hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

信教の自由

問い「新興宗教にはまる姉を脱会させるには?」

問い「新興宗教にはまる姉を脱会させるには?」

【ご質問内容】

先週、父が亡くなりました。通夜で、新興宗教にはまっている従姉兄たち3人が、会場が閉まる少し前、そこのお経を並んで唱え始めました。姉はそれを動画で撮影。色々なお題目をパッチワークした歌のようなそのお経は私には奇異に感じられました。

姉は学生時代に父の妹である叔母に勧誘され入信。私と父も誘われてそのお寺に一度行きましたが、胡散臭さしか感じず入信しませんでした。

子育てであまり交流のなかった時を経て、最近は私の離婚について先祖のカルマがどうだから供養しなきゃとかも嫌ですし、それ以上に姉が宗教団体にお金を搾取されているとも気づかぬまま一生を終えるのかと思うと可哀相です。

ですが、姉がそれで救われているなら干渉すべきではないのでしょうか? 人格は磨かれたどころか、姉は高齢の母に金の無心をしたり突っ掛かったりして私が取りなす次第です。

【拙回答】

カルト対策について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

信仰に関しましては、信教の自由の下における個々人の自由意思、それぞれの良識、良心に委ねていくことになりますが、その信仰上において、反社会性、犯罪性が疑われるような常軌を逸したものがあるようでしたら、それは大いに問題となります。

言及されておられる新興の宗教団体がどこであるのかは分かりませんが、もしも、りりか様が「破壊的カルト」であると認識されておられるならば、それなりに対処されていかれる必要があるのではないかと存じます。

以下は以前にも挙げさせて頂いておりますカルト対策の参考となります。

日本脱カルト協会・カルト対処法 

「カルトからの脱会と回復のための手引き」 

紀藤正樹弁護士のサイト 

「マインド・コントロール」紀藤正樹弁護士著・アスコム 

紀藤正樹弁護士はまさにその道のスペシャリストでございますので、色々と鑑みられた上にて、一度ご相談に行かれてみられても。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「初めての質問です。よろしくお願いします。」

問い「初めての質問です。よろしくお願いします。」
http://hasunoha.jp/questions/1185

【ご質問内容】

漠然とですが20代の頃から、いつかはどこかの宗教の信者になって、それを心のよりどころ、自分の手本にして生きていきたいと思ってました。

そして去年、座禅を知りとその流れで曹洞宗を知りました。座禅を知ったと言っても座禅会などに参加したわけではなく、ただ、座禅に出会った程度のものなのですが、ちょうど悩んでた時期と重なり、座禅、道元禅師の言葉がその時の自分の心にすっと入って心が楽になった気がします。

私の家は分家で、宗派は浄土真宗らしいのですが、母親にそのことを伝え相談したところ、自分の好きな、信じることのできる宗派に入ればいいと言ってもらえました。

そこで神様も仏様も何もかも知らない私が曹洞宗の信者になるにはどうしたらいいのでしょう?
どうすれば信者になれるのでしょうか?

また、こんな気持ちで宗教を決めてしまって、いいものなのでしょうか?

この質問で浄土真宗から、曹洞宗に変えたいと言ってますが、決して浄土真宗をバカにしているわけではなく、ただ、その時の私に曹洞宗がすっと入ってきたような気がするだけです。

よろしくお願いします。

【拙回答】

まずは幅広く仏教を学び修していくという姿勢

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

誠にご仏縁、ご法縁もご縁なるものと存じますが、大切になるのは、しっかりと納得して関わっていくという自覚と責任であると考えております。

このことに関しましては、以前にも下記の問いにてお答えさせて頂いております。

問い「お葬式と宗派について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1017173096.html

「・・基本的には、「信教の自由」がございますので、宗教、宗旨宗派の選択も各個人の自由が尊重されるべきことでございますが、何でもかんでも自由気ままにということではなくて、宗教、宗旨宗派に対して、しっかりと納得して関わっていくという自覚と責任が大切になるのではないかと存じております。特に仏教の場合は、実践思想哲学的な側面が強くございます。決して盲目的・盲信的な信仰であってはいけないかと存じております。数々の釈尊の善巧方便の教えをしっかりと学び修していくためにも、まずは仏教全体の概要の教え、基本的な法理、各宗旨宗派の基本的教義などを概観することから始められて、その中から、少しずつお決めになられていかれると良いのではないと存じております。また、その中でやはり別の教義も学んでみたいとなりましたら、それはそれで全く構わないのではないかと存じます。・・」

あともう一つは、どうしても「方便」の問題もあるということでございます。方便に関しましては、最近では下記の問いにて扱わせて頂いておりますのでご参照下さいませ。

問い「仏の教えって伝わりづらいものですか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1022839055.html

教えにおいて、受け入れられるものとそうでないものが出てくるのは当然のことで、それは己の理解、機根、能力の状態、境地、資糧等においても変わってしまうものになるかと存じます。

実は実際に拙生も以前では受け入れられなかったものが、最近ではスッと受け入れられているというようなこともございます。

ですので、是非、まずは特定の宗旨宗派にこだわらずに幅広く仏教を学び修していって頂けましたらと存じております。共に頑張って参りましよう。

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「宗教のことで迷っています。」

問い「宗教のことで迷っています。」
http://hasunoha.jp/questions/1087

【ご質問内容】

初めまして。
早速ですがご相談です。

お坊さんにこんなことをお尋ねするのも非常に申し訳ないのですが、私は最近仏教ではない宗教に興味を持ち、いずれ信仰したいと考えております。

ですが私は仏教的な考えである輪廻転生を信じております。その宗教では輪廻転生はないものとして考えているみたいなのです。

この点以外ではその宗教の考えに大変共感しているのですが、こんな私でもその宗教を信仰してもいいのでしょうか?
それとも、やめた方がいいのでしょうか?

誰にも相談できないことなので、是非お答えいただきたく存じます。

【拙回答】

信仰の要諦について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度は、「信仰」に関するご質問を頂きまして、誠にありがとうございます。

まず、「宗教」に関しましては、少し下記の拙回答をご参照下さい。

問い「宗教とは」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1017725553.html

『・・本来の宗教の目的は、・・「幸せや安楽、安心を得るため、あるいは、より良い生き方、人生を歩むため」にあるものかと存じております。それが、不幸や迷い苦しみ、悲しみの原因となってしまっては誠に本末転倒となります。何故本末転倒なことが起こってしまうのか・・それは、全ての人たち、仏教的には衆生たちが、幸せ、安心、安楽となることを目的とせずに、自分、あるいは自分たちの集団さえ良ければいいというような、自己中心、自己満足、独善的な考え方がどこかにあるために生じる問題であるのではないかと思われます。そうではなく、いかに皆が幸せに、安楽、安心に過ごせていけるかを第一として、どの宗教でも、どの仏教の宗旨宗派においても考えていくことがまず大切になるのではないかと存じております。・・』

信仰の要諦は、「幸せや安楽、安心を得るため、あるいは、より良い生き方、人生を歩むため」ということと、もう一つは、「皆が幸せに、安楽、安心に過ごせていけるための良い生き方、人生にも繋がっているかどうかということ」が大切な判断基準になるのではないかと考えております。

「信教の自由」につきましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いておりますのでご参考下さい。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/信教の自由

問い「創価学会」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1017330696.html

上記の拙回答にて、「伝統宗教であれ新宗教であれ、その考え方が正しいかどうかは常に合理的に十分に色々と検証していくことが大切である」と述べさせて頂いております。とにかく心の底から納得できるまではしっかりと合理的に批判的に検証を繰り返していくことも大切になるかと存じております。

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「創価学会」

問い「創価学会」
http://hasunoha.jp/questions/905

【ご質問内容】

私の母は、創価学会に入信しています。
母の家系は殆どがそうです。

本音を言えば辞めて欲しいのですが、本人が救われているのなら良いと言うのが私の思いです。
しかし、自分の考えを押し付けられるのがたまらないのです。

私は歴史が好きで、その流れで仏教にも大変興味があります。
が、それは母には内緒です。
母にとっては、創価学会意外は全部悪だからです。

私は、どう母に話したら分かって貰えるのか?
私は私であると分かって欲しい。
母の信じるものを否定したくないのに、母は全てを否定してくるのです。
これは分かりあえるものではないのでしょうか?

もう、何十年も抱えてる悩みです。
創価学会というと相談にはのって頂けない気もしたのですが、思いきって投稿させていただきました。

【拙回答】

「正しい」とは何か

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

ここではあまり内容を詳しくは述べれませんが、数年前に仏教系の新宗教に入信されている方と何度かお話する機会がありました。

その中で互いに法論を交わしたこともあった次第ですが、結果は互いに理解し合えずに平行線のまま別れることとなりました。

しかし、互いに話し合ってみて、色々と分かったこともありました。そして、その人はその人なりの思想と信条を持って一生懸命に頑張って生きておられるのだと存じました。でも、そのことは、自分自身にも言えることでもありました。まだまだの浅学菲才の未熟者でございますが、拙生は拙生なりに全般的に仏教を学び修しつつに思想と信条を持って生きているのだということであります。それは、互いに自分の考え、思想、信仰が正しいと信じながらにということでもあります。

しかし、問題はその「正しさ」であります。厄介なことに「正しさ」というのは相対的なものであり、また、個々人、社会、国、時代等によっても価値判断が左右されやすいものです。また、「絶対的な正しさ」とは何かというのは独善や自己満足などでは到底決めることもできないものであり、また、万人が認めているから「正しい」と言ってはいても、確固たる反証が出たりすれば当然に覆ることさえもあります。

ここで拙生が思いましたのは、「伝統宗教であれ新宗教であれ、その考え方が正しいかどうかは常に合理的に十分に色々と検証していくことが大切である」ということでございました。

話を少し戻しまして、お母様もはち様も互いにできるだけ話し合ってみられつつに、どこまで相互理解が可能かを推し量られて、歩み寄れる部分と歩み寄れない部分をうまく振り分けながら、バランスを取って接していかれるのが良いのではないかとは存じております。その中でどうしてももう無理となれば、親元を離れられて物理的にも精神的にも独立されるのも一つになるのではないだろうかとは存じております。

ただ、誰にでも「信教の自由」がある以上、国家権力や権威者、親が信仰を強要するようなことはあってはならないかとは思いますし、また、その信仰による行為が反社会的なもの、犯罪性のあるようなものであってもいけないかとは考えております。

どうか善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「お葬式と宗派について」

問い「お葬式と宗派について」
http://hasunoha.jp/questions/943

【ご質問内容】

外国育ちでよく理解できていないのですが(変な質問ですみません)、祖父母はすでにおらず宗派などもわからず(お墓も不明)、両親も檀家などではないのでお世話になっているお寺もないのですが(あえていえば考え方としてこころにとめている宗派はあるのですが直接信者などというわけではない)、こういう場合、お葬式などでは宗派など聞かれた場合どうしたらよいのでしょうか。キリスト教のように洗礼を受けたりというのもないようですし、たとえば、天台宗の思想がとても自分の考えにちかいからそこでお願いしたい、などそういうことをしてもよいものなのでしょうか。またある宗派の信者になるということは仏教ではどういうことなのでしょうか?(海外の宗教とは違うのでよくわからず、くだらない質問で本当にすみません)

【拙回答】

しっかりと納得して関わっていくという自覚と責任が大切

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

基本的には、既に大鐵様もおっしゃられているように「信教の自由」がございますので、宗教、宗旨宗派の選択も各個人の自由が尊重されるべきことでございますが、何でもかんでも自由気ままにということではなくて、宗教、宗旨宗派に対して、しっかりと納得して関わっていくという自覚と責任が大切になるのではないかと存じております。

特に仏教の場合は、実践思想哲学的な側面が強くございます。決して盲目的・盲信的な信仰であってはいけないかと存じております。数々の釈尊の善巧方便の教えをしっかりと学び修していくためにも、まずは仏教全体の概要の教え、基本的な法理、各宗旨宗派の基本的教義などを概観することから始められて、その中から、少しずつお決めになられていかれると良いのではないと存じております。また、その中でやはり別の教義も学んでみたいとなりましたら、それはそれで全く構わないのではないかと存じます。

拙生自身もいまだテーラワーダ(初期・根本仏教)からチベット密教まで幅広く学びを進めさせて頂いている途上でございます。

さて、以下は補足となりますが、お葬式と宗派につきましては、下記の拙論の中におきまして少し各宗派の葬儀の要諦について私なりに簡単にまとめさせて頂いておりますので是非ご参照頂けましたらと存じます。

「お葬式について」 平成26年8月・お盆配布資料
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76

また、これまでの下記各拙回答も少しく参考となるのではないかと存じます。

問い「お葬式・改宗について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1006716402.html

問い「お坊さんを変更できますか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1006677441.html

誠にご仏縁、ご法縁もご縁なるものかとも存じます。どうかマイカ様に御仏の善きお導きのあることを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「檀家会と信教の自由について」

問い「檀家会と信教の自由について」
http://hasunoha.jp/questions/876

【ご質問内容】

結婚して同居した夫の実家は融通念仏宗(大念仏)の檀家です。
40軒ほどの自治会のほとんどが同じ寺の檀家で、自治会の班(組)毎に檀家会の役が回ってきます。5組あるので5年に1度の周期です。

これまでは義母が檀家会の役をしていましたが、高齢のため今年の役から私が担当することになりました。

春秋の彼岸、夏の施餓鬼、11月の如来さん、年末の大掃除など、ほぼ毎月行事があり、寺の内外の掃除やお坊さんや尼講の方への接待などに終日拘束されます。

行事によって夫婦で来るようにとか女性がという風に決められるので、完全に強制です。
私自信は大念仏を全く信仰していないにも関わらずです。
これは信教の自由に違反しないのでしょうか?

自治会と檀家会が一体化していることにも納得できません。
また檀家には家柄や過去のお布施の額で格付けがあり一覧表が配られます。キリスト教などでは考えられないことです。

考えすぎて体調を壊し、離婚や引っ越しも考える毎日です。
何とか近所の方とトラブルになることなく、個人的に檀家会から抜ける方法はないでしょうか。

【拙回答】

村寺の問題について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

まだまだ村社会、地縁社会の地方においては、村寺(地元の自治会や青年団等で寄り合い所となっているなど村社会の中心的な役割を担っているお寺)があり、自治会での地蔵盆や合同法要・供養等で、その村寺に法要の経費やお布施を自治会費から出しているところも少なからずあるのではないかと存じます。

また、心穏やかに様のところのように、自治会のほとんどの会員がそのお寺の檀家であるならば、尚更にそのような慣習・慣例的なものも強くあるのでないかと存じます。もちろん、お金の問題も当然となりますが、強制的なそのお寺の行事へのお手伝いも問題は問題であります。

ただ、既に危惧されておられますように、そのような村社会において、明らかな嫌悪を示し、反対・批判をすると、それこそ村八分となり、余計なストレスや嫌がらせ等を受けてしまうことも十分にあり得ますので、檀家・自治会を辞めない限りは、いずれにしても難しいことに変わりはありません・・

方法としては、同じく疑問を持っている者、意見を同じくする者たちと共に、住職・責任役員、総代に対してしかるべくに提案・進言して、意識改革を促して、そのような強制的なお手伝いを辞めさせるようにするのが良いのではないかと存じます。せめて意思確認、事情確認ぐらいはしてもらえるようにすると良いのではないかと存じますし、お手伝いをさせるにしても、その対価としての報酬(時給ででも)もしかるべくにお寺から出すようにしてもらうと良いのではないかと存じます。

また、「信教の自由」に関しましては、これまでに下記の各問いにて扱わせて頂いておりますので、ご参照下さいませ。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/信教の自由

とにかく、まずはお身体どうかお大事にご自愛下さいませ。少しでも善処へと向かい、心穏やかに過ごされることができますように祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「お葬式・改宗について」

問い「お葬式・改宗について」
http://hasunoha.jp/questions/649

【ご質問内容】

父は次男で最近は、親戚とも疎遠になっってきています。私もバツイチで子供もいないので将来のことも考え永代供養納骨堂を契約しました。

永代供養は宗旨・宗派を問わないとの事ですが、供養に関しての読経は真言宗とのことです。私の父の実家(本家)臨済宗です。こう言う場合、お葬式は臨済宗・真言宗どちたにするべきでしょうか?

永代供養のお寺(高徳院)にお聞きしたところ、改宗しても問題ないとのことですし改宗した方が良いのでしょうか

【拙回答】

お葬式について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お葬式に関しましては、下記のご質問にもお答えをさせて頂きました。

問い「お坊さんを変更できますか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1006677441.html

同じこととなりますが、「信教の自由」がございますので、どうなさられるのかは基本的に個々人の自由に委ねられるところでございます。このことにつきましては、下記拙回答も少しくご参照下さいませ。

問い「祖母のお骨についてアドバイスお願いします。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002880885.html

ただ、問題は、下記にても少しそれぞれの宗派におけるお葬式の要諦について簡単に触れさせて頂いておりますが、真言宗では、密教灌頂による三密加持にての即身成仏を目指す、臨済宗では本来の自己たる仏性に覚醒させての成仏を目指すということで、両者の成仏論には大きな違いがございます。※但し、拙生の個人的見解と致しましては、「葬式即成仏」論について慎重派の立場でございます。

「お葬式について」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76

「・・昨今の葬式仏教批判、あるいは、葬式簡略化、葬式・戒名無用論というのは、葬儀を執行する導師たるべき僧侶に対する信頼低下という面も少なからず影響があるかとは存じますが、それよりも僧侶も含めて、仏教徒であるものの、葬式・葬儀を行う本来的意義について真剣に問わない、考えない姿勢こそが根本的な問題ではないかと存じております。どうかこれを機会に、なぜ、お葬式をしなければならないのかについて改めて考えて頂く一つのきっかけとなりましたら幸いに存じております。・・」

もちろん、全般的な両者の教義についてもう少ししっかりとご自身にて実際に鑑みられた上にて、信心・帰依なさられる(なさられてみたい)方における宗旨について、これから主に学び修されていかれると良いのではないかとは存じます。それよりも他宗派の方が良いとなりましたらそれでも構わないのではないかとは存じます。

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「お坊さんを変更できますか?」

問い「お坊さんを変更できますか?」
http://hasunoha.jp/questions/635

【ご質問内容】

私の父親が3年前に他界し葬儀を行う時に宗派が解らなくて母親が うる覚えの宗派(浄土宗)で近いところを葬儀会館に紹介されました。今まで主人の親の方での お寺さんとか従兄弟の お寺さんとか とても良い感じの方ばかりを存じてます。今回紹介されたお寺さんは ご自身の自慢話しやお寺が大きく成った自慢話しなど 優しさが感じられません。宗派は浄土宗なんですが そのかた 西山浄土宗のようです。私の主人は浄土真宗です。父親が無くなり母親だけになり 母親は今の西山浄土宗の方には葬儀をして欲しく無いと思います。去年のお盆の時に私達も仕事が休みではなく 母親だけが居ましたら・・あんた一人だけか 娘さん達はどうした?とブツブツ言われ 5分もお経をあげないで お茶も要らないと 早々にお布施だけ持って帰ったそうです。これを母親から聞いて憤慨しました。私達は金持ちでもないし庶民です。働かないと食べていけません。母親も年金生活 そんな一人暮らしの母親に対しての対応に疑問を持ちました。変更できますでしょうか?また変更する場合 名古屋市緑区ですが どちらか紹介して頂けませんか?ぶしつけなお願いですみません。よろしくお願いします

【拙回答】

仏事・法事の本来的意義を問い直す必要性について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お葬式、その後のご供養のあり方について色々と考えさせられるところでございます。

今の時代、お寺、お坊さんとお付き合いしていくのも色々な面にて大変なところがあるのも確かでございます。もちろん、信教の自由もございますので、付き合いをどうされるのかも基本的には個々人の自由に委ねられるところでございます。以前に、下記問いにて『「信教の自由」と「檀家制度」』として回答をさせて頂いております。

問い「祖母のお骨についてアドバイスお願いします。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002880885.html

また、仏教(三宝)に帰依して、仏教徒として生死大安心を与り頂こうとするのであれば、やはり、それぞれがお寺、お坊さんとの付き合いについて、今一度見直しを進める上でも、仏事・法事に関する意義についても改めて考える必要があるのではないかと存じております。

例えばどうして葬儀をしなければならないのか、法事はなぜ必要であるのかなど、あまり深く考えることなしにただ鵜呑みにして形式的なことだけを受け入れてしまっていることほど、実は愚かなことはありません。その中身、内容を理解して、それを常日頃の生活における行いへと活かしてこそ、本当の意味で仏教は役立つものとなります。

例えば、葬儀に関することについては最近に拙考を改めてまとめさせて頂きましたので、是非この機会に少しくご参照を頂けましたら幸いに存じております。

「お葬式について」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76

「・・昨今の葬式仏教批判、あるいは、葬式簡略化、葬式・戒名無用論というのは、葬儀を執行する導師たるべき僧侶に対する信頼低下という面も少なからず影響があるかとは存じますが、それよりも僧侶も含めて、仏教徒であるものの、葬式・葬儀を行う本来的意義について真剣に問わない、考えない姿勢こそが根本的な問題ではないかと存じております。どうかこれを機会に、なぜ、お葬式をしなければならないのかについて改めて考えて頂く一つのきっかけとなりましたら幸いに存じております。・・」

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

補記・・

平成26年8月・お盆施餓鬼法要・配布資料

「お葬式について」 岩瀧山往生院六萬寺 副住職 川口英俊

http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76

はじめに・・

ここ十数年の間に、日本の葬式事情の多様化が急速に進む一方、本来の葬式・葬儀の意義について鑑みることが薄れつつある中で、「葬式仏教」との批判と共 に、葬式・戒名無用論もある現状下において、仏教徒であるのであれば、今一度、なぜ葬式・葬儀を行わなければならないのかということをしっかりと考えるこ とが必要な時期に差し掛かっているのではないかと存じております。

この度は、お葬式に関しての拙考を改めてまとめさせて頂くことと致しましたので、少しくでもご参照にして下さいませ。また、内容に関しまして、忌憚なくにご叱正、ご批正の程も賜われましたら有り難くに存じます。どうか宜しくお願い申し上げます。


当寺のお葬式の方針について

当寺では、長年、お葬式・葬儀における導師のお受けを積極的には行っておりません。理由としては、当寺では檀信徒制度を緩やかなものとしており、ご縁を頂 いてる皆様に当寺から強制的な寄付や護持会費の徴収をしないために、あるいはご無理なご負担をお掛けしないようにするためにということと、墓苑においてご 縁を頂いている皆様に関する法務・寺務、墓苑管理などを優先させて頂いているためにということでございます。

もちろん、葬式・葬儀のお受けを全くしないということではなくて、当寺とご縁があって、どうしても(菩提寺等が無く、あても無いなど)という特別な事情に おいて、当寺をご指名頂きました際に、葬送に関する留意事項について色々と事前にご確認、ご納得をして頂きまして、当寺の優先すべき寺務・法務の都合等も 鑑みさせて頂いて、お受けできるかどうかを最終的に判断させて頂くこととなります。当寺の事情にてお受けできない場合があることにつきましても、どうか事 前に十分ご了承を頂きたいと存じております。


私のお葬式についての基本的な考え方について

さて、各宗派においても葬儀の意義がそれぞれに異なっていることもありますが、おおよそ、授戒式(正式な仏弟子・僧侶となるための儀式)と引導式(成仏へ と向けて、あるいは浄土・仏国土へと導くための儀式)の二つを主要な要素としていると捉えることができます。(但し、浄土真宗の場合は、授戒・引導という 形式は用いません。)

いずれにしても、仏教の目的である悟り・涅槃を目指して頂くために(あるいは浄土真宗の場合は浄土へと往生したことへの報謝のために)行われる大切な儀式 であり、導師はもちろんながら、喪主・遺族・会葬者の皆様におかれましても、真摯に、厳粛に扱って執り行って頂くことが求められるものとなります。

以下に、これまでの拙生自身におけるお葬式に関しての考え方のまとめを簡単ながらにも挙げさせて頂きます。

・お葬式・葬儀は、仏縁(仏様とのご縁)・法縁(仏法とのご縁)を結ぶための一つの大切で重要な機会であると捉えております。

・宗旨宗派によってお葬式・葬儀の法式・作法・儀礼などが異なっているのは、それぞれにおける仏縁・法縁を結ぶための方法・手段の相違であって、読誦され るお経などの相違も、それぞれが依拠する仏典の相違によるものと考えており、(やがて悟りへと至るための)仏縁・法縁を結ぶためという基本的な目的につい ては、あまり大差なく変わらないものであるかと存じております。

・生死や肉体の有無に拘らず、確かなる仏縁・法縁を結ぶことを基として、各々の心の連続体(心相続)に、菩提心と慈悲心を滋養させていくことにより、悪行 を成さずに、善行に精進して、功徳を積むことが求められるものであるかと考えております。お葬式・葬儀もあくまでそのための仏縁、法縁の一つの大切な機会 として捉えさせて頂いております。

・むしろ、できれば今の生きているうち、今生にも、できる限りにおいて仏縁、法縁を結ぶ機会を何度も何度もあずかり頂いて、菩提心と慈悲心を繰り返し繰り返し修習させ続けていくことが望ましいものであるかと考えております。

・尚、更に望ましいのは、確かなる仏縁、法縁を結ぶことを通じて、智慧(空性の了解)と福徳(善徳・慈悲・利他行)の二資糧を円満に積むことに精進努力し て励みて、特に悟りの妨げとなっている煩悩障と所知障を断滅させていけるように調えていくことが必要であるかと存じております。

・お葬式・葬儀における導師の役割には、確かなる仏縁・法縁を結ばせることができるだけの力量、器量、資格、責任が問われることになるため、慎重にその役 割が担えるに足るのかどうか、適切であるのかどうかが判断されなければならないものであるかと存じております。また、仏典はもとより、諸師方、喪主様、ご 遺族、会葬者の皆様方、あるいは必要となれば第三者からも常に厳しく評価検証されていくべきものであると考えています。

・よくあるご批判として、「まともに戒律も守れていない者(特に妻帯や様々な俗人的な行いの数々など)が、戒師や導師を務めるのはいかがなものか」とのご指摘は至極その通りであり、常に猛省致すところが大でございます。

・お葬式・葬儀に限らずに、常日頃における仏事、法事など仏法を扱わせて頂くことについても、真にその扱わせて頂くべき力量、器量、資格があるのかどうかが厳しく問われるべきことであるかと存じております。

・以上のようなことを鑑みさせて頂いて、まだまだのこの浅学菲才の未熟者と致しましては、常に反省と自戒を致すことが多々であり、しっかりと己自身の菩提 心、慈悲心の滋養へと向けての修習と研鑽を致しつつ、智慧と福徳の二資糧を積むことに精進努力して取り組んでいかなければならないと考えております。その ため、なかなか積極的にはお葬式・葬儀をお受けさせて頂けるような立場には全く至っておりませんことにつきましては、誠に申し訳なくにも存じております が、もしも、ご指名がございまして、導師のお勤めさせて頂くこととなりましたら、真摯に、真剣に精一杯取り組ませて頂きたいと存じております。どうかご理 解とご容赦を賜われましたら有り難くに存じております。何卒にも宜しくお願い申し上げます。


各宗派における葬儀の要諦について

天台宗・・顕教・密教の併用形式。儀礼・・法華懺法(ほっけせんぽう)(法華経を読誦し、無明・煩悩・悪業を滅するための法)と例時作法(阿弥陀経を読誦 し、極楽浄土への往生のための法)と光明供(光明真言を読誦し、浄土への引導・成仏のための法)。印契、密教法具も用いられる。授戒では円頓戒(大乗菩薩 戒)が授けられる。

真言宗・・密教。儀礼・・灌頂形式。理趣経・真言・陀羅尼等が読誦され、印契、密教法具が用いられる。三密加持(御仏の身・口・意の行いと私たちの身・ 口・意の行いの一体化を図る)による速やかなる即身成仏・仏位を目指すための儀式。弥勒菩薩の兜率天(とそつてん)、あるいは大日如来の密厳浄土への引導 を行う。

浄土宗・・阿弥陀如来の極楽浄土へと向けた往生式。儀礼・・序分(諸仏をお迎えする儀式)・正宗分(引導式)・流通分(諸仏・故人を見送る儀式)の三部構成。主には阿弥陀経・無量寿経・念仏が読誦される。

浄土真宗・・阿弥陀如来への仏徳讃嘆・仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)の儀式。授戒・引導を扱わない。故人は臨終後即座に極楽浄土へと往生したもの(即得往 生・往生即成仏)とみなされるため、故人へと向けた供養・回向は扱わず、あくまでも阿弥陀如来を対象とした儀礼となる。正信偈・念仏・和讃が読誦される。 持戒すべき戒律を扱わないため、授戒式は無い。そのため、仏弟子としての帰依者に与えられる名前も「戒名」とは言わずに「法名」と称される。

曹洞宗・臨済宗・・もともと禅宗における修行途中に亡くなった僧侶への葬儀法が、在家葬送のためにも援用され、「没後作僧」(もつごさそう)として各宗派 の葬儀法へも影響を与えていくことになった。没後作僧とは、死後に授戒し、正式な仏弟子(僧侶)とならせて、仏の助けを得て、成仏させるという考え方。授 戒においては、仏法継承・正伝の流れとしての「血脈」(けちみゃく)を扱います。どちらも本来の自己(仏性)への覚醒による成仏を目指します(見性成 仏)。また、授戒と共に仏位同等としての成仏を扱います。成仏へ向けた引導においては、引導法語にて一語一語重要な意味内容が表されます。大悲心陀羅尼・ 観音経・修証義(曹洞宗の場合)・舎利礼文などが読誦されます。

日蓮宗・・久遠実成釈迦如来の霊山(りょうぜん)浄土への往詣(おうけい)のための儀式。法華経・題目などが読誦される。日蓮宗では、法華経に帰依信心す ること、そのことが持戒そのもの(妙戒)であると考えられているため、授戒式は無く、そのため、仏弟子としての帰依者に与えられる名前も「戒名」とは言わ ずに「法号」と称されている。


「葬式即成仏」への疑念について

正直に、拙生がお葬式の導師を積極的にはお受けを致したくはない理由が、実はもう一つございます。それは、「葬式即成仏」に対して十分な責任が持てないと いうことでございます・・自らが導師足るべき資格云々ももちろんございますが、本当にこれで故人が浄土へと赴けたのか、成仏できたのかということについ て、明らかな確信が持てない、確かに証明・論証することができないからであります。もとより、拙生自身、まだまだ悟り・涅槃・成仏には程遠い凡夫なる存在 であり、到底分からないこともあって、それを仏典には一応こう書かれているから、先師がそのように解釈して述べられているから、昔からそのような慣習とし てあるから、などでは全く納得できないところもあり、もしも「葬式即成仏」であるならば、生前においても同様にその儀礼を執行することで成仏が可能になる はずでございます。しかし、残念ながら正直そのようなことはあり得ないのも事実です。生きている間は無理だけれど、死んでからならば可能になるいうのもや はり疑念甚だしい限りとなります・・

また、「葬式即成仏」であるならば、例え今世において、どんな悪い罪を犯そうが、心が汚れてしまっていようが、無明・煩悩・悪業の多寡にも関係なく「成 仏」できることにもなりかねず、それでは、極論として、形式だけでもただ葬式さえすれば良いことにもなり、仏教の基本としてある、心を浄らかにして、悪い 行いを慎み、善い行いに努め励むということや三宝への帰依、様々な教義についての学びや仏道修行も否定されてしまい、やがて仏教不要論へと繋がることにも なりかねないと存じております。

まだ、「葬式即成仏」ではなくて、「葬式は、これからの本格的な仏道修行へと入るための正式な仏弟子となる儀式、仏縁・法縁をあずかり頂いて仏道修行を本 格的に進めていくための儀式」と捉える方が拙生的には納得のできるものであり、そのように考えている次第でございます。どうかこの点もご理解の程を宜しく お願い申し上げます。

昨今の葬式仏教批判、あるいは、葬式簡略化、葬式・戒名無用論というのは、葬儀を執行する導師たるべき僧侶に対する信頼低下という面も少なからず影響があ るかとは存じますが、それよりも僧侶も含めて、仏教徒であるものの、葬式・葬儀を行う本来的意義について真剣に問わない、考えない姿勢こそが根本的な問題 ではないかと存じております。どうかこれを機会に、なぜ、お葬式をしなければならないのかについて改めて考えて頂く一つのきっかけとなりましたら幸いに存 じております。最後に、やがて一切衆生が悉く仏道を成就して、悟り・涅槃へと到れることを心から祈念申し上げます。

川口英俊 合掌九拜

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・・

岩瀧山 往生院六萬寺
http://oujyouin.com/

往生院六萬寺 お葬式・葬儀のお申し込みについて
http://blog.livedoor.jp/oujyouin_blog/archives/7820109.html

・・

「お葬式・葬儀に対する拙個人的見解の補足について」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/644562be202e5ab9e6208d8f6b7d6b96

問い「宗派の選択」

問い「宗派の選択」
http://hasunoha.jp/questions/366

【ご質問内容】

宗教は自分の考えで選ぶ事が出来るのでしょうか?
ある人から創価学会への入信を勧められています。

私の実家は禅宗です。違う宗派の家に嫁ぎましたが離婚しました。
この場合、実家の宗派に戻るのか?新しく自分で選ぶのか?判りません。その家に伝わる宗教は先祖と自分を繋ぐ絆のような気がするので新たに自分の代から変えるのは不安です。

自分で抱えきれないような悩みがある時,人はどうして乗り越えていくのでしょうか?

【拙回答】

「信教の自由」と「宗派のこと」につきまして

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度は、引用ばかりにて誠に申し訳ございませんが・・

問い「祖母のお骨についてアドバイスお願いします。」( http://hasunoha.jp/questions/174 )・問い「宗派は変えれますか?」( http://hasunoha.jp/questions/266 )にて、「信教の自由」を扱いまして、基本的に憲法にても信教の自由は保障されており、個々人がどのような信仰を持っても、また持っていなくても自由であり、もちろん強制したりすることは許されませんし、個々人の思想・良心(信条)を尊重しなくてはいけないのですが、家族や親族、これまでの代々のご先祖様から受け継ぎ守ってきた思想・信仰・信条も尊重しなければならないこともあり、安易に無視せずに、そこは十分に配慮した上にて、後々の揉め事や遺恨に繋がらないように話し合いによる理解を通じての円満な解決を目指す必要もあるかとは存じます。

沢山の宗派があることにつきましては、問い「宗派を間違えてしまって」( http://hasunoha.jp/questions/144 )にて「様々な宗旨宗派がありますが、仏教の目的は、基本的には涅槃・悟りを目指すということに変わりはないものの、釈尊の対機説法・善巧方便に関して、釈尊入滅後、数百年後から始まった仏典編纂の過程において、関わった者による様々な思想・解釈も通じて、涅槃・悟りへ向けた道程についての手段・方法のあり方が色々と出てくることになっていったものであると考えられます。」として簡単に述べさせて頂いております。

更には、問い「なぜか一つに決められないんですが・・・・」( http://hasunoha.jp/questions/303 )・問い「宗派の特徴を一言で」( http://hasunoha.jp/questions/237 )における拙回答、皆様のご回答も少しく参考となるのではないかと存じます。

誠に仏教は悩み苦しみを乗り越えていくための教えでございます。是非、これからも学びを少しずつでも進めて頂ければ有り難くに存じます。問い「宗派にとらわれない仏教思想の学び方について」( http://hasunoha.jp/questions/233 )もご参照下さいませ。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「祖母のお骨についてアドバイスお願いします。」

問い「祖母のお骨についてアドバイスお願いします。」
http://hasunoha.jp/questions/174

【ご質問内容】

昨年祖母が亡くなりました。 葬儀は密葬で行い、お寺を通さなかったので祖父や曾祖父母が入っているお墓に納骨しておりません。
当方は結婚して実家を出ている為、このお墓に今後入る予定はないのですが実の両親はこのお墓に入りたくないので祖母のお骨も入れていません。

両親がこのお墓に入りたくない理由としては祖父が他界した時(約20年前)このお寺から戒名代もかなりな高額で、その時の住職さんやお寺関係者の態度も傲慢だったのが父には我慢出来なかったそうです。

その後、事あるごとに実家にとって高額なお布施やとうば代を要求するお寺のやり方についていけないのもあり、お寺の方針を受け入れられないのです。
その為両親はお寺に不満が溜まり、祖母と話し合った結果、祖母のお骨は手元に置いておくという約束を生前の祖母としたみたいです。(当方は祖母から実際にこの話を聞いていないので両親が本音で話しているかは不明ですが…)
しかしこの決断を受け入れられない叔父や親戚から「祖母をきちんとお墓に入れるべき・お金の問題ではない・祖母が可哀想」と言ってきます。
父は断固として叔父や親戚の意見を受け入れずにいます。 私は嫁に出た立場なので何も言えませんが、故人のお骨で家族や親戚がいざこざ起こすのは祖母が一番悲しむと思います。 私は今後どのようにしたら良いでしょうか?

私は祖母の意思を尊重してあげたいとも思うし、交友があった親戚が祖母をお参りしたい気持ちも分かります。 ただ喪主である父の意思が固すぎるので何を言っても父は受け入れてくれません。

【拙回答】

「信教の自由」と「檀家制度」 ※少し修正させて頂きました。

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

何事にも個人の意思が尊重される時代、もちろん憲法でも保障されている「信教の自由」もあり、個々人がどのような信仰を持っても、また持ってなくても自由であり、もちろん強制したりすることは許されませんし、個々人の思想・良心(信条)を尊重しなくてはいけません。(もちろんそれが明らかに反社会的な破壊的カルトとなれば、問題はまた別なものとなりうる可能性はありますが・・)

ですので基本的には、改宗も菩提寺替えも自由が保障されてはいます。

現在の檀家制度は江戸時代の寺請制度から始まっているものでありますが、現代社会においては実質的に制度崩壊へと向かっているのは明らかであります。これまで檀家制度にだけ守られて、布施や寄附を集めて維持運営が成されていた寺院においては、今後、ますます厳しい運営が迫られてくるのは必至となります。特に現在社会通念上から見ても、あまりに高額な布施や寄附をいまだに要求していたり、態度が傲慢・高慢・横柄・高飛車であったりする寺院・僧侶は、これから更に淘汰されていくことになるでしょう・・

もちろん、家族や親族においては、しきたりや風習、伝統、慣例を重視する保守的な考え方をお持ちである方もいらっしゃいますから、安易にその方たちの意見や反対を無視したり、強行して進めたりすると、余計な争い事や揉め事に発展しかねないため、十分に配慮していく必要があるかとは存じております。

できるだけ穏便に解決していくには、まずは家族・親族での話し合いが避けられないかとは存じております。釈理薫様のおっしゃられるように、今の菩提寺では到底無理(二十年前の話ですから既に代替わり等でお寺の方針も相当に変わっているかもしれませんが・・)であるとなりましたら、同宗旨の寺院様に菩提寺を替えて、お墓も改葬し、新たな菩提寺での永代供養墓や永代納骨堂へとご先祖様と共に祖母様も納骨する、また、直系跡継ぎがいらっしゃるのであれば、今のお墓をそのまま移転したり、または新規にお墓を建立なさられて改葬する、あるいは、宗旨宗派を問わない霊園へと改葬し、無理のない新たな菩提寺様とお付き合いを始めてご供養して頂くなど、方法はいくつかあるかと存じますので、お話し合いを進められていかれましたら良いのではないかと存じております。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16
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