hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

人付き合いについて

問い「人間と関わらずに生きたい」

問い「人間と関わらずに生きたい」

【ご質問内容】

宜しくお願い致します。 
11年前より、精神障害を患っています。

主治医が「貴女みたいな人は初めてです」と仰るほど、孤独好きで、人間が好きではありません。独りが楽です。 
人間に対して寂しいという感情はありません。

病気の内容にて、家族との思い出などもありません。 
人間は裏切る動物だと、根底にも脳にも刻まれています。

人間と関わらずに生きるには、どのような方法がありますか?

動物たちとだけ、暮らしたい。 
いや、苦しい今、そんなにしてまで生きなくても良いと、心は思っています。

宜しくお願い致します。


【拙回答】

慈悲心の滋養

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

もしか致しますと、人間の心に控えている悪い煩悩や無明(根本的な無知)に、人間嫌い、人間不信となられてしまわれている原因があるのではないだろうかと存じます。

実は、ひかり様も拙生も、人間全般、あるいは、動物たちも含めて、この輪廻において迷い苦しむ衆生の全ては、特に「無明」に侵されてしまっています・・

皆、迷い苦しみに喘いでしまっているのであります・・

何とかして、迷い苦しんでいる私、そして同じように迷い苦しんでいる皆、その原因となっている「無明」を対治したい、してあげたいというように、少しずつでも「慈悲の心」を滋養してことで、人に対しての見方も、慈悲の心を向けていけるように変えていくことができれば、誠に有り難いことであるかと存じます。

慈悲の心を滋養していくためとして、「慈悲の瞑想」がございます。

日本テーラワーダ仏教協会さんの「慈悲の瞑想」や「慈経」が有名ですので、下記にご紹介させて頂いておきたいと存じます。

「慈悲の冥想 Metta Bhavana」 

「慈経 Metta Suttam/※注意・パーリ語読み自動再生あり」 

「慈悲(四無量心) 」 

川口英俊 合掌

問い「人間のクズが許せない」

問い「人間のクズが許せない」

【ご質問内容】

人間のクズが許せません。 
僕の言う人間のクズとは、平気で人が嫌がることをする人や悪いことをしても罪悪感のない人のことです。

例えば、本人に聞こえるような声で人をバカにする人や、公共の場でのマナーを守らず周りに迷惑をかける人、人を陥れてお金を稼ぐ人(当たり屋や痴漢のでっち上げをする人等)等です。

こういった人達には倫理観や人としてのプライドのようなものがないため、自分達さえ良ければ何をしてもいいと思っています。 
その結果周りが嫌な思いをしようがお構いなしです。

例え自分と関係のないことでも、こういった話を見かけたり聞いたりするだけで僕まで嫌な気持ちになります。 

本当ならこういったクズは全員殺してやりたいくらいなのですが、それは現実的ではありません。 

彼らの行為に対する怒りと、それをどうすることもできないもどかしさでモヤモヤします。

世の中からこのような行為をなくしたいです。 
こういった人を撲滅させるにはどうしたらいいと思いますか? 
また、クズを許せない気持ちと上手く付き合うにはどうしたらいいでしょうか?

回答よろしくお願いします。


【拙回答】

無明の対治

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がございますが、仏教では、その真に厭い憎むべきものを「無明」(むみょう)(根本的な無知、根本的な愚かさ)と考えます。

まさにこの「無明」というものが、大乗さんもおっしゃられていますように、「クズの種」であり、数々の煩悩の原因、悪業の原因となっているものであります。

厄介なことに、拙生もささお様も、ささお様がおっしゃられるようなクズたちも、そして、この輪廻において迷い苦しむ衆生の全ても、実はこの「無明」に侵されてしまっています。

何とかして皆の迷い苦しみの原因となっている無明の闇を晴らしていかないといけません。その闇を晴らすための光が、仏教の智慧となります。

是非、自分も、クズたちも、そして皆も、悪しき行為をなさないようにしていくために、その根本的な原因となっている無明を対治していけるよう、これを機会に、仏教を修習していって頂けましたら有り難くに存じます。

共に頑張って、自分、そして、皆の無明を対治して参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「対処法を教えてください。」

問い「対処法を教えてください。」

【ご質問内容】

私は、今年、流産、死産を経験しました。 
それからは、人と接するすることがとても怖くなりました。 
人と会うと相手に傷つけられると勝手に思いこんでしまいます。

影で何を言われてるんだろう。 
ばかにされているんだろうか。 
笑い話のネタにされているんだろうか。 
など、いろいろ考えてしまいます。

そんなことを思っていると、私は、心のなかで相手 
を罵倒したり、ものすごい汚い言葉で相手を罵ります。 
言葉には出しませんが、こんなことを思ったり、考えたりする自分がすごく怖いです。 
でも、思ってしまうんです!

お坊様も黒い感情を抱いたりするんですか? 
もし抱いたりしたときはどう対処しているんですか? 
教えてください。


【拙回答】

「慈悲」の滋養

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

流産、死産のことは、誠におつらいことでございます・・どうか水子御供養と共に、ご夫婦仲睦まじくに、心身ともに御癒しを賜りまして、流産、死産を乗り越えられていかれますことを祈念申し上げます。

拙生もまだまだ未熟なる一人間・・怒りや嫉妬、後悔、恨みや羨みなど、悪い感情を抱いたりしてしまうことがございます。

その際には、できるだけ「慈悲」の心を滋養していけるように心掛けるようにしております。悪い感情を抱いてしまった時こそ、「慈悲」を滋養するための良い機会であると考えています。

皆、私と同じように様々な輪廻における悩み苦しみのただ中にある。

どうか、私も皆も、全ての衆生が輪廻の苦しみを離れて、幸せになりますように、と。

「慈悲の瞑想」におきましては、日本テーラワーダ仏教協会さんの「慈悲の瞑想」や「慈経」が有名ですので、下記にご紹介させて頂いておきます。是非、マリー様も黒い感情を抱いてしまわれた時には、少し「慈悲」について思って頂けましたらと存じます。きっと少しなりにも黒い感情の退治に役立っていくのではないだろうかと存じます。

「慈悲の冥想 Metta Bhavana」 

「慈経 Metta Suttam/※注意・パーリ語読み自動再生あり」 

「慈悲(四無量心) 」 

川口英俊 合掌

問い「将来一人で生きていくのが怖いです…」

問い「将来一人で生きていくのが怖いです…」

【ご質問内容】

高校2年の女です。

私は幼少期の頃から友達は少なく、外では猫をかぶったように大人しくなり、家の中ではその正反対の性格でした。

中学の時は不登校で友達なんて一人も居なく、家族だけが話し相手でした。

でも高校に入ってからは友達も少しはでき、イロイロありましたが比較的充実した学校生活を送れていたと思います。

しかし高校生になってからは「両親(特に母親)が死んでしまったら頼れる人も話せる人も居なくなってしまう。どうしよう…。」と考えるようになりました。

私はどちらかというとマザコンで、学校での出来事、なにか辛いことがあったら何でも母親に話してきました。なので母親が私の理解者だと思っています。

その母親や父親が死んでしまったらと思うと「死んでしまったらその先一人でどう生きていけばいいの?」「両親が死んでしまったら…私も死ぬしかない。」と考えてしまいます。

話し相手も頼れる人も居なく一人で生きていくなんて私には耐えられそうにありません。

兄弟は兄が一人いるのですが…兄は身の回りのことが自分でできない人で母親が片付けをしたり脱ぎ散らかした服を畳んだりしています。

しかし兄は外では人気者で友達も多いですし私との仲は良い方です。

でも兄はイザという時は頼りになりませんし…。

高校卒業したら今の友人関係も疎遠になると思うので、なんとしても一人で生きていけるような強い人間になりたいです。

それと信頼できる人と出会うにはどうしたらいいのでしょうか?

読みにくい文章で申し訳ないですが、どうか回答よろしくお願いします。


【拙回答】

良いバランス関係を

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

皆、他に依存して存在することができています。

つまり、他に依存せずに存在することはできないということでもあります。

ですので、「一人で生きていけるような強い人間になりたい」とあまり思い過ぎてはいけません。

人間関係でも、お互いの良いバランス関係が大切となります。頼り、頼られという感じでしょうか。

天秤の一方の方が重くなるように、一方に負担が掛かりすぎるとバランスは保てなくなってしまいます。

人間関係のバランスで大切となるのは、良い意思疎通と、相手の気持ちになって物事を考える力、思い遣り力になるでしょうかね。

お母様との関係は、マザコンと言うまでには及ばず、まだまだお若いですし、甘えることも特に歪なものではないようには思いますよ。良い関係を保たれて下さいませ。

ご縁はこれから色々とあるかと思いますが、信頼できる人と出会うようにしていくには、これもお互いの信頼関係の良いバランスが大切となります。つまり、自分も信頼される人間であることが前提となるでしょうかね。

昔から言うように「類は友を呼ぶ」という感じでしょうか。

何でも誠実に向き合っていけるように、自分も磨いていけると良いのではないだろうかと思います。

川口英俊 合掌

問い「誰にも嫌われたくないのです」

問い「誰にも嫌われたくないのです」

【ご質問内容】

こんばんは、初投稿です。

わたしは、周囲の人全員から好かれていないと怖くて仕方がありません。

過去にいじめを受けて以来、嫌われてしまうことへの恐怖心がより強くなりました。

嫌われないようにと思い、周囲と慎重に付き合っているつもりでしたが、現在わたしはある友人から(理由もわからず)避けられています。

他の友人も段々と離れて行ってしまうのではと不安です。

他人に嫌われないためにはどうすればいいのでしょうか。


【拙回答】

慈悲の心

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

誰にも嫌われたくないというお気持ち、誠に理解できます。

できれば皆、円満に、幸せに過ごして参りたいものでございます。

しかし、なかなかそうはいかないのが世知辛い世の中なのですよね・・

まあ、誰にも嫌われないというのは無理としても、「自分は誰も嫌わない」、「皆、平等に尊重して大切にする」ということならば努力してできていけるのではないでしょうか。

まさに、それは仏教の大切とする「平等なる慈悲の心」に通じるところでもあり、いかなる者であれ、その者の幸せを思い、その者の苦しみを憐れみ、慈しみをもって、その苦しみを少しでも癒し和らげてあげられること、苦しみを無くして救ってあげられることに、思いを向けると共に、できることならば、できるだけ実際にその慈悲の思いを行動に移していくということが必要となります。

もちろん、この慈悲の心をもって、人と平等に、丁寧に、尊重し、真摯に接して参りますと、自然と誰にも嫌われないようにもなっていくのではないだろうかとは存じます。

是非、更に詳しくには、これから仏教を学ばれつつに、慈悲の心の滋養に努めて頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

問い「結局人間は一人ですか?」

問い「結局人間は一人ですか?」

【ご質問内容】

結局人間は一人ですか?

最近人が信じられません。 
自分が信じても他人は同じだけ返してくれるわけではないからです。 
自分が他人を悪く言わないように気を付けても他人は悪く言います。

いっそ一人になりたくても人に執着してしまう自分がいます。 
心から自分を理解してくれる他人なんて存在しない気がしています。

これは自分を理解してほしいという気持ちを他人に求めすぎている考え方でしょうか。 
どういう考えをもって人と関わっていけばいいでしょうか。 
ご意見頂ければと思います。 
よろしくお願いします。


【拙回答】

見返りや報いを求めない心で相手のために

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

私たちのそれぞれは、とても一人で生きていけるような存在ではなく、色々と他に依存することによって、何とか生かされて生きることができるような、非常に弱い弱い存在でございます。

ですので、この弱い者同士が、より良くに過ごしていくためには、お互いの助け合い、支え合い、分かち合い、補い合いが大切となって参ります。

その際に必要となるのが、配慮や気遣い、お互い様の心、仏教的には四無量心の慈悲喜捨の心となります。

もちろん、こちらがそのように心掛けてはいても、期待通りに相手は返してくれないこともあるかもしれませんが、何か見返りや報いを求めての心で行ってしまっては、本当の意味での配慮や気遣い、慈悲喜捨の心とは言えない行為となり、それでは善い行いや功徳にもならないものであると仏教では考えることになります。

相手の迷惑や押し付けにならないことは当然として、見返りや報いを求めずに純粋に相手の苦しみを取り除いてあげようとして相手の為に行う行為こそ、尊い功徳、善い行いになる次第でございます。

「情けは人の為ならず」、仏教的には、「自利利他」と申しますが、この支え合い、助け合い、分かち合い、補い合いにおいて成り立っている人間世界におけるありようをしっかりと理解して、お互いがお互いで快く幸せに過ごしていけるようにして参りたいものでございます。

とにかく、余裕があればにて、見返りや報いを求めない心で相手のために、任意で、無理せずできることを心掛けていかれてみられてはいかがでしょうか。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「友達とは何か。愛情とは。生きたくない。」

問い「友達とは何か。愛情とは。生きたくない。」

【ご質問内容】

僕は、友達とは何なのかわかりません。 
人生の半分を家族と離れ生きており、小・中学校も転々としており、友達・愛情という概念?言葉の意味?がわかりません。 
小学校の頃の同級生とは連絡も取れませんし、中学校の頃の同級生と遊ぶことがあっても、素の自分が出せず、また、奢ったり、現金を渡してしまったりと、お金で釣っているような感じになっています。 
もう、今は笑うこともなければ、泣くこともなく、怒ることもなく、 
たばこやお酒・薬物も辞めれず、人生のどん底にいます。 
このまま生きていてもいいのか・・・。いっそのこと死んだ方が良いのではないのか・・・。と毎日思っています。 
また、感情を手に入れて、人間関係も正常に戻すにはどうすればいいのでしょうか? 
・・・


【拙回答】

「全ては縁起し空である」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「全ては縁起し空である」

友達も、愛情も、生きることも、それらは縁起し空である。

全ては縁って起こっているということを「縁起」と申しますが、つまり、あらゆるモノ・コトというものは、全て何らか他の関係性に依存して成り立っています。

簡単には、例えば、全てのモノ・コトは、因縁(原因と条件)によって結果として成り立っているということが言えます。

また、定義・概念によっても、それぞれ意味合い、受けとめ方も異なるものになります。

例えば、私とあなたとでも、友達も、愛情も、生きることもそれぞれ価値判断や意味は異なるものであって、ここで私が、友達とは、愛情とは、生きるとは、と述べたところで、やはり絵空事みたいなものになってしまうことでしょう。

つまり、友達も、愛情も、生きることも、それぞれ、これだと決めれて言い得るような実体が無いのだということで、この実体が無いということを「空」と言うのであります。

ただ、いずれも良い結果を得たいのだとするならば、そのためには良い因縁が必ず必要であるということ、それは一応言えます。

そのためにも、なすべき基本的なこと、そして努力しなければならないこと、そのおおよそのことぐらいは理解できるのではないだろうかとは存じます。

たばこやお酒・薬物は正常な感情、感覚を失わせてしまうことにより、悪い因縁となるのは世の道理。控えるべきでしょう。薬物は違法薬物であれば捕まり、身の破滅となります。必ず辞めましょう。

感情や人間関係の良い因縁のためには、やはり手前みそながら仏教の実践がお勧めとなります。

四無量心や慈悲の瞑想、布施行など六波羅蜜の実践など。

是非、これを機縁として、仏教の学びとその学びからの実践を少しずつ進めていって頂ければと存じます。

また、分からないことがありましたら、hasunohaでも遠慮なくお尋ね下さいませ。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「人の目が気になって」

問い「人の目が気になって」

【ご質問内容】

私は昔から他人の目が異常に気になったり、人から嫌われたくないと思って生きてきました。

今でもその思いが強く、他人の何気ない言葉や態度に落ち込んだり、孤独感を感じてしまいます。

どうやったら自分は自分、他人は他人と思うことができますか?他人の言動を気にせずに自分らしく強く生きていきたいです。


【拙回答】

「他山の石」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

他を気にしてしまうことは、ある意味で仕方がありません。

なぜならば、私というものが何であるのかということは、他と比較してでしか判断できないからです。

以前にも用いた例えですが、一本のひもがあると想像して下さい。

何も比べるモノがなければ、それはただの一本のひも。そのひもには、長いも、短いも、太いも細いも、軽いも重たいもありません。

しかし、ただの一本のひもだったものに、他のひもを持ってくると、ただの一本のひもではなくなってしまいます。もう一本のひもと比べて、短いだとか、軽いだとか、細いだとか・・と言ったように評価、価値が生じてしまうことになるのであります。素材まで違うものをたくさん用意すれば、もうキリがないぐらいにあれやこれやと差異が生じることになっていきます。

しかし、上記のように、差異こそが、それが何であるのか、つまり、自分が何ものであるのかを知るためには必要になるのであります。

この世が多様なモノ・コトの関係性で成り立っている以上は、その差異が生じるのは仕方がありません。

むしろ、そのように多様化した差異に富むモノ・コトによる営みがあるからこそ、私たちも無数の関係性の中で、生かされて生きることができているのであります。

ですので、差異があり、他との関係性において、自分という存在が成り立っている以上は、周りを気にせずに生きられるというものではないのであります。

つまり、何が言いたいのかと申しますと、どうせ他との関係性は無視できない以上、他が気になるというのは当然として、それにより、自分の価値、立ち位置を正確に知り、それを活かして、自分という存在の長所と短所を見極めて、うまく人生を前へと進められるように、幸せになれるように、と調えていくことが肝要になります。

足りない部分、短所を何らかで補ったり、また、他の支えや助けをもらったりと、それで、また、自分の長所を活かしてできることがあれば、他のための支えや助けになってあげたりできていければ良いのであります。

とにかく、他の言動を「他山の石」として、自分磨きの一つとして活かしていけれるように、少し心に余裕も持って客観視できるようにされてみるのも一つです。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「おばさんたちとの付き合い方」

問い「おばさんたちとの付き合い方」

【ご質問内容】

父方のおばさんたちとどう付き合ったらいいのか悩んでいます。

5人姉妹で、とにかく、みんな気が強く気に入らないとすぐに大声で文句を言ったり怒り出します。

親戚の、集まりでは誰かと誰かが喧嘩したり省かれたり 
私に直接関係ないこと、全く関係ないことも、そばにいると飛び火したり、あたってきます。

母が生きていた時に、かなり我慢しているのを幼い頃から見てきて、私もなるべく気持ちを抑えて我慢していましたが、母が亡くなり、父が亡くなり、それから少しずつ疎遠にしようと試みましたが、電話はかけてくる。 
いきなり家に押しかけてくる。

そして、一方的にひたすら姉妹や誰かしらの愚痴を言ってきます。

正直愚痴ばかり聞いているとストレスになるし、聞いていて気分も良くありません。

それも怒り丸出しで私が怒られているように感じてしまう時もあるくらいです。 
こちらが柔らかく否定しても話は聞かない、会話のキャッチボールも出来ない状態です。

昔からそういう人たちとわかってはいるし、今更なのですが、何故私のところに来るのかわからないのです。

この人たちが生きている限り、私は休めないのかな…くらいに思ってしまうこともしばしばで…

前に他のことで相談したときに関わらないことが良いといわれ、なるべくそのように努力はしていたのですが。

一緒に暮らす家族と友人が気持ちよく過ごせる人たちに対して、近い身内がストレスのもとになってしまっています。

みんなそれぞれ歳も歳なので、可哀想は可哀想なのですが…私も持病も抱えていっぱいいっぱいになってしまうのです。

そして、本当母につらい思いをさせたおばさんたちが本当は大嫌いなのです。

私はおばさんたちと 
これからどう付き合うのが一番なのでしょうか。

【拙回答】

血のつながり・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

血のつながりがあるゆえに、色々とあれこれと特別に期待したり、思い強く囚われて執着することもあるため、喧嘩したり、こじれたりすると、本当に厄介なものとなります。

まあ、遺産相続の揉め事などがその典型例ですね・・

もちろん、血のつながりが、助け合って、支え合っていく上では、強い味方になることもありますが・・

とにかく、血族だからという先入見を取り除いて、他人と同様に「人」として尊重しては思うものの、あまり「親族だから・・」といって、深くかかわるようにはしないこと、最低限の付き合いに留めることも一つであるのではないかと存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「自然体でいたい」

問い「自然体でいたい」

【ご質問内容】

私は人付き合いが苦手です。友達にも本音を言うことができず、本音を言えるのは家族だけです。幼馴染の前でも、無意識のうちに壁を作ってしまう自分がいます。自然体でいよう!といつも考えているのですが、考えれば考えるほど素の自分が分からなくなります。 
また男性と話すのが苦手で、男性の前では余計不自然な態度になってしまいます。 
ありのままの自分でいられる方法を教えていただきたいです。アドバイスをお願い致します。

【拙回答】

程良い距離感

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「寝よう、寝よう」と強く思えば思うほどに寝れなくなるのと一緒で、「自然体でいよう、自然体でいよう」と強く思えば思うほどに難しいものになってしまっているのかもしれません。

まあ、「では、自然体て何だろうか?」ということもありますが、みんながみんな自然体で、本音でやりあっていては、おそらくとんでもない世界(争いが耐えないなど)になるのではないかと存じます。

互いに配慮し合って、調和、協力、時に妥協しながらでも、より良くに過ごしていけるように、互いの程良い距離感を保つことも大切になるのではないかと存じます。

もちろん、ありのまま(裸を見てもらう)が必要な時もあれば、ありのままでは困る場合もある(裸を隠して服を着ないといけない場合)ということで、これからの人との意思疎通、コミュニケーションの中で、少しずつその塩梅を見極めていかれると良いのではないだろうかと思います。

苦手意識も同じで、「苦手だ、苦手だ」と思うほどに、本当はそうでもないのに、そのバイアス・先入観を自分にかけてしまっていることもあります。

あまり最初から苦手だと考えずに取り組むことも必要ではないかと存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌
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