hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

供養

問い「中絶した子への罪悪感」

問い「中絶した子への罪悪感」

【ご質問内容】

あの子の分まで、2倍頑張らなくては‼前を向いて歩かねば!と、がむしゃらに独り生きていました。

しかし、やはり、自分に甘く、ダラダラした生活するときもあり、(こんな私じゃ駄目だ!)と、数十年経った今も、愛しい我が子に申し訳なく苦しいです。

(もぅ、全てを捨てて我が子のところに逝きたい)と毎日考えています。

ほんの数か月でしたが、、、 
お腹に居たとき、本当に本当にいとおしかった。お参りして泣いて、胎児のエコー見て泣いて。とてもいとおしかった。

怖かっただろう、痛かっただろう…ごめんなさい。ごめんなさい。考えると苦しいです。

どうすれば、我が子と私は平穏の中、二人で余生を過ごせるのでしょうか。

今でも我が子を想うと悲しくて罪悪感が消えません。


【拙回答】

供養

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

供養とは、「供(とも)に養う」とありますように、一緒になって、仏様の教えを養っていきましょう、という意味合いであると考えております。

その子は今は水子さんであっても、貴女様のお子であるのに変わりはありません。

水子さんは、お地蔵様に御守り頂きながら、私たちはまだこの娑婆世界になりますが、そばにいるようなお気持ちで、一緒に有り難い仏法を頂いて、共に仏様の教えを養って参りたいものでございます。

共に仏様の教えを養っていく中で、またいずれ逢えるご縁もあるかもしれません。

あまり無理、気負いなされ過ぎずに。

毎月24日は地蔵菩薩様のご縁日。全ての水子さんに向けての回向にも努めさせて頂いております。貴女様の水子様にも。

川口英俊 合掌

問い「怖いです。」

問い「怖いです。」

【ご質問内容】

私は父親がとても甘く、環境もとても悪い中で育ち、因果応報なんてあることを知らずに、仏教とはほど遠い生き方をしてきてしまいました。

高校生の頃からジワジワと羽目を外して行き、人生ってこんなんでいいのだろうか?といいの思いながら派手な格好をして周りもしているしいいのかな…と、因果応報なんて全くしらず、生き方がわからなくなりそこからドンドンと生き方が羽出になり、自分の欲望のままに生きることに、何の躊躇いもなく、何だったらそれ以外の生き方がわからずにいました。当時は本を読んで調べたりしましまが、仏教まではたどりつかず、人の生き方のようなものばかりを読んでいました。しかし私は正解を求めてしまったので、何が正解かさ迷ってしまっただけで、結局どう生きたら良いのかわかりませんでした。そのように生き方を求める一方で、整形をしたり派手な生活や彼氏への依存に流されていきました。

中絶もし、中絶に対して病院の先生からは「一日も早く忘れなさい」と、親からは「まぁ、長い人生色々あるよ」と。結果ここでしっかりと悔い改めて生き直すことをせず、「え?そんなんでいいの?」となかったことにしてしまいました。周りにも何人か中絶していたので、私だけがそんな重く考えていたのかな?もうよくわからない。もうそれならいいや!と、開き直ってしまいました。子供を殺したまま反省せず放棄すると、しっかりと生きるという気力がなくなり、人生どうでもよくなり、狂ったように毎日遊びまくり、人生を捨てて生きていました。すると、生きているのか死んでいるのかわからず、生きているという実感がなくなり、感情さえもなくなり、何が自分に起こっているのかもわからないまま、何かおかしい、と病院に行ってもどこも悪くなく、感情がないと訴えてもこれといった病名は与えられず…そこから、二度ほど懺悔をしても、もはやどの仏様に二度もしません!と反省をしても、今さら何を言っているの?もうしらないよ。そのような声しか聞こえず罪に溺れ死んだように動くことができません!あまりの長年のため自分の人生を引き受ける事がもはやできません。本当に生き直すのは手遅れだと思っています。子供を殺したことで生きる気力がありません。今さら因果応報なんて言われたら本当に死ぬしかありません。こんなにも長い間格闘し無理なら今まで通り好き勝手生き延びるしか本当に道はない思っています。


【拙回答】

ご供養

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

中絶なさられたお子様のことは、どうかご供養により、地蔵菩薩様にお任せになられて下さいませ。

「供養」は、「供(とも)に養う」とございます。お子様と一緒になって仏様の教えを養っていって頂けましたら有り難くに存じます。

例えば、簡単にできる布施の実践としての「無財の七施」(詳しくは、下記に記載)などからでも。

いつも、そのお子様と仏様、お地蔵様と供に、さつき様も拙生も、仏法がしっかりと闇夜を照らしてくれるはずです。
 
夜に大海原のどこへ向かっていっても、いつも付いて見守るお月様のように。

どうか、より仏法をお頼りになられまして、少しずつの実践をなさられていってみて下さいませ。

「無財の七施」について・・

眼施(慈眼施)・・慈しみをもって優しいまなざしで接すること。

和顔悦色施(和顔施)・・和やかな笑顔・にこやかな笑顔で接すること。

言辞施(愛語施)・・優しい言葉で接すること。叱咤激励の厳しい愛の言葉も。

身施(捨身施)・・身体を使ってできるお手伝い・奉仕を自ら進んですること。

心施(心慮施)・・相手の心を思い遣ってTPOに合わせて接すること。

床座施(壮座施)・・高齢者や妊婦さん、病人などに席や場所を譲ること。分かち合う・譲り合うこと。

房舎施・・自分の住居を提供して、おもてなしをすること。

川口英俊 合掌

問い「助けてください」

問い「助けてください」

【ご質問内容】

夜中に仕事の帰りに、車で動物をひいてしまいました。恐らく、もうひかれて亡くなったであろうという動物の遺体をひいてしまったのだと思います。 
怖くて確認できずに、あとで主人に行ってもらったところネコだったとのことでした。 
生々しい話ですが、血や肉片などがタイヤなどについていました。 
本当にネコさんに対して申し訳ない気持ちでいっぱいです。どんなにつらかったかと思います。 
自分は最低な人間です。罪の意識に苛まれています。 
わたしは交通事故を何度もしており、また同じような事故を起こすのではないかという不安もこみあげてきました。 
どうすればよいでしょうか。お寺か神社にネコさんの供養に行くことで救われますか、それとも車や自分のお祓いに行くべきでしょうか。うらまれたらどうしよう、家族にも何かあったらと不安で… 
車は帰って水を流し、塩を撒きました。 
対応の仕方もわからなくて… 
質問も最低な内容で申し訳ないです。 
せめてもの償いとして、遺体を道路管理のところに電話はさせていただきました。 
どうかアドバイスを頂けると幸いです。


【拙回答】

「供養」と「回向」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

そのネコを自分の身のことのように引き比べられて、可哀想と思われるお心は、誠に大切な慈悲の心でございます。

慈悲心は、仏教の要諦となる滋養していくべき心の一つ。

この度は、そのネコにその大切な心を教えて頂けたのだとお考え下さいませ。

そして、「供養」とは、「供(とも)に養う」というように、仏の教えを一緒になって養っていくこと。

ネコの善き赴きへ向けて供養するというためにも、ご自身も仏教を少しなりでも学び進めて実践していって頂けましたらと存じます。

ネコも、貴女様も、そして誰もかれもが、やがて悟りへと至れますようにとして、その実践(功徳)を回向なさられて下さいませ。

「願わくは此の功徳を以て、普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜんことを」

川口英俊 合掌

問い「どちら共 心に響くんです」

問い「どちら共 心に響くんです」

【ご質問内容】

 先日 墓前に手を合わせてきたのですが 
いつもなら ただ心のままに手を合わせ小さい時から耳馴染んできた南無阿弥陀仏と声に出さずとも…なのに 今は亡き父が闘病生活で今まで仏壇すらなかった家に見たこともない位に大きなそれに手を合わせ南無妙法蓮華経と一心不乱に題目してた記憶が頭の中を駆け巡り自然と南無妙法蓮華経と呟いていた自分が居ました。横で手を合わせていた子ども達が不思議そうに私を見て ふ と我に戻ったような気持ちで家についてからも悶々とした状態でした。数ヶ月前から、何度となくハスノハに質問し、有難い回答を宗派問わず色々な角度から聴かせて頂き、座禅会や供養で敷居が高いと遠慮していたお寺にも足を運び 随分と穏やかに過ごせるようになった今 菩提樹もなく仏壇もない自分ですが 一つの宗派にとことん向き合い毎日を丁寧に生きたいと強く思うようになりました。 ただ一つに決める事が出来ず身近な信頼してる人の話しを聞いたり足を運んだりしながらも本を読んでみたり…良いとこどりのズルイ信心だねと 
、からかわれたり…  しばらく、こんな状態が続きそうで ごめんなさい、コチラで愚痴らせていただきました。 ハスノハは、こんな中途半端な私の拠り所となり有難い居場所です。 


【拙回答】

ゴールである「悟り」へと向けて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

八万四千の法門と言われますように仏教の教えの入り口はたくさんございます。

途中でもちろん道が交差していたり、分かれ道が一本道になり、また別れることもしばしばです。

でも目指すところのゴールは、一つ、「悟り」です。

「悟り」へと向けて、仏教のよいとこどりも、もちろんアリであると存じます。

拙生も色々と今はまだよいとこどりをしていっていますよ。。

ただ、問題は、何でもかんでも受け入れられるほどの器でなければ、食べ物と同じでいずれ消化不良してしまいかねません。

まずよいとこどりをしていく意図で、できるだけ仏教全体を概観、試されていかれた上で、いずれは、絞っていくことも必要な時期が来るかもしれません。

色々と寄り道をしてしまっていては、今生における時間がなくなってしまうという感じになりますでしょうかね。

拙生も、そろそろ道を絞らないといけないかもと実感しています。

川口英俊 合掌

問い「私が死んだら、自力で成仏できますか?」

問い「私が死んだら、自力で成仏できますか?」

【ご質問内容】

私には子供がおりません。 
供養してくれる人がいません(たぶん)

私は、火葬と納骨までしてもらえれば、それで良いと 
考えております。

自然の摂理に沿って、最後は潔く死に、 
そして、誰からも供養してもらわなくとも、 
自力で成仏したいのです。

死後、お線香をあげてくれる人がいなくても、 
一周忌や三回忌の法要がなくても、 
自分の意志で成仏できますか?


【拙回答】

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

亡くなってからのことではなく、是非、できるだけ今のうちから、確かなるご仏縁、堅固なる菩提心(悟りへと向かうための決意)をお持ち頂けますように、仏教により接していって頂けましたらと存じます。きっと、よりよく生きていくための智慧にもなることでしょう。

川口英俊 合掌

問い「父を亡くした悲しみ」

問い「父を亡くした悲しみ」

【ご質問内容】

私は、約12年前からうつ病や不安障害などのために治療を受けております。 
約1年8ヵ月前に父がガンのために他界いたしました。

私は元々寂しがりな性格であることもあり、また、私の発病後は友人との接点が全くなくなり、とても寂しい気持ちで毎日を過ごしておりましたので、父が他界してからは、物凄い悲しみや寂しさが続いております。

悲しみや寂しさの強さや、落涙する頻度は、時期によって多少の強弱があります。

主治医にこのようなことを相談したこと もあるのですが、「普通の人は、家族とか仕事などがあるから、そんなことばかり考えていられないんだ。」というようなことを言われてしまいました。 
(私は無職で独身なので、このようなことを言われたのだと思います。)

前述のとおり、友人と呼べる人もいなく、誰とも話をしないことが日常ですので、悲しくて、寂しくて、困り果てております。 
いい年をした中年男が涙を流す日が続いております。

こんな私に何かアドバイスをいただけませんでしょうか。 
どうぞよろしくお願い申し上げます。


【拙回答】

「法友」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お父様を亡くされましたこと、誠におつらいことでございます・・

亡くなられました方を弔うことを「供養」と申しますが、供養とは、「供(とも)に養う」として、亡きお父様やご先祖様と一緒になって、あるいは、亡くなった全ての皆、衆生の全てと一緒になって、悟りへと向かうための行い(智慧の修習と功徳の集積)を養って共有していくということが、本来のあり方になると考えております。

それは、何もお寺で、墓前で、形式的に僧侶に読経、回向してもらうということだけではないということでございます。

お寺にて、あるいはお寺でなくても、大学やどこかの会館ででも開かれている仏教に関する法話や講義に参加し、しっかりと悟りへと向けた智慧を開発し、功徳の行いに励めるようにしていくということも、大切な「供養」になるものであると考えております。

まずは、各宗の本山などが行っている仏教の概要的・一般的な法話や講義からでも構わないかとは存じますし、例えば、下記のように受講料がある程度掛かりますが、少し専門的に扱っているところからでも良いかとは思います。

公益財団法人 中村元東方研究所 

仏教を学び修する者は、皆、「法友」です。たか様も、是非、私たちと共に「法友」となって頂けましたら有り難くに存じます。

そして、仏教を学び進める中で分からないこともございましたら、どうぞお気軽に私たちhasunohaの法友も頼りとされてご質問もされて下さい。

共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「自分の感情とどう向き合えば良いですか?」

問い「自分の感情とどう向き合えば良いですか?」

【ご質問内容】

以前、質問させてもらい 
気持ちも前向きに頑張っていかなきゃ 
と日々過ごしてきましたが 
心にざわざわする黒い感情が溢れてきます。

どうしても、彼が亡くなった時の事で 
あの時何で助けてあげられなかったのか? 
私がちゃんと見ていれば助かったはずなのに、私が殺したんだ…と急に負の感情に襲われます。

最近は写真の中の彼に申し訳なく 
思ってしまったり、一人の時間が 
辛すぎて姿を探してしまう自分にも 
遺影にも、目を背けたくなってしまいます。

今は、一人の時でさえ泣くことを 
我慢して考えないように 
逃げてしまいます。

私に泣く資格があるのか? 
と思ってしまいます。

私はどうやったら自分の感情をうまく 
コントロールできるのでしようか?

【拙回答】

供養について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

先のご質問も読ませて頂きました・・これからという時に急なお別れになってしまわれたのですね・・誠におつらいことでございます。

とにかく、あまりご自分をお責めになられませずに、どうか亡き彼氏様のご供養をお勤め頂けましたらと存じます。

その供養も、「供(とも)に養う」として、亡き彼氏様と一緒に、あるいは、皆と一緒に、悟りへと向かうための行い(智慧の修習と功徳の集積)を養って共有していくということになります。

「悟りへと向かうための行い」(智慧の修習と功徳の集積)と言ってしまうと、難しいことになりますが、私たちの世界というものは、お互いがお互いで助け合い、支え合い、分かち合いによって成り立っている世界であることをよく理解して、思い遣り、気遣いの心を持って、色々と配慮し合って、皆が幸せになれるような行い(功徳)を少しずつでも努めて調えていくということでございます。

とにかく、まずは、ご家族仲良くに協力し合って、励まし合って、ご家族が幸せに過ごしていくことからでも良い功徳、供養となって参ります。

ご家族に笑顔がいっぱいあれば、亡き彼氏様もきっと安心されますことでしょう。

亡き彼氏様のご冥福を心から祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「頑張ろうと思うのに気持ちがついてこない」

問い「頑張ろうと思うのに気持ちがついてこない」

【ご質問内容】

先日はお忙しい中ご回答いただきありがとうございます。

前のご回答にもあったようにあの子達の為にも頑張らなくてはと思うのですが、なかなか気持ちがついて来ずただただ日々を何となく過ごしてしまっています。

ここのところ体調がいまいちすぐれないので余計かもしれません。

甘えているだけなのかもしれませんが、何かアドバイスいただけばと思います。

同じような質問ばかりで申し訳ありません。

【拙回答】

旅にでも…

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

拙夫婦にも同じような似た経験がございます・・

半年ぐらいはつらい気持ちを抱えて、本当に落ち込み、ふと思い出しては涙しておりました・・

やっと少し落ち着いた頃に旅に出ました。

何気ない旅でしたが、気づきが色々とありました。

旅先で願掛けの護摩を定期的に修しておられる無人のお寺(というよりも小さな庵でしたが・・)がございまして、ふと、子宝祈願と書いて不動尊に奉納したことも思い出します・・

自分がお坊さんでもそんなものです。

また、少し落ち着かれましたら夫婦水入らずにて心身ともに癒せる旅でも。

私のところは、お寺だけに、毎月、地蔵尊と共に水子さんたちのご供養は勤めており、その際に私たちの水子さんもご供養を続けております。

ton様も毎月とまではいかなくても、一年に一度、地蔵盆の日だけでも構いませんので、菩提寺さんや近くのお地蔵さん、お寺さんででも水子ご供養をして頂けましたら有り難くには存じます。

無理に頑張ろうとされることはありません。しかし、いつまでも嘆き悲しまれてしまっていても実は宜しくありません。親御さんのあまりの嘆き悲しみは、水子さんが賽の河原で苦患を受ける種となると「賽の河原地蔵和讃」にもございます。

しっかりと年一回でも構いませんので、追善ご供養にお勤めを頂きまして、お地蔵様に水子さんのことを、どうぞお任せになられて下さいませ。

きっとご供養により良いお導きも頂けることになるでしょう。私も未熟ながらにも毎月全ての水子さんたちのより良い赴きへと向けて地蔵尊にご供養致しまして、お願いさせて頂いております。ton様の水子さんにもお地蔵様のお慈悲によるお導きを賜れますように。

どうか夫婦仲睦まじく、お互いに支え合って、助け合って、人生の困難を乗り越えていかれて、お幸せにお過ごし下さいませ。

子宝を授かれますようにと祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「身近な人の死を受け入れられるか不安です」

問い「身近な人の死を受け入れられるか不安です」

【ご質問内容】

先日、祖母を亡くしました。 
私が小さい頃、両親は共働きだったので祖母が私の面倒を見てくれていました。 
そんな祖母も90才を越え、元気でしたが少し生活の介助が必要になったので、高齢者向けマンションに入居しました。 
祖母が自宅にいたころは時々会いに行っていたのですが、近頃疎遠になってしまい、この前も会いに行くチャンスがあったものの、また会えるから…と先送りしてしまいました。 
そんな矢先、母親から連絡があり、おばあちゃんが亡くなったとのこと。 
あまりに突然すぎて、理解できませんでした。 
祖母は自分の部屋で、一人で誰にも看取られずに亡くなりました。心不全でした。 
見つけてくれたマンションの方に聞くと、亡くなる直前まで元気で、お昼過ぎに少ししんどいから横になると言い部屋に帰り、夕食の時間になったので声をかけに行くともうすでに亡くなっていたとのことでした。 
一人で亡くなったので、最期は寂しかったかな、何を思いながら亡くなったのかな、あのとき会いに行けばよかった、最後にもう1度ばあちゃんに会いたい…といった思いが頭から離れません。 
これから先も大切な人の死が待っています。 
死は避けられないとわかっているのですが、誰かの死に直面するのが怖いです。祖母のように別れは突然なこともあり、ちゃんと見送ってあげられるとは限りません。不安で不安で苦しいです。 
アドバイスをいただけるとありがたいです。 
長文、失礼いたしました。

【拙回答】

「供養」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お祖母様との突然のお別れ・・誠におつらいことでございました・・

確かに突然のことであり、あれこれとお別れに後悔をお持ちになられておられるのも仕方がございませんが、できましたら後悔の代わりに、感謝の思いを抱かれつつに、さわ様が恙無く平穏無事にお幸せに過ごされることが、何よりのお祖母様への善きご供養になるとお考え頂けましたら有り難くに存じます。

また、「供養」とは、「供(とも)に養う」ということになりますが、亡くなられた方と一緒に、悟りへと向かうための行い(智慧の修習と功徳の集積)を養って共有していくということでもございます。

「悟りへと向かうための行い」(智慧の修習と功徳の集積)と言ってしまうと少し難しいことですが、私たちの世界は助け合い、支え合い、分かち合いによって成り立っていることをよく理解して、お互いがお互いで気遣い、配慮し合って、皆が幸せになれるような行いを少しずつでも調えていくということでございます。

お祖母様と一緒に、また、亡くなられたご先祖様方と一緒に、悟りへと向けての善き行いに取り組むという「供養」につきましても、少しお考えを頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

問い「飼っていた犬が亡くなったあと」

問い「飼っていた犬が亡くなったあと」

【ご質問内容】

最近不思議な事や神様などにとても興味があります。1番不思議で涙が出たことについて聞きたいです。

以前飼っていた犬がその年ので12月24日に亡くなり、しばらく犬小屋にガーベラの花を線香と共に一輪飾っていました。 
兄が遠方に住んでいたため、亡くなってから一カ月後に手を合わせにきました。その時までガーベラの花が美しく咲いてたのですが、兄が帰った次の日から眉間見事に枯れてしまいました。

ガーベラの花が花瓶で一カ月ももつのも驚きましたが、まるで兄が帰ってくるのを待っていたみたいで涙がでました。

考えすぎかと思いますが、犬がガーベラに宿ってたんでしょうか。ご意見お聞かせください。よろしくお願いします。

【拙回答】

待ってくれていたのでしょう

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

愛犬を亡くされまして、心を寄せてご供養下さいまして、誠に有り難いことでございます。

そうですか。そんなにもちましたか。

次のところへと向かうギリギリまで、ガーベラと共にお兄さんのことを待ってくれていたのかもしれませんね。

愛犬に合掌申し上げます。

川口英俊 合掌
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