hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

看取りについて

問い「受け入れるしかない「苦しみ」について」

問い「受け入れるしかない「苦しみ」について」

【ご質問内容】

親が老いて体が動かなくなり、認知症になり、死んで行くのを看取る苦しみ。

そして、同じ様に自分も老いて行く事が分かっていながら何も出来ない苦しみ。

なので、時の過ぎるのがとても怖いです。

「一日一生」と分かっていますが、生きてきて46年。

無駄にしてきた時間を思い返し、もう若くなく、社会では「初老」

人生を社会でやり直すには必要とされない年齢となり、思い描いてい

た自分の像と、現在の自分とのギャップに苦しんでいます。

仕事はしていますが、自分のしたい事ではありません。

すれば良いと言われるかもしれませんが、年齢を考えると事業に失敗する事が恐ろしいです。

でも、したい。

「老い」も怖いのですが、「思っていた事をしないうちに老いる」のが怖いのです。

今は、高齢者の方を見ても、死んで空き家になった家を見ても、老い

始めた両親を見ても「怖さと不安」がこみ上げてきます。

この苦しみを受け入れる心構えを教えて下さい。


【拙回答】

良い因縁へと向けて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「苦しみ」というものは、ある一面において、私たちの都合(期待や希望、欲望など)によって生み出して(生み出されて)しまっているところがあります。

こうだったらいいのに・・と思っていても、どうにもままならないという感じになりますかね・・

とにかく、この世が因縁(原因と条件)に依り変化していく世界である以上、因果律から逃れられることはできません。例えば、原因(と条件)もないところに結果は決して出ないということでございます。

ということは、因縁をより良いものにしてやることができれば、必然的に結果も良いものとなっていくはずだということです。もちろん、複雑な無数の因縁が絡むため、一概、一律に、「これとこれをしたから、はいこれになる」とも言えないところがあるのですが・・

仏教では、この因縁の流れについて、今生だけを限定的に見るものではなく、もっと過去世からの流れ、そして、これから先(来世、来来世・・)への流れも見ていかなければならないものとなります。

また、良い因縁を、と申しましても、その内容には、実は、世俗的なものと、そして仏教真理から説かれるもの(勝義的)の二通りがあります。

できれば、しっかりと仏教を修習していく中で、両方ともに良い因縁となるような行いに努めて参りたいものでございます。

仏教を学びますと、世俗的な良い因縁についても当然に調えていくことができるようになります。

是非、これを機縁に仏教により興味を持って学んでいって頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

問い「配偶者の病気」

問い「配偶者の病気」

【ご質問内容】

初めまして。 
誰にも相談できず、悩んでいます。 
少しでも心が楽になる言葉をいただけたら幸いです。 
どうぞよろしくお願いします。

主人(50歳)が余命一年から二年の癌になり、今は治療中です。 
本人には余命宣告されたことは伝えてありません。 
ただ本人は自覚症状や痛みや治療などからあまり長くは生きられないのではないかと思っています。 
私はもちろん全否定して励ましたりはするのですが、それが逆効果になり、本人は落ち込んだりします。

主人は大好きだった釣りやゴルフができなくなり、歩くことも困難になり、人生の楽しみを失ってしまいました。 
正直毎日落ち込んで沈みがちな主人を見ているのが辛くて悲しくてしんどいです。 
どんな言葉を掛けたらいいのか何をしたらいいのかわからないんです。

本人に生きる希望を持って少しでも前向きになり、治療を頑張ってほしいんです。 
でも病気の痛みや治療の辛さを我慢している主人に少しでも長く生きてほしいと思うのは自分勝手なのだろうかと思ったり、 
余命宣告されているんだから治療を頑張らなくてもいいのではないのかと思ってしまう時もあります。 
私も気丈に前向きに明るく振る舞ってはいますが、どう病気と死と主人と向き合っていいのかわからないんです。

できるならお互いが心穏やかに過ごしたいので、そんな心持ちになれるような言葉や所作など教えていただけたらと思います。 
よろしくお願いします。


【拙回答】

最期の看取りへと向けて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

ご主人様が癌に侵されてしまわれて、余命を宣告されてしまわれたとのこと・・誠におつらいことでございます・・

私たちはいずれ誰もが死を迎える中において、代表的な苦しみとしての八苦の一つに「愛別離苦」も挙げられていますように、愛する者との別れというものは、尚もって誠につらいものがございます。

もちろん、手術、抗がん剤治療、先進医療による治療等にて、まだまだ延命や回復の余地もあるかとは存じます。しっかりとご主人様と共に病気と向き合って頂けましたらと存じます。

しかし、いずれにしても最期の時はやがて訪れることになります・・臆さずに申しますが、臨終へと向けて大切となるのは、悲観や絶望、不安、恐怖、後悔など、悪い煩悩にあまり支配されずに、穏やかに安心して心が落ち着いた状態を保てるようにとして、看取る者たちも、優しく温かい言葉を掛けてあげること、感謝や報恩の気持ちを伝えること、後顧の憂いを無くしてあげれるようにすること、できるだけ最期の望みを聞いてあげて、可能であるならば叶えてあげることなどを通じて、できるだけ安らかに逝かせてあげれるように調えていくことが必要であるかと存じます。

身体の苦しみにつきましては、医師ともよく終末期ケア、緩和ケアについてご相談なされて頂きまして、心の方につきましては、仏教徒でございましたら、更に、お家のご宗旨、帰依されておられるご宗旨における簡単なものでも構いませんので、仏典やその分かりやすい解説書などの読み聞かせ等による仏法の真理への気付きへの促しや、三宝(仏法僧)への帰依、菩提心(悟りを目指したいという強い志)の生起、来世におけるご仏縁と智慧と福徳(功徳)の修習へと向けた志などへの滋養を頂けましたら、それはそれは更に大変有り難いことであるかと存じます。

ご主人様の死後も続く、心の連続体(心相続)へと向けて、仏様、仏法とのご縁の深まりによってのより善き赴きがございますようにと、心から祈念申し上げます。

お安らかな旅立ちとなりますように。

川口英俊 合掌

問い「認知症の意味」

問い「認知症の意味」

【ご質問内容】

なぜ認知症になるのでしょうか?

医学的な事ではなく又本人が死に向かっての準備という様な事でもなく『他者に対してどういう意味』があって認知症になるのかわかりません。

食事を食べていないと言ったり誰かわからないなどは認知症の中でもまだ軽い症状です。

認知症が進むと言われていることが解らなくなります。本能であるはずの食べるという事も解らなくなります。

それでも介護者はべ物を口に運び・失禁で濡れた服を替えなければいけません。

現在では認知症の親を施設に預けることが多いと思いますが、職員が暴力・暴言を受けることも多々あります。

しかし職員は言い返すことも手を振り払う事も出来ないため言葉で諭すのみ、生傷が耐えない時もあります。

何をされても言われても職員は自分を守る事が出来ない。認知症の方は弱者…頭では理解していても泥棒・バカ・気持ち悪い等々日々言われ傷つかないわけがありません。施設職員は神様仏様ではないんです…その為 鬱病等を患い辞めていく方も沢山います。 

ゆっくり時間を掛けて対話をすれば違う状況もあるでしょう。しかし介護施設(特に特養)と言われるところは時間に追われる日々  
常に職員不足によるものなので仕方がありません。

これから高齢者は増え続けますが介護職員は減っていくと思います(雇用状況が良くなり若い職員は他業種へ転職・ベテラン職員は順番に退職を迎えます)

子供が認知症の親を看ている時代なら別ですが 他人に介護を任せる時代何故『認知症』と言う病があるのかわかりません。

赤の他人を心身共に傷つけるだけ(可愛いらしく年齢を重ねた方も多くいますが)の最期が何故用意されているのかわかりません。

質問には直接関係ありませんが収入が良い訳でもありません。介護職員の平均年収は320万ほどだそうです。

【拙回答】

意識について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

介護現場の大変さ・・介護保険、介護報酬に係る社会保障制度的な問題については、政府がしっかりと対応していくべきであり、もっと介護従事者の処遇改善も図られてしかるべきであるかと存じます。

さて、仏教では、この世におけるあらゆるモノ・コトは、必ず因縁(原因と条件)により成り立っているとご説明申し上げます。

ですので、「認知症」も、もちろん、身体的機能、特に脳機能的なことを原因として色々な条件も重なって発症するものであると考えられます。

医学・医療の発達により、寿命は延びたものの・・だからといって・・と思うところはありますよね・・

私たちもいずれ認知症になるかもしれず、他人事ではありませんが・・

いずれにしても、生老病死の基本的な苦しみからは誰も逃れることができない・・ということなのかもしれません・・「一切行苦」、「一切皆苦」ということでございます。

何とかこの苦しみ、迷いの世界から離れていくための教えが仏教となります。これを機会に是非学びを進めていって頂けましたら有り難くに存じます。

ここからは少し難しい話となりますが、私たちの意識には、肉体に支配されている粗いレベルの意識と肉体に左右されない微細なレベルの意識があるとされています。

肉体に支配されてしまっている粗いレベルの意識は、もはや肉体の崩壊とともに、どうしょうもなく、それは認知症の方も同様ですが、死後にも存続していく意識としての微細なレベルの意識へと向けては、色々と働きかけていくことは可能であると考えられます。

その微細なレベルの意識へと向けて、仏教的な働きかけではなくても、慈悲の思いを向けてあげて、優しい言葉をかけたり、心配りや、配慮ができていければ、微細なレベルの意識に良き変容を促すことは可能であり、死後の良き赴きへと向けても、少しなりにも役に立つことができていければ、大変に有り難いことになるのではないだろうかと存じます。

川口英俊 合掌

問い「死の淵にいる母の心を救いたい」

問い「死の淵にいる母の心を救いたい」

【ご質問内容】

以前にも相談し、温かいお言葉を頂戴しまして、本当にありがとうございました。

私の母は髄膜腫を患っているのですが、先日医師より余命2〜3ヶ月と告げられました。

父が3年前に60歳で癌で亡くなり、その後家も火事で失くなり…途方に暮れながらも母や姉弟と何とか3年間やってきました。 
歳を追うごとに母の病状が悪くなっていき、先が長くないということは理解していたつもりですが…いきなりの医師からの宣告に、目の前が真っ暗になって毎日泣き暮らしています。

母も日々意識が保てなくなっていることに恐怖を抱いているのか、たまに自我がはっきりしているときはひたすら呻き泣いています。 
既に動けず、話も出来ませんが、恐らく自身がそう長くないことも感じ取っているようです。

なるべく自我がはっきりしているときには傍にいてあげたいと思い、余命の宣告があってからは毎日病院まで通っているのですが… 
母が呻き泣いていても「頑張って元気になって家に帰ろうね。皆で頑張ろうね」としか言ってあげられず… 
どうしたら母が心穏やかに最期の時を迎えられるのか…私がしてあげられることはありますか?

祖父母も亡くし、父も亡くし、家も失くし、自身ももう10年以上病と闘ってきました。まだ母は64歳です。 
いつでも明るく前向きだった母が、痛み苦しみ絶望しながら最期を迎えるなんて余りに酷すぎます。

死の淵で絶望に覆われている母の心を、何とか救ってあげることは出来ないでしょうか。

【拙回答】

臨終へと向けて・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

色々とご苦労なされてこられたお母様のこと、誠におつらいことでございます・・

生老病死・・誠に無常の理を痛切に思うところでございます。

お母様・・できるだけ身体、心の苦しみも取り除いて頂いて、最期をお迎えできると良いのですが・・

臨終へと向けて大切となるのは、悲観や絶望、不安、恐怖など、悪い煩悩にあまり支配されずに、穏やかに安心して心が落ち着いた状態を保てるようにとして、看取る者たちも、優しく温かい言葉を掛けてあげること、感謝や報恩の気持ちを伝えること、後顧の憂いを無くしてあげれるようにすることなどを通じて、できるだけ安らかに逝かせてあげれることが必要であるかと存じます。

身体の苦しみにつきましては、医師ともよく終末期ケア、緩和ケアについてご相談なされて頂きまして、心の方につきましては、できれば、お家のご宗旨、帰依されておられるご宗旨における簡単なものでも構いませんので、仏典やその分かりやすい解説書などの読み聞かせ等による仏法の真理への気付きの促しや、三宝(仏法僧)への帰依、菩提心(悟りを目指したいという強い志)の生起、来世におけるご仏縁と智慧と福徳(功徳)の修習へと向けた志などへの滋養を頂けましたら、大変に有り難いことであると存じております。

お母様の来世へと続く心の連続体(心相続)へと向けて、仏様、仏法とのご縁の深まりによってのより善き赴きがございますようにと、心から祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「自分の中のもやもや」

問い「自分の中のもやもや」

【ご質問内容】

はじめまして。 
数年前に祖父を亡くし、今でも悔やみます。

大好きな祖父でした。 
上京する時も最後まで心配してくれました。

脳梗塞で倒れ、重い腎不全。 
助からない状態でした。 
意識が途切れ途切れで寝たきり。

そんな弱っていく祖父を見るのがどうしても怖かった。

また来るね。 
ああ。

それが最後の会話になりました。

会いに行けたのに、怖くて行けなかった。

未だに悔やみます。

現在、実家に帰って来ていますが母親とあまりうまが合わなく、また上京する予定です。 
姉が実家の近くで結婚していますので、すぐに対応出来ると思います。

そんな時にふと、 
自分は薄情なのかもしれない。 
役に立たない。 
また逃げる。

祖父に何も出来ず逃げた私。 
両親を見捨てて行くのか?と自分を責める時があります。

要領が良く、何でもできる姉と、出来の悪い私。 
劣等感や逃げぐせ。お恥ずかしい限りです。

それでも上京したいと思う私はやはり薄情ですか? 
また、このもやもやした気持ちと向き合うにはどうしたらいいですか?

話がまとまらず、申し訳ありません。 
よろしくお願いします。

【拙回答】

後悔よりも・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

祖父様のご臨終でのことは、あまりお気になさられずに。「後悔」よりも、どうか「供養」を大切になさられて下さいませ。

真なる「供養」は、「功徳を供に養う」ことになります。

いつでもますみ様は、祖父様と一緒に、供に功徳を積めていけるようにと、なさられて下さいませ。

まあ、「功徳」と言うと大げさですが、要は、平等、分け隔てのない思いやりの心、優しい慈しみの心を持って行う行為が、「功徳」になるとお考え下さい。

次に、お母様とのことですが、ますみ様はますみ様の人生。親離れ、巣立ちも当然のことです。そんなに後ろめたい気持ちは持たれなくてもいいのではないだろうかとは存じます。

むしろ、親御さんにとっては、自分が足かせにと思わせる方がつらいものになるかとも思います。まだ元気でご健在のうちにこそ、ますみ様はますみ様で、やれること、やりたいことを精一杯しておくべきですし、この先ご結婚もされることになりますこともあるかもしれませんし、尚以ってあまり、自分で自分を縛り付けない方が良いのではないだろうか存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「生きる・死ぬとはなにでしょうか。」

問い「生きる・死ぬとはなにでしょうか。」
http://hasunoha.jp/questions/713

【ご質問内容】

私は長く高齢者施設で働いています。施設では医療行為は行えず、死を待つだけ。
昔は床の間の畳の上で看取りをしていましたよね、施設とは云え同じように職員が看取っていくのです。
人の生きる姿を見るときは、死はまだまだ遠い先に見えるものなのです。しかし死へ向かう姿を見るときは目先に見えるものです。私たちはどのように送り出せばよいのか、心を痛める瞬間が多いです。何もできない。わずかな時間手を握ることそれだけです。それ以外の時間は業務です、体を拭いて・点滴をして・清潔な環境・シーツ交換・栄養補給…。
私は人の死に向かって生きる姿・死を前にされている方にどんな手が差し伸べられるでしょうか。

【拙回答】

終末看護・終末看死へと向けて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

高齢者施設でのお仕事、そして看取りのお役目・・本当に有り難く尊いことでございます。

本来であれば、私たち宗教者がしっかりと看取りという現場にて、安心をお与えできるようにして差し上げられるとよいのですが・・なかなかそうもいかないこと、誠に申し訳なくに存じております。

もちろん、終末看護・終末看死について取り組んでいる「ビハーラ」という活動もございますが、まだまだ世間への認知度は低くございます・・

http://ja.wikipedia.org/wiki/ビハーラ

また、東日本大震災後に、東北大学が中心となって様々な心のケアに取り組むための宗教者の育成へと向けた講座を始めたことから「臨床宗教師」の養成、普及へと向けた動きもございますが、始まったばかりであり、今後の展開次第となってございます。

以前に「臨終」に際することに少しだけお答えさせて頂いております。

問い「死について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002969863.html

「・・臨終に際して、穏やかに安心して心が落ち着いた状態を保てるようにとして、看取る者たちが、優しく温かい言葉を掛けてあげること、感謝や報恩の気持ちを伝えること、後顧の憂いを無くしてあげれるようにすることなどを通じて、できるだけ安らかに逝かせてあげれることが必要となるのではないかと存じております。・・」

誠に人の死に立ちあう中で、悩み、そして、つらく、悲しいことも多々あるかと存じますが、あまりご無理はなさられずに、本当に少し手を握り、話をただ聞いて傾聴して頂くだけでも大変に有り難いことであるかと存じます。

少し難しいことになりますが、下記の拙回答も少しくご参照頂けましたら幸いです。

問い「死への恐怖がぬぐえません」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002999290.html

問い「生きること、死ぬこと、どっちが辛いのか」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002992500.html

誠にありがとうございます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16
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