hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

功徳

問い「追善供養について」

問い「追善供養について」

【ご質問内容】

浄土真宗で追善供養をしないのは何故ですか? 
「追善供養は自力だから」「亡くなった人はみんな極楽に往生して供養する必要がないから」などなど色んな意見があるみたいですが、どれが本当ですか?


【拙回答】

「追善供養」について

川口英俊でございます。問い拙生のお答えでございます。

「追善供養」の考え方も色々と宗派で異なるところはありますが、基本的には、「悟り」へと向けて、「亡くなられた方も私も皆も、供(一緒に)に養う善徳行」と考えておくと良いのではないだろうかと存じます。

上記のように考えておけば、浄土真宗の場合であっても、釋髙明様もおっしゃられています「聞法のご縁」も、「悟り」へと向けた「供に養う善徳行」の一つと捉えておくことができるのではないだろうかと思います。

また、供に養う善徳行を、亡くなられた方とも共有(回向)するという意味合いが「追」であるとすることもできるかと存じます。

川口英俊 合掌

問い「仏教徒に対する疑問パート9」

問い「仏教徒に対する疑問パート9」

【ご質問内容】

僕が昔瞑想してた時に雑念を払い無になろうと心がけ瞑想してました 
でも雑念を払い無になろうとする意識自体が雑念であることに気づき 
無になろうと意識することも意識しないいことも野放しにしました 
そしたら目の前で色んな色をした小さな粒が不規則な動きをしてる光景が見えました 
その小さな粒の不規則な動きを目で追ってるときはまだ自分の中に意識がある状態で 
その小さな粒の不規則な動きを目で追ってないときは自分の中に意識が無いような状態でした 
そしてその小さな粒の不規則な動きを目で追ってない意識が無い状態になると 
神妙な気持ちでボーっとしてるんです 色即是空のような無であると同時に無でないような 
そしてずっとその状態でいると白昼夢みたいなのを見るんです 
白昼夢を見てるときは意識がないのでそれを見てるという意識がなく見てるんです 
でも後で意識がある状態にもどると自分がさっき変な夢を見てたなと気がつくんです 
白昼夢には良いものもありましたが悪いものもありました 
一番悪いものは白昼夢の夢の中でもう一人の自分が無差別に人を殺してました 
でも僕はそれをボーっと見てるんです 
意識があるのかないのかもわからず 
善悪の価値観があるのかないのかもわからず 
自分であるのかないのかもわからず 
ただただボーっと見てるんです 凄く怖い夢だったのでそのことを親に話しました 
そしたら親は「え!おまえ上の階で瞑想してたのか?おまえ下の階でテレビ見てたじゃん・・・」って言われました 
それを聞いて僕は瞑想して意識が有るのか無いのかわからない状態になると悪霊に憑依されるんじゃないかと思いました 
そして瞑想やヨガのルーツを探ると 
ヒンドゥー教の破壊神シェバからで人間の切り落とした頭部を持って踊ってる神様からだというのを知りました 
インド人はカニバリズムや麻薬や変態的性癖を儀式的に行いこのシェバを崇めてることも知りました 
瞑想やヨガのルーツって危ないんじゃないんですか? 
瞑想やヨガの危険性は全く無く健康に良いだけなんですか? 
瞑想のしすぎて悪霊に取り付かれることとかないんですか? 
僕が見たのは単なる幻想で何も考えず瞑想し続けて悟りを開いた方がいいですかね? 
というか瞑想し続けた結果として自殺大国日本や僕のこの悪夢すら救える悟りの力は得られるのですか?


【拙回答】

智慧と福徳

川口英俊でございます。問い拙生のお答えでございます。

あまり瞑想における神秘体験に対して、とらわれたり、こだわったり、実体視したりしてしまってはいけません。

円満なる悟りへ向けて大切となるのは、智慧と福徳の二資糧の集積となります。

智慧は、主に「空性」の理解。

福徳は、功徳・方便行の実践。

両輪をバランス良くに修めていくことが必要となります。

この中で瞑想・禅定は、あくまでも「空性」の理解のための一つの実践にしか過ぎません。

瞑想・禅定において重要となるのは、「空性」の理解になります。

それも止と観により、正しく調えていくことが望まれます。

比量と現量で「空性」を正しく捉えていけるようにしっかりと頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「中絶するべきか悩んでいます。妊娠10週目です。」

問い「中絶するべきか悩んでいます。妊娠10週目です。」

【ご質問内容】

付き合い5ヶ月の彼(28歳)の子を妊娠しました。

しかし彼は、人格否定(私はクズとか)するようなことをすぐ言います。私は、悪いところは治そうと頑張ってきましたが、何度となく私の言い方や考え方について言われ、妊娠が発覚した週も、毎日のように何時間も電話で話し合いをし、疲れてしまい、仲直りしては、本当にやっていけるのかと考え、それを伝えるとまた何時間も話し合い。と言うことの繰返しでした。

疲れを感じ、もう新しい道を行こうと考え彼に伝えたところ、下ろすならお腹殴らせろとか下ろすと一筆書けとか、殺すなど言われました。(実際に手をあげることはありません)

それも私が言わないと分からないから言うのだと彼は言います。

彼は10代の頃不良で、悪い人達とも付き合いがあり、捕まってもおかしくないことをしていたそうです(今は違います)。

年齢的にももう妊娠出来ないかもしれないし、中絶は子供が可哀想です。 
何度となく何時間も彼と話すうちに言葉は悪いけれど、彼の気持ちもわかるところはあり、何とか彼とやり直した方が良いのか悩みすぎてわかりません。

私の周りの方達は、大体の人が私が幸せになれないから諦めろと言います。

しかし、彼と別れて次に出会う人がどういう方かはわかりませんし、彼とは違う試練があるかもしれません。私が幸せになるのかもわかりません。 
年齢も年齢ですし、今年3月に子宮筋腫の手術を受けており、2年で再発すると言われていますので妊娠出来る期限もあります。 
なので、彼と話し合い、がんばれるだけがんばってみても。との考えもあります。 
子供が誕生したら、可愛いだろうなと考えてもいます。彼も、子供は好きなので産んで欲しいと言います。

ひとつの心配は、出産した場合、育て方だとは思いますが、彼の子ですのでどう育つのかです。

自分の軽率な判断で妊娠し、自分勝手な理由で中絶を考えるのは人として違うとも思いますが、彼と別れるなら一人で子供を育てる自信もありませんし、自分と子供の為にも今のうちに新たな道を選ぶ方が良いのではとも思います。

10週目まで来ており、悩みに悩んでもどちらが良いのかわかりません。

どうか、ご意見をよろしくお願いします。 
長文乱文、失礼いたしました。


【拙回答】

仏教的には中絶は勧められません・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

10週目ですか・・調べてみましたら、妊娠12週目までが、中絶の一つの期限になるようで、まずそこまでとなると、もう時間があまり残されておらず、お互いに感情的になっての無為なやり取りは避けたいところとなりますね・・

両方の親御さんを交えての冷静な前向きとなるような話し合いはできないのでしょうか・・

または、一度、第三者でも専門家の意見を聞くという意味でも、下記のところなど、専門窓口にも相談してみても良いかとも存じます。

妊娠SOS・妊娠、出産における相談窓口 

ここからは、一僧侶としてのお話となりますが、仏教的には、僧侶が中絶を勧めることはできません。

ただ、それぞれで色々と勘案すべき事情もあることは重々に承知しております。

とにかく、いずれを決断されても、後悔はなされずに、どうか前を向いて、功徳を少しなりにも積めれるような行いにもお努めなさられて頂けましたら、有り難くに存じております。

そして、もしも中絶をなさられてしまわれることになりましたら、その子のご供養の程をどうか懇ろにも宜しくお願い申し上げます。

お幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「あと1歩が怖くてたまりません。」

問い「あと1歩が怖くてたまりません。」

【ご質問内容】

 お忙しい中、失礼致します。 
 二十代も半ばながらまともな職歴がなく、いわゆるニート状態です。半ば引きこもりに近く、せっかく進学した大学も卒業できず、ずるずると閉じこもってしまいました。 
 身内の不幸が続いた、どうすればいいか分からない、働きに行かなければ、税金はどうなっているのか、体調不良だ……と言い訳をしては嫌な方向に思考が向き、こうしてずるずると何年も過ごしてしまったのです。

 不幸ごとや問題が色々続き、本当にこのままではダメだと起き上がったものの、「資格なし、職歴なし、大学は引きこもって卒業できてない」状態で果たして職を得られるのか?

 体の不調を調べると手術が必要そうな病が多く、税金のことを思えば経済的な不安に恐れどうするべきかとうろうろしています。

 同じ年代の、大切だった友人にも劣等感や嫌 
な意地のようなもの、同年代なのにきちんと労働の義務をしていない羞恥から顔向けできず他人、特に知人、近所さんへの恐怖が増して顔を隠し合わないであろう場所を探しては夜にこそこそ活動している状態です。

 恐れる恥ももうないだろうと、ここでまた踏みとどまればまた悪化すると冷静な自分は「外に出て、まともにならなければ」と急き立ててきます。

 「働くというのは当たり前のこと」と分かっているからこそ、自分はその「当たり前すらできていない」と羞恥に憤悶しているのに行くべき機関へあと1歩、踏み出せていません。

 どうしたら、そのあと1歩を踏み越えられるでしょうか。


【拙回答】

「端楽」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

まず、「働くというのは当たり前のこと」とあまり思い込み過ぎて、そこにとらわれて、こだわってしまってはいけません。

世の中には、病気など、色々な因縁(原因と条件)によっては、働けない方も当然におります。そのための社会保障制度、医療制度、福祉制度でもあります。

「福祉」の目的は、仏教と同様に、全ての人々の幸せというものとなります。

私も何とか頑張って今のところは働けていて、税金を納めさせて頂けて、その税金が福祉のためにも使われておりますことは、仏教的にも功徳に繋がることであり、誠に有り難いことであると考えております。

何かに依存していかないと成り立たないこの世界においては、助け合い、支え合い、分かち合いで過ごしていくことが大切となります。

とにかく、まだ今は無理し過ぎずに、良いきっかけがあれば、少しずつでも働いていけるように調えていかれれば良いのではないだろうかと存じます。

「働く」という語源は、「端楽」で、「端(周り)を楽(幸せ)にする」という意味合いからきているらしいです。

いずれ自分に少しでも余裕が出てくれば、誰かの幸せのための助けや支えになって頂ければと存じます。それまでは、誰かの功徳に甘えて頂いても構わないと思っております。

いや、更に仏教的には、功徳を積まさせて頂ける存在がいなければ、悟りへと向けて必要となる徳積みをすることができずに大変に困ったことになります。

ですから、功徳の対象となる方がおられるこの世界は、実に貴重で稀有なのでもあります。もちろん、かといって、それを奇貨として甘えすぎてもいけないことなのですが・・

とにかく無理せずに少しずつ、一歩一歩です。あまり自己嫌悪に陥り過ぎて、卑下して、自分で自分を苦しめ過ぎてもいけませんよ。

川口英俊 合掌

問い「僧侶に階級があるのは何故ですか?」

問い「僧侶に階級があるのは何故ですか?」

【ご質問内容】

本日、仕事中にお客様が「僧侶にさえ袈裟の色で階級をつけたりしているのはおかしい。本来仏教とは身分差別したりしないはずだ」とおっしゃっているのを聴き、疑問に思いましたので質問させて下さい。 
僧侶によって?宗派に違いはあれど袈裟の色で階級があるのは何の為でしょうか? 
また、それは誰が判断、ジャッジし決められるものなのでしょうか?


【拙回答】

一休宗純禅師と袈裟

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

テレビアニメで有名な「一休さん」は、実在の一休宗純禅師がモデルとなっていますが、一休宗純禅師が大徳寺の住職をされていた時に、以下のようなエピソードがございます。

京都の町でも有数の富豪が、当時高名な一休宗純禅師に法要を依頼された際に、恐らくその富豪である施主について、あまり良い噂を聞いてはいなかった禅師が、まず、乞食に身をやつして、布施功徳をお願いしに門前に訪れたものの、その施主の指示により、門番から散々に打ちのめされて追い払われてしまいました。

そして、いよいよ法要となり、次は金蘭豪華な袈裟を纏って伺うと、施主が門前までやってきて、丁重に迎えられました。しかし、禅師は門前で動かず、「先にここに布施功徳をお願いしに参った時には、散々に打ちのめされて追い返されてしまった。今回は丁重なるお迎えであるが、それは、どうやら私に対してではなく、この金襴の袈裟に対してであろうと思われる。ならば、この袈裟を置いて私は帰ることにしよう」と言われて、帰ってしまわれたというお話がございます。

ややもすれば、人を身なり見かけで判断してしまう者に対してのお叱りの意があるのと共に、拙生の個人的な解釈となりますが、カタチだけの読経や回向ではなく、故人のための真の追善となる功徳を積む意思があるのかどうかを、試されて、そして、諭されるためだったのではないだろうかと考えます。

身なり見かけ、上下区別も大切で必要な場合もありますが、何よりも、それ相応の内実、真(まこと)も身に着けておきたいものでございます。

自省の意も込めて。

ちなみに拙寺はどこの本山にも属していない単立寺院にて、特に袈裟・衣の色も全く気にせずに済んでおります。拙生の衣は安価な黒衣、袈裟(黒以外の色袈裟)も二種類賜っておりますが、何色かにもこだわらずにカタログの一番安いもので済まさせて頂いております。単立寺院の有り難さです。

川口英俊 合掌

問い「自分の感情とどう向き合えば良いですか?」

問い「自分の感情とどう向き合えば良いですか?」

【ご質問内容】

以前、質問させてもらい 
気持ちも前向きに頑張っていかなきゃ 
と日々過ごしてきましたが 
心にざわざわする黒い感情が溢れてきます。

どうしても、彼が亡くなった時の事で 
あの時何で助けてあげられなかったのか? 
私がちゃんと見ていれば助かったはずなのに、私が殺したんだ…と急に負の感情に襲われます。

最近は写真の中の彼に申し訳なく 
思ってしまったり、一人の時間が 
辛すぎて姿を探してしまう自分にも 
遺影にも、目を背けたくなってしまいます。

今は、一人の時でさえ泣くことを 
我慢して考えないように 
逃げてしまいます。

私に泣く資格があるのか? 
と思ってしまいます。

私はどうやったら自分の感情をうまく 
コントロールできるのでしようか?

【拙回答】

供養について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

先のご質問も読ませて頂きました・・これからという時に急なお別れになってしまわれたのですね・・誠におつらいことでございます。

とにかく、あまりご自分をお責めになられませずに、どうか亡き彼氏様のご供養をお勤め頂けましたらと存じます。

その供養も、「供(とも)に養う」として、亡き彼氏様と一緒に、あるいは、皆と一緒に、悟りへと向かうための行い(智慧の修習と功徳の集積)を養って共有していくということになります。

「悟りへと向かうための行い」(智慧の修習と功徳の集積)と言ってしまうと、難しいことになりますが、私たちの世界というものは、お互いがお互いで助け合い、支え合い、分かち合いによって成り立っている世界であることをよく理解して、思い遣り、気遣いの心を持って、色々と配慮し合って、皆が幸せになれるような行い(功徳)を少しずつでも努めて調えていくということでございます。

とにかく、まずは、ご家族仲良くに協力し合って、励まし合って、ご家族が幸せに過ごしていくことからでも良い功徳、供養となって参ります。

ご家族に笑顔がいっぱいあれば、亡き彼氏様もきっと安心されますことでしょう。

亡き彼氏様のご冥福を心から祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「どうしたらいいかわからない」

問い「どうしたらいいかわからない」

【ご質問内容】

2年前に亡くなった母のことが忘れられません。 
その母とは籍が抜けていたのですが連絡などは取り合っていました。 
しかし母が死んだと聞き駆けつけるも、死に際にも会えず、感謝の言葉も伝えることもできませんでした。 
昔のことを思い出しては後悔にかられます。 
もう一度母に抱きしめてもらいたかったし、もっと話したいこともありました。 
また母は再婚していたのですが、母の異変に気付かなかった再婚相手がどうしても許せません。 
さらに再婚相手は母が亡くなった後に母の友人?(友人と呼べるかもわかりませんが)と籍を入れました。 
母はその再婚相手と籍を入れなければ死なずに済んだんじゃないか、騙されてたんじゃないかなどと思ってしまいます。 
また母はアルコール中毒で、2、3度入院したこともありました。 
しかし母は慣れない環境でストレスからまたお酒を飲み始めしまい止まらなくなってしまっていたんだと思います。 
再婚相手が母のことを考え、もっと早く気づき病院に連れてっていたらこんなことにはならずに済んだのではないかなと思います。 
こんなことを思っては母が悲しむかもしれませんがどうしても許せません。 
また私がもっと母の話を聞いてあげていたらこんなことにはならなかったんじゃないかなと思ってしまいます。 
誰かを恨んだところで母が帰ってこないのはわかっていますがどうしたらいいのか私自身もわかりません。

母に会いたくて会いたくて仕方ないです。

【拙回答】

「供養」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「供養」は、「供(とも)に養う」ということになりますが、亡くなられた方と一緒に、悟りへと向かうための行い(「智慧」の修習と「功徳」の集積)を養って共有していく、ということになります。

お母様とのことで、色々と後悔や思い悩み、再婚相手に対することもあるかとは存じますが、とにかく、少しでもお母様が、御仏様のお導きにより、安らかなる悟り・涅槃の境地へと向かうための「供養」を及ぼすこととして、一緒に、仏教の説いている悟りへと向けて取り組むべきより善い行いに、努め励んで頂けましたらと存じます。

それがお母様へと感謝して報恩になることだともお考え下さいませ。

善い行いと致しましては、例えば「十善」が代表的にございますので、また下記もご参照にして下さいませ。

「十善戒」(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見)


川口英俊 合掌

問い「四人目妊娠」

問い「四人目妊娠」

【ご質問内容】

私は既婚者で現在、三人の子供がいます。 
一番上は5歳の女の子。 
二番目は3歳の男の子。 
三番目は今日1歳になったばかりの男の子です。 
仕事は一年間の産休.育休から先月復帰いたしました。 
仕事もこれからだと言うときに、四人目を妊娠している事がわかりました。 
妊娠検査薬の陽性反応を見たとき、正直仕事どうしようと思ってしまいました。 
嬉しいはずなのに、なんだか素直に喜べなくて… 
夫は、四人目を養う経済力はないし、三番目はまだ小さいのでたいへんだ… 
何かを犠牲にしないと四人目は無理だ 
と言います。 
私は今の仕事が好きなので、続けたいと思っています。ただ回りの方々は育休から復帰してまた妊娠かよと思うでしょう。 
そんな中で働く根性はありません。 
四人目を授かったのに中絶を考えることはお腹の赤ちゃんに申し訳なくて…… 
中絶後、赤ちゃんがちゃんとまたこの世に誕生できるよう(輪廻)、供養しようと思います。 
他に親として何ができるでしょうか。

【拙回答】

中絶は反対としか…

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

避妊はされておられませんでしたか…誠に悔やまれます…

仏教に携わらせて頂いております一愚拙ではございますが、中絶につきましては、正直なところお勧めができません。仏教的な観点からもお勧めすることができません…

しかし・・色々と勘案すべき事情もあるかとは存じますので、反対が絶対に正しいとも申せません。

ただ、どうにもならない因縁(原因と条件)により、亡くなってしまう「いのち」であれば、やむを得ないものではございますが、どうにかなる因縁によって生きられる「いのち」であるならば、どうにか生かされて頂きたいとは存じます。

とにかく、どちらを決断されたとしても、後悔はなさられずに、功徳を少しなりにも積めれるような行いも、どうかお努めなさられて下さいませ。

また、中絶なさられても、どうか水子御供養は、懇ろに宜しくお願い申し上げます。

ご家族皆様のお幸せを心から祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「不倫で妊娠」

問い「不倫で妊娠」

【ご質問内容】

職場の人と不倫をしてしまいました。

2月に初めて肉体関係をもち、計3回二人で会いました。

3回目の時、会ってたことが後日バレたらしく、奥さんからメールが届きました。

相手の男性は4月末で転職するし、もう二人で会うのは止めようと決めた矢先、妊娠が発覚しました。

今、5週目位です。 
今週末に心音が確認できるとの事でした。

今後どうしたらいいのか…

相手の男性には、明日話をする予定ですが、最後は自分で決めないといけない事。

相手の男性とは一緒なれず、一人で産んで育てる覚悟もなく、堕ろす決断も出来ず……

堕ろしたとしても、今後、楽しい事や嬉しい事がある度に『自分の子どもを犠牲にして、今の時間がある』って、ずっと苦しむんだろうな……って、結局、自分の事しか考えれてなくて、こんなんが一人の人間を育てられるの?

不倫した事、凄く後悔、反省しています。 
20代最後に授かった命……

もうどうしたらいいか、どうしたいかもわかりません

【拙回答】

中絶は反対です。

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

まさに、どちらを選択されても少なからず苦難を歩まれることになるかもしれずにて・・誠におつらいことでございます・・

もう心音は聞かれましたでしょうか・・貴女様の意思とは別に新しい御命は精一杯に生きようとされていますでしょうか・・

あくまでも私見ながら、中絶は正直・・反対です・・

仏教的な考え方からも、中絶は反対の立場になると、拙生は理解致しております・・

しかし、しかしですよ・・色々と勘案すべき事情も確かにございます。反対が絶対に正しいとは決して申しません。

いずれを決断されても、後悔はなされずに、どうか前を向いて、功徳を少しなりにも積めれるような行いにもお努めなさられて下さいませ。

もしも、中絶をなさられても、どうか水子御供養は懇ろに何卒にも宜しくお願い申し上げます。

はるはる様のお幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

問い「自分の中のもやもや」

問い「自分の中のもやもや」

【ご質問内容】

はじめまして。 
数年前に祖父を亡くし、今でも悔やみます。

大好きな祖父でした。 
上京する時も最後まで心配してくれました。

脳梗塞で倒れ、重い腎不全。 
助からない状態でした。 
意識が途切れ途切れで寝たきり。

そんな弱っていく祖父を見るのがどうしても怖かった。

また来るね。 
ああ。

それが最後の会話になりました。

会いに行けたのに、怖くて行けなかった。

未だに悔やみます。

現在、実家に帰って来ていますが母親とあまりうまが合わなく、また上京する予定です。 
姉が実家の近くで結婚していますので、すぐに対応出来ると思います。

そんな時にふと、 
自分は薄情なのかもしれない。 
役に立たない。 
また逃げる。

祖父に何も出来ず逃げた私。 
両親を見捨てて行くのか?と自分を責める時があります。

要領が良く、何でもできる姉と、出来の悪い私。 
劣等感や逃げぐせ。お恥ずかしい限りです。

それでも上京したいと思う私はやはり薄情ですか? 
また、このもやもやした気持ちと向き合うにはどうしたらいいですか?

話がまとまらず、申し訳ありません。 
よろしくお願いします。

【拙回答】

後悔よりも・・

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

祖父様のご臨終でのことは、あまりお気になさられずに。「後悔」よりも、どうか「供養」を大切になさられて下さいませ。

真なる「供養」は、「功徳を供に養う」ことになります。

いつでもますみ様は、祖父様と一緒に、供に功徳を積めていけるようにと、なさられて下さいませ。

まあ、「功徳」と言うと大げさですが、要は、平等、分け隔てのない思いやりの心、優しい慈しみの心を持って行う行為が、「功徳」になるとお考え下さい。

次に、お母様とのことですが、ますみ様はますみ様の人生。親離れ、巣立ちも当然のことです。そんなに後ろめたい気持ちは持たれなくてもいいのではないだろうかとは存じます。

むしろ、親御さんにとっては、自分が足かせにと思わせる方がつらいものになるかとも思います。まだ元気でご健在のうちにこそ、ますみ様はますみ様で、やれること、やりたいことを精一杯しておくべきですし、この先ご結婚もされることになりますこともあるかもしれませんし、尚以ってあまり、自分で自分を縛り付けない方が良いのではないだろうか存じます。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌
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