hasunoha 川口英俊

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス http://hasunoha.jp/ 川口英俊回答のまとめ集

四聖諦

問い「ブッダの一番言いたかったこと」

問い「ブッダの一番言いたかったこと」

【ご質問内容】

知識のない一般人としての質問で大変申し訳無いのですが・・・

ブッダがいた時代は、大乗仏教や宗派ができる前ですが、ブッダが一番言いたかった、伝えたかったこと(メッセージ)というのは、大乗仏教の中にどう生きていると思われますか(大乗仏教の様々な宗派の中でどの部分に一番それが象徴されていますか)?

大乗仏教において、ブッダの教えとその宗教としての儀式などがどこか矛盾していると感じてしまうことがありますがそれはどう捉えればよいでしょうか。(ブッダのいう悟りから得たもの(教え)と大乗仏教の在り方が矛盾してみえることがある)

菩薩という存在は、大乗仏教のなかでどう捉えたら良いのでしょうか。

【拙回答】

「不放逸なれ」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

釈尊は、最期の教えとして、「もろもろの事象は過ぎ去るもの(無常)である。怠ることなく修行を完成なさい。」とおっしゃられました。

「不放逸(ふほういつ)なれ」。

これが最期のお言葉であり、大切な釈尊のお言葉の一つと考えられます。

釈尊は、悟り・涅槃へと向けて、「善き巧みなる方便」により仏教を説示なさられました。

「対機説法」、「応病与薬」です。

もちろん、大乗仏教もその内に包摂されるものでございます。

しかし、大乗や他の分類云々は、あまり分けて考えられても意味のないことであると考えております。

とにかく、釈尊の教えの全てには、聖なる四つの真理、「四聖諦」が原理的に控えているとお考え下さい。

「・・仏教における教えの中でも、その要諦となるのが、何よりもお釈迦様が最初に教えを説かれた「初転法輪」の中での「四聖諦」であり、それは、例えば、私たちは、代表的に八苦する中にありますが、それらの苦しみには、その苦しみという結果へと至らしめている因縁(原因と条件)が必ずあって、苦しんでしまっているのであって、その苦しみをもたらしてしまっている因縁を何とか解決して、より良い結果へと向かわしめるための因縁へと変えていくことができれば、やがて、苦しみを滅することができ、更に、仏道の実践によって、悟り・涅槃へと至るための因縁もしっかりと調えていくことで、いずれ、悟り・涅槃へと至れることになるものであるとして、そのための方法論を、お釈迦様が、対機説法、善巧方便を駆使なさられてお説きになられたのであります。・・』

そのお教えを、それぞれに合った「カタチ(合うカタチも因縁(原因と条件)によって様々に変化していく)」にて、怠ることなく学び修することにより、しっかりと悟り・涅槃へと向かって参りたいものでございます。

菩薩は、智慧と福徳(功徳)の修行実践者のことであり、その中でも、特に、福徳を修習するのに重きをおいている者のような印象がありますが、皆、悟り・涅槃へと向けては、智慧と福徳(功徳)の修習に取り組むべきことになります。修行実践者の一つの「カタチ」として、それもあまり分けて考える必要もないかとは存じます。

「不放逸」にて仏道に取り組んで参りたいものでございます。共に頑張りましょう。

川口英俊 合掌

問い「御経の事について。」

問い「御経の事について。」

【ご質問内容】

おはようございます??

何回か質問や相談をさせて頂いている者です。

仏教が好きで御経に興味がありまして、法華経や般若心経や真言の意味を知りたいと思っていてSNSとかで調べてみたりはしてますが、hasunohaというコミュニティ-で御住職様達と交流する機会を作って頂きましたので、御経の意味を知りたいと思って書き込みさせて頂きました。

普段からお付き合いがある菩提寺の御住職様に前々からお経の意味を知りたいから質問してみたいとは思ってましたが、法事でしかお会いする機会がなくてタイミングが合わないので、hasunohaの存在を知ったのでここに参加されている御住職様達に御経の意味を教えて頂きたく質問させて頂きましたので、お忙しいとは思いますが、よろしくお願いします。

【拙回答】

「四聖諦」から各お経の内容を理解していくことについて

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お経の内容は、お釈迦様の膨大な教えが表されたものとなりますが、それらの教えの数が、「八万四千(の法門)」と言われますように、「対機説法」・「方便」(その人それぞれの苦しみ、迷いに対して的確に応じて説かれた)によって、それだけお説きになられているものとなります。

その趣旨・目的は、もちろん、「悟り」・「涅槃」へと至らしめていくためとなります。

その対機説法・方便を理解する上で、最も大切となる基本的な教えが、何よりまず初転法輪の中においてお説きになられました、「四聖諦」という「苦諦・集諦・滅諦・道諦」の四つの聖なる真理になるのではないかと存じます。

「四聖諦」とは、私たちには、代表的に四苦八苦(生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦)する中にありますが、それらの苦しみには、その苦しみの結果へと至らしめている因縁(原因と条件)が必ずあって、苦しんでしまっているのであって、その苦しみをもたらしてしまっている因縁を何とか解決して、より良い結果へと向かわしめるための因縁へと変えていくことができれば、やがて、苦しみを無くすことができ、更に悟り・涅槃へと至るための因縁をしっかりと調えていくことで、いずれ、悟り・涅槃へと至れることになるものであるとして、そのための方法(仏道)を、お釈迦様は、「善巧方便」を駆使なさられて仏教をお説きになられた次第でございます。

ですので、全てのお経の内容も、それはまず、「四聖諦」ということを基本的な原理として説かれているものであるとして、ご理解を頂けましたらと存じます。

また、各個別のお経の内容、その一部等の内容につきまして、お聞きになられたいことがございましたら、どうぞお気軽にご質問下さいませ。

仏教の修習のための少しなりにもお役に立てれましたらと存じます。

川口英俊 合掌

問い「ぼーずなんかくそくらえ、世の中良いことなんか何もない」

問い「ぼーずなんかくそくらえ、世の中良いことなんか何もない」

【ご質問内容】

いいこと何もなし

【拙回答】

「お坊さんのことは嫌いでも、仏教は嫌いにならないでください」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「お坊さんのことは嫌いでも、仏教は嫌いにならないでください」

お釈迦様のお教えは、誠に尊く有り難いものでございます。どうか私たちのことを嫌いになられても、仏教のことは嫌いにならないでほしいと存じます。是非、共に少しずつでも仏教のことを学ばれて、修していって頂きたいと存じます。

お坊さんとはいえども、まだまだほとんどの皆様が大なり小なり凡夫であり、悟りを目指して修行中の身でございます。

お坊さんも普通の人間である以上、時には、欲望や煩悩に負けてしまって、過ちを犯してしまうことだってございます。そんな時には、もちろん、皆様からのご批正、ご叱正が必要でございます。

そのご批正、ご叱正は、私たちが襟を正し、足元を見つめ直す上においても、誠に大切なことになります。

ですので、是非、これからも厳しくご批正、ご叱正を賜れましたらと存じます。

「世の中良いことなんか何もない いいこと何もなし」・・

良いも悪いも、全ては因縁(原因と条件)次第、己の心のありよう次第となります。良い因縁があれば、良い結果となりますし、悪い因縁があれば、悪い結果になるというもので、それも、それぞれの捉える心のありようにても様々に捉え方次第にて変わるものとなります。人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄の如しなどとも申しますし。

とにかく、虚無主義や悲観主義に陥られるのにも、そのように思われる因縁があると考えます。

その因縁をしっかりと見極めて、因縁をより良いものへと変えてやる努力をすることで、良い結果へと変えていけるようになると考えます。

「何もない」ということではなく、何か良い結果へと向けては、良い動機と良い行動をしていくことが大切になるとお考えを賜れましたらと存じます。

この因縁果の理を中心として、お釈迦様は「苦・集・滅・道」の四つの聖なる真理から、仏教をお説きになられ始めました。

まずは、その聖なる四つの真理を学ぶことから、是非、仏教にご入門を賜れましたら有り難くに存じます。

また、学び進まれる中で、どうしても分からないことがございましたら、どうぞhasunohaで気軽にご質問下さいませ。

共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

問い「縁起について」

問い「縁起について」
http://hasunoha.jp/questions/2558

【ご質問内容】

縁起にも様々な種類が有りますが、釈迦や龍樹が説かれた縁起の違いとは何でしょうか?

また、縁起=空=無自性は恒常不変である万物を想定しませんが、縁起の働きそのものは永遠ですか?
それとも縁起自体もやがて死滅する物でしょうか?
もし縁起が死滅するとして、その後に訪れるのは一体何だと思われますか?

【拙回答】

「縁起」について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

釈尊のお説きになられた「縁起」は、「此があれば彼があり、此がなければ彼がない、此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す」という「此縁性の縁起」として、主に「四聖諦」や「十二支縁起」の理解のためにお説きになられたものではないかと存じます。

龍樹大師がお説きになられた「縁起」は、「相依性の縁起」とよく言われますが、その目的は、徹底した「実体の否定」として、私たちの顛倒したモノの捉え方、誤謬の対治に向けて主眼が置かれているのではないかと考えることができます。

「縁起」は、あくまでもモノ・コトのありようのことを示唆するための表現であって、「縁起」そのものにも何か「実体・自性・自相」があるわけではありません。「縁起」が、「永遠であるのか、永遠でないのか」とか、「縁起」が、「生じるとか、滅するとか」というのは、議論にそぐわないものになるのではないかと存じております。

もちろん、この宇宙に一応、モノ・コトがある限り、それは「縁起」によって成り立っているということにはなります。そして、また、「縁起」によりて、何らかモノ・コトが成り立っていくことにはなるのでしょう。

では、いずれこの世界、宇宙も完全なる「絶無」となるのかどうかということは、正直、「無記」と言わざるを得ないのではないかと存じますし、あまりそのことを議論するに益はないのではないかと存じております。

仏法において「縁起」や「空」の説かれる主目的は、あくまでも、迷い苦しみ、煩悩・無明の排撃のためとなります。

しっかりと迷い苦しみ、煩悩・無明の排撃と正しい悟りへと向けて、「空と縁起」を理解して参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「共通のお経」

問い「共通のお経」
http://hasunoha.jp/questions/2116

【ご質問内容】

こんにちは。いつもhasunohaを読ませて頂いております。

質問です。先日知人の親族の葬儀がいくつな重なりお通夜に参列してふと思いました。

宗派問わず統一されたお経ってありますか?
元々はお釈迦様が仏教を広めたのでしょうから仏教経みたいな…

よろしくお願いします

【拙回答】

「仏教聖典」

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

いつもhasunohaをご愛読頂いておりまして、誠にありがとうございます。

「宗派問わず統一されたお経ってありますか?」・・実は、そのような趣旨において編纂されている仏教聖典というものがございます。

仏教伝道協会・「仏教聖典」について
http://www.bdk.or.jp/buddhism/index.html

「仏教聖典」とは・・

お釈迦さまとして知られる仏教の開祖、ブッダ(仏陀=目覚めた人の意)が説いた真実の教えを集めた「お経」の中から、教えの大切な要素とたとえ話を選び、それらを日常のやさしいことばにかえて表現したものです。

「ブッダの開いた教えがわかりやすい言葉で、世界中の誰にも心通うように」との思いで「仏教聖典」は作られました。

・・

「仏教聖典」は、どこかの大きなホテルに宿泊された際にでも、鏡台の引き出しの中に聖書と共に置かれていることもございますし、また、仏教伝道協会さんにおいて販売もされているようですから、宜しければお買い求め下さいませ。

http://www.bdk.or.jp/buddhism/book01.html

さて、お釈迦様の残されたお教えが様々に仏典として現在に伝わっております。「八万四千の法門」と言われますように、それだけ方便(その人それぞれの苦しみ、迷いに対して的確に応じて説かれた)として仏教をお説きになられた次第でございます。

その方便において最も基本となるものが、「四聖諦」という、苦諦・集諦・滅諦・道諦の四つの聖なる真理でございます。

私たちには、代表的に四苦八苦(生老病死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦)する中にありますが、それらの苦しみには、その苦しみの結果へと至らしめている因縁(原因と条件)があり、苦しんでしまっているのであって、その苦しみをもたらす因縁(原因と条件)を何とかすることができれば、必ず苦しみを無くすことができるとして、そのための方法(仏道)を善巧方便を駆使なさられて釈尊は仏教をお説きになられたのでございます。

ですので、全てのお経の内容も、それは「四聖諦」を基本原理として説かれているものであるとして、補足として少しくご理解を頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「会いたいです」

問い「会いたいです」
http://hasunoha.jp/questions/1381

【ご質問内容】

父が亡くなって一か月です。
不器用だったけど優しくて、大好きな父です。
もういないと考えると寂しくて悲しくてたまらなくなります。

毎日のように骨壺をあけて骨を触ってしまいます。
いなくなったのを納得したい気持ちと、父がいたことを少しでも覚えておきたい気持ちで触ってしまいます。

もう少ししたら納骨することになります。
そしたらもう触れないと思うと、寂しいです。
でも母や兄たちには言えません。
家族みんな寂しい気持ちを乗り越えようとしてるのは同じだとわかるから。
でも、寂しい。

誰でも大切なひとを亡くす経験をすると思いますが、どうやって気持ちに折り合いをつけているのでしょう。
悩んだときにいつも話を聞いてくれたのは父でした。
父に会いたくてたまりません。

【拙回答】

「愛別離苦」について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

皆、誰もが大切な人との別れは、つらく、悲しい、寂しくなるものでございます。

愛別離苦の苦しみ・・

愛別離苦につきましては、これまでにも下記の各問いにてお答えさせて頂いて参りました。

「愛別離苦について」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_319854.html

もちろん、すぐには乗り越えられない、折り合いはつけられないものであって当然です。それがゆえにも仏教では、私たちの代表的な苦しみとしての八苦(生苦、老苦、病苦、死苦、愛別離苦、怨憎会苦、 求不得苦、五蘊盛苦)の一つとして「愛別離苦」も挙げられている次第でございます・・

しかし、釈尊は、これらに代表されている八苦の苦しみを無くすためにはどうするべきであるのかという教えをお説きになられておられます。その基本となるものが、「四聖諦」(苦諦・集諦・滅諦・道諦)という教えとなります。

「・・苦しみは確かにあるが、その苦しみには、必ず原因・条件(縁)があり、その原因・条件(縁)をしっかりと見極めた上にて、その原因・条件(縁)を解決させることによって、当然に結果としてのその苦しみを無くすことができるのだとして、そのための方法・手段を様々に巧みなる方便にてお説きになられました次第でございます。・・」

拙生もまだまだではございますが、mika様もこれから少しずつでも仏教を学び修されていかれる中で、それらの苦しみも乗り越えていくことができるようになっていくのではないだろうかと存じております。是非共に頑張って参りましょう。

また、悩みがある時には、いつも話を聞いてくれておりましたお父様の代わりといっては、まだまだ役不足かもしれませんが、是非、hasunohaへとこれからも気軽にご質問、ご相談なされて下さいませ。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「生きることについて」

問い「生きることについて」
http://hasunoha.jp/questions/903

【ご質問内容】

現在、うつ病で通院しています。かれこれ発病から10年以上経つでしょうか。

現在はかなり症状も落ち着き、パートという立場ですが、仕事に就くこともできています。上司も病気のことは理解してくれていて、それとなく気を遣ってくれたりもします。恵まれた環境で、今は幸せです。

ですが、ここまで来るのは本当に大変でした。病気の症状ももちろん苦しかったのですが、それ以上に世間のこころの病気に対する差別と偏見の目に苦しみました。たとえば、アルバイトの面接などでも、病気のことは絶対に話せません。

「うつ病の人を採用するわけにはいかない」

病気のことを正直に話すと、そんな言葉が返ってくることもありました。そのせいで激しい人間不信に陥り、よけいに病気が悪くなる。・・・そんな時期もありました。

その時期のトラウマなのでしょうか。今でもふと人間について、生きることについて考えることがあります。いくら法の下の平等を叫んでも、差別はある。人生、どこでつまづいてしまうかわからない。・・・そういったことを思うと、何だか人間や人生というものが、とてつもなく怖いものに思えるのです。

正直、人間として今ここにいることを後悔する時もあります。なぜ、僕は生まれて来なければならなかったか。死にたい、とまではさすがに思いませんが、生きることが怖い、というのが正直な気持ちなのです。

なぜ、こんな恐怖を感じながら生きなければならないのでしょう?
生きることが苦しいのは、やはり当たり前のことなのでしょうか?

【拙回答】

「一切行苦」について

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

長らくうつ病を患っておられまして、誠におつらいことでございます・・

うつ病も少しずつ社会的な理解が広がってきてはおりますが、まだまだ色々な偏見や差別もありますのは、誠に残念なことでございます。社会全体が更に理解を深めてもう少し寛容さを滋養していくことができると良いのですが・・なかなか難しいところもございます。

ただ、本当に人間、生きていくということにおいては、代表的にも「八苦」という色々な悩み苦しみが伴うものでありますので、皆大小それぞれでつらくしんどいことをいくらでも経験していくのではないかと存じます。

また、しげ様のように、「生きることが怖い」という想いも皆一様にどこか持ってしまっているものではないかと存じます。

「生きることが苦しいのは、やはり当たり前のことなのでしょうか?」・・釈尊は、私たちが苦しむあり様を「苦諦」としてお説きになられました。「一切行苦」でございます。「行苦」とは、この世には永久永遠なるモノ・コトのあり得ない世界、無実体(無自性・無自相)の世界でありながら、実体視(執着)してしまうことで、無常であること、様々な移ろい行く現象が苦しみとなってしまっているということでございます。

そして、この生きる事における苦しみ、恐怖、不安を無くすための教えをお説きになられましたのが釈尊でございます。

それが、まず代表的な教えとしての「四聖諦」であり、「四法印」という仏法の要となる教えでございます。是非、このご縁によりまして、釈尊の教えを少しずつでも学ばれていかれるきっかけとして頂けましたら幸いに存じております。

また、「生きる事」に関しましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いて参りましたのでご参照下さいませ。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318925.html

また、上記とも幾つか重複致しますが、「生きる意味」につきましても下記の各問いにて扱わせて頂いております。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318924.html

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/

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http://hasunoha.jp/users/16

問い「人は死んだら無になるのですか 」

問い「人は死んだら無になるのですか 」
http://hasunoha.jp/questions/810

【ご質問内容】

死とは苦しみからの旅たちなのですよね?
死んだら無になるのですか?

残された人は苦しみが増しますよね。
それは亡くなる人にとっても苦しみなのではないのですか?
ということはやはり死ぬことは苦しいことなのではないですか?

【拙回答】

死んだからといって、苦しみが無くなるわけではありません

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

まず、死んだからといって、苦しみが無くなるわけではありません。死んで苦しみが無くなるのであれば、手っ取り早く皆、どんな方法でも構わないのでさっさと死ねば良いことになってしまいます。しかし、それは極端な暴論であり、邪見として仏教では退けることとなります。

以前にも下記のようにご質問を頂いておりましてお答えさせて頂きました。

問い「死んでしまったら無なんでしょうか? 」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1008538263.html

死後のことにつきましては、これまでに「無記」として回答を退けるべきか、あるいは、死後において存続する心(心相続・心の連続体)のありようについて述べるべきかという二点に関して扱わせて頂いて参りました。

下記の最近の拙論では、後者について、より積極的に扱わせて頂いておりますのでどうかご参照下さいませ。

「 死後について 」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1008841241.html

とにかく、私たちの代表的な苦しみとして八苦(生苦、老苦、病苦、死苦、愛別離苦、怨憎会苦、 求不得苦、五蘊盛苦)の一つにもちろん「死苦」がございます。

釈尊は、これらに代表されている八苦の苦しみを無くすためにはどうするべきであるのかという教えをお説きになられました。それが「四聖諦」(苦諦・集諦・滅諦・道諦)という真理となります。

ですので、仏教を学び修していくことにより、それらの苦しみをしっかりと滅していくことに努力するのが私たちの目指すべきところとなります。

四聖諦につきましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いておりますので、ご参照頂けましたらと存じます。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/四聖諦

この機会からでも、より一層に仏教へのご興味をお持ち頂きまして、学びを進めて頂けましたらと存じます。是非、共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16

問い「死んだ方がマシ」

問い「死んだ方がマシ」
http://hasunoha.jp/questions/764

【ご質問内容】

初めての投稿です。

1年の頃学校で友達とトラブりました。1年の頃はずっと一人で頑張りました。

状況は改善されず今も一人です。
しばらく学校には行っていませんでしたが、日数がやばく、最近行き始めました。

それに、商業高校なので3年間クラスは変わりません。

先生達はめっちゃ軽い感じで言います。こっちはこんだけ頑張ってるのに。
今までずっと頑張ってきたけど、そろそろ限界です。
頑張れって言われても、今まで頑張ってきて限界が来たのでしかたありません。

もともと、生きてく意味がないと思ってました。
小学生の頃から死にたい、いつ死んでもいいと思ってました。

こんなだからか、尚更今死にたいと思います。
私は辞めたいのに、両親、先生が許しません。

高校卒業しないとそんなにいけないんですか??

学校に行くんだったら死んだ方がましです。
楽しいことなんてなく、苦しいことばかりの毎日。
早く解放されたいです。

【拙回答】

無理して頑張る必要はありません。

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

高校生活があまりうまくいかれておられずで、おつらくお過ごしでおられるのではないかと推察申し上げます・・

とにかく、死にたいと思うほどまで頑張る必要はありませんし、高校は絶対に卒業しなければならないというものでもありません。

基本的には、たゆ様の人生はたゆ様のもので、誰のものでもありません。ただ、これから成人して、社会生活を営んでいくためには、それまでにある程度の知識や経験、技量を身につけておかないと、自立した人間としてこの社会の中で過ごしていくことがしんどくなってしまうこともあるかと存じております。

この高校生活を無理してまで「耐えなさい」とまでは申しませんが、何かご自身の将来へと向けて、「これだ」というものをおぼろげながらにでも探されてみられて、そこへと向かって、何が必要で、何をしなければならないのかぐらいはお考えになられてもよいのではないだろうかと存じております。

また、ただ辞めたいだけではなくて、辞めて「○○したい」、例えば、働きたい、専門学校で資格を取りたいなど、しっかりと先生もご両親も納得されるような辞められたい理由、目的を述べられるのが良いのかもしれません。

さて・・ここからは少し仏教的なこととなりますが、「苦しいことばかりの毎日」と述べられておられます。誠にその通りです。その真理に気づかれたことは実に素晴らしいことです。釈尊も「苦諦」としてこの世の苦しみの真理のありようを鑑みられて、その解決のための道を御示しになられました。しかし、それは単に「死んだから」といって解決されるような単純な問題では全くございません。下記拙論をご参照下さい。

『 死後について 』
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/46df9bb57071ef4f2b56161423dba66f

是非、この機会からでも「四聖諦」という教説から釈尊の教えを学ばれて頂けましたらと存じております。

また、「生きる意味」に関しましては、是非下記のアーカイブもお読み頂けましたらと存じます。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318924.html

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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http://hasunoha.jp/users/16

問い「精神科に通院中です。この状況をどう解釈したらよいでしょうか?」

問い「精神科に通院中です。この状況をどう解釈したらよいでしょうか?」
http://hasunoha.jp/questions/678

【ご質問内容】

子供の頃から現在に至るまで不運が続いていましたが、現在の職場で評価され始めて、何とか人生が軌道に乗り始めたと感じられるようになって来ました。

そんな矢先、胸を締め付けるような痛み、息苦しさ、頭にゴミが入ったような感覚、思考力低下、無価値感、焦燥感、虚無感、めまい、自殺願望に襲われるようになりました。それはそれは苦しい日々でした。

精神科に行って血液検査等を受けて、全般性不安障害と診断されました。薬を服用してから数ヶ月以上経ち、症状は大分治まってきました。しかし完治するのは難しそうで、多かれ少なかれ一生この症状と付き合っていくことになるかもしれません。

普通の人たちにとっては何てことのない日常が、苦しくて仕方がありません。この状態について、私は、自分の人生を見つめ直す好機に恵まれたと感じられることがある反面、何か前世で犯した罰を受けているような暗い気分になることもあります。

もし後者が正しいとしたら、私は死ぬまでこの苦しみを耐え忍ばなければならないのでしょうか。私は何か悪いことをしたのでしょうか。この苦しみは因果応報、自業自得で、逃れられないのでしょうか。仏教の観点からこの状況をどのように解釈したらよいかご教示いただければ幸いです。

【拙回答】

因縁果の理

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

不運があって、心の病にもなられてしまわれて、色々と苦しんでこられたつらいお気持ち、誠にお察し申し上げます・・

「因果応報」・「自業自得」・・少し世間では悪い意味で捉えられてしまう誤解がありますが、どちらも仏教思想における重要な用語でございます。

「因果応報」につきましては、これまでにも下記の各問いにて扱わせて頂いて参りました。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_318931.html

問い「運気の悪い人生」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002998645.html

『・・「因果応報」ではなくて、「因縁果の理」として理解して頂くのが良いのではないかと存じております。この世における事象の結果には、必ずやその原因や条件(縁)がございます。原因や条件なしに、いきなり何かが生起していく、変化していくということはあり得ません。・・』

hac27様が今の現状へと至るためには、そのための原因や条件(縁)が必ずあったことは確かです。しかし、何が直接あるいは間接の原因・条件となったのか、無数の因縁果の流れを追うことなど、とてもできることではありません。ただ、これから、悪い結果を招かないようにするためには、ある程度はその原因や条件を探り、因縁の流れを変えることで、悪い結果を回避することはできるのではないかと存じます。その努力次第では、結果をより善くに変えていくことも可能にはなります。

問い「自分自身の価値が見出せません。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1004501330.html

しかし、どうにもならないことは、どうにもならないのも事実です。避けられない、逃げられない因縁もあり、それらによる苦しみをしっかりと捉えた上で、お釈迦様がお説きになられました「四聖諦」を理解するこのも大切なこととなります

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/四聖諦

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

「Hasunoha」お坊さんがこたえるQ&Aサービス
http://hasunoha.jp/

これまで拙生が回答させて頂きました内容は下記にてまとめて閲覧して頂くことができます。
http://hasunoha.jp/users/16
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