hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

僧侶

問い「現代での「お坊さん」という存在について」

問い「現代での「お坊さん」という存在について」

【ご質問内容】

この数十年、お坊さんが身近になりすぎて、低俗な存在になったように思います。

テレビ番組や新聞で、「お坊さんが好きな焼き肉のメニュー」、「お坊さんも出会い系サイトを利用したり、身分を隠してキャバクラで遊ぶ」、「強姦や暴行で僧侶の男が逮捕される」等をよく見るようになりました。

この現状について、どう思われますか?

【拙回答】

脚下照顧

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

期待の裏返しとしての叱咤激励と捉えさせて頂いております。

hasunohaも、ある意味ではお坊さんを身近に感じられる場所の一つとなってきているのではないだろうかと存じます。

それがゆえにも、頼りにされる存在として、ご期待にお応えできるように、日々、法友の皆様と協力して取り組んで参りたいと、僭越ながらにも存じております。

お叱り、ご批判のことは、「他山の石」、「脚下照顧」として、しっかりと自省して参りたいと存じます。

川口英俊 合掌

問い「なぜhasunohaのお坊さんは」

問い「なぜhasunohaのお坊さんは」

【ご質問内容】

相談にのってくれるのでしょうか。 
なにかメリットがあるのでしょうか。 
人の相談に乗ることが自分の修行の為、などと本当に心から思えているのでしょうか? 
自分も色々相談にのってもらいつつも、こうした失礼なことを考えてしまいます。 
基本的にボランティアや、善意ある人を信じられません。腹の中まで綺麗な人なんて本当にいるのでしょうか。

関係ないですが、昔働いていたキャバクラで、お坊さんの団体が泥酔して女の子のお尻や胸を触って馬鹿騒ぎしているのを見かけてから、お寺に行ってもお賽銭をしていません。

【拙回答】

hasunohaは、直球の悩み・苦しみに向き合える場

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「なぜhasunohaのお坊さんは相談にのってくれるのでしょうか。 なにかメリットがあるのでしょうか。 」・・

拙プロフィール( http://hasunoha.jp/users/16 )の中では、それなりのことを書かせて頂いておりますが、大上段に構えて、人の為、世の中の為とはあまり思ってはいません。

ただ、少しでも拙回答にて、癒しや救い、良い気付きやきっかけとなって頂いて、善行・功徳となったのであれば、それはそれで有り難いことである、と思っております。

メリットは、とにかく、直球の悩み・苦しみに向き合える場として鍛錬されるというところでしょうか。

やはり、誰にも面と向かって言えないことでも、匿名で、会わなくても、すぐにネット上で相談できるということで、心の叫び、思いをストレートに表して質問することもできるため、中には、読むに耐えれない厳しい内容もございます・・受けとめるこちらも涙してしまう、数日深く考え込み、落ち込んでしまうこともたまにございます・・

もちろん、有り難しや、嬉しいお礼、感謝のお礼にて、向き合う力も頂けることもできております。有り難しです。

「基本的にボランティアや、善意ある人を信じられません」・・

まあ、ボランティアも慈善活動も、「何もしないよりかはする偽善」ぐらいで、拙生も考えて捉えております。拙自身も昔は「ミスターボランティア」でしたが、ボランティアの世界もドロドロとした人間模様が色々とありますし、あまり一般世間・社会と変わりはないという印象です・・色々な思いの持った人間が集まれば、ある程度仕方なしといった感じです・・

以前に見られたキャバクラでのお坊さんの団体による乱痴気騒ぎに幻滅なさられておられるご様子・・

お坊さんも色々ですが、「他山の石」と致して自省しておきたいところでございます。

川口英俊 合掌

問い「世俗諦と僧侶の立場について」

問い「世俗諦と僧侶の立場について」

【ご質問内容】

死刑制度に関し、瀬戸内さんは反対の立場で、 
「殺したがるバカどもと戦って下さい」と発言し 
ていました。 
後に被害者感情を鑑み、謝罪はしていますが。

僧侶という立場を前提で、違和感を感じました。 
・世俗的なことについて、どちらか一方の立場に 
 たつことは僧侶として、普通なことなのでしょうか。 
・上記発言自体が、怒り(瞋)ではないのですか

世俗のことは、民主的な手続きで決まったことです 
から、世俗に任せればと感じました。

確かに、仏教でも「不殺生戒」はあり、その意味では 
理解できます。 
また、これまでも冤罪もありましたので、その意味 
でも、死刑反対は理解できます。

世俗的なものごとは、ある立場、ある目線を前提に 
議論されることですから、普遍性もないし真理でも 
ないと思います。

僧侶という立場、仏教の教えとは、衆生の悩み・苦しみ 
などの煩悩をなくす為のものと考えていました。 
その意味で、世俗諦と僧侶の立場についての見解を 
お聞かせください。


【拙回答】

世俗諦は、勝義諦へ至るためには当然に依拠すべきもの

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

過日の日弁連のシンポジウムにおける瀬戸内寂聴さんの発言におけることでは、下記のご質問においても拙回答させて頂きました。

問い「死刑制度で質問です。」 http://hasunoha.jp/questions/12483

最後のところで、「仏教の場合では、「業」(カルマ)の問題を考えて、死刑制度を容認している場合は、それが悪業となるものであると悪意有過失(知りつつ不注意にて是正せずに放置している)であれば、自らの悪業となる恐れも否めないというところがございます。」と述べさせて頂いたものの、回答字数制限の関係上、中途半端になってしまっておりました・・

正直なところ、上記の意図が瀬戸内寂聴さんの発言の中においてあったのかどうかは分かりませんが、あの発言では、説明不足過ぎると共に、言い回しの悪さ、軽々さがあったのではないだろうかと存じます。謝罪をなされましたので、非はお認めになられておられるようですが・・

・世俗的なことについて、どちらか一方の立場にたつことは僧侶として、普通なことなのでしょうか。

確かに勝義諦としては、「空」であり、何らとして実体の無いところに依り立つことはできないのですが、かといって、世俗世界で生きている以上は、当然に縁起的に成り立っている世俗のモノ・コトには従わざるを得ないところがごさいます。

例えば、赤信号、青信号も「空」であり、何も実体として成り立っていない、依り立つことができないとして、赤信号の交差点に突っ込んでいけば、最悪、事故で死んでしまいます。世俗で生きている以上は、世俗のモノ・コトの分別にも従わないといけないところがあるのは仕方のないものとなります。

・発言自体が、怒り(瞋)ではないのですか

正直、あの発言は政治的思想背景もあってのことでしょう・・真なる智慧・慈悲による救いへ向けた怒りであれば、不動明王様の怒りにも通じるところとなりますが・・あれでは感情的な煩悩による怒りと捉えられても仕方がないものであるかと存じます・・

「世俗諦と僧侶の立場」・・龍樹大師が根本中頌でも述べられておられますように、世俗諦は、勝義諦へ至るためには当然に依拠すべきものとなります。「月を指す指」として、しっかりと理解をしていく必要があると存じております。

川口英俊 合掌

問い「台湾の友人の質問に答えられませんでした」

問い「台湾の友人の質問に答えられませんでした」

【ご質問内容】

先日、台湾の友人にこのような質問をされました。

「台湾の僧侶は肉は食べない、酒も飲まない、女性との関係も持たない、そうやって厳しい修行をしているから尊敬されている。 
日本の僧侶は肉も食べ酒も飲み女性との関係も持つ、どうしてそれで尊敬されるのか?一般人と同じじゃないか?」

わたしは仏教に詳しくなく、戸惑ってしまい、彼の質問にうまく答えることができませんでした。 
「日本のお坊さんも修行はしていると思うし……それにお酒と肉と女性をやってなければ偉いっていうのも違うと思うし……うーん……」 
というような曖昧な返答になってしまいました。

もし、お坊さん自身がこのような質問をされた場合、どのようにお答えになるでしょうか。

ご不快な思いをさせてしまっているかもしれませんが、どうかお答えいただければ幸いです。


【拙回答】

何をもって尊敬する人と判断するのか

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

拙生自身のことを申せば、還俗もせずに妻帯していることが、「波羅夷罪」(僧団永久追放の重罪)の一つにあたることは、重々にも承知を致しております。

日本仏教の伝統・文化・歴史の変遷を鑑みますと、許容されるべき戒律、時代・社会に適合しないような戒律もあり、一概に、釈尊の時代の戒律を守らなければならないというわけではない面もございますが、どうにも「波羅夷罪」だけは、やや性格が異なるものであるとは思っています。

ですので、自分は、日本では便宜的に「僧侶」ではあっても、日本外部の仏教(特に戒律の厳格なテーラワーダ仏教やチベット仏教ゲルク派など)からでは、「僧侶」ではなく、「在家信者」であると言われても仕方がないとの自覚は致しております。

でも、だからといって、仏教を修習できないわけではなく、しっかりと一在家信者としてでも、できるだけ仏道の歩みを前へと進めていけるように、日々変わらずに修習に頑張って努めて参りたいと存じております。

また、ただ戒律を守っているから尊敬するというわけではなく、僧侶であろうが、在家であろうが、仏教の智慧と慈悲や方便を兼ね備えていきつつ、仏道を確かに歩んでいる者であるのかどうか、尊敬に値する良き人格者であるのかどうかということも併せて、総合的に見ていくことも必要ではないだろうかとも存じます。

どうかご賢察を賜りたくに。

川口英俊 合掌

問い「お坊様方、改めて教えに向き合ってみませんか?」

問い「お坊様方、改めて教えに向き合ってみませんか?」

【ご質問内容】

報いきれるほどの恩ではない。この世でどのようなことをしても、お坊さんの大恩に及ばないのです。私の参じたお方に報いきれないのです。

大概の僧侶志望の方は、僧侶という型枠に収まり、呆けた顔をしたいだけでしょう。(違う人も当然、いるでしょうけど)

このhasunohaに南伝仏教の本を勧めるお坊さんがいました。

なぜ浄土宗門徒ならば一心に念仏を唱えよ。と言われないのか? 
そうでないなら、この宗派は貴方の要求に応対できないと、 
宣伝して回っているようなものである。師の恥だ。 
煩悩を滅するのが道であるなら、すぐに南伝へ飛び出して出家すべきでしょう。 
命はいつ果てるとも知れず、呑気に書き込む時間などないはずである。 
一宗派の門徒ならば、師から伝えられた安心を絞り出し、絞り出して、 
与えるべきである。南伝なんぞの教えは不要でしょう。

青白い顔をして訪ねてきた人に、この本を読んでみろと言うのか? 
崖に捕まって、落ちそうな人間にこの本を読めと言うのか?

本を勧めるのが悪いのではなくて、相手の心に真に向き合うべきでしょう。 
頑張る気力が湧かないと嘆いて苦しんでいる人間に、 
「努力にこそ価値がある」と答えを返した僧侶はいないだろうか?

砂漠のど真ん中にいて、飢えて苦しんでいる人間に、 
雑巾を絞って、絞って、ひねり出した一滴を捧げるが如く、 
求むる者に注ぐべきである。 
真に苦しむものは雑巾の水でも礼拝して飲む。

例え地球に宇宙人が攻め込んで、インデペンデンスデイの如く、 
飛行機で宇宙船に突っ込み、地球の危機を救っても、 
お坊様の恩に報いきれるものではない。

未来永劫に輪廻して善行善業を積み続けても、報いきれるものではない。

hasunohaで答える程に頑張っているお坊様がこの程度(すみません、ごめんなさい)なので、現状の日本仏教界の内実を察するに十分ですよ…すいません。 
意識の低いものが跋扈し、仏を貶めるだろう。 
正法は、ロウソクの火のように弱ってこのまま絶えるのではないかと、 
心配するばかりです。

門徒の恥は師僧の恥であり、師僧の恥は宗祖の恥だと思います。 
碌な返答も出来ず惑わすようであるならば、黙していた方がマシです。

偉そうに説教みたくなってごめんなさい。 
ただ反省はいくらしても、一円も掛からないので損はしないと思うのです。 
私も道の途中ですので、頑張ります!合掌


【拙回答】

「努力にこそ価値がある」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

拙生は、南伝仏教(初期・根本仏教)からチベット仏教までの一通りを、15年ほど掛けて、やっとさらっとある程度学ばせて頂きました浅学の未熟者に過ぎませんが、南伝仏教(初期・根本仏教)もチベット密教にも、確かに釈尊(仏)の教えがあり、そこに本来、上下優劣はつけられないものであると考えております。

あとは、悟りへと向けて、数々の方便としてある教えを、どう各々が仏道修行に実践的に活かしていくべきかになるのではないかと存じております。

真に、その方のことを鑑みて、その方の機根のためにおいても、南伝仏教(初期・根本仏教)の教えが必要であれば、その方便をお示しすることも必要なことがあるのではないかと存じております。

とにかく、まだまだの浅学菲才の未熟者ではございますが、できる限りに薬効ある薬(方便)を幅広く調えていくことにより、僭越ながらにでも、対機説法・応病与薬に資して参れますように日々、研鑽し、精進努力致して参りたいと存じております。そうです。「努力にこそ価値がある」です。努力致します。

ご賢察を賜りたくに存じます。

川口英俊 合掌

問い「僧侶の威厳と戒律」

問い「僧侶の威厳と戒律」

【ご質問内容】

毎回、私のは質問というよりイチャモンと言った方がよいかもしれませんが、今回もよろしくお願いします。

私(S40年代生まれ)の子供の頃は、現在よりもずっとお坊さんは尊敬される存在であった気がしますが、現在の僧侶の威厳の低下(私にはそうみえる)はどこに原因があるのでしょうか?

それは、現在の僧侶の大半に、戒律を厳守して生活している印象が全く無い、というところが大きいのでないか(あくまで部外者の印象で、実際のところはわかりませんが)と私は考えます。

「威厳なんていりません」とおっしゃるかもしれませんが、毎日、朝夕「三宝に帰依します」と唱えている側にしてみれば、やはり僧侶には、仰ぎ見る存在であってほしいのです。

現在、僧侶(日本仏教界)にとって戒律はどのようなもので、どれくらい重要視されているのでしょうか?

ぜひ、ご意見をお聞かせください。

ちなみに、私は仏教徒であることを強く意識するようになって、五戒のうち、せめて不飲酒戒の一つだけでも、死ぬまで守り通そうと決めて、十四年間一滴も飲んでいません。それ以前は、ひどいもんでした...。       
私は本当に仏教に救われたと思っています。


【拙回答】

戒律について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

日本仏教の僧侶の場合、いつでも戒律について厳しい批判の目があることは自覚致しております。

三宝帰依は、誠に尊く有り難いことでございます。

ちなみに、三宝の内の「僧」(サンガ・僧伽)において、どう考えても尊敬・帰依できない僧侶もいるでしょうから、全僧侶に対して行うのはちょっと・・と抵抗が生じてしまわれる場合には、「偉大なる尊敬に値する僧侶たち」とされるのが良いのではないかと存じます。

戒律には、絶対遵守すべきものと、努力目標とすべきものと、また、時代に応じて解釈するものなど、色々とあるかと存じます。

基本的には、悪い行いを慎み、悪業を積まず、善い行いに励み、善業を積むためとなっております。

もちろん、中にはどうしても破ってしまう場合のものもあるかと存じます。その際には、「布薩」と申しまして、定期的に反省・慚愧・懺悔することもございます。

僧侶の立場にある者が、還俗もせずに妻帯していることが「波羅夷罪」にあたることは重々にも承知致しております・・

正直、拙生は、戒律に関しては、「菩薩戒」(三聚浄戒/摂律儀戒は在家信者戒)と「三昧耶戒」をダライ・ラマ法王猊下様ご導師の灌頂にて授かったのが、正式な受戒になったと考えております・・

ですので、今の自分は、日本においては一応は「僧侶」としての立場であったとしても、心の中では、正式な僧侶ではなく、在家信者として仏教を修習している者であると自覚致しております。

どうかご賢察賜りたくに。

川口英俊 合掌

問い「僧侶に階級があるのは何故ですか?」

問い「僧侶に階級があるのは何故ですか?」

【ご質問内容】

本日、仕事中にお客様が「僧侶にさえ袈裟の色で階級をつけたりしているのはおかしい。本来仏教とは身分差別したりしないはずだ」とおっしゃっているのを聴き、疑問に思いましたので質問させて下さい。 
僧侶によって?宗派に違いはあれど袈裟の色で階級があるのは何の為でしょうか? 
また、それは誰が判断、ジャッジし決められるものなのでしょうか?


【拙回答】

一休宗純禅師と袈裟

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

テレビアニメで有名な「一休さん」は、実在の一休宗純禅師がモデルとなっていますが、一休宗純禅師が大徳寺の住職をされていた時に、以下のようなエピソードがございます。

京都の町でも有数の富豪が、当時高名な一休宗純禅師に法要を依頼された際に、恐らくその富豪である施主について、あまり良い噂を聞いてはいなかった禅師が、まず、乞食に身をやつして、布施功徳をお願いしに門前に訪れたものの、その施主の指示により、門番から散々に打ちのめされて追い払われてしまいました。

そして、いよいよ法要となり、次は金蘭豪華な袈裟を纏って伺うと、施主が門前までやってきて、丁重に迎えられました。しかし、禅師は門前で動かず、「先にここに布施功徳をお願いしに参った時には、散々に打ちのめされて追い返されてしまった。今回は丁重なるお迎えであるが、それは、どうやら私に対してではなく、この金襴の袈裟に対してであろうと思われる。ならば、この袈裟を置いて私は帰ることにしよう」と言われて、帰ってしまわれたというお話がございます。

ややもすれば、人を身なり見かけで判断してしまう者に対してのお叱りの意があるのと共に、拙生の個人的な解釈となりますが、カタチだけの読経や回向ではなく、故人のための真の追善となる功徳を積む意思があるのかどうかを、試されて、そして、諭されるためだったのではないだろうかと考えます。

身なり見かけ、上下区別も大切で必要な場合もありますが、何よりも、それ相応の内実、真(まこと)も身に着けておきたいものでございます。

自省の意も込めて。

ちなみに拙寺はどこの本山にも属していない単立寺院にて、特に袈裟・衣の色も全く気にせずに済んでおります。拙生の衣は安価な黒衣、袈裟(黒以外の色袈裟)も二種類賜っておりますが、何色かにもこだわらずにカタログの一番安いもので済まさせて頂いております。単立寺院の有り難さです。

川口英俊 合掌

問い「寺院の跡継ぎについて」

問い「寺院の跡継ぎについて」

【ご質問内容】

私は寺院の長女として生まれ、育てられてきました。今は社会人として実家から離れたところで一人暮らしをしております。

少し離れた弟と妹がおり、弟が生まれてからは弟が寺院の跡取りとして育てられています。しかし、その弟が反抗期で、寺院を継ぎたくないと言っています。

私自身、寺院で育ったからと言って特別いい思いをしたこともなく、むしろマイナスにしか感じてこなかったので弟の気持ちはよく分かります。

そのことについて住職である父は、「弟が継がないのであればこの家を出ていかなければならない」「もう俺の代で終わりか」と悲観的な事も言えば、弟に対して強く当たったりもしているようです。

そして、この前父と二人で話し合った際、「兄弟三人、平等に継ぐ可能性がある」「お前だけが先に結婚して跡継ぎ問題から一抜けするのはずるい」というような事を言われました。

しかし、男兄弟がいるにも関わらずどう言う形であれ女が寺院を継ぐというのはあまり受け入れられない気がします。

また、生まれた頃から跡取りだからと父に優遇されてきた弟を見て、苦しい思いをしてきたこの何年間は何だったのかという気持ちにもなります。

何より、歳の離れた兄弟が進路を決めるまで待っていたら、自分の人生がめちゃくちゃになってしまうと思います。

父の代まで続いてきた寺院を、弟に継いで欲しい気持ちは分かります。私と妹にも継ぐ可能性はあると言いつつも、弟に継いで欲しい気持ちが一番だと思います。

ただ、父の弟に対する当たりが強く、それでは嫌われても当然だと思う事も多々あります。弟の気持ちも痛い位に分かります。

このまま穏便に、誰も嫌な思いをする事なく解決できる方法はないのでしょうか。


【拙回答】

仏法への真なる気付きへ向けて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

やはり、僧侶もそうですが、何事も同じで、やる気・モチベーションもない、志もない、嫌々仕方なしにやる・・それでは、寺族、檀家さんや役員・総代さんなど、利害関係人たちともうまくいくはずはありませんし、揉め事・トラブルも多くなってしまうことでしょう・・

また、本人も、ストレスや不満等がうまく処理できずに、内に向かって、鬱屈し過ぎた感情が、やがて鬱病、適応障害などの心の病になる場合もあり得ます・・かなり悪い場合にはストレス発散のための犯罪に走ることもたまに散見されます・・そうなったら誠に悲劇です・・

と、一歩間違えれば、拙生だって・・と振り返りますけれども・・

では、どこで変わっていったのか・・やはり、それは仏法への真なる気付きでありました。

とにかく尊く素晴らしい仏法への気付きがなければ、正直、危なかったでしょうね・・

では、それをどう気付いていくべきか・・は、それぞれにおける機縁次第でしょうし、気付くためには、やはりそれなりの悩み苦しみも必要であるかもしれません。山頂を目指して厳しい山道を辛苦を我慢して耐え忍んで頑張って登らないと、素晴らしい景色とは出逢えないという感じです。

とにかく、真なる仏法への気付きへと向けて、このhasunoha等、先達の皆様からお話をお聴きになられるのも一つであるかとは存じます。悩まれている弟さんにも是非、hasunohaの存在を知らせてあげて、ご利用をお勧めして下さいませ。何か良い一つのきっかけになるかもしれません。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「仏教の教えについて」

問い「仏教の教えについて」

【ご質問内容】

 こんにちは。再びこちらで質問させていただきます。

 以前読んだ呉智英著「つぎはぎ仏教入門」という書物の中では、私の従来のイメージとはかけ離れた仏教観が述べられており衝撃を受けました。お釈迦様の物語では、お釈迦様は家族を捨てて出家しており、出家者に対しても①家族を捨てること・②生涯独身でいること・③労働をしないことを要求しています。また梵天勧請のお話では、お釈迦様が悟った後に「私が悟った法は、その内容はあまりにも高度なものであるから、一般の人に説いてもわかるまい。」とそのまま涅槃に入られようとしていたようです。

 これらの物語を読むと、仏教とは決してヒューマニズムのような耳障りの良い教えではなく、むしろ社会の常識を揺るがす危険な思想なのではないかと思いました。また、仏教の一番の目標は、やはり「悟りを開くこと」ですが、「悟り」とは私が今まで考えていた「あるがままの世界を観じる」というような単純なものではなく、もっと峻烈で幽玄なものではないかと思いました。

 これらを踏まえると、日本の仏教ではお坊さんは妻帯をして、労働されている方もいらっしゃるのが普通の光景です。社会に歩み寄るという点では、ある程度の妥協も必要であるとは思いますが、釈尊の本来の教えから見ると、修行や悟りを軽視している面があるのではないでしょうか? また、その教義が初期仏教とは異なる宗派もいくつかありますが、ある教えが仏教であると言える条件は何なのでしょうか? 日本で悟りを開かれているお坊さんはどれくらいいらっしゃるのでしょうか?

 その辺りを、お坊さんはどのように考えられているのか伺いたく、質問させていただきました。どうぞよろしくお願いします。

【拙回答】

拙お勧めについて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お礼を少し拝見しまして・・

テーラワーダ、マインドフルネス、仏教3.0・・と幾つかのキーワードが思い浮かびました。

前回の拙回答にて述べさせて頂いておりますように、「ある特定の宗派の教義や、ある一面の教義にとらわれてしまっては、それこそがセクト化による独善・排他性に繋がり、カルト化しての弊害があるのではないか」という懸念を述べさせて頂いておりますが、意外にも上記において挙げさせて頂いているものにも、実は、「セクト化による独善・排他性」の懸念が見え隠れしているものもございます。

もう一年以上前の拙考になりますが、関連として少しくご参照下さいませ。

#勝義方便メモ No.10 

もう一つは、禅系統にもご興味がおありとのことでしたが、あまりにも「無分別」や「無念・無思・無想・無観」を重視するような神秘主義的な禅定思想方面には、正直疑念を持っておかれながらに学ばれるのが良いかとは存じます。

宜しければ、「禅思想の批判的研究」松本史朗氏(大蔵出版)をご一読下さい。

これから大乗仏教について体系的に学ばれる基本書としてお勧め申し上げるならば、「ダライ・ラマの仏教哲学講義(苦しみから菩提へ)」(大東出版社)がお勧めであるかと存じます。

また、これから仏教を学ばれていかれる中で、特に意識して頂きたいのは、「二諦」ということの理解になります。

「勝義諦」と「世俗諦」ということになりますが、少しこのことを頭の片隅に入れておいて頂いて、都度に気にして頂けましたらと存じます。

とにかく、何事もそうですが、批判的、合理的に検証しながら、納得するまでしっかりと修習していこうとする志が大切となります。

共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「坊さん」

問い「坊さん」

【ご質問内容】

あほか あんたら 
適当なこと言って! 
人には自分もできないアドバイスして 
ふだんはお布施だなんだかんだ高い金ふんだくって 
自分の身が危なくなると、逃げ腰で、 
神仏を出して人を脅す 
人の悩みにつけ込んで神様仏様気取るんじゃねえ 
正々堂々してろってんだよ!

内輪もめでもしてろ

丁寧な言葉使っても騙されないよ

そんな坊さんがいました

【拙回答】

不敢軽慢

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

自省申し上げます。

かぶ様も発心を起こされて、確かなる仏道を歩まれましたら、きっと仏さまに御成りになられることができますでしょう。

是非、これも機縁とし、より深く仏教を修習なさられていかれて下さいましたら、有り難く、尊いことでございます。

共に頑張って参りましょう。

「我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 当得作仏」

我深く汝等を敬う 
敢えて軽慢せず 
所以は何ん 
汝等皆菩薩の道を行じて 
当に作仏することを得べし

法華経・常不軽菩薩品第二十より

川口英俊 合掌
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