hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

善徳行

問い「故人への一番の供養とは?」

問い「故人への一番の供養とは?」
http://hasunoha.jp/questions/1058

【ご質問内容】

故人が一番喜んでくれること、故人への何よりの供養、私ができることはどんなことか教えて下さい。

自分なりにこうだと思っていることもありますが、本当の供養をお坊様からご教示していただきたいのです。

私が供養したいのは、20代前半でバイク事故で亡くなった彼です。

私は40代半ばで既婚、こどもが二人います。

どうぞ宜しくお願い致します。

【拙回答】

供養について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

何が故人様への一番の供養になるのかと申しましても、もちろん、各個人での価値観の相違や、あるいは、各宗旨宗派における教え、方便においても異なるところがあるかとは存じます。

「供養」に関しましては、最近でも下記の問いにてお答えさせて頂いております。

問い「正しいご先祖供養とは?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1020579238.html

『・・亡き故人様方、ご先祖様方も、その仏道を修していく上においてのより善きお導きを賜りますようにと、仏、菩薩、諸天などへの御供養ということがまず一つ言えるのではないかと存じております。その上で、ご先祖様を一人一人御供養するというのは、もちろん理解できることではありますが、あくまでもその御供養というものも、迷い苦しみにある全ての者たちに対しての御供養も含めた上にて、ご先祖様方の導き手となる仏、菩薩、諸天などへと向けての御供養とすることが大切になるのではないかと存じております。・・』

上記を踏まえてのあくまでも拙考え方となりますが、おおよそに共通して言えてくることとしましては、「迷い苦しみにある全ての者たちへ向けての御供養」というところが求められてくるのではないだろうかと存じます。

そして、その御供養としての追善供養・功徳回向というものにおいては、その善徳の行いを全ての迷い苦しみにある者たちのためにへと向けてなされるのが大切になるのではないかと存じております。

若くして事故にて亡くなられてしまわれました彼氏様と共に、全ての一切衆生たちが悟り・涅槃へと至れますようとして、是非、より善き行いに日々ご精進を賜われましたら有り難くに存じます。

それは、まさに吉田様のおっしゃっておられます四摂法「布施・愛語・利行・同事」のことでもございますし、少しのできることでの親切、例えば「無財の七施」でも構いません。

「無財の七施」に関しましては、下記の問いにても扱わせて頂いておりますのでご参照下さいませ。

問い「生きることが辛い」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1016003171.html

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「自殺した人の魂について」

問い「自殺した人の魂について」
http://hasunoha.jp/questions/1004

【ご質問内容】

去年7月に6年一緒に住んでいた彼氏が自殺しました。亡くなってから、毎日逢いたくて、寂しくて、日々泣いていました。 彼氏は、成仏したのか、まだ側に居てくれてるのかなぁ。とか色々考え、死後の世界の事や魂について知りたくて、何冊も本を読みました。でも、自殺した人の魂について書いてる本は、ほとんどなく、病死や年老いて亡くなった魂についての本が多いんです。何か、自殺した人の魂について書いてる本があれば、教えてもらえないでしょうか?自分でも、何をしたいか分からないんですが、そういう本を読んでると、彼氏を近くに感じれて安心するんです。何か、良い本があれば、教えてください。

【拙回答】

「チベットの生と死の書」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

これまでにも下記問いにお答えをさせて頂きましたが、いまだ彼氏様への色々な想いが癒されておられないご様子をお伺い致しました。

問い「死んでしまったら無なんでしょうか?」
http://hasunoha.jp/questions/742

問い「自殺した人の霊」
http://hasunoha.jp/questions/718

この度は、「自殺した人の魂について書かれている本」についてのご質問でございますが、これまでの仏教に関しての拙学びにおいて、最も参考になるであろうと思われる本をご紹介させて頂きたいと存じますが、その前に最初に述べておきますが、非常に難しい内容、解釈を誤ってはいけない内容も扱われております。

それでも、まかな様が真摯に、真剣に彼氏様の魂(ただし、拙生は魂とは表現せずに「心相続」と述べております)の善き赴きへの善き因縁となる御供養をして頂くために、この度はあえてご紹介をさせて頂きます。

「チベットの生と死の書」 ソギャル・リンポチェ師 訳・大迫正弘氏・三浦順子氏 講談社

是非、仏教の基本的なことも簡単な本でも構いませんので押さえながらに、この本の学びを進めて頂きたいと存じますが、特にオウム真理教の事件で有名となった「ポワ」についても扱われております。オウム真理教の用いた「ポワ」の論理は当然に間違いですが、常にその間違いに陥る危険性が控えていることは理解して頂いて、その上で、真なる供養のあり方についてお考えを賜れましたらと存じます。

特に参考として頂きたいページ「第十九章 死後の助け P525~527」

今、まかな様にとって重要なのは、まかな様が彼氏様に対して御供養できているのかどうかという実感的なところになるかと存じます。それが実感できれば、きっと少しはまかな様ご自身にとっての安心や癒やしにもなるのではないかと考えております。

御供養においては、まず、彼氏様のことを強く思われて、その上で彼氏様の心相続に対して、どうか善き赴きへと向かうようにとして行われる善徳行が何よりも一つ大切に、そして、次には、更にその善徳行による福徳、つまり、幸せや功徳が、あらゆる一切の衆生たち、三界の全ての者たちのためにも及ぶようにと回向することが大切になるかと存じております。

川口英俊 合掌

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問い「霊について」

問い「霊について」
http://hasunoha.jp/questions/1041

【ご質問内容】

一般の人が霊を除霊することはできますか?

【拙回答】

霊について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

霊や霊魂、霊感・憑依などのことは、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いておりますが、霊や霊魂の存在については、仏教の基本的な考え方としては、やはり「無記」として扱うべきであるかとは存じております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_319683.html

ただ、実は、このことに関して完全に否定してしまうわけにはいかない方便的なところでの複雑な大人の事情がございます・・そのため、霊感に関わることで、下記のようにも述べさせて頂いております。

『・・「霊感」を宗教的な面から捉えようとして考えますと、その根拠や証明、論証の曖昧さが生じてしまうため、非常に難しい問題を孕むことにもなります。ただ、あくまでも仮定でありますが、もし「霊感」があるとしても、色々な因・縁(原因や条件)により成り立っている「縁起」なるものであり、実体として、独立自存としては成り立っていない「空」なるものであるかとは存じます。その因・縁をより善くに調えることで、当然に結果も改善させることができるのではないかとは存じております。・・とにかく霊や魂と、生前も死後においても、実体、独立自存として存在しているものではないということだけは言えるかと存じております。・・』

「・・到底、論証・証明のできないようなことを扱うのは所詮ナンセンスで、私たちの現実の迷い苦しみを解決させていく上で何ら役に立たないことであり、特に、この霊の存在についても典型的なもので、釈尊は「無記」として扱われた次第となります。もちろん、釈尊は全知者でありましたが、あえて意味のないようなことを議論する必要がないとお捨てになられたのでしょう。それよりも、善き行いを積みて、善き因果の流れに乗りて、善き赴きへと向かうことに、しっかりと取り組みなさいということでございます。・・」

とにかく、「除霊」云々につきましては、この際あまりお気になされず、とにかく、今よりもより善い結果を望まれるのであれば、より善い因縁(原因や条件)をしっかりと積んでいく、そのための善徳行、慈悲・利他行に励むこと、功徳を積むことが何よりも肝要になるのではないかと存じております。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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問い「人は死んだらどこへ行くのでしょう?」

問い「人は死んだらどこへ行くのでしょう?」
http://hasunoha.jp/questions/702

【ご質問内容】

天国や地獄へ行く。生まれ変わって新たな命となる。
火葬なら幽霊になって、土葬ならゾンビになるとも聞きます。

死後の世界。きっと生きている限り分からぬ世界。
しかし、生きているからこそ、死への恐怖や不思議に囚われます。

知らないからこそ死への恐怖が拭えるのか。
それとも知ってしまう方が安心して死んでいけるのだろうか。

天国や地獄がもしあるのなら…
またその世界で生きていかなくてはならないのか。
生まれ変わって新たな命となるのなら…
知らぬうちにまた同じ世界で苦しまなくてはならないのか。

この世界に生きるものとして。いつか死を迎えるものとして。
死と向き合うためにアドバイスお願いします。

【拙回答】

「不生不滅(不死)・死ぬ者は死なない」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

死後のことにつきましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂きました。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/死後

その中では、最近の下記問いの拙回答が少しくまとめ的には参考になるのではないかとは存じます。

問い「死を受け入れるにはどうしたらよいでしょうか」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1006199690.html

結論的には、因縁果の法則に則って、無明(根本的な無知)・煩悩・悪業(悪い行い)を対治していくためにも、心(相続)のありようをより善くに調えることにて、死後の善き赴きへと向けての善き行いが求められるものとなります。

誠に、七仏通誡偈「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」のこととなりますが、「諸々の悪い行いをなさずに 善い行いに努め励みて 自らその心を浄らかにすること」が仏教としての基本的な教えとなります。

あとは、丹下様のおっしゃられているように、死後へと向かう実体が何かあるわけではありません。このあたりの議論は仏教の中でも「空と縁起」という考え方に関する非常に難しい理解が必要となります。興味がございましたら、下記二つの問いの拙回答もご参照下さいませ。

問い「生きる意味、死ぬのが怖い」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002966329.html

『・・究極的真理レベルからは、生死に関しても「不生不死」で、「意味」についても「意味は無い」のですが、世俗的レベルにおいては確かに「生死は有り」・「意味は有る」のであります。とにかく難しいです。それよりも何よりも、まあ、分からない、答えの出ないことはあまり考えないこと(離戯論)にして、「今」目の前にある現実、この現実を精一杯に、より善く生きなさいということが最も大切であるのではないかとは存じております。・・』

問い「生きること、死ぬこと、どっちが辛いのか」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002992500.html

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/users/16

問い「他人を傷つけてしまった誤ちは償えますか」

問い「他人を傷つけてしまった誤ちは償えますか」
http://hasunoha.jp/questions/682

【ご質問内容】

男性にフラれ、悔しさと嫉妬のあまり、彼の相手の女性に全てをバラし、傷つけてしまいました。

彼への未練というより、自分のしてしまった事へ後悔と未練があります。

謝りたくて、電話をかけてもメールをしても彼は取り次いでくれなくなりました。

自分のしてしまったこの未熟な誤ちを、日々後悔し落ち込んでしまいます。

楽になりたいなんて、勝手なお話ですが、少しでも救われるにはどうしたらよいでしょうか

【拙回答】

償いはこれからの行い次第

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度は、嫉妬などの煩悩による過った行いへの後悔のお気持ちを表されました。このことは誠に「慚愧」として仏教において大切な善い行いとなります。

「慚愧」につきましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1008111663.html

『・・「慚愧」することから、更に、二度と同じような過ちはしないこと、相手に会うような機会があれば、反省や謝罪の思いを伝えること、もしできることがあれば償いを行うことも大切なことにはなります。・・』

問い「罪悪感」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_321867.html

もしも、その方への直接の謝罪や償いがまだ難しいとしても、しっかりとこれからの行いをできる限りに善徳行・慈悲行・利他行として努め励むことで、今お苦しみである後悔や未練のお気持ちも少しずつ和らげさせていくことはできるのではないかと存じております。

また、下記問いの拙回答にて「懺悔文」というお経について扱わせて頂いておりますので、この機会に少しくご参照頂けましたらと存じます。

問い「幸せでも良いのでしょうか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1008050052.html

「我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡 従身語(口)意之所生 一切我今皆懺悔」

「・・私がその昔より諸々の悪業(悪い行いの集まり)を積み上げてきてしまったのは、全て、無始(始まりのない過去)以来の貪・瞋・癡(貪りの心・激しい怒りの心・真理を知らない愚かな心)を原因として、身・語(口)・意(身体、言葉、心のそれぞれによる行い)によって生じるところのものです。私は今まさにそれらの悪業の全てを懺悔致します。・・」

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/users/16

問い「罪悪感」

問い「罪悪感」
http://hasunoha.jp/questions/689

【ご質問内容】

はじめまして、よろしくおねがいします。

私は、今まで30年以上生きてきましたが、今立ち止まり振り返ると自分のしてきたこと全てを間違えてしまったと感じてしまいます。

人を傷つけ、やさしさを持たず、色眼鏡をかけて見て人を判断し、仕事上ではヒステリックに怒ればことが進むと勘違いし、男女関係でも道徳に反した行為があったと思います。このようなことはしないような人間でありたいと思って生きてきたはずなのですが、いつしか仕事の忙しさや周囲のやさしさにかまけて、気がつかないうちに傲慢になっていました。
それを、今になって気がつきました。いかに周りに対して愛情がなかったのか、、恥ずかしいです。傷つけてしまった方々には本当に申し訳ないとおもっています。しかしながら疎遠になってしまって謝ることもできません。

そしてこのような罪悪感を感じるのと同時に、周りの人々にはどうみられていたのかと人の目が気になり、陰では悪い噂がたっているのではないかという不安があります。罪悪感があり悪いのは全て自分だと感じているのに、まだ保身の考えを持ってしまう自分にも嫌気がさします。

私はこの先どのようにこの罪悪感と付き合い、罪滅ぼしをしてゆけばよいでしょうか。どうか、ご助言ください。よろしくお願い申しあげます。

【拙回答】

罪悪感への対処について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

罪や過ちを犯してしまったとしても、仏教では「慚愧」、「懺悔」することがまずは大切なこととなります。

「慚愧」につきましては、これまでも下記の各問いにて扱わせて頂きました。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_321867.html

問い「懺悔」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1004016464.html

『・・「慚愧」することから、更に、二度と同じような過ちはしないこと、相手に会うような機会があれば、反省や謝罪の思いを伝えること、もしできることがあれば償いを行うことも大切なことにはなります。・・』

もしも、もはや謝罪や償いが難しいとするのであれば、二度と同じような過ちをしないことと共に、善徳行や報恩功徳に努めることをお勧めさせて頂きます。また、下記問いにおける拙回答では「懺悔文」というお経について扱わせて頂いております。

問い「幸せでも良いのでしょうか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1008050052.html

「我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡 従身語(口)意之所生 一切我今皆懺悔」

「・・私がその昔より諸々の悪業(悪い行いの集まり)を積み上げてきてしまったのは、全て、無始(始まりのない過去)以来の貪・瞋・癡(貪りの心・激しい怒りの心・真理を知らない愚かな心)を原因として、身・語(口)・意(身体、言葉、心のそれぞれによる行い)によって生じるところのものです。私は今まさにそれらの悪業の全てを懺悔致します。・・」

ご質問にありますように、これからも罪悪感と付き合い、確かなる罪滅ぼしをしていくには、誠に上記の「懺悔文」をことある毎にお唱え致して、そして、積み上げてきてしまった、あるいは積み上げてしまう罪業や悪業を対治、排撃していくためにも、尚一層に善徳行・慈悲行・利他行に努め励むことが大切になるのではないかと存じております。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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問い「負けた感に疑問」

問い「負けた感に疑問」
http://hasunoha.jp/questions/674

【ご質問内容】

今まで好きだった方には決まった相手が居るようです。

その彼女は私の友人でもあります。

二人の関係に気付いた時、「負けた」という感情がわきました。

「負けた」と思う自分に疑問を持ちました。

確かに、私は彼を射止められなかったから、負けたと言えば負けたのですが、

人を好きになることと、勝ち負けは関係ないのでは?
負けた感があるのは、そもそも「好き」以外の感情があったんじゃ?

もう少しで答えが出そうな、はがゆい気持ちで今の感情に向き合っています。

御意見を頂けると幸いです。
よろしくお願い致します。

【拙回答】

最勝者を目指すのが仏教

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

勝ち負け・・確かに私たちの世界では勝負、比較、評価してしまうことが多くあり、勝った、負けた、高い、低い、大きい、小さい・・と一喜一憂してしまうものでございます。

しかし、世間の八法(利得、損失、称賛、非難、誉れ、誹謗、楽、苦)に留まってしまっている限り、いずれにしても「負けてしまう者」(迷い・苦しむ者)であることには変わらないと仏教では考えることになります。

そういった世間での勝ち負けを超えて、最上の勝者となること、それが仏教の目的となります。

ちなみに、お釈迦様はご生誕されてすぐに最勝者をご宣言なされたと言われております。(天上天下唯我独尊)。これは、悟りを開かれることをご宣言なされたと捉えることができますが、この迷い苦しみの世界を超えることを目指すために、仏教では様々に取り組み(仏道修行)を進めることが必要となります。

また、「幸せ」ということを考える上でも上記のようなことが言えることになります。

問い「仏教とは死後の幸せを求めるものですか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002979923.html

問い「生きる目的が見つからず、就職するのが憂鬱です」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1003004333.html

「・・この人生での良い報い、良い結果を求めたいのであれば、やはり、そのための因・縁(条件)が必要となります。何もその因・縁を積まずにして、どこかから良い報い、幸せが勝手にやってくるわけはありません。種も発芽するには、水や光や養分やと発芽のための因・縁が必要であり、種だけで水や光や養分などの因・縁無しで発芽という結果が生じるものではありません。幸せという芽を出すためには、それなりの因・縁が必要であり、仏教では、それこそが「善い行い」となる次第でございます。・・」

とにかく、恋愛でも、結婚でも、何事も今後の人生において大切となるのは、善き因・縁へと向けた努力となります。善き因・縁を集めることによってこそ、善き結果も望めるものとなります。是非ともに頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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問い「仏様はこんな私を許してくださいますか・・・?」

問い「仏様はこんな私を許してくださいますか・・・?」
http://hasunoha.jp/questions/728

【ご質問内容】

私は過去に自傷をした事、友を馬鹿にした事などといった過ちをおかしてしまいました。今ではそのことについて反省し、何があっても自傷はしないようにしていますし、友に対して悪口を言ったりすることはありません。
しかし、別に現在でもある過ちをおかしてしまっています。虫の命を奪っていることです。
私は小さな虫でも恐ろしい、気持ち悪いと感じてしまい命を奪ってしまいます。
両親に頼んでできるだけ外に出してもらうようにしていますが、人間に害がある虫は簡単に殺してしまう。
そんな自分勝手な都合で虫の命を奪ってしまう私に腹が立ち、悲しくて涙がでます。虫たちだって、一生懸命に生きているから殺してはいけないとわかっているのに、気持ち悪いからなどといった理由で殺してしまう私が残酷だと感じています。
虫を殺してしまうたびに、心から泣いて謝ってはいます。
しかし謝るばかりで虫を殺さずにいるということはできません。
それだけではなく、私は過去に大変な過ちをおかしてしまいました。
正直にいいます。仏様を、裏切ってしまったのです。
9歳、10歳位の頃に家で犬を飼っていました。しかし理由があり犬を病院に手放すことになってしまいました。私は仏壇の、仏様の前で「私がしっかりお世話をしますからどうかあの子が戻ってきますように」と祈りました。
そして本当に戻ってきてくれたのです。しかし・・・、私はちっとも世話などしませんでした。
仏様に誓ったのに。裏切ってしまたのです。
結局犬は病院に引き取ってもらうことになりました。
悔やんでも悔やんでも悔やみきれず、仏様のお心を傷つけてしまったと、大変馬鹿なことをしてしまったと自分を責めています。
勝手な都合で命を奪い過ちを繰り返し、幼かっといえども仏様を裏切り・・・。
死後、私は地獄におちて苦しむべきですよね・・・、でも、それでも、地獄におちたくないです・・・。何億年も釜の中で苦しみ、針の山を歩かせられるのが怖いです・・・。
結局自分が可愛い私に腹が立ち、苦しいです。
教えてください、お坊様。
仏様は、こんな残酷で自分勝手で最低な私を許し、愛してくださいますか・・・?
この先どのようにして生きていけばよいでしょうか?一生一人ぐらしでいるつもりですので、新しい命をこの世界に誕生させれこともなければ、虫を殺してしまうこともあるかもしれません・・・

【拙回答】

アングリマーラ

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

仏様の広大かつ深大なる慈悲の御心は、いついかなる時でも私たちを見捨てることはありません。ただ、私たちの罪、過ち、悪業は、仏様が許す許さないの問題ではなく、自らの行い次第となります。

仏様の慈悲を根拠として、何でもかんでもが許されるとなれば、多大な弊害が生じることになってしまいます。それこそ、人を何人殺そうが、仏様がいずれ救って下さるから大丈夫だというような考え方を持ってしまうと大変危険なことになります。

直接に回答への引用は今回が初めてとなりますが、下記ページをご参照下さい。

「拙回答の基本的な前提となる考え方について」
http://www.hide.vc/h1.html

小前提
5、無際限・無限定に如来の慈悲を根拠として引用しての楽観的な救済論の否定。
6、仏教を不要化させかねない楽観的な現実全面肯定の理論の否定。

・・

例えどのような過ち、罪を犯そうとも、重要となるのは、それをしっかりと悔い改めて、反省、慚愧、懺悔した上にて、智慧(空の理解)と福徳(善徳行・慈悲行・利他行)の二資糧の集積に努めることによって、悪業、煩悩、無明の対治、排撃を目指していくこととなります。このことにつきましては、下記の拙回答をご参照下さいませ。

問い「幸せでも良いのでしょうか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1008050052.html

お釈迦様の時代、千人殺して千人分の指を首飾りとすれば修行が完成するという奸計に落ちたアングリマーラという殺人鬼が現れ、九百九十九人の人を殺し、あと一人となった時に出遭ったのが実の母であり、手をかけようとした時に、お釈迦様が現れられて、アングリマーラを諭し、改心させて、その後、弟子入りまでお認めになられます。アングリマーラは苦難の修行を経て、やがて阿羅漢果という悟りを得ます。お釈迦様は、確かに仏道を歩むことは許されたものの、その悪業を許されたわけではなくて、あくまでもアングリマーラが悟れたのは自身の修行による結果でございます。

私たちも、過ちや罪を繰り返してしまったとしても、慚愧、懺悔し、尚一層に善徳行に努め励むことが大切なことになるのではないかと存じております。

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「幸せでも良いのでしょうか?」

問い「幸せでも良いのでしょうか?」
http://hasunoha.jp/questions/670

【ご質問内容】

私は20才の時に人を事故で殺してしまいました。

今は旦那と子ども二人、お腹に一人、
マイホームも建設中で、
私自身の仕事、職場にも恵まれ本当に幸せです。

でも、
一人の人間の人生を奪った私が
今、こんなに恵まれ、幸せでいいのでしょうか?

時々、誰かに責められているような不安感に襲われ
怖くなります。

【拙回答】

懺悔文

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

詳しい事情・状況(故意または過失など)は分かりませんが、過去における事故にて人を亡くされてしまわれたとのこと・・ただ、既に謝罪や償い、罰(刑事罰、民事罰や行政罰)もお済みなのではないかとは存じます・・それでもまだ罪の意識をお持ちで自分を責めてしまわれておられるご様子・・

人間誰しも大なり小なり過ちや罪を犯してしまうものでございます。問題は、その過ちや罪とどう向き合い、そして、どう反省し、どのように行いを改めていくべきであるのかが、大切なこととなります。

仏教では「懺悔文」(さんげもん)というお経がございます。

我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋癡(かいゆうむしとんじんち)
従身語(口)意之所生(じゅうしんごいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

私がその昔より諸々の悪業(悪い行いの集まり)を積み上げてきてしまったのは、全て、無始(始まりのない過去)以来の貪・瞋・癡(貪りの心・激しい怒りの心・真理を知らない愚かな心)を原因として、身・語(口)・意(身体、言葉、心のそれぞれによる行い)によって生じるところのものです。私は今まさにそれらの悪業の全てを懺悔致します。

私たちは、このお経をことある毎に唱えさせて頂き、己の悪業、煩悩、無明(根本的な無知)と向き合い、そして、しっかりと智慧(空の理解)と福徳(善徳行・慈悲行・利他行)の二資糧の集積に努めることによって、悪業、煩悩、無明の対治、排撃を目指していくこととなります。

また、既に藤堂様もおっしゃられているように、過去の過ちに関しましては、仏教では「慚愧」ということを大切に致します。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/慚愧

「慚愧」により二度と同じような過ちをしないことと共に、善徳行、報恩功徳に努めることをお勧めさせて頂いております。

アカリ様はもちろん幸せで良いのですが、併せて、亡くなられた方への御供養と共にこれまでの様々な罪業や悪業を何とか善行を進めることで、尚一層にしっかりと排撃して参りたいものでもございます。

ご安産を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「人生の選択」

問い「人生の選択」
http://hasunoha.jp/questions/600

【ご質問内容】

現在、癌をわずらいお仕事探しも止め実家にいます。

人生を振り返ると途中からいいことなかったなって思ってます。
Australiaへ留学して沢山の友達ができて前向きな性格になり
帰国しました。

帰国してからストー力ーに合ったり、しかもスピード離婚しています。

人のこと言えないですが彼は駄目な男性で私と離婚した後再婚し
また離婚したそうです。

この前相談させていただいた元彼も重たい人でした。
2人とも職場で出会ってます。

なんでしょうか。世の中出会なければ悲しい思いしなくても
いいこともあるのにどうしてあの人達は思いやりより
自分だけが良ければいい考えなのでしょうか。

1人は借金男でしたし、元彼は学生時代ご両親のお金
でパチンコ行ったり。

出逢わなけば良かったって最近思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。

【拙回答】

心のより善い変容へと向けて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

この度は、癌を患われておられるとのことにて、とにかく養生第一に、治癒にまずはご専念下さいませ。

人間、生きていく上で誠に色々とございます。良いことだけでなく、悪いことも含めて、失敗や反省、後悔することなどももちろんです。

ただ、同じような出来事をそれぞれが経験したとしても、受け取る人の心の持ちようそれぞれにおいて捉え方も異なってくることがございます。

例えば、雨が降るという出来事は同じであっても、それを受け取る人の心の捉え方次第で異なって参ります。日照り続きで作物が気になっている農家の人においては、恵みの有り難い雨となり、花火大会を楽しみにしている人においては、恨めしく嫌気する雨となってしまうことでしょう。

雨そのものは、ただの自然現象で当然に悪気も何もありませんし、善悪も関係のないものであります。しかし、それを捉えるそれぞれの心の状態において、その雨が、良いものとなったり、悪いものとなったりしてしまう場合もございます。

人生における様々な出来事も実は無数の織り成す縁によりて、善くも悪くも色々と展開されていくものですが、それを扱う人の心、それを捉える人の心次第で、それぞれが善くなったり、悪くなったりとなってしまう側面もあります。もちろん、自業自得として己の悪い行いが招いた悪い結果であるならば、慚愧、反省し、二度と同じ過ちを繰り返さないこと、償いや贖いが必要であるならば積極的に善い行いをすることが必要にはなりますでしょう。

とにかく、心の状態をこれからのいかなる出来事に対峙してもできるだけ善きものとして調えていけれるようにするためには、心の状態を上手にコントロールするための修習や善い行いに努め励むことが求められることにはなります。

前回のご質問の拙回答の最後にて、「みかん様がより良く幸せに過ごすことのできるお相手と巡り逢えるご縁のありますことを祈念申し上げます。」と述べさせて頂きました。

あまり過去の出来事にいつまでも囚われてしまわれずに、是非、これから先の善きご縁へと向けて、ご養生と共に少しゆっくりと英気を養われてから、少しずつでも心のより善い変容へと向けて取り組まれていかれましたらと存じております。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
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