hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

中道

問い「自分の価値を見いだすために」

問い「自分の価値を見いだすために」

【ご質問内容】

退職後、決まっていた仕事で条件違いにて結局は労働契約まで行かずに無職になってしまった事への自分への葛藤がたくさんあります。

応募しても応募しても、面接にいけどいけど、結局は決まらずお祈りメールと郵送費や写真代、交通費などがかさんでしまい「自分は価値がない人間だから受け入れてもらえない」と考えるようになりました。

何度も自殺を考えて、夫に「僕の稼ぎだけで暮らせるからもっとゆっくり考えていいのに」と言ってくれるけど、そんな甘え方も夫にとっても負担になるんじゃないかと考えてしまい、毎日どうやったら死へ向かうことができるか考えてしまいます。

趣味や今まで出来なかった語学の勉強を毎日やりながら、家事をしても果たしてこれは世間から見れば「喜楽な奥さん」みたいな取り方をされてしまい、それで悩むようになってしまいました。それも自殺を考えるの引き金にもなっています。

自分はこの世に果たして存在していいのか、労働力になるのか、そんな価値観を見いだせるようにするにはどのような事をすべきですか?

【拙回答】

「中道」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

生きる価値や意味などは、「これだ」と決まったものがあるわけではなく、色々な因縁(原因と条件)次第において変わっていくものでしかありません。ですので、「絶対にこれだ」というものもなく、人それぞれにおいても異なっていくものとなります。

Another one様は、「生きる価値」において、特に「働くこと」に重きを置かれているようですが・・

それだけではなくて、もっといくらでも見いだしていけますのに・・と思うのが正直なところでございます。

少し極端に物事を考えてしまれて、偏りが激しすぎるところがあるのかもしれません。

仏教でも、極端を避ける「中道」が求められることになります。

よくある例えとなりますが、琴の弦は強く絞めすぎると、音が張り過ぎて、あまり良い音が出なくなりますし、もっと張り、いずれ弦が切れてしまっては、音が出せなくなってしまいます。

しかし、かといって、弦を絞めるのを弱くしていくと、だんだん音に張りがなくなっていき、やがて緩め過ぎてしまっては、音が出なくなってしまいます。

強くもなく、弱くもない、中くらいに締めたところにおいて、琴の弦は丁度良い音が出せることになります。

人生も、その丁度良い塩梅において過ごしていきたいところとなります。

「これだけしかダメ」というわけではなくて、生きる意味や価値を、他にももっと色々と見いだせていけるのではないかと思いますので、もう少し考え方を柔軟にして頂きたいものでございます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「私は社会復帰することができるのでしょうか」

問い「私は社会復帰することができるのでしょうか」

【ご質問内容】

私は現在、躁鬱病で休職しています。 
転職して2ヶ月しか経っておりません。

実は転職前の仕事でも鬱がきっかけで休職、その後退職しました。 
その後体調がよくなり、転職をしました。 
しかし、鬱が再発し働ける状態ではなくなってしまった為、休職に至ります。

現職に転職する際、不規則な時間が気になりつつも、仕事内容に魅力を感じた事、前職より会社が安定している事、その頃には以前と変わらない体調であった事、で決めました。 
入社後わずか2ヶ月で休職に入ってしまい、現在の会社には本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。 
しかし、体調が良くなり復職しても、不規則な時間や残業の多さによりまた体調を崩し兼ねない為、来月で退職するつもりでいます。

正直、この先自分が社会復帰できるか不安です。 
病院の先生は、治療を続けていけば仕事ができるようになるから、と言ってくれますが… 
二度も休職している以上、また再発したらどうしようという不安が消えません。 
この不安はどうしたら無くなるのでしょうか。

ご回答のほど宜しくお願いします。

【拙回答】

無理や頑張り、焦りは禁物です。

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

鬱病の不安にてお悩みのご様子・・誠におつらいことでございます。

働くのは、とにかくまず鬱病をしっかりと治療してからにしましょう。

特に、無理や頑張り、焦りは禁物です。

周りの理解はどうでしょうか。

ご本人でしか分からないつらさやしんどさ、苦しさもあるかとは存じますが、できるだけ周りにもそのことをご説明されて、頼られて下さいませ。

また、先で復職される場合でも、いきなり正社員としてではなくて、契約社員やパート・アルバイトから、体調や症状の様子も見ながら、少しずつ働ける時間や期間も延ばすなど、自己管理をしながら調整されていかれてもどうであろうかと存じます。

とにかく、極端に「こうでないといけない」と思い込まないことも大切です。仏教では極端を離れた「中道」が推奨されます。時には、流れに任せて、柔軟に。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「もう生きるのが辛い」

問い「もう生きるのが辛い」

【ご質問内容】

気にしすぎる性格が嫌で疲れます。

人からどう思われるか、顔色を伺うなどを気にしすぎてしまいます。

小さい頃から、自分がだいっきらいで消えたい。 
全てに対して申し訳ないと思って生きています。 
楽しいことがあっても、どうせ何かまた辛いことが待ってるから今楽しんでも意味がないって考えて何もかも楽しめません。

もうこの先生きていくのが辛いです。

【拙回答】

極端を是正していく必要

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「自己嫌悪」「自意識過剰」が強くおありのご様子のお悩み・・誠におつらいことでございます。

とにかく仏教では極端は良くないと説きます。極端を避けた「中道」を保つことが求められるものとなります。

あまりに自分を嫌いになり過ぎるのも、他を気に過ぎるのも、あるいは、自分を好きになり過ぎたり、全く他を気にしないということでもいけません。

もしかすると悪いところばかりを考えてしまって、そればかりが目について、あたかもそれしかないかのようになってしまっているのかもしれません。

虚無主義・悲観主義的な考えも、何でもかんでもを否定し過ぎることによって生じてしまっているのではないかと思います。

少しマイナスに振り過ぎている振り子を戻す必要があるのではないかと存じます。

とにかく、私たちの世界は、自分独りで存在できるようなものではありません。他に色々と支えられて、助けられて成り立っています。

つらい時、しんどい時は、もっと他を頼って助け、支えを求めても良いのです。

お互いがお互い様で成り立っている世界です。

「全てに対して申し訳ないと思って生きています。」・・ではなくて、「支えとなり、助けとなってくれているものたちに対して、有り難うの感謝の気持ち」を持って頂けるようになれれば、また世界の見方も少しずつ変わっていくのではないだろうかと存じます。

そのためにも、自分も含めて世界の全てをいったんニュートラルに受け入れてみて下さい。

そして、幸せも、楽しいことも、貴女における因縁(原因と条件)次第になって参ります。幸せ、楽しみへと向けて、今の自分に何が必要か、何をなすべきかを少し前向きに考えて実行されていってみて下さい。

川口英俊 合掌

問い「自分のことが大嫌いです」

問い「自分のことが大嫌いです」

【ご質問内容】

私は今まで一瞬でも自分のことが好きだと感じたことがありません。 
根性がなくて、他人にを認めず、優しくできず、心も容姿も醜い人間だと思います。 
私は世界一生きる価値のないクズだと思います。 
13歳のころから30を越えた今まで自殺願望を抱き続けています。 
でも未だに死ねていません。自分勝手な死に方で他人に迷惑をかけてはいけないなどろんな理由をつけて死ぬ勇気がないのです。 
今、小売業の経営をしています。 
年老いていく母にゆったりとした暮らしをさせてあげたい、一緒に経営している兄にお金を稼ぐ道標をつけてあげたい、 
働いてくれる従業員さんが少しでも幸せだと思える職場を作りたいと思い店をはじめました。 
本来、私は人の上の立てる人間ではありません。 
職場で時間は守りなさい、報連相は徹底しなさい、自分で公言したことは守りなさいと何度も 
兄にも従業員さんにも伝えました。 
特に大学生のアルバイトさんはこれから社会に出ていくための練習で 
自分の店で少しでも学んで育ててあげたいと思うから、約束を守れなければ叱ります。 
でも兄にも一部の従業員さんにも私の真意は理解されません。 
兄は、学業が本分である子にアルバイトで遅刻したら叱る、約束を守れなければ叱るのは 
酷だと言います。 
母に相談してもあなたが経営者なんだからもっと努力しなさいと言われます。 
正しい意見だと思います。でも私は母にさえ無能で、根性がないと否定されている気がします。 
店で何かトラブルがあると全てお前が怠けているからだと周りから責められている気分です。 
自分の存在価値が見いだせない私は無性に消えてなくなりたくなります。 
私は努力の足りないどうしようもなく弱い、情けない人間です。 
人間でもなくゴミ以下の何か、とにかく存在意義のないものなのかもしれません。 
全て私が悪いと自分に失望しながら生きているのは思った以上にしんどいです。 
私は死ぬことが一番世のため人のためではないかと思うようになりました。 
私が私という存在ををどうとらえたらいいんでしょうか。

【拙回答】

「中道」へ

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

人は皆、「人」という字のように寄り合って成り立っています。

私たちは支え合い、助け合い、分かち合いの中で生きることができる存在です。

お互い様という気持ちで、少し肩の力を抜いてみて下さい。

また、自分をあまり卑下なさられ過ぎないで下さい。

仏教では極端を避けた「中道」を歩むことが大切と説きます。

今のみゆ様は色々と少し無理に頑張りすぎて、考え方も偏ってしまっているのではないかな・・と感じます。

時には、息抜き、リフレッシュも大切ですよ。

存在価値、存在意義などは、もともと(実体として)無いに等しいものです。

まあ、あえて申しますと、因縁(原因と条件)によって変化していくものです。良い因縁があれば、良いものとなり、悪い因縁があれば、悪いものとなる。それだけのものです。

つまり、良い因縁次第において幾らでも良くなっていくというものでもあります。

そのためにもまずは、もう少し自信を持って、そして、自分の良いところも認めてあげていくことからでも始めてみましょう。

きっと、みゆ様は自分が自分で思っているよりも、きっと良いところ、素晴らしいところがあるではないかと存じます。

下記の動画は、偏見をなくすための一つとして少し参考にして下さい。


みゆ様のお幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「もやもやが消えません。」

問い「もやもやが消えません。」

【ご質問内容】

質問、失礼します。

先日、3年間程お付き合いしていた方とお別れしました。 
原因は私の気持ちの変化です。 
本当に好きなのか分からなくなり、会っても素っ気ない態度をとってしまったり、連絡も適当だったりしました。 
それを何も言わず彼は我慢してくれていました。

このままでは彼を傷つけるばかりだと思い、話し合った結果、別れを選びました。 
去年にも同じようなことで距離を置き、数日考えてみてやっぱり私には彼しかいないと思い戻りました。 
それもあり、ここで距離をおくだけでは繰り返すだけなのかも知れないと思いました。

しかし自分から別れを選んだのに、別れて数日経った今ももやもやしています。 
彼とのラインのやりとりや写真など見ると、辛いのは彼の方なのに私も辛いなって思っています。 
このもやもやは、やはり私にまだ彼への気持ちが残っているからなのか、何も言わずに我慢してくれていた彼への罪悪感なのか分かりません。

3年間という長い期間一緒にいたため、情が湧いてしまっているのもあると思います。

今私はどうしたらいいのか、 
数日後に彼と直接会って話すつもりです。 
今のところはそれが最後に会う日です。

私はこのまま彼と別々の道を進んでいいのでしょうか。

乱文で失礼いたしました。 
ものすごぐ雑な文章なため、回答いただけるか不安ではありますが、宜しくお願い致します。

【拙回答】

恋愛に後悔はつきもの

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

揺れる恋心・・

全ては変化して無常である・・心も様々な因縁(原因と条件)によって変化していくものです。

「好き」という感情や「愛情」にも色々なカタチがあるかとは存じます。

仏教では極端や偏見を避ける「中道」を歩むことが大切なことになります。

いずれにしても、お互いに支え合って、助け合って、分かち合って過ごせる、そんなバランスの取れた関係があれば良いのではないだろうかなとは思います。

どちらかが無理してしまっていたり、頑張り過ぎたり、負担になっていたり、ストレスになっていたり・・と、恋愛がうまくいかなくなるサインをうまく掴んで、お互いの気持ちを都度にちゃんと確かめ合うということも時に必要かとは思います。

この度は、もう一度、貴女が相手を想う気持ち、相手の貴女を想う気持ちについて、真摯に向き合って確かめられてから、お答えをお出し下さいませ。

ただ、いずれにしても恋愛に後悔はつきものだと思います。それでも前を向いて、前へ進んでいかないと幸せは掴めません。どうか勇気を出して。

お幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「極端な考え方・行動」

問い「極端な考え方・行動」

【ご質問内容】

極端な考え方・行動をとってしまいがちです。

20代の学生です。 
気分屋なのか、熱しやすく冷めやすいのか、事あるたびに極端な考え方・行動をとってしまいます。

例えば現在免許を取るために自動車学校に通っているのですが、最初は早めの免許取得を目指して意気込んで通い始めたものの、うまく出来ない自分に嫌気がさし始め、高かったモチベーションも下がってしまい、予定を先送りにしがちになってしまっています。

ゴールは分かっているのに、小さい事につまづいてやる気を無くしている情けない自分に気付いてはいるのですが、昔から「うまく出来ないのならやめてしまえ」というような考え方をしてしまうところがあり、それが染みついている気がします。

小さい事につまづいて落ち込み、そんな自分に情けなさを感じてまた落ち込み、という考え方に向かって行ってしまいます。

人間関係であっても他人との距離感が極端です。 
自分の調子のいい時は、心の距離をすごく近づけてコミュニケーションをとり、調子が悪い(気分が乗ってこない)時は、ドライな対応をしてしまう、といった具合です。

気持ちに波があるというか、それをコントロールできずに振る舞いが我がままになってしまいます。

どうしたら極端な考え方・行動を治せるでしょうか。 
どなたかご意見いただけたらと思います。 
よろしくお願いします。

【拙回答】

「中道」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

極端な考え方・行動にお悩みのご様子・・

まさに仏教は極端を避けての「中道」が求められることになります。

仏教でのよくある例えとしましては、琴の弦は強く絞めすぎると、音が張り過ぎてあまり良い音が出なくなり、やがて弦が切れてしまっては音が出せなくなってしまいます。かといって、弦を絞めるのを弱くしていくと、音に張りがなくなっていき、やがてゆるんでしまっては音が出なくなってしまいます。強くもなく、弱くもない、中くらいに締めたところで琴の弦は丁度良い音が出ることとなります。

では、どれぐらいが丁度よいのか、いい塩梅となるのかと言えば、琴やギターでも実際に調律しながらでしかできないように、私たちも実際に経験・体験しながらに、また、経験者や体験者のアドバイスも参考に、修正していかないといけません。

ただ、orange様の場合、極端な考え方・行動に気を付けないといけないと、平素からお考えになられながらであれば、それである程度修正もできていくのではないだろうかと存じます。

中には、何が自分にとっての極端になるのかが分からないこともございますし・・

とにかく、常に自らを省みる謙虚な心があれば大丈夫であるかと存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「子供を健やかに育てたい」

問い「子供を健やかに育てたい」

【ご質問内容】

また相談に乗ってください。

最近のニュースなどで、年齢に限らず些細な事でキレて人を殺めてしまう事件が多い気がして心が痛みます。

加害者がどういう家庭環境で育ったのか、どういうしつけで育ったのか、すごく気になります。本音を言うと、自分の子供がそのような人間になってほしくない、今親として子供にどう接すればベストなのか悩んでいます。

育児本などで自己肯定感が大事とよく書かれていますが、私自身親から褒められた事もなく、自信が無いまま今まで生きてきたので、子供に自信をつけさせてあげる術もいまいちよくわからないです。

子供が思いやりのある、自信を持った人間に育つにはどうすれば良いでしょうか?

【拙回答】

善いバランス・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

何事も大切となるのは、善いバランス、仏教的に申せば「中道」になるのではないかと存じます。

そのためには極端を避ける必要がございます。

広い、大きな視野で物事の本質を見れるようにしてあげていくことで、自然に思いやりの心や、己の本質も理解しての自信も持てていけるようになるのではないかと存じます。

しかし、その思いやりや自信というものも、偏見や独り善がり、自己満足に留まってしまっているようであっては、他に迷惑の掛かる歪なものになりかねません。

多様な価値観を学び、認め、尊重していけるような環境を調えてあげることで、バランス感覚に優れた良い成長も見込めていけるのではないかと存じます。

善い意味でも悪い意味でも、子どもに多大な影響を与える親による価値観の押しつけが、最もいけないことになります。

できるだけ多種多様なる価値観について学べていけるように、どうぞ調えてあげられてみて下さいませ。

健やかなご成長を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「悩んでます」

問い「悩んでます」

【ご質問内容】

初めて相談させて頂きます。

私は25歳で今は、今年の2月末から派遣社員としてお仕事に行っております。

去年の10月末で、約4年派遣社員として働いていた所が契約満了になり退社しました。 
その後は、社員として約2週間お仕事してたのですが体調を崩し辞めました。 
親からも少し休息をいれたら?と言われ休んでましたが一人暮らしのため仕事しないといけないと焦り、また派遣社員として仕事をしたのですが、そこは2日で辞めてしまいました。 
昔は仕事が嫌!というより私は外にでないとダメになる!と思って頑張ってこれたんです。

その後は、約1ヶ月休み現在派遣社員としてまた仕事にいってます。 
その職場はいい人ばかりで凄く安心しました。 
最近やりたいことが出来ました。

でも、これがただ今の現状からただ逃げたいからなのか。 
仕事は皆嫌だと思います。 
凄く嫌です。朝めまい起こしそうになるし吐きそうになります。でも、続けよう!と思って今日も行ってます。ほんと甘いと思います。自分でもわかってるんです。でも、したいことが出来てちょっと前向きになりました。 
そのしたいことは動物関係の事で、きっと今よりも給料も減るかもしれないし。 
どこまで出来るのか正直わかりません。 
現実的に考えたら今の所で社員になるほうがいいに決まってます。

何かわからなくなりました。 
私は将来どうなっていくのか。

【拙回答】

将来へ向けて・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

私たちは生きていくためには、生活するための収入がなければいけません。

仕事は収入を得るために大切なことになります。

もちろん、自分のやりたいこと、楽しいこと、やりがいのあることなど、合う仕事ができれば良いでしょうが、なかなかそうもいかないことも、もちろんございます。

嫌で、つらく、しんどい仕事の場合でも、生きていくため、生活の為ならば、やはり忍耐しなければならないこともあります。

但し、身体を壊すまで、あるいは、心の病になってしまうまで無理して頑張る必要はありません。それならば本末転倒なことになってしまいます。

仏教では極端を避けてのバランスを求めることがございます。「中道」という考え方ですが、そのバランスをうまく保って過ごしていくことが大切となります。

例えば、何が何でもお金のためといっても、仕事の内容が、違法なものとなってしまってはいけませんし、夢や志、世の中のため、といっても、収入がほとんどないとなれば、いずれ続けることが無理になったり、諦めたりしなければならなくなるため、それでもいけません。

ならば、うまく折り合いをつけるために、例えば、働きながらにでも、本当のしたいことへと向けた勉強、資格取得など、確実にしたい仕事へと向けて努力し、その仕事に就ける、安定した収入も得れるということが決まるまで、頑張ることも必要になるのではないかと存じます。

とにかく、将来を決めていくのは、他でもない、今の自分のありようになります。

将来の結果へと向けては、その因縁(原因と条件、強い動機とそれに伴う行動)が、必要となります。

焦らずに、今一度、目標や夢へと向けた思いと、それへ向けた方策についてしっかりと考えてみましょう。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「死という概念について」

問い「死という概念について」

【ご質問内容】

こんにちわ。 
以前個人的な質問をさせていただき、2度目の質問になります。 
以前は大変貴重な回答を頂き非常に感謝しています。

さて、表題の質問になりますが、 
小学生の頃「死」について考えたことがあり、その時は・・・ 
死んだら考えることすらできなくなってしまう。 
死んだらこうやって「死」について考えることもできない。 
自分という存在はどこへ行くのか。 
と、怖くなって夜寝られなくなってしまった思い出があります。

葉隠の「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉の意味を調べたり、 
100歳を越えてもなお現役の医師を続けていらっしゃる日野原重明さんのコラムなどを読んでから、私は「死」という概念は、 
抗うものではなく受け入れるもの。 
そしていずれ来る死をどのように受け入れるか。 
が大事なのではと思うようになりました。

私は仏教には詳しくありませんが、仏教にも輪廻転生や極楽浄土など死後の魂の行方や考えがあると思います。

よろしければ、仏教的観点でも宗派的観点でもご回答くださる方の個人的な観点でもよいので、「死」についての考えをお聞かせ願えないでしょうか。 
宜しくお願いいたします。

【拙回答】

「不生不滅」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「死」への恐怖・不安もそうですが、私たちの恐怖・不安も含めて、様々な煩悩というものは、「真理を知っていない」という「無明」(根本的な無知)から生じてしまうものとなります。そのため、「死」ということとは、いったい何であるかについてしっかりと知り、理解することによって、その恐怖・不安も少しずつなりにも無くなっていくことになるのではないかと存じております。

仏教では、般若心経に出て参りますように、「不生不滅」、つまり、「生じもしないし、滅しもしない」ということも扱いますが、このことを理解するには、「空」や「中道」ということについて、まず理解しなければなりません。

もし興味がございましたら、是非、これからも仏教に関心を持って修習していって頂けましたらと存じます。

さて、少し前のご質問にもお答えさせて頂きました内容と重なりますが、我々の言う普通の「死」とは何かと申しますと、「肉体の死」、つまり、今の持っている肉体が、今あるように機能しなくなるということであります。

全てのモノ・コトは因縁(原因と条件)で成り立っているため、今の肉体も色々な原因や条件によって成り立っている次第ですが、やがて、因縁次第において、機能しなくなる、崩壊してしまうものになります。

ただ、問題はそれで何もかもが無くなって、「虚無」・「絶無」となってしまうのか、と申しますと、仏教ではそのようには考えません。

肉体に左右されない微細なる意識としての心の連続体、心相続を扱うこととなります。

その微細なる意識としての心の連続体、心相続において、過去世、現世ももちろん含めて、全てのこれまでの数々の行いの業・カルマというものが、引き継がれていくことになります。

そのため、その業・カルマによる結果として、輪廻に迷い苦しむことになってしまっているため、できるだけ、仏道を歩み、悟り・涅槃へと向かう善き業・カルマをしっかりと調えることで、輪廻を解脱して、悟り・涅槃へと至ることを目指すことが、仏教においては大切となります。

死、死後の赴きへと向けて、できる限り善き業・カルマを積んで参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

問い「運勢は何かで決まっているものなのですか?」

問い「運勢は何かで決まっているものなのですか?」

【ご質問内容】

はじめまして、つちのこと申します。 
私は普段、あまり運がいい方ではないです。 
けれど本当に人生で重要な局面や一歩間違えれば命に関わるような事故にあった時などは、結果的に良い方へ転がったり幸運にも無傷で済んだりします。 
この運の良さや悪さは何かで決まっているものなのですか? 
運のいい人や悪い人の違いとは一体何なのでしょうか?

あまり要領を得ない質問ですが、お答えやご意見をお聞かせ願えればと思います。 
宜しくお願いいたします。

【拙回答】

運命論・宿命論・決定論は「中道」に反する考え方

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教では、運命論・宿命論・決定論は「中道」に反する考え方として退けることになります。

何事においても、運命・宿命・決定付けられていることだとしてしまうのであれば、これから、何をどう生きようが、努力しようが、悪いことをしようが、善いことをしようが関係なく、何もかもがもう既に決まってしまっているとして、あらゆることが否定されて無意味となってしまいかねません。

運命論・宿命論・決定論は、極端な楽天主義か、あるいは極端な虚無・悲観主義に陥ることになってしまいかねず、仏教においては退けるべき偏見、断見となります。

藤範雅史様も既におっしゃられるように、仏教で因縁果の理を重視するのも、善き結果のためには、善き原因・条件が必要であり、その善き原因・条件を然るべくに調えていくためでございます。

誠に難しいことですが、死して、この肉体が滅んだ後にも続くことになる微細なる意識、心の連続体(心相続)が、どこへと向かうのかも、他の誰でもない、己における業の因縁次第となります。

そのため、できる限り、色々なご縁によって何とか生かされている今、この時を大切に、そして、善き行いにしっかりと努め励んでおきたいものでございます。

川口英俊 合掌
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