hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

運命について

問い「運命てきまってるんですか?」

問い「運命てきまってるんですか?」

【ご質問内容】

幸せそうな人をみると、なんで自分は… 
と思ってしまいます。 
なんで自分は幸せになれないのだろうと。 
運命てきまってるんですかね? 
今の自分は、生きてる意味あるのかと 
思ってしまいます。

【拙回答】

因縁次第

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「運命論」や「宿命論」については、仏教では否定されることになります。

もし、既に何もかもが、運命や宿命として決定付けられているのならば、それこそ、何をしてもどう生きても意味はなく、おっしゃられていますように、「生きる意味」はなくなってしまいます。

そうではなくて、全てのあらゆるモノ・コトは、様々な「因縁」(原因と条件)次第によって変化していくことになります。

善い因縁からは、善い結果が、悪い因縁からは、悪い結果が、ということです。

但し、無数の因縁が複雑に絡み合うことになるため、端的に、これとこれをすれば良いというような単純なものではないのですが、できるだけ善い因縁を調えていくことに努力するのが大切となって参ります。

また、善い因縁を調えていくためのヒントが仏教には多くございますので、是非、これから興味を持って頂きまして、学びを進めて実践にお役立て下さいましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

問い「運勢は何かで決まっているものなのですか?」

問い「運勢は何かで決まっているものなのですか?」

【ご質問内容】

はじめまして、つちのこと申します。 
私は普段、あまり運がいい方ではないです。 
けれど本当に人生で重要な局面や一歩間違えれば命に関わるような事故にあった時などは、結果的に良い方へ転がったり幸運にも無傷で済んだりします。 
この運の良さや悪さは何かで決まっているものなのですか? 
運のいい人や悪い人の違いとは一体何なのでしょうか?

あまり要領を得ない質問ですが、お答えやご意見をお聞かせ願えればと思います。 
宜しくお願いいたします。

【拙回答】

運命論・宿命論・決定論は「中道」に反する考え方

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教では、運命論・宿命論・決定論は「中道」に反する考え方として退けることになります。

何事においても、運命・宿命・決定付けられていることだとしてしまうのであれば、これから、何をどう生きようが、努力しようが、悪いことをしようが、善いことをしようが関係なく、何もかもがもう既に決まってしまっているとして、あらゆることが否定されて無意味となってしまいかねません。

運命論・宿命論・決定論は、極端な楽天主義か、あるいは極端な虚無・悲観主義に陥ることになってしまいかねず、仏教においては退けるべき偏見、断見となります。

藤範雅史様も既におっしゃられるように、仏教で因縁果の理を重視するのも、善き結果のためには、善き原因・条件が必要であり、その善き原因・条件を然るべくに調えていくためでございます。

誠に難しいことですが、死して、この肉体が滅んだ後にも続くことになる微細なる意識、心の連続体(心相続)が、どこへと向かうのかも、他の誰でもない、己における業の因縁次第となります。

そのため、できる限り、色々なご縁によって何とか生かされている今、この時を大切に、そして、善き行いにしっかりと努め励んでおきたいものでございます。

川口英俊 合掌

問い「寿命は自分で選べないのですか?」

問い「寿命は自分で選べないのですか?」
http://hasunoha.jp/questions/1216

【ご質問内容】

小学校高学年ぐらいから毎日何度か死にたくなります。

今は特に1日に何度も死にたくなります。

でも、何か理由をつけて(飛び降りるところや首を吊るところが家の近くだと家族に迷惑がかかる等)死なない軟弱な自分もいます。

しかしながら毎日こんな沈んだ気持ちでなぜ生きながらえなくてはいけないのか。

なぜ寿命を自分では決められないのか。

難病でも生きたくて仕方ない人もいるし、生きたかったのに事故や災難に見舞われて突然無念の死を迎えてしまう人もいる。
なんの不足がなくても死にたいと思って自殺する人もいる。

なぜ自分の意思で寿命は決められないのでしょうか。

【拙回答】

「縁起」論

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

自殺願望をお抱えのご様子・・ご心配申し上げます。

この世を厭われるお気持ちは、仏教では「出離心」として仏道を歩み始めていく上での大切な気持ちとなりますが、自殺はやはりいけないこととなります。

どうして自殺はいけないのか・・このことに関しましては。これまでにも下記の各問いにても少しく扱わせて頂いて参りましたのでご参照下さいませ。

自殺・自死について
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_319870.html

『・・心が煩悩や無明(根本的無知)に支配された状態においての自殺だけは決して勧められない・・』

次に、「寿命は決められないのでしょうか」・・ということについてでございますが、仏教では「運命論・宿命論・決定論」は排斥されることになるため、その範疇に入ることについては、やはり否定されることになります。

では、仏教ではどう考えるかと申しますと、「縁起」論で考えることとなります。

まず、全てのモノ・コトというものは、様々な因縁(原因と条件)によりて成り立っており、永久永遠に変わらない実体として決定されてしまうようなモノ・コトはあり得ないと考えます。

それは、更には、縁次第においては、結果を変えられるということにもなりますが、簡単には、不摂生をすれば、幾らでも寿命は縮めることはできますし、健康に留意して過ごしていれば、延ばすことだって可能になります。もちろん、災害や事故などは避けようがないかもしれませんが、しっかりと防災に気をつけていたり、不注意を減らすなどで結果を変えることもできないことはありません。どうしょうもない不可抗力によるものであれば仕方がないかもしれませんが、それも縁なるものとなります。

とにかく、この人生、そしてこの後生をより良い結果としたいとなれば、縁をできるだけより良いものへと変えてやっていく努力が必要となります。悪いことばかりを考えて日々を過ごしていては、良きご縁を迎えることは難しいこととなります。無理にはあまり申せませんが、少しでも明るく元気よく前向きな気持ちをお持ち頂けましたら有り難くに存じております。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「虐待される動物は、それが宿命なのでしょうか?」

問い「虐待される動物は、それが宿命なのでしょうか?」
http://hasunoha.jp/questions/1158

【ご質問内容】

最近も高校教論が子猫を生き埋めにした事件がありました。

世の中にはまだまだ遊び半分に酷い虐待に遭って殺される動物たちが沢山います。
犯人は悪びれもせず同じことを繰り返しています。
物言わぬ小さな命を弄びながら、肉や魚や植物の命を無駄に消費するのです。
そんな話を聞いてしまうたびに、可哀想で悲しくて心が狂おしく乱れます。
虐待される動物たちは、酷い目に遭うために生まれてきたのでしょうか?
仏教的には、彼らはそんな目に遭わされねばならない相応の業を持って生まれてきたということになるのでしょうか?
酷いことをする人間に出会ってしまうことは、動物たちの宿命だったのでしょうか?
だとしたら本当に悲しすぎます。
怖い苦しい想いをしたであろう動物たちの魂は、死後ちゃんと救われるのでしょうか?

せめて彼らの魂が仏様の元へ行って幸福になれるように祈っているのですが、どうしてもやりきれない想いがじくじくと心に膿みます。

【拙回答】

菩提心

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お優しい慈悲の御心をお持ちの樹理亜様、どうかその慈悲の御心をいつまでも保って頂けましたら有り難くに存じます。

三宝への帰依の思いと慈悲の心、そして、迷い苦しみにある一切の衆生が涅槃、悟りへと至ってほしいという思い・・まさに仏教において大切となる「菩提心」のことであり、誠に尊いことでございます。

「帰依と菩提心生起」について参照・・

仏陀・仏法・僧伽に
悟りに至るまで私は帰依いたします
私が積んだ布施行などの資糧によって
有情を利益するために仏陀となることができますように

すべての有情を救済しようという願いによって
仏陀・仏法・僧伽に
悟りの心髄に至るまで
常に私は帰依いたします

智慧と慈悲をもって精進し
すべての有情を利益するために
私は仏陀の御前に
完全なる悟りのために菩提心を生起いたします

この虚空が存在する限り
有情が存在する限り
私も存在し続けて
有情の苦しみを滅することができますように

※僧伽について・・(僧侶集団のこととなりますが、最近では、全ての出家者・僧侶を意味するのではなく、八地(不動地)以上に到達なされた聖者たちに対する帰依とされる場合もございます。)

合掌・・ここまで

「宿命」論につきましては、以前に下記の問いにても回答させて頂いておりますが、まず結論から申しますと、運命・宿命・決定論は、常見・断見のいずれにも陥る危険性が高くあり、「中道」を説く仏教からは、当然に退けるべき考え方となります。

問い「運命には逆らえないのでしょうか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002956277.html

「・・この輪廻の苦海の中にいる限り、色々な苦しみは、早晩、大小関係なく、様々に幾度と無く経験することとなります。・・」

とにかく、虐待されてしまう動物たちに限らず、この輪廻にある限り、大小様々に私たち衆生は迷い苦しんでしまうこととなります。

どうか全ての衆生たちがいずれ涅槃、悟りへと至れますようにとの菩提心を保ちて、仏道に精進して参りたいものでございます。樹理亜様の慈悲の御心、誠に有り難しでございます。

川口英俊 合掌

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問い「何故巡り合わせが悪いのか…」

問い「何故巡り合わせが悪いのか…」
http://hasunoha.jp/questions/823

【ご質問内容】

学校を卒業し、最初に入った会社に勤めて13年になります。今まで激務に追われ、産休に入る人の肩代わりを3回してきました。正直、もうやりたくないし、毎回、何で私だけが肩代わりしなけらばならないのか、当時独身だった為、私は結婚もしてないのに、なぜ私だけこんな辛いのかと毎回思っていました。結婚して、主人の転勤で、住み慣れない関西へ来て、仕事もやりたい仕事をあきらめて2年半。ここに来てまた産休に入る人が出て来て、私が肩代わり…もう嫌…何故私だけ?と思ってしまいます。どうしてこうなるのか。。また、こういう時、どうしたら楽になれるのか、負のスパイラルに嵌ってしまっているようで、抜け出したいですが、方法がわかりません。

【拙回答】

情けは人の為ならず

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

goyagoya様はきっと、どこでも周りから頼りにされる程に色々と仕事ができる優秀な方なのではないかと存じます。

ただ、丹下様もおっしゃられていますように、肩代わりが理不尽なものであれば、会社に対して、待遇面での改善、体制の見直しなどの善処は求めるべきであるかと存じます。

さて、「情けは人の為ならず」と申しますが、人のために役立つ行いを仏教では利他行と言いまして、その善徳としての行いは、必ず巡り巡って自分にも返ってくることになると考えます。それが「自利利他」という考え方になりますが、ただ、それも何か見返りを求めてしまっていては成り立たないものになってしまいます。

「三輪清浄」のことにつきましては、下記の問いを参考にして頂けましたらと存じます。

問い「人に施すことが、疲れてきました。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002999841.html

『・・「三輪清浄」とは、施す者、施しを受ける者、施すモノ・コトの三方共に清らかでなければならない、あるいは、「三輪空寂」として、三方に対して、とらわれや執着、実体視したりしてはならないというということが求められ、もちろん、見返りを求めるような心も起こしてはいけないことになります。また、どこかで、自分を犠牲にして、こんなにも施しているのに、という恨みや怒りが出てきてしまいますと、それは煩悩であって、そのような気持ちを持つ施しではいけないこととなります。・・』

難しいことかもしれませんが、その肩代わりを、例えば嫌悪を抱いて、怒りや憎しみに思ってしまっていては、その利他行は利他行ではなくなってしまい、かえって煩悩による行為として、悪い結果をもたらしかねません。心から相手のお役にと思い取り組むことで、きっといずれ善い巡りがやがて戴けるのではないかとは存じております。

ただ、それもあまりに善い巡りを期待してとなってしまうと、三輪清浄から外れてしまいますので注意が必要となります・・とにかく、「仕方がない、まあ、少しでも役に立てれば」ぐらいで思って頂ければ有り難くに存じます。

goyagoya様のお幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「こんな私って結局こんな運命なのでしょうか?」

問い「こんな私って結局こんな運命なのでしょうか?」
http://hasunoha.jp/questions/501

【ご質問内容】

最近自分を変えるために
一歩踏み出して飲食店の接客のアルバイトに行くようになったのですが、
仕事もいまいちできないし
迷惑かけてるし
いつもあたふたで自分が抜けてるような所もある上に人見知りで内気であまり言わないからか、責任者の人には私にはなんでも言っていいと思われてるのか
今日もバカにされるような事を笑いながら嫌味込めて言われて笑われたりします。でもいい事とか言ってくれたりもするので
矛盾してるのですが。笑
それに素早く動かないといけないのに
まだあたふたしてて把握もできてないので迷惑をかけてるばかりです。

でも、最近、気になる人がいてその人は
元々優しくて気さくで
私に話しかけてきてくてたりして
すごく気になっているのですが
自分から上手く話せないし
話もあまり弾みません。

でもその男の子の事を
他に気になっている女の子がいて
その人には私はうざがられてるような感じがしてあまり心開けそうにないけど
その女の子の方が仕事もできるししっかりしてるし可愛いからその子との方が楽しく話してる所の想像もつくし、
多分後々この2人が付き合う事になって
好意を持ってる人とも恋も実らないだろうなって感じてます。

私みたいな内気で上手く自分の意志も言えなくて仕事も上手くできない上に馬鹿にされるような事を言われて、笑われて
。しかも恋さえも実らせれそうにない。私みたいな人間は結局こんな運命なんでしょうか?

自分から話しかける勇気もなければ
意思表示する勇気もありません。
なんて言われるか不安だから。

【拙回答】

善き結果を望むのであれば・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

まず、大桑様もおっしゃられてるように、運命は(実体的に)決まっているものではありません。因果の理の中で様々な縁によりて変わっていく、あるいは変えられるものであるとお考え下さいませ。

問い「運命には逆らえないのでしょうか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002956277.html

何事においても、「・・運命・宿命・決定付けられていることだと言って諦めてしまうのであれば、これからも何をどう生きようが、努力しようが、悪いことをしようが、善いことをしようが関係なく、何もかもがもう既に決まってしまっているとして、あらゆることが否定されて無意味となってしまいかねません。これは一つの虚無・悲観主義に陥り、仏教において退けるべき極端な考え方、断見となります。・・」

仏教で因果の理を重視するのも、善き結果のためには、善き原因・条件が必要であり、その善き原因・条件を然るべくに調えていくためでございます。

aki様が望まれておられる善き結果を得たいとなさられるでありましたら、当然にaki様ご自身が努力し改善していくことによって、それが可能となる次第でございます。

ご自身を変えられたいという思いの中で、接客のアルバイトをなさられ始めたことも、善き結果を得られたいことの動機の一つ、そして、実際に始めたことにより、出会いもあって、気になる方もでき、恋なされることにも繋がっており、この「縁」によって、可能性が少しずつでも広がっていることは実感できておられるのではないかとは存じます。もしも、アルバイトを始めていなければ、出会う縁はなかったのですから。

誠に善き結果を望まれる可能性を更に繋がれていかれるかどうかは、aki様次第、後ろ向きに自己嫌悪に陥られたままでは、善き結果を得ることは尚更に難しくなってしまいます・・

結果は因・縁次第、結果は始めから(実体的に)決まっているものではありません。何もしないでは可能性は限りなくゼロに近づくだけです。自分から何気ないことから少しずつでも話しかけていかれることで、もしかしますと恋も前進する可能性があるかと存じます。いかがでしょうか。。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/users/16

問い「霊についてです」

問い「霊についてです」
http://hasunoha.jp/questions/492

【ご質問内容】

友達は常に霊がみえるそうです。彼に霊がいるのなら電気をつけさせて
と言ったら電気が一瞬つきました。また僕の寿命が82歳、ということも言われました。また、彼自身は26歳で亡くなるそうです。もしも彼が26歳で亡くなったらどうしようという気持ちや自分の寿命を知ってしまっ
たという恐怖が離れません。寿命は決まっているものなんですか?

【拙回答】

「霊」について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

まず、寿命は決まっていません。仏教では、運命論・宿命論・決定論は「中道」に反する考え方として退けることになります。

問い「運命には逆らえないのでしょうか?」
http://hasunoha.jp/questions/243

問い「生きていく意味」
http://hasunoha.jp/questions/93

例え不可思議に見える事象でも、必ずモノ・コトには原因・理由があり、突き詰めていけば私たちが知覚できている範囲、認識できている範囲、解明されている範囲で必ず説明が付くはずであります。もちろん、無数の因果の流れを全て明確に説明できれば良いでしょうが、残念ながら私たちには限界がございます。

ただ、悟りを開いた全知者であれば別ですが・・まあ、その友だちが全知者であるはずもなく、もしも全知者であれば、克明に82歳までの全ての出来事一つ一つを説明できるはずです。例えば、「私は明日何時何分に起きて、何を食べることになるのか?」、「十年後の○月○日、何をしているのか?」など詳しいことを聞いてみて下さい。まあ、きっと答えられないでしょうし、全く当たらないでしょう。

到底、論証・証明のできないようなことを扱うのは所詮ナンセンスで、私たちの現実の迷い苦しみを解決させていく上で何ら役に立たないことであり、特に、この霊の存在についても典型的なもので、釈尊は「無記」として扱われた次第となります。もちろん、釈尊は全知者でありましたが、あえて意味のないようなことを議論する必要がないとお捨てになられたのでしょう。それよりも、善き行いを積みて、善き因果の流れに乗りて、善き赴きへと向かうことに、しっかりと取り組みなさいということでございます。

また、下記の問答も参考に。字数の関係上、アドレスのみ表示。

http://hasunoha.jp/questions/68
http://hasunoha.jp/questions/126
http://hasunoha.jp/questions/196
http://hasunoha.jp/questions/201
http://hasunoha.jp/questions/428
http://hasunoha.jp/questions/443

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「運命には逆らえないのでしょうか?」

問い「運命には逆らえないのでしょうか?」
http://hasunoha.jp/questions/243

【ご質問内容】

いつもQ&A拝見させて頂いています。「なるほど」と思う事が多くとても参考になっています。

ところで、「運命」って存在するものでしょうか? 「運命」だからって言葉を使いますし、自分に言い聞かせる時も「運命」のせいにする事って結構多い気がします。
人生において、原因がありそして結果が付いてきます。結局因果そのものが運命かな?って思う事が度々あります。
悲惨な事故や事件を見ると、悪人だから遭遇したと言える人は少ないと思います。この日この時この場所に居なければ遭遇しなかったはずです。しかし残念ながら遭遇してしまった。「運が悪かった」では済まないと考えます。結局、生きている以上常に物事や行動を選択し原因を作り、何らかの結果が出て、「運命」と諦め落ち込んだり「運命」に感謝し喜んだりして。
支離滅裂になってしまいましたが、ご住職の方々が考える「運命」とはどのようなものでしょうか?逆らえる事は出来るのでしょうか?
私自身は抵抗する元気もないので、万事を受け止め現世に生がある限り前に行くしかないと思っています。辛くきついですが、これが「運命」なら仕方ありませんから。

【拙回答】

運命論・宿命論・決定論は仏教の「中道」に反する考え方

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

運命論は、別名で宿命論、決定論とも同意と考えることができます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/宿命論
http://ja.wikipedia.org/wiki/決定論

既に増田様、釈理薫様もおっしゃられているように、私たちの世界は因縁果の流れにて成り立ってございます。

http://hasunoha.jp/questions/235

但し、上記問いの拙回答内容のように、その因縁果の複雑な無数の流れを完全に知ることなど私たち凡夫には到底不可能なことであります。ただ、この因縁果の理を考えることは、あらゆるモノ・コトには実体が無いという「空」を考える上において非常に大切なことになります。

さて、運命論に関しては、これまで下記問い拙回答内にて少しく扱わせて頂いております。

http://hasunoha.jp/questions/93

結論から申しますと、運命・宿命・決定論は、常見・断見のいずれにも陥る危険性が高くあり、「中道」を説く仏教からは、当然に退けるべき考え方となります。

例えば、これまでの、またこれからの輪廻の中でも味わうであろう苦悩の数々・・それも運命・宿命・決定付けられていることだと言って諦めてしまうのであれば、これからも何をどう生きようが、努力しようが、悪いことをしようが、善いことをしようが関係なく、何もかもがもう既に決まってしまっているとして、あらゆることが否定されて無意味となってしまいかねません。これは一つの虚無・悲観主義に陥り、仏教において退けるべき極端な考え方、断見となります。

この輪廻の苦海の中にいる限り、色々な苦しみは、早晩、大小関係なく、様々に幾度と無く経験することとなります。天災や戦災、不慮の事故などによる死(怨憎会苦・死苦)もただその苦しみのほんの一端のことでしかありません。

とにかく、これからの善い結果、善い趣きを望むのであれば、やはり、悪い行いは慎み、善い行いに励み努めていくことが必要であり、いつまでもこのような境涯に生じて苦しみ続ける輪廻の根本を断つために、悟り・涅槃へ至るための仏道を歩むことが望まれることになります。

是非共に頑張ってこの輪廻からの解脱を目指して参りましょう。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16
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