hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

利他

問い「偉い仏教者」

問い「偉い仏教者」

【ご質問内容】

コンニチワ。よろしくお願いします。 
早速ですが、近現代の日本仏教者で、マザー・テレサ以上に菩薩行を積まれた方はいると思われますか? 
お坊様方が、「この人は偉い、偉かった」という人がいらしたら、その方の名前を教えてください。(その人の関連書籍があれば読んでみたいので) 
また、「くらべることではない」といわれるかもしれませんが、そこは、単なる質問ではないことをくみ取っていただきたいです。 
宜しくお願い致します。


【拙回答】

「華厳経十地品」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

マザーテレサさん、最近に正式に聖人として列聖されましたね。

そう言えば、かなり昔の記事になりますが、マザーテレサさんのことで、少しショックだった記事を想い出しました・・ただのゴシップ、やっかみの部類かもしれませんが・・ 

実は捏造?「マザーテレサ神話」 

菩薩も聖者も、もちろん最初から菩薩、聖者ではなく、失敗や反省、応援や叱咤も伴いつつ、慈悲、利他の行いを積まれていくことになります。上記の場合は、その間における失敗や反省だけを捉えて、批判している場合もあり、一概に言えないところもございます・・

さて、仏教では、「三輪清浄」(さんりんしょうじょう)と申しまして、例えば、三輪を、布施する側、布施を頂く側、布施するモノの三方が清らかなものであること、あるいは、三輪を身口意の三業の清らかなことを言う場合もありますが、慈悲、利他の行いとして、真なる善業となるものであることが菩薩行として大切なことになります。

近現代の日本仏教者において、真なる善業となる菩薩行ができている者・・なかなか正直、拙生では、図り得ないところもございます・・

ただ、菩薩行について何か見習いたいとなりましたら・・やはり経典を頼りになさられるのも一つとなるのではないだろうと僭越ながらにも存じております。

例えば、華厳経や法華経も良いのではないだろうかと存じます。特に、華厳経十地品からは、菩薩の十地の境地について具体的に学べる内容となっております。

ご参考までにて。

川口英俊 合掌

問い「ボランティアの価値とはなんでしょう」

問い「ボランティアの価値とはなんでしょう」

【ご質問内容】

私は地方の大学に通っています。元々もっと自宅に近い大学に通い、東京の方へ出るつもりでした。しかし受験で失敗し、結果現在の大学に通っています。

地元から離れたこともあり、高校時代の友達関係も薄いです。仲いい人は仲いいですが、それ以外の人とはほぼ会いません。そこはまぁ気にしてませんが。

ただこないだ久しぶりに会った、都内の大学に通う友人Aに夏休みをどう過ごしているかについて聞かれました。

私は今大学での有志学生によるボランティア団体に所属しています。さらに授業の一環でもボランティアに参加したり、個人的に伺ったりもしています。 
夏休みはその活動と塾の講師のバイトでほぼいっぱいいっぱいでした。

そのことを伝えると、友人Aはよくボランティアなんかできるね、と言いました。利益も出ないものによく時間を費やせるね、との言い方でした。

悔しかったです。彼女の家庭は家よりも裕福なので自然とそういった考えになるのか、と思いましたが、何よりもそれに反論出来ない自分にも苛立ちました。

彼女は家庭が裕福で、夏休み中はバイトもせず、1か月間留学し、金持ち彼氏と都内で遊びほうけています。学生としては華やかだと思います。

ボランティアを行っていて得るものは大きいです。ボランティアの必要性も大変感じてますが、それをあの子に伝えるほどのことが出来ていません。

あの発言で自分のやっていることが否定されているような気がしました。 
私の価値観はおかしいのでしょうか。 
結局ああいう子が成功して、私は誰かのため、と言ってそのまま時が過ぎて行ってしまうのでしょうか。

きっと不安と嫉妬があります。 
自分の行いに自信を持てるような助言をいただけたら幸いです。 
お願いします。


【拙回答】

「ミスターボランティア」の反省

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

拙生も二十代中頃から三十代中頃まで、福祉・NPO・NGO・まちづくり・市民活動と、いくつもの活動を無償ボランティアで掛け持ちして、「ミスターボランティア」と呼ばれるぐらいでした。

でも、やがて、時間・労力・お金と、正直、続かなくなりました・・気が付けば、プライベートと仕事と貯金に全く余裕がなくなってしまっていましたね・・

そして、一度全てを辞めました。

辞めて、しばらく振り返って、「ボランティア」について考えた時に、キーワードとなったのが、「志」と「ご縁」でした。

良い志、良いご縁・・これだけは、正直、お金で買えるようなものではありません。

もちろん、ボランティアの世界だけではなくて、世間一般の社会においても良い志、良いご縁もあるでしょうが、損得勘定、お金・利得・名誉・称賛やらと、打算の入ってしまっている場合、偽善の場合も多くあり、そういったものを抜きにして、純粋な気持ちで取り組む姿勢や志高く取り組む姿勢を学んだり、醸成できたりするのは、やはり、ボランティアの世界の良いところではないだろうかとは思います。

今では、このhasunohaもそうですが、仏教に関連しての利他活動を中心としていますが、とにかく、ボランティアをするにしても、バランスが大切になります。

「自利利他」の円満な成就を目指すのが仏教でもあり、自利だけでもダメ、利他だけでもダメ、双方をバランスよく進めていくことが必要になります。

利他(ボランティア)は、この支え合い、助け合い、分かち合い、補い合いの世界で生きていくためには、当然に大切なことです。でも、あまりに自分のことを犠牲にしてまで、偏り過ぎてはいけません。無理せず、あまり頑張り過ぎず、自利とのバランスを取って、取り組んで参りたいところとなります。

とにかく、ボランティアをしてたこと、していることは、必ずいずれどこかで役に立ちます。「情けは人の為ならず」です。

でもあまり無理せずに。もう少し余裕も持って取り組んで参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「信じられますね?皆さまご覧ください(^^)」

問い「信じられますね?皆さまご覧ください(^^)」

【ご質問内容】

1宇宙が生まれる前を神様と定義 2善神様(ルーさんと同一にも別にもなれる) 
☆「1様」と「2様の分裂」がこの世あの世の全て 
信じられますね? 
悟りの一つは、CO2のCも水も動物も植物も光(神様)も全部が神様であり人間であり魂であり光であり光DNAである。 
類魂は全てが類魂 
全てが幸甚となることが目的 神様の幸甚は宇宙中の幸甚 
まだまだの私です。さみしさが文章を打つことで紛れております。 
ps私は前の宇宙のときもこのDNAで存在したようです。全てに感謝!


【拙回答】

仏教では、創造主の存在は認めませんが・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏教では創造主の存在を認めないため、少し仏教とは違うかも・・とは思いますが、創造主を認める宗教であろうがなかろうが、おおよそ共通して、人格の向上を目指して、愛や慈悲の心の大切さを説き、感謝の心を育み、他を尊重し、悪い行いを慎み、善き行いや利他の行いに努め励むという基本については、あまり変わらないところがあるのではないかと存じます。

是非、おっしゃられておられますように、共に、感謝の心を養い、悪い行いを慎み、善き行いに努め励んで参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「自分のことしか考えてない。」

問い「自分のことしか考えてない。」

【ご質問内容】

きのう、主人に言われた言葉です。 
別に喧嘩をしていたわけでもなく、さらりと言われました。 
私自身、たしかに人並みにずるかったり、意地悪な気持ちが出てくることはありますが、あまり自覚がありません。 
母親が自分のことよりもとにかく人を大切にしている人だったので、その優しさを引き継ごうと心がけています。 
職業も看護師をしており、病む人の少しでも力になりたいと思ってつとめてます。また、職場の人たちから「患者さんに優しい」とわりかし言われます。 
そして、私は家族は特に大切にしたいと思っており、家族である主人の協力がことは完璧ではないかもしれないけれど、自分のことより優先して生活しているつもりです。 
でも、そばにいる主人が言うのだから、私は人よりも自分のことしか考えてないような人間なのかなぁと気になります。 
どう考えたらよいですか?


【拙回答】

「他のため」と「自分のため」のバランス

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

昔に、人のため、福祉のため、社会のためと、自分のことをあまり顧みずに、ボランティア・奉仕活動に精力的に取り組んでいた頃がございます。

で、どうだったのかと言いますと、あまり長続きしませんでした・・

お金も無くなり、仕事にも支障をきたし、もちろん、プライベートもなく・・どんどん余裕を失い、追い込まれていっている感さえも・・

そして、いったん、全て辞めました。

それからできるだけ、まずは「自分のため」、「自分のこと」を考えて、自分の充実へ向けて再出発することにしました。

そして、余裕ができれば、「他のため」にできることをするようにしていきました。

結果、自分もある程度安定すると共に、安定して「他のため」にできることも増えていきました。hasunohaもそうです。

で、何が言いたいのかと申しますと、「バランス」です。仏教的には、「自利利他」の円満となります。

「自分のため」と「他のため」のバランスをうまくとることです。

もしか致しますと、分かりにくい言い方になりますが、看護師という職業柄、「他のため」にという思いの強さが、逆に、『他のためにという「自分のため」』として、ご主人様に、実は言動の何かが映ってしまっていることがあるのかもしれません。

もう少し分かりやすくすると、「他のためにという自己犠牲による家族・夫婦生活への負担等」への不満になるでしょうかね・・

とにかく、「他のため」と「自分のため」のバランスの悪い点について、もう一度心当たりを考えられてみられると、どこかに改善のポイントがあるかもしれません。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「精神病で自殺をするのは病死だと思います。」

問い「精神病で自殺をするのは病死だと思います。」

【ご質問内容】

ろくに働きも税金をおさめもせずに20代で精神病を発病しました。 
一番重い精神病とされている2つのうちの1つです。 
以後約20年通院と1日1食食べ物を買う以外ずっと独り暮らしの引きこもりです。 
よろこび嬉しさ楽しさはこの20年殆ど感じていません。 
絶望と苦しみと悲しさ虚しさだけです。 
毎日殆ど何も出来ず、一日中布団で泣くかぼんやりして暮らしています。 
親にはお前を育てた意味がないと言われました。 
家族親戚友人には見放されました。 
医師には予後はかなり悪く、良くなることはない、 
生活保護も受けて精神障害者施設に入るよう言われています。 
もう生きていく気力がなくなりました。 
「生きるのが体質に合わない、 
生かされているのが嫌がらせだとしか思えない」 
非常に共感しました。 
働かず結婚も出産もせずに食べて泣いて寝るだけ。 
なのに他人様の税金で障害者年金で暮らしています。 
人に迷惑をかけるのみで役に立たない人間です。 
精神病で自殺をするのは病死だと思います。 
もう疲れはてました。


【拙回答】

まだまだ今は甘えて下さい。

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

屠所の羊・・涅槃経に出て参ります無常の理趣を示す言葉でございますね・・

とにかく、あまりご自身を卑下なさられず、悲観なさられずに、予後が悪いという医師の言葉にも諦めずに、良くなる道を模索して、長いトンネルを抜け出して頂きたいと思います。

精神・心の病は、実は、身体における機能的な問題から生じてしまっている場合もございます。例えば、自己免疫機能、ホルモンバランス機能、メチレーション代謝機能などの問題であります。対症療法ではなくて、身体的機能における根本的治療が、もしかすると改善へ向けて有効であるかもしれません。心と身体はそれぞれ別のものではなく、密接に関連し合っています。少しこのことも意識して治療に取り組んで頂けましたらと存じます。

とにかく、そんな辛いことをたくさん抱えておられる貴女様のために、私も何とか頑張って働けて、税金を納めさせて頂けることは、功徳にもなることにて、有り難いことであると考えております。

「福祉」とは、全ての人々の幸せという意味であり、まさに福祉に貢献できることは、貴女様の幸せ、皆の幸せに繋がることであり、仏教的にも喜ばしいことでございます。大丈夫です。

「坊主は丸儲けで、税金は納めていないのでは」とよく世間で言われてしまいますが、

それは間違いです。

私たち坊主も、皆さんと同様に所得に応じて、源泉徴収されて、確定申告し、所得税・府民税・市民税をきっちりしっかりと納めています。

特にお坊さんは、税金が皆さんの幸せ(福祉・利他)に繋がることに使われているということに、大賛成にて、私たちも功徳を積められて、逆に感謝致すぐらいでございます。

どうか今はまだまだ甘えられて下さい。また少しなりにも良くなって、できることが増えてきて余裕が出てきてからで構いませんので、その時に、今度は自分が誰かのためになる番として取り組まれて下さい。それまでは無理せず、頑張り過ぎずにて。

川口英俊 合掌

問い「宗派の違い」

問い「宗派の違い」

【ご質問内容】

何度も質問させていただいております。 
毎回丁寧な回答をいただいて感謝しております。

さて、私は今までキリスト教の学校を卒業し、イスラム教の国に住み、特に宗教は持たずに全ての宗教は知識として学んできた程度でした。 
元々追求すること、考えること、科学的にものを見る質なので現実的にに世の中を見てきました。 
そして最近行き着いた答えは、科学と神秘、宇宙と人間は皆同じなのだということです。 
バレエに人生のほとんどを費やしていますが、これはほぼ稽古、修行、メディテーションです。これを通していろいろなことを学んでいます。 
そこでたまたま仏教について読んだところ、正に宗教という概念もなく実践してきたことそのものだったのです。 
どんな贈り物よりも嬉しい発見でした。 
それから毎日、宗派や教えを調べましたが、困ったことに『そう言われればそうかもしれない』という教えの違いばかりなのです。結局のところ、一つの目的をもって正しく生きることを遂行すれば宗派など問題ないのでは?と思うのですが、現実問題いかがなものでしょうか。 
今後真剣に仏教を学びたいと思ったときに、どのようにして適切な宗派を選ぶべきなのでしょうか。


【拙回答】

他宗教と仏教、仏教の宗派について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

他宗教と仏教との違いは何かと申しますと、端的には、仏教には他の宗教には見られない「空」の精緻な思想哲学があるということ、では、同じものは何かとなれば、人格の向上、幸せを目指して、愛や慈悲、利他の思想哲学があるということになるのではないかと存じております。

「科学と神秘、宇宙と人間は皆同じ」というのも、仏教的には、「空にして縁起なるもの」としては同じであると言えるものと考えて良いのではないかと存じます。

仏教の宗派に関しては、色々と分かれてはいますが、最終的に目指すところは、悟り・涅槃であり、そのために釈尊がお説きになられた八万四千にも及ぶ法門の真意をしっかりと理解して、修習に取り組んでいく必要があると考えております。

それも、全ての教えは初転法輪の中にてお説きになられました苦・集・滅・道の四つの聖なる真理、「四聖諦」を原理として説かれているとして、これから幅広く仏教を学ばれていかれます中においても、その教えの原理には、「四聖諦」を意識して理解されていかれれば、さほど間違ったことにはならないのではないかと存じます。

あとは、釈尊の教えには、最高真理への誘いを意図して説かれている「勝義諦」の教えと、便宜的、一時的な理解へと向けた方便の教えとして説かれている「世俗諦」の「二諦」があるため、その教えがどちらの教えであるのかも、慎重に留意しながら学ぶ必要もございます。

もちろん、拙生もまだまだではございますが、是非、共に頑張って仏道を歩んで参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「誰とも関わらず自分のことだけ考えるのは間違いでしょうか?」

問い「誰とも関わらず自分のことだけ考えるのは間違いでしょうか?」

【ご質問内容】

私は関西から知り合いのいない福島県に嫁ぎ10年以上主人や姑、小姑、その娘のために尽くして来ました。震災の際には自分の実家にみんなを連れて避難し、飛行機の手配から実家での世話まですべてしました。箸1本運ばせてもいません。それなのにここに書ききれないくらいのひどい仕打ちを受けましたが主人に何を言ってもお前が悪い!お袋は間違ってない!といいます。これも嫁姑の関係、しょうがないと諦めもしていますが、実家に帰っても今度は実の妹(独身で母と同居)が何かにつけ言いがかりをつけ自室に閉じこもって何日も出てきません。実家に帰ったからと言ってのんびりできる訳でもなく親孝行だと家の用事を一生懸命して年2回の帰省、楽しくみんなでと思って動いているのに、今年のお正月も大晦日突然切れて部屋に篭もり母が呼びに行っても罵声を浴びせる、泣き喚く、母が持っていった赤飯のおむすびも食べず1度も出てきませんでした。認知症の始まってる母にこれ以上の心労をかけるのも嫌で早めに帰省を切り上げて帰ってきました。さかのぼれば私の結婚式の数日前にも妹は切れて結婚式には出ませんでした。 
余程私が楽しそうなのが気に入らないのでしょう。母は私が帰ってくるのをいつも楽しみに待っていてくれるので年2回だけの帰省ということで長めに帰っていました。昨年は母が胆石で入院したので妹の仕事に影響ないように帰省して看病もしました。震災のときに主人の家族や6人も連れてお世話になったその恩返しだとつくしましたがそれももうやめにしようと思います。どちらの親兄弟のために一生懸命尽くしても結局最後は悪者になってしまう、主人だけでも味方になってくれれば耐えられもしたでしょうがそれも望めない。私の中で何かが崩壊しました。感謝して欲しいわけじゃないです。恩着せがましくしてるつもりもありません。ただみんながうまくいくように心を砕いてるだけなのに、やはり私が間違えてるのでしょうか?主人が言うようにやり過ぎですか?こちらから困りごとはないか聞いて回ってるわけじゃないんです。でも「ご相談」といってみんな困ったときだけ擦り寄ってくる。もう全部断って自分の生活だけに専念してはいけませんか?自分の親にも寂しい思いをさせるのは辛いですが帰省は今後はしないつもりでいます。どうか何が正しいのか御導きください。

【拙回答】

適度なバランス

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

関西人は情に厚い(もちろん一概には言えませんが・・)ところもありますから、何となく世話焼きなtomoko様のことが想像できます・・

色々と嫁ぎ先での気苦労、理解されていないことへの苛立ちも理解できます。

できれば、おっしゃられていますように、誰とも関わらず自分のことだけ考えて過ごしていきたいものではございますが、私たちの世界では、自分独りで生きていくことなどできず、色々とお互いに支え合い、助け合い、分かち合いの中においてでこそ、生かされて生きることのできる存在でございます。

しかし、いくら「情けは人の為ならず」と申しても、その情けに甘えられ過ぎても・・というところはありますよね・・

何事もそうですが、適度なバランスが大切となります。

あまり無理せずに、時には肩の力も抜いて、自分のできることをできるだけで良いかと存じます。

拙生も昔は、ボランティアや奉仕・慈善活動に精力的に取り組んでいた頃がありましたが、ある団体で、お互い様の世界であるにも拘わらず、「私はこれだけしたのに、あいつは全然していない、足りない」、「何で私がこんなにしているのに、おまえらわからんのか」など、みんなそれなりにボランティア・奉仕の志で参加している中で、何と醜い愚かな罵り合いになっているのか・・と幻滅したことがございました・・

とにかく、利他・慈悲の心で成すことは、自分のできる範囲でできたこと、頑張ってやれたことだけを見るようにして、他の人のこと、他の評価はあまり気にしないようにしておくのが良いと、その時に認識致しました。

利他・慈悲の心において、他の為にとして行うこと、お世話事も、大切です。大切ですが、無理せず、必要以上までするものでもなく、自分のできることをできるだけということで、それも、できたことを自分の中で評価してあげるに留めておかれると良いでしょう。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「生きようにも生きられない人達は」

問い「生きようにも生きられない人達は」
http://hasunoha.jp/questions/863

【ご質問内容】

お願い致します。 仏教では「人生は修行」と、キリスト教では「耐えられない苦難は与えない」と言います。しかし世界には過酷な悲惨な状況下に於いて命を落とす人達が多くいます。赤ん坊や幼い子供であっても容赦のない状況があります。修行でも 耐えられる苦難でも無く 生まれてきた意味さえ見つからないと思うしか無いような。 長い間の疑問です。お教えいただきたくよろしくお願い致します。

【拙回答】

「菩提心」について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

神奈川県厚木市で育児放棄により斎藤理玖くん(当時五歳)が餓死した事件がございました・・もしか致しますとこの事件のことも少しご質問の意図の中にあられたのではないかと存じます・・もしも間違っていましたら申し訳ございません。

また、先月・11月には大阪府茨木市でも岸本紗弥音ちゃん・三歳が虐待・育児放棄により衰弱死するという事件がございました・・

とにかく、どうしてこんな酷いことが起きるのか・・あまりにも、あまりにも無慈悲過ぎると涙を致しました・・

正直、この子たちに慈悲が及ばないようなこの世のありように、神も仏もないのかと思われても致し方ないと思うほどの哀れ極まる悲しい出来事でございます・・

はっきりと申させて頂きますと、秋の夕日様は、神や仏をどこか遠くにいる有り難く、尊い、畏れ、敬い、奉り、崇めて、慈悲を請う、救済を請うような存在であるとお考えではないでしょうか。もしそのようでしたら、そうではなく、仏教では、自ら自身が、秋の夕日様ご自身が、拙生自身が、それぞれ各位が、神や仏と同じような慈悲を備え、智慧を備えて、そのような苦境にある者たちを救えるように調えていくことが大切で、目指すべきところとなります。

そのように、諦めずに、一切衆生を救えるための悟りを開くまではこの仏道を歩み修していくのだという決意を「菩提心」と申します。

どうか、秋の夕日様におかれましても「菩提心」をこの機会に滋養して頂けましたら有り難くに存じております。

そして、仏法を学び修する中、悩み苦しみにある者に対して、できる限りその悩み苦しみが癒えるように、救えるように、勇気を持って利他・慈悲行にも取り組んで参りたいものでございます。それが斎藤理玖くんや岸本紗弥音ちゃんのような境涯にある者を一人でも多く救えることに繋がっていくのではないかと存じております。

虐待死などの悲劇が起きない世の中を目指して、是非共に取り組んで参りましょう。最後に、斎藤理玖くん、岸本紗弥音ちゃんをはじめとして虐待死なされてしまわれた子どもたちのご冥福を心から祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「人間て何の目的があって生きるのでしょうか?。」

問い「人間て何の目的があって生きるのでしょうか?。」
http://hasunoha.jp/questions/697

【ご質問内容】

 初めてメール書きます。
 人間て何の目的があって生きるのでしょうか?。
私は、会社が経営がまずい事を知って、転職したの
ですがそこで、「人間てなんの為に生きてる」とつく
づく感じたのですが一体何の為でしょうね。
 後お聞きしたい事が1つあります。今、50歳になり
ますがこの歳でお山に入るのは、遅すぎるでしょうか?。
僧侶が遅すぎるなら他の道はないでしょうか?。お寺に
住み込みで働くとかありませんでしょうか、またできたとして
そこで人の為に働くことは可能でしょうか。
 ご教授お願いします。ちなみに私は、独身です。

【拙回答】

善き目的・意味・価値・結果へと向けて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

ご出家の志をお持ちであられますこと、誠に尊く、有り難いことでございます。

僧侶になるためには、宗派によって色々と手続き・要件・資格過程が必要になるかと存じますので、興味のある宗派・宗旨の各本山・各宗務庁・各宗務所にお問い合わせなさられて、分からないことを個別にお聞きになられることが、まず大切になるかと存じております。

また、これまでにおける下記各問いの皆様のご回答も色々と参考になるのではないかと存じております。

http://hasunoha.jp/questions?tag=お坊さんになるには

もちろん、僧侶になる機縁にどうしても恵まれなくて、在家のままであろうが、仏道を歩めないことは全くございませんので、「これしかない」とあまり思われなくても良いのではないかと存じます。

「人間て何の目的があって生きるのでしょうか?」・・

生きる目的や意味、価値につきましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318924.html

最近、共通して述べさせて頂いているのは、善き目的・意味・価値・結果も、善き縁次第として、しっかりと善き因・縁(原因や条件)を調えていくことに精進努力していくことが必要であるというものとなります。

私たちは目的・意味・価値・結果というものが、何かこれから先にて実体としてあるものとして囚われてしまいがちですが、それらは因・縁に依って成り立つものであって、因・縁無くしてはあり得ないものでございます。とにかく、日々の善き因・縁を集めることへの努力次第となります。

何のためにかと言いましたら、もちろん、善き目的・意味・価値・結果へ向かうためとはなりますが、仏教的には、悟り・涅槃へと向かうためということになります。

憲一様が「人の為に働きたい」とおっしゃっていることは、他の役に立ちたいという慈悲・利他の実践のことでもあり、悟りへと向かう仏道を歩む中においても進める大切な福徳の実践となります。

是非、共に頑張って仏道を歩んで行く中で、智慧の修習と共に取り組んで参りましょう。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「怒りを静めるにはどうしたら良いですか?」

問い「怒りを静めるにはどうしたら良いですか?」
http://hasunoha.jp/questions/659

【ご質問内容】

他人が細かいルール違反をすると鬼のように怒りを持ってしまいます

例えば、赤信号なんてちょっとくらいなら渡っても構わない
と分かっていますが、そういう光景を見るととても強い怒りを覚えてしまい

車に轢かれてしまえばいいのに と呪いのような気持ちを持ってしまいます。これでは本末転倒です。

他人の些事に一々怒りを持たないようにするにはどうしたらよろしいでしょうか?

【拙回答】

「他人にはあまく、そして、自分にはもっとあまく」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「怒り」に関しましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いております。特に最近では「慈悲の瞑想」をお薦めさせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318707.html

今回は少し拙経験からお答えさせて頂こうかと存じております。

拙修行時代の先輩で、結構理不尽なことの多い小さな世界の中において、あまり怒らない、怒りの表情を表立って見せたことのない方がいらっしゃいました。素晴らしく人格的にできた方であったと今でも尊敬致しておりますが、ある時に「どうしてそんなにいつも怒らずに過ごせるのでしょうか?」と聞いたことがありました。

そうすると、その方はこのようにおっしゃっていました。

「他人にはあまく、そして、自分にはもっとあまく」と。

普通であれば、「他人にはあまく、自分には厳しく」となるところですが、その先輩の「怒り」を抱えること無くに、何事も淡々とこなされている様子を拝見するに、妙になるほどと納得したことがあります。もちろん、自分にあまいことはなく、他人の不始末なことでも嫌な顔をされずにフォローされていたりしておられました。

今から振り返りますと、怒りを抱えずに過ごす上で、これもある意味では、寛大な心、寛容な心を養う「慈悲の瞑想」に通じるところがあるのかなとも思います。

他人と自分の幸せ、つまり、「自利利他」と言えば、仏教用語としてピッタリとなりますが、他人も自分も「許す」ことによって、双方が「怒り」を抱えずに過ごせるということになるということではないかと存じます。

ただ、間違ってはいけないのは、本当に自分にもっとあまくになってしまうと、ただの堕落、懈怠になってしまいますので、他人を許すための方便としてご理解を頂けましたらと存じております。

また、興味がありましたら「慈悲の瞑想」も是非ご一考下さいませ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/慈悲の瞑想

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16
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