまう命もあることを十分に自覚した上で、できるだけそれ以上、無駄に、無碍に命を奪わないように注意することと併せて、虫や動物への感謝の思い、報恩の思いを育むことが必要なことになるのではないかと存じております。

虫さんや動物さんは仏教的には「畜生」と申しますが、私たちと同様に迷い苦しみの世界にいることには変わりがありません。その中でも特に畜生界の苦しみとしましては、激しい生存競争、食物連鎖の中で、いつ食うか食われるかだけに追われて苦しんでしまっているところがございます。私たちのように仏様や仏様の教えのご縁に与(あずか)れることも難しい存在でございます。

そこで、その畜生界の者たちにも、どうか善き赴きがあり、仏縁、法縁に与れることができますようにとして、ご供養することが一つの報恩になるのではないかと存じております。拙生も少しく拙寺の草木禽獣沙巌供養塔前にて、機会毎に御供養回向をお勤めさせて頂いております。

また、下記の各問いの拙回答もご参照下さいませ。

問い「動物について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002880049.html

問い「私が殺したのでしょうか」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002847405.html

あやっち様のこの度のお優しいお気持ち、どうかいつまでも、いついつまでもお持ち頂けましたら有り難いことでございます。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/users/16

問い「罪悪感」

問い「罪悪感」
http://hasunoha.jp/questions/689

【ご質問内容】

はじめまして、よろしくおねがいします。

私は、今まで30年以上生きてきましたが、今立ち止まり振り返ると自分のしてきたこと全てを間違えてしまったと感じてしまいます。

人を傷つけ、やさしさを持たず、色眼鏡をかけて見て人を判断し、仕事上ではヒステリックに怒ればことが進むと勘違いし、男女関係でも道徳に反した行為があったと思います。このようなことはしないような人間でありたいと思って生きてきたはずなのですが、いつしか仕事の忙しさや周囲のやさしさにかまけて、気がつかないうちに傲慢になっていました。
それを、今になって気がつきました。いかに周りに対して愛情がなかったのか、、恥ずかしいです。傷つけてしまった方々には本当に申し訳ないとおもっています。しかしながら疎遠になってしまって謝ることもできません。

そしてこのような罪悪感を感じるのと同時に、周りの人々にはどうみられていたのかと人の目が気になり、陰では悪い噂がたっているのではないかという不安があります。罪悪感があり悪いのは全て自分だと感じているのに、まだ保身の考えを持ってしまう自分にも嫌気がさします。

私はこの先どのようにこの罪悪感と付き合い、罪滅ぼしをしてゆけばよいでしょうか。どうか、ご助言ください。よろしくお願い申しあげます。

【拙回答】

罪悪感への対処について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

罪や過ちを犯してしまったとしても、仏教では「慚愧」、「懺悔」することがまずは大切なこととなります。

「慚愧」につきましては、これまでも下記の各問いにて扱わせて頂きました。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_321867.html

問い「懺悔」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1004016464.html

『・・「慚愧」することから、更に、二度と同じような過ちはしないこと、相手に会うような機会があれば、反省や謝罪の思いを伝えること、もしできることがあれば償いを行うことも大切なことにはなります。・・』

もしも、もはや謝罪や償いが難しいとするのであれば、二度と同じような過ちをしないことと共に、善徳行や報恩功徳に努めることをお勧めさせて頂きます。また、下記問いにおける拙回答では「懺悔文」というお経について扱わせて頂いております。

問い「幸せでも良いのでしょうか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1008050052.html

「我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡 従身語(口)意之所生 一切我今皆懺悔」

「・・私がその昔より諸々の悪業(悪い行いの集まり)を積み上げてきてしまったのは、全て、無始(始まりのない過去)以来の貪・瞋・癡(貪りの心・激しい怒りの心・真理を知らない愚かな心)を原因として、身・語(口)・意(身体、言葉、心のそれぞれによる行い)によって生じるところのものです。私は今まさにそれらの悪業の全てを懺悔致します。・・」

ご質問にありますように、これからも罪悪感と付き合い、確かなる罪滅ぼしをしていくには、誠に上記の「懺悔文」をことある毎にお唱え致して、そして、積み上げてきてしまった、あるいは積み上げてしまう罪業や悪業を対治、排撃していくためにも、尚一層に善徳行・慈悲行・利他行に努め励むことが大切になるのではないかと存じております。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「仏様はこんな私を許してくださいますか・・・?」

問い「仏様はこんな私を許してくださいますか・・・?」
http://hasunoha.jp/questions/728

【ご質問内容】

私は過去に自傷をした事、友を馬鹿にした事などといった過ちをおかしてしまいました。今ではそのことについて反省し、何があっても自傷はしないようにしていますし、友に対して悪口を言ったりすることはありません。
しかし、別に現在でもある過ちをおかしてしまっています。虫の命を奪っていることです。
私は小さな虫でも恐ろしい、気持ち悪いと感じてしまい命を奪ってしまいます。
両親に頼んでできるだけ外に出してもらうようにしていますが、人間に害がある虫は簡単に殺してしまう。
そんな自分勝手な都合で虫の命を奪ってしまう私に腹が立ち、悲しくて涙がでます。虫たちだって、一生懸命に生きているから殺してはいけないとわかっているのに、気持ち悪いからなどといった理由で殺してしまう私が残酷だと感じています。
虫を殺してしまうたびに、心から泣いて謝ってはいます。
しかし謝るばかりで虫を殺さずにいるということはできません。
それだけではなく、私は過去に大変な過ちをおかしてしまいました。
正直にいいます。仏様を、裏切ってしまったのです。
9歳、10歳位の頃に家で犬を飼っていました。しかし理由があり犬を病院に手放すことになってしまいました。私は仏壇の、仏様の前で「私がしっかりお世話をしますからどうかあの子が戻ってきますように」と祈りました。
そして本当に戻ってきてくれたのです。しかし・・・、私はちっとも世話などしませんでした。
仏様に誓ったのに。裏切ってしまたのです。
結局犬は病院に引き取ってもらうことになりました。
悔やんでも悔やんでも悔やみきれず、仏様のお心を傷つけてしまったと、大変馬鹿なことをしてしまったと自分を責めています。
勝手な都合で命を奪い過ちを繰り返し、幼かっといえども仏様を裏切り・・・。
死後、私は地獄におちて苦しむべきですよね・・・、でも、それでも、地獄におちたくないです・・・。何億年も釜の中で苦しみ、針の山を歩かせられるのが怖いです・・・。
結局自分が可愛い私に腹が立ち、苦しいです。
教えてください、お坊様。
仏様は、こんな残酷で自分勝手で最低な私を許し、愛してくださいますか・・・?
この先どのようにして生きていけばよいでしょうか?一生一人ぐらしでいるつもりですので、新しい命をこの世界に誕生させれこともなければ、虫を殺してしまうこともあるかもしれません・・・

【拙回答】

アングリマーラ

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏様の広大かつ深大なる慈悲の御心は、いついかなる時でも私たちを見捨てることはありません。ただ、私たちの罪、過ち、悪業は、仏様が許す許さないの問題ではなく、自らの行い次第となります。

仏様の慈悲を根拠として、何でもかんでもが許されるとなれば、多大な弊害が生じることになってしまいます。それこそ、人を何人殺そうが、仏様がいずれ救って下さるから大丈夫だというような考え方を持ってしまうと大変危険なことになります。

直接に回答への引用は今回が初めてとなりますが、下記ページをご参照下さい。

「拙回答の基本的な前提となる考え方について」
http://www.hide.vc/h1.html

小前提
5、無際限・無限定に如来の慈悲を根拠として引用しての楽観的な救済論の否定。
6、仏教を不要化させかねない楽観的な現実全面肯定の理論の否定。

・・

例えどのような過ち、罪を犯そうとも、重要となるのは、それをしっかりと悔い改めて、反省、慚愧、懺悔した上にて、智慧(空の理解)と福徳(善徳行・慈悲行・利他行)の二資糧の集積に努めることによって、悪業、煩悩、無明の対治、排撃を目指していくこととなります。このことにつきましては、下記の拙回答をご参照下さいませ。

問い「幸せでも良いのでしょうか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1008050052.html

お釈迦様の時代、千人殺して千人分の指を首飾りとすれば修行が完成するという奸計に落ちたアングリマーラという殺人鬼が現れ、九百九十九人の人を殺し、あと一人となった時に出遭ったのが実の母であり、手をかけようとした時に、お釈迦様が現れられて、アングリマーラを諭し、改心させて、その後、弟子入りまでお認めになられます。アングリマーラは苦難の修行を経て、やがて阿羅漢果という悟りを得ます。お釈迦様は、確かに仏道を歩むことは許されたものの、その悪業を許されたわけではなくて、あくまでもアングリマーラが悟れたのは自身の修行による結果でございます。

私たちも、過ちや罪を繰り返してしまったとしても、慚愧、懺悔し、尚一層に善徳行に努め励むことが大切なことになるのではないかと存じております。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/users/16

問い「幸せでも良いのでしょうか?」

問い「幸せでも良いのでしょうか?」
http://hasunoha.jp/questions/670

【ご質問内容】

私は20才の時に人を事故で殺してしまいました。

今は旦那と子ども二人、お腹に一人、
マイホームも建設中で、
私自身の仕事、職場にも恵まれ本当に幸せです。

でも、
一人の人間の人生を奪った私が
今、こんなに恵まれ、幸せでいいのでしょうか?

時々、誰かに責められているような不安感に襲われ
怖くなります。

【拙回答】

懺悔文

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

詳しい事情・状況(故意または過失など)は分かりませんが、過去における事故にて人を亡くされてしまわれたとのこと・・ただ、既に謝罪や償い、罰(刑事罰、民事罰や行政罰)もお済みなのではないかとは存じます・・それでもまだ罪の意識をお持ちで自分を責めてしまわれておられるご様子・・

人間誰しも大なり小なり過ちや罪を犯してしまうものでございます。問題は、その過ちや罪とどう向き合い、そして、どう反省し、どのように行いを改めていくべきであるのかが、大切なこととなります。

仏教では「懺悔文」(さんげもん)というお経がございます。

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
従身語(口)意之所生(じゅうしんごいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

私がその昔より諸々の悪業(悪い行いの集まり)を積み上げてきてしまったのは、全て、無始(始まりのない過去)以来の貪・瞋・癡(貪りの心・激しい怒りの心・真理を知らない愚かな心)を原因として、身・語(口)・意(身体、言葉、心のそれぞれによる行い)によって生じるところのものです。私は今まさにそれらの悪業の全てを懺悔致します。

私たちは、このお経をことある毎に唱えさせて頂き、己の悪業、煩悩、無明(根本的な無知)と向き合い、そして、しっかりと智慧(空の理解)と福徳(善徳行・慈悲行・利他行)の二資糧の集積に努めることによって、悪業、煩悩、無明の対治、排撃を目指していくこととなります。

また、既に藤堂様もおっしゃられているように、過去の過ちに関しましては、仏教では「慚愧」ということを大切に致します。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/慚愧

「慚愧」により二度と同じような過ちをしないことと共に、善徳行、報恩功徳に努めることをお勧めさせて頂いております。

アカリ様はもちろん幸せで良いのですが、併せて、亡くなられた方への御供養と共にこれまでの様々な罪業や悪業を何とか善行を進めることで、尚一層にしっかりと排撃して参りたいものでもございます。

ご安産を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/users/16

問い「過去の悪いことや受けた恩について」

問い「過去の悪いことや受けた恩について」
http://hasunoha.jp/questions/594

【ご質問内容】

寝る前に多いのですが誰々に酷いこと言ったなとか悪いことしたなと過去のことを思いかえし反省することがあります。

そんな時は手を合わせて心のなで「申し訳ありません」と謝るのですが、仏教では過去の過ちに対して個人として、どう対処するべきかの教えはありますでしょうか?

また過去、お世話になった方々には手を合わせて「ありがとうございました」と心の中で感謝を申し上げているのですが、自分が受けた恩については忘れず感謝の気持ちを持ち続けようと思っているのですが、仏教では受けた恩についての考えや教えはありますでしょうか?

ご回答お願いします。

【拙回答】

「報恩功徳」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

過去の過ちに関しましては、仏教では「慚愧」ということを大切に致します。

「慚愧」につきましては、これまでも下記の各問いにて扱わせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/慚愧

最近では下記の問いにて扱わせて頂きましたので少しくご参照くださいませ。

問い「懺悔」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1004016464.html

「慚」は、自分の心の中にて悪いことを反省したり、恥じたりすること。

「愧」は、悪いことを恐れたり、または他の者に対して反省や恥じたることを表すこと。

とにかく、「慚愧」により二度と同じような過ちをしないことが大切となります。

次に、「恩」に関することですが、仏教ではよく「四恩」を大切にしなさいと申します。

但し、その四つについては一定ではなく、父母の恩・衆生の恩・国王の恩・三宝の恩、その他では、仏・如来の恩や師・先生の恩、施主の恩も言われることがあります。

「恩」を想うということは、誠に様々な「縁」によりて成り立っている自分のありよう、生かされて生きることができている自分のあり様を深く鑑みる時、その有り難さに感謝することであり、そして、「報恩功徳」として、その恩に報いる行いが求められ、その行いとしては、主に善徳行として、または慈悲・利他行として調えていくことが大切なこととなります。

(「善行」と言ってしまうと抽象的ですが、一つは他に迷惑を掛けない、自分のされて嫌なことはしないという善い行い(代表的な十善)と、もう一つが苦しみ困っている者がいれば積極的に助けていく、施していくという善い行い(慈悲・利他行)となります。)

是非、共に報恩功徳に努めて参りましょう。

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「懺悔」

問い「懺悔」
http://hasunoha.jp/questions/524

【ご質問内容】

現在高二なのですが、私は中学のころ、あだ名を言う、言われるの二つの体験をしました。
私は唇が太く、ぼってりしているのでそのことであだ名をつけられ、また不細工なのでからかわれ、当時は、家に帰ると独りで泣き、鏡を見て絶望し、自分なんかいないほうが良い、と考えていました。そのネガティブな気持ちはつい最近まで続き、もともとの神経質も関係し、苦しかったです。
また、私は、苗字があるレスラーといっしょだということで、プロレスラーというあだ名をつけたり、態度がおっさんぽくて目が丸く大きいということでおやっさんというあだ名をつけたりして、数人とそのあだ名を言い合って笑ったりもしていました。後悔するころには前者は転校、後者は転塾していました。彼女らには、実際会ったりや、メールで謝るなどの行為はもうできませんが、心の中でなんども謝り、またそれがきっかけで自分をかえることができ、今ではネガティブには決してならず、不平不満悪口も一切言わないようになりました。
このことは全て親に話し「実際に謝れないのなら、心でしっかり謝り、罪悪感を持つのではなく反省をしなさい」と言われました。当時共にあだ名を言っていた者にも相談したのですが、彼らは、罪悪感など一切なく、あだ名を言ったのも青春の1ページさ、などと言っていました。
最低な行為をしたことはわかっています。しかし過去は変えれませんし、過去に縛られていては未来でも同じ過ちを犯してしまうかもしれません。そうは思っていても、私は極悪人で、まわりとはけた外れに悪いことをしてしまったのではないかと思い、勉強にも手がつきません。
これから私は、どのように過去の過ちを捉えていけばよいのでしょうか?また、罪悪感を持つことと、反省とは違うのですか?どうか御回答よろしくお願いします。

【拙回答】

「慚愧」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

まだ高校生でお若いですのに、自らの過去の過ち(あだ名の付け合いぐらいは、中高生ぐらいであればよくある悪ふざけの部類で、それほど深刻な過ちではないかとは存じておりますが・・)と真摯に向き合われておられる姿勢、誠に感服させて頂きました。

さて、「どのように過去の過ちを捉えていけばよいのでしょうか?また、罪悪感を持つことと、反省とは違うのですか?」でございますが、仏教では「慚愧」(ざんき)という善い行いがございます。

実は、「慚愧」につきましては、これまでも下記のような問いの各回答にて扱わせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/慚愧

改めて、

「慚」は、自分の心の中にて悪いことを反省したり、恥じたりすることです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/慚

「愧」は、悪いことを恐れたり、または他の者に対して反省や恥じたることを表すことです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/愧

まさに、大和様は、内容を鑑みさせて頂きますと、この度は十分に「慚愧」という善い行いをなさっておられます。

もちろん、この「慚愧」することから、更に、二度と同じような過ちはしないこと、相手に会うような機会があれば、反省や謝罪の思いを伝えること、もしできることがあれば償いを行うことも大切なことにはなります。

ただ、あだ名の付け合いぐらいで、そこまでしなくても・・という意見も恐らくは多いのではないかとは存じます。

今回のことは、これからの善い行いを進めていくことにも活かして頂くとして、一つは、他に迷惑を掛けない、自分のされて嫌なことはしないという善い行い(代表的な十善)と、もう一つ、苦しみ困っている者がいれば積極的に助けていく、施していくという善い行い(慈悲・利他行)と併せて、努め励めるようになさっていかれるとより良いのではないかと存じております。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/users/16

問い「気持ちの切り替えができません。」

問い「気持ちの切り替えができません。」
http://hasunoha.jp/questions/178

【ご質問内容】

ちょっとした失敗や、恥ずかしいことがあると何日も何日もそのことを気にしてしまい、辛いです。
友人達に言わせたら「そんなことで」というレベルのことでも、くよくよ悩んでしまいます。
どうやったらもっと楽天的になれるでしょうか?

【拙回答】

「慚愧」(ざんき)

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

「ちょっとした失敗や、恥ずかしいことがあると何日も何日もそのことを気にしてしまい、辛いです。」・・私も若い頃も今も変わらずに、はやと様と同じであります。

ちょっとしたことでも気にせずに流すことができたら良いのでしょうが、なかなかそうもいかず、悩んでしまうことが多々でございます。

はやと様には難しい言葉かもしれませんが、仏教において「慚愧」(ざんき)という言葉があります。これは善い行いとして推奨されていることであります。

「慚」は、自分の心の中にて悪いことを反省したり、恥じたりすることです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/慚

「愧」は、悪いことを恐れたり、または他の者に対して反省や恥じたることを表すことです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/愧

このウィキペディアの説明の中では、涅槃経というお経において、「慚愧」が無ければ、「畜生」(動物たち)と同じであるとまで厳しく述べられてもいます。

ですので、はやと様がこの「慚愧」をなさられていることは、実に尊いことでもあり、あまりそのことを気になさられることもないかとは思っております。

逆にあまりにも楽天的となってしまって、反省することや恥じ入ることをせずに、「慚愧」を無くしてしまえば、短絡的な生き方や刹那主義的な生き方、傲慢・高慢な生き方、無恥無礼な生き方にも繋がってしまう恐れもありますから、十分に気を付けないといけないと考えております。

以上、難しいことを述べさせて頂きましたが、私も色々とこれからも大いに反省し、恥じ入ることをしながら、できる限りに善い生き方を心掛けていくことができましたらと思っております。

是非、共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/users/16
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