hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

人生

問い「高潔なお坊さんに質問です。」

問い「高潔なお坊さんに質問です。」

【ご質問内容】

人生とはなんぞやでしょう。

あと宇宙の神秘について語れることがあったら語っていただきたいです。


【拙回答】

お薦め本「掌の中の無限―チベット仏教と現代科学が出会う時」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

是非、あいす様にお薦め致したい本がございます。

非常に興味深く読むことができるのではないだろうかと存じます。

もう古書しかございませんので、お買い求め頂くと高いため、是非、お近くの図書館で探されてみられても。

「掌の中の無限―チベット仏教と現代科学が出会う時」(新評論)

それと、もしも可能ならば、

「僧侶と哲学者―チベット仏教をめぐる対話」(新評論)も一緒に読まれると面白いと思いますよ。。

川口英俊 合掌

問い「生きて行く上で充足感が得られません」

問い「生きて行く上で充足感が得られません」

【ご質問内容】

先日ある方の講演会で、人生には縦軸に充足感と孤独感不満で横軸に病気貧困と成功名声。 
いくら成功名声を手に入れても、本人には孤独感や不満感が顔の表情に出て、何故か満たされない雰囲気がある人になるくらいなら、たとえ貧しくても病気を抱えていても人生に充足感が出ている人になりたいとおっしゃいました。

おっしゃった意味はよくわかります。 
私には勿論、地位や名誉も有りませんし、今迄生きて来て人に話せる事も何も無く、人生に充足感が全くありません。 
そして今は仕事も辞め、親の介護を担っています。 
人様には介護をしてると言いながらも、私の心の中は心配を掛けた親だから介護をしなくてはいけないと言う気持ちと、もういい加減にして欲しい、今すぐに親から距離を置きたいと言う気持ちがいつも交錯しています。

知り合いからご両親が介護する事無く亡くなられたと聞くと、「羨ましい」「どうして私ばっかり」などと思ってしまいます。

何事にも一生懸命やれば充足感は得られるものでしょうか? 
それはその人間性によって違うものでは無いでしょうか。

すみません文章がまとまっていませんが、よろしくお願いします。

【拙回答】

死後に持っていけるものは・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教では、死後に持っていけるものは、自分の行いの集積(業・カルマ)だけであるとされます。

「世間の八法」(利得、損失、称賛、非難、誉れ、誹謗、楽、苦)と言われているものに惑わされず、真なる心の平安としての悟りへと向けて、より善き行いに努め励んで参りたいところでございます。

孝行もその一つであり、誠に感謝申し上げます。

仏教では幾重も輪廻を経る中において、もしかするとあの人もこの人も、いや、あの虫もこの動物も、過去世における母(父)であったのかもしれないとして、慈悲を滋養することがございます。

もしか致しますと、とらのこ様の親御様も、過去世では私の母・父であったのかもしれません。過去世での母・父であったのであれば、その恩に報いる行いをして頂いているとらのこ様に対して、深く感謝致さなければなりません。

とにかく、皆、支え合い、助け合い、分かち合い、補い合いが必要であるのが、この世のありようでございます。しっかりと慈悲を滋養しての善行に努めて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

問い「人生にやる気がでません」

問い「人生にやる気がでません」

【ご質問内容】

初めて質問させて頂きます。

私は今年19になりますが、高校に行かずただ家でダラダラしているだけの生活を送っています。

自分には何もできることがないと何度も自殺を試みましたが一度も成功できませんでした。

思い返せば小学生の頃からやる気が出なかったような気がしてきました。

そんな私に両親がすごく優しく接してくれるのが本当に辛いです。

いっそのこと酷く扱ってもらえれば私も死にやすいのに、現場を見つかると必死に止めてきます。

趣味も特技もなく、ただ無駄に時間を消費しているだけの毎日です。

もうこれからどうしたらいいかわかりません。


【拙回答】

自律神経系の不調について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

小学校の頃からやる気が出なくなられたとのこと・・

もしかしますと、起立性調節障害などの自律神経系の不調が、やる気のなさに関わってしまっている可能性があるかもしれません。

もしも、身体的機能における不調が原因であるならば、無理に頑張ろうとしたり、負い目で自分を追い込んでしまうのは、あまり良くないことであります。

もし、あまり聞いたことが無ければ、詳しく調べて頂いて、心当たりがあるようならば、是非、一度医療機関を受診なされてみて下さいませ。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「人生は平等ですか?」

問い「人生は平等ですか?」

【ご質問内容】

人の人生は、平等ですか? 
人の能力は、平等ですか?

最近、何もかもうまくいきません。その中でも、一番の悩みは、家庭です。旦那との関係がうまくいきません。どうしていいのか分かりません。

周りの友達や職場の同僚をみると、みんな幸せそうです。旦那とも仲良くて、子どももいて。仕事も楽しそう。なんで、私ばっかり嫌な思いをしなくちゃいけないんだろうか。男を見る目がなかったといえばそれまでですが、こんなはずじゃなかったと、後悔の毎日です。

今までの自分の人生を振り返り、良かったこともあります。人生山あり谷ありといいますが、その良かった時期の分を考えてもプラスマイナスゼロとは思えず、むしろ、マイナスだと感じています。この後良いことがあるなんて思えないですし。

人の人生は、平等なんでしょうか? 
なんとなくうまくいく人を「もってる人」、何やってもうまくいかない人を「やっぱり、もってない人」だよね、なんていう表現を聞きますが、私は、もってない奴の分類なんでしょうか。これが、身の丈の人生なんでしょうか。

といっても、「そうだ!これがお前の身の丈だ。これがお前の人生だ。」と言われても受け入れることはできないかもしれませんが。ダサい旦那と人生を共にするのか。それとも離婚してバツがつくのか。どっちにしても、最悪です。こんなはずじゃなかったです。 
今ごろは、子どももいて、楽しく暮らしている予定でした。

毎日が苦痛です。なにやっても楽しくありません。どうしていいのかも分かりません。こんな思いを相談する友だちや同僚はいて、親身に聞いてはくれますが、みんな他人事ですよね。当たり前ですが。心の中では笑っているんでしょう。

人の人生は、平等じゃないです。能力も不平等です。なにやってもうまくいく人はいく。いかない人はいかない。 
私はこの先どうなってしまうんでしょう。本当に頼れる人がいません。


【拙回答】

平等相と差別相

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

人や社会、世の中には、平等なものと、そうでないものとがあります。

平等なものとは、仏教では、全て、独立自存にて成り立っているものは何も無く、実体の無い「空」であるが、しかし、存在しているモノ・コトというものは、何も無いという虚無・絶無でではなくて、他に依存するという「縁起」なるものとして成り立っているのが、平等であると考えます。全てが「無我」であり、また、「無常」であるということになります。

差別相としては、「縁起」の様態での顕れを世俗的に(実体として)捉えてしまうことによって出てきてしまうものとなります。

以上は、非常に難しいことですので、今はまだあまり深く考えるまでは必要ありませんが、ここから何が言いたいのかと申しますと、全てのモノ・コトというものは、「縁起」的に顕れており、つまり、良き因縁(原因と条件)に依れば、良い結果となるし、悪い因縁に依れば、悪い結果となるということで、更にその結果も自分の心の様態に依存して、そのような結果として捉えているものであるとして、一つには、自分のできることで、できるだけ良い因縁を調える努力に励むこと、もちろん限界や外部要因にも左右されてしまいますが、とにかく良い因縁(動機と行動)を調えていかないことには、やはり結果は望めるものにはなりません。

できるだけやれること、やるべきことで良い因縁を調えていく、そして、もちろん、結果として出てくるものを自分でどう捉えるかどうかによっても、結果の見方そのものも変わっていくこともあります。

「人間万事塞翁が馬」や「禍福は糾える縄の如し」という諺のような感じです。

とにかく、まずは旦那さんと、結婚した頃の純粋な気持ちも想い出されて、できるだけ良い結果の関係となるように努力もなさられてみられて、どうしても無理なようでしたら、我慢して不満とストレスだけを溜めながら過ごしていくというのでは、良い因縁を調えていくのも難しいことになってしまいます。

それはそれで次の行動を考えていくべきでしょう。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「人生の意味」

問い「人生の意味」

【ご質問内容】

生きる意味を教えてください! 
別に自殺を考えたり、リストカットしているわけではありませんが生きている意味がイマイチよくわかりません。 
100年後には確実に今生きている人のほとんどが死んでいます。たしかに生きていると悲しい事も楽しい事もあります。しかしこの世にはテロや残酷な殺人事件、強盗、DV、痴漢、いじめなど人生を狂わせることがあります。私は幸運にもそういう事件や事故には巻き込まれていませんがそういう方は多くいますし、見聞きするだけでもとても嫌な気分になります。全ての人が嫌な奴とは思いません。しかし人の人生を平気で壊すような人が大勢いる腐った世の中で生きていくのにはいったい何の意味があるのですか?血のにじむ努力して頑張ってる人にとって、平凡に静かに暮らしている人にとっては理不尽だらけです。さらにいえば貧困やエイズ、戦争、病気で若くして亡くなる人にとってはもっと理不尽です。悪いことをした人に罰は与えられないのですか?反省すれば許されるのですか?何も悪いことをしてないのに被害に遭う人に幸せはくるのでしょうか?毎日毎日学校に通い、手伝いをし、ボランティアや習い事、部活をしている自分が生きている意味がよくわからなくなります。


【拙回答】

「心の向上」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

生きる意味、人生の意味、確かに拙生も昔はよく考えておりました。

仏教を修習していくようになりまして、今は一つの結論が出ております。

「心の向上」、あるいは、「人格の向上」と言っても良いでしょうかね。

とにかく、この迷い苦しみの世界に生まれ死にを繰り返す(輪廻)原因として、「心」の問題が大きく関わってしまっています。無明(むみょう)という根本的な無知と、無明によって積みたる業(カルマ)の問題でございます。

来世、来来世へと続く心の状態を、何とか少しずつにでもよりよくに向上させていけるように、今世においてもできる限り努めて参りたいものと存じております。

是非、心をより善くに、より清らかに変容させていくための教えとしてある仏教に、関心を持って修習していって頂けましたら、大変に有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

問い「人生に疲れた」

問い「人生に疲れた」

【ご質問内容】

時々生きてる事が辛くて 
でも、死ぬ勇気も無く


【拙回答】

疲れてしまう前に・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

人生、時には、つらく、しんどく、疲れてしまうことがありますよね。

そんな時は無理せずに、休むことも大切です。

それと、何でも独りで頑張ろうとし過ぎずに、周りを頼ることも大切になります。

仏教では、他に依存して成り立っているということを「縁って起っている」として、「縁起」と申しますが、この「縁起」なるありようで成り立っていることをよく理解して、助け合い、支え合い、分かち合いが必要であると自覚し、頼り、頼られてのお互い様の中で過ごしていけるように何事も調えて参りたいものとなります。

とにかく、身体と一緒で、心も疲れてしまう前に適切な休み、リフレッシュすることが必要です。

川口英俊 合掌

問い「明日死ぬかもしれないのに、努力できるのはなぜですか?」

問い「明日死ぬかもしれないのに、努力できるのはなぜですか?」

【ご質問内容】

「明日死んでも悔いのないように生きる」 
という考え方と

「目標にむかってコツコツ努力する」 
という行動が、どうしても矛盾してしまうように思います。

1日で達成できない目標がある場合、その過程で死んでしまったら悔いが残るように思えて、コツコツ努力できない自分がいます。

もし本当に明日死んでしまうのであれば、1日でやりきれる楽しいことを選んでしまうのが普通ではないでしょうか?

目標に向かって進んでいれば、道半ばで死んでしまっても救われるのですか?

教えて下さい。


【拙回答】

「目標」をどこに設定するのか

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

人生の「目標」をどこに設定するのかによって変わってくるかとは存じますが、今生における世間世俗的な幸せ(お金や地位や名誉や権力など死ねば消えてしまうような幸せ)を目標とするのであれば、死んでしまえばそれで終わりとなってしまいます。

一方、仏教では、今生だけではなく、来世、来来世も引き続いていく心(心の連続体・心相続)の向上に取り組むことで、やがて「悟り」へと至ることが目標となります。

今生だけの世俗的な幸せを目標とするのか、それとも仏教の目指す究極的な悟りという幸せを目標とするのか・・後者を目標とするならば、仏教を修習し、智慧の開発と福徳行(善徳行・方便行)に精進努力していくことが必要となって参ります。

何よりも、これからの心相続、心の連続体の赴きにおいては、己自身の行い(業・カルマ)によって、その赴く先、境涯が決まっていくこととなります。

ですので、できる限り、この今、現在、そしてこれからも、確かなる仏道を歩みて、善き業・カルマをしっかりと調えることで、より善い赴き先、境涯へと向かえるように調えて参りたいものでございます。

できましたらこれを機会に、少しなりにも仏教に興味を持って頂きまして、是非、学びを進めていって頂けましたら有り難くに存じます。

共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「人生の行先が分かりません」

問い「人生の行先が分かりません」

【ご質問内容】

うつ病で退職後、4年近く実家住みで無職状態です。 
この状況を変えたい、自立したいのですが常に霧に囲まれているようでどこへ向かえばいいか途方に暮れています。

ハローワークに行きましたが、働けばまたこれまでのような失敗を繰り返し迷惑をかけるかと思い動けません。具体的にこんな仕事をしたい、という目標も何一つ描けません。

婚活もしていますが、三十代後半で無職で実家にいて見た目も悪くうつ病の女は相手にもされません。実際、自分から結婚相手に何を差し出せるか、と考えてみても何もありません。空っぽです。

せめて四十になるまでに何とかしたいのに、毎日が無為に過ぎていきます。もうどうしたらいいのか分かりません。

【拙回答】

良きご縁へ向けて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

少し自信をなくされて、将来についても不安になられておられるご様子・・

旅行や登山などでも目標や目的が無いと、なかなか歩みだせないものですよね・・

まずは目標や目的、夢、希望を探すということを目的に、少し動き出してみたいというところでございます。

そのためにも色々なご縁が大切となります。婚活もご縁づくりの場の一つにはなりますが・・どこに出逢いがあるかは分かりません。無理のないバイトからでも働き始めたり、何かボランティアでも良いでしょう。NPO・NGOの活動や地域のまちづくり活動などに参加してみるのも。興味のある趣味の集まりがあれば少し行ってみるのも。それこそ、お寺の行事やイベントなども。ちょっと周りを調べてみて下さい。案外動き出すきっかけになりそうなのがあるのではないでしょうか。

「自分から結婚相手に何を差し出せるか、と考えてみても何もありません。」・・そんな貴女でもきっと差し出せるものはあるかと思いますよ。

仏教では「無財の七施」というお金のかからない施しの実践がございます。そのうちの下記の五項目であれば、いつでも実践できるものではないかと思いますので、ご参考までに。

眼施・・いつも優しい眼差しを向ける。 
和顔施・・いつも和やかな笑顔で接する。 
愛語施・・いつも優しい言葉、気配りの行き届いた言葉で接する。 
身施・・身体を使った奉仕・ボランティアをする。 
心施・・他の人の心に寄り添ってあげる。悲しい時には共に悲しみ、喜ぶ時には共に喜んであげる。

良きご縁のございますことを。お幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「人生とは」

問い「人生とは」

【ご質問内容】

初めまして宜しくお願い致します。 
人生にストレスを感じ生活にもお金にもルーズです。 
精神疾患持ちですが喝を入れて頂きたいです。

【拙回答】

喝ではなく、克か活、もしくは、この際、豚カツも入れましょう。

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

喝ではなくて、克、活、もしくは、何なら豚カツのカツでも。。たまには大きな良い豚カツも食べて力をつけましょう。

人生に色々とストレスや不満、苦しみ、悩みを感じるのは、皆同じですが、それには、もちろん色々と原因がございます。

仏教では、それらの原因や条件となっているものが何であるのかを分析し、そして、問題の解決へ向けてアプローチして、それらを無くしていくように調えて参ります。

宜しければ、これを機縁に仏教の学びも進めていって頂けましたらと存じます。

「精神疾患持ち」とのことですが、どのようなものか分かりませんが、そこに、どこか「諦め」や「仕方がない」といった気持ちも持ってしまっていないでしょうか。

最近では、医学の進歩や原因の解明により、精神疾患でも改善・治癒できる可能性は色々とございます。

疾患のせいにはなさられず、とにかくルーズになってしまっている自分に克って、生活態度を正しく調えることから始められて、疾患の改善・治癒にも是非取り組んで頂けましたらと存じます。

そして、自分を活かせる目標・夢も是非、持ちましょう。

また、たまには栄養になるカツも食べましょう。何なら拙生も好きなトントロでも。。コラーゲンもあって、お肌にもいいらしいですよ。

川口英俊 合掌

問い「生きたいと思うには?」

問い「生きたいと思うには?」

【ご質問内容】

はじめまして。お忙しいところ申し訳ありませんが、宜しくお願いします。

私は今まで生き急ぐ(死に急ぐ?)生き方をしてきました。

元々「生きたい」と思わず、 
「人生は思い通りにならないのが普通だ」とか、「みんな同じ、みんな大変」という言葉を耳にしてから、尚更生きたくなくなりました。

もしも人生というものが、細々とした幸せと大半の苦労でできているのならば、もうこれ以上、僅かな幸せの為だけに生きていたくありません。

何十年生きて、心からの幸せを感じたことがないことも拍車をかけています。 
「幸せは自分の心の中にある」と心の持ちようを変えても見ますが、幸せを感じる為に毎日あれこれ考えて、少し気力が出てきた頃に就寝時間がやってきて、朝起きると…また気持ちが沈んでいます。 
無理やり作った幸せは、心が納得していないようです。

頑張っても報われない。あと何十年もこれを繰り返さないといけないのかと思うと途方に暮れます。

「その人の為に生きたい」と思えるような人もいません。

やりたいことは、暇つぶし程度ならありますが、その為に生きたいとは思えません。

心理学の言葉をお借りすると、私の状態は「アダルト・チルドレン」の症状が最も近い気がします。

今回お聞きしたいのは、 
このような人間が心から「生きたい」と思えるようになるには、 
無理ではなく、心からの幸せを感じるにはどうしたらよいか 
ということです。

どうかご教授頂けないでしょうか。 
長文になり申し訳ありません。

【拙回答】

真なる幸せへと向けて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

世間的な「幸せ」というものは、所詮のところ、儚いもので、無常で変わりゆくものであり、また、「求不得苦(ぐふとっく)」(求めても求めても満足できない、得ることができない)という苦しみに繋がってしまうものでもあります。

仏教では、そのような「世間的な幸せ」ではなく、「真なる幸せ」となる「悟り」・「涅槃」という境地を目指すこととなります。

『心から「生きたい」と思える』ためには、まず、「生きる」とはどういうことであるのかについて、考えてみることも大切となります。

私たちは、自分が自分で「生きている」という感覚を持ってしまいがちですが、そうではなくて、色々なものに助けられて、支えられて、生かされることで、何とか生きることができています。

「生きたい」と思うためには、他との様々な有り難く、尊い関係性についても考えることが必要になるかと存じます。

また、夢や希望や目標も、「生きたい」ということには必要かもしれませんが、世間的なものでは、満足できないことも、もちろん仏教の観点から十分に理解できるところでございます。

この際、世間の八法(利得、損失、称賛、非難、誉れ、誹謗、楽、苦)には、真なる幸せなどなく、仏教の目指すべき真なる幸せとしての「悟り」・「涅槃」というものへと向けて、仏教に関心をより強く持って頂きまして、仏法を学び修していかれることを、ご一考下さいましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌
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